はてなキーワード: 身分とは
最初はTwitterのサブ垢で軽く呟こうかなと思って書いてたけど、テーマがテーマなので、熱いお客さんを呼ぶと面倒だなと思った。
でもせっかく日頃考えていたことを言語化したので、この形で残しておくことにした。
元々は女性差別の流れから、「美人だという理由で差別されることもある」という趣旨の文を見かけて、これは常々そう思っていたことだったので、差別について個人的に考えていたことを書き始めました。
(※私は美人ではない)
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私は性別による役割分担については、肉体の構造や脳の仕組みの違いがある以上、あって然るべきだという考え方だ。
ある程度人を見た目で判断・区別するのも、生物の本能だから仕方ないことだと思っている。
それとは別に、人が決める枠によって自分のポテンシャルや意欲を阻害される体験をして、それをハンデだなぁと感じることもある。
私は結構いい年の女性だが、技術職なので年齢由来のハンデは受けにくい。それでも経験が長くなるにつれ、性別由来の固定概念の枠(ハンデ)を感じることも増えてきた。
枠に柔軟性がない人や、そもそも枠自体認識しておらず、自分が枠を設けて外を見ていないという自覚もない人もいて、そんな人達に自分を理解してもらえるようアピールしても、見えてるはずなのに認識されなかったり、スルーされたり、一時的に理解されたと思っても、翌日には忘れ去られたりする。
そんな時は、性別や見た目という枠なしで見てほしいなぁと思う。
特に、枠外にあるものが自分の本質に近ければ近いほど歯がゆい。
人が慢性的に不利益を受けたりストレスを感じるような枠組をつけられることを差別というなら、私も日頃、差別を経験していると言っていい。
ほとんどはストレスを感じながらも、仕方ないことだと思えることなので、声にすることはないですが。
性別は枠の切り口の一つであって、もちろん男性も差別されることがあると思うけど、女性のほうが、填められる枠が強固というか、本人の意にそぐわない、社会性も強い類の枠の種類が多い気がする。
それが感じる側の問題なのか、区別する社会側の問題なのかは意見が色々あるだろうけど、感じる側が我慢するより、受け入れる側を(可能な限り)柔軟にするというのが、社会が目指してる方向性だと思う。
なので、枠の存在を忘れがちな人にリマインドすることは必要だ。
多少うるせえなと思われても、度々リマインドされることで、枠の認知度は上がっていく。社会全体の方向転換に少しずつ繋がるだろうと思うので、活動家の方々の頑張りには意味がある。
個人レベルでいうと、各々自分が持っている枠を柔軟にしたり、枠を持ってるということ自体を自覚して、意識することは、基本的に不利益はないはずだ。人間関係は円滑になるし、相手だけじゃなく自分のメリットにもなる。
少し話は変わるけれど、社会性が低めな事柄でも、枠に填められることで感じるハンデがあると思う。
劣っている側が、優れている側を差別するということも、間々あると思う。
例えば身分が違ったり、めちゃくちゃリア充だったり、凄い美人だったり、ハイパーお洒落人間だったりすると、わかり合えない気がして距離を取られる。
またはやたら崇めて理想化する。
そうすることで、本当は似たもの同士なのに親しくなれなかったり、欠点もあるのになんでも簡単にできてると決めつけられたり、振る舞いを過剰に期待されたりする。
これを差別と呼ぶかは人によると思うけど、見てほしい本質が枠の外側にある人にとっては辛いことだろうと思うし、根本は人種差別と同じだ。
「美人であることで困ることなんて大したことじゃない」と決めつけるのはフェアじゃないと思う。
こんな偉そうなことを書いていると、まるで私が、誰にでも分け隔てなく接することができるかのようだけど、まったくもってそんなことはない。むしろ人をジャンル分けするのが好きな質だ。(語弊があるかもしれないけど事実そうだ)
単に枠組みで見た時には、リア充もハンサムも過剰におしゃれな人も苦手だし、外人も(たとえ日本語が喋れても)わかり合うのに障害があると思う。「男は」「女は」という切り口で性質を語ってしまうこともある。違いがある以上、多少のステレオタイプは事実存在する。
でももしも個人レベルでご縁があった時には、できるだけ自分の中にある枠をなくして、フェアに接することができるようになりたいとは思っている(できてるとは言ってない)。目下取り組み中だ。
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余談だが、「(500)日のサマー」という映画で、私は初めて美人のハンデについて考えた。私はサマーがとても可哀想に感じたんだけど、フラれた主人公側に感情移入して、彼女を小悪魔だ気まぐれ女だとレビューしてる記事も見かけた。(主人公視点ではそう見える)
もちろん彼女は自由な基質だったけど、あんなふうにYesマンに崇められたら、そら付き合い続けることはできない。
郡山は雨だ。
文字通り真っ暗な車窓に、水滴が張り付いている。
少しでも遅れると困る。このまま大宮まで在来線を乗り継いでいかなければならない。
グーグルからの通知で、宇都宮から遅れているとの情報を受け取る。
日付が変わる頃には家に着いていたい。
土曜の7時過ぎ、平日なら都内の方面へ向かう大宮駅の在来線ホームにいるはずだが、この日は打って変わり、新幹線ホームにいた。
金曜の夜のうちに、鳴子温泉の宿を取っていた。
昨晩熟睡できたおかげか、頭はすっきりしている。
少なくとも午前中には宿に着いてしまう、余裕を持ちすぎた旅程だった。
出発の5分前に新幹線は入線した。構内のブックエクスプレスで買った本を読みながら発車を待つ。
雪が降っていた。
西口のペデストリアンデッキの隅々には黒く汚れた雪がそこかしこに避けてあった。
本来なら、鳴子温泉にまっすぐ向かうのであれば、古川行きの特急券を用意するのが一般的だが、気分の変わりやすい私は、なんとなく先のことを見越して仙台行きでやめておいた。
別に、仙台から東北本線、陸羽東線を乗り継いで行っても問題ない。
また、結果的にその通りになったのだが、仙山線に乗り迂回しながら鳴子温泉にも行ける。
コートのポケットの中には行き先指定の乗車券ではなく、乗り降り自由の周遊券が収まっている。
これでふらふらと時間の許す限りどこまででも行ける。
雪を見たら必ずどこかに行きたくなる。
仙台に降った雪にそそのかされ、仙山線で山寺を目指すことにした。
山形県境を超えると、雪が濃くなった。
車窓には白色が占める割合が高くなり、車輪が雪を踏みしめる音が聞こえる。
私は学生の身分から社会人になったが、仙山線のこの風景は何も変わってはいない。
立石寺までの道のりや、参道の茶屋の雰囲気、何もかもそのままだ。
昔のことを考えていたらなぜか気恥ずかしくなり、1時間半滞在した後、すぐに山形方面を目指した。
あの頃は、貧乏学生で新幹線なんて使えず、全て鈍行での旅程だった。
駅前では旅館のおかみさんがボートを手に掲げ、待っていてくれた。
一晩お世話になる宿は、とても素晴らしいものだった。
なによりも、お湯が最高であった。
鳴子の湯は、湧き出る箇所によってその特色が全く異なる。
今回の宿は、これでもかというほど白く濁りきり、硫黄の匂いで脱衣所どころか、宿全体が溢れていた。
2階建てですべてが和室。こたつにストーブ。更には湧き出る源泉の温度を利用したヒーターが備えてあった。
夕食後は湯に浸かり、酒を飲んで、気付くと朝を迎え、あっという間にチェックアウトをしていた。
かつての震災。実家が青森の私は、知っておくべきことではないかという観念があった。
整然としている。真っ先に思い浮かんだ感想。
列車の中で見た女川までの車窓は、やはり想像していたとおりだった。
復興の力とはすごいものだ。震災直後の町の有り様は、詳細には私にはわからないが、一つだけ言えるのは、さっきまで見ていた車窓とは全く異なっていた、ということだ。
これこそが活気だと感じた。
だか、確実にここには人が住んでいる。そういう気分にさせた。
私はその後、今日何度目かの温泉に浸かり、土産を買い、ただの観光客という身分でそこにいた。
観光客でいられるということは、よく考えてみれば、それはもう立派な町だ。
間違いなく東北は立ち直ってきている。一部分の一瞬を切り取っただけを見た私が言うのは甚だ軽薄で軽率であるが、そう思わずにはいられなかった。
一年前、仙台から鈍行で東北本線を上ったことがやけに懐かしくなり、私は300km超の道のりをゆったりと列車に揺られている。
残りの時間は少し眠ろうと思う。仙台で少し買いすぎてしまった酒がもう底を尽きた。
なんとまあ奔放で堕落した2日間だっただろう。
http://www.hatena.ne.jp/rule/rule
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人種、民族、信条、性別、社会的身分、居住場所、身体的特徴、病歴、教育、財産及び収入等を根拠にする差別的表現行為
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自分以外の個人や会社、団体を名乗ったり、権限なく特定の会社や団体の名称を使用したり、
架空の個人や会社、団体を名乗ったり、事実がないにも関わらず他の人物や会社、団体と業務提携や協力関係があると偽ったりする行為
他者になりすましてサービスを利用したり、情報を改ざんする行為
反社会的勢力等の活動を助長または反社会的勢力等に利益を供与する行為
その他、公序良俗に反するかあるいは社会的に不適切な行動と解される行為
感じ悪すぎるので、
https://i.imgur.com/EIvg9bI.png
保存してます。
あなたが、行かなければいいだけ。
当時でもお城に行ける人なんてそうそういない。
一般市民が入場料?払うだけで、
自分のご先祖様でも簡単には(身分的にも)観ることが出来なかった(かも知れない)眺めを
観れるって凄いことと思う。ロマン。
数年前、好きだったアイドルが脱退を発表した。
それはSNSを騒がせ、友人たちからは心配のラインが続々と届いた。
アニメオタクの私だが、三次元のアイドルを推す事になった時は驚いたし、
奨学金を借りながらの苦学生という身分もあり茶の間から応援するようになっていった。
元々同担を探して交流をしていなかったのもあって茶の間になるのは容易だった。
音楽番組に出れば観ていたし、
ドラマに出れば録画して観ていた。
しかし、ある時脱退を発表した。
でも脱退したんだよ。
茶の間でもショックだったよ。
今一番応援してるかと言ったら、正直めちゃくちゃ応援しているアニメの方に財産を全フリしてる。
けれど、最初で最後の三次元のアイドルがアイドルを辞めるということが
どうしてもショックで、悲しくて、悔しくて、しばらくロスが続いた。
しかし、ある程度の沈黙期間を破って、芸能界に復帰するという報が入った。
もう後悔するまいと、茶の間じゃいられないと、
リリイベではそれはもう近くで見られた。
これ以上ないぐらい推しを間近で見た。
でも、ココロが遠かった。
なんとなくこっちのジャンルが好きなのかなぁとは脱退頃には思っていたが、
私が落ちた頃の推しとは表現するものもレベルも世界観も違っていた。
「もう推せない」とリリイベの会場を出た瞬間に痛感した。
私の場合はグループの中のアイドルとしての推しにココロ惹かれていたのだと。
嫌いになったわけではないとはっきり言える。
だけど、「音楽性の不一致」なんてありふれた陳腐な言葉の重みを知ってしまった。
物をすぐに処分できる質なら良かったのに、
そこに思い出が乗るとアルバムのように思えて手が伸びない。
私は、現在早慶のどっちかの法学部に在籍している大学生で、先日ASDの診断を受けた。
昔から人付き合いが失敗しやすい傾向にはあったが、それでも大学のサークルでは新しい友人を得ることができた。
その意味で、おそらく私は大学に発達障害としては非常に適応できているのだろう。
しかし、残念ながらモラトリアムは終わってしまうし、私は高等遊民になれない(なりたい)。
この世における最大の罰である労働に従事せざるを得ない状況にあることは誠に残念である。本当に残念。
じゃあ発達障害者の就職がどうかといえば、まあお先真っ暗の一言だ。
発達障害者としての就労は屈辱の作業所、低賃金、愛と罵声の飛び交う職場…とまさに絶望。
人格を破壊して、時間感覚を麻痺させ、プライドをへし折るには十分すぎる程度の劣悪な労働だ。
では一般枠で就職して上手く行った!バンザイ!となればいいが、問題は失敗した場合になる。
失敗してキャリアが途切れるのは恐ろしい。二次障害としてうつ病やなんやを発症したならもっと恐ろしい。
できれば一般枠で就職して、上手くやりたいが、上手く行った人の情報はあまり出されない。
支援団体などによる発達障害には才能があるんです!のような、「天使ちゃん」のようなノリで、発酵熟成脳で書かれた本は現実に適用できるわけもなく、N=1を声高に主張されても困る。
かろうじて参考になりそうなのは、精神医学他のアカデミズムの気配を感じる、大学等の支援者向けの本だろうか。あんまり役立たなかったけど。
参考文献を順に見ていけば、発達障害のコミックエッセイを読むよりはマシな気はする。
だらだらっと思ったことを書いたけど、
・一般就職で就職して上手くやるための情報、上手く行った人の情報が非常に少ない状況で、健常者とトライアンドエラーを自分でやるのは流石に無理。評価に響く。だから先人さん(エリートに限る)情報ぎぶみー
・無理に頑張りすぎてうつ病になったら自分のキャリアは死んだも同然になるから、完全に無理なら早めに適応できそうなとこ行くから教えて。妥協した就職先>障害者枠だろうし。
生まれることにも、発達障害になることにも合意した記憶がないのに、色々就職や将来の道に制限かかるのって本当にありえないと思う。よくない。
10人以下の相手と実際に会ったが平均165cmはあったように思う。
これはやはり女性も身長高いとモテないんだな…と思う男の私は身長が低くモテない。
同じように身長の低い両親を呪いつつ、反面実家は地主なので将来が保証されている身分に感謝もしているのだ…(なお女性は金持ちになびくというのはあまり実態を表していません。俺が保障する。)。
モテない女性とモテない男性をつなぐ地獄のアプリ、みんなもやろう。楽しいよ。全然楽しくない。
彼女欲しい。
少し特殊な大学だったので男女で物事を分けて見る人が少なかったし
女だから、男だから、という観点で物を語る人も見たことがなかった。
バイト先は一般大の子たちばかりで、女の子なんだからダンボール持たなくていいよ!とかよく言われていた。
優しいのは分かるが、方向性が少しズレているなと思った。
別にそこまで重くないダンボールくらい持てるしなんでそんなに弱い者扱いされるのかよく分からなかった。下に見られてるみたいで腹が立つこともあった。
結局、外の人たちは男女という立場を気にしすぎているのだと思った。
気にしない人たちの方がずっと楽。
女扱いされたくなかった。
年上の人・社会人の人が食事を奢ってくれるのはありがたいと思っていたけど、それは年齢差や身分差の問題。
同じ年で同じバイト仲間の男が奢るとか言い出した時は普通に断った。
何に毒されているのだろうと思った。
私が学生だったのはもう数年以上前なので、今の学生は価値観だいぶ変わってると思うけど。さすがに。
男らしくなきゃモテないとか、女性には奢らなきゃギャーギャー言われるとか、みんなすごい世界線で生きてるのだなぁと思ってぼんやり眺める。
もし良かったら読んでください。
私(女)は小学生の頃、箸の持ち方を知らないばかりか、食べる時には口を閉じてくちゃくちゃ言わないようにするとか、お皿の中に手が入らないように食器を持つとか、そういう生活常識を知らなかった。
髪は週に1,2回しか洗わないし、梳かしたことはほとんどなかった。まともな櫛やドライヤーも家になかった。同じ毛玉だらけのセーターを毎日着ていた。成長期なのにあまり顔や体を洗わなかったから、顔や背中の肌が荒れて、ニキビだらけだった。
(背中のニキビの一部は皮膚の病気になり、今も通院しているけれど、手術後も再発・肥大し、痛みと痒みが続き、大きく背中が開いた服を着ると見える。)
小さい頃からベビーシッターによく預けられて、母は友達と遊びに行ってしまう。
今思えば子供への関心の薄いネグレクト家庭だったのだが、両親はちょっと変わっているだけで、全く虐待している意識も攻撃性もなく、学校の先生が家庭訪問に来ても、新築の一軒家住まいで5月の庭には数種の薔薇が咲いており、特に生活困窮しているわけでなかったから、異常を見つけてもらえなかった。
家はあまり掃除されておらず汚かったし食事も買ってきたお惣菜や冷凍食品ばかりだし誕生日もほとんど祝ってくれなかったし学校の話も無関心でテストや定期試験の答案さえ見せたことがなかったけど、どうしても欲しいゲームや必要なものはある程度買ってくれるし、風邪を引けば病院に連れていってはくれた。
母の少女趣味で、4歳からバレエやピアノの習い事もしていた(両方とも下手だったけど)。
そんな子供だったから、小学3年生のとき、給食の牛乳を飲んでいる途中で、飲み方が悪く、むせて吐き出してしまったのをきっかけに、周囲の子どもに「汚い、キモい」などと言われ始めたのをきっかけにいじめが始まった。
私が触ったものは全て汚染されていると言われ、みんなそれを信じるようにして、避けるし、触れることがあったら菌がついたと言い他の人に鬼ごっこのようにして移す。一見遊びのようだけど、やっている人たちもからかってるわけではなくて、時間が経つうちに学年中に知れ渡り、狭いコミュニティの中では迷信のように真実めいていた。村社会的に、コミュニティ全体の常識がシフトしてしまい、今の自分と比べてずいぶん汚い身なりだったし、性格も卑屈寄りだったのでなかなか理解しがたいとは思う。あえて例えるなら、見た目に特徴のある障がい児に起きることのあるいじめのパターンがあるとすれば、それに似ていると思う。
いじめは中3まで続き、何人かの男児から、登校中に因縁を付けられて、石を投げられたり、お腹を蹴られたり、持ち物に触れたという理由で土下座させられたり、ゴミをかけられたり、クラスの8割程度の人に配った給食を残されたり、描いた絵を破られて路上に捨てられたり、カッターを持って校舎内を追いかけ回されたりした。
運悪く、担任の先生は小1から中3まで毎年変わってしまっていて、特にこちらから何もお願いしなかったから(当時の自分は、そんなお願いは聞いてもらえないと思っていたから)、特に主犯格と言えるような男児とクラスが中2までずっと被ってしまっていたし、ほとんど対策がとられなかった(こちらが言えば注意ぐらいしてくれるけど対象の人数が多すぎてキリがない)のも長続きしてしまった原因の一つ。
たまたま中2の時に、登校時に下駄箱を見たら、自分の下駄箱に他の男児の上履きが突っ込んであった。
これは、私ではなくて上履きの持ち主をいじめるためで、この頃は時々あったことなので、その上履きを適当にすのこの上に置いて、特に気にせず、教室に入ると、今度は机の中に同人物の教科書がぎゅうぎゅうに詰め込まれていた。
取り出すのに苦労していると、当該の男児が登校してきて、自分の持ち物を“汚い”私の元に移されたことを怒っていた。
そもそも私がそういう前提で扱われることに納得いっているわけではなかったので、私も何か言い返そうとしていると、チャイムが鳴り、担任が入ってきた。
「何してるんだぁ!」と担任が一喝すると、クラス中の注目が集まった。
みんな知っていることとはいえ、表沙汰にされるのが怖かったし、恥ずかしくもあったので、その時は数年ぶりに人前で泣き、それも一言では言い表せない気持ちが色々あり、通夜のように静かに激しく泣き、ホームルーム中ずっとその嗚咽が教室に響いた。
担任に話を聞いてもらい、事態は理解してもらえたが、たった1年の付き合いの担任に比して、周りは長くて8年ぐらいの間柄であるから、今更自分への扱いが変わることはなく(誰かが私に優しくするとその人がいじめられるので)、菌扱いはずっと続いた。ただ、その頃には周りも異性などに興味が移る人が多く、積極的にそういうことをしてくる人たちは減ってきていたかもしれない。
私は他のクラスメイトとは自分と感覚が違いすぎて今見れば普通の人たちとも関わるのも怖く、多くの人とはあまり喋らず距離を置いており、関わることがあればそういう人たちだったのでわからない。
自身、かなり頑固だったので、耐えなければいけない、自分が悪いと思って、不登校にはならなかったし、転校も考えたことがなかった。そういうことを言うと、何事も大ごとにしたくない親や周囲の大人が嫌がるのがわかっていたし、恥ずかしかったし、どこへ行っても同じだと思っていた。
友達が少なく読書をよくしていて、進研ゼミも取っていたので(教養コラム読むのとシール集めに赤ペン先生出すだけで一般教材はやらなかったが)、勉強は得意だったので親に頼んでバレエを辞め、好奇心から塾に通わせてもらった。
成績が良かったので、塾の講師にも会社実績を上げるためのエースの一人として熱心に指導をいただき、都道府県で公立トップの高校に進むと、周りの人たちがガラッと変わって、周りは賢くて志の高い人ばかりで、誰も自分をいじめなかった。とても驚いた。廊下で男子にぶつかったとき、気持ち悪がられて罵倒されるどころか、「ケガはない?」と心配してくれて逆に申し訳なくなった。
中学生ぐらいからは、部活の友達が居たこともあり、少しは身なりの整え方などが改善され、今まで全く笑わなかったが楽しさを感じて笑顔が出るようになったこともあり、普通に友達や仲間ができた。
しかし、高校3年生になると、みんな受験勉強に勤しむので友達付き合いを控えるようになり、元々大学を目指しているわけでもなかった自分は高校生からは成績がかなり悪く、学問は諦めて美大を目指していたが、絵の勉強に身が入らず、部活も終わりかけ、家族とは相変わらずあまり関わりがなかったしとても孤独で、GWの間、一日7時間ぐらいいろんなことを考えた結果、人生がわからなくなり、5月下旬に家の中でパニック発作を起こした。
流石に親が心療内科に連れて行ってくれて鬱の診断をもらった。
頭の中の時間感覚がおかしくなり、好きな授業もあったけれど、教室でじっとしているのが怖くて、家や保健室でボーッと過ごす日が続いた。
結局ほとんど絵も学問も勉強しなかったので、試験には落ち、浪人生の身分となった。
浪人を始めた頃には少し鬱は回復していたので、一念発起して美大ではなく私立文系の勉強を始めた。ついでに、不細工と言われ続けた顔を鏡で見ると昔を思い出すので、貯めてきたお年玉をはたいて眼瞼下垂気味だった目を整形した。
高校に入ってから部活や他の趣味ばかりでろくに勉強していなかったけれど、一年間ほとんど勉強だけしていたからか、早稲田大学の3学部を受け、全て合格した。
それから先も多少いろいろあったけれど、今は政令市の地方公務員として働いている。
陰険な上司や先輩に当たって虐められた年もあったが、今は環境に恵まれて毎日が過ごしやすい。
20歳頃からは皮脂分泌が落ち着いて肌荒れしなくなり、髪も縮毛矯正をマメにかけるようになり、あれほど男子に不細工、キモい、近寄るな、死ねなどと毎日言われていたのに、今は男性もみんな優しい(それでも同年代の男性が今でも怖いし、年をとったり、見た目が悪くなった途端に冷たくなるのでは?と思う)。
過去のことは忘れないと思う。
というか、昨夜も夢に見たのが今回文字に起こしてみたきっかけ。
幸せな子供時代というものも味わってみたかったけれど、人生一度きりだから仕方ない。今後のことはわからないし、何かの糧になったと思って今を楽しく暮らすしかないのかもしれない。親にはお金の面ではありがたいと頭では分かるが、気持ちとしてはどうしても感謝できない。
今の私がそのまま子供に戻れたら、もっと周囲に訴えかけ、逃げられないなら転校だってできた...と思う。10〜20年ほど前だから、今の時代よりも支援は得られないかもしれないが、多少の嘘をついて逃げても誰も大して困らなかっただろうし、何より自分の人生を大切にすべきだった。
室町時代から安土・桃山時代にかけて、もと貴族の下着であった小袖が、表着として着られました。 美しい絵模様を自由に染め出したものや、刺繍を使ったものなどが喜ばれ、小袖とともに帯が用いられるようになりました。
また明(中国)やヨーロッパから伝えられた、金らん・どんす・しゅらん・サラサ・ラジャ・ピロードなども、華やかな衣装に用いられています。
一般の人たちも、この頃から、綿でつくった木綿を衣服に取り入れるようになりました。 江戸時代には室町時代頃、武士の普段着であった肩衣ばかまが礼服となり上下と呼ばれるようになりました。
しかも、身分は衣服であらわされ、身分の高い人は長上下、身分の低い人は麻の上下を用いました。 武家の女性は、夏は腰巻、冬はうちかけという姿で、唐衣のなごりを留めていました。
一般の女性は小袖の袖が次第に長くなり、美しい模様を染め出した振袖姿が流行するようになり、帯も広く長くなりました。
羽織は武士や金持ちの商人が用いましたが、農民や町人は半天を着ました。 職人は腹巻・ももひきをつけ、その上に半天を着ていました。
アホちゃうか?w
もしセルフIDによる分け方でトイレに入っていいとなれば、盗撮犯が堂々と女性用トイレに入り込み、ギョッとされても「心が女なので〜」と言えば誰も通報することができず、その男(女装しているのかもしれない)が入っていったのを見た女性は「なんか嫌だからこのトイレ使わないでおこう」が出来るが、数分後その男が個室に隠れるなりカメラを仕掛けるなりした後のトイレに入った女はまんまとその盗撮の餌食になるのでは?????というのを私は危惧している。
「性自認ではなく公的な身分に従ってトイレを使え」ってことになったら、未オペ完パスのFtMが女子トイレに入ってくるんやぞ?
未オペっちゅーのは手術してない、つまり体は女性、完パスっちゅーのは「周りからはトランスとバレてない、性自認通りの性別に見られている」状態のことな。FtMは女として生まれたけど心が男って意味や。
つまり、「ふだんは男の服を着て、男みたいな行動をしている、男にしか見えない人」が、身体の性別が女ってだけで女子トイレに堂々と入れるようになるわけや。
仮にワイが盗撮魔の男で、女子トイレに入りたいと思ったとする。
もしFtMが女子トイレを使わないといけない世界なら、ワイは女装する必要なんてないわな。男の服を来て男として振る舞って「すいません、心は男なんですが女として生まれたので女子トイレを使うことに決まってます」と言えばそれで入れることになるんやぞ。
冷静に考えろ、どう考えてもそっちの方が危ないやろ。パスしてないMtFはともかく、パスしてるMtFは女子トイレを使うべきや。
俺はむしろ、古文を読み現代語について考察する度に、現代語の過渡期的性質、つーか、英語などの言語システムを取り込んだ近代以降の日本語の「成熟して無さ」をひしひしと感じて歯がゆい思いがする。
これは、単純に翻訳などのケースで生じる問題だけど、たとえば"You should die."をどう訳すかって時に、漢文なら「汝可死」だから、古文でも「(なんじ)死すべし」でOKなんだよね。ところが、これを現代語に翻訳するとなると、「死ねばいい」「死んでいい」「死んだらいい」「死んだ方がいい」「死ぬべき」「死ね」「死ぬ」…
と多彩な表現になってしまい、しかもそれぞれ微妙に異なるニュアンスで受け取られてしまう。ついでに言えば、ここに語尾が「よ」「ね」「の(ん)だ」「んだよ」「んだよね」「んだね」……等々付くと、更に表現の可能性やニュアンスの違いは増える。(※)
これは日本語が繊細で微妙な表現を可能にしているというレベルを通り越して(ほとんどの人はこのように多彩な表現を可能性として使いこなしたりしていない)、単純に相手に真意を伝えそこねるコミュニケーションリスクを生んでいる。このように現代語の表現がピタリと定まらない原因は、たとえば言文一致の推進、翻訳文体の流入、詩的言語の日常語化など様々な要因があると思うけど、いずれにせよ結果は見てのとおりだ。要するに、現代日本語は、言語として成熟していない、不完全な代物だ。
昨今、ケータイ小説から始まって、ネット文体、ラノベ文体やなろう系がかなり日本語をシンプルにアップデートするべく頑張っていると思うので、個人的にはそれに期待したいところなんだが、それでも一般化まではまだ百年単位で時間がかかるだろうな。そして、それ(新しい成熟した日本語)が成ったあかつきには、現在目にする多くの「日本語」は過渡期の産物として一部の古文研究家の独占するところとなり、地域、社会的位置や身分を問わない「2000年代初頭の日本語」が集積する増田は過渡期の日本語サンプルとして広く用いられる基礎資料となっているだろう。そのときこの文章を読む人にこそ、俺が言いたかったことが大体伝わるだろうと想像すると胸が熱くなるな。