はてなキーワード: 抗うつ剤とは
趣味でつながってるフォロワーたちで、メンタルをやらかして長いこと抗うつ剤飲んだりしてる人が結構いるんだけど。
その人たちを見てると、なんかわざわざネガティブな事を探しに行って、ネガティブな気持ちになってるんだよなあ。フェミや腐女子や映画ジョーカーについて一言言いたい意識高い人のお気持ち長文や学級会を探しては「なんてことだ。こんなひどい人間がいる世界で生きていくなんて絶望だ」ってなってるっていうか
腐女子やフェミの学級会とか見なくても困らないものの代表で、しかも内容は恨みつらみのネガティブの塊なわけで、鬱のせいで気圧の変化程度でメンタルやられるレベルで脆弱なのに、何でそんなもんわざわざ見に行くのか。不思議でならない
自分で自分の性格を書くは恥ずかしいけど、俺は多分、やんちゃで、自由で、人の気持ちみたいなのをあんまり考えずに、自分のやりたいことをやる元気な方なんだと思う。
でも、中学生になったら、この性格ゆえ、いや、普通に性格以外にもいろいろ問題はあったんだろうけど、クラスの奴らから嫌われ始めた。
中学受験して行った中学のため、いじめなどはなかったが、いろいろと相手にされなくなったり、輪に入れなくなった。
俺はここで初めて、空気を読むとか、人と合わせるとか、そういうことを体で覚え、中学生活のその後はひっそりと生活することに徹した。ちょうどパソコンをゲットしたこともあり、オンゲやアニメにハマっていたため特に問題はなかったし、このつながりで、クラスの影である人たちと友達になれた。
そして、高校生のとき、広く学生を募集してアメリカに20日ぐらい旅行するみたいなものがあり、親の勧めで参加させてもらえることになった。
テンションが上がっていたし、仲良くいこうみたいな雰囲気があったから、久しぶりに俺はひっそりと生きるという枷を外し、自由にしてみた。
その結果はまあなんというか言うまでもなくで、旅行後半は本当にボッチで行動した。
二度もこういうことがあったから、自分の性格は本当にクソでだめなんだと思った。再度俺はこの性格を封印し、おとなしいやつとして過ごすことにした。
その結果、高校生活は特段問題もなかったが、仲が深い友達もできず、彼女なんでもっての他だった。
1年のとき、サークルの中で一人変わった女の子がいて、あっちの方からグイグイ来た。俺は過去の経験から絶対に素の自分を出しては行けないと思い、細心の注意を払い行動した。彼女の言動一つ一つに神経尖らせて、少しでも怒らせたり、不機嫌にさせないようにした。そして、些細な行動で傷ついていた。
そんなこんなで仲良くしていたが、だんだん彼女の方は俺に飽きて行き、距離を置かれるようになった。毎日来るLINEが来なくなり、遊ぶ機会も減り、呼び方も名字へと戻った。
本来自由で、人の気持ちをあんまり考えない性格なのに、その自分に嘘をつくというのは楽なもんじゃない。なのになんでって思って、人間関係がわけわからなくなった。
不満は爆発し、サークルの仲間すべてを失った。
抗うつ剤を飲んだ。毎日ベッドの上で考えるだけで1日が終わる日々だった。ちょうど大学が春休みだったのが幸いした。
そして、2年生、新しいバイトを始めたのだが、これが幸運なことに同世代が多く、明るく優しい人が集まるような場所だったために、俺のメンタルは急激に回復した。
おとなしいフリをした性格も、ちょっと変だけど優しい、みたいな感じで受け入れられた。
本来なら仲間もいっぱいできて喜ぶところだが、俺はこの関係を壊れることを恐れ、壊さないようにするために必死だった。
本当の自分の性格なんて忘れていた。バイトは楽しかったが、人間関係は楽しくはなく、うまくやれてホッとするか、ミスったと思い込みどこが行けなかったのかを考えるかのどっちかだった。
そして、仲もたいして深まらなかった。みんな表面上の付き合いのように思えてならなかった。遊びに誘われたらめちゃくちゃ嬉しかったし、逆に誘われなかったのを知るととても辛かった。
自分に嘘をつくのもきつかった。どうすれば人生楽になれるんだろう。どうすれば人間関係が楽になるんだろう。
表面上は楽しかったが実際は地獄みたいな1年を過ごし、現在大学3年生。
不満が1年と半年分たまり、爆発しそうになったため、夏休みでもあるし、1週間ぐらいバイトにも行かず、家に引きこもって、人間関係について考えないようにした。
バイトに行かなければ人と仲が深まらないし、進展もない。なにより、一人は寂しい。だから最初は怖かった。でも、悩みを投げ出して、一人で漫画読んだりアニメみたり、ゲームしてるうちに、本来のやんちゃで、自由で、人の気持ちを考えない性格を思い出した。そうだ俺はこうだったんだと、思った。やっと見つけてくれた、と心の中で声がするような気がした。
だが、この性格を出せば、100%嫌われることになる。バイトでなんだかんだ築いた関係も全部壊すことになる。けど、もう自分に嘘をつくのは嫌だし、もうメンタルがもたない。
俺は今後、部分的にだんだんこの嫌われる性格を出していくことになるだろう。
だからここに決意を書く。
俺はこの先、一人になる。周りを見る目は厳しくなり、味方はいなくなる。怖い、怖いし、不安だ。でも、それが俺だ。突き進め。向かい風の方向が、俺の進む道だ。俺、頑張れ!
母が自殺した。
もう3年も前の話だが、私の中では現在進行形だ。
いつもならば眠い時間で、無視して必要があればかけ直すのだが、父の名前が画面に表示されたので、何事かと思って電話を受けた。
え?お母さん?自殺?え?
一瞬にして混乱の海に投げ出される。
父は続けて「救急車を呼んで、今待っている」というような事を言った気がするが、信じたくない現実に面と向かう事に必死でよく覚えていない。
鮮明に憶えているのは、呼び鈴と同時に入室してくる救急隊員の声と、それに答えて「救急車が来たからまた連絡する」といって電話が切れた事。
切れた電話のツーツーという音を聞きながら、その後どうしたか憶えていない。
夫の話を聞く限り、隣で眠っていた夫が話し声で起きて、どうした?と聞き、私は事情を話したらしい。
とにもかくにも、実家に帰って詳しい状況を聞かないといけない。
夫は会社に欠勤の電話をし、身支度をして二人で車で2時間の実家に行くことになった。
私はタバコを吸うのだが、母はタバコもタバコを吸う私も嫌っていたので、お風呂に入る時間をちょうだいと言って、急いでシャワーを浴び、髪についたタバコの匂いを落とした。
気持ちとしては、悪い夢の続きを見ているような変な浮遊感でふわふわしていた。
長い道中の事も憶えていない。
義父に頼まれた枕花を持った重さだけが、私を地上に結びつけているような気がした。
母の自殺が本当だとしたら、第一発見者の父の気持ちは荒れる海の波のようだろうから私はしっかりしないと…と、平静を装おうとしたが、玄関を開け、並ぶ見覚えのない靴を見て、父の兄弟が先に来ている…つまりは母の自殺は本当だと感じた瞬間、涙が溢れ出た。
しばらく泣いて落ち着いたところで、居間のテーブルに用意された席についた。
ふと、母が居るであろう場所を見ると、そこには何もない。
父にお母さんは?と聞くと、今は警察署に居ると言われた。
なんでも、救急隊員が駆けつけた際に死亡が確認された場合、救急車には乗せられないルールがあるらしい。
そして、自宅での死亡の為、原因の追求をする為に警察署での検死に回されると。
母は一人で冷たい場所にいるのだろうか。
早く会いたい、顔を見たい、それだけだった。
夕方、警察署からの連絡で、母の遺体を収容する施設に移すという連絡があり、その場に居た全員で手続きに行った。
涙を流さず、冷静に見える父の、必要書類に記入する手が度々止まる。
「妻っていう字が思い出せない、書けない」
ああ、父も心の中は混乱していて、いっぱいいっぱいなのだな、と思った。
叔母が字を教えて、ゆっくり、一画一画確認しながら書類を書く。
刑事さんが書き終えた書類を確認し、ご面会はこちらです、と案内された部屋に行った。
私は死んだ直後のままの母が居ると思っていたが、既に白装束に着替え、箱に収められていた。
首には吊った後が残っているのであろう。
首周りに綿の詰められたクッションのような物が巻かれていた。
枕花を頭の横に置き、周囲に流されるように手を合わせる。
これは悪い冗談なのではないかと、そうとしか考えられなかった。
母は残された苦しみから、「どんなに辛い事があっても、自殺だけはだめよ」と言っていた。
私はその言葉に助けられていた。
長い期間、学校でいじめられ続けていた私にとって、生きる事の大切さを教えてくれた母の為にも生きようと、これまで生きてきた。
でも、その母が自殺を選んだ。
母はパーキンソン病で、近い将来介護が必要になる事を嫌がっていた節があった。
その苦労を父や私にかけない為に死を選んだとしか考えられない。
苦労かどうか決めるのは私達なのに。
母の葬儀は、式場の都合で一週間程先になった。
それまでの間、毎日霊安室に通い、好きだったカフェオレを供え、なんで死んだの?と疑問をぶつけていた。
母は自分の将来に、綺麗に決着をつけたと思っているだろう。
実際はそうじゃない。
私も父も親戚も夫も、事情を知った全員がそれぞれに苦しんだ。
その罰があたったのか、もうすぐ葬儀だというタイミングで、綺麗だった母の死に顔に死斑が出た。
人前に出る時に化粧は欠かせない母だったから、このまま葬儀には出せないと、葬儀屋さんに頼んでプロの化粧をして貰った。
過去の心の傷と仕事のストレスで鬱になった私は、抗うつ剤と睡眠薬を長い事飲んでいたが、母の死を知った日から、それらの薬が効かなくなった。
父と母に会う時間の合間にかかりつけ医に臨時でかかって、強い抗うつ剤と睡眠薬を処方して貰った。
葬儀が終わるまでは、四十九日が終わるまでは、一周忌が終わるまでは…とにかく倒れる訳にはいかない。
それだけで動いていた。
朝9:00から受付を始める。診察券を出して、午後に診察
家がちょっと遠いので早起きをしないといけない。精神科は大人気なので出遅れると終日待たされてしまう。
大体9時過ぎに行くと15時ごろに来てください、と言われる。でも15時に来てもそこから概ね1時間は待たされる。
30分待たされる時もあれば3時間近く待たされる時もある ムラっ気がやばい。
なんせADHDなので、他の事に集中してると呼ばれても聞こえない。看護師さんの声に集中しないといけない。無我の境地だ。
呼び出す看護師さんは受付番号を言わないので、何番目の人が呼ばれてるのか全く見当がつかない。
何番目くらいですか、と聞くと順番にお呼びしています。と言われる。そりゃそうだよな。
いつ終わるかわからないけど無我り続けるしかない。ADHDなのでこれもつらい。出会って4秒で診察してくれ。
そんな感じでまんじりとしているとすごく疲れる。ADHDだからである。
すごく疲れてるのでもう診察を受ける頃はお医者さんと話す元気はない。なんでもいいから処方箋ください、みたいになってる。
そもそもお医者さんと話すのも疲れる。最近どうですか?と聞かれても何が?と思う。これもADHDの業である。何をどう答えていいのかわからない。摩耗した精神だと尚更わからない。
あと相談できる友達いないの?とか聞かれる。友達と連絡とってみなよ。なんで連絡できないの?ってめっちゃ聞かれる。
書き出してみると当たり前の質問だけど聞かれるとすごくつらい。これは鬱気味だからですね。
人と話すのめちゃくちゃハードル高いからそんな簡単に言わないでくれよ。ちょっとマテ茶だよ。正論ティーはマテ茶つってね。
この10分強の為に1日待たされた虚脱感に支配されつつ処方箋もらって帰る。
すごい疲れるけどしょうがないよなぁ。大人気クリニックだから診る先生も大変なんだろうなぁ。
イレギュラーなことが沢山あって時間通りに行かない事もザラなんだろうな。抱えてる悩みは人それぞれだから、診察に時間もかかるよな。
そもそも受付してから受診するまでの時間がマチマチなのは普通なのかなぁ。ADHDだから死ぬほど苦痛なだけで、普通の人は別になんとも思わないのだろうか。
果てしなく疲れたので受診した日はもう何も考えられないし何もする事が出来ない。とにかくコンサータ飲んで抗うつ剤飲んで明日からも頑張ろうな。
男が嫌いすぎて生活に困っている。男の大きい体が、低い声が同じ空間に在るだけで怖い。満員電車でサラリーマンに密着すれば朝から疲弊してしまい、通学もままならない。恐らくこれはミサンドリーで、性差別は悪だから、私はどうしたらいいのか分からない。行き場のない諸々をここに吐き出すので、よかったら聞いてほしい。
【男嫌いになるまで】
増田は大学生女だ。こうも壊滅的な男嫌いになってしまった原因は、父親・レイプ未遂・痴漢・セクハラ・パパ活・パワハラの6つが主だと思う。以下、時系列順に書いていく。
①父親
典型的な男尊女卑思考で、逆らえば殴られる。小さい頃、私の股間に頭を埋めて勃起しているのを見てしまった。今も不自然に体を触られる。
小6。仲の良い男子とトイレ掃除をしていたところ床に押し倒され、必死に抵抗したが力で全く敵わなかった。直に体を触りながら口内を舐め回された。この程度でレイプ未遂?と思われるかもしれないが、運が悪ければ挿入までされていただろうからレイプ未遂だと思っている。(脱線するが、山口達也のしたことをキス程度と軽んじた人は彼がキスだけで済ませるつもりだったのか考えてほしい)
③痴漢
中1〜高3。電車で女子校に通っていて、週に2、3回は痴漢に遭っていた。恐怖で体が動かない・犯人を特定できない等で泣き寝入りすることがほとんどだったが、犯人を捕まえて電車から下ろしたことも数度だけある。特に印象的なのは以下2件。
1.ホームで1人の男性が協力してくれ、無事逮捕に至った。犯人は痴漢の常習者で執行猶予中だったため実刑になった。懲役1年弱。
2.ホームで「もうしないから!」と叫ぶ犯人にしがみ付くも、力負けして逃げられた。改札を飛び越える犯人の姿が防犯カメラに映っており、後日逮捕してもらえるだろうと被害届を出した。警察は何の捜査もしてくれなかった。私の尻の価値は横転したトラック以下。(2018年の渋谷ハロウィン、犯人は山梨まで防犯カメラを辿って逮捕された)
④セクハラ
大1。クラス担任の男に性的な嫌がらせを受けまともに登校できなくなる。何とか単位は取ったが鬱で通院するように。両親の理解が得られず、今も欠席の多さを罵られながら自費で通院中。
⑤パパ活
大1〜2。バイト代のみで生活を賄っていたところ、トラブルで給料が絶たれる。おじさんと食事をしてお小遣いをもらう、いわゆるパパ活を始めた。次第に金に目がくらんでセックスもするようになった。レズビアンなので将来好きな人に処女を捧げたい、といった貞操観念はなかった。どのおじさんも相手を顧みないセックスをする人だった。(女を金で買う男が最低なのは道理だし、売る私も同じ穴のむじな)
⑥パワハラ
新しいバイト先でパワハラを受けた。上司の指示の矛盾を指摘すれば揚げ足をとるなと怒鳴られたし、人格を否定されたし、無賃での残業を強いられた。耐えかねて上層部に相談したところ異動してもらえ、今も勤めている。おかげさまで収入が安定し、売春からは足を洗えた。
【現在】
ギリギリ留年せずに大学に通いつつ資格の勉強をしている。抗うつ剤、抗不安薬、睡眠導入剤でおおむね安定しているものの、常に体が重く思うように動けない。理由もなく強い不安に襲われてどうしようもなくなることがある。
【増田を書いたわけ】
だらだらと半生を綴ったが、どんな事情があろうと差別は悪だ。被害者として同情してほしくはない。
私はこの世の男すべてを憎んでしまい、恐れてしまい、勝手に窮屈に生きている。本当は楽しく生きたいけれど、それが叶わないから死にたいと毎日思う。だから、男嫌いに折り合いをつけて(直すのは現実的でない)生きる知恵を貸してほしくてこれを書いた。痴漢とパパ活については話したいことがたくさんあるので、気が向いたらまた書く。
長い駄文を読んでくださりありがとうございます。助言いただけたらとても嬉しいです。
【返信 05/17 22:36】
・売春関連
成人男性でAVを観たことがない人はいないと思います。需要があるから供給する、それはどんな商売にも言えることで、私は自分の体を商品にしたことを恥じていません。何より趣旨は売春ではないのでお門違いです
・瞑想
性的指向とその人の考えは別物なので、好きな人としかセックスしたくないレズビアンは普通にいると思います。私も好きでない人とセックスをするのは不快ですが、お金と天秤にかければ諦められる程度でした。
【返信 05/18 17:18】
途中まで読んだことがありますが、未果子はすごくリアルなキャラだと私も思いました。セックスワーカー=①セックス好き ②生活困窮者のどちらかで語られがちですが、③男性嫌悪の裏返し、も多いです。私は②に③が軽く混ざっているのかと。
津島隆太さん『セックス依存症になりました。』第41話でも③が描かれていますね→https://wpb.shueisha.co.jp/comic/2019/02/15/108159/
・今のままでいいじゃん
冒頭に書いている通り生活に支障が出ているので何とかしたいと思っています。ミソジニーの男が嫌い→同類(ミサンドリーの女)になりたくない→男嫌いの自分が嫌い、という葛藤もあります。
ここからは参考文献程度で、urlばかりたくさんでコメント少なめなんだが大丈夫だろうか??
https://item.rakuten.co.jp/book/14796325/ ツイッターで健常の人にもおすすめされていた。
https://books.rakuten.co.jp/rb/15433910/ 借金玉は有名ブロガー。 この二冊とも細かい生活ノウハウ、大人版。自立できた場合には役に立つがうちの場合はまだうつ病が治っていないので全部は必要がない。ただ、カレンダーの使い方などは家族で工夫するようになった。
https://item.rakuten.co.jp/book/11476781/ 医者がわりと根幹をなす解釈を教えてくれてたと思う。まとまったキーワードがでてきていい本。・・
https://books.rakuten.co.jp/rb/11721907/ アスペルガー漫画家さん。よんだことなかった・・勘違いしてた
https://www.amazon.co.jp/dp/4054045847/ こっちだ。こちらはコンピューター業についたりしててわりと身近な感じで読めた
https://www.amazon.co.jp/dp/B01N9SHVRJ/ うつぬけ、有名 この本でおすすめされていたのが↓
https://www.amazon.co.jp/dp/B01HTJ5WDE/ 自分のうつ病をなおした精神科医
うつの治療の指針にはなったが、全部ではなく、雰囲気を掴む感じ。生活全般をゆるやかに立て直すつもりでないと結局は治らないんだなと。
以上です
再追記
結局5年くらい「病人の親」をやっているので以前必死に買い集めて読んだ本は中身をかなり忘れていてすみません。
お役所の人や学校の先生がたと会ったり話したり、特に精神科医の先生になんども同じことを尋ねて答えてもらったです。
別の病気と解釈できるので別の医者にもいくつもつれていってます。
それと、本人とも「結論や方針だけを話させる」「どうしたいのかだけを聞く」のではなく
元気のあるときをつかまえて、世界への感じ方を中心にゆっくり話をして、
いつでも相談に乗れるくらいに相手を理解しておかないとですね。
その状態からだと本人が最終的に絶対ぶつかる壁だが今はまだ気がついていない障害を
いち早くフラグ立てしてなんとか避けるように言い聞かせられます。
そういうので、本当になんとかここまできたとおもいます。
(知らないのならしょうがないですが、一度痛い目にあったことを
二度目は用心して避ける要領の良さがASの子たちには全くないように思います、
思い切りがよいとか度胸があるとか正義感があるとか誤解されがちですが、
そうではなくびっくりするくらい全く予想ができない。
例えばミニスカートを履いて混雑する列車にのったら痴漢にあってわあわあ泣くくらいイヤだった。
ならどうすればいいと思う?と本人にたずねると本人なりに考えても
絶対にそれは優先度が違うんだと言い聞かせるのに親として苦慮します。
絶対に旅行を成功させたいならまずその時間帯のその電車にのるプランもやめとけば、
指定席とればと。
子供の側ではまずその必要なお金を考えついて親にねだるということを
全く想定もできないわけです。(お金には敏感すぎ、社会状況には鈍感すぎ)
でかけそうになるのは最近は繰り返し失敗したのでようやく改善されてきました。
一事が万事そういう感じ。
一病息災といいますが、
(未成年のため薬がのめず、うつ病の重いまま放置するしかない時期には
本当に一日16時間くらいいびきをかいて寝る、ただのマネキン人形のようでした。
うけいれつつ仲良くなれた気がします。
以上
ブログ始めました。よろしくお願いします。 https://samayoro.net/
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最近googleに入った話がはやっているので便乗してマイクロソフト本社に入った話をしてみる。
性別:男、京大 情報修士(大学では飲食バイト・マージャン・バイク・飲みに勤しみあまり勉強せず)
>最近、米国・英国は、パキシル(パロキセチン)などのSSRI(選択的セロトニン再取り込み阻害薬)抗うつ剤が、小児や思春期の若者に効果がなく、自殺の危険を増加させるリスクをもつので、投与しないよう呼びかけました。
これに関連して、6月2日、米国ニューヨーク州当局(スピッツァー検事総長)が、パキシル(パロキセチン)を販売する英国系製薬大手グラクソ・スミスクライン(GSK)社に対し、情報操作(隠匿)を行い医師の正しい判断をできなくして、パキシル(パロキセチン)を小児や思春期の若者に処方させることによって、ニューヨーク州で不当に得た利益を差し出すよう、市民訴訟を提訴しました。
1年前、業務量がキャパシティを超えたようで、会社や電車で涙が出てくるようになってしまった。
休職期間はあっという間だったが、一人で旅行に行ったり、映画をたくさん観たり、ゆっくり休むことができた。
復職には少し不安があったが、同僚はみんなおかえり、と温かく迎えてくれた。
戻ってきてくれて嬉しい、と泣いてくれる後輩もいた。
上司からは、今まで業務量が多すぎたこと、私一人に業務を任せきりになっていたことを謝罪され、
これからは業務量を調整すること、増員することを約束してもらった。
それから1年経った。
同じ職種のメンバーもたくさん増え、業務量も適切になり、定時で帰れる日も増えた。
たまに他部署の無茶な要求に悩んだり嫌になるときもあるけど、仕事をやり終えたら過剰なほど感謝されるし達成感もある。
同僚と切磋琢磨して良い成果物ができたときは手を取り合って喜ぶし、その後ランチでいつもより美味しいものを食べたりするし、
少し疲れたらコーヒー仲間とのんびりコーヒーを買いに行って、それぞれの担当プロジェクトについて愚痴ったり褒め合ったりする。
通勤時間は苦痛だし、仕事自体が楽しいかと言われると怪しいけど、職場は楽しいと自信をもって言える。
ただ、それなのに、どうしても、体調が良くならない。
8時間×5日間、フルで会社に行けた週がほとんどない。週のどこかで、必ずと言っていいほど遅刻、早退、もしくは全休してしまう。
(一応出社・退勤時間は決まってはいるが、一度休職しているからか、ほとんど怒られない。むしろ無理しないで、と心配される。)
症状はそのときによって全然違う。動悸、頭痛、ひどい疲労感、眩暈、吐き気、腹痛。
薬は毎日欠かさず飲んでいる。
初期は抗うつ剤を飲んでいたが、効きすぎなのか副作用なのか、より不調になることのほうが多かったので、
医師の判断で、副作用が少ないという漢方薬をずっと処方されて飲み続けている。
最近また大きな不調の波が来ていて、しばらく会社を休んでいる。
私がやりたいと言って始まった大きな案件のリリースが控えていて、休んでる場合じゃないのに。
心が休まらないから見てはいけないと思いつつも、職場のチャットルームを覗いてしまい、
おそらく私がいないせいで溜まっている仕事を、後輩が残業して処理してくれているのが分かって、本当に申し訳なくて泣けてくる。
私はこんなにも職場が好きで、同僚に会いたくて、会社に行きたいのに。体が言うことを聞いてくれない。悔しくて仕方がない。
もうこれ以上会社や同僚に迷惑かけられない。2度目の休職はない。1年前のことがトラウマで、きっと心がこの職場を嫌がってるんだ。辞めるしかない。
いや、転職しても体調が良くなるって保障はどこにもない。何よりこんなにいい人たちに恵まれてる職場なんてもうこの先巡り合えない。絶対辞めたくない。
この二つが頭の中をずっとぐるぐるしていて、結論が出せないまま毎日が過ぎていく。
毒親、いや毒家族というものからなんとか逃れてみたもののいつも何かしらの強迫観念はつきまとう。
例えばカーテンがほんの少し埃っぽいことに対しカビが撒き散らされているのではと恐怖してみたり。
大切で唯一確かだと言える持ち物がカビで傷んでしまったらどうしようとかそんな事を考えたり。
数少ない友達よりもこの一冊が大切なのだと感じる自分すら嫌で、でもやはりそれは大切だ。
抗うつ剤を飲んで家事をしようとしても動機がして動けないなんてこともある。
休日は無理に出かけずにのんびりと掃除をしている。少なくともここには私を邪魔するものや嫌味を浴びせる人はいないのだ。
それでも一つでも失敗したら取り返しがつかないのでは?という強迫観念にどうしてもとらわれてしまう。
それでも以前よりはマシになったとは思う。
結構なコミュ障で吃音もちょこちょこでる私が生活費とガチャ代欲しさに営業職についてみたが案外なんとかなった。
長くコミュニティを維持するのは非常に苦痛だけれどその場限りなら案外なんとかなるのだ。でも期待はされたくないのだ。その場にいるのを許容されるぐらいがいい。
辛いことは忘れてしまえばいい。
でもそうやって仕事をして稼いで大好きなゲームをしているが、ああどうしたらいいんだろうか何か何かいい方法はないのかと不安がタールのようにこびりついて離れない。
正常な幸せな家庭は存在する。その事実を度々確認するたびにとても辛い気持ちになるのだ。
あぁ、私がこの地区の近くで実家暮らしを楽しくしていたのならきっと今以上に楽しく遊んでいたのだろう。
もし、もし、あそこで生まれていなければもっと違う人生だっただろう。
周りにもっと助けを求められる環境があったならばもっと違う人生だっただろうなどと。
大学にはとりあえず行くものだからと気楽に(努力をして、勉強をして)人生を歩めたらとそんな夢想をしては内臓が引き裂かれるような思いになる。
そんなものは与えられなかった。与えられたかもしれないがそれは選ばなかった。今も選べるかもしれないがそれでもやはり選べないのだ。
いやその時手に入れることが重要で後からそれを手に入れても意味がないのだ。