はてなキーワード: SFとは
最後にわざわざ映画館でスマホを取り出させてまでアンケート答えてくれって言うから、けっこうボロクソに書いておいた。
見どころはあったけど、全体的にSFギミックが空回りしてるんだよなあ。ゴミ箱だけは林檎ギャグのネタとしてよかった。そこだけはよかったとアンケートにも書いた。
同じ監督が手がけた「イブの時間」でもSF考証はかなりいい加減だぞ
その世界のアンドロイドは外見は人間そっくりだけどまだまだ反応が機械的で感情表現もほぼ皆無、また頭上に天使の輪のようなホログラムが必ず表示されているんだけど、実はその気になればもっと人間的な言動が可能だしホログラムもその気になればいつでも消せるけど、アンドロイド達は人間達に配慮して自主的に機械っぽく振る舞っているという設定で、あの世界のアンドロイドの安全基準どうなっとんねんとひたすらツッコミ入れながら見た記憶がある
しかも見た目人間そっくりなタイプが主流なのに、そんなアンドロイドを人間のように扱う行為を揶揄する空気があって、それがあたかも社会問題であるかのように扱われているのも変だろと
・AI周りの設定が雑
これは一般客には興味ない気がする
他にもまともに見てたらツッコミどころ多くて
俺は「良いところと悪いところがある」と思っている。ツッコミどころだらけではなかった。
「AI」概念を都合よく混ぜるな。プログラム、ロボット、各種ハードウェアを全部「AI」という言葉で便利に表現していたのはちょっとモヤモヤした。
とはいえ、シオンの本質は物理的な「ヒューマノイド」ではなく、ネットワーク内に漂っているプログラムだった、という最後の結末を考えると意図的なのかもしれない。
他の企業が出てこないので作中で比較しようがないんだが、星間の存在が最大の謎だったりする。
まず「AI」の技術力という意味ではかなり高いという扱いを受けている(作中で)。現実世界でいうところのGAFAM、OpenAIみたいの水準なんだろう。
そしてロボティクス分野だとヒューマノイドを平気で量産しているし、そいつらの動作もかなりスムーズだ。ボストン・ダイナミクスみたいな技術力があるし、Tesla Botみたいな攻めの姿勢も感じられる。
あと、日本国内でAIのための実験都市を作ってる(借りてる?)という意味ではトヨタっぽさもある。政府や行政との調整がクッソ上手そう。
とりあえず、各企業の一番強いところを集めた「ぼくのかんがえたさいきょうの会社」ってことなんだと思う。
それにしてはJTBC感をちょくちょく出していてなんなんだ。いっそのことGoogleみたいなシリコンバレー企業感を出していても良かったと思うんだけどな。
サトミ母(美津子)は星間におけるシオンのプロジェクトをリードする立場で、研究面で数々の受賞をしたという描写がある。海外大学院でドクター取ったとかそういうタイプのエリートに見える。
だが、何故お前は星間にこだわるんだ?「この会社から見放されたら終わる」みたいなスタンスでずっと生きてる。メンヘラかよ。
どう考えてもお前は海外でも国内でも好きなところに転職できる立場と技術があるだろ。
もしかしたら「さいきょうの会社」が世界中に星間1社しかない世界観なんだろうか。ここがいまいち腑に落ちなかった。
これはマジで最高だった。すげえよかった。語彙がなくてごめんな。なんていうかな、無駄に「SFちっく」じゃないんだよ。
いまの俺らの生活もAlexaとかルンバとか自動運転車とか、20年前には考えられないような「AI」があちこちにいるわけよ。
でも暮らしぶりっていうとそんな昔と変わらなくない?全面が画面に取り囲まれたサイバーな空間で暮らしてるわけでもなく、普通にボロアパートで「OK, Google」とか言ってる、そんな感じじゃん。
アイうたはこの辺を上手く捉えてた。建物や人々の服装みたいな生活はそのままで、ちょっとした便利デバイスが追加されてる社会。
「今の生活の延長線上にあるAIとの暮らし」を上手く表現してたと思う。2030年代ってあんな感じになるんじゃね?くらいに思わせてくれた。
エンジニア、ガジェットオタクの目線から言っても「まあ、あり得るよな」の範囲で収まる描写が多かったしね。
正直、田植えロボットの合理性は疑問だけど、ボストン・ダイナミクスとTeslaの動きを見てるとそこまで異常ってわけでもないとは思う。Teslaが日本にあったら多分Tesla Botに田植えさせてると思うよ。
俺は前半の技術描写で感心してたわけよ。だけどこれが花火のミュージカルパートで怪しくなって冷めてしまった。
(正直、花火のシーンはどうでもいい。SFでミュージカルをやると現実的じゃなくなるからそこに文句はない。)
おもちゃ(組み込み機器)の自然言語処理AIが何故自己拡張できんの?そして自己複製して企業内ネットワークに遍在するようになる?超絶エリート集団の星間がどうしてこれを検知できない?
作中でも「ただの自然言語処理AIが」というセリフが登場するほどなのだが、何故か「そういうこともある」といった根拠のない感じで皆納得するようになる。
これまでが現実を強く意識させる描写だっただけに、ここの飛躍に頭が追いつかなかった。逆に最初の技術描写が優れていたからこそかもしれないが。
せめて作中世界のSF的論理でもいいから、エンベデッド機器のNLPプログラムが人格を持つようになった経緯は綺麗に説明してほしかったな。
他人のカードでセキュリティ室に入って何やってんだお前、完全にコンプラって概念ないだろ。まあ、最初から倫理観があまりないという意味では一貫してんのかな。
それにそんな危険人物を優秀だからといって企業に残す経営陣も狂ってるでしょ。
この暴走する役割は完全に高校生だけに押し付けるべきだったなと思う。暴走した高校生たちによって偶然にもサトミ母とシオンが再評価されて地位が回復する、とかね。
まあ、自分がこういうので楽しめなくなったクソつまらない人間になってしまった可能性は否めないけど。
とまあ文句は言ってるけど、重箱の隅をつついてるだけではある。
もうこの手のハリウッドのSF大作ものでは当たり前になってきたが、盛り上げどころの戦闘シーンでは臨場感が凄い、目の前に超巨大な怪物や天変地異やメカが現存するような感覚、アドレナリンがでる
ヒロイン的ポジションが母親でおばさん感あり、萌え萌え美少女とは言わんが若い女の子も置いた方がと思うのは俺がロリコン文化に疑いを持たない日本人だからか?
キャラ死にすぎ、重要そうなポジションのキャラでもあっさり死にまくる、せっかく用意したキャラを使い捨ててる感ありもったいない、見てる方もいちいち人物相関図がリセットされるので記憶するのがめんどくさい
アラビアンナイト的な砂漠地帯の文化とSFガジェットが混じる世界観は独特で美しい
主人公に主人公感がない、ヒョロガリ陰キャの雰囲気、役者さんの顔立ちのせいかスケールが小さそうな印象がする
主人公に未来予知能力があり、突然未来のビジョンが見えたりするのだが、それを表現するために進行中の出来事から突然主人公の予知能力で見てたビジョンに切り替わったりする
今これどっちやねん?としばしば混乱した。監督はメッセージでも同じ演出多用してたからこういう演出が本当に好きな人なんだなーと思った。ちょっとくどく感じる。
アイの歌声を聴かせてを見てきたのでなんで売れなかったの?という疑問に対し適当に書いておく
古臭く感じる絵柄だし
この時点で売れるのはきつい
人は見た目が9割じゃないけどアニメの9割はキャラデザだと思う
打ち上げ花火があれだけ酷評されても15億稼いだのはキャラデザの力も強い
シオンとサトミの話だからそこにクローズアップするのはいいんだけど面白いところがネタバレの範囲であんまり触れることができないっていう
意外と映画館にはカップルがいたしそういう方向だったらもっと拡散されていた可能性もある
あと歌ものというわりにあんまりそこが目立った宣伝がされてなかったような印象
・歌がよくない
よく聞けば良い曲だけどそれだけでは集客には弱い
聞いた瞬間に行きたいと思わせる必要がある
竜とそばかす姫も曲はそこそこ良かった
よく違いを述べるやつが言うがそこが重要だと思う
・AI周りの設定が雑
これは一般客には興味ない気がする
他にもまともに見てたらツッコミどころ多くて
・話は面白かったが歌要る?
まわりに面白いよって伝える時このアニメの歌がいいんだよ!と言い切れないのがまた辛い
・まとめ
面白いは面白いんだけど積極的に見るべき映画かと言われれば首を傾げる
もうすこし「みんなが褒めている」感が出れば良かったがそこまでのインパクトのある要素はなかったかな
若おかみもそうだけどただ良いアニメだけでは集客には繋がらないね
片隅の再来を望む人が多そうだがあれは君の名はという批評家や映画好きがこぞって否定したものの拒否反応が興行につながったところが大きい
2004年に刊行された『ライトノベル完全読本』(日経BP社)では、「表紙や挿絵にアニメ調のイラストを多用している若年層向けの小説」
←新潮文庫とかで表紙がそういうイラストになってる若年層むけ文学作品が該当、それこそ太宰とか
榎本秋は自身の著書における定義として「中学生/高校生という主なターゲットにおいて読みやすく書かれた娯楽小説」
←中学生と高校生でけっこう違う気がするけど、「SF 純文学っぽい」「ファンタジー 純文学っぽい」で検索すれば出てくるんじゃないかな。
あるいは「青年期の読者を対象とし、作中人物を漫画やアニメーションを想起させる『キャラクター』として構築したうえで、それに合わせたイラストを添えて刊行される小説群」
森博嗣は、著書『つぼねのカトリーヌ』(2014年)において、「会話が多く読みやすく、絵があってわかりやすい小説」
純文学って、文学のための文学というか、言語表現そのものを楽しむものかなと個人的には思っていて、
上の定義にあるような「読みやすさ」と相性が悪いかもしれない。
平山瑞穂とかはどうかな。
人類側も宇宙人側も最高に友好的な生物で、お互いに仲良く知的文明を高めあっていきましょう!って関係を築いたとして、
その宇宙人が有機物で構成された生物だったら、人はとりあえず1匹は試しに食ってみたい、と考えてしまうものだと思うし、
相手側だって有機生命体だったら試しに人を食ってみたいと考えるモンだと思うんだ。
でもお互いに高度知的生物同士。そんな非人道的な事をしたいなんて人類側も宇宙人側も口が裂けても言えねえ。でも食ってみてえ
そして始まる裏の取り合い。人攫い、宇宙人攫い。それぞれの種族で闇に広がる人食い文化、宇宙人食い文化
人を食うなら若い女に限るだの、アジア人の肉はまずいだのとグルメぶる宇宙人や
あの宇宙人の第5関節部分は刺し身で食うとめちゃめちゃ美味いんだとか言い出す人類
こういうSFあったら教えて。
いやだからさ、普通にみんな結婚しても出産しても仕事辞めずに頑張ってるでしょ。それが文句を言うことと同じくらい後進の女性の社会進出の礎になるからこそ自分の出来る範囲で努力してるわけ。まぁ何より自分のためにでもあるけど(とはいえ専業主婦という生き方を否定するわけでもないけどね)。社会の方をこそ変えるべきでは、っていうのはその通りなんだけどそのための努力はもうしてんの。やっと女性が多様な生き方を選択できるようになり始めたのに、そしてまだまだそのための制度も整ってないし理解も進んでないとこなのに、克服した前時代を肯定するかのような女性型ロボットは周囲の意識改革の妨げになるよね、って話よ、そういうヴィジュアルからの意識への固定観念の刷り込みって結構バカにできないのよ。あとまぁだから労働のためのロボットは変に人間型にしない方がいいよね、っていうのはSFでは繰り返し出て来るテーマでもある。
かつて趣味で小説を十年近く書いていた者だ。俺も理系だが、理系は歴史を学ぶ上で決して弱みではない。むしろ、物事を大局的に眺め、出来事の意味や結果をロジカルに考えるうえでは助けになるし、論理的な文章も得意だろう。なので、自信をもって執筆に向かってほしい。
とはいえ、いきなり中世ヨーロッパを舞台にした小説を書くのは難しい。農民であれ騎士であれ、生活の細部を思い描こうとするだけで筆が止まってしまう。朝起きて顔を洗い、用を足して食事をする、その半時間のことなのに細部がさっぱりわからず、筆が進まない。ありがちな悩みだが、深刻な悩みでもある。
仮に十年前の日本を舞台にした小説を書こうとしても、「当時はスマホが既にあったか」「はやっていた音楽は何だったか」「あの事件はもう起きていたか」など、俺たちの記憶は甚だ頼りなく、資料に頼らざるを得なくなる。ましてや、生まれる前の出来事など仮定に仮定を重ねた蜃気楼のようで、資料なしでは立ちすくんでしまう。よくわかる。なので、俺が読んで面白かった本を共有したい。
ところで、増田は世界史を勉強したいと述べているが、どうも「小説を書くための中世ヨーロッパの知識が欲しい」と「知識欲から漠然と世界史について学びたい」が混在しているようだ。ブクマやレスを見ると、その両方に対する回答がある。俺は、ひとまず前者について答えたく思う。後者については、中央公論社の「世界の歴史」シリーズか、講談社の「興亡の世界史」を読んで、そこから気になったキーワードからどんどん広げていくといいと思う。なお、俺は前者しか通読していない。
さて、過去の世界を生々しく想像するためには、俺は四つの視点が必要だと考えている。数理的視点、物質的視点、非物質的視点、それからエピソード的視点だ。以下、それぞれについて述べる。各々の視点に応じて、手に取るべき書籍は異なってくる。
さらに、この四つの視点があると、頭の中で歴史の知識を整理するのに役に立つ。少なくとも俺にとってははやりやすい。
過去の世界は偉大なようだが、人口は現代よりも少なく、都市の規模は小さく、穀物や工業製品の生産量も少ない。そういうわけで、もしもタイムスリップして中世の大都市を眺めたとしても、その小ささに俺たちは意外さを覚えるかもしれない。確かに現代にも通用する芸術作品はあるかもしれない。時代は異なるが、ピラミッドや紫禁城のような壮大な建物もあるだろう。とはいえ、庶民はそんな生活とは無縁であったはずだ。パリの城壁は今や環状線であるが、今のパリの都市圏はそれを越えて広がっている。
さて、小説を書く上ではリアリティが必要になる。それを支えるのが数の感覚だ。例えば、ある国家の人口がどれくらいで、即時に動員できる兵士がどれくらいで、都市と都市の距離がどれくらい離れており、移動速度はどれくらいか。集落の規模はどの程度か。船舶で運べる量は。モデルとする時代の数字をおおよその知っておくことで、明らかに不自然な描写は減らせるだろう。このあたりについては「銃、病原菌、鉄」や通史的に世界の人口を扱った書籍が助けになると思う。細かいことは気にしなくていい。オーダーが合っている程度で充分だ。数字を確かめるだけなら、ウィキペディアだけでもいい。これは英語版を併用することを薦める。
要するに衣食住の細部だ。先ほど騎士や農民の一日を想像するのが難しいと述べた理由はこれになる。増田が必要としているのはおそらくフランシス・ギースの出しているシリーズだ。都市や農村、城の生活が細かく書かれている。
他に、当時栽培されていた植物や動物については、「世界史を変えた50の○○」シリーズもいい。ある素材が手に入るか入らないか、あるいは知識の有無だけで国の命運が変わるというのは、たびたび起きてきたことだ。中世ではないが、例えばヒッタイトで鉄の製法が独占されたこと、柑橘類で長期航海の敵、壊血病が防げるとか、そうしたことだ。
また、具体的な書名はいちいち挙げられないが、図版の多い図解○○のようなシリーズも良い。もし、増田が視覚的にものを考えるタイプならなおのことだ。慣れていくと建築や芸術の○○様式というのが何となくわかるようになってくる。
加えて、児童書も侮っては行けない。専門家が監修した子供向けの本は、えりすぐりの内容を含んでいる。仮に含まれていないとしても、これだけは伝えておきたいという基礎知識は抑えてある。これは立花隆が言っていたことだったと記憶しているが、なじみのない分野を学ぶためには基本的な内容の本を三冊読むといいそうだ。なぜなら、本当に大事なことはその三冊すべてに書かれているからであり、結果的にその分野の基礎を身に着けることができる。
これは当時の人間が何を知っており、どんな風に考えていたかを指す。直接は物質として残らない、人の頭の中にあった知識や文化にまつわることだ。当時の科学知識、価値観、法律、迷信などもここに含めてよい。
さっき中世人の朝を想像するのが難しいと述べたが、昼以降の社会生活を想像するのはこれでさらに難しくなる。
たとえば俺は異世界ファンタジーをあまり読まないのだが、中世には叫喚追跡という風習があった。当時のイングランドの自由市民は犯罪が生じた場合には、その犯人を逮捕・処罰する義務を負っていた。隣保組織の長は角笛を吹き、大声で喚声をあげながら犯人を追跡しなければならず、また周囲の住民もその指揮に従って追跡に加わることが義務付けられていた。しかも、この協力を怠った住民に対しては制裁が課せられる。寡聞にして、こういうファンタジー小説は読んだことがない。
ここまではいかないにしても、海外文学を読むとなじみのない、ちょっとしたジェスチャーや迷信に出会うことがある。欧米だと、指を交差させることで幸運を祈るし、ロシア人は今でも扉越しに握手をすることを嫌う(宇宙ステーションでさえ)。この辺にリアリティは宿る。ジェスチャー関係なら、中世とは少しずれるが「常識の世界地図」が面白い。
法に関しては詳しくないがが、習慣や生活については先ほど述べたフランシス・ギースの本が参考になると思う。価値観では「中世の秋」がいいだろう。科学史については、増田は理系だから「磁力と重力の発見」を薦めたい。難易度はかなり高いが、知識がいかに科学になっていくかを肌で感じられる。
当時の職業に関しては、未読だが「十三世紀のハローワーク」がいいらしい。
キリスト教・宗教史に関しては、聖書のエピソードの概略や聖人伝を知っているといい。絵画が好きなら名画で学ぶ○○といったシリーズがたくさん出ている。ただし、聖書がわかったからと言ってキリスト教がわかったことにはならないので注意。
これは著名な人物の伝記に関する話だ。あるいは、当時の人々が親しんでいた物語も含めてもいい。こういう偉人の伝記や小話をたくさん知っていると、歴史好きの物知りとしてマウントを取ることができるが、その出来事が世界史上でどのような意味があったかを語れなければ、自己満足で終わり益は少ない。とはいえ、興味深いのは確かで、プロットの参考になるかもしれない。
このあたりの知識のためには、児童書も含めて伝記を読みあさることになる。または、ハプスブルク家の歴史だとか、各国史だとかを扱った新書を乱読する。絵画に興味があるなら、これも名画で見る○○のようなシリーズがおすすめだ。
当時の人々に身近だっただろう中世の騎士の物語については、ブルフィンチがアーサー王伝説、シャルルマーニュ伝説をまとめている。それとは別に「マビノギオン」も面白い。とはいえ、いきなり原典に当たる必要はなく、入門書を読めばいい。
ギリシア・ローマ神話は呉茂一の本が細かいところまで網羅しているし、ホメロスもオウィディウスも岩波文庫に入っているが、呉茂一の本は初心者には細かすぎるし、原典に当たるのは趣味の領域だから、小説を書くなら入門書で充分だと思う。同様の理由で、「史記」だとか「ローマ帝国興亡史」なども趣味に属する。当時ならではの視点は面白いが、鵜呑みにできない誤謬もあるだろう。
もちろん、単純に上記の分類にすべて本が収まるわけではない。大抵の通史・各国史はこれらを兼ね備えている。
以下、何となく面白かったものを思いついたままに書く。「中世ヨーロッパの歴史」「十二世紀ルネサンス」「ケルトの水脈」「西ヨーロッパ世界の形成」(ただしこの本は著名な王の事績がほとんどの載っておらず、当時の価値観や考え方についてのページがほとんどで、そこがアマゾンで叩かれている)。それから、隣人からの視点として「「イスラーム」から見た世界史」「アラブが見た十字軍」など。
書き洩らしているかもしれないが、今のところ思いつくのは以上だ。
他に、中世を舞台にした小説・映画もおすすめだ。難解だが読み応えのあるミステリ「薔薇の名前」、SFだが「異星人の郷」がいい。「大聖堂」は未読だ。「モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル」はコメディだが細部の正確さは中世映画随一であるとのこと。毒のある笑いに抵抗がなければおすすめ。
中世風の舞台を描くために中世について勉強する。素晴らしいことだ。俺は敬意を表する。それに読んでいるうちにどんどん楽しくなってくるだろう。何かを知る、これは純粋な喜びだ。
だが、小説を書く以上、ある程度は想像力で補わないといけない。ある場面を書く際に必要な情報があるとしても、そもそもその資料は存在しないかもしれない。研究者でさえわからないことは多い。俺もこれだけ読んできたが、わからないことだらけだ。むしろ、疑問が深まった感さえある。細部も忘れてしまった。増田はぜひ自分で本を買ってメモを取るなり線を引くなりしてほしい。読み飛ばさず、時間を掛ければそれだけ得るものも多いだろう。
もっとも、描写に困った場合は、該当シーンを省いてしまうのも手だ。小川哲がどこかで述べていたが、ある歴史SFを書くときに、細部を省略したシーンがあるという。ストーリーにあまり関わらない部分を省くのは、立派なテクニックだ。読者だって中世建築の細部について延々読まされても困るだろう。
もうひとつ忘れてはいけないのは、増田は研究者になろうとしているのではなく、小説を書こうとしている、ということだ。知識は目的ではなく、手段だ。これを忘れてしまうと、他人の設定の粗を探したり、中世なのに価値観が現代的なのを揶揄し始めたりする。こうなると、物語世界を素直に楽しめなくなる。
大事なのは歴史的正確さよりも、読者を喜ばせることだ。そういう意味では、演出として火薬が出てきたっていい。あるいは、読者が感情移入しやすくするように、人を殺してなんぼの武将ではなく、戦争で人を殺すことをためらう武将として、描写する必要がある(ドラマの戦国武将がやたらと戦争を嫌い、優しいのはそのためだ)。異世界ファンタジーの読者が読みたいのは中世ではなく、中世っぽいものだ。そもそも中世ヨーロッパ風なのに唯一神を信じていないファンタジーは多い。
そういう意味では、本を読んでもその知識が直接生きることは少ないかもしれない。くれぐれも、読者に向かって知識をひけらかしてはいけない。あるシーンの正確さのために資料に当たるのはいいが、その成果を延々披露しては読者のストレスになるだけだ。もちろんそういう衒学的な歴史小説もあり、固定ファンはついているが、ネット小説の読者には少ないだろうし、ネット小説の肝であるPVを稼ぐことにはならない。これはいい悪いではなく、ネットと書籍の媒体の差だと思っている。
また、レッドオーシャンの中世ヨーロッパ風ファンタジーに飛び込むのなら、正確さよりも作者の専門知を活かしたものの方が(ブクマで書いている方もいるが)読者の目に留まりそうである。そして、くどいようだが、これだけおすすめの本を書いてきたが、読者が欲しいのは正確な知識ではなく血沸き肉躍る物語である。
だが、作者にとっての最大の危険は、どんな物語よりも過去に起きた事実の方が面白いのだと気づいてしまうことだ。この罠にはまると、どんな小説も所詮作り事と思われて素直に読めず、何を書いてもむなしくなってしまう。言い換えるなら、創作欲が知識に殺されてしまう。増田には、これに一番気を付けてもらいたい。
それを防ぐには、面白い小説を読み、面白いものを書くこと、これに尽きる。先行作品としての中世ファンタジーを愛し、数多く読み、繰り返し読むこと。
設定としてはクラスで一番の才色兼備の美少女の肉体を1ヶ月前に死んだと思われてたクラスの気持ち悪い陰キャが「他人になるクスリ」というアイテムを使って実は乗っ取っていたという内容。
珍しいなって思ったのは「自分がキモヲタの男だったという自我はあるけど記憶や感覚は美少女本人のもの」だっていうこと。
某映画含め男女で入れ替わりみたいな設定はよくあるんだけど、これは融合?に近いのかな。
「母親のことをママと呼ぶ」「昨日ママと喧嘩した」「今着ているこの可愛いパジャマはつい最近買ったお気に入り」「最近読んでた文学のこと」「小中学生の頃の親友との懐かしい素敵な思い出」
こういうことを美少女本人として当たり前に思い出せるし、自分のことを思い出すたびに歩んできた人生そのものが美少女である自分に対して自己肯定感とか嬉しさみたいな感情が溢れてきて、またそれをキモヲタ側の自我がゾクゾクと興奮してる感じ。
女物の下着をつけたりスク水を着るっていう女子としては当たり前のことにたまらなく興奮して、勿論この肉体でオナニーしたりエロい下着つけたり更衣室で女友達の裸ガン見したりとかそらもう好き放題よ。
この作者はSF的な設定とエロを組み合わせるのがすげー上手いんだよね。
今流行な催眠モノとかにしたって安易にチート設定にするだけじゃなくて家族八景的な設定を組み合わせたり、
他にも寄生獣的な設定な奴だったりとか、
「これ普通にこの感じの設定でSF作品作っても面白くなりそうじゃね?」みたいな発想力に毎回感心させられる。
一度は読んでみ。