はてなキーワード: 根付とは
答えは複雑。
アメリカから乳房を性徴として重宝する文化を輸入したときから始まる。
それ以前の日本では乳房は女性らしさとしての価値を持たなかった。
ブラジャーなどが日本に根付いたとき、女らしさとしての乳房が社会的に認められた。
マンガ表現でも女らしさを表すために乳房強調はよく用いられる。
乳袋などが有名な記号表現だ。目を大きく描くのと同様に、女性性を前面に出す際に役に立つ表現だ。
日本の旧弊な男性中心社会にとっては、ホモソーシャルを支える便利な道具だった。
女性性をオモチャのように扱って、女性を囃し立てるのを、男たちは愉しんだ。
オタク趣味は、最初はそんな後ろ暗さから表社会に出てこなかった。
だけどテレビアニメが子どもたちを引きつける中で、サブカルチャーとして広まっていった。
女子たちも幼い頃から、オタクコンテンツの中での女性の扱いに慣れている。
女性として男性オタクから腫れ物扱いされつつも、性欲を煽る道具として女性性が使われるのを見てきた。
だから、女とはそういう生き物なのだ、と刷り込まれてしまったんだ。
かくして、日本では男女関係なく女性性の強調を好むようになった。
典型的な女性キャラクターは男に都合がいいような、慕ってくれそうな赤ちゃんのような特徴を持つ。
大きい目、消された鼻、低い背丈。それでいて女性の性徴である乳房は強調される。
英英欧(えいえいおう)
英英欧とは明治維新の頃に流行したスローガンであり、日本語に翻訳することなく英語のままで英語を理解して欧米列強に追随しようという理念を表したものである。
戦国時代や江戸時代にはまだ登場していない言葉なので、時代劇等で「エイエイオー」という掛け声で鼓舞するのは史実ではない。
しかし、これには理由があってのことであり、原因は明治維新後の思想の変遷とそれにともなう明治新政府の政策にある。
明治時代初期に英英欧の思想が学者の間で生まれると、電信電話網の発達もあってすぐに流行が広がった。
これにより、日本全国で「英英欧」という掛け声が広まっていく。
しかし、国学的な観点から英英欧思想に批判も多く、英語は日本語に翻訳してから理解すべきという対立思想がすぐに多勢を占めることになる。
ことの成り行きを静観していた明治新政府は英英欧思想を取り止めることにしたが時すでに遅く、「英英欧」の掛け声の流行を止めることはできなかったのだ。
政府はこれに対抗するために、「エイエイオー」という掛け声には意味も漢字表記も無くその場を盛り上げるためのただの掛け声であると意味を後付けした。
さらには、戦国時代の時代遅れで野蛮な武将たちに好まれた掛け声であるという印象も含ませることにした。
こうして、英英欧の思想が国民の間で根付くことを政府は妨げたのである。
時代劇等で殊更に「エイエイオー」という掛け声が使われるのも、当時の政府が歌舞伎などの舞台演劇に対して「エイエイオー」の掛け声を用いることを積極的に推進したからである。
さらに時代が下ると、時代劇だけでなく政治家の演説や旧日本軍の掛け声などでも用いられるようになったが、無論これは英英欧思想の高揚ではなく国学思想の高揚であることは言うまでもないだろう。
https://www.hitohaku.jp/material/kids-toolbox/namazue.pdf
地震鯰をモチーフに世の中を風刺する色刷り瓦版(鯰絵)が大量に出まわり、江戸庶民に地震を起こす鯰=地震鯰のイメージが定着しました。
こうして息を吹き込まれた地震鯰は、幕末の激動期をへて明治時代の中頃まで、庶民の間で生き続けることになります。
鯰絵から生まれた「世直し」や「万歳楽」という大地震に対するイメージも庶民の間に深く根付き、明治・大正の世になっても大地震が起きると、人々は「世直り」とか、「万歳楽」と叫んで外へ逃げ出したということです。
江戸期でも明治大正でも、メカニズムの説明として信じられていたというよりミームとして流行っていただけのような気がするけどなあ
コロナ退散アマビエアマビコ言ってる記録を後世の人が発見して令和日本人は妖怪の実在を信じ病魔退散を祈っていた
鯰説の根拠は物識りに聴かなければ確かとしたことは分らぬけれども、志那傅來であることだけは疑ひもない。
スーパーセンタートライアルの増田がバズってるけど、東京に住みたくて住んでる人間としてどの辺に東京の文化的な良さを感じているかを書いてみたい
美術館とか博物館とかそういうのじゃないやつだ 東京/都市部の文化という話になると馬鹿の一つ覚えみたいに美術館と博物館を挙げてきてそれはただの消費だろバーカバーカみたいに言ってくる奴が後を絶たないが、はっきり言って意味不明ですね
言うてまあ、ノア・スミスがだいたいのところは説明しちゃってんだけどさあ ここでは彼が語っていない部分を俺の主観に従って書きたい
参考: 「東京は新しいパリだ」/ノア・スミス https://note.com/econ101_/n/nc0b8535512ac
東京っつうのは江戸の跡地だから、江戸時代の街の構造が現代まで影響を残している まあ当たり前のことだけど、当時は基本的に高台に武家だの大名だのの屋敷があって低地には庶民の生活の場があったわけだ(上野とか入谷とか鶯谷とかがきったねえ街になってるのはそういうことだよね)
東京の高台っつうのはいわゆる武蔵野台地のことで、これは江戸城つまり皇居を端として西側に広がっている 台地と低地の境目部分は坂の多い街になっていて、そのへんはたぶん武家と庶民の生活が混じり合う地域だったんじゃねえかなという気がする そういうところは面白い街が多いように感じる 上野もそうだし、神保町とか御茶ノ水とか飯田橋のあたりとか、汚ねえけど日暮里の方とかだ 街ごとに個性と特徴がある 歴史を調べると色々な人間やエピソードが出てくる そういう街にある商店街の構造とか神社とか古い建物とかがどうしてこうなったんだろうと考えながら歩いてると文化っぽい気がするわけだ
あと武蔵野台地でも神田川や目黒川が入り込んでるあたりは川に向かって低地になっていて、その周辺にはやっぱり下町と同じ町民文化の臭いが残っているように思う 中目黒とか江戸川橋とかだな
完全に高台の方で旧東京市に含まれるあたりは分かりやすいハイソな街が多くて、土地持ちの家に生まれただけの勘違いセレブママみたいなのがベビーカーかチワワで風を切って歩いてたりしててまあいけすかない でも旧華族の庭園や屋敷に由来する施設がたくさんあってそれはそれで文化だなとは思うわ
江戸城の下町や旧東京市を越えた地区における文化はおそらく近代というか戦後にできてきたところなんだろうと思う その中でも、どっかのデベロッパーが計画して作った街じゃないところは文化を感じますね 中央線沿線とか蒲田とかの大田区の方ですね ちょっと左巻きがキツいところもあるけど独自の文化が歴史になってるのはいいですよね
逆に東急とかがデザインした系の街はいまいち気に入らないんだよなあ 最近の湾岸エリアの再開発系もそう あんなの地方のロードサイドのジオラマを東京近郊に持ってきただけだろって思う 麻布台ヒルズとかも同じだ 高級ロードサイドでしかないだろ 文脈がないロードサイドなんてマジで文化の欠片もないと思うわ
あと東京の郊外もダメっすね 歴史を上書きしてニュータウンを作りまくったけど新しい歴史が根付くことはなかったって感じがする
その中のカスみたいな一部として自分がいると実感できれば、その流れに貢献しようとか思えるわけです
そういう意味では東京である必要は特になくて、西日本の方とか、やっぱ何かしらの城下町が多いけど、東京に比べると規模は小さくてもそういう街ってたくさんありますよね そういうところも興味深いんですよ そういうところに住んでたらそれはそれで俺は満足だし文化的だなって感じると思う
でも仕事がないとか関東の実家の事情とか考えると住めなくて、結局東京以外に現実的な選択肢がねえなってなる そういう感じなわけです
東京に住んでても美術館だの博物館だのにはたまにしかいかねえけど、かといって文化を摂取してないとか郊外の暮らしと変わらないとかは全然思わないんです
日本の都会と地方の若者の違いについての興味深いエピソードを共有してくれてありがとうございます。都会と地方での生活環境や文化の違いが、若者のメンタリティや行動にどのように影響しているのかを明確に理解するのは重要です。
ご説明によると、都会の若者、特に京都市のような都市部の若者は、競争が激しく、高い協調性と社交スキルを持っているようです。一方で、地方の若者は比較的競争が少なく、リラックスした環境で育っていると感じられるようです。
この違いは、都会の方が社会や職場での競争が激しいため、若者が自己表現や対人スキルを磨く機会が多いことに起因しているかもしれません。一方で、地方ではコミュニティが密接で、人々がお互いを支え合う文化が根付いているため、競争よりも協調が重視される傾向があると考えられます。
また、地方の若者は、都会の若者に比べて、仕事や日常生活においてゆとりを持っているように見えます。これは、地方の方が生活のペースがゆっくりで、人々が互いに深い関係を築きやすい環境であることが影響している可能性があります。
さらに、都会と地方の若者の違いは、教育、就職機会、レジャー活動、さらにはメディアやテクノロジーへのアクセスにおける格差からも生じているかもしれません。これらの要素が、若者の価値観や生活様式に影響を与え、都会と地方で異なる文化やメンタリティが育まれています。
結局のところ、日本の都会と地方での若者の違いは、その地域の社会経済的な特性や文化的背景に深く根ざしており、それぞれの環境が若者たちの生き方や考え方に大きな影響を与えています。
「1年後に作家デビュー、5年後に家を買う、10年後は大御所」
「あのクソアニメ会社が一番やりそうなことってあの時点で原稿叩き落として裏切ることだったんだよな」
「あれだけホレさせるだけホレさせていきなり「浮気性」と言われても…」
「〈男の夢を壊さないレベルでリアル〉という書き込みはクリエイター側のこだわり。見る立場では言えないなと」
「知っている人に聞いてこの会社は危ないと自分から退職届を出せば、犠牲者になることを回避できたと思う」
「京アニのほうがやってきたという思いがある。それは正直に申し上げる。精神鑑定をした鑑定人からは妄想だったという話が出ていたが自分の中では事実としてとらえている」
「ガソリンをまいたあと、止めに入られることを想定した」
「パソコンのデータをスマホにコピーしたら、掲示板に〈変態〉と書き込まれた。ハッキングされ、監督の写真で自慰をしたことがバレたに違いない。」
「恐竜の肉味ポテトチップスなんて送ってきたことから見ても、そちらの考えてることは分かる」
「京アニのアニメ「氷菓」に登場する「なんで顔出さないの」というセリフは彼女が自分に宛てた伝言。」
「掲示板に行くと〈お金持ってるの? 浮気性の女なの〉と書き込んで突き放してくる。放埒な彼女に、恋する気持ちを弄ばれている―」
「ビッチカス女でカネのことしか興味なくて 平気でパクるし平気で裏切る さすがに我慢の限界は越えた」
「自分と結婚したいのに何度もたたき落とし、一人スターダムを駆け上がる女性監督を終わらせたい」
「もう無茶苦茶。『相手』は諸葛孔明で余興程度らしい。ありえん。こっちは全力生き抜いているが、相手の人は」
「『京アニに裏切られた』なんていうのも、あの時もっと細かく気にして『これはなんかあるぞ』と予測しとけばわざわざ『爆発物もって京アニ突っ込む』とか『無差別テロ』とか『裏切られた』など感じる必要もないわけで」
「最後の段階まで行く直前の段階。人間関係は切っちゃえば終わるが、京アニは離れようと思っても離れられない。ここまでやられて切れないとなると、最悪のことを考えないといけない」
「悪いことをされたときに良いことで返すとなめられる」
「やられたら、やり返す」
「悪いことには悪いことで返す考えが根付いた」
「ほんと人畜無害だろ」
「ツルネでもぱくってやがる。ありえねえ。つくづくありえない」
「怒りを抑えると恐怖に変わる」
「しつこいんだよ。いい加減つきまとうのやめろ。やめないと殺すぞ」
「数分話を聞いて薬を出すだけなので信用できない」
「こんなの(薬)は飲まない。トイレに捨てたよ。1週間前から飲んでねえよ」
「全員かはわからないが、(京アニを俺の作品をパクってることを)知っている人に聞けばわかったはず。知らないことは悪で、努力不足だ」
「逆にお聞きしますが、僕がパクられた時に京アニは何か感じたんでしょうか」
「小説は誰かのものを読んで書くものじゃない。自分で書くものだ」
「自分の10年間のことで頭がいっぱいでした」
「自分はどんな刑だろうと罰は受けなければならないが、京アニがしてきたことは全部不問になるのか」
「それなりの人が死ぬだろうと」
「昔、どこかの消費者金融で、たぶん武富士だったと思うんですけど、ガソリンをまいて、ガソリンが気化して爆発し、人が亡くなった事件を見てそういう犯行に及ぼうと思いました」
「・・・(20秒ほど沈黙。首をかしげながら)知ろうとしなかった部分はあります」
「秋葉原事件で、(元死刑囚も)言っていたが、ためらうものです。自分みたいな悪党でも小さな良心があった。でも1999年からの20年間は暗いと考え、ここまできたら『やろう』と思った」
「罪を犯した身だから夢なんて持っていない!」
「前科が無ければ悪いことをしようと思いませんが、一度つくと『もういいか』となり、何かのタガが外れて、自分を支配していた良心が無くなった気がしました」
「(過去に)あんまり誰かに何かを言って解決されたことがなかった」
「(ハルヒは)それまでは『ネットゲームよりも面白いものはない』と思っていたが、ハルヒのアニメを見て『今時こんなすごいアニメはないだろう』と驚きました。ネットゲームに並ぶほどの面白さで、すごいと」
「(ハルヒの文庫を)大人買いしました。10冊ほど出ていたものを2日くらいで全部読みました」
「(ハルヒを読んで)なんとか自分でも書けないかと。当時は仕事もしていなかったので、それなりの小説ができれば、仕事も解決すると。初期衝動が強くて、衝動そのまま小説を書こうと」
「(うまくいかないときは)ハルヒの本をぶん投げて『書くのやめてやろう』という時期がありました」
「(ハルヒの本は)壁にあたってバラバラになったのが1冊、森に投げたのが2冊、そのまま残ったのが2冊。(ハルヒの文庫本は)6回くらい買いなおしているはずです」
「昔一緒にクリエイターを目指していた人が『スクエアエニックス』という会社でCGグラフィッカーになり。自分がクリエイターになれなかったことに納得行かず、その人の名前を1文字変えて自分の名前にしました」
「ハルヒは教科書として使っていて、自分は書いていく過程でパクったが、最終的に別の作品を作っている。京アニは小説を落選させて、著作権を自分に戻しながら、パクったものを放映しているので、いかがなものかと」
「むこうも最終手段を使うだろうし、自分としても最終手段をとらないとと思った」
「話し合うより、バイバイする方が30分で済む」。気に入らないことがあればパイプ椅子を机にぶつけ、女の子の胸ぐらもつかみ、最後は首になった。
「自分が小説を書くためにネタを集めていたノートにそのシーンがあった」
「そこから流出した。ネット上の書き込みが自分の小説を知っている内容に変わっていった」
「思考盗聴まで行ってる」
「『国民はたぶん気づいていないですよ、財政破綻すればあなたは大臣も議員の職も失う、辞任すれば助かりますよ』とメールしました」
「おそらくここでなら最高のアニメがつくれる。最高の物語が作れる」
「犯罪歴を知っているってなると、小説を京アニに送れないし、小説も書けない」
「作家で食べていけないので、犯罪した人ばかりしかいない刑務所に行ったほうがいいと思って犯罪をしようと思った」
「(妄想性障害と診断されて)もともと何かを考えたり思い浮かべたりする癖があるので、そう言われたのかなと」
「自分のものの覚え方というのがあります。曖昧に覚えてから正確に覚えるという覚え方で、曖昧に覚えていて正確に18という覚え方になっていた」
「ナンバーツーが歩いてきて、刑務官に『よろしくお願いします』と頭を下げていた」
「秋葉原の事件が起こったことへの思いがあった。秋葉原では車で突っ込んで、3人殺傷した。刀は時代劇ではバサバサ切っているが、1人か2人で血糊で切れなくなる。もしかしたら、ガソリンをまいたあとで止められることが予想されるので、その時に使おうと思っていた」
「(加藤智大も)仕事を転々としたり、郵便局をクビになったり、事件を起こしたことに何かしらの共感や類似点があると思った。他人事に思えなかった」
「アニメーションは1人で完結できない。何人かで盗作シーンを作ったという思いがあった。無関係ではないという判断しか当時はできなかった」
「逆の立場になって考えて、パクられたり、『レイプ魔』と言われたことに、京アニは良心の呵責も何もなく、被害者という立場だけ話すという理解でよろしいでしょうか?」
「私は2ちゃんねるで荒らしをしていて有名だったが、一度管理人に直々に怒られたことがあります」
「パクられた!小説!」
「やりすぎたと思っている」
「恨みがあり憎しみがあったとして、『やってやった』『ざまあみろ』というのが残る訳ではなく、他に方法がなかったのかと思うので、そういう部分では後悔しています」
「(2ちゃんねるの掲示板で)トップ編集者らしき人から『すげえものを見た』と反応があり、賞金をどう使うか聞かれたから、(京アニ大賞に)通ると思った」
「小説を諦める気持ちがあった。失恋に似た感情があり、一度密接にくっついたものを引きはがすのに大変難儀した覚えがある」
「何かしら、つっかえ棒がなくなった。生きていくためのつながりがなくなり、良からぬ事件を起こす方向に向かった」
「ぶっちゃけ、やる前、やった後とに、そういう考えがあると出来ないものなんですね。検事さんの最初の取り調べでも、『後のことはどう考えていたか?』とか聞かれましたが、当時そのことに関して、ある種『やけくそ』という気持ちじゃないと(犯行が)出来ない。一言で言うと、『やけくそ』でした」
「もう少し『やってやった』と思うのかと思っていたが、意外となんか、悩むこともたまに結構あるし、そんなことしか残らなかった」
「人が死んでこの世から存在が消えるというのは、やはりそういうことなんだなってちょっと思った」
「例えば、単独で『女性監督』を襲うとか、弁護士に依頼したところで、京アニがパクりをやめるかというと、そうではないかと思った」
「京アニは光の階段をのぼり、それに比べて自分の人生はあまりにも暗い」
「全て実を結ばずに終わった」
「自分の20年間はどうしても暗い。やっぱり、ここまで来たらやろうと思った」
「泣きゲーの元祖で、影響のある作品だった。『ONE』の後続作品をアニメ化したのが京都アニメーションで、『ハルヒ』をアニメ化したのが京都アニメーション。『ONE』を見なかったら『ハルヒ』も見ていない。そうなると小説も書いていなかったと思います」
「小説一つでそこまでとの思い 少しある」
「性欲に困っていたというのがあります」
「生活保護を受給して昼夜逆転の生活をするようになり、京アニの作品を初めて見て小説を書き始めた、ハルヒ」
「(加藤智大のことを)ひとごとには思えなかった。何とかしないと自分もこんな感じになると思った」
「人と関わるメリットが見いだせなかった」
「汗腺はほとんど取っ払ってしまっているので、頭と胸のあたり以外は汗をかけない状況です。痛覚も取っ払ってしまったので、痛みや温度も感じにくいです」
「『下りエスカレーター』ではなく、『上りのエスカレーター』に乗りたいと思った」
「(小説は) 書く時間そのものは短かったが、考えている時間を含めると24時間365日書いていた」
「福山雅治さんや『けいおん!』の声優、芸人の『あばれる君』が結婚していて、自分にも結婚させようとしているのかなと、自分と『女性監督』とを」
「日本を財政破綻させる世界的なシナリオがあった」と語り、自身が当時の故・与謝野馨経済財政担当相に警告のメールを送ったことで「国家破綻が回避された」と訴えた。
「逆に聞きますけど、それはこんなことするなら、さっさと死んでくれということですか」
「パクりが事実じゃないとすると36人が何のために死んだのか」
「2ちゃんねるが心の拠り所だった」
「加藤智大さん」
「(埼玉大宮駅に包丁6本を持って行って)この程度の密集度では、刺したとしても、すぐに驚かれて逃げられると即座にわかった。なので、そんなに大きな事件にはならないのでは思ってやめた」
「早く大拘(大阪拘置所)に来ていれば事件は起こさなかったのでは」
「強盗事件で服役していたときに刑務所で出会った『ナンバーツー』という名前で、ハリウッドやシリコンバレー、官僚などにも人脈のある、闇の世界に生きるフィクサーみたいな人だ」
「2ちゃんの用語で『あおる』、つまり『あなた本人ですよね』という書き込みをすると(本人の場合)恥ずかしさから流す態度を取る。(あおりに対してそのような態度だったので)女性監督で間違いない」
「自分の中では最悪の事態を防ごうとする努力はしたと思っている」
『涼宮ハルヒの憂鬱』は今でも好きか」と問われると「手本にすべき作品だが魔性の作品でそういう作品と出会わなければ事件を起こさなかった。今も『人を狂わせる作品』という認識だ」
「女性監督に『レイプ魔』と言われた。犯罪歴を知られていると小説も応募できない。刑務所に行ったほうがいいと思い、したくはなかったが強盗事件を起こした」
「(刑務所でけいおん!をみて) 涙を流して見た記憶がある。こんなところで見られるとは」
「またパクってんのかなと思った」
「愛深けりゃ憎しみ大きいという感じで、何も感じていなければこんなことは起こしてい」
「兄、妹への仕返しのつもりもあった」
「妹にもすごいことをやられてきた。妹が飼っていた猫をいじめていて、それを止めようとぶん殴ったら、警察を呼ばれて「ざまみろ」と言われたのを根に持っている。それでも、そこまでしなければならなかったのかと」
「コンビニ強盗のときの調書を見てもらえれば、すでに兄や母に対して、ガソリンをまいて殺してやりたいとの心でいる。当時からそういう感情を持ち合わせていた」
「やはり、いろいろな方の顔が浮かんだというのがありますー京アニの女性監督になります」
「申し訳ないのですが、全ての発言を洗いざらい取っていって、許せないと言われても、恨んでいただくしか方法はございません」
「他に方法がなかったのかと思う」
「はっきり言って答えていいと思いますが、弁護士さんからアレがあって控えたい」
「昔ほど(相手を)徹底的にやり返したりという考えは減ってきた」
「(第一スタジオに)らせん階段があるとは知らなかったのでー(2階3階にいた人は)ツキや運がなかった部分があったと思います」
「『落とせ』という指示があったら落とすという意図」
自身がIoTについて独自のアイデアを持っていたと主張。これが世界経済のバランスを損なう可能性があったため、ナンバー2が快く思っていなかったという趣旨の持論を述べている
「記憶では(目の前にいたのが)3人くらいだったので、そのくらいの死傷者が出るんじゃないかと」
「多く亡くなるとしても8人が上限じゃないかと思った」
「やはり秋葉原の件がありました。7人か8人か9人。雀荘の事件で、7人から9人。たぶん2桁までは考えなかった」
「京アニなんか、なくなっちゃえばいいのに、という考えはあったと思う」
「ブログ上で、あの〜……時間移動のことに関して触れているので(自分の応募作品を)読んでないことはないんじゃないかと思うんですがぁ。」
「その仕事……落とす(被告の作品を落選させる)ことをした後、建てられたのが第五スタジオ。そのお金が見返りになっている。いやぁ、けっこうあの頃は、ネットで散々やりあってて、それで、あの〜、やっぱり、まぁ、それで『落とせ』という形になったんじゃないかと」
「えーっと、それがちょっと、見ている現実が違う? それはないんじゃないか」
「(パクリが妄想と診断されて)自信がなくなった。目の前にあったことが事実でないかもしれない」
「それはやはり、申し訳ありませんでした、という形にしかなり得ない」
「やりすぎた、ということに、こういうところの事(謝罪)を言っている部分はあると思う」
「金輪際このようなことが起きないよう、教訓にしてもらうために全ての話をした」
「正直に申し上げると、あまりに自分のやったことの大きさに対して、目を背けることが多いのが否定できません。」
「質問に答えることも自分のできる範囲ではありますが、ちゃんとやって来たので、この場において付け加えて話すということはありません。そうとだけ申しておきます」
お腹痛い。
お腹ってずっと痛いから気にしたことなかったけど、ここ2ヶ月くらい左の太ももの付け根付近が特に痛い。
基本的に何食べても下痢になる。転職がうまくいかないことによるストレスかと思うけど大きな病気だったらどうしよう。
一年前に肛門からめちゃくちゃ出血したけど、5日くらいで治まったから病院に行かなかったのが原因なのかな。
頻繁じゃないけど嘔吐もした。
消化器内科に行ったけど、医者に大声で「ズボンを脱げ!下着も!」って言われて怖くなってそれ以来行ってない。MRIも怖くてバックれた。
でも今大きな病気が見つかったら正直かなり困る。契約社員だし、保険入ってないし、お金ないし、もしこれで今転職の機会逃したら一生家から出られないかも。
そしたら毎日毎日意味のわからない言葉ばっかり言う父親とヒスで子供に依存気味の母親と一生一緒にいてくれやになっちゃう。
でも、今いる会社確実に崩壊へ向かっているのでこれ以上いるわけにはいかない。
業績不振に派遣切り、人員不足が深刻すぎる。年明けはもっと酷くなる。こんなことならもっと真剣に就職活動しておけばよかった。
お腹痛い。
ブクマカは何に対しても茶化すか否定から入るけど、こうやって名指しで自身を否定されてどう感じているんだろうか。
俺は暗い持ちになったし、こんなサービスに見切り付けるほうが良いと思ったよ。
コメント機能はいらないって意見もあるだろうけど、そもそも使ってる人が酷いという証でもあるわけで、切ったところで問題ない質の低いサービスってことだろう。
ポケGOや位置ゲーがブームになった当時、ご当地のスポットに群がる有象無象に外部の人が忌避感を覚えたというのは記憶に新しいと思う。
今でもお寺などではポケGO禁止の看板をたまに見かける程度には根付いている。
これだけじゃなくインスタグラマーなどあるサービスの利用者等が無関係な外部の人に影響することは珍しくない。
ポケGOの時はコミュニティの多さ故に「赤信号理論」で強引に乗り切った感がある。
けれど使っている側はサンクコストのためか帰属意識のためか、はてぶを無理に肯定している気がする。
RSSや2chやかとゆー等が情報収集に一役買っていた時期ならば、はてブはそこの一角に食らいつくことができていたと思う。
ただ、現状ではてブでしか得られないものって増田の日記くらいなんだよね。
というか増田専用のSNSになりつつあるし、そうでなければいつもの過激コメントか、ごくごく一部のテクノロジー関連の項目しか役に立たない。
テクノロジー関連だけ必要ならそれ専用に自分で何とかすれば良いし、そうなるとはてブを使う意義ってのが本当になくなっている。
惰性で使うにしてももう潮時なんだろうな。
1. セ・リーグの圧倒的な人気
昔のパ・リーグなど人気は皆無で、テレビを付けてもセ・リーグの試合しかやっていなかったので、阪神ファンが増えるのは必然だった。
近年はパ・リーグも人気が出てきたので、若いオリックスファンも増えたのだろうが、とはいえ阪神の人気が圧倒的に高いのは変わらない。
オリックス・バファローズは、オリックス・ブルーウェーブと近鉄バファローズが合併して生まれた球団だが、主体となったのはブルーウェーブのほうである。
つまり「神戸から大阪に引っ越してきた球団」であり、昔から大阪に根付いていた球団ではない。
近鉄バファローズのほうは大阪の球団だったが、前述のとおりパ・リーグの人気は無かったし、たとえば本拠地の藤井寺球場を地図で見ると随分と南東にあったことがわかる。
つまり近鉄の路線は大阪-奈良-三重と横に広がる路線なので、球場もこんなところにあったのだが、大阪北部の人たちはあまり近鉄に乗らないのである。
現在の大阪府はかつての摂津国・河内国・和泉国から成り立っているが、明治以前は「大坂」といえば摂津国のことだった。
摂津国は、現在の大阪市から兵庫県尼崎市・西宮市・神戸市の一部までを含んでいた令制国である。
自分も出張先のホテルにサウナがあればせっかくだからと利用してしまう。気付けばサウナシュランにランクインしたサウナがどんな物かも気になる様になっていた。
ただ、SNSでのサウナ好きインフルエンサーや新しいサウナ施設を発見しては制覇した事を自慢してくる友人に対してなんかモヤモヤと感じていた違和感があった。
ふと紙に書き出して整理してみたら、それが分かった。分かりやすく説明する為に少し攻撃的な言葉を使うが
自分も含め、彼らは欲に溺れているだけなのにも関わらず、現在ではイケてる感が出る趣味であり、その知識や経験の量を自慢出来る状況にある。
②必要な知識の少なさに対し、世間での認知度が低い為すぐに「詳しい人」になれる
主にこの3つによって、サウナ好きである事を「イケてるだろ?」的に公言している人は自分にはややみっともなく見えていた。
例えば①〜③を筋トレと比べてみると
→暑さに耐えて水風呂に浸かればその場で即、性行為に準ずる程の快楽が得られる。自慰行為
と同じでその快感は人間の性質に根付く物でほぼ誰でも気持ち良いと感じる。
→最低数ヶ月以上の継続性が必要である上にトレーニングそのものが過酷。筋トレの対価とな
②必要な知識の少なさに対し、世間での認知度が低い為すぐに「詳しい人」になれる
→諸々の温度や湿度、椅子等ごくわずかな差分における知識以外に、サウナを極める余地が少ない。にも関わらずサウナは黎明期であるのでまだ店舗の数や経験者の数が発展途上である為、複数回経験している人が「サウナに詳しい人」になれる
→上を見ればいくらでもボディビルダーやアスリート等のプロが居るし、継続性が必要なので
少なくとも数年続けていないと「筋トレに詳しい人」にはなれない
→諸々の副次的な効果はあるが、サウナが流行っている最大の理由は極めて簡単に、直
→トレーニングをして体を理想の形にし、その後にモテる、自信をつける、喧嘩に強くなる等 各々の目的がある。
筋トレですら世の趣味の中では直接的な効果が得られる物に分類されると思う。
競馬やパチンコですらかなり勉強しても勝てない人がほとんど。筋トレは鍛えたらすぐに体に変化が起きる。
サウナ自体は好きだが、何か他の事を真剣に打ち込んでいる人と比べて
サウナに詳しい事をアイデンティティにする人は自慰行為を極めている事をアイデンティティにしている様に見えてしまう。誰にとっても良い物だし、簡単に快楽を得られるのに、流行り物に詳しいイケてる感じで接せられても、あまり尊敬できない。今まで何かを努力したり、継続出来なかった人が自尊心を初めて得られるコンテンツであるという側面もあると思う。しかも快楽を得る過程で。
世界各国は金利高で円安、これを少しでも解消するには利上げは容認するしか無い。
それでもまだまだ低金利。日本の企業が有利子負債でこれで金利上がったらどうなるんだ?て意見あるけどこの程度の利上げで経営苦しくなるようならどっちみち先は長く無い。
そして今のこの低金利状態で景気良くならなけりゃいつなるんだ?これだけ緩和しても消費に回らない?
カネはあるんだけどそれが消費に回らない、貯蓄に走る、なぜか将来みな不安だから。
それがカネを使わない貧乏根性が国民全体に根付いてしまっている。
そしてこの超少子高齢化。