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はてなキーワード: 伝統とは

2014-06-19

http://anond.hatelabo.jp/20140619191514

自分は「あの時死ぬほど勉強しておいてよかった(新城さんかよ)」と思ったことはあるけど、

子供の頃からきちんと家事やっておけばよかった」と思ったことはない。

から自分の中での家事優先順位は大変低い。

子供を産めばそれは変わるのかもしれないけど、そんな予定がないのでわからない。

ああ、ただひとつ言えるのは家事スキルが低いと伝統的な家庭に対しての憧憬が低くなるので、結婚はできたとしても子供を産まない可能性は高いと思う。

人並みに成長して、結婚して、子供を産んでほしいとねがうなら、娘が嫌がろうと何だろうとやらせたほうがいいだろう。

http://anond.hatelabo.jp/20140615151943

id:chuunenh 日本では女性のほうが幸福度が高いので、労働問題を解決する必要はないという考え方。タイトルからもわかるように幼稚な考えだけど、こういう本音の人は意外と多そう。

はあ、どうやらこういう↓オヤジ共と同類に見られているらしい。

女性都議に「産めないのか」 自民議員からヤジ

http://www.asahi.com/articles/ASG6L74N8G6LUTIL03T.html


誰も知ろうとしないけど、女性は昔から社会進出している。

http://allabout.co.jp/gm/gc/12462/3/

社会進出する意味があって、社会進出するだけの態勢が整った女性だけ社会進出すればいいんじゃね?ってスタンスだよ。

出産する気がない人はずっと働いたらいいし、出産正規雇用を両立させたいなら実家の親世代ヘルプを使うしかないでしょ。

正規雇用育児の両立は無理だから共働きの多い地域は親を活用している。 http://allabout.co.jp/gm/gc/12462/4/ 

託児施設などの整備は出来ないと思う。これまで通り。予算もなければ政治家にとっての利権的な旨味もあんまりないよね。

化粧品会社とか医療福祉とかアパレルとか、昔から女性が主導権を握っている特定業界以外で

女性既存男性労働者よりも付加価値をつけて社会進出するには、産休育休で休んでも職場に残って欲しい人物である必要がある。

すなわち特殊技能を持っているとか、男性よりも高学歴ハイスペックだとか、そういう人じゃないと無理じゃね?

東大京大一橋出たとか元国税庁出身税理士だという女性に誰も専業主婦やれとは言わんでしょ。

多くの企業にとっては男性よりも女性正規雇用しづらいのは法律諸々の事情で仕方ないことだし、

http://anond.hatelabo.jp/20140615175333 にも書いてるけど。

企業政府も形だけ音頭は取るけど、おそらく何も変わりはしない。

女性のためじゃなくお金儲けのために企業存在しているんだし、

ガルドとかいうオバハンあたりからギャーギャー言われているか女性待遇改善政府は動いているように見えるが

そもそも総理とその取り巻き自体が何で多くの女性出産後も正規雇用社会進出出来ないのか仕組みすらわかっていないだろw

建前では女性待遇改善すりゅ!って言ってるけど、日本の偉い人の伝統現場に投げっぱなしジャーマン」かまして終了。

現場で無茶して魔改造しまくり、上の人間は何も状況がわからないゆえに統治能力がないのが日本様式美ってものだよ。

おそらく今のままで困っていないから変える気がない。だから男女の賃金格差20年以上も変わらない。

アフリカの子供が飢えていると言って、助けに行く日本人は少ないでしょ?

女性が困ってようと男性は困らないし、当の女性自身も困っていないんだからhttp://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/2473.htm

お上女性待遇改善しろって言ってもおそらく変わらないから、これまで社会に進出してきた年上世代女性のように上手く立ち回るしかないんじゃないっすか?

これを幼稚っていうなら、ただ単に「お前が嫌いだ」という意思表示したいだけの人と認識します。

2014-06-18

大学教師が新入生に薦める100冊」のCSV

大学教師が新入生に薦める100冊: わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる」のCSVファイルを重複排除ソート出現数3回以上だけを抜き出してみた。記号が統一されていなくて漏れしまっているのもあるかも知れない。(ゲーデルエッシャーバッハの長音風記号はなぜか統一されていて、Amazonでも全く同じ表記

2014-06-11

話を聞く=叩くという2ちゃんねる伝統

まあ、はてなは元々、2ちゃん古参スタッフが作ったようなもんだし

ある種のぬるまったさが匿ダイのどこにでもあるんだけどさ。

これだけは、あきまへんなあ。。。

2014-06-10

http://anond.hatelabo.jp/20140610140204

そういうのには伝統的な返しがあってなー

チラシの裏にでも書いとけ」

2014-06-08

最近日本人として」を多用する人が急増した事について思うこと

普通日本語文章で書かれた日記を見ると、普通は「日本人」という感想よりも前に、この人の日記面白いな、この人の批評は痛烈だなと思うのが一般的な慣例だったはずである

それなのにわざわざ「日本人として」とか「日本として」と書くのは何でだろうと思う事がある。

日本人」という単語がそれほど大きな効力を持つとは考えにくいが、多用する事で訴えたい何かがあるのだとすれば、それは陳腐な事だろう。

これを多用する人間はどういった人達なのだろうか。

実際の所、これを多用するのは自分自身に後ろめたい事実があって、それを「日本人として」という事に置き換えてるのではないか、と考える。

総じて、「日本人」が「日本人として」と書くのは実にヘンな話である

日本人愛国主義を謳うのが当然という風潮が昔からあった。

昨今は隣国との冷えた関係から嫌韓反中ネット上での常識となり、その国や人となりを風刺するのが常となって久しい。

されば、それがイコール日本人」への愛着に繋がっていったのでは、というのが一般的見方であろうと推測されるが、

筆者に言わせれば、それは虚実である

何故なら、「日本人」は謙虚美徳とする民族である

いちいち「日本人」を多用して「日本」を祀り上げずとも海外での評判は概ね良い。

それは外国人観光客の多さを見れば明らかである

加えて日本文化海外に浸透してきているというのもある。

和食無形文化遺産に指定されたのを始め、日本のありとあらゆる伝統外国人の心の拠り所となりつつある。

それらを踏まえれば、「日本人として」と表現する人達の閉鎖的で独善的感性は何とも言い難いものがある。

あるいは、彼らのアイデンティティーとは昔ナチスが「ゲルマン人こそこの世の最高である」と宣言してたモノに近い。

ところで最近、やたら愛国主義を謳う人が急激に増えたように感じる。

それそのものは良い傾向であろう。

しかしながら、問題は謳っている人間が一方で森林伐採し、地球温暖化を早め、また労働者家畜同前の扱いにし晩婚化を進めては少子化が激増する一方であり、日本人尊厳を踏み躙る行いをしている事である

そういった人間が一方では「日本人として」景観自然を守ろうと言うのであるから滑稽である

日本という国は、古来から八百万の神信仰し、またシャマニズムを尊び、上も下も豊かであろうと心がけて来た国であるはずである

にも拘らず、「日本人として」と謳う昨今の愛国主義者たちは、同じ愛国主義者を使役し捨石のように扱い、今度はお国のためと言って戦争に駆り出すのである

お国のため、としながら他国蹂躙凌辱する事は果たしてナショナリズムに合った話なのだろうか。

また、それが謙虚美徳としてきた「日本人」のあるべき姿だとは、とても思えないのである

日本人として」国を愛する心があるのならば、自然景観を守り、他国を謗ったり、他人を誹謗中傷しない、世界が認める謙虚美徳する民族であろうと努力すべきではないか。

やたら「日本人」を強調する人というのは、結局日本人である事の誇りを知らない非日本人であり、またそれは歴史証明しているのだ。

第二次世界大戦愛国主義を謳った東條英機以下当時の政治家軍人の類は国家疲弊国民疲弊させ、その文化遺産を鉛などに使うべく溶かしてきた。

その結果が、長崎広島への原爆により日本人尊厳や先人の歴史的遺産消失してしまったという、愛国主義とは程遠い凄惨事態へと発展せしめたのである

今思う事は「日本人として」ナショナリズムを起こすのであれば、安易誹謗中傷よりもまず国内の安寧を図るべきであり、自国を批判する事である

やたらと他国を批判するのはそれこそ「日本人として」の美徳に反するものであるし、却って日本」を破壊するのである

2014-06-06

http://anond.hatelabo.jp/20140606215501

そして君はデータファイルを解析する道を選ぶのだろう。

ようこそバイナリアン!歓迎するよ!

MS-DOS時代から連綿と受け継がれる伝統行事だ。

キリスト教など西洋宗教は人は神の子であると考え、また祖先を崇拝した延長線上に神がある。

一方、東洋型の神道などでは、神は人間とは別の階層存在すると考える。

我々がID論など西洋型の宗教観理解しようとしても、無意識のうちにこのような隔絶を前提としていると、うまく消化できない。

舞台を変え、現代日本韓国ではどうか。

これらの国では国粋主義を叫ぶことが流行しているが、その旗振り役に居るのは西洋型の一神教価値観の持ち主達である

彼らが「伝統」を口にしてもどこか空しいのは、彼らがそもそも東洋的な宗教観価値体系を持っていないためだ。

アフリカへの奴隷制中東への「ぬれぎぬ侵攻」、そして東京広島長崎代表される、人を人とも思わぬ、計画的悲惨国際法違反行為、同じ価値観を持った西洋人同士でも果たして行ったのだろうか。

彼ら西洋人価値観が、我々の伝統を軽んじ、書き換えようとしている、これらを黙って見て、伝統を重んじる者たちは心が痛まないのだろうか。

その国の伝統をうまく把握できない者が、困難を抱えた時に国民を一致団結させることなど無理であり、統制で誤魔化すのが関の山であろう。

2014-05-23

最近創作物で「主人公が成長する物語」をよく見かけるようになった。

少年ジャンプみたいに、能力とかバトル物のことを言っているのではない。

社会的に成長する、という意味である

主人公が偶然放り込まれた、もしくは流れで入った、都会とは違うとある特殊環境

そこでの人とのつきあいかた、自分が受けていた恩恵自然の大切さ(何故かこれがある)を学んで、

人間的に成長していく話である…みたいな感じ。

恐らく創作動機は、その特殊環境の現状を周知啓蒙させるべくっていうのが強いのだろうけど、

主人公が総じて「ナヨナヨしたバカな若者」なのがいただけない。

そんなクソな主人公自然豊かな特殊環境で育った大人たちに、最初排除され、叱られ、

心を入れ替えた若者が最終的には認められる、ってパターンはもう見飽きた。

作者からすれば「ナヨナヨバカ」は扱いやすいのかもしれないけど、

見る側が、自然とか伝統とかを後ろ盾に、「今の若者はナヨナヨバカだ」と決めつけるおそれがある。



そうだよ!今の若者はナヨナヨバカだよ!ちくしょう何でも言いたきゃ言え!

「見返したきゃ我々年配様が体験してきた苦労を味わって心身を鍛えろ」だって

おめーらの言いなりなんかなるかボヶ!嫌だよバーカ!

「そんなだからナヨナヨバカから抜けだせねえんだろボケカスが」だって

くそ

2014-05-22

http://anond.hatelabo.jp/20140522213441

だよな。女でも日付を覚えるなんて難しいよな。

 

ってことは、こっちの方が正解に近いのか?

日本では女は伝統的に主婦だったり、事務だったりして、あまりスケジュールには追われてない。

から記念日などの期限をスケジュールに追加する余裕がある。

http://anond.hatelabo.jp/20140522204703

http://anond.hatelabo.jp/20140522202352

これ簡単。

 

日本では男は仕事で忙しい。

男の仕事は、毎日何かの期限や締め切りがあって、過密スケジュールをこなしている。

 

でも日本では女は伝統的に主婦だったり、事務だったりして、あまりスケジュールには追われてない。

から記念日などの期限をスケジュールに追加する余裕がある。

男にはそんな余裕はない。

 

それだけ。

 

からキャリアウーマンビジネスマンカップルだとお互いに記念日は忘れてたりすることが多い。

 

これがover40DTの結論。

2014-05-20

http://anond.hatelabo.jp/20140520215234

赤旗のことは聞いてないからからないな。

 

共産党の人って、自分らの政策が実現できると、そもそも考えてない感じがした。

本当に与党になりたいってオーラが全くない。俗っぽい感じがない。

そもそも共産主義にするつもりもない。

「もし政権取れたら、いつ共産主義にできると思う?」って聞いたら「百年単位人類には無理だろうな」だと。

それなら共産党って名前をやめないと誤解されるよねって言ったら「でも伝統的な名前から」っていう。

なんか保守的な感じ。

2014-05-19

「Abita」というフクシマを題材にした短編アニメ映画が国際賞を受賞しまくっているのにマスコミは一切報道しない!

「Abita」というフクシマを題材にした短編アニメ映画が国際賞を受賞しまくっているのにマスコミは一切報道しない!

という話題なのだが、その「国際賞」というのは「International Uranium Film Festival」の最優秀アニメ映画賞と、「Back-up Filmfestival」の特別賞のみ。

International Uranium Film Festival - Wikipedia, the free encyclopedia

backup_festival – Wikipedia

反原発派は「いつものマスコミだったら日本人の快挙だと取り上げるのに!」と言っているが、

仮にフクシマ絡みでなかったとしても取り上げるわけないじゃん、もっと伝統権威ある映画賞ならともかく。

せいぜい文化面で「こんな見どころのある若者がいたんですね」といった程度に触れられるくらいが関の山じゃないの。

逆に聞きたいんだけど、もしこの作品フクシマ絡みでなかったとしても、

おまえらは「日本人の快挙だ!」と自分ブログで取り上げたの?

2014-05-18

日本好きな外国人」に生まれたかった

最近流行の「海外の反応ブログテレビをよく見る。

最初は「褒められていい気持ちになってる日本人目線だったけど、最近は「外から日本を見てる外国人」だったらどんな気持ちか、というのを考えるようになった。

なるほど日本って、外から見たらめちゃくちゃ魅力的で楽しい国だわ。

ユニーク伝統的な文化個性的で深い歴史、最新の科学技術を持ち合わせ、優れた食文化ポップカルチャーがある。

何より清潔で安全。物静かで礼儀正しい民族外国人を快く受け入れてくれる。

海の外から見た日本はいいとこづくしだ。

でも実際住んでみればどうか。

閉鎖的で排他的伝統や習慣。特に労働への意識が高すぎて忙殺されてる。

無能政治家福祉厚生に見合っていない高い税金保険料

凶悪犯罪だって0というわけではない。

そして昨今問題になっているのは男女の恋愛結婚への意欲の低さ。

二次元彼氏彼女が溢れかえるのと反比例に、日本人リアル恋愛出来なくなってる。

どうりで「日本旅行したい」という外国人が多くても「日本に住みたい」という外国人が多くならないわけだ。

前に「私は人種同一性障害で本当は日本人なの」と面白厨二病的な事を言っている10代の外国人女子の記事を見たけど、その子だって「将来は日本移住しようと思ってる」とは言ってなかったもんなぁ。

(なんか心の中で妄想した夢の国みたいな日本暮らしてるらしい)

日本はとても愉快で楽しい国だけど、底辺に生まれた人間には生きづらすぎる国なんだ。

それなら私も「日本好きな外国人」に生まれたかったな。

Japanというワンダーランドに憧れるだけの人生で居たかったわ。

2014-05-13

保守思想攘夷論と対決できるのは尊王論のみ

江戸時代から明治時代へのような大きな転換では、革新派皇室尊重することで時代は進んだ。

皇室の名を出すことはそれほど大きな力となるので、極度に警戒されることではあるが。

革新派の持つ歴史観では、二次大戦太平洋戦争中は、一部の強硬派実質的政治を占拠したとされるので、皇室にその責任はないとされる。

革新派が考えなければならないのは、どうやってそのような占拠が起こりにくい仕組みを作るかである

保守派攘夷派は一見伝統皇室を重んじるようで、重視しているのは実は自分たちの利益だ。

まり利益正当化する道具として伝統の名を持ち出しているので、彼らにとって伝統尊重は実際の利益にならない。

攘夷論もまた、自らの強化のために異質的要素を取り込むという、漸進性にもとづくある種の革新性がある。

したがって彼等の「建前」を暴いて革新派が主導権を握り、また国を前に進めるという大義を統一するためにも尊王論必要だ。

2014-05-11

放射脳と戦うモラル戦士キモい(笑)

自分在日シナ、エセ障害者部落が大嫌いで、ネットでもその趣向を全面に出してブサヨをおちょくって遊んでるけど、

ことピカの話になると普段TLにいる連中がことごとくモラル戦士になりやがる。

おいお前普段からようじょを犯すのは日本人伝統権利とか言って楽しんでるのにいちいちピカ差別につっかかるのはなんでなんだよ(笑)

在特会みたいに民衆のホンネを好きなようにぶちまける団体に俺は救われてきたしストレス解消にもなった。

なのになんでピカクソ土人を差別することだけにはどいつもこいつも風紀委員みたいになるのかね?

俺はフクシマ食べ物なんて絶対に口にしないよ(笑) それもまた日本人に認められた自由だからねw

もちろんTLでは俺も空気を読んで放射脳はぶっころせ!とか叫んでるんだけどね・・

反論してみろよ低学歴ども(笑)

2014-05-10

http://anond.hatelabo.jp/20140510003704

ブクマで書き切れないのでちょろっと書く。眠くなったら途中ででも問答無用で寝る予定。

>険悪な関係を広げる中国ではあるけれど、かつては「中華」にふさわしく、東アジアのみならず、東南アジア西アジア方面制度文化を発信していた。

これは文化に優劣があるという誤解。実際には文化的に優れていたから広まったのではなく、単に国力で卓越していたから、その文化にも「力」があったように見えた、ということ。

その上で冊封体制に参加すれば強烈なボーナス付きの貿易で莫大な経済的メリットまで約束されていた、という時期があった。

もちろん、中華帝国側にしたら、遙か彼方の蛮人たちまで皇帝威徳を慕ってやってくるんだ、とドヤ顔で言うために出費を負担していた、ということでもある。

実際には日本の諸制度聖徳太子ぐらいのタイミングで既に何か中国とは違う物になっているし、さくっと遣唐使を廃止してしまえたことから分かるように、中国からの影響は小さい。

遠すぎて経済的メリットが薄かったのと、なんだかんだで日本が案外豊かだった、というのが大きい。

伝統の「漢の文化」は、いかなる異民族に侵入されようとも、異民族文化を「漢化」した。

これも誤解。実際には三皇五帝伝説の中身からして、すでに異民族文化が混ざってきている。以後の中国史を見てても、外国から持ち込まれた要素と引き継がれている要素が常に混合し続け、常時アップデートされ続けている。

どっかで

中華文明が連綿と続いているというのも、異民族文化の影響を受けすぎて原型など残っていないと言っても、どちらも正解でしょう」

と書いた通り。

ただ、現代中国人孔子とかの時代漢文を読めない(補助記号足したら日本高校生でも何とか読めるようになるものが読めないってどういうことだってばよって感じだが)。その意味では一貫した中華文化が続いているというのは嘘ではある。

外来王朝漢化したように見える現象は、単に中国大陸主要部を支配するためのツールとして漢字儒教科挙制度が便利だったというのが大きい。文化的な魅力が大きいからそれによって「改宗」していたと思うと足元を掬われる。

まり

>優れた制度を持ち、華やかな文化を持ち、数千年に渡り威光を放っていた大陸国家は確かに存在していた。

というのは実は誤解に基づく幻想。問題はその幻想を大変多くの人たちが信じていた/いること。


共産主義の下、さまざまな伝統破壊され、今では巨大なマーケットか、トラブルメーカーとしてしか認識されていない。

文化大革命の時期とかは何かを破壊するのが流行ったことはあったけど、現在共産党政権(と先代の国民党政権)が歴代王朝と何が違うかと言われると回答に窮する。

あえて言えば科挙がないことと、皇帝位の継承血統でなく有徳者の禅譲によっていることぐらい。

共産主義に何か意味があるように誤解しているが、実際には何の意味もない。あえて言えば五斗米道とか白蓮教のような、たまに中国史に影響を与える宗教の一種、程度に過ぎない。

律令制度や、孫子兵法近代まで日本制度を構築し、

日本版律令制自体最初から中国のとは結構違うし、律令国家は早めに見れば平安時代、どう遅く見ても武家政権によって無効化されている。

孫子読んだら分かるけど、軍制の本じゃないので、影響がどの程度あったと言われると「あんまりない」としか言えない。

要するに中国文化が優れていた、制度が優れていた、周辺の大きな影響を与えていた、というのは誤解の要素が大きい。

地続きでもっとも影響を受けていたはずの朝鮮半島ですら15世紀にはハングル作ってるわけで、推して知るべしである

>昔は輸送手段が乏しく、中国のあるところにいた人を実際に見る事ができなかったからこそ、書物で伝えられる聖人君主が素晴らしく彩られていたのかもしれない。

がすべて、ということ。

この後の清の歴史解釈もいろいろ難がある。

日本が清にトドメ差したわけでもない。日本の行動はそれこそ劉邦を包囲して屈辱的な和平条約を強いた匈奴と大差なく、何かが変わるという類の物でもない。

列強による清の分割は既定路線で、日清戦争が与えた影響は、単にプレイヤーの一人として日本が名乗りを上げたという程度。

その後の義和団の乱によって、列強中国大陸を直接支配するのは効率が悪いと悟り利権だけを確保しつつ清は存続させる、という方針に切り替えている。

ロシアだけはやや違うことを考えていたが、日露戦争の結果としてそれもなくなった。

それ以後の中国史の不味い部分は、大体は中国側特に蒋介石無能日本外交下手によって引き起こされている。

>この国がやるべき事は、張り子の虎の様な振る舞いではなく、栄光ある後継国として腰を据えて国家を「再興」させていくことではないのだろうか。

これが一番大きな誤解。

歴代王朝普通は常時勢力の拡大を指向していた。つまり今の動きの方が普通。「対等な外交関係」の存在理解できないという致命的な欠陥を歴代王朝は持っていたが、それと同程度の話。

官の腐敗を止められないのも、村落共同体が武装していて警察力がその中に及ばないのも、私的所有権政府によってたびたび脅かされるのも、すべて歴代王朝にも見られる特徴で、何一つ変わってない。

あえて言えば鄧小平が生きている時代泰山に登って封禅ぐらいはやっとくべきだったかもしれない。

まり中国政府が今本当にやるべきこととは(過去の栄光などまったく関係なく)、歴史上一度も成功したことのない難事に挑むということである

険悪な関係を広げる中国ではあるけれど、かつては「中華」にふさわしく、東アジアのみならず、東南アジア西アジア方面制度文化を発信していた。

特に、「漢」は、同時代にある「ローマ帝国」と同じように、東ユーラシア大陸システムの基礎を作ったと言っても過言ではないだろう。

ローマ帝国」が地中海地域ヨーロッパの基礎を作ったように。

伝統の「漢の文化」は、いかなる異民族に侵入されようとも、異民族文化を「漢化」した。

優れた制度を持ち、華やかな文化を持ち、数千年に渡り威光を放っていた大陸国家は確かに存在していた。

からこそ、中華人民共和国の振る舞いはすこぶる悲しい。

共産主義の下、さまざまな伝統破壊され、今では巨大なマーケットか、トラブルメーカーとしてしか認識されていない。

(それでもなお凄みを見せるのは、共産主義でさえ、中国化(あるいは「漢化」)していることだ)

かつての存在感を取り戻すための示威行為なのか、たんなる資源獲得なのかはわからないが、まるで遅れてやってきた帝国主義の国のようだ。

列強帝国主義時代こそ、中国清国)は東ユーラシア盟主として立ち上がらなければならなかったのにも関わらず。

たぶん、日本にとって中国、というか海の向こう側にある大陸先進国はあこがれであったと思う。

孔子儒教北側経由で回ってきた「道教」の影響を受けた仏教は、日本人生き方に影響を与え、

律令制度や、孫子兵法近代まで日本制度を構築し、

茶、歌などはその後、独自の文化的発展を築く礎となった。

からこそ、大陸の後継国の中国に対して、日本人だけでなく、多くの東ユーラシアの国々の人は複雑な感情を抱いているのではないか。

確かに、昔は輸送手段が乏しく、中国のあるところにいた人を実際に見る事ができなかったからこそ、書物で伝えられる聖人君主が素晴らしく彩られていたのかもしれない。

アヘン戦争では、あの清国が敗れたと日本で大騒ぎになり、国家としての改革が急務となった。

当時の日本の中に、清国連携し、ヨーロッパ対峙しようとした人々がいると聞いた事があるが、

それはなされず、脱亜論代表されるように、日本は東ユーラシアから抜け出していく。

そして、大日本帝国清国にとどめをさした。

この時、それまであった不文律の東ユーラシアルールが変わった。

かつての超大国は列強に食い尽くされ、その輝きを失った。

アヘン戦争列強の支配、そして日本軍事侵攻中国の大きな傷になった。

近年の経済発展と共に「中華」を認識し始めたこの国は、東ユーラシア覇権を再度、力によって取り戻そうとしている。

「力」による支配はすでに時代遅れのものになっているが、大きな傷を癒すように、暴力的な行動が後を絶たない。

また、過去最大の領土を誇る事が、共産党の大きな統治理由になっているようであるが、その中で、各民族独立の機運が高まっている。

今まで中国投資をしてきた最大の貿易である日本は、足場を大陸から南に移し始めており、経済成長も徐々に陰りが見えてきた。

強烈な貧富の差の拡大は、歴代の大陸の王制の崩壊要因にもなっている。

この国がやるべき事は、張り子の虎の様な振る舞いではなく、栄光ある後継国として腰を据えて国家を「再興」させていくことではないのだろうか。

駄文長文失礼

2014-04-29

人食い熊殺すのが可哀想なんなら直接熊保護して来いよ

熊のゆるキャラマスコット化のせいでヒグマ認知度が予想の斜め上を行くようになった。

よもや大正時代最大の獣害事件を知らないとはと思うと時代を感じてならない。

三毛別村の惨劇をここ何年かに一度くらいに特集するようになって漸く誰かしらにヒグマの恐怖が伝わってきたと思う。

それでもゆるキャラマスコット化のせいで動物愛護に動く個人や団体も目に見えて多くなった。

人を襲うような熊はこれ以上被害が拡大しないためにも殺処分するのがわが国における慣わしなのだ

にも拘らず保護要請するのは些か過剰反応ではないか。

イルカクジラだってそうだ。

これらは人間が思っている以上に獰猛で年間の魚類補食量も馬鹿にならない。

ましてや捕鯨反対を謳っている連中や国は過去に商用捕鯨生業としたり鯨油を取るためだけに乱獲してきたのだ。

時代は変わった、だから日本はこの伝統的慣習を破棄しろと干渉してくるのである

本当に人間は身勝手な生き物だ。

何故殺処分されるかもう少し勉強して貰いたいものである

公教育における部活教育について

公立高校教育。教科は主要教科。

他の教員を悪く言うのはどうかとは思いますが、正直に言って今の職場辟易しています

部活指導をするために教員になったと言い放ち、授業や進路指導学校行事などの「本務」よりも部活動優先の教員大勢ます

例を挙げれば、進路部なのに放課後は常に部活で生徒が進路指導できない教員部活で職員会議に出席しない教員など、当たり前のように存在します。

私は、平日放課後部活以外の生徒指導に充てたく、平日はほとんど部活に顔を出していません。

分掌(教員の授業以外の業務分担)や教科次第では、週の半分は生徒が相談質問に来るからで、「そういった生徒のため」を考えれば、当然のことだと思っています教員本業部活指導ではないのですから部活メインの教員は考えが違うようで、放課後部活に行くから休み時間に来いという考えのようですが。もっとも、私も生徒が来ない放課後は職員室で業務をしています

そして、部活は土日祝日関係なく、年末年始休み以外全て活動し、年間10日程度しか休みがない部の主顧問をしています。他生徒の対応をしない土日祝日顧問として部活に顔を出すので、私自身も、年間で休みは10日程度しかありません。

私自身、できれば顧問を外れたいのですが、他の教員も活動日や内容の重さに、皆敬遠しているため、私が引き受けなければ活動が縮小する現状です。

伝統的に強豪校で、毎年この部活に入部するために入学してくる生徒がかなりの数いるため、部活の規模を縮小させるのも憚られて、やむを得ず引き受けています

私が最も憤りを感じるのは、部活指導をするために教員になったとか、部活に命をかけていると言って本業を疎かにしている教員たちが、○○部はちょっと、などと言って顧問敬遠している所です。

とどのつまり、彼らは自分の好きな競技を、自分のあまり負担にならない範囲で指導したいわけです。

そういった人たちが「趣味」によって「本業」を疎かにし、それがまかり通っている事態は異常だと思います。好きな競技を負担にならない範囲で指導したいならば、プライベート時間を使ってボランティアコーチなりをすればいいのです。部活仕事だと言って、勤務時間内に他の仕事を後回ししてやるならば、好き嫌いせず引き受けるべきでしょう。

現任校での年数も長くなってきたので異動も考えていますが後任の目処も立たない状況で、管理職からも残るよう打診され続けています

おそらく、私が異動した後は、私がそうだったように、「名前だけ顧問に入って」などと新任の教員押し付けられるのでしょう。

現任校ほど極端ではありませんが、今まで赴任した学校の全てでこのような問題がありました。

そして他校の教員に聞いても、部活に力を入れている学校はどこも似たり寄ったりのようです。

中には、部活に力を入れた教員が強豪校にし、その後任の教員部活をせざるを得ないという状況もあるようです。

最近部活指導のない予備校講師への転職を考えています

ですが、私は「受験指導」のみがしたいのではなく「教育」がしたくて教員になったのです。

部活好きな教員がはびこるなか、このような歪みはいつまで続くのでしょうか。

2014-04-28

アナと雪の女王』、"Let it go"に見る日米の女性役割の違い

端的に言うと、日本女性は家庭内で奴隷労働するべきだと、自分達で思い込んでおり、

米国女性はふざけんな、私達は自分の力で生きていくのだ、と戦う姿勢を見せている様子がよく分かる。

それは、挿入歌である"Let it go"の原文と和訳の違いに如実に現れている。

まず、私は和訳版を先に見て、言い知れぬ違和感を感じた。

なんでコイツは、そんな

女々しく

ひ弱で

意志薄弱言葉

自信満々で挑戦的な表情

で歌ってんだ?と。

ぶっちゃけキモかった。

思春期の子供が自分がここにいていい理由を見つけて、おめでとうと言われてるみたいな感じ。

ははん、さては翻訳の段階で何かあったなと思って原文をチェックすると、案の定。

原文の方は、徹底的に環境に虐げられ、自分を殺して公務についていたが、

うそんなの知るか!私は私なんだ!それを認めさせてやる!立ちふさがる敵は叩き潰してやる!

くらいの好戦的で挑戦的な言葉が並んでいた。

特に

Let the storm rage on

The cold never bothered me anyway

風よ吹け 少しも寒くないわ

って、翻訳ふんわりしすぎだろ。

ここは、

争いよ吹き荒れろ 望むところだ蹴散らしてやる

ぐらいの感覚で言っている。

その証拠に、この言葉を言うのと同時にまとっていたマント過去のしがらみ)を、

まるでゴミでも捨てるかのような目で見て脱ぎ捨てている。

他にも、

Here I stand and here I'll stay

私がここに居るって言ったら 誰にも動かせないのよ

翻訳されてなかったりする。

これらの翻訳上の細かい違いはさておくとしても、

全体の印象として、原文が"自分環境"という"敵"に対して、大胆不敵にも宣戦布告しているという歌なのに、

和文は問題を内包しているのは自分自身で、自分の気の持ちようを変えるだけで周囲はそれを暖かく迎え入れてくれるかのような印象を抱かせる。

徹底的に"敵"の存在排除されているのだ。

確かに、日本女性が、自分権利のために敵と戦う、などと力強く歌いあげたら誰も共感しないであろう。

男性は疎ましく思い、女性億劫に思う。

女性の権利女性が戦わなくても男性が守って当然のものだ。

そして女性男性に与えられる範囲の自由と権利で満足して、それ以上求めることはない。

これが今現在日本普通に受け入れられている文化であり伝統である

その文化的背景にあわせて、原文の好戦的歌詞が書き換えられたのだろうことは、容易に想像がつく。

一方米国では女性自分で戦って、自分立場を守るために誰かを殺す覚悟を持って、自由を勝ち取っている。

返り血に手を真っ赤にしながら、それでも自分自身の独立のために戦うのをよしとするのだ。

まあ、仕事パートナーとしては、いい心がけかもしれない。

アメリカ人の女は、世界で最悪の妻になるというジョークがあるのも頷ける。

このように、ディズニー映画という子供達へのメッセージ性の強いメディアにおいて、

どのようなメッセージが刷り込まれていくのか、日米に違いがあるのは非常に興味深いことである

個人的にはアメリカに生まれなくてよかったなぁと、しみじみ思うものである

日本女子児童には、自分に与えられた環境に疑問を持つような事はせず、

言われるがままに環境適応する術を身につけて欲しいし、それが幸せになる近道なのだ

2014-04-27

残業万歳

コーヒーCMを見て思ったこと。

日本人の中では、遅くまで残って仕事をすることをある種の美徳とするような、

もっと俗っぽく言うと、かっこいいと感じる感性が育っているのだ。

伝統的にそういう土壌のなかで育まれていると言ってもいいのかもしれない。

こっそり努力して、あるいは/及び、身を犠牲にして、全体のために奉仕する俺マジ鬼パネェ的な。

でなければあのCMは生まれない。

誤解を恐れず大胆に言えば、あれは日本人しか作れないし、欧米の人が見たら意図が伝わらないと思う。

追記:

そうか?アメドラとか映画見ると、何かに没頭して徹夜するシーンって多々出てくるぞ。その時に「徹夜なんて馬鹿じゃないかw」みたいなシーンなんて無い。むしろ「ヒャッホーイ!やっと出来たぜ!!!」みたいな浮かれて喜ぶシーンだ。

このヒャッホーイの類とは種類が違うと思うのだけど、多分、

いい加減、自虐的な考えして「日本人は可哀想」を演じるのはよせよ

これを言いたいがための導入なのでそんなことはどうでもいいのだろう。

自虐もなにも、そんなこと思ってもないし、触れてもいないのに。

2014-04-24

イメージ力を鍛える6つの方法

本題に入る前に少しシリアスな話題があるので聞いてほしい。

男女にイメージについて聞くと面白い。男はほぼ例外なく目を閉じても真っ暗と答え、女は半数がありありとイメージできると答える。これはなぜか?

一方男性率の高い理数系の学部ではイメージを軽視する伝統的風潮が根深い。これはプラトンから来てるのだがな。本質直観すべきでありイメージなど些末も些末、ゴミクズ同然という考え。対する女性率の高い芸術系学校ではイメージ尊重する。『脳の右側で描け』に始まるイメ描きの連綿たる伝統があり、ナンシー関記憶スケッチアカデミーは今や市民権を獲得した。

ここに来て先ほどの問いの答えが見えてくる。性差よりも習慣の問題なのだこれは。そして男である諸君は驚くほどイメージを軽視している。だから真っ暗なのに輪をかけて真っ暗。糅てて加えて真っ暗なのだ

そこで世の中の男性に活、いや喝を入れようというのが本記事であるシリアスでもなんでもないくだらない前置きは終わりにしてちゃっちゃと本題に入ろう。

1ブラインド詰将棋

煮ても焼いてもまずこれをやりなさいというのがこれ。詰将棋マニアの巷間では「ブラ詰」とも呼ばれる。早い話が目隠し詰将棋である脳内詰将棋という蔑称、いや別称もある。

こまけーこたーいいとして大切なことだけ言うと、これには2つのスタイルがあって1つがアイマスクをして符号の読み上げを聞くものでこちらが本格的なやり方。(そもそも符号ってなんだよってレベルの人はggるなりしてください)

もう1つが手軽な方法詰将棋の盤面または印刷された紙を見て5秒で初形と持ち駒を覚えて目を閉じて脳内で解く方法であるほとんどの人はこっちでやったほうが身のため世のため人のため。最初詰将棋入門書をテキトーに購入して1手詰めや3手詰めから始めるとよろしい。

2暗算(四則計算とは言ってない)

先ほど理数系のイメージ軽視に賽を投げかけたが分かってる人は分かってる。暗算が得意なタイプがそれだ。私は一流大学数学科を出て現在底辺大学数学科にいるのでよく分かるが数学畑では手を動かすことをモットーとする物理畑とは正反対計算が軽視される。しかし一流の世界ともなると話は別でノイマンのような暗算の達人が割といる。数学天才には二種類いてラマヌジャンのような数覚がずば抜けたタイプは案外少数派なんだ。数論は数学女王岡潔晩年は『情緒創造』を著している。

底辺大学だと数学論理学問といったことを平気で言う先生もいる。論理は当たり前の大前提であり無味乾燥なつまらないものだ。そう世間計算がつまらないと思われてるのと同じくらいに。実際、数学ではなくコンピュータサイエンス計算理論を学べば分かるし学ばなくてもある程度想像がつくだろうが論理とは計算であってそれ以外の何者でもない。計算論理もつまらないそのことには全く同意するが無価値というわけでもない。忘れもしない卒業の日同級生になぜ暗算をするのかと訊かれて私は暗算で扱う数学対象に親しむためと即答し彼または彼女もっと早く教えてよと地団駄を踏んでいた。

数学素養がない人たちへ。最初アイマスクを着用せずJSJC(俗に言う小中学生)が学んでいる幾何パズル問題(『目で解く幾何シリーズなど)をやり次第に他分野や高校数学大学数学科数学工業系の応用数学に守備を広げる。意識高い系より意識広い系で頼む。

3カメ

数学科には将棋ならまだしも美術に造詣が深い先生結構多いがそれに比べて写真芸術に関心のある人は拍子抜けするほど少ないと思う。つまり数学的美と将棋の美はクロスオーバーするが数学的美と写真芸術の美はオーバーラップしないということだということだ。つまり詰将棋暗算の不足分を補うのにカメラはやはり大事なんだよなあ。

芸術論において言い古された表現だが音楽は音の瞬間の芸術であり写真は光の瞬間の芸術である。だからシャッターチャンスやチラリズムという言葉が端的に表しているのは瞬間性。写真家は人物や風景をとるとき手でフレームを作る。このあたり詳しく書かれた文献が少ないがこの切り取り方には必ず意味がある。単になんとなくバランスがいいからそう切り取るのではない。シャッターチャンスという言葉から誤解されがちだが確かに瞬間のおもしろさを切り取るのが写真芸術であるが決しておもしろい瞬間を切り取るのではない。この違いが大切でおもしろものはわざわざ写真にしなくてもおもしろいのであって思い出アルバム程度の価値しかなく芸術たりえない。つまりおしろき こともなき世を おもしろく すみなしものは 心なりけりで、おもしろさを能動的に発見しそのおもしろさを表現するには今この瞬間しかないしかもこうフレームを切り取るしかないと断言できるのである。そんな見方を学べるのはカメラくらいしかない。数学では学べないし絵画もにているようで全く違う。写実的絵画であれそこで必要とされるのはある種の演出でありもっと乱暴に言えば捏造であるから、あるがままの良さをうまく切り取って見せる写真的な見方とは根本が違う。

そんな見方を身につけて日常の「あれ」「おや」「あら」「おっ」と思う点が増えるとそれが理解記憶のフックになる。理解というのは必ず興味から始まるだろう?しかし興味は洪水のように訪れて過ぎ去っていく。つまりアイデアマンはメモして興味を書き留める。だからメモする時間と労力すら惜しいのでだから「これならここが気になる」とフックをつけて興味をブックマークしておくことで未来理解記憶きっかけになる。そういう面白い体験をしているんだよカメラマンという種族は。

結語

以上簡単に見てきたがどれ1つとっても始めたその日から人生を揺るがす劇的な効果があるので試してみてほしい。また6つの方法は相補的な働きをするようチョイスされており、1つでも欠かすのはもったいないので6つ全部試してもらえるともっとうれしい。

2014-04-23

http://anond.hatelabo.jp/20140423095810

はい先生勉強してきました

ところで論証はどこに書いてありましたでしょうか?

ここでいう論理とは、思考の形式及び法則である。これに加えて、思考のつながり、推理の仕方や論証のつながりを指す。よく言われる「論理的に話す、書く」という言葉は、つながりを明確にし、論証を過不足なく行うということである

論理学は、伝統的には哲学の一分野である数学演算の導入により、数理論理学記号論理学)という分野ができた。現在では、数理論理学数学論理学のどちらであるとも(時にどちらでないとも)される。現在論理学は、(それを論理学であるとするなら)数理論理学と、数理論理学をふまえた論理学、数理論理学でない論理学分化している。

弁証法なども、「論理」なのであるが、論理学における論理とは異なる。これらは、論理というよりむしろ理論 (Theory)である

なお、日本語の「論理学」という語は西周によるものとされている[1]。

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