はてなキーワード: ナイーブとは
これ「https://note.mu/amakara_no_tare/n/na4eb53fb6768」を受けて書きたいと思ったこと記事。
自分は今回に関してはテレビ局に慎重に取り扱ってほしい旨をメールで送った、ドラマ実写化に関してのみ規制賛成派。
該当作品はツイッター投稿をリアルタイムで見てて、その後ピクシブのぶんだけ読んだ。
ここまで前提。
■幸色のワンルームは少女にとって魅力的なのは「性」の扱い方にもあるんじゃないか
■クロスメディア展開がへたくそなのと制作側が色々甘く見てそうで怖い
■実写ドラマ反対したい理由は色々だけど、私個人に関しては”自分のため”だったと思う
の3本です。長い。一番最後に3行でまとめたから忙しい人はそれ読んでくれたら嬉しい。
幸色のワンルームは単なる誘拐の話ではなく、ただの男女の逃避行でもなく、
・理不尽にただ蹲って耐えるしかなかった少女が守るべきもの(=居たいと思える居場所、人)をはじめて得て戦うことで少女から大人へと羽化する話であり、
・リアルの男女の性に絶望した読者に対して「男と女ではなく、大人と子供でもなく、ひとりとひとりの人間として関係性を結ぶ」という夢を与える物語。
と捉えることができる。できるんですよ。傍から見たら犯罪だけど。
(問題は誘拐ストーカー設定なくてもこれを描けたことだけど、その設定のおかげで(いろんな意味で)バズってるから うん…)
「男とか女とか性とか支配被支配とかラベルだけの話ではなく、ぜんぶひっくるめて、私という人間とあなたという人間の話であり、救いの話」というふうに見たとき、
正直、読み口としては2000年代の商業BLやブロマンスに近いなと私は思った。
実際幸色のワンルームの幸とお兄さんの関係は決して恋愛感情だけにはとどまらないという風に描かれています。
加害者と被害者であり、無自覚的な搾取する側とされる側であり、姫と従僕であり、ナウシカと王蟲の幼生であり、友情であり、慈愛や同情であり、恋愛感情もうっすらあり、依存であり、共闘関係であり、勘違いであり、共犯者であり、そして全てを肯定し合う関係である。
だから人気が出た。
恋も愛もべたべたラベルが付いてひと山いくらで売られていることを、十代の少女たちはとっくに気づいている。そんなふうに安っぽくない、けれど十代少女たちに門戸を開いているフィクション作品をもとめている。それがどれだけ過去の文学や映画や漫画でありふれてやりつくされてきたものだとしても、「いま」「ここ」で「私たちに対して」向けられている作品に惹かれて何がおかしいのだ。
またこれは重大なポイントだが、お兄さんは性のにおいがしない。
デフォルメされた世界で成人男性の記号をほとんど持たない、いってしまえば無性の存在。メンタル的にもそう。
その上、精神年齢は少女とほぼ変わらないため、罪の意識を持った姿は読者にはどこか可哀想にうつる。過去の傷があるらしく年下の幸が守らねばと思うほどいたいけでたよりない。幸に都合の悪いこともしない。
けど、男。
「そんなやついねえよ」だ。だからこれはファンタジーだし理想たりえる。リアルと切り離せる免罪符でもある。
ひと山いくらのラノベに出てくる都合のよいヒロインから性の匂いをひっぺがしたようなものだ。少女にとって男の性は不要なもの、というか幼いころから自分を脅かしてきたものでしかないから、無い方がいい。幸の安心できる居住空間を提供する為にも。
だから、ストーカー、誘拐犯の男、というショッキングでスキャンダラスな設定はあるものの、それは今やおにいさんと幸が法を犯したことをしても問題ないというハードル下げのための設定になり下がっており、基本「ある日突然(可愛くて自分が居ないと生きていけない(A))女の子が空から降ってきた」と同義なのだ。ぺらっぺらだが、それこそが求められている。「怖くないから」だ。
(A)には「やんごとない身分の」「血のつながらない妹/姉である」とか、あと「大量殺戮生体兵器の」とか「妖怪の」とか「暗殺者の」とか「殺人鬼の」とか「サイコパスの」とか入ったりする。よくあるやろ。そういうのを①男女逆にして②リアル現代の③クライムフィクションにチューニングすると
ついこないだあった事件にそっくりで笑えなくなる、みたいなの超あるあるなんすわ…
とはいえフィクションだし少女漫画だし、問題ねーじゃんと思うだろ?私も思う。お兄さんは捕まるか虐待親に突撃して共倒れして死んで美しい思い出になって欲しいけど(どうせやるなら徹底的に幸に都合よく退場して欲しい)。
ツイッターへの最初の投稿とか現実の事件に対してタイミングが最悪すぎる件に関してわざとかどうかはもう「関係ありません」で貫き通すだろうし実際分かんねえからいいわ…。マジでインスピレーションさえ受けてないとしてももう運が悪かったと思ってほしい。というか当時あれだけのトップニュースすらチェックしてなかったなら作者はうかつだし、チェックしてても特に何も考えず出したならそれはそれで大変アレなのでそれは怒られても仕方ないんじゃねーかと思う。
特に問題に思うのは、クロスメディアするとしたら慎重にやるべき題材だったということだ。
「先生!」「PとJK」の実写化の時も同じこと思ったけど(あれも「少女漫画なら素敵だがリアルに考えるとわりとやばい」案件)今回は格が違う。なんせ誘拐犯でストーカーだ。どれだけ気を使っても使いすぎるということは無いだろうに…と思う。
後ろめたさも、退廃的なことも、この作品の魅力と分かちがたく結びついている。伝え方を一つ間違えたら倫理観を疑われる作品なのは変わらないのだ。
このへんは制作側の、なかでもプロモーションの腕が必要な作品だろうなと思う。
たとえば、この作品がギリギリまで性のにおいを消臭できているのは、絵柄の影響が大きい。デフォルメが強く、リアルさは無いティーン向けの絵。虐めのシーンにも性的なものは見受けられず変態教師とのバトルでさえ匂わせる程度だ。
性も犯罪も、それが主題ではないのだと、なによりも絵が主張している。
また、この作品は家族で見てやいやい言いながら見るより、一人で集中して見たいものじゃないだろうか?ターゲットは現在テレビを良く見る層と被っているか?いないんじゃないか?ティーンの原作ファンがこの作品を見て語り合うなら、家族よりも、同性で趣味の合う友達とではないか?
だから、メディア展開を思い切り間違えてる気がしてならないのだ。
テレビでやるならアニメ作品にすべきだったと思う。その人気に火を付けた一端でもあるキャッチーな絵柄を生かし、フィクションであることを最大限利用すればよかった。あくまでこれは夢物語で、リアルとは違うのだとアピールすればよかった。それでも非難は受けただろうが実写化よりはましだったはずだ。「誤解されやすいけど本来こういう話ですよ」と12話でも24話でもかけてやればよかった。
実写化したいなら、この退廃的な作品は映画の方が合うだろうと思った。それに映画館でしか見れない、というフィルタリングは大きい。実写化することでどうしても露悪的に、生々しい匂いになる画面をテレビから無作為にまき散らすのではなく、納得して料金を払い席に着いた観客にだけ誠心誠意向き合う形をとれば良かった。観客を巻き込んで二人の世界に浸れる場所を作ればよかった。
広告展開で規制派の火に油を注ぐ可能性は大いにあっただろうが、中止よりはマシな結果になったんじゃないか。
なんで再現が難しい絵柄を実写で、なんでナイーブかつ視聴者を選ぶであろう題材を全国放送の誰でも見れる割にメインターゲットを逃しまくるであろうテレビで、やろうとしたのだろう。やはりコストの問題だろうか。
いや本が売れたらいいなと思ってたんだろうけど炎上商法やった割にリターンがアレ過ぎない?そうでもない?わからんけど
正直、ドラマ制作側も作者の方も編集部も、「現実にある犯罪を扱った現代劇である」という認識が甘すぎたのではないかと思う。
それも、未成年の被害者がいる事件を、「犯罪としてではなく救済として描く」というひねりを売りにした作品でだ。
「カリオストロの城」でも撮っている感覚だったのかもしれない。モニタの解像度低いわ。
もしくは、とてもリアルだと思ったから実写にしよう!と思ったのかもしれない。
そのリアルさは虚構で夢でしかなく、それでいてとてもありふれた現実だ。
だって、実際の誘拐や幼児への事案はひっきりなしに起こっていて(マジでひっきりなしに起こっている)。
ストーカーや誘拐犯の脳内で、自分は被害者と愛し合っていたという美しい物語が展開されているのは決して珍しくないのだから。
その恐ろしさを無視して、リアルに寄せる実写化をするのは賛成できなかった。
苦言を呈す派に対して作者からのコメントは「実際の事件とは切り離してみてください」これだけだ。たったこの一言で全て免罪されるなら表現の自由とはなんとも気楽で無責任なものではないですか。いや作品内で色々ファンタジー要素盛って免罪符切ってるしあれこれ言及するより作品に集中するのは良い手だと思うけど無責任だとは思うぞ。
だって「世の中いろんな人もいる」と、これが現実でもありえるかもね、とでも捉えられるコメントを付けて世に送り出したのは、他ならぬ作者自身なのだ。
ドラマにしても、女優に「実際にこういうこともあるかもと思う」というコメントを、編集もせず流してしまった。(これで規制派の使命感に火を付けたようなものだと思っている)。制作側止めろよ…
現代のクライムフィクション作品でこのコメントが出るときは「だから怖いなって思いました」くらいのことが続くはずが、「実際あったら素敵」と続いてしまうような。
作品そのものというよりもその周りの倫理観がガバガバなのだ。現実がガバガバ。
そうでなくても今現在、長年沈黙されてきたハリウッドやら世界的に女優の性的搾取の告発が起きてて転換期で、それでも搾取する側の擁護をやめない(「いや、でも女性側も望んでたんじゃないか」みたいなのワイドショーで沢山見ましたね!)、日本のテレビ業界をつい最近私たちは見せつけられているのだ。そもそもの信頼感が地に落ちている時に「地獄の真ん中で搾取されてるけど女の子はハッピーです」みたいな作品作ってもそりゃ倫理観が疑われるだろという話だ。
お兄さんと幸の間にある感情はとても純粋なもののように描かれる。
それは憂いを帯びて美しい。破滅に向かっているからだ。地獄の上にある安息だからだ。あかるい太陽ではなく、暗闇の中の星。
薄汚く、ふたりを虐めるものばかりの世界でここだけは綺麗であるように感じる。実際そうだからなのだろう。未来なんて考えたくもないし過去の事は忘れたい。いまここにある、おにいさんと幸のあいだにある、形容しがたいなにか、それだけが全ての世界でいたい。
この作品のメディア展開が一つ潰れることで、悲しく思うファンもいるだろうなと思う。恨まれるだろうなとも。
つーか私も十代の時に、リアルで起きた殺人事件(娘が父を鎌かなんかで…)をうけて「ひぐらしのなく頃に」のメインキャラが義父を鉈で殺す回の放送が見送られた時「いやリアルとの区別くらいついてますけども~~~~~????」って怒ってたよ。
でも今(アラサーだよ)、もし「新幹線で鉈をふるう殺人事件が起きたけど、犯人は実は悪い人ではなかった」みたいなフィクション作品がテレビで予定されてるとしたら…今の私は、「それは見送った方が良いのではないか」と思う。
大人になるにつれて、想像力は広がりだけではなくリアルさを増していった。経験と知識が増えたからだ。
「これのせいでちいさい子供や、少年少女が酷い目にあうかもしれない」と思うと、耐えられなくなってくる。大人になれば強くなると思っていたのに、陰惨なフィクションも年々見れなくなっている。それは、年を重ねた分現実に起きる陰惨な事件を、それに対する酷い言説を、これまで見過ぎて、現実を見過ぎて、どうしても思い出すから、なんだか嫌になっちゃうからだと思う。大人になるにつれて、後から生まれてくる子たちが傷つかない世界になればいいと、祈るようになってきたからだと思う。
フィクションなのに、現実で被害に遭って泣いていた子や、かつて嫌な思いをしたときの自分を、思い出す。被害者の絞り出す様な言葉や、それに向けられた酷い言葉の数々を、理不尽を、やたらと思い出して、想像してしまって、苦しいときがある。
子供の時はフィクション作品やメディアの力を舐めてたし、大人になればもっと区別がつくようになる、
なんならフィクションを見てリアルを思い出すなんてオタク失格だとすら思っていた。
でもそうじゃなかった。
倫理観スイッチ切って倫理観ゼロの作品を楽しむには、TPOがある程度大事だと知った。自分の家族を亡くした直後に、家族を殺す話を楽しく読めないように。
倫理観ゼロの作品は、倫理観ゼロの現実世界では楽しめないと分かった。楽しめるならそれは娯楽である以上に、麻酔や薬であり、治療なのかもしれないと思った。生きるための救済。
作品の影響力を舐めたらダメだと思った。面倒なオタクである自分は偶像やフィクションに命を救われてなんとか生きてきた。
ならば人の命を奪う作品が無いなどとどうして言えるのか。
だから今回の幸色のワンルームへの規制は、わたしは(あくまで私はな)、
これを見た「大人」がリアルに起きた事件や今までの経験のフラッシュバックに耐えきれなくて「やめろ、せめて少女漫画のカテゴリのなかにいてくれ。そうでないなら無作為にまき散らす前に対策してくれ無作為にまき散らされて何が起こるか分かってんだおれはくわしいんだ(※嫌なことを沢山思い出しながら)」
って言ったんだと思う。
そういう側面は大いにあると思ってる。
「それでも僕はやってない。」が公開された以降から痴漢被害者への二次加害が酷くなったって話聞いてワァーってなった。
そんな変遷を見てきたら「こういう作品が公開されたら、また…」というフラバもそりゃ起きるよと思った。
直前に現実の誘拐事件があり被害者バッシングを見てるんだから余計に「あれが、また…」ってなるよ。(だから本当にタイミングが悪すぎたんだよ…)
というかそれはダメだ。現実がこうだから配慮して作品自体消そうみたいなのは私が一番やりたくないことだった。だからゾーニングとフィルタリング推進派なんだけどさ。
そしてゾーニング・フィルタリングはメディアの差でも実施できると思う。その作品に触れるまでのハードルの差があると考えているから。テレビは特にハードルが低い。例えば映画館での上映や本屋で棚が分けられパッキングされた単行本等とはそれだけでも違う。同列に語れないと思う。
だからってガチガチにこの本は誰向け!この本はこの性別この年齢このカテゴリ!とかマジ誰もやりたくねーよ。なにそのディストピアだよ。
ネックは「現実の事件に対する二次加害が野放しなこと」だから、ここがマシになれば結果的に表現の自由も守られるんじゃねーかなと思うけどどうですかそのへん。
ほんとね現実クソだったよ。現実の誘拐事件おこす犯人もマジでクソだったし被害者に向ける目も相当クソ。二次加害を大量に見過ぎて本当にメンタル削れたし、なによりオタクのリアル事件に対する大喜利に慣れ過ぎて、被害者がいるっつーのに自分も一瞬「あっそんなひどいことされてなかったのかも?」とか思ってしまったのがめちゃくちゃ自己嫌悪で死にたくなった(自分ネットのアイドルと二次元オタクカルチャーに10数年どっぷりなんですよ)。「そんなわけねーだろ」と思った。被害者の苦しみをも加害者のやったことも軽視出来るもんじゃない。絶対。
この感覚のままでいるのはやばいと思った。でもこれは曲りなりにも女体持ちで嫌な思いも散々してきたから「そんなわけねーだろ」と思えた部分はあるだろうなってのもあるし、「そんなわけねー話」をいくらでも茶化せる人がいるのも知っていた。
誘拐もストーカーも盗撮も被害者叩きも遠い世界の人にとってはそれはファンタジーだろうしな。
でもファンタジーじゃねえんだよな。
私が生きていく現実に影響があるんなら、私は私のために戦わないといけないと思ったんだよ。
生理が重くて初めて行った産婦人科はなんかやな感じだったからフェードアウトした。
なんの医者でも当たり外れはあるけど、婦人科の場合やっぱナイーブになっちゃう面はあるから、感じの良さとか気軽に相談できる雰囲気かは重視した方がいいと思う。
二件目の医者で腹部エコーして子宮内膜症が見つかって、大きい病院で肛門からの検査とMRI。手術はせず二件目の医者で定期的に投薬と血液検査。
結果的に触診なしで終了した。
性交渉の経験がない人が子宮頸がん検診を受ける必要があるのかについては、原因となるHPVに感染する機会がほぼないのでいらないという意見があるようだ。
「自治体から検診の案内が来たんですけど…」って相談したら、「経験なければ必要ないですよ」って言われた。嫌な感じではなかったけど、経験したら申告するってことか…?って一瞬戸惑った。
左に右にナイーブな情報がパスされている。だけれども、その情報が複合できなければたとえ秘密情報が飛び交っていても特に大した問題はないんだ。
例えば、増田の股間にはタートルネックのアイツがいたとしよう。その情報を伝えるときに、皮をほんの少しだけ剥いたバナナを手渡すことで増田の股間がアレだというのを使えるとする。
男性ならば少しだけ剥いたバナナの形から増田の股間の状況を察することは容易いが、女性の場合は少しだけ剥いたバナナからでは増田の股間の状態は推し量れないだろう。
そうやって特定の誰かにしかわからない情報をやり取りすれば、スパイがいる可能性のある現場で秘密を別の人に伝えることだって容易なんだよ。
オタクはネトウヨでロリコンが多い。他者への攻撃性はものすごく高いくせに、自分が傷つくことには敏感すぎるなどナイーブな一面も持つ。そんなとても厄介な人たち、それが現代のオタクである。
オタクの余裕のなさは何が原因になっているのかと考えていたのだけど、最近、低身長説を見て、これはそうかもしれないと思った。
自分の中高生時代、イキってるオタクがどんな人物だったかと思い出してみたら、全員低身長だった。被害者意識が強くてすぐにキレて、粘着質でとても陰湿。学力が高くなく、運動神経も平均以下。そんな人たちはみんな低身長だった。もちろん高身長のオタクもいたのだけど、彼らの態度にはどことなく余裕があって、すこし作品批判されたくらいで動じることはなく、笑って受け止め、そこから楽しい議論になったりした。高身長のオタクは何かあるたびにすぐにキレたりはしない印象がある。低身長のオタクは自分を守ろうという意識が強いのか、少しでも自分の好きなものについてネガティブな発言をされると、かっとなり、大声で早口でまくしたてていた。
身長がコンプレックスだと他者に対して不寛容で攻撃的になるということはあるのだろうか。オタクの場合、「俺は世間のやつらの知らないすごいものを知っている。俺はすごい」という選民思想も持っているが、そういった熟成されたプライドの高さと元来からある自分の容姿に対する強すぎるコンプレックスが化学反応を起こして、あの厄介な人格が形成されるのではないだろうか。「世間に迫害されている俺が実はすごい」という被害妄想ファンタジー。
今後の研究が待たれる。
ある程度距離をおいて親御さんに任せるのがいい気がするなあ。
増田は若いから当たりがきつくなってしまって(増田としてはそのつもりなくてもナイーブな本人はそう感じるかも)、
前向きな方向に進まない気がしてならない。
どう接してますか?
姉が専門卒後また何か専門的な学校卒、バイト含め職歴一切なしの今年30
他の人に比べ肉体的、精神的にかなりナイーブで心療内科に通ってた事もあった
多分人との関わりが苦手でコミュ障
姉は実家で両親と暮らしていて、私はあまり帰省しないのでどういう生活をしてるのか全然分からない
知る限りだと家事は手伝ってるっぽいけど在宅系の何か仕事やってる気配はない
本当は面と向かって一度ちゃんと話したほうが良いのかもしれないけど、姉の性格や精神的なものもあり気を遣って話ができない
私が偉そうに話して良いのか?という気持ちもある
姉がこうだから私は早く自立しなきなゃという焦りが常にあった
年も離れてるせいか話すのが緊張する
話すべきだよね、どう話そうかな、難しいな
その通りです。
文脈もクソもないレベルのものが根拠にはなりえないと思いませんか。
思わないので無視すればいいんですが、冗談半分なのかのどうかの区別は案外難しい。
ないならないと言えばいい。
とりあえず自分なりに調べましたが、やっぱりセクハラ認定はケースバイケースという認識です。
自分がフェアじゃないと思うのは
「誰でもセクハラ被害者ぶって気軽に男性を陥れることができる」という言説は
原理上否定できないゆえに、ミソジニーめいた考えがさも社会通念のようにはびこるのを誰も止められないということです。
むしろ面白半分だからこそ、女性側だって気楽に「キモいやつは何してもセクハラ」と言ってしまえる部分がある。
30代前半、男、既婚、都内在住。精液検査を受けてきたので、その一部始終を余すところなく書いてみたい。誰かの参考になれば嬉しい。
訪ねたのは男性不妊の専門クリニックで、インターネットで事前に予約済み。受付へ行くと、20代と思しき女性職員ふたり組が迎えてくれた。名前を告げると、本人確認できる書類を求められ、代わりに問診票と番号札を渡される。以降は基本的に番号で呼ばれる。
待合室には夫婦ひと組、女性ひとりが座っていた。壁の外周に向かうように椅子が並べられており、お互いの顔は基本的に見えない。プライバシーの面は全体的によく配慮されていると感じた。
さて、問診票である。これは軽いアンケート用紙に近い。既婚か未婚か、子作りを初めてからの期間はどれくらいか、不妊治療に対して抵抗感はあるか、などなど。記入をためらうような項目はまずない。さっと記入し、受付に提出。
記入から5分も待たないうちに、奥の方から職員の男性が現れ、番号で呼ばれた。個室に連れて行かれる。部屋の扉には「採精室2」とあった。30年以上生きていて初めて見ることばだ。
部屋は薄暗い。リクライニングソファ、ティッシュ、ウェットティッシュ、ゴミ箱、そしてDVDプレーヤーとテレビがある。あ、もちろんヘッドフォンも。自分は入ったことはないけれど、ビデオ個室ってこんな感じなのだろうか。
男性職員は、薄いプラスチックのカップを取り出しながら言った。「今からマスターベーションして、全精液をカップの中に入れてください」。
まずは、シールにフルネームと禁欲期間を書き、それをカップに貼ることから始まる。検査結果に取り違えが生じないためだろう。ただし、このシールの粘着力が極めて弱く、カップの丸みに負けてしまい、今にも剥がれそうなのが気にかかった。
さて、出すものを出さねばならない。職員の男性は、去り際に「いくつかDVDもありますので、どうぞご利用ください」と言っていた。見ると、DVDが10枚ほどある。標準的な趣味に近い品揃えだった。傾向で言えば、眉毛が細いギャル系のものが多かったかもしれない。
また、一冊だけエロ本があった。一糸まとわなかったり、スク水をまとったりする女性たちの写真が掲載されていた。むかし河原の土手に捨てられていたタイプのやつだ。実用性はほとんどないように見受けられたし、全体的に本にしわが寄っていて、あまり触りたくなかった。
ここで耳よりの情報だが、採精室にはwifiが飛んでいる。このクリニックが用意したものかどうかはわからない。とにかくカギのないwifiが飛んでいる。言うまでもないことだが、スマホとwifiがあればなんでもできる。
このとき、クリアファイルに閉じられ、壁に掛けられた注意書きが目に留まった。20分程度しても部屋から出てこない場合、この日の採精は諦めてもらい、後日の再検査をお願いする、とのこと。
自分は設備観察などをしていたし、あまりに早く部屋を出るのもどうかと思ったので(このあたりの気持ちは女性には分からないかもしれないが、そういうものだ)、ゆったりと構えていたところがあった。時計を見ると、すでに10分近くが経とうとしている。焦った。
とはいえ、いざ採精しようとすればすぐにできるのも男というものだ。ティッシュ及びウェットティッシュで入念に掃除をし、個室にカップを置きっぱなしにしたまま、部屋を出れば終わりである。
待合室に戻ったら、受付の女性に「終わりました」と告げればよい。それ以上の言葉はいらない。すると、受付が職員の男性に完了の電話連絡をし、プラカップを回収した職員が、検査にかかるおおよその時間を受付に告げ、それが自分に伝えられる。
検査結果がわかるまでは、だいたい1時間だという(後日郵送もできるらしい)。しばし外出して、近くのドトールでコーヒーを飲みながら待っていた。
そもそもなぜ精液検査を受けたかというと、もちろん子どもを希望したからである。子作りを始めてからまだ3か月強だが(このあたりは妻と見解の相違がある)、思うような結果が出なかったため、いっちょ受けてみるかという気持ちになった(妊娠に備えて婦人科に通う妻からの示唆もあった)。
自分は、「何かが分かる」という体験自体が純粋に好きな人間である。そもそも、たとえ種無しだったとしても、自らの男性性というか、存在意義が揺らぐとは微塵も考えていなかった。
はたして、結果は、無精子症であった。射出された精液のなかに、精子が一匹もいなかったのである。
無精子症は100人に1人の割合で現れるという。そのほとんどが無自覚であり、自分もそのような疑念を抱いたことがなかった。顕微鏡で自分の精液を観察する趣味はなかったし(どうやらそういう御仁もいるらしい)、まあ「正常」なのだろうと考えていた。3か月強の頑張りで子どもができないのだってたまたま(偶然)で、ごく普通のことだと考えていた。ひとことで言えば、精液は出るのにそこに精子はいない、という想像力は持てなかった。
もういちど検査しないことにはわからない、とドクターは言う。次回はエコーや触診をともなう詳しい検査になる。ただし、通常ならば数千万や数億のオーダーで観察される精子がゼロだったのだから、これはもはや体調だの検査上の誤りだのといった可能性はないだろう。
その日は、友人の結婚式の二次会に参加する予定だった。精液検査からパーティーへと向かう人間はなかなかいないだろう。検査結果が無精子症ならなおさらである。しかも、新郎新婦はいわゆるデキ婚だ。なんたる巡り合わせだろう!
この日、もともとは終電帰宅も辞さない構えだったが、精子がゼロという結果が出た以上、いち早く妻に伝えねばならない。帰宅して上記のように説明したところ、妻は「オケーコ」と言った。オーケーという意味だ。妻はどんな言葉も語尾を伸ばして「コ」をつけるイルな言語センスをもっているのだが、こうしたシリアスな状況下でも口にするのだなと強く印象に残った。
さて、どうしたものだろうか。
今回の結果を知り、自分は多少のショックを受けた。だが、なぜショックを受けているのかが分からなかった。もちろん子どもができない可能性が示唆されたことは残念だし、妻には本当に申し訳ないなと思う。しかし、無精子症であっても各種不妊治療による妊娠は可能だし、子どもができないならできないで、妻と二人で生きていくのも十分にありだと思っている。妻も、もともとそういう考えの持ち主であった。だから、挙児の可能性が低くなったことは、ショックの根本原因とは言えないと思う。
では、この違和感はどこから来るのだろう。一日考えてわかった。自分ではにわかに信じがたいし、認めたくないのだが、やはり「男性性が傷つけられたことに対して」と考えざるを得ないのだ。常日頃から「男らしさ」などは馬鹿馬鹿しいと考えているのだが、生物学的に子孫を残せない(かもしれない)可能性が示されると、ナイーブにも傷ついてしまったのだ!
つまり自分は、メタ的に「ショックを受けている自分」を知覚して、ショックを受けているのだった。これは、はてブの構造に極めて近いなと思った。そこで、長らくはてな村に籍を置く一員として、なにか村人たちに還元しなくてはと考え、こうして初めて増田を書いている。
すっかり話がずれてしまったが、精液検査は10,000円前後で可能だ。後で知ったことだが、一般的に夫は精液検査に極めて消極的で、妻がどうにか説得して来院するケースが多数派らしい。また、検査を受けるにしても、自宅で採取した精液を密封容器に詰め、妻にクリニックへと持っていかせるケース(!)が多いとのこと。
無精子症っぽい自分が言うのもなんだが、それってあまりに男らしくないっしょ。はてな民諸兄におかれましては、当記事で心理的不安を払拭し、然るべき時が来たら自ら率先して精液検査を受けてねという話でした。
新卒で入った技術派遣の会社で最初に仕込まれるのはとにかく仕事のやり方です。午前9時から午後6時までの8時間をいかに効率的に働けるか。
「9時は業務の開示時刻です。それまでにはたらく準備をしましょう」
「日報? 朝はやく出社して、9時までに提出してね」
「どうして日報を9時に出したの。それじゃあ確認ができないよね」
「どうして作業用書類を片付けてるの? 定時までまだ五分あるよね」
理不尽ではないのかもしれません。学生時代とは違くって、社会ではきっとそういうものなのでしょう。
朝の6時に起きて2時間かけて通勤することも、30分前に出社することを強いるのにタイムカードは9時出社であることも。帰ったら疲れ果てて、本を読むこともゲームで遊ぶこともできなくて、自分の時間なんてないことが当たり前。
しらねえよ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
8時間業務は8時間フルで働くんです、だあ? だったら仕事のための諸々全て合わせて8時間にしろや! なんで通勤の時間をこっちが人生貯金から自腹で負担しなけりゃならんのじゃい。
しかも途中で帰れないってなに? って社会の仕組みに御坂は御坂は疑問を唱えてみる。早く仕事が終わったら早く帰らせろや。明日の仕事は明日やるためにあるんだよ。急ぎでもないなら明日渡してくれ。
午後の6時に仕事が終わる(大体きっちり終わらない)。2時間かけて帰った後は、疲れ果てて親の料理を食べてお風呂に入って寝る。
そしてまた朝。
毎日、毎日、毎日、毎日。毎日毎日毎日毎日、8時間労働。8時間より多くの時間をかけて。
……とまあ、そんな新入社員の全力の恨み記事を、入社1週目のもっとナイーブだった時期に書こうと考えていました。そんな日記を書く気力すらなかったけどな。
入社1週目は朝昼晩と、食べては吐いてを繰り返して家では泣いていました。社会に慣れてない体と精神が悪かったのですが、そんな弱い人間からすれば、1日8時間労働は死んだほうがマシだと思うほどでした。なまじ、中学校を卒業すれば終わるとか誰かを殺せば救われると"逃げ"の考えを持てたいじめられた時期よりも精神的には追い詰められるのは、自分で笑えてしまうほどでした。
冒頭で人身事故だとか書きましたが自殺するつもりはありません。その前に退職届を出すくらいの自衛本能はあります。あるつもりです。ですが、どんな仕事を見つけても1日8時間+通勤の枷があると考えると吐き気がしますし、長続きさせる気力もわきません。
通勤分の給料を払えと言いたいわけではありません。それが多くの人に適用されることかは知りませんが、通勤も含めて、1日8時間労働はわたしにとって死にたくなるほど重労働だということです。
どんだけナイーブなんだよw
どうせ見たって叩きたくなるだけだから気が進まなかったがファンの矜持として1話だけは最後まで見ようと思って観た。
8クールもやるわけないし脚本多少いじられてるだろうなと思ってたけど通信傍受というかたちで初めてヤンの存在を認識するラインハルトにはちょっと苦笑した。
キルヒアイスは笑えなかった。
やはりキルヒアイスは癒し系やぼったイケメンでなくてはならんのではないか。
「キルヒアイス、お前は優しい。が、言っておく。お前は姉上とおれにだけに優しければいいんだ」
などと言いながら髪の毛をくるくるしたいけど直毛すぎてできないじゃないか。
※ユリアンも直毛になっていた。エンディングに未発表キャラのイラストがドバっと出てきたがこちらもみんな直毛になってた。ポプランもアッテンも。これは明白な天パ迫害である。
そしてラインハルト。
このラインハルト、かしこそうなのはかしこそうだがとてもナイーブそうで野心や狡猾さを感じない。
冷酷さは感じられることは感じられるがそれは卑屈なたぐいのもので、自信や傲慢に裏付けられた高飛車な冷酷さってものを感じないのだ。
覇気もない。幼いころ満天の星空の下で己の無力を嘆きつつキルヒアイスと誓い合ったときの固い覚悟を、こわれぬ誓いを、内に秘めた情熱さえも、全く感じない。
こんなラインハルトにローエングラム伯爵家の名跡はまだ早いのではないか…と心配になった。
ラインハルトは、戦闘中や軍議中にあるときの隙のなさとは裏腹に、キルヒアイスやアンネローゼと時を共にするプライベートな場面では、年相応の無邪気さや茶目っ気も披露する。ラインハルトの天才部分だけでなく人間味を示すことで、彼のキャラクターに深みがうまれる重要なファクターだ。
その微妙な変化を堀川はときに声音だけで表して見せたが、今作にそれを期待するのは難しそうだ。
また、ラインハルトといえば自分より一回りも二回りも三回りも年の離れたオッサン提督どもをアゴでつかい反抗されれば弁舌と実力で黙らせるクソ生意気なクソガキであり、そこが痛快で魅力的である。
そこで気になるのがすでに発表された主要提督陣、双璧のキャラデザ。
帝国暦458年うまれのロイエンタールは、帝国暦467年うまれのラインハルトより九つ年上のはずである。ミッターマイヤーは457年生まれで8つ離れている。しかし新アニメの彼のキャラデザではそうは見えない…。年齢操作が行われた可能性が高い。
商業的に双璧はドル箱になりえる素材なので多少盛られるのはしかたないとはおもっていたが・・・。この調子でほかの提督たちの年齢まで操作されたんじゃたまったものではない。
今年はBANANA FISHもアニメ化されるとか。
好きだったものが過去の遺物となり現代に蹂躙されるのを眺めていることしかできない状況は、いつ経験しても胸が苦しい。
シティハンターは概ね古参ファンも納得できそうな雲行きらしいな。カードキャプターさくらもまた。
うらやましい限りである。
いつになるかわからないFF7のリメイクには少し期待していたが、開発は難航を極めている様子。ほんとうに今年でるのかよ。PS4買ったぞ。
の、心理が謎。誘われてもないのになんで来たがるのだろうか。
Aは自分と違って交際範囲が広く、自分の知らない知人友人も多いのでそれは別にいい。
結婚後に新居に遊びに行かせてもらい(A夫婦で歓待してくれた)、
その後も一度、A夫婦と一緒に呑む機会があった。
(その時も、そもそもはAとの二人での呑み会の途中にA夫から連絡が入り、
「ごめん、旦那が来たがってるけどいい?」ということで合流してきたのだが)
その2回の印象では、「旦那さんは悪い人ではないんだけど、自分とは相性が合わないな」だった。
自分の感覚からは「え、それ本人の前で言う?」って事をずけずけと言う人で、
それを冗談として流して笑える人もいるんだろうけど、自分にしてみるとちょっとデリカシーがないなと思うタイプの人だった。
(Aはそれを笑える人なのだろう、鷹揚で包容力のある人だから)
だから、Aとは今後も付き合っていきたいけれども、旦那さんとはもう必要最低限でいいやと思った。
付き合いと言っても、お互いにいい歳で仕事もあるし、住んでる場所も近くはないし、
Aは家庭を持ったのだからそちら優先になってしまうのも仕方ないので、
リアルの付き合いとしては年に1・2回、一緒に呑むくらいのことしかないのだが(Aと旅行ももう行けないだろう)。
その後。Aと呑み会の予定を組む時には、『旦那が途中から来られない日』を選ぶことになった。
自分がなにかAに言ったわけではないが、長年の友人故に、自分がAと二人だけで呑みたいと思っていることを察してくれたのだろう。
『この曜日だと旦那が参加してきちゃうだろうから、別の日がいいよね』と自分から言ってくれるようになった。
それはありがたいし、どちらにも配慮してくれているとわかっているのだけれども、
わざわざそういう日を選ばなくとも『同性だけで呑みたいから合流はなしで』と旦那に言えばいいだけのことなのでは…とも思う。
それを旦那に言えない(言わない)理由が今ひとつわからない。旦那はそれだけで傷つくようなナイーブ侍なのだろうか。
それとも言っても理解してもらえないのか、言っても強引に参加してしまうような人なのだろうか。
余計な波風は可能な限り立てたくないというのもわかるのでAの対応に不満があるわけでもないのだけれど、
そもそもA旦那は、サークルの呑み会みたいな交流がメインのオープンな呑み会ならともかく、
長年の付き合いの同性の友人同志が年に一回ほどサシでしみじみと近況報告がてら旧交を温めるような呑みの席(女子会)に何故参加したがるのだろう。
自分が逆の立場ならば、おいでよと誘われたとしても行かないだろう。互いに気を遣って気疲れすることがわかっている(それなりに楽しめたとしても)。
異性がいては話しにくいこともあるだろうし、長年の付き合いならばその当人同志にしかわからない話題も多い。
あまりにその心理が謎なので検索してみたが、同じような、『旦那が必ず呑み会についてくる』というトピックはあるが、
『旦那が何故ついてくるのか』については、はっきりとした答えが見つからなかった。
1。妻の友人がどんな人間なのか、交友関係を知りたい。妻の友人に挨拶しておきたい →初回はわかるしそれは否定しない。しかし2回も会ったしもういいんじゃない?
2。自分が参加すれば場が盛り上がると思っている →そういう人なら最初から呼ばれる。それでもこのパターンでは遠慮して欲しいけれど
3。独占欲が強くて常に妻を監視していたい →それならAは旦那が参加できない日には呑み会ができないはずなので、この場合は当てはまらない気がする
4。妻と呑みたい →そちらは毎日機会があるんだから年に1・2回くらい奥さん貸して下さい
5。気を遣われて話題の中心にいたい(仮想モテ状態を楽しみたい) →もっと人数のいる女子会ならまだしも…これは女性のほうがありえそう
6。呑み会が好きで、呑みの席には種類問わずに可能な限り参加したいし、しても良いものだと思っている →これかなあ
7。実は私と呑みたい →それは絶対にない
本人に聞けないしAにも聞けないし、自分の周りにはA旦那のようなタイプの人がいない(同性でもいない)ので、どうにもやっぱりその心理がわからない。
あーあ。次にAと呑めるのいつだろう。
残りの人生で、あと何回Aと呑めるのかな。
異動はしてない。人員増もない(むしろ減ってる)。業務内容に大きな変更もない(量は増えてる)。
この状況で必死こいて業務こなしてなんで人事評価がマイナスやねん。せめて据え置きやろ。
あーアカンわ。金の切れ目が縁の切れ目と言うが、忠誠心もざっくり切れたわ。頑張んのが完全に馬鹿らしなった。
何せ会社にカネがないから頑張りも評価できないんですゥ、ってな調子やからな。そのくせ降格者が出たわけでもない。
仕事せん奴の給料削らん代わりに働く奴の昇級昇進が食われてまうというカラクリや。
こんなん完全に働いたら負けや。
ほんなら残業なんぞ全額出たって誰がやるかい。残業増で評価ガタ落ち食らっとんやから、残業代なんぞ端金や。その端金も通院費と薬代でパァときた。
もともと体調悪かったのに完全に燃え尽き症候群や。食欲ゼロやし空腹のはずやのに好物見ても吐き気が消えん。
ヘドが出る。
なにが一番馬鹿馬鹿しいって、この状況で「転職のツテができるまで出来るだけ働かない」ってな作戦でいこうと、決めたのに覚悟が決めきれない自分自身が一番馬鹿馬鹿しい。
あんなに頑張ったんに、あんなにやったんにと、裏切られた裏切られたとぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃ芯から腐れたガキみたいに内心でウジウジ恨み言こいとる自分が一番馬鹿すぎて死にそうや。
いやそれよりも、まだアレが残っとるコレが話つけてる途中やと仕事するつもりなのが心底情けない。
しっかりせえやオレ。もう明日一日寝潰したら、月曜から俺は五指に入るレベルの働かないオッサンにならなあかんのや。
誰か神経太くなって心臓に毛ェが生えたみたいになるコツ教えてや。
自転車漕いでたら、だんだんふらふらしてきた。下腹もなんかずぅんと痛くなってきて、やべぇと思った。やべぇと思った瞬間から脂汗がぶわっと吹き出した。
なんとか自転車を停めた頃には息切れがしていた。視界が文字通り暗くなった。曇ったのか?って思ったけど普通に晴れてた。頭がぐわんぐわんなって、やばいの三文字しか浮かんでこなかった。
ぜぇはぁ言いながら電話で約束もキャンセルして、道に寝転がる訳にいかないから店のトイレに駆け込んで、やっぱりなって思った。
生理が来た。いつもは生理痛はまぁ我慢できるくらいでこんな酷い痛みに襲われることはほとんどなくて、年に一回あるかないかだ。外出といっても近所だったから、薬も持ってなかった。
身内に連絡して迎えに来てもらうよう頼んだ。冷えと痛みでスマホが持てないくらい身体が震えた。お腹を抑えたけど痛みは増すばかりで、喋ろうとすると吐きそうになる。もう死ぬんかなって思って、いやいっそ殺してくれ!って思い直した。それくらいお腹が痛くて、めまいがひどかった。
蹲っているとめまいの方が先にましになってきた。ちょっとだけ冷静になった頭で、なんでこんなことになるんか考えた。ご飯も食べてたし、睡眠も十分だった。貧血なのは強いて言えば運動不足かな。でも元はと言えば女だからなんだよ。女に生まれたからだよ。
女やめたいってその時は本気で思ったし、子宮とか取ればこんな苦しみ味わう必要なくなるなとか真剣に考えた。これから先も急にこんなふうになるんかなって思ったら悔しくて怒りが湧いた。
店のBGMがうるさくて、何回か人が出入りする音が聞こえて、店の人呼ぼうかとか考えたけど呼んだところで……というより貧血で、生理痛で……って説明するのがなんかもう嫌だった。
なんで普通のことみたいに言えないのか、自分のことも嫌だしそういう雰囲気の社会も嫌だなと思って、あとはもうとにかく腹が痛え腹が痛えしか頭になかった。
まあそうこうしてたら迎えが来て家に帰って薬を飲んだんだけど、しばらくしたら痛みもめまいも止んで、は?って思った。今まで悶絶してた痛みはなんなの? こんな錠剤数粒飲んだら治るのに、なんでこんな痛いし苦しいの? すごいみじめな気持ちになって、痛くても涙は出なかったのにその時やっと泣いた。
そうしてたら親が「まあ子供産んだら生理痛もなくなるわ」とか意味のわからない言葉をかけて来て、そういうことじゃねーよ!!!ってますます泣きじゃくってしまった。たしかにナイーブになってたのもあるけど、生理痛なくしたいからって理由で子ども欲しいと思う?思わないでしょ。私は思わない。てゆーか私が子供作る前提で話進めないで欲しい。子供が生まれても女ならこんな苦しみを味わわなきゃだし、男でも多分おそらく別の苦しみがあるし、人間生きてるのだけでこんなたいへんでつらいのになんでそんな思いをする存在をこれ以上増やそうと思うの?そもそも出産ってこれよりもっと痛いんでしょ?なんでそんな気軽に子供産んだらうんぬん言えるの?どうかしてるよ。無責任すぎるよ。
その後も早く彼氏作って一発やれば?とか言われて、本人は冗談のつもりだったのかもしれないけど、冗談のつもりでも許せない。怖い。私に生理痛と貧血のコンボが襲いかかったことと彼氏の有無、関係ある?処女か非処女か、関係ある?あったとして、それは今言うことなの?目の前に腹が痛いって苦しんでる人がいて、この棒で腹を殴ってえぐってぐちゃぐちゃにしたら痛い(痛みの程度もわからない)けどその痛みはなくなるよ?やる?とか言える?
避妊手術させたうちの犬に対しても今まで後ろめたい気持ちがあったけど、その時だけは羨ましいなって思ってしまった。
私が今まで男性とお付き合いしたこともないこともあるかもしれないけど、女に生まれて良かった!ってはっきり清々しく言えたことなんて今まで数えるほどしかないよ。男に生まれたかったとは思わなくもないけど、それよりもっと、性別なんてない生き物に生まれたかったよ。女とか男とか意識したくないのに意識してしまうのが本当に嫌だ。私は女であるのより先に私なんだよ。もちろん女でいて喜びも楽しいこともたくさんあるけど、でも同じくらいかそれ以上、みじめさと恐怖と悔しさと怒りで溢れてるよ。
そんな気持ちと現実を受け入れて折り合いをつけながら自分のままでいつつ、とりあえず貧血と生理痛から脱却するためにより一層健康に気をつけることと筋トレを毎日続けることを決意した。
なんでこんなこと書かなきゃやってられないんだろ。
なんかすげー疲れた。