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はてなキーワード: 認知症とは

2024-10-07

anond:20241006115141

江東区の築15年タワマン持ちだけど、

1.住み替え理由

 もし、豊洲から住み替えるとすれば理由は少し飽きたから他に住みたいかな、という感じが主かも。

 買い物はららぽーとや近隣にスーパーが色々あるし、不便は無いけど、飲み屋が少ないかな。

 実際は、15年くらい前に同じマンションの築2年目くらいに、今とは別部屋を購入して、事情があって2019年に売り払って、また豊洲に住みたくて新たに同じマンションの部屋を買い直した、という感じ。今度、この家を売ったら、石神井公園付近にしようと計画中。

 ちなみに、

 最初に購入した部屋 80平米 7000万で購入→8500万で売却→今は同じタイプの部屋が1億5000万から2億で売られていて涙目

 今住んでいる部屋  60平米 7500万で購入→今なら同じタイプの部屋が9000万から1億。多分海外投機筋にふっかけたらもう少し高く売れそう。

 今は、新築購入から住んでいる老人が増えていて、認知症のおじいさんがコンシェルジュに1時間毎に迷惑をかけているのを良くみかける。

2.住むにはどうか

 区役所図書館もあるし、買い物もたいていのものは買える。家電で悩んだら10分で有楽町ビックカメラに。

 山手線駅チカに住むよりは、移動に少し手間がかかるけど便利。

 東京駅新橋駅にはバス通勤できる。銀座汐留バスで15分圏内BRT20分で虎ノ門ヒルズにもいけるようになった。

 あの辺りに勤務しているならオススメ

3.子育てには

 保育園幼稚園保育園落ちた日本死ねの頃よりは倍率は下がっているよね。

 ただし、幼稚園が少ないかも。

 小学校受験はよほど気合が入っているか、進学後に引っ越す覚悟が無いと難しいというかどこの学校も遠い。

 中学校受験は、その子気合次第。駅前にあらゆる塾が揃っている。サピからエルカミノまで。

 

 

2024-10-05

認知症なのかガサツなのか嫌がらせなのか

悪意の有無で対処できないのが困る

爺さんが家族の会話がない、家庭崩壊してると絶望してるが

爺さん以外の家族コミュニケーション取れてんだよ…

ちゃん認知症で大変だったが、認知がしっかりしててもどうしようもないんだな

ぶっちゃけ家族から社会から必要とされてないっていうか生きてることによる害の方が大きいというか

anond:20241005120906

認知症高齢者でも食糞や弄便は圧倒的に男が多いらしいな

anond:20241005012835

歯周病菌の悪さで認知症になる人もいるらしい。どんなプレイだったんだろう。

2024-10-04

面白くないことを何度も繰り返し、他人うんざりさせる人の性格目的、考えられる精神疾患をあげてみてください。」

面白くないことを何度も繰り返し、他人うんざりさせる人の性格や行動の背景には、さまざまな要因が考えられます。以下にそのような性格的特徴や目的、考えられる精神的な要因についてまとめます

1. 性格的特徴

自己中心的: 他人感情や反応に対してあまり関心がないため、自分が話したいことを優先して繰り返します。

社交的スキルの欠如: 他人の興味や反応を読み取る能力が低いため、同じ話題を何度も話す傾向があります

不安や緊張感: 不安感が強いと、同じ話題固執することが安心感をもたらすことがあります。これは、自分支配できると感じる会話にしがみつく行動です。

完璧主義: 自分の話に自信がなく、納得してもらうまで同じことを繰り返すことがあります

2. 目的

注目を集めたい: 周囲の人々からの注目を集めるために、繰り返し話すことがあります特に自分が疎外されていると感じる場合に、意図的話題を繰り返すことで他人の関心を引こうとします。

自分意見を強化したい: 他人自分の考えや意見を受け入れてもらいたいために、同じことを何度も言い続けることがあります

コントロールしたい: 会話の進行やテーマコントロールしたい場合も、話を繰り返すことがあります

3. 考えられる精神的な問題

強迫性障害(OCD): 強迫行為の一環として、特定思考言動を繰り返すことがあります。これは不安を軽減するために行われる行動です。

自閉スペクトラム症ASD): ASDの人は、特定話題や興味に固執する傾向があり、同じ話題を繰り返し話すことがあります。これには、社会的な反応の違いも影響する場合があります

注意欠陥・多動性障害ADHD): 自分言動抑制することが難しい場合意識せずに同じことを繰り返すことがあります

認知症: 高齢者場合認知症の初期症状として、短期記憶問題があり、同じ話を何度も繰り返すことがあります

このような行動は、状況や相手によっては非常にストレスを感じさせるかもしれませんが、その背景にはさまざまな心理的精神的要因が関わっている可能性があるため、理解対応重要です。

認知症の父の退去を10日間で命じられた話

父がお世話になっている民間有料老人ホームから退去を命じられた。詳細は割愛するが、お世話になってから1年ほどの間に度重なる迷惑行為を父が重ねており、ケアマネージャー施設から報告が来るたびに家族として謝罪に向かっていた。

 

父の迷惑行為認知症由来のようで、精神科医のお世話になっているのだが父に改善の傾向は見れない。迷惑行為は入居前から伝え、想定していたのだが、その頻度が予想以上ということだった。一度は施設の方と一芝居打って、父が見ている前で施設の人に家族が謝る姿を見せた。良心に訴える作戦だ。意味が無かった。

 

最初こそ信じられない気持ちや誤解があるのではないかという期待もあったのだが、回数を重ねるごとに確信が深まっていき、申し訳ない気持ち無力感が強まっていったのを覚えている。

 

「次の人が決まっています」を繰り返す老人ホーム

前置きが長くなったが、とうとう退去を命じられた。それは納得できるのだが、問題は期間である。なんと退去日の10日前に「期日までに退去してください。次の方がもう決まっています。部屋の原状回復までお願いします」と言われてしまったのだ。

 

家庭で素人が面倒を見たり、訪問介護をお願いしたりという体制では限界から施設にお願いしたところがあり、家での受け入れは不可能であった。ショートステイ先を地元で探したものの最短で2か月待ち。他の有料老人ホームはどうかと当たっているのだが、少なくとも10ホーム相談して全てに断られてしまった。この有様から父の状態も察してほしい。

 

そのため流石に10日前は無理ですと申し伝えたのだが、先方は「もう次の人が決まっています」と壊れたスピーカーのように繰り返してきた。こちらが合意してないのに次の人?と思ったのだが、とりあえず議論平行線であった。

ここで契約書を見返すと、迷惑行為で退去を命じることができるとは当然書かれてあった。一方で、退去の○○日前までに通告する、といった日取りについては書かれていなかった。

 

老人ホーム場合、退去させるにしても一般的には3カ月程度の猶予を設けるのだと、片っ端から父の転居を打診する中で教えてもらった。この3カ月というのは私が住んでいる都道府県が用意したテンプレートでの設定だ。

 

多くの事業者はこのテンプレートから大きく逸脱しないで作成しているのだが、私がお世話になっているところは買収を繰り返して巨大になった大手グループ系列であり、契約の書面を統一する過程でここは曖昧になったのかもしれない。余談だが、自治体によって有料老人ホーム契約書は基本的ネットで公開されているので気になった人は検索してみるとよい。

事業者とのトラブル行政に頼れる

とりあえず一旦探した範囲では不可能ということで、頼れるのは行政だった。初めて知ったのだが、実は各市区町村介護保険課がこういった介護利用者事業者トラブル仲介してくれる。介護保険課の職員は丁寧で、こちらの言い分を正確にくみ取った上で事業者に伝えてくれた。

 

ところが、この介護保険課が伝えてきた事業者側の言い分は驚きの内容であった。曰く、「もう私と結んだ契約で退去は決まっている」ということだった。同意?どういうこと?となったので、詳しく聞いてみるといろいろ見えてきた。

 

ここで話がややこしくなるのだが、実は退去を命じられた日の20日前に、父が癌ということもあり、一度ホスピスへの転居が決まっていた。そのホスピス施設長との面談から合意を得られ、事前に父の状態現在老人ホーム確認しあったうえで受け入れてくれるとのことであった。

 

後は転居日に契約も同時に締結すればよいという体制だったのだが、そのホスピスが直前に本社判断で「やっぱ無理」と通告してきてこの話は立ち消えになった。この際、ホスピスに転居する ということで、電話で今の老人ホームの退去に同意した経緯がある(書面では同意していない)。

 

とはいえ、転居先にちゃぶ台返しをされた以上、転居は不可能であり、引き続き転居先を探すから待ってくれとその時は頼んだ。それに対する返答は「…(転居先を見つけるのを)なるべく早くしてください」というものであった。これをもって私は理解いただけたと思っていたのだが、そうではなかったらしい。

 

まり、向こうは今回、迷惑行為による追い出しではなく、退去に合意したこと理由に退去を迫っているらしい。「お前は電話で1度同意して、こちらはそこから20日も待ったぞ?」という論法のようだ。最初からそう言えよと正直に言って思ったのだが…、先方に言質を取らず、曖昧な言い方を見逃した自分への反省と、書面でのサインに応じなかったことへの安堵を感じた。

 

行政の方に、この経緯を伝えたのだが、「あとは個人契約の話になるので行政は介入できないんですよ」と謝られた。苦情についての仲介や、法令違反への介入はしてくれるようだが、契約面では民事不介入ということかな。

  

契約書には「施設を退去させる場合は次の転居先が見つかるように配慮・協力する」という旨の記述はあったので、これを根拠に待ってくれとメールで改めて施設にも書面で頼んだが無視された。

コンプライアンス窓口に連絡

話し合いを無視されているところで、次の手として、運営している会社コンプライアンス窓口への連絡をした。その結果、ホーム地区エリアマネージャーが出てくれた。結論として、これでほぼ全て解決した。向こうの説明は以下の通り

電話での契約恣意的解釈して、10日前に追い出すようなメールを送ったのは間違いなくおかしい。施設長にも指導する。申し訳なかった
②本件は以降、エリアマネージャーが間に入って調整する
③ただ、父の介護体制は当施設許容範囲を超えているので、退去はしてほしい。退去先は引き続き探してほしい

 

とりあえずこれで10日後に追い出されることはなくなった。安心である

 

また、意外な光明も見えてきた。以前受け入れをドタキャンしたホスピスに、今回の件で改めてショートステイを依頼しており、それ自体は断られたのだが、先方の担当者申し訳なく思っていたらしく違うホスピスへ取り次いでくれた。(本来ホスピスにそんなことをする義理はないので、完全に担当者の厚意である

 

その紹介先のホスピスが父を長期的に受け入れ可能だとのことだった。予定を話し合ったところ、当初老ホームから提示された退去日から12日後、通告から22日後には移れそうであった。今思うと、ここまで見越して老人ホーム施設長はこちらを脅していたのではないかと思う。というのも、父がお世話になっている精神科医に「とても10日後に退去するとは思えない。1カ月先まで薬を処方しているよ…?」という旨の説明をこの途中で得られていたからだ。

 

とにかく介護世界というのは、電話で話だけ進んで、正式契約はまた後日でということがあるようだ。新しく入居する際は、家族などとの面談/施設見学→被介護者の実態調査契約・転居というプロセスになるようだが、面談時点から状況が変わるということがよくある。今回転居先を探している中でも、面談の日取りを決めるまでの間に、大部屋の入居者が個室に移りたいとのことで空きがなくなってしまったということがあった。

 

いざという時に備えて、可能な限り、大事な話はメールで進め手残しておくべきだと身に染みた。また、父が迷惑行為を繰り返しているという後ろめたさから、先方の要求はつい屈してしまいそうになるが、一旦冷静になることが大事であると感じた。

  

実はこの日記を書いている時点では新しいホスピス契約は結べていない。今回のホスピス本社ではなく原則として施設長が受け入れを判断するとのことなので、大丈夫だとは思うのだが。契約日までにまた、ちゃぶ台返しが起きないことを祈るしかない。

介護療養型医療施設に転院を強要される

親がちょっとした怪我検査入院させられた

食事ができないか管をいれられてそれがいやで勝手に抜いたか認知症にされてしまった

認知症理由でこの病床にはいれないか介護療養型医療施設うつだって

今のところなら1千円ですむけど介護療養型医療施設だと5千円かかるらしい

そんなにお金ないんだけどどうすればいいのか

昔の日本には姥捨山があったんだけどなー

幼児男性性を感じるのか?

私は主人を亡くし、シングルです!

幼児をひとりで男風呂に行かせろとでも?

連れて入らないとならない事情があるなら娯楽するなとか・・・

こういうひとって何様?認知症?菅副総裁

幼児男性性を感じる変態こそ、お風呂諦めたら?

anond:20241004102236

歯周病菌に限らず、血液中に菌が入ってしまうことを菌血症というよ。

また菌血症のために全身に炎症が起きてしまっている状態敗血症

歯肉の出血悪化する「菌血症」

歯周病は歯を失う大きな要因になるだけでなく、認知症糖尿病など全身の病気にも波及していく可能性が考えられています。その一因として考えられているのが「菌血症」です。菌血症とは、粘膜や皮膚にできた傷などから血管内に細菌侵入し、血液中に菌が存在する状態をいいます

https://www.ncgg.go.jp/ri/labo/18.html

2024-10-03

介護子育て村社会

共産系の嫌いな自助共助じゃん。自民維新の"公助だけでは救えないものもあるから共助自助必要"に反発してきて今更言うんかいイデオロギーに殉じて公助マシーンとして救い続けろよ。

自助を前提として公助を絞るのに反対すると、なんで自助の反対になるんだ?

意味全然分からん理屈はどうつながっているんだ?

そもそもが、記事では「近所に、他人に頼れ」って話をしてる

大事な事だ

一人では限界がある

から助け合おうって記事だな

からそうしてきた

今してるのは「だったら」という話だ


軋轢もあるだろう、柵もできる、集まりの中に嫌な奴が入る事もある

そう言う面倒事から目を背けて

から私は関わりません、私に干渉しないでくださいとぶち上げてだ

困ったら頼ろうって、なんじゃそら

頼るつもりがあるなら普段から関われよ

助けるのは「助けられたから」じゃなく、普段からやれ

「今」やれ

そういう話だ

親子げんかをして絶縁状態になった父が認知症に。介護と看取りを経て、今僕が思うこと

https://kaigo.homes.co.jp/tayorini/column/oyakogenka/

これから誰かを介護する人に伝えたいこと

周りの人に頼ってください

この人についてどうこうという話じゃなく一般論として

共産党の末端を知るものとして吐き出しておく

町内会でも似たようなことが起こってるし

マンション管理組合なんかもそう

とにもかくにも、最近のクソどもはこういう集まりに関わらない

出資はするが意見は言わないとかではない

なんなら「なんで払う必要があるんだ、おれは参加しないから払わない」とか言い出す

マンション管理組合場合管理費として強制徴収するが)

はてなのリベサなんかだと「そうだそうだ」ってな具合じゃないか

PTAなんかも槍玉にあげられて、旧態依然とした村社会は消えてしまえとばかりに叩かれる

ところがだ

子育て介護となると、社会理解がない、社会は冷たいとか抜かしやがる

その口が困った時に助けられたら「隣近所は暖かい」とか言い出す

【お前は】暖かかったのかい

【お前は】誰かの子育てを助けたのか?

【お前は】誰かの介護を助けたのか?

「助けてもらったら助けてあげましょう」みたいな事を軽々に書くやつもいるんだけどさ

誰かを助けるには、その誰かから認知されて、頼って貰える存在である必要があるんだよ

うちの親は共産系の活動してて、地域診療所共産系)に良く出入りしてた

その関係で、診療所の人とも知り合いで、まだ介護問題なんて騒がれてない頃に、ボランティアデイケアサービスを手探りしながら「みんなで」立ち上げた

いろんな相談も入ってきたけど、そういう活動して表に立ってたか相談されたわけ

介護対象祖母が亡くなった時には、共産系の人も町内会も色々助けてくれた

うちの親は町内会は面倒だというし、共産系の集まりも大変だと言うけど、バックレたりしない

助け合いってそういう物だべ

生活に困って生活保護手続き共産党に駆け込んで

保護がもらえたら選挙の手伝いもしなければボランティアにも参加しない

そういう奴がゴロゴロしてる

「助ける側」にいるとそういうのがすごい可視化されるんだよ


別に

本当に困った時に、そのままのたれ氏ねとは言わねぇよ

でもさ

村社会だのなんだのと敵視する時さ

かに助けてもらったら、それを忘れずにおいて、次に困っている人を助けてあげたらいいと思います

という言葉を思い出して欲しいんだよ

この言葉を聞いて「俺が困るまでは誰も助けねぇし手伝わねぇ」みたいな人間が増えると

周りに頼れる人が居なくなって誰も助けれくれなくなるんだ

「次」じゃねぇ、「今」助けろ

将来の自分のために、「今」他人を助けろ

2024-10-02

東海道新幹線開業60周年

私が東海道新幹線に乗ったのは新幹線開業して30年以上経った90年代

母方の実家があるため静岡病院で産声を上げた私が、当時両親の住んでいた社宅がある神奈川へ帰るために乗ったのが恐らくファースト新幹線。勿論記憶の欠片もない。

そこから幾年経ったのか明確に記憶があるのは、まだ0系が走っていた頃。例によって静岡祖父母宅へ行かんと新横浜駅の待合室でこだまを待っている時の記憶

当時、のぞみは走り始めていたが新横浜を通過するのぞみもまだまだある時だった。

全ての列車が停車する今となっては考えられないが、かなりのスピード新幹線新横浜を通過する時は待合室に相応の轟音と振動が伝わり、幼心に恐怖心が芽生えた。

こだまがそろそろ着く時間になると、エスカレーターを上がり4番線へ向かう。篠原側の有閑な景色を見て少し経った頃に、0系ホームに滑り込んでくる。

これに乗るといよいよ静岡のおばあちゃん家に行くぞ、と気持ちが出来上がるのだった。

そんなわけでしばらく新横浜静岡の往復でしか東海道新幹線というものを知らなかったが、その見聞が一挙に広がることとなる。

ある時、静岡祖父旅行企画してくれた。寝台特急富士・はやぶさ九州へ行き、帰りは博多から500系のぞみで帰ってくるというものだ。(祖父神奈川まで来てくれた)

500系運用は決まってのぞみ静岡は停車しない。

フォルムの格好良さに憧れてはいたのに縁のない列車、と諦めていたが遂に乗れるチャンスが訪れたのだ。

空気抵抗を減らすため円形に作られた車体は2列×2列シート。高身長祖父は少し窮屈そうにしていたが、幼少の私はそんな事気にも止めず、5時間近くの乗車をただただ楽しんだ。

何せ全てが見た事ない。そして、300km/hで流れていく景色の速さ。気付けば慣れ親しんだ新横浜ホームに降り立っていた。

そこから中学修学旅行京都に行き、当時まだ試運転をしていたN700系を見たり、大学に入ってから付き合った彼女京都に行ったり。

そして現在に至る。

三十路を越えた今では、JR東海に勤めることは出来なかったもの電車マスコンハンドルを握って仕事をしている。

JR東海新卒普通に落ちた。

恨むこともないし、社会人になり親友名古屋に転勤になったからと託けて名古屋に行ったり東京での飲み会の帰りが面倒で乗ったり、と東海道新幹線に乗る機会は減るどころか増える一方だった。

飲み会帰りに気軽に使うような間柄になっても、やはり新幹線という特別感は拭うことが出来ない。東京駅の東海道新幹線ホームに上がり白い車体を見る時、心の端にいつも高揚感が芽生えていた。

車両が変わり、速度が増して静岡まで1時間を切るようになり、その距離は益々近くなっていったが、社会人になった忙しさとコロナ禍にかまけて私と祖父母距離は遠くなっていた。

そして、今年の正月祖父が亡くなった。

仕事中に訃報を伝えられ、品川から東海道新幹線に乗り込んだ。

予め認知症などの兆候があったとはいえ、やはり思うところはある。

流れる車窓を眺めながら、祖父との思い出が駆け巡る。

新幹線に乗り愛知万博家族みんなで行ったこと。

静岡ホームで、ここ空いてるよ!と並んでる列を割り込もうとした祖母を窘める祖父のこと。

社会人になった後に神奈川祖父母が来た時、帰りの切符グリーン車で取ってあげたらグリーン車なんて乗るの初めてだよ…と泣かれたこと。

祖父との思い出の節々に東海道新幹線が出てくる。

母は、修学旅行では寝台特急長崎へ行ったと言う。それはそれで羨ましいものがあるが、新幹線開業以前、長距離の旅とはおいそれと気軽に行けるものでは無かった。

現代では、仕事終わりに急に新幹線に乗っても1日とかからずに殆ど目的地へ行くことが出来る。

私と祖父が同じ時代を生きた時に、新幹線があって良かったと思う。

会いに行こう、をテーマ曲に。これから日本の大動脈として人々の出会いを支えて欲しい。

そう思って文を締めます

東海道新幹線開業60周年

私が東海道新幹線に乗ったのは新幹線開業して30年以上経った90年代

母方の実家があるため静岡病院で産声を上げた私が、当時両親の住んでいた社宅がある神奈川へ帰るために乗ったのが恐らくファースト新幹線。勿論記憶の欠片もない。

そこから幾年経ったのか明確に記憶があるのは、まだ0系が走っていた頃。例によって静岡祖父母宅へ行かんと新横浜駅の待合室でこだまを待っている時の記憶

当時、のぞみは走り始めていたが新横浜を通過するのぞみもまだまだある時だった。

全ての列車が停車する今となっては考えられないが、かなりのスピード新幹線新横浜を通過する時は待合室に相応の轟音と振動が伝わり、幼心に恐怖心が芽生えた。

こだまがそろそろ着く時間になると、エスカレーターを上がり4番線へ向かう。篠原側の有閑な景色を見て少し経った頃に、0系ホームに滑り込んでくる。

これに乗るといよいよ静岡のおばあちゃん家に行くぞ、と気持ちが出来上がるのだった。

そんなわけでしばらく新横浜静岡の往復でしか東海道新幹線というものを知らなかったが、その見聞が一挙に広がることとなる。

ある時、静岡祖父旅行企画してくれた。寝台特急富士・はやぶさ九州へ行き、帰りは博多から500系のぞみで帰ってくるというものだ。(祖父神奈川まで来てくれた)

500系運用は決まってのぞみ静岡は停車しない。

フォルムの格好良さに憧れてはいたのに縁のない列車、と諦めていたが遂に乗れるチャンスが訪れたのだ。

空気抵抗を減らすため円形に作られた車体は2列×2列シート。高身長祖父は少し窮屈そうにしていたが、幼少の私はそんな事気にも止めず、5時間近くの乗車をただただ楽しんだ。

何せ全てが見た事ない。そして、300km/hで流れていく景色の速さ。気付けば慣れ親しんだ新横浜ホームに降り立っていた。

そこから中学修学旅行京都に行き、当時まだ試運転をしていたN700系を見たり、大学に入ってから付き合った彼女京都に行ったり。

そして現在に至る。

三十路を越えた今では、JR東海に勤めることは出来なかったもの電車マスコンハンドルを握って仕事をしている。

JR東海新卒普通に落ちた。

恨むこともないし、社会人になり親友名古屋に転勤になったからと託けて名古屋に行ったり東京での飲み会の帰りが面倒で乗ったり、と東海道新幹線に乗る機会は減るどころか増える一方だった。

飲み会帰りに気軽に使うような間柄になっても、やはり新幹線という特別感は拭うことが出来ない。東京駅の東海道新幹線ホームに上がり白い車体を見る時、心の端にいつも高揚感が芽生えていた。

車両が変わり、速度が増して静岡まで1時間を切るようになり、その距離は益々近くなっていったが、社会人になった忙しさとコロナ禍にかまけて私と祖父母距離は遠くなっていた。

そして、今年の正月祖父が亡くなった。

仕事中に訃報を伝えられ、品川から東海道新幹線に乗り込んだ。

予め認知症などの兆候があったとはいえ、やはり思うところはある。

流れる車窓を眺めながら、祖父との思い出が駆け巡る。

新幹線に乗り愛知万博家族みんなで行ったこと。

静岡ホームで、ここ空いてるよ!と並んでる列を割り込もうとした祖母を窘める祖父のこと。

社会人になった後に神奈川祖父母が来た時、帰りの切符グリーン車で取ってあげたらグリーン車なんて乗るの初めてだよ…と泣かれたこと。

祖父との思い出の節々に東海道新幹線が出てくる。

母は、修学旅行では寝台特急長崎へ行ったと言う。それはそれで羨ましいものがあるが、新幹線開業以前、長距離の旅とはおいそれと気軽に行けるものでは無かった。

現代では、仕事終わりに急に新幹線に乗っても1日とかからずに殆ど目的地へ行くことが出来る。

私と祖父が同じ時代を生きた時に、新幹線があって良かったと思う。

会いに行こう、をテーマ曲に。これから日本の大動脈として人々の出会いを支えて欲しい。

そう思って文を締めます

2024-10-01

anond:20241001072105

実はこいつの末路って割と幸せな部類なんだよな

パーキンソン病で生きる屍と化しながら死んだ爺ちゃん認知症で泣きながら毎日徘徊してた隣の婆さん、舌がんで唾も飲み込めず病院餓死した知り合い

どれだけ実りある人生を歩もうが、人に愛されようが長生きすると最期悲惨

こいつは66手前でぽっくり活けたし、嫌われ者借金もあったから逆に未練も無く死ね幸せだろうな

惨めな死に方した人間を何人か見てくるとこいつが普通に羨ましいと思えてくる

マザーテレサじゃないがクソみたいな人生を歩んでましな死に方をするって実は幸福なんだよ

2024-09-27

anond:20240925173522

「一昔前は」じゃないよ。今現在もそうだよ

やばい老人を取らないところはスタッフ大事にしているマトモな施設だよ

うちなんか「来れば必ず何発かスタッフを殴る利用者」とか平気で受け入れてるよ

こんなん訴訟もんだと思うんだけど

はやくこのイカれた状態是正されますように

そして投薬で「脳と体の状態を同程度にする」のがスタンダードになりますように

(体だけピンピンしてて脳イカまくりって状態を正すべき)

薬のせいでマトモに食事が出来なくなって弱って儚くなっても「それが本来寿命」だと思うね

「拘束=虐待」っていう凝り固まりまくり業界なので介護服すら着せられない現場では、Faが投薬に積極的じゃない限り何も手立てが無いわけよ

(ちなみに鎮静目的の過剰な精神薬の投与も「拘束」だ。はぁ?像が倒れるくらいの強い薬じゃないと効果がねんだよ。もうね、認知症患者は「超人」だからね。気休め程度の精神薬なんて効きゃしない。ふらつき出て転倒リスク上がるだけっていう最悪な状態だよ)

病院は良いよなー。拘束しちゃえるもん。まあ、それでもぶっ千切ってベッドから落ちるんだけどな

「拘束禁止」って声高に叫ぶなら、対案示してからしろって思うね。実際には拘束が必要利用者職員が一人密着出来る現場づくりしてから言えよって思う

利用者尊厳云々綺麗事ばっか言って、片手落ちもいいとこ

から現在、暴れる利用者・転倒・転落リスクのある利用者は人力で押し止めるしか手が無い。そしてそんな人手は無い

「心ある」お医者さんによって投薬を禁じられるのなら、セクハラだろうが暴力だろうが1万回の繰り言だろうがトイレ異常なまでの頻回だろうが付き合えるロボが介護するように技術革新するしかないよ

人間には無理だよ

ちなみに、急激にセクハラ性器弄り等が始まった利用者さんが居たけど内服薬替えたらすんなり落ち着いたよ

元々飲んでたのがアリセプトだったかなあ。いろんな副作用があるよな

ほんと脱抑制系の周辺症状はきつい

良い施設が見つかるか、症状が落ち着くと良いね

2024-09-26

anond:20240925173522

内科医者です。田舎高齢者をメインに医療を行っています

もともと真面目なお父様がセクハラしまくっている姿を見るのは、多かれ少なかれショックだと思います

(が、こんなセリフがすらっと出てくるぐらいにはあるあるです。)

認知症や、脳神経などの疾患による高次機能障害によって、セクハラの他にも、徘徊暴言暴力

夜間に大声で騒ぐ、などなどの問題行動が出てくることもよくあります

投薬を増やしたりと頑張っていたのだが、収まる気配はない

この辺りがどの程度「アグレッシブ」に行われたのかわかりませんが、施設での集団生活が続けられない場合

かと言って他に行くところもなく、やむを得ずに薬剤的に「鎮静」を行うこともあります

(ここでは拘束とか鎮静とかの人権面での議論は行いません。)

薬にも軽いものから強いものまで色々あり、軽いものでうまく行かない場合には強めの薬を使うこともあります

ただ、長く使うと副作用で、目に光がなくぼーっとしている、体がうまく動かなくなる、嚥下の働きが落ちる

誤嚥肺炎を起こしやすくなる)、転びやすくなる、等々あり、

結果として鎮静しない場合可能かは別として)よりも寿命が縮んだかもと言えることもあります

上記副作用可能性も承知している旨をアピールし(変なアドバイスになりますが、患者家族が熱心なのは

良いのですが、全部最高の結果にしろというモンスターペイシェント臭いがすると医師は警戒します)、

施設に入れない事情も併せ、精神科相談してみたら

次に進まないかなあと思った次第です(ある程度の鎮静を是とする前提ではありますが)。

うまくいけば、動けなくなる程でない鎮静で、セクハラゼロにならなくても施設職員が軽くいなせるぐらいで

生活が送れる様になればよいと思いますが、仰る様に難しいのかも知れません。

実際のところ、精神科認知症病棟の様なところに入院する場合も同様で、集団生活ができないと

入院継続不可能なので、

場合によっては身体拘束することがあります、というか9割がた最終的には身体拘束すると思います」と精神科医には言われている。

この辺りも同じ話なのではと思います

がん性疼痛が発生してもロキソニン程度の薬しか投与できないと思ってくださいと言われている(麻酔不可)。

この話はよくわかりませんでした。私は癌の診療にも携わっていましたが(田舎なので、これ以上治療できない

段階になっても専門の緩和病棟などないので、緩和医療もやります)、認知症でもコミュニケーションが困難でも、

癌性疼痛があれば、表情からでも苦痛の程度を判断して医療麻薬使用します。

麻薬せん妄を引き起こすこともありますが、せん妄苦痛なので何とかコントロールします。

お父様と皆様にとって良い方向に行くことを願っております

anond:20240924204946

自分増田プリントアウトして最寄りの精神科心療内科へ行け

今のお前は典型的な鬱の症状の初期段階を、もはや過ぎつつある

もしくは若年性認知症可能性もある

とにもかくにも然るべき医療機関へ行け

これ読んだら今すぐ行け

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何やってんだ早く行け

anond:20240926133355

まぁ可能性の話だろそういうのは してない可能だって全然ある

抑制」って言葉が悪いんだろうが 認知症も、まして増田父が疑われてるガンマナイフによる後遺症も脳の物質が全く変わってしま病気なんだから今まで理性で抑えてた人格が出てきたとかの考察的外れなんだよね

anond:20240925173522

もし自分認知症になったら、自我があるうちに切腹したい。

anond:20240925175614

女、自分欲求を男に強要されたもの自己洗脳するんだよな

いわば全員が先天的認知症なのよ

あるいは統合失調症

要するに会話するだけ時間無駄ということ

anond:20240925173522

こういう介護の苦労話を読むと、自分認知症になった時は親戚や施設迷惑をかける前に安楽死したいなどと思う。

可愛いボケ方ができればいいけど、性格悪くなるボケ方する自信しかないし。

2024-09-25

anond:20240925173522

これは厳しいね

父のセクハラが思ったより見境が無く、面談に来てくれた看護師にも、手を握ったり、キスをせがんだりということがあってのことではあるのだが。近年はどこの施設審査が厳しく、セクハラが激しい認知症患者は受け入れられないとのことだった。

いくら認知症患者でも、元健常者だったお年寄り自己責任ってことになるんだろうな。

健常時代ちゃんコンプラを取り入れてたら、認知症になってから節度を保てたはずってさ。

まれた当初から脳に重度の認知障害を負っている人の施設は、もうちょっとゆるい。

そっちもセクハラに耐えられない職員さんは辞めるけど、本人にも責任がないという扱いになる。

最近高齢者向け施設コンプラが思ったより厳しくなっている

私の父は認知症だ。現在とある老人ホームに入ってもらっているが、このたび認知症が故のセクハラが多いとのことで、追放されることになった。

注意したり投薬を増やしたりと頑張っていたのだが、収まる気配はない。癌の治療のため、ガンマナイフを脳にあてたことによる高次脳機能障害かもしれないと言われた。

健康な時の父は全くセクハラとは無縁だったので正直悲しいものはあるが、脳の問題精神病なら本人にもコントロールできないだろうし仕方ない。

 

そして現実小説と違って、追放された後にとりあえずゆっくりしてから潜在能力を開放…というわけにはいかない。新しい受け入れ先を探す必要がある

ところが新しい受け入れ先がなかなか見つからないのである

当初、私は父が癌でお世話になっている病院地域連携室というところが勧めてくれる施設なら、スムーズに受け入れてもらえると思っていた。

多少は不自由価格問題があるだろうが、それは仕方ない。とにかく受け入れてはもらえると思っていたのだが、結論として勧めてくれたところは全滅した。

 

父のセクハラが思ったより見境が無く、面談に来てくれた看護師にも、手を握ったり、キスをせがんだりということがあってのことではあるのだが。近年はどこの施設審査が厳しく、セクハラが激しい認知症患者は受け入れられないとのことだった。とある施設では相談員施設判断で受け入れを合意してくれたのだが、受け入れの2日前に、その施設本社リスクコンプライアンス室というところからストップがかかってちゃぶ台を返されたこともあった。「施設が見つからない」「あそこもダメだった」と相談すると、父がお世話になっている病院担当者医者はみな驚いていた。医療介護業界では、現場従事者と本社スーツ組の感覚は少々ずれているようだ。

 

あらゆる施設を当たってはいるのだが、どうやら普通老人ホームは無理で、精神病しか受け入れ先がなさそうだ。

場合によっては身体拘束することがあります、というか9割がた最終的には身体拘束すると思います」と精神科医には言われている。

がん性疼痛が発生してもロキソニン程度の薬しか投与できないと思ってくださいと言われている(麻酔不可)。

 

おそらくだが一昔前は現場介護士の方々の苦痛犠牲に、父のようなモンスターと化してしまった人間もそれなりに尊厳をもって穏やかに死ねたのだと思う。

父は昭和人間コンプラとは無縁の時代に生き抜いたと思ってたが、最後コンプラの波にのまれた。

社会的には良いことだとは思う。しかし、辛いもの家族としてはある。刑務所に入ってもらった方が案外楽かもなぁ。

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