はてなキーワード: 職務命令とは
https://www.tokyo-np.co.jp/article/43611
「思考停止」だとか「考える力のない人間に教育を任せてる」だとか散々な言われようだが、現場の感覚からすると、国旗国歌に関する決まりは平時においてもその他の職務命令と比してアホかと思うくらい徹底して遵守を確認させられるので、通達があったらそりゃ従うだろうなと思ったのが最初の感想。
例えば、普通の入学式・卒業式の際にも国歌斉唱でCDを流す場合なんかは、万が一CDが流れないと最悪は服務事故になりうるという認識があるため、担当の教員はラジカセやCDのバックアップを用意しておいたりもする。そのくらい現場はビビってやってる。
そう。ビビってやってるだけ。まあ普通に考えればわかることだが、私の観測範囲では、嬉々として国旗に礼をして国歌を口ずさむ教員など見たことがない。皆「決まりだから」「やらないと何言われるかわからないから」「評価に傷がついて次の異動先に希望が通らないかも知れないから」「ひょっとすると処罰まであるかも知れないから」そうしているだけだ。
公立校の教員は基本的に教育委員会の言いなりである。それを思考停止と言われればそれまでなのだが、言われた通りに動かないとそれはそれで市民は怒るじゃないですか。公務員のくせに、って。それでも思考して処罰されるのも厭わず通達に反した行動を起こせるのは、通達に従うことがそれなりに公共の福祉に反すると明らかなときだと思う。
しかし私は卒業式での国歌斉唱が、そうした事態に該当していたとは思わない。3月の上旬といえば、学校休業によって生徒たちは街に溢れ、「学校休業は不要だったのではないか」という論調が幅をきかせていた頃だったと思う。むしろ、それでも殆どの都立校の卒業式では、出席者が卒業生と教職員のみで、現在以上に生徒間の距離を確保しながら厳戒態勢で式を挙行していた。当時世の中で一番厳戒態勢を取っていた場所こそ学校だったのではないかとすら思うほどだ。当然、記事にある通り国歌斉唱も好ましくないという判断は各学校でもあっただろう。うちでも「大声では歌わないでください」という指示を出していたと記憶している。それこそ現場の判断でやったことだった。
……とか言ってると正当化し過ぎと思われるかも知れないが、別に「問題はなかった」と言いたいわけではない。今その判断を迫られれば、都立校だって国歌斉唱などさせないだろう。そのくらいにはこの件には問題があった。しかし、3月前半の当時、世の中は斉唱をすることの危険性をそこまで明白に共有できていただろうか。この点を踏まえると、少し理不尽な叩かれ方だと感じる。
あと何より思うのは、国歌を歌えと言ってるのは国であり自治体であり教員は「歌わなくていいだろ」と言い続けた結果、公務員なんだから決まりに従え!と言われて裁判負けて処罰されて今こうなってるわけで、別に「こんなこと」で処罰されないなら自分たちで判断しますよと思うわけです。みんな「こんなこと」と思ってんだよね?なら強制しないで欲しいなって。
高知市職員ですが、以前のエントリーが思った以上に反響がありましたので、書きます。
以前のエントリー
https://anond.hatelabo.jp/20180728154743
https://www.kochinews.co.jp/article/203672/
高知市の横田寿生教育長が31日付で辞任。7月上旬の西日本豪雨のさなかに、北海道へ市幹部ら7人で競馬旅行していたことに批判が高まっていた。岡﨑誠也市長が記者会見して発表。
7月4日から発生している豪雨災害のさなか、今回辞任した横田教育長、教育次長、総務部の弘瀬優総務部長、諸石信広総務部副部長、その他副部長級2人、課長級1人の合計7人が函館に競馬観戦の旅行に出かけていたことが発端です。(この7人というのが、競馬好きで20年以上の付き合いで趣味で、全国の競馬観戦をしている「有馬会」のメンバーであり、後述しますが、事実上の高知市役所の人事権を牛耳っているメンバーでありました。)
このうち、横田教育長と弘瀬部長は、災害対策本部のメンバーであることから、庁内外はもちろん、市民からも非難の声が集まり、全国区のニュースとなりました。
ここで、誤解してほしくないのが、単におじさん7人が趣味で競馬旅行を行っていたのが問題ありません。公務員だからといって、競馬をしてはいけない、という理由は無いと思います。ただ、タイミングが最悪だった。豪雨災害で西日本を中心に被害が発生しており、高知県内では3人が死亡している最中、この7人は競馬観戦をして、すき焼きに舌鼓を打っていたということ、道義的責任が生じるとともに、公務員にとって最もと大事な「信用」失墜行為にあたるということです。
なお、出発した時点は大きな被害は出ていなかったと、それに代理を立てて準備をしていた等、一部弁明していますが、これもおかしな話です。
というのは、そもそも災害対策本部というのは、当該自治体における防災対策の最高意思決定機関であり、避難所開設、避難指示、避難勧告といった市民の生命に直結する、非常に重要な決定を行う機関です。
責任が非常に重いのでそもそも課長、課長補佐といった代理で務まるわけがありません。そのような理由もあり、大きく報道されました。
後述しますが、この報道に対して当の教育長が「道義的責任はない」と開き直ったことから、市議会の与党会派「新風クラブ」「市民クラブ」「公明党」が激怒し、公明党出身の市議会議長も市長に文書で申し入れをする構えを見せたことで、事態は急変しました。
今回、競馬旅行にいった有馬会のボスである横田教育長は道義的責任はない、と高知新聞7月28日付朝刊においてコメントしていました。
「(旅行期間中は)学校も休みで行事もない。用意周到に必要な指示を出し、態勢を敷いていたのえ、(私が不在でも)特に支障なはなかった。道義的責任も生じない」という認識を示した。
避難所として小中学校は機能するにかかわらず、教育委員会トップと思えない軽い認識で、道義的責任を生じないというコメントには、失望しました。
しかし、冒頭のニュースにあるように、本日付で横田教育長が辞任しました。
長年、高知市役所において、人事課長、財務部長を歴任し、最終的に教育長という副市長クラスの特別職として君臨していた男のあっけない退場でした。最終的な肩書が「人事の横田」「競馬旅行の教育長」という肩書とともに。
今回の競馬旅行事件は、教育長の辞任をもって幕引きとなるでしょう。本来的には、職員の人事権や綱紀粛正などを統括する総務部長が一定の処分を受けると思いますが、今のところ、減給程度で終わるようです。
しかし、有馬会のナンバー2である弘瀬部長がこのまま総務部に留任ということは、ありえないと一般的に思いますが、仮に弘瀬部長こそ、次期副市長の最有力候補であり、やもすれば、市長の呼び声も大きいので、ここでキャリアに傷をつけるのは、何としても避けたいところでしょう。
それに、現在の岡崎市長の最側近でもあり、かつて、弘瀬部長が課長時代に、同和問題で部落解放同盟に糾弾された際も処分はせず、現在の総務部長のポストにつけたことから、その信頼の強さがうかがえます。
よって、道義的責任は生じないと言っていた横田教育長が辞任したことは、有馬会トップの座を弘瀬部長に禅譲することも意味します。
高知市役所も結局、組織でありヒエラルキーが存在し、派閥も一定存在します。そのような派閥で最大の力を誇るのが、有馬会です。
有馬会は、報道ではただの競馬大好きクラブといったような趣ですが、そうではありません。(ちなみに有馬会の由来は、有馬記念から来ています)
そのメンバーが、今回のニュースで明らかになったように、教育長、教育次長、総務部長、総務副部長、さらに副部長級があと2人、課長級が1人と上級幹部ばかりです。
今回旅行行ったのは、有馬会の中でも有力メンバーであり、その他にも有馬会のメンバー、もしくは有馬会「系」の派閥も存在しています。
彼らの力の源泉は、財政課、企画課、人事課、行政管理課といった役所内の中枢出身者ばかりということです。
では、なぜ有馬会がここまでの力を持つようになったのか?これは、前市長にまで話はさかのぼります、が、長くなっても仕方ないので機会があれば書きます。
ただ、一般的に役所の世界で出世したければ、上記のセクションに配属され、市長に最も近い派閥に属することです。
役所という世界は、実力云々というよりも、どこに配属されていたか?ということが重要ですので、下手を打たずレールにいれば、そこそこのポジションにありつけます。そのメインストリームが有馬会というわけです。
今回の教訓を単なる、競馬大好きおじさん達の軽率な行動というレベルで片づけるのではなく、このおじさん達が庁内で権力を握り、人事権を牛耳り、誰も文句を言えなかったという事実です。普通の職員ならば、台風災害中に旅行には行きませんし、まさか役所の仲間と行くなんてありえません。異常です。異常ですが、そのように感じないほどの空気が役所内にはありました。
なので、今回の報道でも職員も「大げさすぎる」という意見も一定数あったので、役所内世論も完全に2分していました。なので、今回議会の指摘があったのは、不幸中の幸いです。ある意味、民主主義の自浄作用が働いた形です。しかし、この災害中に飲み会というニュースは、既読感がみなさんあったと思います。あえて言いませんが、同じことが今回、悲しくも私の高知市役所でもありました。
では、指示で動くのは誰でしょうか?動くのは、主事、主査補、主査、主任、係長、課長補佐、課長といった人々です。部長、副部長といった上級管理職以下の職員です。上司が部下を見るように、部下も上司を見ています。とはいえ、職務命令があれば動きます。これがルールだからです。気に入らないという個人的に思いはありますが、役所という完全タテ社会では、それが言えない空気があります。
高知市は、これから全国でも例をみない、高知県ほぼすべての市町村が連携中枢都市圏を構成する巨大プロジェクトを進めており、そのフロントランナーが高知市です。そんな他市町村を束ねる役割を担う高知市でこのような報道があったことは悲しく、情けなく、それ以上に怒りを感じます。
現場の職員は、災害時だろうと、市民の暮らしを守るということ一番に考えております。これまでの高知市は三位一体改革や前市長の極端な積極財政による財政危機のため、職員給与がカットされるとともに、職員数も減らされて中核市でワーストクラスとなりました。
つまり、しわ寄せは少ない人数で、時間外手当も限られている中で現場は工夫をしてきました。だからこそ、今回の事件は、これまで築き上げてきた高知市の矜持を深く傷づけているのです。それが職員の綱紀粛正の大本営である総務部長、副部長ということが、何ともいえない気持ちになるわけです。
ほら言ったじゃないか
英語の意味も調べた上で言ったのに、職務命令だからって押し切られるし
あれってちゃんと決裁とか取ってたんだろうか?
異動してきて買わされるときも、「強制じゃない」って言いながら「買わなかったらどうなるか分かってるよね」だからなぁ
こういうのって貸与じゃないのかね
組合に相談しても仕方ないし、逆に相談したことが人事を通じて筒抜けだから恐ろしいったらありゃしない
不正とそうじゃない人を見分けるなんてどうやったら良いのさ
一人で何件抱えてると思ってるんだ
潰れる人が出るのも分かるよ
こんなこと言っててもあのジャンパーを買ってあの職場で働いている以上は同じ穴の狢でしかない
今日は途中で上がらせてもらったけど、正直ここであと何年も働き続けるなんて真っ平だ
どんな相手にも敬意を払え、払えない奴とは付き合うな・・・と言いたいところだけど、それが出来れば苦労しないよな。
そんな尊大な増田は、一度リーダーシップを体系的に学ぶといいかもね。アメリカ海軍のそれとか、かなり参考になると思う。
人の上に立つ者は実務能力よりもリーダーシップで評価される。要するに下っ端とリーダーとでは求められる資質が全く違うんだよ。
それは他の増田も書いているけど器の大きさが一番大事とも言い換えられる。
もっと具体的に書くならリーダーたる者「是非あの人の指導を受けたい」と誰からも言われるくらいにならないとダメ。
まあ意識高い系の部下やイエスマンは求めずとも言うだろうが、無能な怠け者からも同じような台詞を言わせてナンボなのがリーダー。
残念ながら今の増田じゃ、いずれ「誰がお前なんかについて行くんだよ、テメエ一人だけで勝手にやれよ」くらいの事を部下から言われる日が来るだろう。
もし無理だというなら、最終決定権を持つリーダーになってはいけない。
参謀格もしくはサブリーダーとして、あくまで職務命令を具体的なタスクに落とし込んだり、リーダーに助言を行う立場に甘んじるべき。
そしてリーダーから「お前な、少しは部下の気持ちも考えろよ」「言ってることは正しいけど、今このタイミングでやるのは面倒なだけだからほっとけ」などと叱られ、たしなめられながら生きていくのが一番。
そういえばあまり書いてこなかったと思ったので、今回はなるべくドロドロした事を書いてみたい。
さて、“人間ヒマで余裕があるとロクな事をしない”というのは、歴史的かつ普遍的な事実である。
市役所とかの歴史がそのまま、ドロドロした人間関係の歴史であるように。
まあ大体この辺りが古い大きな神社の職員構成層であると考えてもらっていいし、おおよそ左から順に尊重される。
この序列はコネ順として捉えるとわかりやすい。神社界で物を言うのは人間様のお口ではなくて、コネと金がすべてである。
年功序列、上位下達をこそ金科玉条とする神社界においては当然、職務命令に対する理解よりも遂行よりも服従そのものが求められる。
「伝統を堅く守る」という事 = 「自分の頭で考える余地がない」という事であり、アレンジャーやアドバイザーは不要である。自分の意見を言わずにはいられないタイプの不具者は、転任だの何だの理由をつけていずれ追い出される。経歴に転任の多い奴はこの不具者であるとすぐわかる。
以上の背景を前提として、神社内にも暗闘が存在するわけであるが。
まあこの暗闘てのは一般的には俗界において“社内政治”と言われているものに類する。
より具体的には、世襲経営者もしくは実質的な経営者層に対し、代々職員や兼業神職が、まるで反抗期のガキのように反旗を翻すものが多い。
ただし、待遇改善や職場環境向上を求める声はほとんど上がらず、神社運営における主導権争いがメインになってくるのが特徴的な点と言える。
とは言え、大体の神社において経営者層というのは大体決まっている。どのあたりが宮司になるとかは大体決まっているし、また世襲のところもある。
となれば雇用主と被雇用主は明確に分化されていると言えるし、また、飼い主が誰かわかっていない飼い犬などただの狂犬である。
なのになぜ、経営者の座はどうせ何代経とうが小揺るぎもしないのになぜ、このような主導権争いの暗闘がわざわざ発生するのかというと。
「ウチは代々この神社に勤めてるから」という、自宅感覚で職場に意見する、代々職員。
また、自分の家系で代々ちっぽけな神社の宮司を勤めているというだけなのに“神社界に重きをなしている”と勘違いし、また生活費が稼げないからよその神社様にお勤めして食わせてもらっているのに自宅感覚で職場にて宮司の如く振舞う、兼業神職。
まあカンタンに言えば、でかい会社において、そこに勤めているよそのちっぽけな会社の社長やそこの後継ぎが、偉そうに振舞っているのと同じ感覚である。
経営者としては、こいつらはタダの被雇用者なのだが、先祖代々のコネがあるから無下にはできないし、地縁血縁もある事だから粗略には扱えない。
で、こいつらがしがない雇われとしての自分の立場を自覚しているならいいのだが、神社に入ってくる段階で既に、コネで楽して資格とったりコネで楽に就職決めたりして入ってくるだけに、当然のごとく選民思想に満ち溢れており、強く出れない経営者の立場を逆手に取り、職場においても我が物顔で振舞う。
なので止める者もなく、こいつらは職場の腫れ物と化してゆく。
で、すっかり腫れ物と化したこいつらが必ず何をするのかというと、神社運営における主導権争いである。
自分達だけでやるなら好きにすりゃあいい話なのだが、迷惑な事に職員全体を巻き込んで争いをおっ始める。
宗教家が政治に興味を持ったところで碌な結果には結びつかないし、社内政治においても同様である。
金や権勢や社内政治に興味のない人間でも務まるのが聖職者のはずなのだが、否応なしに巻き込まれる。
まあ嫌そうな顔をして正論を吐く程度の自由は与えられるのが、一般企業とは違うところか。
「ここはお前ん家の神社じゃねえんだよ、そういうワガママなら家に帰ってパパ宮司に言えや」みたいな事をオブラートに包んで言っても、
「そういう事を言い出したら意見なんてできない」みたいな一般論を返すだけでまったく内省の気配すらない。
この辺は一般企業と何も変わらないのだが、もちろん神職の養成機関においても、年功序列、上位下達を重視した教育が施される。
伝統を堅持する神社界に、新しい意見はいらない。その考えにはただ単に飯食う為に神主をやってる私も同意する。てかどうでもいい。
しかし、飼い主が誰かをわきまえていない飼い犬は明らかに不要である。
そこんところはキッチリわきまえ、誰におまんま食わせてもらってるのか自覚し、飼い主に尻尾をきちんと振らない限りは、代々続く家の子孫だろうが何だろうがただの狂犬の群れである。
職場に対して偉そうに意見するのならまずは、テメエん家の神社一本で食ってけない、情けない我が身を省みて大いに恥じるべきである。
やり方次第ではどれだけ小さい神社だろうが、一社の故実を破壊せずに神社一本で食ってく方法なんていくらだってある。でもそれをしない。思わない調べない実行しない。
まずその己の怠慢に対し、親や祖先や神社に対してごめんなさいと言うべきである。
自分ちの神社だけで食ってけないなら、食い扶持を稼がせてくれるヨソの神社に対して偉そうな事は言わない。
何年勤めていようが、何代勤めていようが一緒。雇われは雇われ。
てかそもそも、そういう偉そうな事を言える立場じゃない。
唐突だけど以前読んだ本で、「宇宙の果てまで―すばる大望遠鏡プロジェクト20年の軌跡」というのがあったので紹介する。
http://anond.hatelabo.jp/20130506111132
書いたのは、ハワイのすばる望遠鏡設立に向けて尽力した小平 桂一という方で、
話はほぼご自身の経験に基づいた軌跡なんだが、
研究者としての彼の姿よりも研究者のために働くマネージャーとしての姿がとても印象的だった。
例えば、すばる望遠鏡の設立が三十年越しにようやく決まった中で、
ハワイへ数ヶ月から数年単位で海外赴任することになるであろう職員の海外赴任手当が大きな問題になった。
なぜなら、今まで海外にある国立の設備といえば、第二次世界大戦の慰霊碑ぐらいしか前例がなかったのだから。
国立機関の研究者が常勤で海外に暮らすということに限って言えば、前代未聞だった。
既存の枠組みでは"出張"程度しかなかった海外赴任の手当をもっと増やせないかと関係省庁を巡るなかで
彼は、少なからず「研究者は研究をしたいからそこへ行くんでしょう。手当等増やさなくてもいいんじゃないですか?」という声を聞いたらしい。
このままでは「すばる望遠鏡」という箱はできても中に人がやってこなくなってしまう。
職員に職務命令で従わせることもできるが、志気が上がらない研究でなんの成果があがるんだ(この辺うろ覚えでごめんなさい)。
そういう危機感をもって活動した結果、待遇は改善されたという話だった。
研究者は世捨て人じゃない。市井の働く人たちは皆仕事とプライベートの二者択一を選ばなくて、研究者がそれを当然だと思うのはおかしいよ。
足りない部分をかける時間で補うような研究もあるとは思いますが、なんていうか大半が、環境が許せばそうはならないんじゃないかと私は思います。
ピペドの体験談など特に...すごく無責任に聞こえると思いますが、元増田は常勤職ということでそれなりのポストを得ていると思います。
ご自身が今に納得しなかったなら、せめて次のひとたちのために、活動できるようになれる立場を目指されてはどうでしょうか。
長文にて失礼致しました。
http://anond.hatelabo.jp/20120510141749
前回の続き
さて、MBSの記者が自らの番組「VOICE」にて件のやりとりを報道した
それに対し、橋下市長は
「アンケート自体も、無回答が多く校長が全体としてどのような意見を持つかが不明瞭など、正確性に欠けた上に恣意的な扱いをされている」
と述べた
嘉悦大学教授であり政策コンサルティング企業「株式会社政策工房」の代表取締役会長である「高橋洋一」は橋下市長のやり方について、
「件の記者は、報道内容を先に作った上で、それに沿った言動を引き出すのが目的だったのではないか」
「橋本市長はそれに対して"管轄外だからコメントしない"と簡潔に言うのではなく、きちんとその論理を説いた」
「これには、記者に"橋本市長は逃げた"という記事を書かせないという効果もあったのではないか」
「これからもこうした透明化を行うことで、偏った報道への抑止力となるだろう」
などと述べた
しかし、透明化を行なってもテレビというメディアの影響力は今だに大きい
あの(編集された)放送をみたら誰だって"橋本市長は気が狂ってる、いきなり怒りだしてどうしたんだ"と思うだろう
ネットを見ない、テレビを見る数百万人があれを視聴したんだから、僕はイチコロだよ
と述べている
口元チェック問題で注目された中原徹校長は、自身のブログに国歌斉唱問題について記事を書いた
「正当な手続きを踏んで、最高裁判所でも合憲判断を下された職務命令には従うべきであり、
入学・卒業式という生徒を迎え・送るセレモニーの場では個人個人のイデオロギーをアピールせず、起立斉唱をして生徒を祝福して欲しい
しかし一方、日の丸・君が代と日本の負の歴史が関連している考えを持つ方においては、そういった意見を封殺する事はあってはならないと考える
もちろん、そういう考えを"式典での行動"で示す事はあってはならない
それはもはや教育という場でやるべきことではない、大人同士の争いであるからだ
教育現場で行うべきは、君が代・日の丸にどのような意味が込められ、賛否それぞれどのような意見・見解・解釈があるのかを分け隔てなく伝える事である
そして、国歌斉唱問題がどのような構造の下に発生し、どのような解決がされていくべきなのかを生徒自身に考えされるようにするべきである
と述べた」
http://twitter.com/#!/t_ishin/status/201136169940037635
http://twitter.com/#!/t_ishin/status/201137389358419969
http://twitter.com/#!/t_ishin/status/201137895208255488
http://twitter.com/#!/t_ishin/status/201138385065213952
http://twitter.com/#!/t_ishin/status/201140900062183425
http://twitter.com/#!/t_ishin/status/201141476548292609
http://nicoviewer.net/sm17794316
http://www.nicovideo.jp/watch/sm17794316
記者の主張
起立斉唱命令が思想良心の自由(日本国憲法第19条にて規定されている)を侵害しているのではないか。
また、大阪府立和泉高校の中原徹校長は口元のチェックをして歌っているかを確認したが、それはやり過ぎ(職務権限を超えた行為)なのではないか。
橋本市長の答え
なお、これまで行政側が出してきた起立斉唱の職務命令についての最高裁判の判断は、すべて合憲となっている。
条例については平成二十三年六月十三日に公布され、その日から施行されてます。
現在までに最高裁判所での違憲判決は出ていないので、違憲性はない。
さらに言えば、公務員は全体の奉仕者のある(日本国憲法第15条)。
「私は思想良心の自由に従い、国家や国家の象徴たる天皇に忠誠は誓わないので歌わない」というのであれば、それは全体の奉仕者ではないということだ。
次に、口元チェックは職務権限外か否かについて。
教育委員会は各校長に対して「起立斉唱の確認をしなさい。裁量は任せる」との命令を出している。
これはつまり、方法や起立斉唱の基準については自由にして良いとの事である。
そして、中原徹校長は教育委員会に自らの方法を確認した上で口元のチェックを行った。
具体的には「後方から3秒間目視し、その時に口が動いていない教員を式の後に別室に呼び出し、そこで歌っていないと答えた教員のみを教育委員会に報告する」というものであった。
中原徹校長は起立斉唱の確認を、式を乱さず、その人の社会的評価も落とさず、理不尽な拘束などで無理やり自供させるなどの方法を使わなかった。
それ以前に、教育委員会が与えた命令をきちんと守り、確認だけに終始した。
もし口元チェックに問題があるならば、相談を受けた上でそれでも裁量を任せた教育委員会に非があるだろう。
http://www.pref.osaka.jp/houbun/reiki/reiki_honbun/k2011553001.html
http://www.47news.jp/CN/201106/CN2011060301000920.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E6%97%97%E5%9B%BD%E6%AD%8C%E6%9D%A1%E4%BE%8B
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/H11/H11HO127.html
http://www.houko.com/00/01/S21/000.HTM
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%9B%BD%E6%86%B2%E6%B3%95
あれは単に「公務員が仕事サボってる」ってだけだから。正当な理由もなく仕事サボればペナルティ課されるのは当然の話なわけ。
起立命令自体が正当な職務命令で、さらに思想信条の自由の侵害にも該当しないという事は、過去両手両足の指じゃ数え切れない程度には判決が出てるわけで。
とは言っても容認されるのはせいぜいが訓告処分だから、教師側はぶっちゃけ痛くもかゆくもないんだけどね。
ナイーブに考えて、下品で息苦しいのである。
逆に質問なんだけど、じゃあ「上品な政治家」って実在の人で言えば誰?その人は政治家としてどんな実績をあげた?
橋下が批判に対して幼稚な反応するのは、そもそもその批判自体が幼稚だからだよ。
「バカ」と言われたら「何だとこのバカ!」と言い返すのが橋下のスタンス。もちろん、橋下も言い返す相手は慎重に選んでるけどね。
神奈川訴訟も原告敗訴確定 起立、斉唱の義務なし確認
神奈川県立学校の教職員ら130人が県を相手に、学校行事で日の丸に向かって起立し、君が代を斉唱する義務がないことの確認を求めた訴訟で、最高裁第3小法廷(那須弘平裁判長)は22日までに、教職員らの上告を退ける決定をした。「具体的な権利、義務に関する争いではない」として訴えを却下した二審東京高裁判決が確定した。
一審横浜地裁判決は、訴えそのものは適法としたが、入学式や卒業式で国旗を掲げ、起立して国歌を斉唱するよう教職員への指導徹底を求めた県教育長の通知に基づく校長の職務命令は「思想、良心の自由を侵害せず、教職員は従う義務がある」と請求を棄却。
しかし二審東京高裁は、この訴訟は事実上、教育長通知の無効確認を求めるものだとし、「通知は教職員との間で具体的な権利義務を定めたものではなく訴えは不適法」と判断。一審判決を取り消して訴えを却下した。
一、二審判決によると、教育長は2004年11月、各校長に通知を出し、「教職員が従わない場合、厳正に対処する」とした。
(共同)
広島県立高校の教諭らが、卒業式などで「君が代」斉唱時に校長の命令に反して起立せずに戒告処分を受けたことを不服として県教委に処分の取り消しを求めた訴訟で、最高裁第三小法廷(大谷剛彦裁判長)は21日、教諭らの上告を棄却する判決を言い渡した。教諭らの敗訴が確定した。
判決は、起立させる校長の職務命令について「思想・良心の自由」を保障した憲法19条に違反しないと判断した。同種の訴訟で「合憲」と判断した最高裁判決は4例目。
原告の教諭ら42人は、2001~03年度の入学式や卒業式で君が代斉唱時に校長の命令に反して起立しなかったことから、県教委から戒告処分を受けた。
第三小法廷は、先行した3判決の内容を踏襲。職務命令が個人の思想・良心の自由を「間接的に制約する面は否定しがたい」と認めつつ、教育上の行事にふさわしい秩序を確保する目的などを考慮すれば、「制約には必要性・合理性がある」と結論づけた。
裁判官5人のうち、弁護士出身の田原睦夫裁判官は審理を高裁に差し戻すべきだとする反対意見を述べた。「一部の教諭らについては起立だけでなく斉唱まで命令されたと解釈できる」と指摘。「斉唱の命令は、内心の核心的部分を侵害する可能性がある」との考えを示した。(山本亮介)
栄誉礼を演奏する音楽隊の隊員が、特定の国賓に敬意を表したくないと思っていた場合、演奏を拒否できるべきか。
現職の首相と思想的に相容れない自衛隊員は、観閲式で首相への敬礼を拒否できるべきか。
死刑執行をしたくない刑務官は、死刑執行のボタンを押すのを拒否できるべきか。
ある犯罪者に思想的に共感した警察官は、その犯罪者の検挙・逮捕を拒否できるべきか。
消費税に反対の税務署員は、消費税に関連した事務処理を拒否できるべきか。
孫正義が嫌いな総務省職員は、ソフトバンクからの申請を拒否できるべきか。
以上のような思想・信条による職務命令違反を行った公務員は、免職・減給・配置転換等の処分を科されることなく、
従来通りの部署・役職・職掌で業務を行わせるべきか。
- 1994年3月、八王子市立石川中学校の卒業式で、掲揚されていた国旗を降ろして、減給処分。
- 1995年3月、八王子市立石川中学校の学級通信で国旗掲揚を非難したため、訓告処分。
- 1999年3月、八王子市立石川中学校の家庭科の授業で、国旗及び国歌に関する法律はオウム真理教のマインドコントロールと同じであるというプリントを配布し、校長の学校運営を批判したことにより、訓告処分。(この処分に対しては、2001年に「教育行政の教育現場への不当介入」として訴訟を起こすが、2004年5月に敗訴)
- 2000年2月、多摩市立多摩中学校の家庭科の授業で従軍慰安婦やジェンダーフリーをテーマに授業を行い、校長の職務命令に従わなかったため、減給処分。(この処分を不服とし、2004年に訴訟を起こすが一審二審共に敗訴している。)
- 2003年3月、調布市立調布中学校に異動。通勤時間が往復で4時間かかる勤務地への配属は不当として、2004年に訴訟を起こす。
- 2005年3月、立川市立立川第二中学校の卒業式で、国歌斉唱の際に起立を拒否したため、減給10%・6ヶ月。
- 2005年4月、立川市立立川第二中学校の入学式で、国歌斉唱の際に起立を拒否したため、停職1ヶ月・ボーナス0。
- 2005年12月、大阪市の『すわって示そう戦争反対!12・23』で講演
- 2006年3月、立川市立立川第二中学校の卒業式で、国歌斉唱の際に起立を拒否したため、停職3か月。(この処分を不服として訴訟を起こすが、2009年3月に棄却される)
- 2006年4月、『4.25改憲と共謀罪に反対する集い』で講演
- 2006年12月、多田謡子反権力人権賞を受賞。
- 2007年3月、町田市立鶴川第二中学校の卒業式で、国歌斉唱の際に起立を拒否したため、停職6ヶ月。
- 2008年3月、東京都立南大沢学園養護学校の卒業式で国歌斉唱を拒否したことにより、停職6ヶ月。
- 2008年4月、東京都立あきる野学園に異動。
- 2009年3月、東京都立あきる野学園の卒業式で、君が代不起立により停職3ヶ月。
キチガイすぎるだろこいつ。
こんなのがクビにならない事が逆に怖いわ。
君が代起立命令、別の小法廷も「合憲」 最高裁判断
公立学校の卒業式などで「君が代」斉唱時に教諭を起立させる校長の職務命令をめぐる訴訟の上告審判決で、最高裁第一小法廷(白木勇裁判長)は6日、「思想・良心の自由」を保障した憲法19条には違反しないとの判断を示した。そのうえで、損害賠償などを求めた元教職員らの上告を棄却。元教職員側の敗訴が確定した。
訴えていたのは、都立高校の元教職員13人。2003~05年の卒業式などで君が代斉唱時に校長の命令に反して起立しなかったことから、戒告や減給処分を受けた。元教職員は定年退職前に再雇用を申請したが、都教委から処分を理由に不合格とされたため、都を相手に提訴していた。
5人の裁判官のうち4人が「合憲」と判断。第一小法廷として、個人の思想・良心の自由を「間接的に制約する面がある」と認めながら、職務命令は必要性や合理性があり、許容されるとの考えを示した。
なんとなく重要そうな所を太字にしてみた。
「国際常識を身につけるため、国旗、国歌に敬意を」 国歌斉唱時の起立命令は合憲 最高裁が初判断
卒業式の国歌斉唱で起立しなかったことを理由に、退職後に嘱託教員として雇用しなかったのは違法として、東京都立高の元教諭が都に損害賠償などを求めた訴訟の上告審判決で、最高裁第2小法廷(須藤正彦裁判長)は30日、起立を命じた校長の職務命令を合憲と判断し、元教諭側の上告を棄却した。都に賠償を命じた1審判決を取り消し、元教諭側の逆転敗訴となった2審判決が確定した。
最高裁は平成19年2月、国歌伴奏を命じた職務命令を合憲と初判断したが、国歌斉唱の起立命令に対する合憲判断は初めて。
1、2審判決などによると、元教諭は16年3月の都立高の卒業式で起立せず、東京都教育委員会から戒告処分を受けた。19年3月の退職前に再雇用を求めたが、不合格とされた。
同小法廷は判決理由で、卒業式などでの国歌斉唱の起立は「慣例上の儀礼的な所作」と定義。起立を命じた職務命令について「個人の歴史観や世界観を否定しない。特定の思想の強制や禁止、告白の強要ともいえず、思想、良心を直ちに制約するものとは認められない」と指摘した。
「国際常識を身につけるため、国旗、国歌に敬意を」 国歌斉唱時の起立命令は合憲 最高裁が初判断
その上で、「『日の丸』や『君が代』が戦前の軍国主義との関係で一定の役割を果たしたとする教育上の信念を持つ者にとっては、思想、良心の自由が間接的に制約される面はあるが、教育上の行事にふさわしい秩序を確保するためには合理的だ」との判断を示した。
判決は4人の裁判官の全員一致の意見で、うち3人が補足意見を付けた。竹内行夫裁判官は「他国の国旗、国歌に対して敬意をもって接するという国際常識を身に付けるためにも、まず自分の国の国旗、国歌に対する敬意が必要」とした。
1審東京地裁判決は21年1月、職務命令の違憲性を否定したが、「起立しなかったのは1回だけで不採用は裁量権の乱用にあたる」として都に約210万円の賠償を命じた。2審東京高裁は同年10月、職務命令の合憲性を認め、命令がある以上、元教諭は従う職務上の義務があるとして、1審判決を取り消し、逆転判決を言い渡した。
だ、そうな。