はてなキーワード: 何だかとは
友人の住むアパートはキッチンのところだけ携帯が圏外になる。山奥でもなければ大きなビルに囲まれた場所でもないのにと不思議がっていたら、友人曰く、キッチンのあたりだけ平成4年で時間が止まってるらしい。友人がおもむろにラジオをキッチンに近づけると、選局を弄っていないのに番組が勝手に変わった。本当に平成4年なのかは分からないが、なるほど何だか懐かしい感じの番組が流れている。しばらくするとニュース番組が始まり、6歳の女の子の行方が分からなくてなっていると報じた。残念ながら日付は分からなかった。「この女の子、今どうしてるんだろうね」「あれ?言ってなかった?」「え?」「そ
結婚しようって言われてする気があるならとっとと今後の予定立てちゃいなよ
家事しない人はそういう人だと割り切ると楽になる
こっちは妻が家事を何もしてくれない側だけどまあ何だかんだでなんとかやってる
そこそこ太い実家に生まれて、それなりの大学も卒業させてもらって幸せにやっているから思う。
twitterとかNHKスペシャルで見る貧しい人たちってのを観測領域に入れないように生きている。
嫉妬深く、怒りっぽく、自虐的な人たちをかわいそうだとは思うのだけど、
自分にはどうすることもできないし、どうにかしてあげたいとも思わない。
毎日、それなりに仕事に忙しく、家族や友人と楽しくやっている中で、
「社会正義」のために自分の人生の時間を削るのはバカバカしいなあと思っている。
周りの同僚や友人、過去の恋人含めて、それなりに年収のある家庭で育っていて、
気の合う合わないはあっても、理解不能ということはなかった。
SNSもtwitterはやらずFACEBOOKオンリーにしている。
時々一緒にイベントやったりホームパーティ呼ばれたり、キャンプ行ったりしている。
老後の心配とか、仕事いきなり無くなったら?みたいなことは無くはないんだけど、
実家の金をくいつぶす気なら、おそらく自分の代くらいは無収入でも多分余裕で全うできる。
子供に残してあげたいから、まあ普通に働いてコツコツ資産積み立ててるけど。
娘も勉強が好きみたいで、何だか良い中学校に入って今はダンスに熱中してるみたいだし
でも、これすべて貧しい人と付き合いが、一切ないからだよなぁと思う。
<追記>
金持ちは増田やらないだろっていうけどさ、増田はFACEBOOKで書けないこと気兼ねなく書けるので良いんだよ。読んでもらうためと言うより、書き捨てられる場所かな。
成年向漫画を描いている。
性別は非公開。
今更男になりたいと思わないのでトランスではないが、こんなことなら男に生まれたかったと何度か泣いたことはある。
少し前にXジェンダーなるものを知り、自分がそうなのかただ拗らせているだけなのかわからず悩んでいる。
数ヶ月前に『女性エロ漫画家リスト』なるものがネットで出回っているらしいことを知った。
もし自分があれに載ったらと思うとゾッとした。
作品そのものに関係のない性別なんかでまとめられ個人情報を晒しあげられるなんて迷惑でしかない。
女の子っぽくない趣味嗜好は親含む周囲からあまり理解を得られず異端児扱いをされ、女子からも男子からも浮いていたから。
いつしか一括りに女とか言うな!とジェンダー観を拗らせていった。
そんな子供時代を過ごした私は成長後、ネットやSNSに触れ見た目の性別で判断されない素晴らしさに感動した。
ありのままの趣味嗜好を呟いても「いやアナタ女でしょ笑」って言われない。
下らない下ネタを一緒になって笑ってくれる、男か女かもわからない顔も知らないフォロワー達…
あまりに居心地が良すぎた。
抑圧的だった幼少期の反動から私はありのままの自分でSNSを謳歌した。
ただ、それも長くは続かなかった。
当時は大っぴらに女性と主張することもないが聞かれれば正直に性を明かすスタンスでやっていた。
男性向エロ漫画を描いている人間が女とわかった途端、それまでなかった所謂セクハラリプや質問をする輩が出現した。
性別を知る前と後で絡み方の毛色が変わった人がいた。
何というか率直にショックだった。
私はただ皆で下ネタを、女子の臀部とかについての話を馬鹿みたいに楽しみたかっただけなのに。
「女の人がどういうつもりでエロ漫画を?お金の為?本当に楽しいの?ヤられる女に自己投影しているの?」
という質問も定期的にあった。
最初は素直に「女の人の裸が好きで楽しくて描いてるんですよ」と言っていたが最終的にうるせえ!!!という気持ちしか残らなかった。
結局ネットでも性別を出すことは自分にとって不愉快なハンデでしかなかったと悟った私はSNSで自分が女である事実を抹消しようとした。
Twitterの検索欄で自分のID+女、等で呟きを抽出し性別がわかるツイートを時間を掛けながらコツコツ削除していった。
SNSにアップする写真に手元や身体の一部がなるべく写らないよう注意した。
とにかく自分を隠しに隠した。
そして数年が経った。
フォロワーの大多数は新陳代謝で入れ替わり、殆どが昔の私を知らない人達になった(と思う)
一部の顔見知りを除き、私の性別をちゃんと知る人はほぼほぼいない筈。
居たとしても女と認めてしまわなければ誤魔化せる。
…そう思っている。
ここで改めて、もし自分が例のリスト入りをしてしまったら…ということに想いを馳せる。
ここまで徹底してやったのに。
本当に恐ろしく、最悪の気分になるだろう。
多分膝から崩れ落ちると思う。
リスイン後も私自身が認めてしまわなければきっとそれまで通りでいれるのだろう。
というか触れない以外のムーブが出来ない。
(煽り耐性的なものが皆無の性格上、やめろ!!!と言いたい気持ちでいっぱいになるとは思うが)
それに「性別の問題は自分にとってデリケートなことだから触れないでほしい」
いくら最近LGBTに理解がある人が増えたからと言って不特定多数にTwitterで打ち明けるメリットよりデメリットの方を考えてしまう。
元々社交的でもないのに界隈内で腫れ物扱いされたら、親しい人達に気を遣わせたらと思うとあまりにしんどい。
正直忌々しいまである。
何でわざわざ性別で括ってまとめる?
放っておいてくれよ。
うるせえよ。
でもこっちは生身の人間なんだよ。
どれもこれも無いち◯ぽ擦って最高にシコれると思うものを描いたんだ。
もしあれに見つかったら、これまで作り上げてきたセルフイメージがズタズタになってしまうのではないかと思うと恐怖しかない。
しんどい。
何だかんだ性別に一番囚われてるのは自分自身なんだとわかってる。
でも情けないことに、今でもいい歳こいて自分が何者かわからない。
創作の場だけは自分が外見の性を気にせずいられる自由な場所だった。
作品にまで性別を紐付けられてしまったら、一体私はどうなるのだろう。
ただただそっとしておいてほしい。
どうせ他人の性別を一括りにして下世話に騒ぐ奴には何言ったって響かないだろうけど、ちょっと興味本位くらい気持ちで作家のことを知りたいだけのピュアな読者さん。
以前TVアニメが放送されていたのが2019年の4月から9月の事らしいので、丁度1年以上遅れて好きになった訳だ。
放送当時も一応見ていたけれど、「ああ、空の境界やFateのufotableが好きそうな作風だな」と思ったくらいでその頃はそこまで興味が無かった。
鼓の屋敷から伊之助登場あたりで顕著になったと思うけど、話の進みがそこまで早くないのだ。
OPでは初めから鬼殺隊の主要メンバーが登場しているのに、1クールが終わってようやく伊之助が仲間になるかならないか…くらいのペースに、やきもきさせられた。
2クール目の終盤など、鬼殺隊本部に連行された炭治郎と禰豆子が傷を癒し新たな任務に向かうまでの話に4話以上使うのだから堪らない。
古き良きジャンプアニメといえばそうだけど、例えばufotableが以前製作したTVアニメ版のFate/ZeroやFate/stay nightなら2クールもあれば話は終わっている。
アニメ鬼滅の刃の続編が劇場で公開される事は放送が終わってすぐに公表されていたと思うけど、この「続きは劇場で!」というやり方も正直嫌ではあった。
ジャンプ作品の長編アニメーション映画は本編と時系列上は関係ない番外編をやるもの、という意識が僕にはあったからだ。例外は殆ど無いと思う。
その結果はご存知の通り、現在公開中の「劇場版 鬼滅の刃 無限列車編」は日本映画史の記録に残る歴代興行収入2位という凄まじい成果を叩き出した。間違っていたのは僕の方だった。
鬼滅の刃はアニメの放送終了後、女性ファンを中心に人気が爆発し流行した事が話題になった。
去年の終わりかそれとも今年の初めの方だったか、30~40代の女性に高い人気を得た作品としてTVでも取り上げられる事が多くなった。
2019年の年末に紅白でLiSAが主題歌の「紅蓮華」を熱唱した事でアニメや漫画には興味の無かった人達にも曲は有名になったんじゃないだろうか。
この作品が、ニュースで取り上げられた時のように女性層だけでなく、老若男女関係なく幅広い層に支持されるようになったのはいつからだろうか?
特にアニメをプッシュしている訳でも無いスーパーマーケットやドラッグストアー・コンビニエンスストアに、鬼滅の刃とコラボした各社の商品が並ぶようになった。
「ああ、この作品は本当に人気があるんだなぁ」と自分の身で実感出来た時、僕は鬼滅の刃の事が好きになっていた。
土曜プレミアムで放送された総集編の「兄妹の絆」と「那田蜘蛛山編」を見たのが決定的だったかもしれない。約1年振りに見る鬼滅の刃だった。
本放送時は話の進みがゆったりしていた事に不満があったけど、総集編で一気に見るとそこが解消されて良い部分しか残らないのだ。
放送終了後に人気が爆発したというのも、動画配信サイトで全25話を一気に見れる事と関係があったのだろうか?とにかく、まとめて見ると鬼滅の刃の面白さがとても理解しやすかった。
僕は鬼滅の刃のキャラクターの中でも主人公・竈門炭治郎とヒロイン・竈門禰豆子の二人が特に好きだ。
人食い鬼に家を襲撃され一人の妹を除いて母親と他の兄弟を皆殺しにされた長男と、鬼に襲われた際に自らも人食い鬼へと変えられてしまった長女。この二人が鬼滅の刃という作品の主役である。
炭治郎はこのたった一人の妹を守るために戦う。これまで争いとは無縁だっただろう少年が、鬼になった妹を守るために鬼狩りを生業としている凄腕の剣士に一本の斧で立ち向かった。
禰豆子は人食い鬼に変えられても、兄を食らいたくないと涙を流した。鬼になったばかりで重度の飢餓状態でありながら兄を食らう事より兄を鬼狩りの剣士から守るために戦う事を選んだ。
鬼狩りの剣士は、この二人は今まで見てきた鬼とその被害者とは何かが違うと感じ、この兄妹に行く道を示した。鬼になった人間を元に戻す方法を探すため、炭治郎と禰豆子は二人で孤独な旅に出る。
鬼滅の刃1話の大まかな流れはこんな感じだろうか。人を食らう怪物となった妹をそれでも守ろうとする兄と、人を食らう怪物になってもそれでも兄を守ろうとする妹。実に心に響く関係性だと思う。
この兄妹が仲睦まじく一緒に居る所を見るだけで、何だか嬉しくなってくる。現在発売されている鬼滅の刃のコラボ商品も大体この二人がセットになっているので、そこも嬉しい。
原作者の吾峠呼世晴先生やufotableのアニメーターさんが描き下ろしたこの二人の公式絵も、非常に華があると感じる。兄妹として二人一組として生み出されたキャラなので、並ぶと絵になるのも自然なのかもしれない。
タイトルには「カップリングが好きだ」と書いたが、僕は本当に炭治郎と禰豆子にカップルになってほしいとまでは思わない。元増田が言及しているように、直接的な描写が無いが禰豆子は公式には善逸と結ばれたと言われている。
もっとも、直接的な描写が無いので、善逸は禰豆子に振られてその子孫同士がくっついたのではないか?と言っている人も居る。禰豆子は鬼殺隊の風柱・不死川実弥と結ばれたのではないか?と考察している人も居る。
僕としては、禰豆子が鬼と知りながらも人間の女の子と変わらぬように接し続けた善逸の好意が禰豆子に通じてこの二人が結ばれたなら喜ばしい事だ、と思う。
一人で鬼になった妹を背負って戦い続けてきた炭治郎の優しさと頑張りに真っ先に気付いて、炭治郎の大切な物が鬼だと知りながらも命懸けで守った善逸だから、炭治郎からの評価が初期から極めて高いのも納得行く。
それはともかく僕は炭治郎と禰豆子がカップルのようになっている二次創作も好きである。前言と矛盾するようではあるけど、要はこの二人が仲睦まじければそれが良いと思っている。
禰豆子が作品のヒロインでありながら妹であるのは、主人公である兄・炭治郎と絶対恋仲にならない関係だから、という考察を聞いた事がある。
確かに禰豆子には少年漫画のファンによく居る熱狂的なヒロインアンチはどちらかといえば少なく、むしろマスコット的なキャラクターとして女性ファンからも高い人気がある。
そんな炭治郎と禰豆子がカップルになるなど原作無視も良い所ではないか!と思わなくもない。別にカップルでなくてもこの二人が兄弟として家族として仲睦まじいだけでも僕としてはある程度満足出来る。
ところで、鬼滅の刃の二次創作において最も勢いがあるキャラクターのカップリングは、鬼殺隊の水柱・冨岡義勇と蟲柱・胡蝶しのぶの二人組だと僕は感じている。BL界隈の事については詳しくないので失礼する。
しのぶさんが原作に初登場した時からこの二人は一緒に行動していた。意見の対立から二人で刃を交えたり、体を絡ませるような事もあった。アニメではしのぶさんが冨岡さんに「月が綺麗ですね」と語りかける場面もあった。
口下手であり人付き合いの上手くない冨岡さんを、何かと世話焼きなしのぶさんが構ってあげている…という関係性であり、しのぶさんはよく冨岡さんを指で突いたり二人きりになると彼を下の名前で呼ぶなど意外な一面もあった。
こうやって見ると、なるほど、確かにこの二人は親密な間柄で実は恋人同士なのではないか?と思う人が少なからず居る事も分からなくはない。冨岡さんがしのぶさん以外の同僚と壁があるのも理由の一つだと思う。
美男美女であるこの二人は、並んで立つととにかく絵になる。鬼滅の刃が何かの商品がコラボした時もいつも二人で一セットという扱いである。容姿を見ると確かにお似合いだと思う。
しかしこの水柱・冨岡義勇と蟲柱・胡蝶しのぶのカップリング、所謂「ぎゆしの」は公式設定という訳ではない。初登場時二人一緒に行動していた事以外、それ以降この二人が本編で絡む事は殆ど無かったのだ。
鬼滅の刃の作者、吾峠呼世晴先生はキャラクター同士の好意や恋愛関係を描くのは好きな漫画家さんだと思う。その吾峠先生がこの二人の恋愛関係を描かなかったという事は…原作でこの二人は脈が無かったのでないだろうか。
勿論公式であろうとなかろうと、二次創作を楽しむのはファンの自由である。今日も鬼滅の刃のファンはぎゆしののイラストや漫画を描き小説を書く事だろう。それだけ「ぎゆしの」に心を惹かれたファンは多い。
炭治郎と禰豆子のカップリング、所謂「炭ねず」も非公式である。こちらは鬼滅の刃の二次創作のカップリングとしてはマイナーではあるけど、見たところ熱心に愛好するファンはぽつぽつ居るように感じられる。
こちらは原作ではお互いが違う相手と結ばれたので公式になる可能性は100%無い。まあ兄妹でくっつくのはインモラルだし仕方ない事だと思う。二人とも誰とも結婚せず山奥で静かに暮らす、という展開なら無くもないだろうけど。
そういう僕からすると、禰豆子が善逸と一緒になり炭治郎から離れていくという公式の展開は少し寂しくはある。勿論禰豆子と善逸が幸せならそれに越した事は無いと思う。
炭治郎は鬼になった禰豆子を人間に戻すために、禰豆子が人間としての幸せを掴めるようにと命を懸けて戦い抜いた。その禰豆子が一人の人間としてこれから逞しく生きていくなら、炭治郎は誰よりも喜ぶだろう。
「鬼滅の刃」は炭治郎と禰豆子の兄妹の話から始まり、炭治郎と禰豆子の兄妹の話として終わった。誰にも引き裂けない強い絆を持つ二人が、「結婚」というゴールを機に自然と離れていく事に、少し物悲しさを感じた。
まあ人生(の勝ち組や負け組)や地頭をダニング=クルーガーで語るべきではないは言い過ぎなのかなあ
人生勝ち組だろうが負け組だろうが、運を実力と勘違いしてる輩はダニング=クルーガーみたいなものなのかもしれないけど
でも地頭でググって曖昧な定義の次に東洋経済wが出てくる時点で、あー、痛い人の使う単語としか思えない
オカルトっぽいというか
地頭の定義も「学校では習わない論理的思考とコミュニケーション能力」って、もっと定義が曖昧になっていくw
(というか、学歴コンプレックスにも似た、こういう学問をバカにして悦に入る人がビジネスの世界は多いの何なの?
多分、社会的な成功と学歴とか学術的頭の良さは関係ないから、そう思いがちなのだと推測はするけど
そりゃ、関係ないわなwと自分でも思うわけだが、それを攻撃的な話に持ち込むのが解せない
勉強なんてするより地頭とコミュニケーション能力、というのは要は、上司や老人を敬えとか大衆に迎合しろとかの言い換えに過ぎないし、
まあ、大衆に迎合しろとか、上司や老人は敬えとか、世渡り上手になれというのは理解はできる
だったら、そう言えばいい
まわりくどいんだよ
というか、まわりくどく言わないとならない後ろめたさがあるんだろ?)
論理的思考は知能検査でも繰り返せばいいのかもしれんが、コミュニケーション能力はどう探求すればいいんだ?
「おまえのコミュニケーション能力の探求や理解は浅はかだな。ダニング=クルーガー現象に陥ってないか?」
とか語るべきものなのか?
正解がないものに、さも正解があるかのように語るとか、
何か変なことが多すぎる
正解はないのだけど、探求し続ける、という姿勢ならまあ正しい
本当に、地頭だのコミュニケーション能力というものを探求し続けるという人がいるならそれはそれで素晴らしいんでないの?
俺はまったく興味ないけど
地頭だのコミュニケーション能力だの語りだす輩とイケハヤの親和性は高くて、
イケハヤ@仮想通貨大好き on Twitter: "「科学的とはどういうことか」を考えさせられますね~。ぼくは「外から流れてくる数字や言説を信じず、まずは自分の体で試して、確認すること」が科学的だと思うかな。そこから探求が始まるわけですから。自分のことばで語れるようになります。"
科学的である、というのは疑い続けることだし、そのためには仮説を立てて検証する、を永遠に繰り返すことだと自分は考えている
つまり、科学的であるというのは「永遠の知的好奇心による探求の旅」である
地頭だのコミュニケーション能力だの人間力だの老人力だの、いい加減にしろ
まあ、内心思うだけで言わんけどな
意味が曖昧な言葉を作って、何かを語った気になるって、江戸しぐさと似てるよなあ
ウソでも悪いことは言ってないからいいだろ、って、そりゃ駄目だろ
言葉遊びで、俺うまいこと言うなあ、うん、みたいなノリで聴衆を納得させるみたいなのってどこから来たんだろう
元々は富裕層向けのサロンだったわけだし、あれ登壇するために発表する側が大金払ってたりするわけで、
TEDは英語の勉強になるし、比較的まともな人はいい話することもあるけど、
時代はまったく違うんだけど、大衆が求めてるものとしての結論がそこに向かってる気がする
はー、ほんと不愉快だ
時間が経てば事態の全体が分かってくるだろうと思ってはいたが、
個人的にはGOTOのせいだろうが鬼滅のせいだろうがどうでもいいというか仕方がないと思う
我慢の連休なのに国民は経済を優先してけしからん、とかメディアに書かれても、
経済優先とかじゃなくて、今年はまだ帰省してなかったからなあ、とかそういうことであって、
別にほとんどの人は国を維持するために消費しなきゃとか思って生きてるわけじゃない
自分の欲とかやるべきことに従ってるだけであって
だから、コロナコロナ騒ぐ輩を見ればホリエモンみたいな方が正解に思えてくるし、
かと言って、麻生みたいな輩を見れば、
うちの会社には51歳を超えると退職金を割増してくれる制度があるので、55歳ぐらいで退職したいと思っている。
今まで有無を言わさず2〜3年に一度異動させられ、やっと慣れたと思った仕事から切り離されて新しい仕事を覚えないといけない生活を繰り返した。私は何か特定のジャンルに秀でた専門家になるのが憧れだったし、異動するたびに新しい仕事を覚えないといけないのと、仕事を選り好みできないのがすごい苦痛だった。代わりに給料はそれなりにもらえた。扶養家族を抱えているとあっという間になくなってしまうレベルだが、バツイチ独身の自分には充分すぎるぐらいだ。
で、それなりに貯金もしたし、住宅ローンも終わらせたので、私はこの仕事を辞めたいのだ。が、今の会社に勤めているというのがうちの親にとっては非常に安心感を与えていたらしく、「給料が下がっても良いから、今の仕事をやめて好きな仕事をやりたい」というと訳の分からないことを言って反対してくる。
50歳が近づいてきて、だいぶ退職が現実的になると、理解ありげなことを言うようになってきたんだが、やりたい仕事に近い職場の名前を出して、「あ〜ここでアルバイトでも募集してないかな」とか言うと、「お給料すごい下がるわよ」「通勤が遠いじゃない」とケチをつける。
元々あまり金儲けにならなそうな業界なので、給料が下がる覚悟がないならそもそも転職を考えてはいけないのだ。そもそも雀の涙でも良いからその仕事でお金を稼ぎたかったら、業界関係者とコネがあるところに行くのが早道ではないか。それに通勤が遠いと言ったって同じ東京23区内だ。別に移住とか新幹線通勤をしなくてはいけない距離ではない。実家はかなり便利な場所にあるので、母の距離感覚はちょっと狂っているところがあり、電車一本30分以内におさまらないとすぐ「遠い」となる。
本当は住宅ローンが終わった時点でもう辞めたかったのだが、結局退職金の割増が当てにできる歳まで我慢したので勘弁してほしい。私には財産を残すべき子どももいないので、自分の貯金は自分で使い果たして良いのである。葬式代程度の生命保険には入っているので、誰かが私の死の後始末をしてくれるなら最低限の葬式をして、あとは自分の懐に入れてくれて良い。私には弟と従姉妹がいるが、どっちともそんなに積極的に連絡しているわけではないので、後始末をしてくれるかどうか分からんけど、血縁関係的に彼らのどっちかにとばっちりが行く可能性が高いと思う。
転職したい先も本当に私に向いている仕事かは分からないけど、とりあえずやりたいことにチャレンジしてみたいんだよ。何だかんだと実家の両親を精神的な支えにして生きてきたので、両親の言うことに反対しにくいんだが、早く今の職場から自由になりたい。
うーん、ある程度以上知的な職業につくなら勿論それはそうなんだけど、
大卒を募集してるくせに知性をむしろいらないものとして扱うような職場とかは普通にあるわけで
そういうところだったら学問に取り組んだ経験がみたいなのも実際いらないんじゃねって言われかねない気はする。
一方知的な経験を重視しているところなら、レジャーランドであろうが何だかんだ「触れた」経験は全く生かされないわけでもない気がする。
一般的に「普通」といわれる人生を歩みたかったのに、能力がないせいか、いつも挫折と失敗を繰り返してきた。
いつもまわりのみんなと同じテンポで同じ道を歩むことができずに焦ったり凹んだりすることが多かった。
受験勉強頑張ったのに大学を中退した。精神病で。バイトも研究もなんでも頑張りたかったのに結局全部捨ててしまった。お父さんを裏切ってしまった。
鬱と摂食障害で体もボロボロになり、当時20歳だったのに内臓年齢が40代まで衰えてしまった。
歯も溶けて、無傷の歯は一本もない。上下左右奥歯は差し歯だし、上の前歯も差し歯だ。
まだ人生何十年もあるのにきっと将来は歯なんて1本もない。
せっかく小さい頃、両親がお金をかけて矯正治療してくれたのに台無し。
状況を変えたくて上京して、派遣やりながらぼろアパート住んで、なんとか自分一人で生活できるようになったけど、結局摂食障害は続いていたし、仕事も向いていなくてすぐ転職した。
いわゆるブラック企業で仕事はしんどかったけど、同棲してくれる彼氏ができて、結婚の話も出たけど最後は浮気相手妊娠させてその子と結婚してしまった。
その後も私が馬鹿だったせいで男の人に騙されたり、暴力振るわれたりした。でも、なんとか「ふつうのひと」になりたくて、仕事も猛烈に頑張っていい会社に転職できたけど、私のいるプロジェクトは大コケした。私も戦犯だ。そんな折に既婚者の男性に騙されて弁護士のお世話になるはめになった。
わずかな慰謝料はとれたけど、一生分の人格否定されたのでストレスで耳が聞こえなくなった。それでも毎日出社したけど、信頼してた部下に裏切られてもう何が何だかわからなくなるぐらい辛かった。声も出なくなった。
それでも、頑張っていればいつかなんとかなるって信じて邁進してたら、私のことを大好きだと言ってくれる男性に出会った。穏やかで純粋なひとで、結婚しようって言ってくれた。
ダイヤの指輪と苗字をもらって、一つ屋根の下にくらして、ようやく今までの人生が報われると思った。友達も泣いて喜んでくれた。いい人に会えたんだねって泣いてくれた。
愛する旦那さんと、もう少ししたら子供も作って、私みたいな産廃でも幸せになるんだって息巻いてたけど、旦那さんは突然モラハラになってしまって離婚した。
最後の最後まで努力を否定され、あなたに財産分与するぐらいなら全部浪費するとか言われちゃった。
30歳をとうにすぎて、またひとりぼっちになってしまった。ボロボロの心と体で。
知人が「明日は来る。1万日以上きてたから大丈夫」と言ってくれたが、その明日っていうのは1万回以上勝手に来てたわけじゃなくて、私がなんとか乗り越えてきたものだから、ちっとも大丈夫じゃない。
もう1万回と数千回も乗り越えてきたのに、まだ乗り越えろっていうのかなって絶望した。
もう明日なんて見たくないし、みんなできてることが私だけろくにできない。
そりゃあ…何だかんだ自分に甘く好きな時に好きなもの食べてる人たちとは違うんで…
現在168センチ、53~54キロ(夏はもうちょい痩せる)。アラサー既婚子持ち。
甘い飲み物は基本飲まない(コーヒーはブラック、紅茶はストレート)。
口に物を運ぶときは常に一日のカロリー摂取量を超えないよう意識してる。
例えば昼に外食したら夜ほぼ食べない、夜に飲み会あるなら朝昼はサラダスープのみとか。
ストレッチと筋トレ(ゆるいやつ)もやってるけどこれは気休めだな…
私、食べたら即吸収する体質なんですよ。
別に今はダイエットしてる訳じゃないけど、24時間365日上で書いたことを守って生きてます。
ちなみに夫は食べても太らない家系の人。身長175㎝で体重は私と同じくらい。
そんな彼は毎晩晩酌して、甘いものも大好きで常にお菓子買ってくる。
子供はどっちになるんだろうね…
先日祖母が亡くなった。
祖母は昭和一桁生まれ、地方の本家の長男の嫁で子供が7人ということで、一族のドンと言うかゴットマザーとでも言うような人だった。
本来なら盛大な葬儀になるはずだったのだが、コロナ禍と言うことで親族のみの簡素な葬儀に変更になった。
で、祖母の長男である父の意向で、規模が小さいのがいい機会だからと、嫡孫にあたる俺が冠婚葬祭の勉強を兼ねて取り仕切ってみろと言う事になり、色々と準備する事になったのだが、思う事が多々あったのでここに書き出してみる。
新型コロナの第三波が警戒されている昨今だが、老人連中は明らかにビビらなくなってきている。そもそも、「親族だけの簡素な式」と言う事で、俺は参列者は多くても15名程度、せいぜいが祖母の存命の兄弟と子供、近くに住んでいる孫連中くらいと考えていたのだが、なんやかんやのしがらみで親戚筋を一通り呼ぶ事になり、結局参列者が50人を超えてしまった。不特定多数の不要•不急の集まりを避けると言うコロナ対策の観点で見ると非常にまずい。
まぁなんと言うか、年配層にとってはコロナ対策で密を避けるよりも、「この人は葬儀に呼ばれたのにウチは葬儀に呼ばれなかった」と言う不満の声が出ないことの方が大事な価値観のようなのだ。若輩者の俺がとやかく口を挟めることではなかったのでやむなく従ったのだが、ぶっちゃけこんなに集まらない方が良かったと思っている。
また、「コロナ禍につき、親族以外の参列はご遠慮いただく」と事前に宣言していたにもかかわらず、アポなしで押しかける近隣住民が多数いたのも辛かった。この地方でのコロナ患者数は県全体で見てもそう多くはないといえ、葬儀にノコノコやって来た彼らはノーマスクで故人の話題をダシに談笑しており、日頃会社や自宅でコロナ対策に気を使っている身からするとなかなかにキツいものがあった。
極め付けはコロナ対策が非常に甘い寺院。入り口にアルコールが置いてあるだけで、検温等は一切無し。法要は寺の御堂を締め切って行われた。(11月になり気温が下がっていると言うのもあるだろうが。)お経をあげる4人のお坊さんはノーマスク。コロナで重症化しやすい高齢者も多数いたと言うのにだ。参列者にキャリアがいれば葬式クラスター待った無しである。ちなみに遠方から来ている親戚は、東京、横浜、名古屋、大阪、神戸と大都市在住の者も多かったので、いまだ内心冷や冷やしている。(もっとも、医療関連の仕事についている親戚はさすがに出席を辞退していたのが。)
俺が葬儀を取り仕切ると言う事で、お寺や葬儀屋との交渉にあたったのだが、まあ料金体系の不透明なこと。
まず、お寺は見積もりの明細書や領収書は一切出さない。ざっくりと戒名料が20万で、法要料が1周忌までセットで100万、あとは思し召しでいくらか寺院の修繕費として寄付をいただければと言うことだった。相場が分からないので、父親に祖父の葬儀の記録を見せてもらうと諸々含めて80万弱と言うことだった。父曰く、お前は若年だから住職になめられてふっかけられているのだろうとの事。後ほど父が改めて相談に出向いたところ、トータルで85万と言う事で収まり、祖父の時と近い金額になったのだが金額の根拠が不明で非常にモニョった。
お寺以上に不透明なのが葬儀屋だった。明らかに使いまわしであろう祭壇の設置費用が最低30万とか、花代が一房2万とか、どう考えても原価の何倍もふっかけている。さらに、祖父の葬儀の時にはなかった故人の思い出ムービーが10万かかったり(必須オプションで外せない、最近の流行りらしくみんなやってますよとのこと)、なんというか、1日2日の短期間でプランニングしないといけない弱みにつけ込んで取れるだけむしり取ってやろうという気が満々で非常に腹が立った。
あまりに理不尽なんで葬儀が終わった後に父に愚痴をこぼしたところ、祖母の代は同世代の親類に気を回す必要があるからやむを得ないが、俺が死ぬときにはAmazonお坊さん便で略式の葬儀で良いぞといわれた。準備中はいろいろうるさいと思っていた父も考えていたのだと分かって、父の柔軟さに不意に感動してしまった。
葬儀を取り仕切って一番モニョったのがここかもしれない。六曜を気にして、この日は友引だから避けろとか、縁起か何か知らないが藁を燃やす手筈を整えろとかよくわからない注文が多い。さらに高齢のため、葬儀場に車椅子スペースを設けてバリアフリー対応をしてくれだとか、法要の後の食事は歯が弱くても食べれるものにしろとか要求が多く、ただでさえ忙しい葬儀の仕事を増やしてくれる。そのくせ準備はほぼほぼ手伝ってくれない。お願いだから自力で葬儀会場に来れない老人はコロナ対策に家でじっとしていてくれ。
今回の葬儀を取り仕切るまではなんだかんだで冠婚葬祭は日本の伝統文化だし、非合理的な部分があっても年配の人の考えは尊重しないといけないなと思ってたのだけど、冠婚葬祭文化マジカスじゃね?くらいに180°考えが変わった。
まあ、祖母の兄弟もあと10年もしたら皆鬼籍に入るだろうから、その後に葬儀を取り仕切る機会が有れば、父の勧め通りに迷わずAmazonお坊さん便で、略式の葬儀にするだろうなとは思う。何だかんだ思うことはいろいろあったが、良い社会勉強の機会であった。