毒親、いや毒家族というものからなんとか逃れてみたもののいつも何かしらの強迫観念はつきまとう。
例えばカーテンがほんの少し埃っぽいことに対しカビが撒き散らされているのではと恐怖してみたり。
大切で唯一確かだと言える持ち物がカビで傷んでしまったらどうしようとかそんな事を考えたり。
数少ない友達よりもこの一冊が大切なのだと感じる自分すら嫌で、でもやはりそれは大切だ。
抗うつ剤を飲んで家事をしようとしても動機がして動けないなんてこともある。
休日は無理に出かけずにのんびりと掃除をしている。少なくともここには私を邪魔するものや嫌味を浴びせる人はいないのだ。
それでも一つでも失敗したら取り返しがつかないのでは?という強迫観念にどうしてもとらわれてしまう。
それでも以前よりはマシになったとは思う。
結構なコミュ障で吃音もちょこちょこでる私が生活費とガチャ代欲しさに営業職についてみたが案外なんとかなった。
長くコミュニティを維持するのは非常に苦痛だけれどその場限りなら案外なんとかなるのだ。でも期待はされたくないのだ。その場にいるのを許容されるぐらいがいい。
辛いことは忘れてしまえばいい。
でもそうやって仕事をして稼いで大好きなゲームをしているが、ああどうしたらいいんだろうか何か何かいい方法はないのかと不安がタールのようにこびりついて離れない。
正常な幸せな家庭は存在する。その事実を度々確認するたびにとても辛い気持ちになるのだ。
あぁ、私がこの地区の近くで実家暮らしを楽しくしていたのならきっと今以上に楽しく遊んでいたのだろう。
もし、もし、あそこで生まれていなければもっと違う人生だっただろう。
周りにもっと助けを求められる環境があったならばもっと違う人生だっただろうなどと。
大学にはとりあえず行くものだからと気楽に(努力をして、勉強をして)人生を歩めたらとそんな夢想をしては内臓が引き裂かれるような思いになる。
そんなものは与えられなかった。与えられたかもしれないがそれは選ばなかった。今も選べるかもしれないがそれでもやはり選べないのだ。
いやその時手に入れることが重要で後からそれを手に入れても意味がないのだ。
今日も女は毒親恨み