はてなキーワード: ぼんやりとは
面と向かっては誰にも言えないような、自分たちの世界の話。馬鹿げた三文小説のような、稚拙で安っぽいものかもしれない。けれど自分たちにとっては本当にあった事だ。
幼い頃から自分の中にはたくさんの人間(今思えば別の人格とも言えるような、あやふやだけど確かに存在すると思っているもの)が居る。遊ぶのが大好きな明るくちょっとやんちゃな人。本を読むのが好きなおとなしい人。気が弱く、ちょっとしたことで泣いてしまう人。ごっこ遊びが好きで、いろんな物語が好きな人。音楽が好きで、特に歌うことが大好きな人。怒りやすいけど言いたいことははっきりと言う人。大人のような知的で冷静な行動をとる人。日々をぼんやりと、俯瞰するように見つめている人。心優しく、他人を大事にする人等。とにかくいろんな人いた。
そんな人たちが、自分の身体を通して物事を見たり、感じたり、表現したりしていた。主に行動していたのは優しい人と物事をはっきりと言う人だった。
そうして日々を過ごし、普通の日々を幸せに感じながら成長していくはずだった。
そんな中、ある出来事をきっかけに優しい人が殺されてしまい、自分という世界からいなくなってしまった。たくさんの人たちが驚き、嘆いて悲しんだ。その中でも物事をはっきりと言う人が一番取り乱した。優しい人と物事をはっきり言う人は双子のように特別仲が良かったからだ。殺される原因となった出来事を憎み、その出来事を起こした人物や、それを見ていて放置した人々を殺したいほどの衝動に駆られた。それを見た他の人はどうにかその怒りを外に出さないように、変わるがわる表に出て、怒りを誤魔化すように他人と会話をしたり、怒りを鎮める行動をとったりしてどうにかしようとした。
しかしそれが、自分という人の行動そのものをしっちゃかめっちゃかにして、次第に他人から倦厭されるようになった。頭のおかしい人だと思われていった。
それを目の当たりにしたはっきりと物事を言う人が、ついに耐えきれなくなって、周りに当たり散らした。当時はそのおかしさ故にそこそこいじめられていたため、それに報復するような形で怒鳴ったり物を投げつけたりと、今思えばなかなかに酷い行動をとった。猜疑心に駆られていて誰も信じず、また誰にも頼ることもなくなった。
ある日、急に糸が切れたかのように、朝起きれなくなっていた。何もする気が起きず、ずっと携帯をいじっていたり、ぼうっと天井を眺めていたりした。
そうしていくうちに、睡眠障害になり、うつ病になった。自分の世界の人たちも疲れきっていて、ただ黙っていた。主に活動していたのは周りを俯瞰するように眺めている人と、はっきりと物事を言う人だった。しかしはっきりと物事を言う人は、優しい人を失くしたショックで絶望していた。全てが色を失ったかのように、無気力に過ごした。
次第に自分の世界に居た人々は少なくなっていき、今は両手で数えるほどになった。
今はそこそこ回復しつつあるものの、自分の世界の人間はやはり安定しないままで、話し方も雰囲気もころころと変わってしまう。おそらく他人から見たら相当に奇妙な人だと思われているだろう。
このままではどこにもいけないし、生きることすら難しい。
主に行動していた優しい人の残した傷痕が深く、何をするにもその出来事を思い出してしまい、まともに息すら出来なくなる。
色々調べていたが、イマジナリーフレンドや解離性同一性障害という言葉に行き当たったものの、自分たちはそういうものではなさそうだった。
じゃあ何だと言われれば何も言えなくなってしまう。
果たして、自分たちは何者なのか。そればかりを考えて、今日も答えが出ないままだ。
確実に言えるのは、これから先は生きていけそうもないことだけ。毎日湧き出てくるような希死念慮とそれを誤魔化すためのネットサーフィンをして、生ける粗大ごみの如く、駄目人間として息を潜めている。
支離滅裂な上に長く読みづらい文章だけど、どこかに自分たちのことを書きたくてたまらなかった。創作でもなく、実際に感じたことだけが頼りで、記さなければ形すら得られないからだ。
こんな駄文を残すことをどうか許して欲しい。
自分も昔若くて活力に溢れてた頃は、Fateだとかブラックラグーンだとかみたいな重〜い話のコンテンツが好きだったけど、
年取って毎日社会で神経すり減らし続ける生活になってからはきんモザ、ごちうさ、のんのんびより、みたいな深く考えずにぼんやり見れる癒しアニメが大好きになった。
人間疲れてくると重たいストーリーものはしんどくなってくるんだろうな
だから増田の周りのFateや刀剣乱舞みたいなのが好きな友達も、歳食って疲れてきたりしたら増田とアニメの趣味が合うようになるかもしれんぞ
たしかにメイドインアビスはそこからが本番とでも言うように冒険の熾烈さが増していってショッキングなシーンも増えるわけだけどさ、
序盤の平和な感じやキャラクターの柔らかい感じや能天気さは、むしろ最後の壮絶さを強調するための「ため」だと思って見ていればいい。
ちょうどまどマギの「マミった」現象と同じようなもので、あの柔らかい絵から想像できない「死」が突然リアルに描かれたときの衝撃と似ている。
なんて言われると、はあ~?ってなる。
この感想に、このアニメに限らず、さも壮絶な描写意外に価値はありませんみたいな評が世に溢れててまったくもって嫌気がさす。
確かにそういうのは目を引くよ、魅力の一部だろうさ。つくし卿だって楽しんで描いたろうさ。でもさ、そこだけじゃないだろ。
3話の孤児院の仲間との別れのシーンは?
オーゼンの伝える残酷な真実は大原さんの怪演も相まってぞくぞくしなかったか?
二人を送り出すマルルクたちのシーンの切ない美しさを感じなかった?
11話以前だって実に魅力は詰まってる。作者やアニメスタッフは魅力を詰め込んでる。
それを言うに事欠いて「ため」だとか。不感症ですか、あなた。どうせぼんやりとしか見てないんでしょう。
そんなんだから
特に、なぜ主人公たちは命をかけてまで危険な冒険をするのかの動機の説明が不十分で、視聴者は気持ちが追いついていかない。
一応、主人公たちの親や生まれに関する真実を知るために冒険するという説明はあるが、なにしろ情報があまりにもない。親との思い出の回想シーン1つたりとも描かれることはなかった。
だなんて得意げに書いてしまうんだわ。
ジャニヲタ10年目、担当4人目 https://anond.hatelabo.jp/20170605021247
これを書いてから約4か月。自担が退所してしまうようです。ちなみに元担のプロフィールは消えました。
本当おたくやめたいとか気軽に書くもんじゃないよ!!!やめざるを得なくなるから!!!今後どうするかは未定です。
彼の退所に関しては他にも書く方がいると思うし、1年に2人自担が退所するジャニヲタは数少ないのではないかと思うのでそのことに焦点を当てて書きます。比べるべきではないと思いますが。
※現在もプロフィールはあり来月の少クラには出ますしいつプロフィールが消えるのかは未定ですが退所(仮)ということで。
まず、退所には2パターンある。突然やめる場合と、退所を匂わせてやめる場合。
元担の場合前者だった。2月末まで舞台に出ていて、それが最後の仕事だった。舞台が終わって噂が出るまで少なくとも私はやめるなんて思ってなかった。現に私は最後の現場に入らなかった。
自担の場合は、匂わせていたわけではないが後者。正直1か月ちょっとやめるだのやめないだの色々な情報をかき集めて病んでたし、(おそらく)最後の現場にも入った。舞台の千秋楽で、不自然なほど周りの出演者から絡まれ、彼は涙を見せた。それでも指を突き上げて幕に隠れていく彼は世界で一番のアイドルだった。
ぼんやりどっちがよかったのかなーと考えることがあるが、もちろんどっちもよくない。退所なんてして欲しくないし、突然やめられても困る、かといってあと◯回とかこれが最後なんだとか思いながら観劇するのも相当しんどい。
元担の場合は自担に降りようとしていた矢先のことだったので、また条件が違う。担降りってしようと思うとできないものですね。
でも今、正直自担がやめるかやめないか分からなかった時より、すっきりした気持ちでいる。
今が一番気持ちが楽なのかもしれない。自担が抜けたユニットの人数を突きつけられることもなく、プロフィールもあり、千秋楽の余韻に浸れる。土曜にはきっと始まった舞台で現実を思い知るだろう。
結局は、覚悟できてよかったなと思う。よく、プロフィールが消えてないんだから信じようという人がいるが、信じるのには相当な気力がいる。私は結局退所してしまった時が怖くて、早々に覚悟を決めてしまった。
最初に書いたが今後のことは決めていない。ヲタクをやめようとも思うし、誰かに降りるか、担当を決めずにヲタクするか、他の事務所に行くか。のんびり決めたいと思う。前の記事で伊野尾のうちわは持たないと書いたが、結局この間のコンサートでも違う人のうちわを持ちながら伊野尾くんのことを見ていたので、本当に自分でもどうなるのかはわからない。
最後に。梶山朝日くん。幸せな時間をありがとう。あなたに降りてよかった。誰がなんと言おうと、世界で一番のアイドルでした。本当は戻ってきて欲しいし、こんなブログ書いたことを後悔させて欲しい。ずっと大好きです。
枝野新党を機に従来路線とは別のリベラルがもっと活気づいてくれればいいのに。
護憲・反戦・脱原発を訴える昭和の亡霊にいつまで悩まされないといけないんだろうな?
若者が車買わないっていうが金と休みがあればいくらでも買うよ!
みんな忘れてるが働き方改革法案今国会で審議予定だったのが延期になったんだぞ。労働者はもっと怒れよ、ついでに連合は死ねよ。
②福祉
小さな政府よりは大きな政府がいい。北欧みたいな高負担高福祉は日本には向かないだろうから中負担中福祉くらいで。
そのためなら将来的な税負担増もしょうがないが、間違っても今じゃないしやるなら法人税・所得税が先。
順番的にはこの辺。間違っても一番じゃない。
北朝鮮の脅威を前にして、自衛隊を悪魔のように見る古い左翼観が今の時代ウケるわけがない。日米安保が今のままでいいかは別として一定の影響力は認める。
ただしリアリズムよりはリベラリズム、核武装よりは国際協調、集団的自衛権を入れるとしても徹底的に条件厳しく。
憲法もその方針でなら改正もありだけど、9条もだがほかにも変えた方がいい条項あるんじゃないの、程度の感覚。こういう左派はなしなのか???
脱原発はそこまで優先事項じゃないなぁ。
ないに越したことはないんじゃいの、経済とのバランス次第だけど、くらいの重視度。
ここまで書いてみてこの思想って中道左派でいいんだよな?ポリティカルコンパスとかだとそれっぽいのになるが。
話はおもしろいよ。「お金取る」という視点でも、十分及第レベルだと思う。細かい設定の詰めが甘いとかいろいろあるけど、たとえばハンター×ハンターだって連載当初はもっと設定甘かったと思うし、それは別に傷ではない。
むしろ問題は絵と見せ方のほうだと思った。絵に関しては「読んでと頼まれれば一応最後までは読めるレベル」という感じで、うまい下手というよりは「こだわり」と「見せ方」がハッキリしてないところが読みにくい原因だと思う。漫画は記号だから省略は当然ある。でも、それは「ある意思の下に行われる省略」であるべきで、「ここはこのくらい書いておけばまあいいだろう」というような省略ではない。たとえば森薫の「乙嫁語り」なんて、一般の漫画の常識からすれば不要な馬鹿みたいな刺繍の一つ一つまでの手書きが行われているけど、「これは省略すべからず」という書き手の強い意思により成立している漫画表現だとわかるので(好き嫌いは別として)安心感がある。逆に人物の顔とかは「表情がくっきり魅力的に見えればよし」で大胆に省略されている。けど、それはそれで筆者の意図が十分感じられるから破綻しない。
それに比べれば、この漫画は「省略に意図が感じられにくい」んだよね。たとえば、第一話の最初、主人公の一人の登場コマだけど、WARNING(のAが抜けてるのはまあいいとして)の看板が「闇の中で光ってる」なら、周囲もぼんやりと光り周りは暗く沈むはず、主人公の魔方陣みたいのも、一応光ってる描写っぽいけど主人公の体や顔がその光に照らされているように見えるはずだけど、そういう描写はなし。これは、「実際にそう見える」ことを表現したいのか単に省略してしまったのか、読み手にわかりづらい。背景の書き込みを見ればある程度リアルを志向しているように見えるコマなのに、そういう陰影の描写が省略されているので、どのレベルで絵をみたらいいかわからない。うまい下手ではなく「下手に見える」書き方をしていると思う。
同じことは第一話2ページめのおどろおどろしい「らしい」ドラゴンみたいな敵の絵にもいえる。最初見たとき、「最初に登場する敵の絵が白抜きとか手抜きもはなはだしい。全然怖く見えないから、しっかり書き込み、むしろ周囲のほうを明るくして敵のインパクトを出すべき」とか思った。後の方を読んで「ああ、一応白くやや透明?に光っている?描写のつもりなのか」とわかったけど、それならそれで(線をくっきり書くのはおかしいし)もっと描きようがあるはず。あんなクッキリした線で体の中は白い、だと、書き込み忘れの白抜きにしか見えない。そもそも、うすら透明な敵がいかに大きくても、それでは絵的な恐怖感を出すのは難しい。破壊される町の建物、吹き上がる黒煙、闇から突然現れる敵、あるいは高見から見下ろす恐怖に満ちた人の顔、みたいなやり方で描写すべきではなかったか。
繰り返すけど、これは絵的な「上手下手」というよりは「見せ方」の問題。どこまで書き込めという話ではないんだけど、あの見せ方では省略や演出に意図が感じられない。
実は似たようなことはプロットにおいてもいえることではある。白っぽい(無邪気、明るい、金髪)主人公と黒っぽい(有能、孤独、黒髪)主人公、その対比のさせ方は定番でまあいいんだけど、筆者が描きたいのはそもそもどちらなのか? どちらに寄せて物語を書きたいのかわからない。 たぶん後者だろうと想像するんだけど(善人というのは物語上あまりおもしろい存在ではないので)、筆者がこの二人から少し離れたところにいて眺めているような描写がおおいせいで、筆者=豚の人? と思ってしまう。そのせいで、読者まで豚の人に感情移入して読まなきゃいけないのかと思わされてしまう。中間管理職の悲哀とか美少女に翻弄される豚の喜びとかを描きたいなら別にそれはそれでいいんだけど、一応「美少女の活躍」をメインに描く構想なら、もっと美少女に寄った描写が行われるべき。誰かが描いてたけど、攻殻機動隊など参考にするのがよいと思う。現状、一番気持ちが伝わってくるのは豚の人だ。そういう演出、斬新といえば斬新だけど、読みたいかといわれるとちょっと困る。おそらく筆者の意図とは違うのではないかと思うので、これも修正が必要。
もし、ここから成長があるなら読みたい気持ちも少しある。が、誰かが書いているように、増田の才能はラノベとかそっちのほうにあるんじゃないかなあ。無理にコマ割とかポーズとか演出の勉強に時間を割くより、作劇の勉強をしてラノベ作家とか脚本家、企画屋みたいな方向を目指すのが適していると思う。まあ、そっちの方向で飯を食うなら、こういう話を10本/年ほど量産するパワーが求められると思うけど。
共産主義者が言うところの差別のない世界統一国家=”宗教も民族固有の文化もなく地球上どこに行っても同じ風景、同じ食事
個人はあくまで計画経済を円滑に推し進めるための歯車に過ぎない
衣服も食糧も配給されて何の不自由もないけどただ生きているだけ
飢えも見栄も強欲もないけど
宗教も民族固有の文化もなく地球上どこに行っても同じ風景、同じ食事
個人はあくまで計画経済を円滑に推し進めるための歯車に過ぎない
衣服も食糧も配給されて何の不自由もないけどただ生きているだけ
飢えも見栄も強欲もないけど
それって自由主義と違うんじゃね?
通学時間が二時間ちょい、一つ県を跨ぐほど遠かったため、電車の中ですることを探していた。
スマホがまだない時代で、ネットオタクとしてはあの今でいうガラケーのちまちましたのでネットを見ることが耐えれず、本を読んでいた。
そんなときに、ふと大学の近くの本屋さんで雑誌を立ち読みした。
それが、まんがタイムきららキャラットのひだまりスケッチ、ゆのっちが屋上でひとりごちる回だ。
「これは、僕の知っている四コマ漫画とは違う、なにかだ」と思い、その場で雑誌を買い、
気づくと、きらら三誌、本誌、MAX、キャラットを購読し、単行本も後ろのKRの通し番号を100までは全て買っていたし、
もちろん、そうやって数をこなすことで、きららが特別変異的に生まれたわけではなく、
ももせたまみとか、あずまきよひことか、胡桃ちのとか、書ききれないぐらいの数多の四コマ漫画の先にきららがあることも理解して、
まんがタイムきららミラクが創刊され、
そこに掲載された桜Trickの一話に、また人生観を揺るがされた。
「他の娘たちとは絶対しないことをしようよ」から始まった、そんな物語が、単行本も込みでついに完結した。
結局、働き出してから、強く感じている
「お前は男だ」という圧力。
いやもう、そんなこと言ってたら、来週には三十歳になるんだから、
そろそろいい加減、そらそうだよって話なのかもだけど、
未だに自分が男性であることへのしっくりこなささに、もやもやが募る。
こう、話が通じれるように書けないんだけど、
「僕」がただ一人無人島にいるなら、きっとそれは感じないんだよね。
「僕」と「僕を知らない人たち」といても、それは感じない。
「僕」と「僕を知っている人たち」との間にあり、かつそれが
「お前は男だ」という圧力。
これなんだと思う。
0、1、ではっきり線を引けるわけじゃなくて、
向かい合っている僕と他人の、僕から見ると45メートル、他人から見ると55メートルぐらいの、位置にあって
これから、逃れたい、
もしかすると、それだけの気持ちで百合作品を読み続けているのかもしれなくて、
そんな、自分勝手な気持ちに、こんなにも面白い漫画を押し込めてしまう、
どうして、いつも、自分がこうなってしまうのか、わからなくて、
難しいね。
桜Trickは明確に終わった。
廃校までの三年間というテーマを見事に描き切って、登場人物たちの気持ちも、それなりにけりがついている。
それでも、まだ読者の僕の気持ちは終わっていない。
自分のことを好きになりそうにない、自分が作中にいてもきっと歯牙にもかけられない、そんな存在になりたくて、
この誰かから感じる「お前は男だ」という気持ちへの不快感を和らげている。
もし仮に、このキャラクタたちが僕の目の前にいたら、そんな圧力をかけないような気がして。
でも、きっと、そんなわけはなくて、
なぜなら結局、この気持ちは、他人が発しているものでは決してなく、
自分が産んで、自分が苦しんでいる、ただの自家中毒にすぎなくて、
http://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/56806_56907.html
私の肉慾も、あの海の暗いうねりにまかれたい。あの波にうたれて、くぐりたいと思った。私は海をだきしめて、私の肉慾がみたされてくればよいと思った。私は肉慾の小ささが悲しかった。
結局これ、元々ぼんやりと同人の辞めどきをうかがってたんじゃないの?
無配慮な他人へ怒りをぶちまけれる状況に乗じて、自分のネガティブになってたモチベを覆い隠して逃げおおせる姿勢に見える。
本気で好きで続けたいと思ってるなら、危ない席には欠席するし、
TVやらでバレたら言いふらすネット民が出て来ることなんて想定内でしょ?
ファンにはバレても会社にバレるまでは、改名とか悪あがきして続けられるはずだし。
最悪会社バレしても、転職を含めてどうにかして続ける手立ては色々あるし。
そういう意志を感じず、ひらすら他人へ怒りをぶつけて「あーあお前らのせいだ」って呪う様子を見るに、
今回の出来事以前から、何か同人界隈の自分や他人に対して鬱屈を抱えてた。
あるいは加齢に伴う体力・気力の減退とかもあって、限界を感じてた。違う?
もう夏は終わりだバカヤローという声が聞こえますが、たまに出る娑婆の空気はまだまだ暑苦しいと思います。
二度の長期休職を許してくれるなんて、弊社はなんて懐が深いのだろうと思います。
そこそこ規模の大きい会社ゆえに下手なことができないからでしょうか。それとも人手不足なだけでしょうか。
新卒で入社してから初めて関わった仕事では、それなりに新入社員らしく、従順に仕事をしました。
管理職に叱責され、家で泣いたこともありましたが、翌日にはかすかな殺意を胸にしまって仕事をしていました。
ある程度慣れてくると、言われたことに従うだけでなく、おかしいと思ったことに口答えができるようになりました。
おかげで、少しだけ方針を変えることができたり、賛同してくれる味方ができたりもしました。
物理的な辛さで言えば、あのころが一番辛かったと思います。精神的にもそこそこだったと思います。
ただまぁ、なんで大丈夫だったかといわれれば、少なからず「面白かった」からだったのかなぁ、と思います。
しばらくして、異動になりました。まったく畑違いの部署でした。
管理職からは、「お前くらいしか推薦できる奴がいなかった」と言われました。
成長すると見込まれたからでしょうか。それとも厄介払いということだったのでしょうか。
管理職はすぐ定年退職してしまったので、真偽のほどはわかりません。
新人同然なので、おとなしく従順に仕事をしました。新しい管理職は穏やかで、叱責するような人ではありませんでした。
残業もほとんどなく、始発まで拘束される飲み会もない、ホワイトな職場でした。悩める就活生はあそこにいくといいと思います。
申し訳程度の繁忙期に、私は疲弊しきっていました。くだらないミスが増えました。
取引先に頭を下げにいった時も、管理職は「そんなこともあるさ」と穏やかでした。
決算を終え、部長からの指名で、来期に向けた業績目標を全社員の前で高らかに宣言した次の週、私は会社を休みました。
会社にいる間、自分の一挙一動すべてに、何の意味があるのか、そんなことばかり考えていました。
今振り返れば、最後まで「面白さがわからなかった」のだなぁ、と思います。
しばらく休んで、私は前に所属した部署に戻ることになりました。当時一緒に仕事をしていた管理職が呼び寄せてくれたそうです。
しかし、休み明けであったり、色々と人事上の都合もあり、当時とは異なる担当に配属されることになりました。
私には、休み明けなので早めに帰るように、と指示が出ていました。他の人は、休日も仕事をしていました。
また毛色の違う仕事なので、必死に仕事をしました。新しい管理職は「まかせたいことは山ほどある、期待してるよ」と言っていました。
部署に新人が入ってきました。私はその教育係になりました。やったことのない仕事を覚えながら、必死に教えました。
私はそのまま、担当の長になりました。やったことのない仕事を覚えながら、自分より年上の部下に、必死に指示を出しました。
部下のひとりがクビになるかもしれない、と伝えられました。それを知らない部下は、ニコニコとお茶を飲んでいました。
今まかせている仕事の出来によっては再考されるかもしれない、とのことでした。一緒に試行錯誤しながら、仕事を進めました。
途中から、会社にいくことが怖くなりました。朝準備しても、家を出ることが難しくなりました。遅刻が増えました。
大事な打ち合わせの日、私は欠勤をしました。管理職が何を言っていたか、今では思い出せません。
そのまま、私は再び休むことになりました。部下がどうなったかは知りませんが、今では人はだいぶ入れ替わった、そうです。
今回、私は頑張った、という自覚がありました。そして、もう頑張れない、と心が折れた自覚がありました。
振り返ってみれば、今回も「面白さがわからない」ままだったな、と気づきました。
今回の休みは、面白いことをして過ごそう、と思いました。結果、起きて、ぼんやりして、寝る日々です。
私はゲームが好きです。プレイヤーを楽しませるシステム作りや、質が高く考えさせられる物語は、とても面白いものです。
働いていた頃に興味がありつつ買わずにいたゲームを買ってみました。とても面白かったです。
ユニークなシステム、濃密な物語、本当に面白くて、疲れました。クリアは当分先になりそうです。
他にも趣味はありましたが、少しやってみては、疲れて布団に寝転がる毎日です。
二度休んで、自分のこれまでを振り返って思ったことは、「面白いこと」ならやれる、のではないかということでした。
しかし、今、この暮らしを続けて気づいてしまったのは、「面白がることも疲れる」ということです。
結局、働くこと、生きることを面白がろうとして、疲れてたどり着いてしまったのが、この夏休みなのかなぁ、と思います。
初めて休んだ時は、暗い気持ちになりながらも、どうやって戻るか、どうやって社会復帰するか、ということで悩み続けていました。
今回は、もうどうすればいいかわかりません。先が真っ暗というよりは、無色透明で何も見えないといった感じです。
会社を解雇されるかもしれない、貯金が尽きるかもしれない、親族が死ぬかもしれない、そんなことも、どこか遠い世界の話に思えます。
面白いことも疲れて考えられないなら、面白くないことにはどう向き合えばいいのでしょう。
なんでも死ぬことは悪いことらしいです。命があるってけっこう面白いことらしいです。いやだなぁ。疲れるなぁ。
テレビで言っていましたが、だんだん寒くなるそうですね。夏ももう終わりらしいです。風邪はつらいので上着を買いました。
ちょっと前の話
別れた男と顔を合わせる機会があり、何となく流れで2人で酒を飲んでいたら、かなり露骨に誘うような雰囲気を出してきた。
私にはその頃、決まった相手がいなかったので、朝家を出る前には、今日はセックスをする日になるとは思いもしてなかった。
だから下着も普段用、その他もろもろノーガードで、面倒くさい気持ちも多分にあったけれど、
別れた理由が、他に好きな女ができて付き合うことになったという、私が振られる形だったこと、したがって未練や心残りもあったから、
まぁ大人同士こういうこともあろうよ、振られた男の見え透いた誘いに乗るという侘しい体験も、一度ぐらいなら人生にコクが出て悪くないかもしれない、と。
彼の家は、私のマンションとは真逆の方向なのにわざわざタクシーで送ってくれるという、分かりやすすぎる誘いに乗って
家の前でタクシーが止まった時にはもう取り繕うこともないかとそのまましれっと二人でタクシーを降り、私は彼を家に上げることになった。
家に酒は置いていないので、コーヒーでも淹れるかなぁとお湯を沸かしながら、コーヒー飲む前に始まるんじゃなかろうかとか考えていたら
案の定、後ろから抱きつかれてそのままソファに導かれて始まった。キスされて脱がされてあーだこーだ、
なんか慌ただしいな焦ってるのかな、とは思わないでもなかったが、彼は私を振った理由の女性とまだ付き合っているはず(伝聞)で、
気持ちが上ずるようなこともあるのかもしれない、とぼんやり余計なことを考えていた。
で、いざ入れられたら本当にあっという間に出たらしくて、あっという間に終わってしまった。
おい。
私は、未練が残っている男にかなりしつこく誘われて、セックスが割と久しぶりで、なおかつ振られた男(彼女あり)に誘われるままにという
侘しい気持ちを体験する若干のワクワク感もあり、もう少し濃厚もしくは乱暴なことが繰り広げられるのかと期待していたのだが、あっという間。
このいたたまれなさを私が受け止める義理も気力もさすがになく、眠いからと早々にお帰り願ったのだが、後日、旨いものをくいに行こうと誘われた。
うん。それなら今度こそもう少しまともなセックスになるのだろうかと、それなりに心の準備などもして臨んだのだが、また、あっという間。
彼は彼女(かなりうまくいっているらしい・伝聞)もいるし困ってることはないはずだが、逆に背徳感が彼をはやらせたのだろうか、とか、
伝聞と事実が異なる(うまくいってない?)のか、などと色々考えてみたが正解が分かるはずもない。
気まずいなぁと思っていたが、その数か月後ぐらい、また同じように誘われた。のらりくらりとしたもののやはり侘しさへの好奇心と性欲が勝って
高くて旨いものをごちそうになり。また、あーだこーだあったのち、あっという間。
思い返せばその昔、彼と初めてする時も、半ば強引に押し切られた上に、すごくあっという間だった。
はやる気持ちが早くさせるのは女の私でも何となく理解できる。それでも、付き合っていた時は、みじかっ!ということは無かったが。
そんなにあっという間なら、なぜ時間をかけて金もかけて、割と酷く振った女とやろうとしたのだろう。それも三度も。
別れてからしばらく時間が経っていて、その分私は年もとって魅力は減った。劣情が深まっているとは考えにくい。
逆に男性は年齢を重ねると遅くなるとも聞くし。また、順調(伝聞)な彼女も居て溜まっていたとも思いにくい。
誰でもいい。
性的指向を自覚したのは、いつ、どのようなシチュエーションだったのか教えて欲しい。
29年間の中で、性的指向を認識したことがない。ぼんやりとさえ掴めない。
要因はおそらく、精神が未熟で、自分ばかりが可愛く、他者への興味が薄いためだ。
更に、容姿や性格に恵まれず、努力もせず、よって誰からも好意を寄せられず、認識を必要とする機会もなかった。
ちなみに性欲はある。自慰も時々する。
漫画読むの好きなんだけど読んでから1年くらい経つと展開をほとんど忘れてしまう。
友人と話してるときに「あのシーンの〇〇が~」なんて話題になると読んだことあるはずなのにそんなことあったっけ?ってなってしまう。
もうヤベーほど可愛い。一時期芸能事務所に所属してたぐらい。目はぱっちりした二重で、睫毛も長くてお肌は白くてニキビひとつ無い。背こそ高くないが、華奢で色白で…しかもおしゃれだ。とてもおしゃれだ。あとお金持ちだ。前世何したんや。高僧の腹を満たす為に火に身投げでもしたか。彼女と一緒に歩いているとよく視線を感じる。男女問わず私の友達を見ているのだ。トロフィーワイフ(?)を連れ歩くオッサンの気持ちがわかるようになってしまった。
最近は会えていなくて、久しぶり(といっても2ヶ月ぶりとか)に遊んだのだが
可愛かった。おしゃれだった。綺麗だった。ちょっと見ない隙にまーた可愛くなっていた。
私の友達はバイト帰りの私服、私は学校終わりの制服姿だったんだけど、同い歳には見えなかった。彼女は幼顔で背があまり高くなく、それを嫌がっていたほどだったのに。何故か。それは単に彼女が垢抜けていたからだ。髪を明るい茶色に染めて、ダニエルウェリントンのペアウォッチとブレスレットをつけた私の友達は最高に可愛かった。せめてメイクぐらいしてくればよかったと恥ずかしくなるぐらい。
色々と溜まりに溜まった話題を尽きることなく話したが、私は彼女の話が7割ぐらいしか入ってこなかった。あとの3割は〝ほんまに可愛いなあ〟で占められていた。
彼氏と一周年記念で交換するプレゼントはバーバリーの小銭入れぐらいしか予算で済むやつ無かったーとか(三万ギリしないくらい)
1ページ目1コマ目
吹き出しがはしっこ過ぎ&はなれすぎ
もっと寄っていいよね
2ページ目1~3コマ目
このへんでちゃんと背景を描こう
なんか二人のやりとりの中で意味のあった台詞をいわせてくれないと
まずどっち?
ぼんやりしてるでしょう
どっちかにしないので衝撃が分散して印象が弱くなっている
これを短編として成立させるには
最後のオリジナルサカキさんにマリがかける言葉にその関係性を凝縮してほしい
つまり最後の台詞で「マリとサカキさんの関係性」に終止符(またはtobecontinued)をきちんとつけよう
「人間だと思ったらアンドロイドだった」なんてSFギミックで誰も心を動かしません
(それが本当に画期的でまだ誰もやってないギミックでない限り、ギミック一本で成り立つエンタメなんてないです)
そのギミックによって人間の存在や感情がどう揺さぶられたかを見せるのがエンタメです
人に見せるものを描いているならそこには必ず向き合ってください
絵はいうほど雑ではないです
絵について「デッサンが~」という人はしったかぶりなので気にしなくていいです
小さな頃丘を登ったことがある。丘と言っても公園にある3mほどの段差のような存在だ。
手で草を掴み、脚で懸命に地面を捉え、よじ登る。
世界が変わった。
せいぜい130cm程しかない身長では知り得なかった光景が視界に広がっていったのだ。
それからというもの冷静な大人では進まないような草木生い茂る道だろうと、高い場所なら登り続けた。
大きくなり山を登り始めた。
見たことのない花や透き通った渓流は美しい。険しい道すら日常からの乖離を感じさせ楽しくあった。
何より山頂にたどり着いた時の光景、あれだけは何にも代えがたい。人生の拠り所とすら言える存在だ。
事故にあった。
なんてことはない自損事故だ。
原付なのにスピードを出していて、飛び出してきた猫に気を取られて、ハンドル操作を誤って、地面を滑るように転げていった。ただそれだけ。
世界がくすんでいった。
座って見る世界は閉塞感がひどく、山頂のような自由を感じさせる光景とは程遠い。
大学に行くこともなくなった。
ただぼうっと自宅の窓から外を眺めるだけ。
残念ながらこの話に救いはない。
ただ山登りを愛していた青年は脚が動かなくなり、引きこもりになった。それだけ。
これから先ツラい現実と戦うかどうか、今はその一点のみを考えてる。
ぐるぐる思考が巡ってしょうがないので現状をまとめる意味を込めて書いた。
今年中には考えをまとめたい。
最初の人たちもそうだが、ミリマスシアター組も最初から声がついてるわけで、デレマスPの人にとって“声”は、まあたしかによしきにつけ悪しきにつけ大きな意味のある項目なのだろうなあ。
個人的には、デレマスは対岸の祭りみたいな感じでぼんやり眺めていたのだが、乙倉悠貴が出てきてた時かなり心が揺れ動いて、その後デレステを始め、N+乙倉を意味もなくセンターにおいてプレイする程度のことはしていたんだけど、声がついてからはそれほどでもない感じになった。スカウトチケットで迎える機会もあったのだが、それもしなかった。なんというか、声があることでかえって(自分の中で)天使性が失われたというか…
という個人的な経験からみて、みんながみんな「デレマスアイドルに声がつくまでは~」みたいなことを思ってるわけでもないとは思う。ただどうしても声が大きくなる人がいて(むしろ声を大きく主張することが、アイドルに対する忠誠の証と思い込んでいるのか)、そういう人たちが我々の目に入ってくるということではなかろうか。
ぼんやりと生きてた父親の唯一情熱を捧げて取り組んでいた趣味であったアクアリウムに対して母親が「これ邪魔だし目障りだからやめろ」と言った瞬間父親が無言で水槽を床にひっくり返して魚を全部殺し大切にしていたはずのアートを自らぶっ壊す所を目の前で見せられた経験が今の俺を作っている
というツイートが回ってきた
これ、殺したのが犬猫あるいは小鳥や爬虫類なら、文句を言われた瞬間可愛がってた子猫を風呂にぶち込んで窒息死させたとかなら、たとえ一匹でもそれぞれをペットとして愛する人が騒いだ案件だったろうに、魚を沢山殺した程度では騒がれない
魚の命は本当に軽いなと切なくなった
アケメネス朝ペルシャの王のなかで、キュロスとダレイオスは大王と呼ばれ他の王と区別されている。
彼らは、アケメネス朝ペルシャだけじゃなくて、人類史上別格の王だった。
キュロス大王はバビロン捕囚の解放者として有名だけど、ただユダヤ人を開放しただけではない。
あらゆる民に、服従と引き換えに身の安全と財産の保全と信教の自由を保障すると宣言した人だ。
ほとんど気まぐれに開放することもある程度だった。
大っぴらに、王の宣言として、そんなことをした人はそれまでいない。
許すことを覚えた最初の王だった。
服従という新しい選択を与えられたからこそ、近隣国は戦争ではなく服従を選ぶようになり、空前絶後の大帝国をつくることになった。
戦争にあけくれたキュロス大王では、ぼんやりとしたただのポリシーの宣言だったけれど、ダレイオス大王の時代に制度として固定された。
ダレイオス大王はたぶん人類史上もっとも有能な王で、また別の機会に書くかもしれないが、ここでは省略する。
とかく、信教の自由というのは、日本においてはあんまりピンとこないけど、徹底してる。
アレキサンドロスが敵であるダレイオス3世(大王と呼ばれたダレイオス1世とは別人)とその遺族に礼を尽くした。
ローマ皇帝ウァレリアヌスがシャープール1世に敗北し捕虜となった後も、捕虜にも関わらず宮殿が与えられたという。(近年まですぐ処刑されたとされていたが、実際は厚遇されていたらしい)
サダムフセインから民衆を開放した一方で、サダムフセインに対しての敬意が不足しているように思う。
私はリア充が嫌いだ。
爆発しろとはいわないが、半額弁当を漁る寂しい老後を一人で暮らせばいいのにと思う。
ゴミみたいな記事をまき散らすゴミは、AmazonとGoogleからハブられてしまえばいいのにと思う。
爆発すら生ぬるい。
しかし、私は彼らを受け入れられるようになりたい。
幼児ポルノを見たことがある人間は、金属バットでフルスイングされても文句は言えないのはわかってる。
しかし、殴られることで罪を償った人間を、さらに叩くのは正義ではない。
追記
リア充の仲間入りかもしれない。
そのせいで少し、リア充のことも許せるようになった。
別れたい…