はてなキーワード: 性教育とは
恵まれた環境か
傍から見えるとそうなるのかな
医師が学校に来るような形態で性教育に力を入れた経緯は10代の妊娠中絶が全国から見て飛び出て多かったのを抑制する目的からだったりするんだけどな
話の筋とは関係ないですが、うらやましいです
そうだね、色々な人がいるよね。
世代で括ったのは失礼だった。
私が受けた小中学校の性教育なんて酷いもんでね、生理は妊娠するための準備ですだとか、男性がマスターベーションしたくなるのは不自然なことではありません、みたいな説明があったくらい。
ちなみに横浜の話ね。
医師が学校にきて詳しい説明をしてくれたなんて、とても恵まれた環境だと思う。
あなたが、子どもを後回しでいいって思う人が具体的に想像できないように、早くに子どもを産まなきゃいけない理由が想像できない環境だったんだよね。私が20代にいた環境っていうのは。
上記のお粗末な性教育に加えて、雑誌は夫婦二人暮らしをもてはやしてる(経済的に充実してからの子育てのほうがいい、みたいな特集もあった)、芸能人は元気に高齢出産してるし、周囲も焦って子ども作る必要ないんじゃない?みたいな空気。
で、30過ぎた今でも周囲で子どもがいる夫婦は1〜2割くらい。
授からなくて不妊治療してる夫婦は結構いる。体外受精に踏みきった人もね。
いまだに「もう35歳だし2人目厳しいかも」なんて言うと、本気で「えー、もっと高齢で産んでる人いるし、大丈夫でしょ?」なんてことを本気で言う人がいる、そんな環境なんだよね。
表現規制の歴史をふりかえってみようか | DDN JAPAN - DIGITAL DJ Network
http://japan.digitaldj-network.com/archives/51565236.html
http://megalodon.jp/2010-1012-0424-32/homepage2.nifty.com/tipitina/HYOGENC.html
サブカルチャーという定義がいまいちぼやけているので分かりまねますが大衆文化という定義で捕らえるとサブカルチャーだから何かしらの特別な影響を生み出す物ではないとは思っています。60年前の新聞には歌謡曲が俗悪流行歌として取り上げられています。
文化というものは時間を掛けて成熟され評価される物だというのはいつの時代も同じだということです。
コンピューターゲームが日本において広く認知されたのは今から30年前のスペースインベーダーブームがだと思われます、そしてファミコン誕生から26年です。
統計を見てもファミコンやコンピューターゲームがなかった時代あった時代も少年犯罪の発生率は増えてもいない減ってもいないというのが正しいのではないでしょうか?
犯罪の質も殺人や強姦、強盗といった重大犯罪よりも自転車泥棒といった横領が増えています。これは経済的にやむにやまれずと犯行を行ったり性の発散を行う術がなかった事による悲劇だと思いますがむしろ今は一人っ子によるストレスや孤独による物であったり周りに常識を教えてくれる人が居なかったが故に、周りの大人達が行っている行為を行ってしまい放置自転車を持って帰ってしまったり放置傘を持って行ってしまったといった類の物だと思います。
その子供が自ら意識して興味を持ち見るといった行為を私は遮るべきではないと考えています。
自らの意志で性的な物に興味を持ち見てみたいという行動も自分の中で性を消化していく過程では必要なのです。
問題なのは性的な創作物に触れる意志がない状態で見てしまう、受け入れる準備が出来ていない状態で見てしまう事が問題なのではないかと思います。
たとえばティーン向けの雑誌で性の相談を載せるレベルならいいでしょうが全員が受け入れる準備をしていないのに前戯仕方が載っているなどといった事です。
成年雑誌についてはテープで封がされていて開けないようになっていたり、成年ゲームに関しては元々が相当高額であったりクレジットカードによる認証が必要だったりとハードルが高くなっています。
出来る限り心の準備が出来るまでフィルタリングソフトで見せないようにしてそれを自力で解除してまでみたいという気持ちが生まれてきたのなら黙認しつつ正しい性教育も行っていく、家庭内でもタブーにて触れないのではなく体の成長に伴う不安に思う心を和らげてあげるサポートをしていくのが良いのではないでしょうか。
by bobcoffee 2010/03/25 17:18:05 from hatena haiku 返信 初稿 2009年05月14日
まず、晩婚・晩産に歯止めはかからない。社会的に環境が整わない上男に覚悟ができないのだから歯止めがかかるわけがない。未婚化は進むかも。
そして欠陥が判っていて政策が通った場合、同時に「政策を通した=国民としてその政策にある程度合意した」と見なされるため、「合意したのだから協力しろ/合意したのに非協力的だ、我がままだ、独善的だ」という批判が成立する。晩婚・晩産を国を挙げて止めようとしているときに流れに逆らう者が叩かれない理由はない。
女は必然的に流れに従うか或いは逆らうかに分類されるが、男はそもそも流れの渦中にすらいない。
>まず、晩婚・晩産に歯止めはかからない。社会的に環境が整わない上男に覚悟ができないのだから歯止めがかかるわけがない。
なんで断言できんだよ。お前は預言者か何か?お前の中では、晩婚・晩産の原因は「社会的に環境が整わない」と「男に覚悟ができない」”しか”ないんだな。ある現象が起こるのはいくつもの原因があって起こると思うんだけど。俺が思うほかの原因は「適齢期の無知」な。俺だって「適齢期の無知」が改善されれば、晩婚・晩産が”すべて”解決されるとは思ってない。原因の”ひとつ”である「適齢期の無知」を解決すれば好転(=歯止めがかかる)するかもと思うから女性手帳を支持しているだけなんだが?
>「合意したのだから協力しろ/合意したのに非協力的だ、我がままだ、独善的だ」という批判が成立する。
>晩婚・晩産を国を挙げて止めようとしているときに流れに逆らう者が叩かれない理由はない。
晩婚・晩産した人は勝手にどうぞ。不利益を被るのは自分だし、高齢出産で苦しんでいる人を叩くような鬼畜な人間はふつうはいない。
かっこつけただけじゃん。説明になってない。
全く同じことがお前の「僕は上から目線だとは思わない」に対して言える。
客観的事実とは「そう思う」人数が多いから客観的事実なのではない。「上から目線」とはある特定の不利益を黙殺する態度のことであり、ある特定の不利益の黙殺はすべて上から目線である。これは誰がどう思うかで変化することではなく、論理的にそうなのである。
>全く同じことがお前の「僕は上から目線だとは思わない」に対して言える。
知ってるよそんなこと・・・。そんなわかりきったことわざわざ書かなくていいから。
>客観的事実とは「そう思う」人数が多いから客観的事実なのではない。
客観的事実とは「”みんな”がそう思うこと」って書いただろ?なぜ”人数が多い”に変えた?おまえわざとやってるだろ。
>「上から目線」とはある特定の不利益を黙殺する態度のことであり、
どこが論理的なんだよ。「私がそう思うからそう」って言ってるだけだろお前は。
何も変わらない。「不適齢期だから子どもを産むな」という従来の学校教育に対立する「適齢期だから子どもを産め」という女性手帳の内容、という対比にすぎない。
気に入らないなら「適齢期に」と読み替えても良い。
「適齢期だから子供を産め」→適齢期になったら有無を言わず子供を産め
「適齢期に子供を産め」→子供を産むとしたら高齢ではなく適齢期に子供を産め
何が変わらないんだ?
年齢は責任が取れないことの理由にはなっても責任が取れることの保証にはならない。
適齢期に責任が取れるようになっていなければ産みたくても産めずおしまいだし、実際責任が取れるようになっているかどうかは誰にもわからない。どうすれば確実に責任が取れるようになれるかさえわからない。
>適齢期に責任が取れるようになっていなければ産みたくても産めずおしまいだし、
>そのルートを提示することができないのならばそれは教育足り得ない。
議論というのは授業において、子どもたちが「適齢期に子どもを産む」という解に辿り着くには「どうすればいいか?」を検討する議論のことだ。
先述した通り女性手帳の内容と現在の性教育内容とは真っ向から矛盾するので、授業で深く掘り下げて取り扱うことはできない。元々の設問が悪すぎる。
>先述した通り女性手帳の内容と現在の性教育内容とは真っ向から矛盾するので、
女性手帳の内容→子供を産むとしたら高齢ではなく適齢期に子供を産むのが望ましい
現在の性教育の内容→子供を養えないのなら子供は産むな、つまり、養えるようになったら産んでよい
合わせると→子供を養えるようになったら、高齢ではなく適齢期に子供を産むのが望ましい
「知りたかったのに教えてもらえなかった」とまで他人に責任転嫁する者がいるんだったら喜んで言ってやる。
お前は代わりに性的マイノリティに向かって「年をとると子どもは産めなくなる。これ特に女性は絶対知ってなきゃいけないこと」と吹聴してこい。
>「知りたかったのに教えてもらえなかった」とまで他人に責任転嫁する者がいるんだったら喜んで言ってやる。
おし、言って来い。テレビのドキュメンタリーで見たからな。「ネットを検索すれば情報を得ることができたのだから、それをしないのは自己責任。たとえお前が高齢出産で苦しもうと、受け身であったお前の自業自得」ちゃんとこう言って来いよ。
お前、負けず嫌いだなあ。悔しいから俺が言ったことの文字を入れ替えて反論してんの?違うというのなら、自分で言葉で反論してみろ。
あと、お前は論破した気になってるけど、してないからな?無駄に堅苦しい言葉を使ってそれっぽく論じているだけで穴だらけ。ところどころお前の思い込みも見られる。
>「手帳まで配って出生率が上がらなかったら女のせい」にされる。
されません。被害妄想です。また書くけど、女性手帳の目的は「少子化を解決する(出生率を上げる)」ではない。「晩婚・晩産に歯止めをかける」だ。間違えるな。これは理由1でも書いた。じゃあ、「晩婚・晩産に歯止め」がかからなかったら、女性のせいか?違います。女性手帳の導入を決めた人の責任になるので、安心してください。
まず、晩婚・晩産に歯止めはかからない。社会的に環境が整わない上男に覚悟ができないのだから歯止めがかかるわけがない。未婚化は進むかも。
そして欠陥が判っていて政策が通った場合、同時に「政策を通した=国民としてその政策にある程度合意した」と見なされるため、「合意したのだから協力しろ/合意したのに非協力的だ、我がままだ、独善的だ」という批判が成立する。晩婚・晩産を国を挙げて止めようとしているときに流れに逆らう者が叩かれない理由はない。
女は必然的に流れに従うか或いは逆らうかに分類されるが、男はそもそも流れの渦中にすらいない。
「適齢期を外れた女性が結婚できなくなる問題」と「男が無知で終わってる問題」を意図的に混同している。
全く同じことがお前の「僕は上から目線だとは思わない」に対して言える。
客観的事実とは「そう思う」人数が多いから客観的事実なのではない。「上から目線」とはある特定の不利益を黙殺する態度のことであり、ある特定の不利益の黙殺はすべて上から目線である。これは誰がどう思うかで変化することではなく、論理的にそうなのである。
それがわからないと、「こいつは頭が悪いな。幼稚だな」と思われるよ?
これはちょっと誤解を招く。出産を強制しようとしているわけではない。僕がしたほうがいいと思うのは、「(産むとしたら高齢ではなく)適齢期に子供を産め」という教育。なぜ、「だから」に変えた?わざとか?意味が違ってくるだろ。
何も変わらない。「不適齢期だから子どもを産むな」という従来の学校教育に対立する「適齢期だから子どもを産め」という女性手帳の内容、という対比にすぎない。
気に入らないなら「適齢期に」と読み替えても良い。
年齢は責任が取れないことの理由にはなっても責任が取れることの保証にはならない。
適齢期に責任が取れるようになっていなければ産みたくても産めずおしまいだし、実際責任が取れるようになっているかどうかは誰にもわからない。どうすれば確実に責任が取れるようになれるかさえわからない。
そのルートを提示することができないのならばそれは教育足り得ない。
「責任が取れるようになったら適齢期に子どもを作れ」は指示であり教育ではない。
>手帳の最大の問題点のひとつは、配付した時点で周知完了としてこの点における議論を封じているところだ
「妊娠・出産の適齢期と高齢出産の知識をいかに普及させるか」という議論でいいんだよな?何度も書くが、僕は女性手帳”だけ”で教育しろなんて書いてない。知識が普及しないのなら継続して議論は必要だと思っている。
議論というのは授業において、子どもたちが「適齢期に子どもを産む」という解に辿り着くには「どうすればいいか?」を検討する議論のことだ。
先述した通り女性手帳の内容と現在の性教育内容とは真っ向から矛盾するので、授業で深く掘り下げて取り扱うことはできない。元々の設問が悪すぎる。
敢えてやるのが筋というものだが「大人は馬鹿、無茶苦茶を押しつけてる」と言われたらぐうの音も出ない。
だから手帳の配付で事足れりとするばかりで、性教育の内容を充実させるという方針は出てこない。
そりゃそうだろ。女性手帳や学校の授業などの教育によって「知らない人間(特に女性)がいないようにしないといけない」というのが僕の主張。
>知りたかったのに教えてもらえなかった?知りたい・知ろうとする発想すらなかった受け身人間だったというだけのことなのに、まるで知識を得ることを妨害されたかのようだぞ。
それを高齢出産で苦しんでいる人の前で言ってきてください。
「知りたかったのに教えてもらえなかった」とまで他人に責任転嫁する者がいるんだったら喜んで言ってやる。
お前は代わりに性的マイノリティに向かって「年をとると子どもは産めなくなる。これ特に女性は絶対知ってなきゃいけないこと」と吹聴してこい。
恥じるならせめて己の論のチョロさを恥じたまえよ。
基本的には http://anond.hatelabo.jp/20130329190303 の補遺。ただしこれは男性教師→女子生徒限定かな。
周囲の女性(周囲に女がいません、という意見は却下する)を観察してみてほしい。女性が数人いれば1人くらい、「たくさんの男に愛されたり欲情されたりすることが女の勲章」と思っているような女性がいると思う。増田の周囲(非教え子)にもいた。
小学生の頃はどうか分からないが、中高生になってくると女子はそういう意識を表に出してくる。しかも中高生の方がかえって「表に出し方」が不器用だったりする。だから教師やってると、そういう手に取るように分かる子もいる。が、潜在的にそう考えてるけど表に出してない子もたくさんいるだろうことが想像つく。
そしてもう一つの事実として、現在の日本では中高生の自己肯定感が半端なく低い。自分が価値のある人間だと思う高校生は36%だとかいう調査結果が出ていたが、実際に教えていても「みんな誉められてないな」というのは感じる。そういう中で、「教え子は女として見てないよ」と言うのは、教え子に何人もいるであろう「男に欲情されるのが女としてのステータス」な女子に対して「俺にとってお前はダメだ」と言っているのと等しい。
教員としては、クラスに40人いるならその40人にできる限り配慮しないといけない。(だから先生の話は40人全員に配慮するという制約の結果、つまらなくなる。制約が無い中で教員同士などで話していると意外と面白い人も多い)。「男に欲情されるのが女としてのステータス」と思っている生徒と、「生まれつき、あるいは思春期で性への嫌悪感を持っている」生徒とではどちらの数が多く、どちらに配慮すべきかというと、天秤はどうしても前者に傾く。セックスヘイトの生徒がいるのは承知だが、じゃあそういう子だけ除外して性教育[※やらしい意味ではなく]をすることができるかというと不可能だし、性教育に限らず割と大っぴらに性の話題している生徒も多いがそれを全面的に禁止することはできない。
だから俺は「可愛いと思う子いる?」と聞かれると「いるよ。誰なのかは絶対に教えないけど」と答える。
>正当化するな
し て ま せ ん。これははっきり言っておく。俺は教え子に手を出したことは未遂を含めありません。
>せっかく増田さんが手の内を明かしてくれたんだから、学生の方達にこの記事を読んで欲しいですね(少し難しいかもしれないけど)。
これが一番近くて、学生とかあるいはもっと教育委員会とか文部科学省の人とかがこういう現実を踏まえて有効な対策取って欲しいと思う。痛くもない腹を常時探られている現状がはっきり言って辛い。
ちょっと増田が言葉足らずだったかもしれない。はっきりした悩み事の相談として知る以外にも、授業中の私語の内容とか、少し時間が余ったときや休み時間に入ったとき、あるいは掃除中などの会話の中からそういう『今生徒が抱えている悩み』も分かってきて、そこから『攻略法』に結びつくことも多い。
ただ、そういう普段の会話の中から生徒の悩みや考えていることを分かる能力がある先生ってのは、やっぱり良い先生じゃないとできない。ありきたりなことを言うようだけど、教員に力がなかったらいじめ対策なんかもできない。ただ一方で、その力の使い方を間違えたら体罰や性犯罪にもなる。その力の振るい方が今の日本の学校では、教員の裁量に委ねられすぎではないかという問題意識で例のエントリを書いた。
煽りだよね?
年頃の異性同士二人きりで密室にいるとセックスが始まるってことぐらいわかるだろ。常識的に。
理性で性欲を100%抑えられると思ってる人がいたとしたら、早いところ現実みせてあげないと、いつかレイプみたいな事故にあう。
事故の遭うのは女だけじゃなくて、理性に自信がある男だって状況によっては、なりたくもないレイプ犯になりかねない。
元増田が単にアスペルガーなだけだったらその人固有の問題だけれど、もし、性教育が足りなかったり、教育の方向性が間違っているのが理由でこういう人が増えているなら社会的な問題としてとらえてもいい。
男性エロにはネタ要素を求めずにはいられない。みんなも、もう1冊の方は見なかったことにしたいんだろ?
わあい月見荘のあかり あかり月見荘のあかり大好き。あかりちゃんの曇り無きハッピースマイルを見るたびに湧き上がるバッドエナジーがクセになる。
ドバト先生の描くロリの健気さっていいですよね。ゴージャス宝田にいじられるドバト先生萌え。
2012年のトンデモ枠。圧倒的な触手描写と、手の込んだギャグ設定が楽しいです。
前作「ピンクトラッシュ」からシリーズ続いたねー。メンズヤングは休刊したけど、けろりん先生の人気はむしろ高まってきてるかな。
話題を巻き起こした表題作。続く裁判傍聴はちょっと露悪的過ぎたかも。
シスケ先生のエロ漫画モチベーションの高さには惚れ惚れします。
ドライブ感溢れる鬼畜展開がナイスでした。青年誌の方も段々ノってきた感じ。
紙魚丸ワールドが単行本にまとまって良かったです。しかし蕾秘(ライヒ)って誌名、格好良すぎませんか?
10.駄菓子 「純潔の終わる日々…」
光源フェチが表紙に現れてないの惜しい。乳首ガチガチなの、イイよね。
BL創作同人で注目され、2010年にはふゅーじょんぷろだくとから「ミ・ディアブロ」が刊行された梶本レイカの代表作長編が、2012年遂に単行本にまとまった。グロテスクでショッキングな展開と尖りにとがった描写は、鬼畜BLという枠組みを超えた強度と鮮烈さを持って読む人に叫びかける。サブカルコミックが鳴りを潜め、マンガ表現のホットトピックはもっぱら萌え4コマという昨今にあって、BLジャンルが表現の極北を担っているというのは決して言い過ぎでは無いだろう。ウェブ掲載分の収録は2巻で終わり、現在は新規ストーリーがふゅーじょんのオリジナルBL誌「comic Be」で掲載中。山奥の男子校で繰り広げられる暴力と退廃に満ちた肉体関係は、新たな広がりを見せている。
市川けい 「スロースターター」
高校野球部・キャッチャーの攻・エアリーヘアの受。大きく振りかぶりそうな2人の出会いは、通学の車内だった。互いの学校生活の話で盛り上がり、ふと会えない日が出来ると少し寂しくなり……。友情からのBLというのは、自分の気持ちに戸惑い、相手との距離感を測りかねながら縮めていくのが王道だ。「通学/通勤電車でいつも一緒になる」という巡り合わせは、こうしたストーリー運び非常に相性の良い舞台装置で、天丼設定とまでは言わないがそう珍しくはない。市川けいが出色なのは、それを踏まえた上でガラ空きの電車内におけるあの間延びした空気感を、コマの間合いで巧みに表現していることだ。モノローグの入れ方、固定ショット・コマでの人物の動きなどの「間」を取るセンスが独特で、意図的に停滞させられたテンポは、2人の進展のじれったさと絶妙にマッチしている。反面、肝心のプロットは2人が結ばれるまでダレることはない。各話の山場の見せ方も上手く、特にキスシーンの甘酸っぱさたるや爆発甚だしいリア充になっている。内容的にも若く爽やかな仕上がりが心地よい。とてもしかしそのキスシーンが駅構内のトイレってのがまた何とも……電車好きすぎじゃなかろか。
夏糖 「花咲き道理」
「その人の持つオーラが花や泡の形で見える」不思議な力を持つ主人公と、彼が属する劇団を舞台にした群像劇。能力設定、といっても物語中でそれが意味を持つシーンはごく数箇所で、主眼は公演に向けて活動する劇団の人間模様にある。劇団員各々の交流の中で主人公の取る立場は概して淡白なのだが、それは画面の中にこっそりと映りこむオーラの花と同じように、作品に安らいだ雰囲気を与えてくれている。ラストで主人公が心情を吐露するシーンも、劇団の居心地の良さが読み手に伝わってくるような、素朴な優しさが感じられる。抑制の効いたストーリーで、主人公の存在に癒される話。
掲載された茜新社のBL誌「OPERA」はキレの良い新人をいくつも擁するが、単行本まで結実する作家はそう多くない。群像もの、しかも演劇というメタストーリーが絡む複雑な設定で1年以上に亘って手がけた事実は、それだけの力量を物語っている。現在はリブレ出版の「Citron」でも執筆しており、今後の作品にも期待したい。
磯野フナ 「委員長のおもちゃ性教育」
真面目な文章ばっか疲れんだよ! いいよねーこういうアホ丸出しの単行本タイトルって。ジュネットのピアス・JUNEって最近は描写の濃い萌エロBLの名産地だけど、磯野せんせーはたいへんイキがよろしい。コナかけられて顔を赤らめるとこ、イジられて涙を滲ませるとこ、ブッこまれて表情を蕩かすとこ、マジでエロ可愛いぜ。目の描き方を中心に絵柄もアニメ系っつーかまあ女性同人独特なんだけど、デフォルメもメリハリ利いてるし、描き慣れた感ある一方で性交シーンも手を抜いてないのがアツいね。あと女の子が可愛い(超重要)。BL作家の女体描写って成年マンガ家(男性向け)の男体描写よりレベル高い気がするんだけど、そんなことないですかね。偏見かね。コミックJUNEは休刊してしまったが、新人の弾数は色々あるので何とか次につなげて欲しいもんです。
良くも悪くも、創作同人臭の強い作風なんだけど、いいと思います。そういうの好きなんで……。くっつかずに悲恋でおしまい、とか、何となく悩みを打ち明けて心を楽にしてEND、だとか、そういうのは、商業誌だとあまり喜ばれないと思うけど、新人らしくて贔屓したい。描線にも不安な雰囲気が出てて、作風とはよく合ってます。
ここでは基本的に新人を紹介しているが、2012年の新人を一人挙げるなら、名取いさとを選びたい。心交社の「moca」とリブレ出版の「Citron」の掛け持ち連載で、同時期に単行本を刊行。それぞれほんわか友情モノと少し鬼畜な暗い雰囲気に仕上がっていて、ストーリーの幅広さがグッド。髪の毛1本1本まで行き届いた丁寧な作画も新人離れしており、「日陰蝶」では剣道着を着けての試合・会話シーンを(第1話で)こなすなど、作画に対する気合が窺える。無理のない人体描写と細やかな表情の描き分け、作者の萌えを垣間見せるキャラクター造形も多様と、BLマンガ家としての天分アリアリ。難を付けるなら、タフな仕事量にも関わらず安定した絵柄で既に初々しさを脱却していることか。女性キャラも可愛い(超重要)し、くたびれたオヤジから涙ぐむショタまで愛のある描写が光る。今後は一般女性/青年誌まで活躍の舞台が見込めるモンスター新人だ。
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作画:如月マナミ,原作:渡海奈穂 「純潔ドロップ 青坂高校シリーズ」
「純潔ドロップ」は、とある高校を舞台とした原作を、2人のマンガ家が作画した双子作品の片割れである。体育科の完璧スポーツマンのモテ男と、普通科の文化部長である残念イケメンの確執から始まる学園BL。如月マナミの描くキャラクターは端正な顔立ちながら表情豊かで、特に赤面して眉を歪める描写が秀逸だ。文化部長が強気の体育会系に不意打ちする、逆転の構図もしくはギャップ萌えをメインに扱っている。その場の勢いやら体育会系特有の頑固さ(偏見)に流されて、つい一線を踏み越えてしまう運びは原作の鮮やかな手腕。双方負けず嫌いな性格がコミカルで、背伸びし過ぎな攻とオラオラ一転甘えたな受が微笑ましい。舞台である高校は共学で、2人の取り巻きには制服姿の可愛いJK(超重要)も色々出てくる。彼女達が当て馬やモブ扱いではなく、ちゃんと個性を持って物語に関わるのも好感度高い。
ちなみに、ここに挙げた他作品の掲載誌にリブレ出版の「Citron」、茜新社の「OPERA」、心交社の「moca」があるように、最近のBLジャンルは各社でオリジナルアンソロジー誌が創刊されており、新人のデビュー・活躍舞台もそちらが多数になっている。本作「純潔ドロップ」の発行元であるプランタン出版はその波に乗っている出版社だ。掲載誌「Canna」は創刊3年に満たないが2012年には500ページ超えという、BL誌全体の中でも上位のボリュームに到達した。価格や発売サイクルの違いもあるし、何より雑誌の厚さと発行の安定性は別物だから単純比較は出来ないが、見過ごせない存在感であることは間違いない。
資本主義の元凶は性教育と貞操概念であると思います。なぜなら、物欲、お金に対する執着、はほとんど性欲の飢えから、勝ち組、負け組という概念も性によるところが大きいからです。
江戸時代、夜這いという習慣が残っていたので、若者は17そこらでみな嫌でもセックスしました。親もそれを認めてました。だから、初体験をすませるために服装にお金をかけたり、違うキャラを演じたり、コンパやデートにお金をかける必要もなかった。コンプレックスを抱えて悩む必要もなかった。それに江戸時代は性に奔放な時代で、離婚率50%、フリーセックスの時代でした。結婚しても誰とでもセックスできたのです。ところが今では一生を決めた人としかできない。そうでなかったら、風俗、ポルノ、ここでもお金がかかる上、困窮した女性を金づるとして利用するビジネスに加担しなくてはいけません。またニートや社会人として認められない人は愛のある性生活にはありつけなくなります。
性欲は誰にでもあるものですが、セックスしなくて死ぬわけでもありません。ところが現代人は性に飢えさせらえた状態にあるので、セックスのことしか考えられなくなった人が多くいます。そしてそういう人と女性はあまりしたがらないのでなおさら性に飢える悪循環にあります。そういう人を資本主義ビジネスはカモにしてるのです。
現代のような貞操概念が出来たのは資本主義化が始まった明治時代以降です。明治時代から3~40年くらい前まではお見合い結婚、親の決めた結婚の時代でした。相手との相性はともかくとりあえずセックスは年頃になればできたのです。ところがその(愛する一人の人としかセックスしてはいけないという)貞操概念を残したまま、自由恋愛の時代になったのです。だから現代人はセックスするのに莫大なお金と労力を使わなければいけないのです。これこそ資本主義の搾取です。
http://anond.hatelabo.jp/20120421213045
絶対禁欲主義と同じ危うさを感じるなー。
アメリカの保守的な地域ではかつて、結婚前の性交渉を禁止する一環として、性教育の中で避妊を教えないことにした。
「避妊を教えると、避妊すれば大丈夫とばかりに性交渉を持つに違いない」という理屈である。
しかしその結果、避妊の知識を持たないたくさんの若者が望まない妊娠をし、若いうちに結婚することになった。
10代の親は大学にも行けず、その結果低収入の仕事しか得られない。子供によい教育を与えようにも収入が少なく断念せざるを得ない。
シェルビー・ノックスという女子高校生はそんな現状に不満を抱き、青年会の活動を通じて性教育で避妊を教える運動を始めた。
というドキュメンタリーを「松嶋×町山の未公開映画を観るTV」で見たよ。
この番組はドキュメンタリーそのものと同じくらい、町山智浩の解説が勉強になる。
ブッシュ政権下では絶対禁欲主義に多額の税金が投入された。その際、絶対禁欲主義にもとづく性教育を行う学校には国から補助金が出るが、そうでない学校は自費で性教育を行わなければならないしくみを作った。
資金不足に悩む学校は、絶対禁欲主義を受け入れるか、独自に不十分な性教育を行うかの選択を迫られることになった。
さらに、絶対禁欲主義の教育をする牧師は教会から派遣されてくる。税金は彼らに流れることになる。つまり国民の血税が宗教団体への資金流入を招いたのだった。
(その後オバマはこの流れを絶ったとのこと)
追記じゃなくて書き直しだろー。
いい加減にしろよー。
それと現行の堕胎罪では「経済的理由」が拡大解釈されて、事実上男も女も無罪放免になっている。
すぐに殺人罪適用にするのが難しいというならば、現行の堕胎罪にまず明確に、中絶の動機を斟酌した上で、量刑を科すことから始めてもいいだろう。
それは中絶の動機を斟酌した上で量刑を科さないってことと同じでしょー。
まさに現状動機を斟酌して母体保護に当てはめてる今のままじゃん。厳罰化すら必要ない。
「斟酌」の中身がブラックボックスなんだから言葉遊びにもならない。
そうなりたくなければ子供を育てられないのにセックスしなければいい。そう教育すればいい。
教育されているのにそんな事態に陥ることになったらそれは自業自得だ。
男女双方の殺人犯になるという同意(すなわち自首)があれば堕胎手術は受け付けることにする。
中絶も強姦もない方がいいとあなたも言ってたけど、そのためには刑罰を科すことが必要だし、そのようなことが起こらないよう国がきっちり教育するべきだ。
現状、どれだけ性教育で中絶をやってはいけないことだと教えている?
胎児殺しがまかり通っているではないか。自殺者の10倍以上の人間が殺されて、殺人犯は何の処罰も受けず過ごしているではないか。
胎児を殺した人間がその事実の記録すらされず過去を隠して恋愛したり結婚したりしている一方で、頑張って子供を育てている人間が、自分以外の人間の子供がいるという理由で、新たな結婚を断念せざるを得ないでいるではないか。
そうならないように、殺人は大変なことなんだ、絶対やってはいけないんだ、って教育しているだろ?
殺した人間も、自分は大変な罪を犯した、って悔いて、自殺に追い込まれるぐらいに苦しむだろ?
胎児殺しもまったく同じように評価されるべきなんだよ。
詭弁ー。
刑罰を科せば犯罪がなくなるわけじゃないー。いじめはやってはいけないことだとどこでも教育してるけど起こるとこでは起こるー。死刑廃止論でも勉強してこいー。
あとこれは何より大事なことなんだけど、いかにも胎児のためを思っているかのような書き方はやめろ。胸糞悪いわ死ね。
お前の目的は殺人犯増やすことであって胎児の保護じゃない。殺人犯増やすことで結果的に胎児の保護もできるかのような書き方するな。
胎児の保護を進めることで結果的に殺さずにすむようになるだけだ。そして子どもへの福祉支援は同時に親への福祉支援であるのだから、親への極端な不利益は何も生まない。
減ーりーまーせーんー。ヤの字の肥やしになるだけー。
夫に経済力があればどうやったって妻は正当な額の養育費と生活費をもらえる。
本当に取れないのは「無い袖は振れない」時だけ。
そして経済力があるかどうかはこれまでの学歴と職務経歴を見れば容易に判断できる。
(略)
そしてたとえ自分の子供ではないにせよその子供が立派に育って将来納税者になれば、自分たちの老後も少子化社会と比較してより手厚く保障されるようになるんだから、大きな損をする人はいない。
論外ー。妄想満載で具体的なデータもない、突っ込みどころしかないので割愛ー。
無理ー。強姦罪の起訴は棄却されておしまいー。カネ取れそうなんだからいいじゃんお前のケースは。
原理的には出生前でも出生後でも同じであっても、実際問題、母体の外に出たら、それを殺せる男女はなかなかいないだろう。
技術的な面を考えても心情的な面を考えても。
だから、女性だけに子供を産むかおろすか、一方的に決定する権限があるということになり、そうである以上、その結果に男にも女と平等に責任を問うということはできなくなる。
赤ん坊なんて伏せて寝かしといたらいつの間にか息してない! みたいな事故が起こるくらい脆い生き物ですぜ。技術的な障害なんてあるかボケ。
そして「殺人犯」の心情なんて忖度する必要あんの? っていう。なんで被害者みたいになってんの?
お前の案では、子ども殺したことで、ものすごい罪悪感を抱かせるのが主意なんだろ?
堕胎手術の見学より手応えはあろうよ。まあなーんておぞましいことを思いつくのかしらこのコは!
出生前鑑定を認めない(すなわち男女の合意がとれていないので胎児殺しを認めない)となると、女性が自分で堕胎してしまい、結果、「女性が男性の同意なく勝手に堕胎したから、女性にだけ殺人罪を適用し、男性は無罪放免」となってしまう恐れがある。
まあその場合は、女性が堕胎した原因が、男性の「強姦、堕胎強要、認知・養育義務不履行宣言」だったら、男には殺人幇助罪・嘱託殺人罪を科すということで対処するしかないだろうな。
認めたって先述したように男は逃げ得で女はひとりで罪被るんだから自分で堕胎したって同じことじゃん。何も問題にならない。
男は簡単だね。なーんも意思表示しないで、「…できちゃった。」報告聞いたら顔面真っ青にして絶句して、そのまま何も言わず何も意思を読み取られないようにしてその日のうちに高飛びすればそれでオシマイ。勤務先には体調不良で休みが欲しい、診断書は後日って言っといてついでに居場所もウソ教えてケータイ着拒しとけば女との接触はほぼ完璧に絶てる。おろおろして女が独断でおろしちゃったら自分には前科はつかないし子どももいなかったことになって超儲けものだ。
その場合は女性だけが一人で殺人犯になっても仕方がない。「誰の子供かわからない子供の中絶に、無関係な男を巻き込んで共犯になることを薦めた」わけだから。
確信犯にせよ確信犯でないにせよ。その場合でも、婚姻外のセックスを彼女とした男は強姦罪には問われる。
推定父親が出産あるいは中絶に同意をしてくれない場合、女性の希望があれば、いかなる結論が出るにせよ必ず出産するという前提のもと、裁判なしでも出生前鑑定を強制的にさせるという特例も設ければいい。これは現状でも例外的に出生前鑑定を認めているのと同じ。
いかなる結果が出ても出産するのだから胎児の平等は担保される。
鑑定が祟って胎児が流産したら、両親とも過失致死。心当たりがある男はそれが嫌だから官邸前に自分が父親だと名乗り出る。
鑑定の結果人違いだったとしても中絶させない。女性が自分で流産させたら一人で殺人犯になる。
その原因が真の父親の態度にあれば父親は殺人に準じる罪。
現状で出生前鑑定を認めているのは胎児を生かすためだが、お前の案では両親を殺人犯にするためすなわち胎児を殺すために鑑定すんだろ?
特例(笑)
これだけ妄想詰め込んでも女は結局守られないし男も殺人に「準じる罪」どまりだ。人殺しにならない。何一つお前の思った通りにはいかない。
上で言った通り、実際問題技術的にも心情的にも既に産まれた人間を殺すことができる人間はなかなかいないから、子供が生まれたことは既成事実となり、女が自分の判断だけで産んだ以上、男には女と同等の責任を追及できなくなると思われる。これは現状と一緒だな。
とは言っても、遺伝学的な父親である以上、現状と同じく、生まれた子供への養育義務は果たさなければいけないことには変わりないから、子供の命を守るという点ではこの点はあまり問題にはならないだろ。
この国では昔から望まれない子どもや育てられないと判断された子どもは「神様にお返しする」としてすらすら間引かれてきたんだぜ。技術的にも心情的にも全然不可能じゃない。
人殺しになってでも中絶してほしかったくらいなら男は人殺しになればいい。子どもを目の前にして「中絶のはずだったのに、そしたらどのみち殺人は免れないとしても少なくとも養育費のカネは取られなくて済んだのに」とかトチ狂ったこと考えちゃえばすぐやれるさ。
女は産んだってことはこれは本当に正統派の幼児殺しになるな。女は子ども殺されたかわいそうな被害者遺族以外の何者でもない。
だから、可能な限り制度的に、中絶するには男女双方の同意を取り付けるようにするべきだと言っている。
そしてその結果に対しては男女平等に責任を負わせるべきだと言っている。
それでも女性が自分で勝手に流産させたら、男に全く同等の罪を科せないし、勝手に産んだら、男に女性と全く同等の責任を問うこともできないだろう。
(略)
つまり男はゴネ得、いつまでもはっきりせずうじうじうじうじして「でもー」「えー」とか言ってできる限り時間を稼ぎ、堕胎合意書・出産合意書いずれにせよ書面とかは一切サインしないとお得ってことですね。
女は出産日というタイムリミットに押されて必然的に女自身ひとりで決断を迫られて決定しひとりで罪と責任をかぶってくれる。男はいずれにせよ「同等の罪」も「同等の責任」も科されない問われない。
今とおんなじー。アホくさ。
だから男に強制的に払わせる。上に書いたとおり。各種支援制度も整備する。財源の捻出方法は上の通り。
(略)
財源捻出が妄想なので論外ー。
そうなるのが嫌なら強姦されるような状況に身を置かなければいい。今の日本でまったく抵抗不能な状態で犯されることなどほぼない。
この一文ですべてが崩壊ー。抵抗不能な状態で犯されることがないなら強姦罪要らねえだろ。もーモノ言う気にもならんー。
ホント不思議なんだけど何でこんな脳みその出来を恥じずに次から次へとあれこれ言えるんだろこいつは。
どうしてこれまで散々議論し尽くされて却下されてきたようなことをまるで自分が解決法新発見したみたいにドヤ顔できるんだろう?
これまで誰も君にツッコミ入れてくれなかったの? 誰からも相手にされない人生なの?
それで言うならばセックスをするしない、避妊するしないの時点で、個人の意志・選択は既に表明されているのでは。性教育も受けていない子供ならばともかく、こうすればこうなると分かったうえでそうしたのであれば、そこに意思の欠如を見るのは難しい。
避妊せずにセックスをすれば必ず妊娠するとは限らないので、「こうなるとわかった上でそうした」という風に意図的な行為として扱うことは不適切なのでは。
他の記事で出ていたように、がんや肺気腫に罹患すると知っていながら喫煙した人間、あるいは身近な人間の喫煙を止めきれなかったために副流煙を浴びた人間に対して、全面的に自己責任とみなして医療補助は必要ないとするのに近い。
それに当人の意思というのであれば、胎児にはまったく意思を問う機会は与えられていないわけであり、ひとつの身体を共有する女性と胎児のうち、女性のみの意思を尊重するのは片手落ちであろう。妊娠という結果は胎児が自ら引き起こしたのではなく、性交渉を行った当事者が引き起こしたのである。すでにそこに選択の責任は生じており、胎児の生存権をより低く見るとしても、親の選択の結果生じた胎児の生存権をまったく棄却したうえで、更に重ねて女性の選択権を尊重する合理的な理由がない。
胎児については、意図的に意志を問う機会が奪われ無視されているのではなく単にその方法が無いだけ。中枢神経も完成していない胚のいかなる反応をもって「意志」とするかなど議論が待たれる。人間の価値判断は明らかに後天的に身につける価値観に左右される部分があるので、そもそも細胞の動きを生存意志の有無に結びつけて考えることは理にかなっていないという考え方もできる。
妊娠は両親によって意図的に引き起こされたものとすることは上で述べたように一律に適切とは言えない。婚姻関係にある男女が双方納得の上で性行為を行い妊娠に至ったというような場合以外はすべて意図した妊娠とは言えない。
では言いなおそう。
会社に対する労働基準監督署の是正指導には強制力がなく、監督署へ相談した相談者は自ら刑事・民事告訴を行わねばならない。
また会社側は「妊娠・育休取得による解雇である」と明言しさえしなければ解雇自体は可能であるので、業績や勤務態度等から勘案したと主張すれば産前産後休業以外のタイミングでの解雇は正当化される。
故に、堕胎罪を厳罰化することで、出産をあきらめざるを得ない妊婦を追い込むべきではない。
求められて受け入れた女も同罪。
根拠は?
個別の事情を棄却してはならないというのならば、まず出産するか中絶するかという個人の意志・選択を棄却すべきではない。
とはいえ、個人的には裕福な学生の例ならば、本当に完璧に受け皿が整っていて子どもを育ててくれる養子縁組のあてがあり、妊娠出産することで学業・就業に大きな支障も出ずに済むのなら、堕胎せず出産するのをおすすめしたい。
労基法には罰則がなく、現に先の不況から産休切り・育休切りの発生がみられている。運用の問題が解決するまでは堕胎罪のみ厳格に適用しても意味がない。
それで言うならばセックスをするしない、避妊するしないの時点で、個人の意志・選択は既に表明されているのでは。性教育も受けていない子供ならばともかく、こうすればこうなると分かったうえでそうしたのであれば、そこに意思の欠如を見るのは難しい。
それに当人の意思というのであれば、胎児にはまったく意思を問う機会は与えられていないわけであり、ひとつの身体を共有する女性と胎児のうち、女性のみの意思を尊重するのは片手落ちであろう。妊娠という結果は胎児が自ら引き起こしたのではなく、性交渉を行った当事者が引き起こしたのである。すでにそこに選択の責任は生じており、胎児の生存権をより低く見るとしても、親の選択の結果生じた胎児の生存権をまったく棄却したうえで、更に重ねて女性の選択権を尊重する合理的な理由がない。
求めた彼氏は去勢されるべきではないだろうか。自分からつけろよゴムくらい。
という個人的感想はさておき、膣内射精は許可されたのではなく女性が積極的にしていいと決定したのではない。自己決定であったとするのには無理があるし法的保護をかけないことに正当性があるとは考えられない。
4月20日18時追記
どっかのツリーで出てたけど自殺教唆の要領で男は堕胎教唆、場合によっては不同意堕胎でいいじゃん。
なんで「殺人罪」なの?
自分たちがセックスして作った、そのまま放っておけば人間として生まれてくる命だから、
既に産まれている人間と同じ扱いにしなければいけない。
それと現行の堕胎罪では「経済的理由」が拡大解釈されて、事実上男も女も無罪放免になっている。
すぐに殺人罪適用にするのが難しいというならば、現行の堕胎罪にまず明確に、
中絶の動機を斟酌した上で、量刑を科すことから始めてもいいだろう。
減ぇーりぃーまぁーせぇーんー。
既存の産科が何処行っても堕胎受け付けないし相談あった時点で通報義務とかいう話になると行き場をなくした妊婦さんは地下に潜るしかありませんー。
そうなりたくなければ子供を育てられないのにセックスしなければいい。そう教育すればいい。
教育されているのにそんな事態に陥ることになったらそれは自業自得だ。
男女双方の殺人犯になるという同意(すなわち自首)があれば堕胎手術は受け付けることにする。
中絶も強姦もない方がいいとあなたも言ってたけど、そのためには刑罰を科すことが必要だし、そのようなことが起こらないよう国がきっちり教育するべきだ。
現状、どれだけ性教育で中絶をやってはいけないことだと教えている?
胎児殺しがまかり通っているではないか。自殺者の10倍以上の人間が殺されて、
胎児を殺した人間がその事実の記録すらされず過去を隠して恋愛したり結婚したりしている一方で、頑張って子供を育てている人間が、自分以外の人間の子供がいるという理由で、新たな結婚を断念せざるを得ないでいるではないか。
そうならないように、殺人は大変なことなんだ、絶対やってはいけないんだ、って教育しているだろ?
殺した人間も、自分は大変な罪を犯した、って悔いて、自殺に追い込まれるぐらいに苦しむだろ?
胎児殺しもまったく同じように評価されるべきなんだよ。
夫に経済力があればどうやったって妻は正当な額の養育費と生活費をもらえる。
本当に取れないのは「無い袖は振れない」時だけ。
そして経済力があるかどうかはこれまでの学歴と職務経歴を見れば容易に判断できる。
自分が作った子供なんだから、養育費払うために働け。それができないならセックスするな。と教育して従わせればいいだけの話。
現実にはその一言では終わらないから措置を考えると、裁判しなくてももっと簡易に女性が請求できる制度を作ればいい。
どうしても払わない払えない男は刑務所同然に監禁してぎりぎりの生活だけさせて、
人がやりたくないけど社会にとって必要な仕事をさせて、得てしてそれは高給だし、給料全部を養育費に充てさせればいい。
就業能力がないなら、男が未成年ならその親に育てさせ、成人なら監禁して訓練を施して働かせればいい。
年金や保険金から天引きしたり家財道具を差し押さえして質に入れてもいい。
というか、年金制度を全廃したらいい。公的保険も縮小したらいい。
そうしたら老後子供に養ってもらうしかなくなるから、子供に愛されるようにきっちり育てるだろ。
それでも育てられないし養子や施設もだめならその子供が困窮しても仕方ないだろ。
何も考えず妊娠したりさせたりして子供を中絶したり困窮させるんだから、
なにがしかの時点で処罰して淘汰すべきだ。
で、安楽死を認めたらいいよ。
一定年齢以上になったら「寝たきり老人になり収入の途がなくなり正常な意思判断能力もなくなり、年間の生活費がいくら以上になったら、
家族の負担を減らすために安楽死を望みます」という意思表示カードを作らせればいい。
若い人にも、「重い障害や病気を負って、回復の見込みがなく、正常な判断能力も失い、
年間の生活費がいくら以上になる場合は、家族の負担を減らすために安楽死を望みます」と作らせればいい。
保険金殺人とか起こる可能性を排するべく安楽死を選んだ者の家族に対する保険金給付額は一定以下に制限すればいい。
当初から、自分が生きたいか死にたいか判断できないぐらいの重度知的障害者については、その扶養責任者に、安楽死させる権限を与えるべきだな。
もはや生死の観念すら理解して決断できない以上は、保護責任者に運命を決められても仕方ない。
これは、障害者でも無理して産まなければいけないのか、という懸念に対する措置にもなる。
産んでみて、どうしても育てられない、本人が自分が生きたいか死にたいかすら決断できない、
というのであれば、安楽死させればいい。その場合保護責任者は正当防衛になり罪には問わない。で風俗も合法にして徴税すればいい。
これだけでも大分新たな命を救うための財源を増やすことができる。
年間30万人も新たな命を殺して、回復の見込みのない老人を機械をくっつけて無理やり延命させて、
勤労と納税ができない障害者に支援金出している現状よりは、そういう古い命や弱い命を淘汰して、
将来の納税者となる新たな命を生み出す方が、よっぽど財政再建に貢献するよ。
子供を育てるのになるべく税金は使わない方がいいけど、だからこそ子供を育てる能力がない者には性行為をさせないように社会が規制するようになる。
そしてたとえ自分の子供ではないにせよその子供が立派に育って将来納税者になれば、
自分たちの老後も少子化社会と比較してより手厚く保障されるようになるんだから、大きな損をする人はいない。
なんでそんなピル嫌いなん。ゴムと併用は最強なのに、ピル禁止自体母体保護にならんぜ。
デートレイプはたぶん減らせねーので拒否権のない性交渉、拒否したけど行われてしまう性交渉の大部分は減らねー。つまり堕胎したい妊娠も減らねえ。
ピルを認めたら「ピルを飲んで生でやらせろ」と強要する男が増える。
生でやりたい、中田氏したいなら結婚して子供を育てるという交換条件にしないと、
責任を果たさず快楽だけ得たいという男のわがままを容認することになるし、結婚して子供を作って育てる男が減って少子化が進む。
それと、「強姦して妊娠させたら必ず責任を取らないといけない」とすれば、強姦は減る。
「できてもどうせおろすだろう」とたかをくくっているからこそ、男は強姦をする。
続きます。