2019-06-06

運転免許は「できない」人に合わせて年齢上限を決めてほしい

高齢者には自動車運転をしないでほしい。

私は「65歳以上」は、免許を一律返納すべきという立場を取りたい。

なぜ65歳かというと、年金を貰えるのが65歳だから定年退職する年齢を65歳と仮定しての線引きである

例えば、トラックバス運転手などの職業ドライバーも、定年で「引退」すると考える。

再雇用云々……は今は置いておいて、例えばバス会社運転手を雇うのは「65歳の定年まで」とすれば、それが運転引退する年齢にすべきだと思うのだ。

よって、この年金を貰うラインを、一応「現役」か「引退」かの無慈悲に引くラインとして採用したい。

からトラックバスなど、プロ運転手に給料を払う企業に対して、厳密にその「現役」と「引退」の年齢ラインをしっかり決めて欲しい。

安心して雇い、安心して給料を払えるのは、何歳の運転手までか。

それを免許返納の年齢規定にしてよいと私は思う。

職業運転手は、人命や大切な荷を運ぶプロだ。事故を起こされたら会社もたまったものじゃない。

から、その業態は慎重に年齢制限を設けるだろう。

私は知らないが、もしかしたらすでに制限があるかもしれない。

職業運転手以外の一般運転手も、それに倣うべきだ。

なぜなら、高齢者はどうしても、認知判断操作能力が、衰えていくからだ。

60歳から65歳になって、年齢が若返ることはもうない。時間は過ぎる。

高齢者運転操作死ぬ人は後を絶たない。

池袋暴走事故の遺族は「少しでも運転不安のある人は免許を返納してほしい」と訴えた。

私もそう思う。

「年を取る」ことは「運転不安が増える」ことと同義だ。

足が衰え、ガニ股になり、バックなどで腰をひねった際、身体の柔らかさが衰えた身体では足の位置がずれてしまい、

その甘い感覚のまま、ブレーキに添えていたはずの足はアクセルにずれ、思い切りアクセルを踏んでしまう。

身体的衰え」が理由事故だ。

反射神経も鈍っているから、すぐにブレーキを踏みなおせない。

なぜなら「ブレーキを踏んだのに進んでいる」→「アクセルと踏み間違えている」→「ブレーキを踏みなおそう」という、

認知判断力も鈍っているからだ。

しろブレーキを踏んでるのにどうして進むの?」とパニックになり、踏み間違えたアクセルを踏み続ける。

その間も、轢いた歩行者を踏み続けていることになる。無慈悲だ。これは殺人と等しい。

これが高齢者運転操作による事故典型である

日々流れるワイドショー特集では、

「年を取っても元気に運転できる人がいる」とか「田舎では移動手段がない」とか、しまいには「生き甲斐」とか言い出す始末。

要は車を取ったら不便になるからギリギリまで運転したいということ。

そして「家族が顔色を窺って、免許返納を遠回しに勧めて」ほしいとか言っている。

子ども世代だって忙しい。そんな暇はない。

なぜそこまで気遣いをしなければならないのか。

そもそも注意する子ども世代がいない高齢者は?

少子化時代にそういう高齢者だって沢山いるだろう。

であれば、「一律」に「平等」に免許返納の年齢上限を設けるべきだ。

18歳未満は運転できないのと同じだ。

福岡市逆走暴走事故は、事故のほんの十分前はまともに運転をしていたそうだ。

しかしたら当時意識を失っていた(突然体調不良になった?)のかもしれないと、事故の原因を調査中だ。

高齢者は、いつどうなるかわからいから、運転はやめるべきだという事実が露呈したと言える。

ほんの十分前まともに運転していた人が、一瞬でまともな運転ができなくなったのだ。

今日できていても、明日できなくなってもおかしくない。

それが「年を取る」……ということなのだ。

これが一番言いたいことだが。

歩行者の命」に関わることだ。

健康寿命の長い、特異な人に合わせないでほしい。

平均点以下……むしろ運動神経の悪くおぼつかなくなってきた人に合わせて、年齢制限を決めて欲しい。

運転偏差値なるものがあるなら、30とか20とかの人に合わせて、年齢制限を決めて欲しい。

車は、踏んだら動く。

座ってるだけで移動できる。

力の弱くなってきた高齢者には便利なものだろう。

けれども、最低限「安全操作」ができる「身体能力」が必要だ。

それは、高齢になるとどうしても不足してくる。スポーツと同じだ。

アスリート自分引退を決める。

自分選手としての限界を認め、退く。

プロであればあるほど、自分が全盛期の動きができなくなったとすぐに気付く。

それだけ自分能力客観的に見ることができるのだ。

それができないなら、年齢制限を決めるしかない。

自動車運転にも、職業運転手の定年退職と同様に、年齢に上限を決める。

どうか、運転免許は「できない」人に合わせて年齢上限を決めてほしい。



*ちなみに我が家場合

私はペーパードライバーだ。

運転免許はほぼ身分証としてしか機能していない。

45歳までに車を買えなかったら、返納しようと思っている。

45歳以上になったら、ペーパードライバー講習を受けても無理だろうと思っているからだ。

21歳で免許取得したのに、自動車のものも維持費も高く、いまだに持つことができない。給料が低いのだ。

からどこにでも歩いていく。汽車に乗っていく。バスに乗っていく。そして歩く。

齢90の祖母、65の父もそうだ。

祖母免許を持っていない。運転できる祖父が亡くなってからは、ずっと歩いている。バスに乗ったり、バスがなければ歩いている。

祖母のような高齢者でも、車がなければないでなんとかやっている。

父は車の維持費が大変で、55歳ごろ車を手放した。

車を手放したらタクシー代が…という人は、車のほうが金食い虫と言えないだろうか。

父は、バスの通る場所引っ越したし、祖母は、生協宅配を利用して日々の買い物は賄っている。

車って、一度持ってしまうと手放せないんだなと、高齢者の誤操作による事故ニュースを見ていて、日々思っている。

そして不思議だ。

実家には車のある時期もあったが、私自身は車を持ったことがない。

そういう人間からしてみれば、なぜそこまで車に固執するのか不思議でならない。

事故ニュースだって、決して交通の便が悪くなさそうなところで起きている。本当に不思議だ。

おまけに、高齢者が若かったころ、そもそも車なんか発明されて間もなく高価で手が出せなかったのではなかろうか。

便利なものを知ると、手放せなくなる典型なのだなと思う。

便利なものはなかなか手放せない。仕方ない。踏めば走る。便利だ。

から自動車運転免許には、一律に年齢上限を決めるしかないと思う。

色々な手放したくない理由がある。それは理解できる。

からこそ無慈悲に年齢で線引きするのが、一番平等なのではないかと思い、この記事を書いた。

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