2017-10-22

現在批判者たち

一般的な人たちは哲学的批判に対して防ぐ術を持っていない。

労働階級必要なのは批判力ではない、他者批判することは、また内なる他者批判することである

自身アイデンティティ批判もつ分解力によって倒壊しかけているとき私たちは外の真の他者に対して批判力を失ってしまう。

まり哲学的な問いが支配層にとって脅威であるなら、労働階級にとっても脅威なのである

人は発した言葉一貫性から逃れることはできず、支配層への批判言葉は、そのまま労働層への批判言葉へ容易に転化する。

そして批判に対して脆弱なのは知恵の無い労働である

これでは相手批判しているのにかかわらず、味方のほうがダメージが大きいという勝負にならない戦いを強いられている。

その結果として、私たち批判力を持つことをやめた。

支配層は社会を守るために批判をやめ、労働層は仲間を守るために批判をやめたのである

現在批判者たちには、三つに分けられる。

一つ目は、どこの層にも属していない孤独の者たち。

二つ目は、マスコミなどの批判者たち

メディアなどの自分たち批判であることが社会から要請である

自己催眠状態にあるものたち。

この批判者たちは、批判することが自分アイデンティティとなるため、この批判力が内部に行くことは無い。

三つ目は、他者から求められた批判者たち

労働層が批判言葉を上げることもあるが、これは2つ目のマスコミによる批判要請である

政治家本来社会を守るために批判を捨てたはずの者たちであるが、

国民の声などといって批判を行う。

これら三つのすべてに問題点が内在する。

それは批判者たちがどれも自分階層を守るために批判をしているわけではないということである

一つ目は自分の層は何にも属していないため、批判に本気になることは無い。

変えることで自分利益、損になる場合や、人間本来的な所持を奪い取ろうとする者たちに対して批判を強めるだろう。

二つ目は、自己催眠によって批判することが可能になった者たちであるが、

まさにそのために、何のために批判をするのかという目的をあまりもてないでいる。

社会要請などという全体としての理念を語ることはできるが、一つ一つの問題に対して

なぜ批判をするのかということが答えられない。

批判することが自身証明であり、自己保全であるためであると言えるわけでもない。

何かしたの転化を経て答えが出る。しかしその答えは、転化をによる代償として矛盾はらまざる終えない。

二つ目批判者にとって幸いなことは、私たちは、ジレンマ自己保全のための矛盾に対しては寛容なことである

三つ目は、自己催眠状態の者から要請によって得た批判力であったが

往々にして責任(一つ目ほどではない)を持つことが難しい、彼らは依頼があってそれをしているわけであり、

依頼が無ければ批判しないという、不安定すぎる地盤で戦わなければならない。

一つ目は、まだ人間という最後ラインがあり、人間という最後の層を守るために

批判を団結させることができる。

しかし、二つ目の者たちによって分団されているため、それもできない。

ほとんどこの批判者たちは力を持つことは無い。

私が言いたいことは、すべての人が哲学的批判力を持つということがこれらの問題を発生させているということなである

私たちはある程度の批判に対しての線引きを欲しているのであり無自覚批判だけをたたえることや、批判することが無条件に正しいことということは今や好ましくないのである

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