はてなキーワード: 五斗米道とは
ブクマで書き切れないのでちょろっと書く。眠くなったら途中ででも問答無用で寝る予定。
>険悪な関係を広げる中国ではあるけれど、かつては「中華」にふさわしく、東アジアのみならず、東南アジア、西アジア方面へ制度や文化を発信していた。
これは文化に優劣があるという誤解。実際には文化的に優れていたから広まったのではなく、単に国力で卓越していたから、その文化にも「力」があったように見えた、ということ。
その上で冊封体制に参加すれば強烈なボーナス付きの貿易で莫大な経済的メリットまで約束されていた、という時期があった。
もちろん、中華帝国側にしたら、遙か彼方の蛮人たちまで皇帝の威徳を慕ってやってくるんだ、とドヤ顔で言うために出費を負担していた、ということでもある。
実際には日本の諸制度は聖徳太子ぐらいのタイミングで既に何か中国とは違う物になっているし、さくっと遣唐使を廃止してしまえたことから分かるように、中国からの影響は小さい。
遠すぎて経済的なメリットが薄かったのと、なんだかんだで日本が案外豊かだった、というのが大きい。
>伝統の「漢の文化」は、いかなる異民族に侵入されようとも、異民族の文化を「漢化」した。
これも誤解。実際には三皇五帝の伝説の中身からして、すでに異民族の文化が混ざってきている。以後の中国史を見てても、外国から持ち込まれた要素と引き継がれている要素が常に混合し続け、常時アップデートされ続けている。
どっかで
「中華文明が連綿と続いているというのも、異民族文化の影響を受けすぎて原型など残っていないと言っても、どちらも正解でしょう」
と書いた通り。
ただ、現代中国人は孔子とかの時代の漢文を読めない(補助記号足したら日本の高校生でも何とか読めるようになるものが読めないってどういうことだってばよって感じだが)。その意味では一貫した中華文化が続いているというのは嘘ではある。
外来王朝が漢化したように見える現象は、単に中国大陸主要部を支配するためのツールとして漢字や儒教や科挙制度が便利だったというのが大きい。文化的な魅力が大きいからそれによって「改宗」していたと思うと足元を掬われる。
つまり、
>優れた制度を持ち、華やかな文化を持ち、数千年に渡り威光を放っていた大陸の国家は確かに存在していた。
というのは実は誤解に基づく幻想。問題はその幻想を大変多くの人たちが信じていた/いること。
>共産主義の下、さまざまな伝統が破壊され、今では巨大なマーケットか、トラブルメーカーとしてしか認識されていない。
文化大革命の時期とかは何かを破壊するのが流行ったことはあったけど、現在の共産党政権(と先代の国民党政権)が歴代王朝と何が違うかと言われると回答に窮する。
あえて言えば科挙がないことと、皇帝位の継承が血統でなく有徳者の禅譲によっていることぐらい。
共産主義に何か意味があるように誤解しているが、実際には何の意味もない。あえて言えば五斗米道とか白蓮教のような、たまに中国史に影響を与える宗教の一種、程度に過ぎない。
日本版の律令制度自体が最初から中国のとは結構違うし、律令国家は早めに見れば平安時代、どう遅く見ても武家政権によって無効化されている。
孫子読んだら分かるけど、軍制の本じゃないので、影響がどの程度あったと言われると「あんまりない」としか言えない。
要するに中国の文化が優れていた、制度が優れていた、周辺の大きな影響を与えていた、というのは誤解の要素が大きい。
地続きでもっとも影響を受けていたはずの朝鮮半島ですら15世紀にはハングル作ってるわけで、推して知るべしである。
>昔は輸送手段が乏しく、中国のあるところにいた人を実際に見る事ができなかったからこそ、書物で伝えられる聖人や君主が素晴らしく彩られていたのかもしれない。
がすべて、ということ。
日本が清にトドメを差したわけでもない。日本の行動はそれこそ劉邦を包囲して屈辱的な和平条約を強いた匈奴と大差なく、何かが変わるという類の物でもない。
列強による清の分割は既定路線で、日清戦争が与えた影響は、単にプレイヤーの一人として日本が名乗りを上げたという程度。
その後の義和団の乱によって、列強は中国大陸を直接支配するのは効率が悪いと悟り、利権だけを確保しつつ清は存続させる、という方針に切り替えている。
ロシアだけはやや違うことを考えていたが、日露戦争の結果としてそれもなくなった。
それ以後の中国史の不味い部分は、大体は中国側、特に蒋介石の無能と日本の外交下手によって引き起こされている。
>この国がやるべき事は、張り子の虎の様な振る舞いではなく、栄光ある後継国として腰を据えて国家を「再興」させていくことではないのだろうか。
これが一番大きな誤解。
歴代王朝は普通は常時勢力の拡大を指向していた。つまり今の動きの方が普通。「対等な外交関係」の存在を理解できないという致命的な欠陥を歴代王朝は持っていたが、それと同程度の話。
官の腐敗を止められないのも、村落共同体が武装していて警察力がその中に及ばないのも、私的所有権が政府によってたびたび脅かされるのも、すべて歴代王朝にも見られる特徴で、何一つ変わってない。
あえて言えば鄧小平が生きている時代に泰山に登って封禅ぐらいはやっとくべきだったかもしれない。
つまり中国政府が今本当にやるべきこととは(過去の栄光などまったく関係なく)、歴史上一度も成功したことのない難事に挑むということである。