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2015-06-22

[]れいむのカフェ探訪2

職場でプチ話題のばずわーどITC意識高いカフェ)について前回書いたれいむだよ。

れいむ要素がないというつっこみをうけたので、ゆっゆっと跳ねながら本日も探訪にでかけてみる。俗にいう連載第二回だね。

職場ではITC話題なんだけどじゃあ逆はどうなんだ? IHC(意識低いカフェ)はあるのか? でも考えてみたらそもそもカフェって言葉自体がおしゃれなものから意識低くなったりはしないんじゃないかなーすべてのカフェ意識高いんじゃないかな? でもある。あるんだなー今回はそんなIHCを紹介するよ。

れいむの住処は東京東部の23区底辺にあるよ。職場都心部なのでITが優勢だけど、このへんはまだまだ下町なのでIHもたくさんある。そもそも人間おのずとおしゃれ度には個人差があると思うんだよ。久保帯人師匠みたいにポエミーで霊格の高いソウルはおしゃれ度の高いカフェお茶が飲めるけど、霊格の低い下町人間はあんまりにも霊圧の高いカフェに入ると自我崩壊してしまう。何にせよほどほどの場所必要なのだ

はいえ、23区内では下町はいっても一応東京都内ではあるのでそこまで乱暴なカフェなどそう多くはなく、代表的なところはプロントとかBekkersとかワイアードくらいか? ドトールやら(ちょっと外れるが)ミスタードーナツなどのファーストフードチェーンなどがその任務にあたっている。みんな普通の顔をして利用しているよ、ゆっゆっ。

最近隣町に大学ができたので学生さん多め。参考書を広げる光景をよく見ることができる。参考書って見てみると不思議だなあ。大学生って色んな種類がいるので、自分が通らなかったルートの読んでる本とかちんぷんかんぷんなんだが、今の大学生って資格受験参考書とかが多いのかな。それともあれは学校の授業じゃないんだろうか。このあい一心不乱にWikiをコピペしてる学生さんを見た。どうでもいいけどAirMacのタッチパッドってコピペにはむいてないデバイスだとおもうんだよなあ。マウスのほうが使いやすいよ。

さてそういう中途半端チェーン店はいいとして、下町の本格的IHCについて。

IHCとはいえそれって別に侮辱するような意図はないのを断っておきたい。ぽいんぽいんと跳ねながられいむは主張するよ。

本格的IHCは下町的な居心地の良さを追求したカフェなんだよ。いわば、ゆるカフェだよ。いくつかの特徴を紹介するよ。

1)アイスコーヒーは業務用の紙パックからそそぐ。

2)ラテの注文が来ると微妙に手間取る。でも380円でのめる

3)有線放送ではAKB48がながれる。たまにセイカイノオワリとかいうのが名前の割にはちっとも終末感のないポップスを歌う。

4)ランチタイム焼き魚定食が出る。

こんな感じの特徴があってれいむのす住処の街には数件確認できたよ。実は意外に居心地が良いのでたまに利用しようと思った。意識は低いけど。顧客の年齢層が高いのもいいかんじだよ。あんまりうるさくないしね。老人多め。そういえばメニュー日本茶が数種類あったなあ。

感銘を受けたのが、ある日のランチが「シラスいり卵かけごはん」「明太子卵かけごはん」「鮭バター卵かけごはん」「ネギだく卵かけごはん」の4択だったことだよ。強い意志を感じたよ。もしかしてIHCっていうのは強い意志でIHなこことを選択したITCなのかもしれない。れいむのカフェめぐりもまだまだ修行が足りないって思ったよ。

2015-06-11

ドームコンサートをする歌手が嫌い

ドームは、コンサートを見るにしては会場が大き過ぎる。マイケル・ジャクソン東京ドームコンサートに行ったことがあるが、もはや本人がそこにいるのかどうかも確認できない。アリーナ席にいる人間が全員がサクラをやって、影武者ステージに立っていてもばれない。

近年は工夫して、ステージドーム中央にしたり、本人がスタンド席の近くまで来てくれるようになったけど、それでもそのときだけで、あとはずーっとカメラで映したスクリーンを見ているばかりになる。ドームみたいな巨大な会場か、でなきゃ無名の人が1000人も入らない小さな会場でやっているか、という感じになっている。ふだんからファンクラブに入ってないとチケットが取れない。テレビで見ている歌手は、最後までテレビの中のままになった。いまは不景気時代なのに、どうしてオレみたいな、たまには歌手をナマで見たいと思うような者のために、歌手本人が確認できる距離感で、県民会館みたいな会場で、チケットを手に入れやすい感じでやってくれないのかな。クラシックコンサートは、当日席があるのが当たり前だよ。

コンサートに持ち歩く設備機材がバブル時代のままで、トラック数台分とかになってるんじゃないの。ドームコンサートですら、カラオケと一部ナマ楽器の組み合わせになってて、コストもかからないようになってるじゃん。県民会館でカラオケコンサートすれば、人員も少なくなってコストも減るはずだよね。クラシックコンサートに比べれば、圧倒的にコスト安。なのに何でいつもコンサートチケットは品薄状態のままなんだろうな。売れなくなって昔の人になってから見てもしょうがないんだから

ちなみに、クラシックコンサートは、単独で黒字になるものがあまりない。経費の多くをスポンサーが出してくれている。コンサート看板に『▲▲プレゼンツ』と企業名が書いてある。チケット収入コンサートの経費の半分くらいだろうか。だからチケット売り切れ状態にして、コンサート供給不足状態にしなくてもいい。ポップス業界興行人は、観客と演者が近くなるための仕組みづくりには取り組んでいないか、取り組んでいてもあまり成功はしていないように感じる。

コンサート見るほうが買主で、興行するほうが売主とか企業で、トラックバックコメントアドバイスを見ると、売主や企業立場にそってコメントしているのも何だか変だと思うよ。服でも食べ物でもクルマでもなんでもいいが、売っている企業立場を重んじててどうする?みたいに思うんだよね。あいつらに儲けさせてやるべきだというテイストコメントって、なんか意味あるかな

2015-02-16

ジャズの話

http://anond.hatelabo.jp/20150216002609

自分プロではないがジャズ演奏をする。

ジャズは好きだし、有名な盤も聴き切れてはいないが結構聴いてきたと思う。

マイルスの話はすごく共感してしまった。

だれだれが奏でるどうこうしたフレーズ、とかそういう小難しいことをジャズ演奏者や愛好家はよくいう。

もっと直感的に音楽本能で楽しんでもいいのではないかとよく思うんだけど、

ジャズを知らない人がちょっと興味あるとか、ジャンルの幅広げてみたいくらいの気持ちの人にはもうちょっとキャッチーな感じのジャズをすすめられたらいいなと思う。

自分ポップスパンクロックなどの演奏を経てからジャズ世界にやってきたので、聴き始めた頃を思い出してみると、

やっぱりキャッチーメロディや、分かりやす(笑)ジャズはすごく聴きやすかった。

ジャンルで言ったらハードバップはかなりワクワクした。

Horace Silverとか、Cannonball Adderleyとかね。

例えばだけど、全くジャズいたことない友人にHigh Fiveすすめてみたら、聴きやすくて気に入ってくれてたよ。

相手が取り敢えず聴いてみたいのか、ど定番を聴きたいのか、求める回答によってすすめたいのは違うから

誰々がいいとか具体的に書けないけど、

ジャズクラシックみたいにごにゃごにゃとソロがぶわーっと続いて何やってるかよくわかんない小難しい感が

ハードル高くさせてるとなんとなく思うので、

ライトな感じで求めてる人もいるんじゃないかとずっと思っている。

○○も聞いたこと無いの?みたいなジャズミュージシャンとの会話はもう勘弁して欲しい。

あと、大体有名な昔のジャズミュージシャンの紹介も多いけど、

殆どみんな死んじゃって生で彼らの演奏は聞けないし、

現代ジャズミュージシャン面白い人たくさんいるから、そういうのも紹介する記事とかもっと読めたら嬉しいな。

具体的に誰がどうと書けなくて本当に申し訳ないけど。

2015-02-14

( ・3・) クラシック好きの上司ジャズを聴きたいと言いだして・続

承前

http://anond.hatelabo.jp/20150214223556

9. スティーヴ・レイシーソプラノサックス

Steve Lacy (1934-2004)

――スティーヴ・レイシー独立独歩ソプラノサックス奏者です。サックスといえばアルトテナーだった50年代からソプラノを吹いていました。

Evidence (1961) http://youtu.be/X9SBzQw2IJY?t=5m42s

( ・3・) 面白いテーマの曲だな。真面目な顔で冗談を言っているような。

――セロニアス・モンクが書いた曲です。レイシーはモンクの曲をたくさん演奏しています。一方、ハリウッドブロードウェイの曲はとりあげない。レパートリーに関しては人文系古本屋の主人みたいなところがあります

( ・3・) みすず書房とか白水社とか、そういう本ばかり並んでいるわけだ。

――白水社といえば、レイシーはサミュエルベケットと面識があって、ベケットテクストに基づいた作品も発表しています

( ・3・) 「真夜中だ。雨が窓に打ちつけている」

――「真夜中ではなかった。雨は降っていなかった」――と、ベケットごっこはともかく、演奏どうでしょう

( ・3・) まっすぐな音だな。あまりヴィブラートをかけない。アタックの瞬間から音程の中心を目指している。必ずしも正確な音程というわけではないけれど。ソロのとり方としては、テーマとの関連性を保って、構成を考えながら吹いているように聴こえる。言うべきことだけを言って余計なことはしゃべらない。

――そういう点では、プレイヤー資質としてはマイルス・デイヴィスに近いのかもしれません。マイルスとも少しだけ共演したことがあるのですが、もし正式バンドに加わっていたら歴史が変わったかも。 [6]

Reincarnation of a Lovebird (1987) http://youtu.be/FbaKNB4cIlc

――こちらは後年の録音。ギル・エヴァンスという編曲仕事で有名な人がエレピを弾いています。この人も指だけ達者に動くのとは対極にいるタイプで、柔らかい音色中和されていますが、ずいぶん込み入った和声です。

( ・3・) そこらじゅうで半音がぶつかってるな。

――でも美しい。

10. ビル・エヴァンスピアノ

Bill Evans (1929-80)

――昔、レコードを扱う仕事をしていたので確信をもって言えるのですが、日本いちばん人気のあるジャズミュージシャンビル・エヴァンスです。マイルス・デイヴィスよりもリスナー裾野は広いかもしれません。

( ・3・) 俺でも『ワルツフォー・デビー』を持ってるくらいだからな。でもどうして「とりあえずエヴァンスを聴け」みたいな風潮になってるんだ?

――まず、彼がピアニストだということ。もしベース奏者だったらここまでの人気は得られません。それからロマン派印象派に慣れた耳で聴いても違和感がないこと。ジャズに関心がなくてもエヴァンス聴く、というケースは大いにありうるでしょう。最後に、みもふたもない言い方ですが、彼が白人で、細身で、眼鏡をかけていたこと。

( ・3・) 知的で繊細に見えるのな。

――知的で繊細なジャンキーでした。もっとも、最後の要素はなかったことにされがちなのですが……。

( ・3・) ダウナーな面も併せもった音楽だと。

――はいエヴァンスチェット・ベイカーに深く共感してしまう人は、モルヒネ代用として聴いているのではないかと思います。「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」という有名な曲をとりあげたいのですが、エヴァンスの前に、まず歌の入ったものからフランク・シナトラヴァージョンです。

My Funny Valentine (Sinatra, 1953) http://youtu.be/z9lXbgD01e4

( ・3・) 金の力に満ちた声だな。His voice is full of money.

――マフィアを怒らせるようなことを言わないでください。折り目の正しい編曲で、ポップスとしては非の打ちどころがありません。ボブ・ディラン新譜シナトラカヴァー集らしいのですが、ディラン子供のころにラジオで流れていたのはこういう音楽です。当時のアメリカ人にとっては、ほとんど無意識に刷り込まれた声と言っていいでしょう。

My Funny Valentine (Baker, 1954) http://youtu.be/jvXywhJpOKs

( ・3・) 出た、いけすかないイケメン

――チェット・ベイカー。午前三時の音楽です。もう夜が明けることはないんじゃないかという気がしてくる。どんな曲か覚えたところで、エヴァンスを聴いてみましょう。

My Funny Valentine (Evans and Hall, 1962) http://youtu.be/ReOms_FY7EU

( ・3・) 速い。

――速い。そしてちょっと信じられないクオリティ演奏です。ジャズはいつでも誰でもこれくらいできて当然かというと、そんなことはないので安心してください

( ・3・) 別に心配はしていないが。やっぱり即興なのか?

――別のテイクではちがうことをしているので、ほとんど即興だと思います。決まっているのはコード進行だけ。

( ・3・) コード構成音をぱらぱら弾いてもこうはならんわな。自分の頭の中にあるモチーフを発展させるのと、相手の音を聴いて反応するのと――そういう意味ではチェスに似ている。

――この演奏は一対一ですからね。集中力は同じくらい必要かもしれません。しかも持ち時間ゼロという。互いに相手の出方を読んでいるうちに一種テレパシーが起こって、3分50秒あたりにはふたりの脳がつながっているような瞬間があります

( ・3・) このギターを弾いてるのは?

――ああ、忘れていました。ジム・ホール。偉大なギタリストです。悪魔に魂を売って人並み外れた演奏技術を手に入れるというブルース伝説がありますが、ジム・ホール場合は魂ではなく頭髪を犠牲しました。

( ・3・) また好き勝手な話をつくって……。

――いえ、本人がそう語っています。ジミー・ジューフリーバンドいたころ、どう演奏すればいいのか悩んで髪が薄くなったと。 [7] でも、髪なんていくらでもくれてやればいいんですよ。肉体は滅びます芸術永遠です。

( ・3・) ジミー・ジューフリーって、あのドラムのいない現代音楽みたいなジャズをやってた人か。そりゃ大変だったろうな。

おいとま

持参したCDを一通りかけて、そろそろ日が傾いてきた。彼はライナーノーツをめくりながら「はーん」「ふーん」などとつぶやいていたが、夕食の邪魔にならないうちにおいとましたほうがよさそうだ。

「もう帰るのか?」

はい。きょうはもうおしまいです」

「そうか。わざわざ悪かったな。よし、ちーちゃんお客様にご挨拶だ」

彼はそう言って猫を抱き上げたが、ちーちゃんは腕をまっすぐにつっぱって、できるだけ彼から離れたがっているようだった。

「きょう持ってきてくれたCDは、うちに置いていっていいからな」

「置いていっていい?」

だってほら、いちど聴いただけじゃよく分からんだろ。そのかわりと言ってはなんだが、シュニトケ弦楽四重奏曲集を貸してやろう。何番が優れていると思うか感想を聞かせてくれ」

それから

まだCDは返ってこない。「返してほしけりゃ取りに来い」と彼は笑うが、その目はハシビロコウのように鋭い。ただ来いというだけではなくて、また別のCDを持って来させる魂胆なのだわたしはどうすればいいのだろう? ただひとつの慰めは、彼の娘さん――父親との血のつながりが疑われるかわいらしさの娘さん――の耳に、エリック・ドルフィーオーネット・コールマンが届いているかもしれないということだ。サックスを始めた彼女の頭にたくさんのはてなが浮かばんことを。

Further listening

http://www.nicovideo.jp/mylist/34787975

[1] http://www.redbullmusicacademy.com/lectures/steve-reich-the-music-maker?template=RBMA_Lecture%2Ftranscript

[2] http://www.nytimes.com/2009/10/18/books/excerpt-thelonious-monk.html

[3] http://nprmusic.tumblr.com/post/80268731045/

[4] Frederick J. Spencer. Jazz and Death: Medical Profiles of Jazz Greats. University Press of Mississippi, 2002. p. 36. "A diet of honey is not recommended for anyone, and especially not for a diabetic, or prediabetic, patient."

[5] http://www.furious.com/perfect/ericdolphy2.html "'Eric Dolphy died from an overdose of honey,' arranger/band leader Gil Evans believed. 'Everybody thinks that he died from an overdose of dope but he was on a health kick. He got instant diabetes. He didn't know he had it.'"

[6] http://www.pointofdeparture.org/archives/PoD-17/PoD17WhatsNew.html

[7] http://downbeat.com/default.asp?sect=stories&subsect=story_detail&sid=1111

2015-02-06

アイドルポストモダン

http://seana.hatenablog.com/entry/2015/02/05/230648

アイドルの曲は、アイドルが歌うことに意味があるということに気づけただけでも、ジャニーズを好きになってよかったなと改めて思います

アイドルファンのみんながみんなそうというわけじゃないよ、という話も。

そもそも「音楽とはその演者の主張である」という基準自体が、常に正しいとは限らない。

何の主張も、意思も、意見も、欲求も何もなく、音楽はただ音としてあるだけでも許されるはずだ。

それは、西洋哲学古典文脈で、「世界には何らかの真理があるはずだ」とされてきた価値観に似ているかもしれない。

これはおそらく、人間コミュニケーション手段、あるいは記録・伝達の手段の発達に関係していると言えそうだ。

音楽を伝える手段は、口伝から楽譜レコードからCDデジタルデータへと発展してきた。

一番最初は「自分たち音楽をいかに奏でるか」から始まったし、実際にそういう手段や発想しかなかったわけだが、

文明の発達によって「楽器を弾かなくても音楽が作れる」、「発表した数分後には世界中の誰でも聴くことができる」ようになり、

音楽のありようは大きく変わってきた。

音楽もまた、それがそれ自体として価値を持って存在しうる、

まりシニフィエを持たず、純粋シニフィアンとして存在しうるものに変わってきた。

音楽を奏でる上で、その主体自分の顔や外見を聴衆の前に晒し

その言葉が本人の主張であると常に解釈されなければいけない時代は終わったということだ。

人間、あるいは自己の「表現」としての「音楽」には限界がある。

なにより、自分以上の音楽を奏でることができない。

そもそも「音楽」と「自己」とは関係なく存在しあってもいいものであるはずだ。

自分たち音楽とは、自分たち表現だ」という自己規定は、そのうちに必ず自家中毒を引き起こす。

いわゆるアイドル戦国時代と言われたところから、近年のヒットチャートアイドルが占拠するようになったこの音楽のあり方は、

何も正当性がないただの「衰退」や「退廃」とは異なる、文化としての次のステップ意味を示している。

音楽」と「自己」、あるいは「音楽」と「意味」の離別は、音楽のもの純粋さをより推し進めるものともとれる。

たとえばそれは、女性キャラしか登場しなくなったアニメや、10代の若者世界を救うジュヴナイル作品とも近いもしれない。

その「音楽」をより純粋な形で届ける上で、最適な手段を探した結果、それが「アイドルだった」としても実は不思議なことではないのだ。

ポップスという大衆音楽には、その音楽性やジャンル自体制限はない。

あらゆる音楽性はポップスに含まれうるが、しかし外見や表現を含めてもそうだといえるだろうか?

ダンスミュージックディスコ、あるいはプログレハードロックメタル

これらはそのファッションスタイルと相まって存在していた音楽文化だ。

ヒップホップ音楽性には、ヒップホップファッション必要で、ヒップホップなアティチュードが求められる。

一人の人間、あるいはバンドでこの様々な音楽性の表現は一貫して行うことができるだろうか?答えは「No」だ。

なぜなら自己表現として音楽存在すると仮定した場合多種多様音楽を奏でることはそのまま分裂症的に解釈されてしまうのがオチからで、

これはつまりドゥルーズの言うリゾームの話に近づいてくる。

純粋音楽表現において、多種多様音楽をできるだけピュアな形で届けるには、アニメアイドルといった、

何の主張も持たない、時にはフィクショナルな存在の方が向いているということは起こりうるのだ。

から、私はアイドル音楽が好きだ。

彼ら、彼女たちと、そこで歌われる、奏でられる音楽は、本当の意味で結びついてはいない。

(つまり歌詞言葉どおりに彼らが考えているわけではない)

しかしながら、いや、だからこそ、その音楽純粋存在しているし、鳴っているのだ。

ともすれば、その歌詞支離滅裂意味を持たなかったとしても、

ナンセンスであるほどにその身体性、サウンドとしての純度は高まるかもしれない。

ひと昔前であれば、優れた40代50代の音楽家表現しうる音楽手法、伝える手段は、より限られたものだったろう。

今は、アニメアイドルボーカロイド…。様々な手段によって、自己の肉体や外見とは関係なく、純粋音楽表現できる時代になったのだ。

そして、リスナーとしての我々にとっても、より純粋フィクション文化として、

音楽作品に溺れることができる時代になったということも同時に意味しているというわけだ。

2014-12-03

http://anond.hatelabo.jp/20141202220427

何事も入り口問題なんじゃないかと。ピアノだって小さい頃にクラシックから入ると挫折率高いけど、中高生になってポップスアニソン弾きたい、ってなったらそれなりに弾けるようになる。

2014-11-17

HIPHOPという文化へ敬意はないのか?

大衆が耳にするHIPHOPなんてポップスだよ。

本当のHIPHOP精神なんだよ。反骨精神と劣等精神なんだよ。

言わせんな。ゲトーから生まれたての土臭いHIPHOPを聴いてみろ。

2014-10-13

http://anond.hatelabo.jp/20141013113642

俺はマイルドヤンキーではないと思ってるが。

地元高校出た後地底に行って灯台院にロンダしたあとキャリアチェンジとかで転職して3社ほど。一貫して東京で働いている。地元に戻る気なし。車は持ってないが酒と美味いものは好き。蒸留酒にはあまり手が出てない。タバコは一切吸わない。買い物なら主に新宿好きな音楽マニアックな(日本人)ポップスビートルズとかも好きだが(外国人にも通じやすいし)、ジャスティン・ティンバーレイクとかもちょっと好き。

出自ヤンキー層だから、俺はどこにも属してない何かって感じがしてる。

2014-09-23

CHAGE&ASKAの"PRIDE"

 チャゲアスといえば、ダブルミリオンを達成した「SAY YES」と「YAH YAH YAH」がやはり圧倒的に有名ですが、「PRIDE」はそのどちらと並べても決して劣ることのないどころか、全J-POP史上においても比類のない、赫奕たる地位を占める壮大なバラードです。そしてPRIDE幸運なことに録音に恵まれています1989年に発表されたその曲は、何度もライヴで歌われており、様々なバージョンを聞き比べることができるのです。ASKA年代によって声質や歌唱法がかなり異なっているので、それぞれ別のしかたで楽しめます。今回はややマニアックですが、PRIDEの様々なバージョンレビューしてみようと思います

①【CONCERT TOUR 1990-1991 SEE YA!】https://www.youtube.com/watch?v=-KfOdkNFrOk

評価=8

私の知るかぎり、最も早いPRIDELIVE音源です。

CD音源にかなり近いですね。他の音源に比べて特徴となっているところは、サビの「駆け抜けていく」(1:48-50)の歌唱ですね。とくに「く」の母音の処理です。「ウ」と「ア」の中間発声することで、単に「ウ」と発声するよりもパワフルに聞こえますASKA独特の母音の処理方法です。声も若さが満ち溢れていて爽快感を覚えます

②【 夢の番人 SPECIAL EVENT1993 GUYS 】https://www.youtube.com/watch?v=FnOnAXszb3k

評価=9

のものから二年後の音源です。

声のフットワークが軽くて、とくに高音となるサビのメロディーをなめらかにすべっていく様子はあたかサーカスの軽業師のようです。曲をより「自分のもの」にできている気がします。

ちょっとマニアックというかフェティッシュなことを言うと、「涙の跡」(3:33)という部分の「だ」の発声が他のものよりも情感豊かで、素晴らしいです。この録音はもっとエモーショナルものかもしれません。

③【CONCERT TOUR 史上最大の作戦 THE LONGEST TOUR 1993-1994】https://www.youtube.com/watch?v=FepyCkAE00U

評価=9

まり時間の間隔を置いていません。最高のパフォーマンスです。②ほどの情念はありませんが、全体の均整ということで言えば一番優れているものでしょう。

④【ASIAN TOUR IN TAIPEI】https://www.youtube.com/watch?v=iGmHpIn4R2s

評価=10

1995年台北でのLIVE音源です。

ややASKAの声が太くなっていますね。じつは私が一番好きな音源はこれです。

声質が太くなり重量感を覚えさせるけれどもパワフルに突き進むさまは、重戦車が高速移動をする様子さえ思い浮かべます

この録音では「駆け抜けてく」の「く」の音が、しっかりと「ウ」で発声されていますが、私はこちらのほうが好きです。かように苦悶の表情を浮かべた「ウ」はなかなか聞けません。

⑤【MTV UNPLUGGED LIVEhttps://www.youtube.com/watch?v=BsI973Gz0MQ

評価=7

イギリスMTVでのパフォーマンスです。1996年

アンプラグドさら欧米でのパフォーマンスということもあってか、アレンジがかなり変わっています

やや大人しめですね。テンポも少し早くなってあっさりとしています。お洒落な気分でPRIDEを聞きたいという時にはよいでしょう。

⑥【千年夜一ライブ福岡ドーム 僕らがホーム〜】https://www.youtube.com/watch?v=N84lgzkN9BA

評価=6

1999年から2000年にかけての年越しライヴです。

この頃からASKAの喉の調子に翳りが見えてきますポップス歌唱法にはご存じ「ミックス」というものがありますね。地声裏声を混ぜるってやつです。

艶のある地声成分で高音が出ないのか、裏声成分多めで叫ぶ手法オペラ歌唱に近い発声)が所々で見受けられます。後半になると多くなりますね。

⑦【CHAGE&ASKA LIVE IN KOREAhttps://www.youtube.com/watch?v=3X4W5lCMOGs

評価=6

コンサート途中に感極まって歌えなくなったことで有名な韓国ライブです(なおその映像はこちらhttps://www.youtube.com/watch?v=sFi5qExw_pM)。2000年

やはり前と同じで、高音が苦しそうですが、この曲ではその苦しげな姿すら一種のパフォーマンスに転化しうるものをもっており、胸を打つものがあると思います。②とはまた違ったおもむきで情感があります

⑧【COUNTDOWN LIVE 03 04 in SAPPORO DOME】https://www.youtube.com/watch?v=CIC71g9CvcE

評価=5

2003年から2004年にかけての年越しライヴです。⑥の3年後ですね。

この頃になると、90年代と声は明らかに違ってきます。目に見えて声が太くなってきます

喉の調子が治らず、どの歌唱法がいいのか模索している感じがします。

⑨【CHAGE and ASKA Concert tour 2007 DOUBLEhttps://www.youtube.com/watch?v=laGU2JOdj8o

評価=9

声はさらに太くなっていくのですが、そうした自分の声にあった歌唱法が見つけられたのがこのLIVEだと思います2007年

90年代ASKAを軽快なトランペットだとすると、これは炸裂するトロンボーンとでもいったところでしょうか。CHAGEの超高音はさら金属質なものとなって、硬質なハーモニーを聞くことができます

しかしこのLIVEで注目しなければいけないのはASKAよりもむしろCHAGEです。大サビCHAGEの超高音のハモリはこれまでのどの録音にもなかった凄みを与えてくれています

あと、またフェティッシュなことを言いますと、3:25あたりの「傷ついて知ること」の「と」の音は、大地の奥底からやってくるような雄渾な響きで痺れます

まとめ

やっぱり90年代は黄金期で、どれを聞いても圧倒的ですが、その中でも台北ライヴワーグナー「神々の黄昏」のような、崩壊しそうなまでに過剰な絢爛さがあって、私はそれを愛してやみません。

00年代になると喉の不調が目立ちますが、それでもDOUBLEライブは全盛期を取り戻すかのような圧倒的なパフォーマンスを見せてくれますしかしそれは90年代前半の軽業とは異なり、敬虔カトリック教徒の盤石堅固な信仰の凄みにも似たものを思わせます

2014-06-16

最近ポップスの駄洒落みたいな歌詞なんなの?

具体的な名前は挙げないが、ポップスしろロックしろボカロしろ

うまいこと言葉を掛けてあるほどいい歌詞、みたいな風潮がある

「俺今うまいこと言っただろ?」的なドヤ感が半端ない

このドヤ感は日本歌謡曲がもともと持っていた叙情性や文学性を阻害するものだと思う

もともと日本歌謡曲には韻を踏む文化はなかったのである

mcATはヒップホップの韻を踏む文化オヤジダジャレのようで日本

Jpopにはそぐわないと考え、あえて韻を踏まなかったと語っている

だがJラップの本格的な普及によりうまく韻を踏み、言葉を掛けることがクールとされるようになり

その文化ロックポップスに輸入されてきたのではないだろうか

だが私のような古い人間には、若者たちが韻を踏んだり整いました!的なうまいこと言ってる歌詞を聞くと

酔っぱらいおやじダジャレを言ってドヤ顔しているようにしか受け取れないのである

2014-05-04

JUDY AND MARY を舐めてる自称音楽ファンは全員死んだ方が良い

JUDY AND MARY90年代を騒がせた"売れ筋"バンドひとつですね。まー売れ筋からか、「自称音楽ファン」からの評価は異常に低いですね。曰く「あんなの中高生ワナビー聴く音楽だろ」「ジュディwwwwwアンドwwwwwwwマリーwwwwwwww」みたいな。でも先入観なくJUDY AND MARY を聴いてみましょう。実際よくできてるんですよこれが。

例えば、Miracle Night Diving という曲を例にとってみましょう。コード進行がついたやつが http://gakufu.gakki.me/m/data/DT02121.html:ここ] にありますね。動画https://www.youtube.com/watch?v=xpLEm-cafyw:このあたり] で見れる。はいまずコード進行が「一般的J-POPからかけ離れてることがわかるでしょう。まずサビ以外のコード進行がすべてテンションコードであることが見て取れますね。この時点で「あっちょっとヒねてるなこいつら」という感じです。さらに、コード進行的にはD7一発であるイントロギターフレーズを取ってみましょう。「ラードーソファ#ーラドレソファ#ーレードラーソファ#ーラドドッドー」。これはひどい、一度も根音であるレが出てこないどころか、スケールとしてはむしろミクソリディアスケール(ラ シ ド# レ ミ フ# ァ ソ ラ)として解釈したほうがよほど自然フレーズになっている……(ドがナチュラルなのはブルーノート)。でも、曲全体としては結構ちゃんと「ポップス」してるんですよね。

ここからわかることはなにか。JUDY AND MARY は、「音楽オタクにとっても"おもしろい"ことをやろうとしながら、その上で"ポップス"であろうとした」ってことです。これはめちゃめちゃ難しいことですよ。言うなれば、「ジャンプに連載しながらアックス読者の鑑賞に耐えうるものにしよう」という強い意思を感じるわけです。一応言っておくけど、俺はべつに「アックス」が「ジャンプ」の上だと言っているわけではないですよ。そこにあるのは「指向性の違い」だけなんですからね実際。そのくせ、なんか、アックス読者の意味からない選民思想で「ジャンプか〜〜〜まあね〜〜〜〜実際面白いと思うけどね〜〜〜〜〜」みたいなクッソ感じ悪いやつあるじゃないですか。その癖「いやまあ富樫は認めるけど〜〜〜」みたいなこと言うやつ。お前何様だよ、みたいな。

でも、たしかに富樫ってすごいんですよね。なにがすごいかっていうと、「ジャンプ」層からも「アックス」層からも支持されてるってこと。つまり、「パッ」と読んで面白い上に、「じっくり」読んでもいくらでも語るべきことがある。これって本当にすごいことで、つまり作品が多層的にできてるんですよ。「トイレで読んでも面白い」という層で読んでもちゃんと面白い。「書斎でじっくり読み込む」という層で読んでも発見がある。このふたつを満たすことができる作家が希有な才能を持った作家であるということに異存がある人は少ないんじゃないかな。

でも!!!!!でもだよ!!!!!!!!!!なぜか「聞き流しても聴きやすい」という層でも聴けて、「アナリーゼしても面白い」っていう層でも聴ける JUDY AND MARY は、なーんか「俺は音楽好きだぜ」みたいな人たちから馬鹿にされがちみたいなところある気がするんだよね。それってさ、つまり音楽好き」の文化レベルが低すぎるんじゃないの?????お前ら「マウントポジション」取ることにしか興味なくて、本当は音楽に興味ないだろ。みたいに思うんだよね、俺は。

2014-04-08

大学オーケストラをやろうと思っている新入生へ

まず、あなた大学オーケストラをやろうと思っている理由は何ですか?

友達に誘われて?大学デビュー?新しい分野にチャレンジしたい?高校でやってた?

理由は何でも構いません。クラシックに興味を持っていただけるだけで私は嬉しいです。

そんなあなたの素晴らしいキラキラした瞳を「こんなはずじゃなかった…」と濁らせないために少し話をしようと思います

まず、初心者の方。努力出来ますか?

ピアノを弾いていた方なら憂鬱基礎練習を思い出していただければ言いたいことはわかるでしょう。

運動部だった方、自分技能を上げるためにそのスポーツをやり続けるだけでなく、長時間筋トレなどがあったと思います

弾きたい曲が努力なしで出来るわけがありません。

ただ、弾けた時の感動や舞台で浴びる拍手の音には何物にも代えられない価値があるように私は思います

一つ一つ先輩に手ほどきを受けながら習いましょう。

大学ほどにもなると大抵経験はいます。上手く弾けなくたって構わないのです。あなたスピードで練習していきましょう。

焦って形にならなくて結局何だったのかわからないまま終わってしまった…と言うのが一番避けてもらいたい状況です。

大学オーケストラ定期演奏会があると思います自分が乗る曲の好きなフレーズを見つけ、「ここだけは弾ける」という部分を決めて…と言うのも極論としてはアリだと思います

周りの人に流されず、音楽を練習し、勉強し、その中で楽しみを見つけられればと思います

次に、経験者の方。貴方の主義や性格にそのオケは合っていそうですか?

あなたの入ろうとしている大学オケ過去演目を調べてください。知らない作曲家がいますか?

意味の分からない演目があったら歓迎会などで先輩にそこはかとなくその曲が決まった経緯を聞いてみましょう。

そのオケの抱える問題が見えることがあります

あとこれは新入生の方にも言えますが、サークル費を調べてみましょう。

低すぎるのもどうかとは思いますが、若干高めな上その印象を抑えるために比較対象都内私大オケになっているものには気を付けてください。

(その手法を使っているオケが全て悪いとは言いませんが)

サークル費の高さはどこに流れているのか注意が必要です。ホール指揮者トレーナー先生に充てていると言うのなら大丈夫でしょう。

ただ、サークル費を稼ぐためにバイトを頑張って単位を落としたり身体を壊しては元も子もないのです。

学生の本分は勉強です。自分限界相談をしながら楽しい大学オケ生活を楽しんでください。

言いたいことは実際はこのくらいだけです。

オーケストラは50人、100人規模の「アンサンブル」です。指揮者コンサートマスターなどの存在はありますが、大人数で1つの音楽を作り上げる中で他では味わえない感動があります

そして、音楽を通して様々な事を学んでほしいと思います技術感情、人との交流…そこには様々なものがあります

辛いことも、嫌なこともあります。人が多くなればサークルの中でも苦手な人・嫌いな人は出てくるでしょう。

その人と何とかやっていくのか、辞めるのかは貴方次第です。

音「楽」という字面だけ見て、音楽は楽しまなければならないモノだと思い続ける必要性ははありません。

自体にも悲しみやジレンマ表現したものもありますし、音楽が全て楽しいものだとは私は思いません。



同期や先輩、後輩との楽しい時間

指揮者トレーナー人生経験

オーケストラほど「音楽」と言うもののために、これだけ多くの人と交流するは他にはないと思っています

貴方の4年(6年)が楽しい大学生活と共にあることを祈っています






最後に皆さんが失敗しないために私の知っている2人の学生オケ「失敗経験者」の話をしたいと思います

後味の悪い小話ですので気分を害したくない方はここまででお帰り頂いた方が良いかと思われます

また、これはどちらも大学以前にクラシック経験があった知り合いの話ですので初心者の方には参考にはならないかと思います

(さらに、当人たちから聞いた話ですのでそのオケの悪い部分だけが誇張されている可能性も否定できません。)

それでは、1人目から

1人は割と厳しい高校吹奏楽経験者で、(わかる人にはわかるかもしれませんが)吹奏楽部のようなドロドロとした中でひたすら技術音楽理解を追い求めて行ったタイプです。

彼女が入った大学オーケストラは割とゆるめのほんわかしたタイプオケでした。

定期演奏会は有名作曲家を並べたもので、オケメンバーもやる時はやるもの基本的には飲み会やおしゃべり多めといった雰囲気だったそうです。

彼女は2年目以降は(練習の鬼と言えばいいのか)練習一辺倒になり、周りから頼られつつも1歩引かれていたように感じていたそうです。

彼女最後まで大学オケをやり切り、音楽だけは楽しかったと言っていました。

私としては個人的には仲間や先生方ともっと楽しんで欲しいかったなと思います

2人目は逆にポップス曲や有名曲をやってきた高校オケ経験者で、入った大学オケが性に合わなかったと言っていました。

そのオケ技術メインで(技術一辺倒が悪いとは私は思いません)、各パートトレーナーが付くほど本気な大学オケだったそうです。

彼は経験者と言うこともあり、サークルの枢軸といいますか、選曲などかなり重要な部分に関わっていたようです。

しかし、オーケストラトレーナー名誉顧問(?)のような人に半分牛耳られていて、定期演奏会の曲の案を出しても中々許可が下りず、毎回1,2曲不本意な曲を入れて妥協していたようです。

(夜な夜なサークル選曲係系の幹部と一緒にヤケ酒をしていたとか。)

[これが定期演奏会のの演目を聞けと言った理由です。]

彼はさらに、高校オケ音楽雰囲気大学オケ頭でっかち音楽ギャップにも耐えられず、役職交代のタイミングで退部届を出したそうです。

後味は悪いですが、話をこのぐらいで閉めさせていただきます

(回避するためにインカレと言う手段もありますね。インカレはそれはそれで苦労はありますが、私は悪くない選択だとは思います。)

年寄り妄言最後まで耳を傾けて頂きありがとうございました。

これを見た人の中には「これは全く馬鹿げた意見だ!聞く必要もない!」と言う人もいると思います

様々な人が音楽に、学生オケにそれぞれの思い入れ・考えを持つことは当然の事ですし、私とは真逆の事を思う人間がいることにも何ら疑問はありません。

ただ、こういう意見があると言う事を頭の片隅に入れて頂ければと思います

私は皆さんに学生オケをするなとは言いません。むしろ積極的に参加して欲しいと思っています

ただ、意欲的に参加したサークル憂鬱な4年(6年)を過ごす人がいないこと望んでいるだけです。

皆さんは大学オケ選びに失敗しませんように。

2014-03-14

anond:20140314222858

youtubeで昔、日本ロッククロニクルみたいなものをみたけど、やっぱりボーカルが全体に弱かった。

耳を惹いたのは、永ちゃん清志郎など後に残った人たちだけだった。

ボーカルが弱いっていうのは日本ロック命題

そのうえロックボーカリストは練習がしない。

楽器隊は練習大好きなのに、ボーカルボイストレーニングやるわけでもなし、酒とたばことかやってるし。

ポップス系のひとはまじめなので、ロック系よりよっぽど上手い。

2014-02-20

DTMについての質問

ブラック系のファンクポップスを中心に作っているのだが、

上手い人たちの曲と自分の曲を比べると、自分の曲は各トラック

ボリュームバランスが悪いような気がする。

上手い人の曲を聴くと、各トラックがはっきりと存在を主張しながら

きれいに調和している。

 

MIDIドラムキックのベロシティを100にした場合

スネアやハット、主旋律ベース和音のベロシティやパンを

どのように考えてどれぐらいの数値にしているのかを、

DTMをやっている皆さんに教えてほしい。

2014-02-09

http://anond.hatelabo.jp/20140209162124

世間狭いなあ

確かに本筋の作家は専業が当たり前なんだろうけど

今、文章やイラストポップス音楽あたりは兼業普通だろう

スポーツだって専業少ないんじゃない?

最近小説の賞を取った人も給食のおばちゃん、

スキーだっけ?のオリンピック出てる人は事務員だかなんかだろ(テレビCMで見ただけだからうろおぼえ)

YOUは何が大事なのよ

有名になるのなら兼業だってできる

作品を作るのだって兼業だってできる

専業じゃなきゃ大成しないなんて分野

現代ではめったになかろう

彫金とか鉱石細工みたいな、生来資産がいる分野もあるけどな

2013-07-05

クラシック業界芸術界のレスリング

先に、海外ではどういった状況なのかといったことはあまり存じないことを謝っておく。

クラシック業界ほど保守的業界はない。

演奏情報を見ると軒並み18C中期から19C初期の曲目ばかりが並んでいる。

同じ曲目ばかり演奏し続け、「この曲いいだろ?良い曲だから何度でも聴きたいよな?」とドヤ顔で言い張っているが、クラシック人口が減り続けているという事実は大きい。

オリンピックにおけるレスリングは、今まで鼻高々に自分の地位を主張していたが、変革を迫られている。

業界内だけで自己満足しているだけでは、オリンピックの様な大衆的な場所はいられない、ということだ。

クラシック業界も、新しいかたちを取り入れていかなければ大衆に受け入れられ、生き残っていくことは出来ない。

絵画世界では、大家の作品の展覧会と並んで新鋭作家展覧会がおこなわれている。現代美術美術館も多く存在する。

映画世界では、先に目に入るのは最近の作品ばかりである古典の作品は名画座など手軽に鑑賞できる施設がある。

著作権の問題も大きいのかも知れない。

最近では、2004年に著作権が切れたラフマニノフなどは、ここ数年で一気に人気を増した。

CMで流れたり、ポップスメロディーが流用されたりすることで、新たな客層をつかまえたのではないかと思われる。

しかし、著作権切れだけに頼るクラシック業界では少々頼りないのではないか

2013-06-27

http://anond.hatelabo.jp/20130627135809

Yes 肯定。 大衆性ということはそういうことだし、大衆は沢山いるかビジネスになる。

ただ、古い手法ばかりにこだわっていてはいずれ、枯死してしまう。 ポップスにおける大衆ビジネスにおける新規性とは何か?ポストポップスとはなにか?というのが、このスレテーマ

 

知恵を貸してくれるとありがたい。

http://anond.hatelabo.jp/20130627135700

大衆性 ポップスという意味では同じだね。ただテーマ大衆性つまりポップスではなくポストポップスは何か?ということで

体感を得ることで共感を得るシステムというのはポップスの根源的なもので古い手法だ。

 

今知恵を貸して欲しいのは、その中の ポップスにおける新規性とは何か?というところを、古い手法から分離したいということだ。

http://anond.hatelabo.jp/20130627133629

まり、新しいポップスとは音楽それ自体に価値が有るのではなく、音楽を作る自分たちの価値、というわけか。

暇だったら、知恵を貸して欲しいんだけど。

新しい時代ポップスっていうとなんだろうね。初音ミクなのかね?

 

いわゆる、大衆音楽感情に訴える共感音楽である、という事は納得できたんだが

そのポップスというジャンルにおいて

エヴァリュエーティブ(踏襲した進化)であっても、レボリューティブ(革新進化)って最近ないなqぁと思って。

革新的というと、初音ミクなのかねぇ?

2013-03-30

好きを貫くのは馬鹿、新鮮さを貫け

公私ともにアイデアマンと認めるこの俺が創造力を発揮する秘訣はというと何と言ってもある1つの心構えにあると思う。

だいたい創造性開発といえば好きを貫けってことと、インプットアウトプットを増やせってこと、それからKJ法に始まる発想法を身につけろと、そういうことしか言わない。これでは本当の創造力はつかない。

スーパーIT高校生"Tehu"と考える 創造力のつくり方』も何か新しいことが書かれているかなと思ったけど特に書かれてなかった。ってか創造力について記述ほとんど無いだろこの本。

その心構えとは、これ「新鮮さを貫け」である

だいたい気付かないといけないよ。好きを貫くことによる視野の拡大ってのは実はその裏で視野固定化も孕んでいることに。

俺は世の中で素晴らしいとされているあらゆることが好きになれなかった。好きを貫けとか糞くらえと思っていた。だからこそ「新しさに目を向ける」ことに気付けたのだろう。

新しさに目を向ける、という発想こそが創造力開発の妙薬なのだ

暮らしのなかで積極的に新しさを見つけようとする。そのためには予想を立てることが不可欠である。予想を立てて現実と照合する結果、違いに気づき驚きが生まれる。

君は新しさに驚く日々を過ごしていますか?新しさは心の栄養ですよ。予想を立てないから違いに気付けずありきたりの日常に見えてしまう。

それから好きを貫いたり1つの目的目標のために身を粉にしたりすると一気に新しさが見えなくなってしまう。もっと柔軟にならないといけない。

音楽を聴く時もみんな「イイ曲」を探そうとするんだよ。それが駄目。イイ曲ってのは自分既存のモノサシでイイ曲ってこと。それでは視野が広がらない。

そうじゃなく「新しい曲」を探そう。本当に「イイ曲」なんて1000曲に一曲で、そのためにせっせとCD買いまくるのはご苦労なこったとしか言いようがない。馬鹿である。一種のギャンブル中毒スロット馬鹿と同じ。

そうじゃなく「新しい曲」を探そう。「新しい曲」であれば50曲に一曲はそういう曲が見つかる。新しさが無いかなと注意深く聴いていれば5曲に一曲はそういう曲が見つかる。

そうやってどんどん新しい感覚を心に取り込んで味わっている人と、固定したモノサシで「イイ曲」ばかり追い求めているとでは、心の豊かさに雲泥の差が生まれるのは言うまでもねえことだ。

facebookにも「イイネ!ボタンがあるがあれは「新しい」の意味で用いるべきなんだ。「良い」の意味で使うと心が狭くなる。評論家気取りで良い悪いを判定しているとまたたく間に心が死んでしまう。

少しでも新しい部分がないか耳を澄ませて生活しないと。パクリって言葉を多用する人間も危ない。あいつらは新しいものまでパクリ認定してる。

あれもパクリこれもパクリ連呼してる人間がさあ自分が作り手側に回ったとき何も出来なくなる。自分の首を絞めちゃってる。だから新しさに鈍感なヤローは何も作れないんだ。

これまで話を聞いてこう思った人もいるだろう。新しさだって1つのモノサシに過ぎないからそれに拘るのは視野を狭くするんじゃない?現代アートも新しさに拘って珍妙な方向へと迷走してるように見えると。

それはある意味正しいように見えるが現実には新しさを追及していけば1つの新しさだけでなく色んな新しさを求めるようになるから狭い視野に陥ることはない。

現代アートと言ってもいろいろあるが理屈に拘って迷走してる人もいるのは事実である。だがそれは新しさに拘っているからではない。新しさに拘ることで珍妙アートが出来るとすれば

それは新しさがマジョリティに理解されないからであって、それは視野が狭いのとは別問題である。発想法みたいに機械的に理屈でひねり出した新しさではなく、

ちゃんと本人の感性が新しいと感じたのであれば、それは同じ感性の持ち主には感動として伝わるはずである珍妙に見えても一部の人には価値あるアートなのである

好きを貫くデメリットをもう1つ書いておこう。それは好きには限度があるということ。例えば作曲家が「イイ曲」ばかり作ろうとしていたら必ず壁にぶつかる。

作曲センス技術が成長してどんどん「イイ曲」が出来ているうちは良いが必ずどこかで壁にぶちあたる。芸術家の苦悩と言えば聞こえは良いがはっきり言って自業自得馬鹿である

「イイ曲」ではなく「新しい音を追い求める」というスタンスでいけば一気に視野が広がる。「イイもの」以外は全部捨ててしまうのではなく、その中にも面白い音がたくさんあることに気付く。

「新しさ」を追い求めると興味が特定分野に限定されない効用もある。例えば、ポップスばかり作曲しててジャズに全く興味のない人が新しさを求めはじめるとどうなるか。

最初ポップスの中から色んな新しさを見つけようとする。だけどよくよく聴いてみるとジャズ要素の入ったポップスに新しさが見いだせるかもしれない。あるいはポップスの中に新しさが見いだせなくなって

他のジャンルも聴こうとしてジャズにたどりつくかもしれない。そうして自分の興味分野がどんどん広がっていくのが新鮮さを貫くメソッドの大きな効用である

そしてジャズの新しさを一通り取り込んだ心でまたポップスを色々聞き直してみると面白いことにこれまでとは違った聞こえ方がしてさまざまな新しい新しさを発見できるようになる。

そうやってどんどん新しさが見つかって心が広がって楽しみが尽きることがない。新しいもの探しをしない作曲家は駄目なんだよ。「イイ曲」ばかり作ろうとしてる作曲家感性が窒息死してしまう。

2013-03-02

http://anond.hatelabo.jp/20130301134148

作曲こそやりつくされちゃってる領域だけどな。

音楽理論の初歩の初歩の方だけでポップスだのロックだのはほとんどカバーできるし、最先端理論現代音楽何つったら超難解であり作れるのも演れるのも聞けるのもごくごくごく一部だけだろうし。

2013-02-01

峯岸みなみに見る"処分"と"ケジメ"~夢の無いアイドル

【けじめをつける】間違いや過ちなどについて、責任を取ること、または、区別をはっきりさせること。「けじめ」は、区別や差別や違いなどを幅広く指す表現

【処分】規則・規約などを破った者に罰を加えること。

エンタメブロガーペレズ・ヒルトンの運営する"PelezHilton.com"に史上2つめのAKB48の記事があがった。

「度を越して不気味」という文からはじまる記事の締め括りはこうだ「アメリカヨーロッパポップスターが同じことをするのを想像できる?全員ハゲになるよ(爆笑)」

今回、峯岸みなみがとった行動について日本人でさえも「大げさ」「不可解」と感じた人は多いだろう。

峯岸みなみは何故あのようなケジメをつけたのか。それは彼女の"責任"がいままでスキャンダルを起こしたメンバーよりも重かったからだ。「1期生」にどのような重みがあるのか、AKBをあまり知らない人はわからいかもしれない。

1期生は会社でいう「会社設立から関わっている役員クラス」みたいなものだ。

まさか会社を誰よりも大事に思っている役員規約違反を犯すとは思わなかった」。このくらいの"事件"なのだたかアイドルグループの一員、たかが二十歳の女の子。でも彼女には組織の中心としての"責任"があった。

組織の中心人物が組織における重要ルールを破った。

下った"処分"は「研究生に降格」。それとは別に彼女はケジメをつけた。「平気な顔をしていちゃいけない」「罰を受けなきゃいけない」。こういう意識が働いたのは組織責任者としての重圧故だろう(じゃあルール破るな、という話はおいといて)。

ルールは完全ではない。しか社会人間は完全ではないかルールが要る。

AKB組織だ」。

AKBをそういう風にみていたつもりでいたけれど、今回ばかりはヤクザ武士にも通ずるような(あまりにも日本人的な)組織責任に対する思想に、一種の嫌悪も感じた。"重い責任"を背負わなければいけない存在必要なのだろうか。組織には必要だろう。アイドルには必要なのか。あんなの見せられたら、「AKBには長居するもんじゃない」と後輩は感じてしまいそうだ(今後は責任を感じなければいけない存在がいなくなるかもしれないし、責任者ファン投票で決まる、なんてこともあるかもしれない)。

株主希望をきく。ルールを破れば降格になる、地方に飛ばされる。ストレート出世が望めなければ、起死回生をかけて海外支部への転勤を希望する。役員ルールを破ったら、処分だけでなく、自らケジメをつけて、社員顧客にしめしをつける。

まりにも夢のない世界だ。アイドルなのに、夢が無い。しかし夢を追うからそこに居るのもまた事実だ。AKB不思議アイドルだ。

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