はてなキーワード: 範囲とは
こっちを嘘つき扱いしてるけど考え方としてちゃんとあるんだよなあ
https://www5a.biglobe.ne.jp/~kaisunao/ken-jinken/16eigyo.htm
営業の自由を営業する自由と営業活動の自由に分けることができ、前者の自由は22条の自由であるが、営業活動の自由は29条の財産権の保障の中で読むべきである
(今村成和「『営業の自由』の公権的規制」ジュリスト460号41頁以下)
「職業決定の自由は本条項(22条)を根拠とするが、職業活動の自由は、ー自営業にあっては、ー本条項のほか29条1項を根拠とする。」
被用者として営業活動をする ⇒営業の自由=財産権の自由(29条)
○ 浦部法穂によれば、今やこれが通説という(『全訂憲法学教室』216頁。)。
この説の理由付けの例
「この見解は、職業選択の自由が、人間がその能力発揮の場の選択を保障するものとして、いかなる社会体制にも通用する普遍的原理であるのに対して、営業の自由は資本主義社会に固有の原理であるという基本的認識が根底にあり、また、権利の制約の範囲について、前者は、それが、人間の能力の発揮の場であるのに鑑み、その自由は、十分に尊重されなくてはならないのであるが、精神的自由とは異なり、他人の生活に密接な関連を有するものであるのに対して、後者については、資本財としての財産権行使の自由には、自由主義経済の法的市中としての役割があるために、高度の統制を必要とするというのである。このような見解は、同じく経済的自由といっても、憲法22条と29条の管に性質上の際があることに着目し、職業選択の自由と営業の自由との関係を明確にしたものとして支持できるのである。」
ヤンキーVIP車のハの字のタイヤ(鬼キャン)のエントリがバズっていたので尻馬に乗って軽く書いてみる。
多くの人は車のタイヤは全部直立してると思ってるだろうが違うのだ。
そもそもなんでキャンバーが必要かという事が判らないと、ハの字にするのがカッコ良いとう文脈が出来たって事が判らない。ヤンキー文化というのは大抵、カッコいいの特徴を極端にし過ぎて独自文脈に至っているというのが多い。
『「タイヤがハの字」のクルマ、たまに見かけるけど何のため?→専門家の解説が的確すぎた!』
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/diamond.jp/articles/-/349720
まず、多くの人が抱いている直立タイヤを模式化する為にペンと小皿を用意して欲しい。ペンを直立に立てて小皿をペンにくっ付けて立たせる。ここの小皿がタイヤでペンがハンドルを切った時にタイヤが向きを変える軸だ。
ペンを動かさずに小皿を動かしてみると、小皿はその場で向きを変えるんじゃなくてペンの周りをグルっと回るような動きをする事が判る。
これが自動車だとこの小皿=タイヤには車重が掛かっているのだ。数百キロの重さが掛かっているタイヤ2本をこうやって位置を動かす、しかも腕の力で、というのははっきり言ってチャックノリス以外は無理である。だからこの構造だと停止状態でハンドルを切るという事が出来ない。更にブレーキを踏んでいたらタイヤの動きがロックされるので物理的に無理となる。
初期の自動車もこの問題に直面した。その為、18世紀フランスで造られた蒸気自動車google:image:Cugnot Fardierも19世紀のベンツ初の車、モトルヴァーゲンgoogle:image:Benz Patent-Motorwagenも前1輪の三輪車だった。
でも3輪だと安定性と積載性に難がある。そこで4輪、つまり前の舵輪が2輪で運転に難が出ない仕組みが試行錯誤され、こういう風になった。
1.タイヤの向きを変える為の軸(キングピンという)をハの字に傾斜させる
こうすると、キングピンの旋回軸を延長して地面にぶつかるところとタイヤが設置する場所を一致させることが出来る。つまり、ハンドルを回してもタイヤは接地面を移動させずに向きを変えるだけなので、停止状態でもハンドルが切れるのだ。
剥き身になってる車では見やすいのでこれを見て欲しい。https://youtu.be/13WS1UpG38I?si=46LZ8ChZ6ftGXrZ9&t=180
3:00の辺りから前輪の内側が見えるが、スポークホイールの内側にブレーキドラムがあってその内側にキングピンが見えるが、キングピンは傾いている。またタイヤも逆ハの字に少し傾いていて、キングピンの軸の延長をタイヤの接地面が一致しているのが判るだろうか?
しかしこれだと問題も発生する。例えば右に傾いた円盤を転がすとどうなるだろうか?右にどんどん曲がっていくよね。だから逆ハの字に傾いたタイヤは走り出すとずっと右のタイヤは右に曲がろうとし、左のタイヤは左にっ…て状態になってて、無理にねじ伏せて走る事になる。タイヤのゴムはずっと「消しゴム掛けてる」状態になってるから直ぐに減ってしまうし燃費だって悪くなる。
そこでこうする。
右のタイヤは右に行こうとするので左向きにする。すると右に行くのと左に行くのが釣り合って直進するのである。
左タイヤはその逆に。
なんだが無茶苦茶で無理させてるように見えるが、実際にはちゃんと安定する。そしてこのタイヤの整列状態が戦前から1970年頃までの標準となった。
この為に逆のハの字が標準状態なので逆ハの字がポジティブキャンバーと言われる。上から見て前側を狭めるのはトゥインという。トゥはつま先で、つま先をすぼめた内股で立ってるイメージだ。ポジキャン+トゥインが70年頃までの標準ね。
だが逆ハの字の車というのは今は見ないだろう。それは駆逐されてしまったからなのだ。
まずレースなどのスポーツ走行。カーブでは外側のタイヤが踏ん張るのだが、車体が遠心力で外側に傾く(ロール)。するとタイヤも一緒に傾くので、逆ハの字が強くなってしまう。この状態だと踏ん張りがきかないというのは判ると思う。
だったらレースカーは駐車場の据切りとか考えなくていいのだから、最初からハの字(ネガディブキャンバー)にしておけばロールした時に直立状態になるからカーブを速く走れる。
という事でレースカー=ハの字となり、つまりはネガキャンは速さの象徴となったのであった。
特に1970年代まで多く使われていたタイヤは今のものと構造が違う。今使われているタイヤはラジアルタイヤといって、空気を入れる前も入れた後もタイヤの形が同じになるように構造がしっかりしている。更に接地面は平らになる様に鉄のワイヤを編んだベルトが入っていて、空気圧の多寡で形が変わらないようになっている。
だが70年代までのタイヤはバイアスタイヤといって、形が変化するように柔軟な構造になっていた。自転車のタイヤと同じである。空気を入れるとトレッド面(地面に当たる外周部分)も丸っこく変形する。だが接地面は車の重みで凹むので、これが接地面積になるという構造だった。
こういうヤワな構造のタイヤではタイヤが突っかい棒の方向に向いていれば踏ん張れるが、逆向きだとヨレてしまって全然踏ん張れない。
更にポジキャンが車界から駆逐されてしまったもう一つの理由がFF化だ。
FFは前輪を駆動する方式の事だが、初期のFF車には重大な欠陥があるものも多かった。
歩くほどの一定速度でアクセルを踏まずにハンドルを切ってぐるぐる回ると、前輪の向きと前輪が通るルートは一致している。だが速度を上げていくとタイヤはゴムなので外側にジリジリと滑りながら曲がるようになる。
ここでタイヤが大幅にスリップせずに路面とハンドルに追従するのは接地面のグリップ力によっている。このグリップ力を超えると滑りが大きくなってスピンや外側の壁にぶつかってしまうわけだ。
前輪駆動では駆動力が前輪にかかるが、グリップ力はカーブで踏ん張る力と駆動力で折半しているのだ。
これがどういう事かというと、首都高の急カーブでハンドルを切っているのにちゃんと曲がらず、外側に膨らんでしまうという時、グリップ力の限界付近になっている。
ここで慌ててアクセルを戻すと、駆動力分に割り振られていたグリップ力が全部カーブ踏ん張り力にやってくる。するとハンドルが効きすぎて急旋回し内側の壁に突っ込んでしまう。曲がらないからとハンドルの切り増ししていたら最悪だ。
だから首都高カーブでの事故というのは、外側の壁にぶつかるよりも内側にぶつかる方が圧倒的に多い。
逆ハの字のポジキャンではこの挙動が起きやすくなってしまう。因みに初期FF車でこの特性が強く出て問題視された車にはgoogle:image:ホンダ1300セダンなどがある。ホンダ1300は後から2ドアクーペが出るのだが、クーペの方が穏やかでセダンの方がじゃじゃ馬という不思議な車だ。
また車の駆動力は内側から伸びるドライブシャフトで伝達されるわけだが、この時、力を受ける軸の方に曲がろうとする特性がある。つまり両輪とも上から見て内側に向こうとしてる訳で、これはトゥインと同じ状態だ。これをこのままにしていると加速の度にタイヤが減ってしまうしハンドルも安定しない。
だったらFFではトゥアウトにしておけばいい。トゥインと逆にガニ股につま先を開いた状態だ。
トゥアウトにしたら加速していない時に備えて、キャンバーをハの字にして辻褄を合せなきゃならない。
という事で、FF車や4WDが殆どとなった現在、逆ハの字のポジティブキャンバーは見なくなってしまった。一番最後のポジキャン車は恐らく1990年終売のシトロエン2CVかと思われる。google:image::Citroen 2CV
市販車でネガキャンが可能になったもう一つの理由はホイール形状の変化だ。
昔はスポークホイールだったが、今は鉄のプレスホイールやアルミ鋳造のホイールが多い。ホイールのディスク面を外側にずらす事(オフセット)で内側に空間が生まれる。更にタイヤもホイールも太いものが主流になっている。
するとステアリングの旋回軸の先をホイール内に入れてしまう事が可能だ。するとこの旋回軸の延長にタイヤ接地面を持ってきて更に緩いハの字にする事が出来るようになった。
ところで、この10年ほどで省略される事が多くなったが、その前は黄色く細いスペアタイヤ(テンパータイヤ)を積んでいるのが一般的だった。
そもそも細いので接地面の位置が合わなくてチグハグな状態になる。その上で、上記のバイアスタイヤが抱える問題を抱えていて、FFのフロントに付けた場合は上記の危険な特性を呼び出してしまう可能性があるのだ。
なので、FFでフロントがパンクしたからとそのまま黄色いスペアを前に付けると危ないのだ。更にそれで高速に乗っちゃったりというのはもう自殺行為でしかない。だから黄色いスぺアには「FF車の前輪には絶対につけるな」と書いてある。
まず、道路を走行する車の規制法は二つあって、役所も二つある事を踏まえよう。
規制法は、車両法と道交法、規制役所は警察と国交省(運輸局)だ。
で、警察は道交法と車両法を扱い、国交省運輸局は車両法だけを扱う。
車両法の政令は「道路運送車両の保安基準」、略称保安基準と言って、具体的にどの部品はどういう風でなきゃいけないかという事が書かれている。改造する場合や荷台などを付ける場合はこれを参考して判断する。
保安基準ではタイヤは車体からはみ出して露出してはいけない。これは元は水はねを予防するための基準だった。
だがこれは違う意味で大事な規制になっている。それは歩行者との接触時にタイヤ周りの回転物を接触させない為だ。ボディに接触したのとタイヤやホイールのナットなどに接触したのでは受傷程度が全然違うのだ。タイヤへの接触では巻き込んで踏んでしまう可能性が高くなるし、ホイルナットなどに接触すると抉るような力が人体に掛かって重篤な傷害を負わせてしまう。
ネガキャン強めくらいだと上の方はタイヤハウスに収まっているし、張り出した下側もボディ外寸内に収まる。故に警察に検挙されるという事もない。
しかし鬼キャンともなると、明らかに下側が出過ぎているし、ボディ外寸を超える。だから警察に検挙されうる。
では車検は?というとこれは多分ネガキャン強めでも鬼キャンでも通らないはずだ。
というのも、車検では「サイドスリップテスト」というのがある。上記で説明した、タイヤに無理な力が掛かっていないか、トゥインとキャンバーの組み合わせが釣り合っているかのテストだ。
具体的には横にスライドする鉄板の上をゆっくり通過する。釣り合っていなければ鉄板が横に動くので「サイドスリップ ×」と電光掲示板に表示されて車検落ちだ。
キャンバーいじってあるとここで落ちてしまうので車検は通らないという事になる。
このサイドスリップは改造車じゃなくても駐車場で縁石にぶつけた、サスペンションのゴムブッシュが経年でヘタっている、とかでもタイヤの整列が狂って落ちてしまう事が多い。
だが警察はこのサイドスリップテスターを持っていないのだ。そこまで厳密な検査で車両法違反を摘発するという運用になっていない。だからサイドスリップでは車検には通らないが、警察には検挙されないという状態である。
というわけで、ハの字のネガキャンはレースなどの速さの象徴が過剰化し実用の範囲を飛び出して、速く走れなくなったというヤンキー文化にありがちな代物である。
だが昔は逆ハの字のポジキャンが車の当たり前であって、その中でハの字のネガキャンにするというのはレーサー標榜の不良であった。
しかしエンジンの高出力化、車重の増加により太いタイヤが主流となってネガキャンの方が都合が良くなった上に、FFの主流化によってトウアウトにする必要からネガキャン必須となった。
故に今は嘗ての不良の象徴だったネガキャンしか世に無くなった。そうなると不良性を売り物やファッションのアイデンティティとする者にとっては、実用性ブッパする程の鬼キャンにするしかアピールする方法が無くなったとも言えるのである。
だから「なんであんな異常なキャンバー角付けるの?」と問われたら「”世間側”の全てが不良側に寄って行ったからその先に逃げるしかなかった」というのが一つの答えになるのだ。
女性の方が肌荒れのクレームやトラブルに繋がりやすいから出力細かく調整して慎重にやる必要があって、
幸せな当事者だけど、不満がないならそもそも書かないし、バズらないから認知されないんだよね
どの属性にも派手な話が一人歩きするのはよくあることだし、観測範囲では事実だろうから気持ちはわかる
受取手として気をつけたい
ある方が「遺書だったもの」というブログ・エントリーを公開してはてなブックマークで注目を集めています。
https://kirimin.hatenablog.com/entry/2024/09/04/001242
一読しただけで大変な状況の中ご本人が精一杯頑張ってきたことが伝わってきました。
普通の人は不登校になったあとに就職したり(それもB社側からの打診で正社員に!)、アメリカ出張、趣味でイラストや競技プログラミング、といった活動は出来ません。
なにより踏みとどまるという意思を持たれていることが一番素晴らしいと思います。
ブログの内容について、アドバイス、というより考えてみるきっかけを提供できればと思い、以下に書いておきます。
"アドバイス"という言葉は上から目線のニュアンスがあるため私は嫌いですが、分かりやすさのためにあえて"アドバイス"と記載しております。
"アドバイス"の手がかりとして、世の中の多くの人たちと異なっている点を特徴として捉え、そこに着目して述べていきます。
多くの人は、自死を取りやめた場合は遺書を公開しません。ここが最大のポイントです。
他にも、元カノの話や学校で友達を作りたかった話、インターネット掲示板、会社の同僚との関わりなど、コミュニケーションについて多く言及していることもかなり特徴的です。
心理的な安定のためには、インターネットで構わないので、コミュニケーションの場への参加を増やしてしてみると良いかもしれません。
私も同世代で、2005年~2007年ごろには2chで政治家をおちょくるコラージュ写真を作って遊んでいたので、当時の雰囲気は知っています。当時と似たコミュニティはもはやほとんどなく、ネット掲示板よりもLINEのオープンチャットあたりのほうが雰囲気が近いかもしれません。
仕事やそれに近い競技プログラミングの能力・モチベーションでご自身の価値をはかる表現が目立ちます。
仕事への情熱はご自身の能力開発、社会貢献、金銭獲得のために素晴らしいことです。
一方で能力・モチベーションで全人類のトップに立つことは出来ない以上、どこかで自分の能力に見切りをつける必要があります。
それが今なのかな、と漠然と感じました。
人には能力の限界・投入できる時間の長さの制約があり、その制約のもと各自それぞれのペースで頑張るしかなく、他に選択肢はないため、ある面で人より劣ることを認めざるを得ません。
しかしだからといって人間として価値がないとか、死ぬべきだということは論理の飛躍です。
劣ることを認めたうえで、それがどうした、自分が死ぬ必要はないじゃないか。むしろ優れた人たちが素晴らしい社会を作ってくれてありがたい、と感謝すればよいと私は思います。ご自身にもその気持があるはずです。その証拠にA社のリーダー、B社のプロダクト、元カノ、といったものを称える文章があります。これは称賛の気持が奥底にあるからだと思います。
というより本当は人間という存在自体が自他に価値を評価される必要がなく、各自勝手に生きて構わないと私は思います。評価という行為自体が発生しないのが通常の状態であり、仕事では給料の分配という特別な目的のために上司が評価するという例外的なシチュエーションが発生していると私は理解しています。つまりそもそも職場以外での「自己評価」は必須ではないと私は考えています。
そのうえで、それでもなお自己評価が必要であれば、いくつもの会社で働くことができ、しかも先方から声をかけてもらっているというのは素晴らしいことだと思います。普通の人には声をかけませんよね。仕事の以外の面に目を向けると、イラスト、VR、他の投稿ではお母様にテレビゲームを教えたりと多方面に活動している点が素晴らしいと思います。競技プログラミングで高レート帯の方々はこうした活動と両立できるのでしょうか。ほとんどNoだと思います。総合的に見れば特別劣っているように私には見えません。
この点は次の第3の特徴に続きます。
文章には「多くの人から嫌われ、失望され、迷惑をかけながら生きていたくない。」と書かれています。
しかしきりみんさんは、嫌われている人・失望されている人・迷惑をかけている人に対して、死ねとは言わないと思います。そういう人柄だと文章で分かります。
それなのに自分に対して厳しいのはダブルスタンダードで、ご自身を不必要に傷つけているように見えます。ご自身に対して厳しすぎるダブルスタンダードを持つ理由は何でしょうか。ダブルスタンダードを持つメリットはあるのでしょうか。これについて考えると楽になれる部分があると思います。
きりみんさんは、自分より仕事ができない人に死ねと言わないと思います。競技プログラミングが下手な人に死ねと言わないと思います。その理由は劣っていても死ぬ必要はないとご自身が理解しているからです。そうであればきりみんさんが死ぬ理由もないと私は思います。
経験者だけど、尋常性痤瘡(ニキビ)の瘢痕(クレーター、凹凸、アクネスカー)は皮膚科のどんな最新の薬でも治らんよ。なぜならそれらは皮膚科的には「すでに治ってて病気じゃない」皮膚だから。深いやけどが治ったあとのケロイドと一緒。今の皮膚科のどんな強力な内服/外用薬でも、「今の炎症を抑える」ことと、「今後できにくくする」だけで、瘢痕を元に戻すのは皮膚移植でもしない限り無理。
瘢痕の修復は美容外科(自由診療)の領域。施術の差はあるけど原理的には酸とかレーザーで瘢痕含めてもっかい広範囲に侵襲して光の屈折で目立たないようにうまく再生させるしかない。程度にもよるが相当の金とダウンタイムをかけても、好条件の光で見たときに気持ちマシになる程度でしかない(光の種類と方向ではクリーチャー復活)。アイスピック瘢痕とかはマジで無理。完全な植皮は知らんけど。
もちろん今悩んでいる最中で課題があることはわかっているんだけど、
旦那さんは
・そして何よりその二つを伝えることが出来ている
増田は
・旦那さんのことを考えて様々に行動に移している
これは二人ともすごく評価していいと思う。
一つ障害になっているのは増田の責任感がめちゃくちゃ強いことで、
多分責任感が強すぎるのはあんまりいい結果につながらないと思う…。
旦那さんは怖く感じていることを伝えつつも、頼ってくれといっているので、
増田は”旦那さんのことを思って不安材料はなにひとつないように振る舞う"(責任感の権化だな)のではなくて、
具体的には「膝枕して寝させてくれ、そして30分経ったら起こしてくれ」とか。
二人とも相手のことを思っていて、ゆえに二人ともの立ち位置がお互いどんどん変化していって
考えることが尽きない状態がしばらく続く(熟年夫婦になるまで続く)と思うけど頑張ってくれ・・・
「日本の注目論文数が世界13位であった」というニュースが今更ながら読売新聞に載っていたので、日ごろ思っていることを書いてみる
出勤前のただのガス抜き
日本「質の高い」論文数はイランに次ぐ世界13位、過去最低でも文科省研究所「下げ止まりの傾向」…自然科学分野 : 読売新聞 https://www.yomiuri.co.jp/science/20240903-OYT1T50055/
国立大学が法人化されてから20年、日本の大学における研究力の低下は歯止めがかからない。
研究力低下に対する危機感は、すでに10年以上前から言われていたが、文部科学省は長いことそれを認めなかった。
この記事のような明確なデータがようやく一般に見られるようになって、今になってあれこれ施策を出してきているが、どれもこれも遅きに失している。
大学の研究力がここまで低下した理由は、個々の教員の能力とかやる気問題ではなくて、完全に政策の問題。
個々の教員の努力でどうにかなるものではないということをはじめに書いておく。
国の研究力は(国内の研究者の数)×(研究時間)。あと金さえあれば向上する。
それがこの20年間、研究時間と金の両方が著しく減少している。
大学には金が無い、という話がネット上には溢れているのでここでは、教員の研究時間が無いことについて書く。
現状、ほんとうに時間がない。まったくない。
(わたしだって、ゆとりのある時間が確保できるのであれば、こんなところで愚痴を書かずに、ゆっくり腰を据えた研究をしている)
その原因の1つは明らかに「教育改革(笑)」に時間を投入しすぎているから。
この20年間、大学は教育改革w、教育改革w、教育改革w、そんなことばかり繰り返してきた。
これは、教育改革しないと文部科学省から予算が降りてこないからだ。
しかし、この教育改革(笑)と言うのは、ひたすらに教員の時間を奪う。それによって研究時間は大幅に減った。
学生はおおよそ4年間大学に在籍するだけで卒業していくから、その変化は感じにくいだろうし、すでに卒業後の社会人には今の大学の実情が見えていないだろう。
この教育改革には、学部改組、新規学科開設、ディプロマポリシーの明確化、カリキュラムマップ整備(笑)、シラバスの整備(笑)、成績評価の厳格化、学生からの不服申し立てへの対処法の整備、成績不振者のサポート、リメディアル教育(高校の内容の再教育)、海外留学支援、インターンシップ支援、情報リテラシー科目、データサイエンス科目の整備などなどがある。
反転授業、アクティブラーニング、グループ活動といった準備負荷の多い科目も増えた。
一般入試で入ってくる学生はひたすらに減少し、推薦、AC入試、各種特別枠で入学してくる学生が大半を占めるような大学もある。
一般入試を乗り越えていない学生は、基礎学力が怪しく学習習慣が身についていないケースも多い。おのずとサポートの負担は増加し(成績の悪い学生は呼び出して面談をしないといけない)、講義のレベルも下げざるを得ない。
アカハラ、パワハラは厳禁である。それようの講習も受けないといけない。学生に寄り添った学生の日常生活の支援、メンタルサポートも必要となってくる。
入試の多様化は入試業務の負荷増大に加え、オープンキャンパス、高校訪問、パンフレット整備、Webページ整備などの負荷も増やす(これらを教員がやっている)。
では、こういった教育改革によって大学を卒業する人材の質は向上したか。
おそらく底辺層、落ちこぼれ層の救済には一定程度貢献したに違いない。まさに我が国が得意とする、足並みをそろえて仲良く卒業しよう。という理想の実現に近づいているわけである。
(それでも、大学の教育は手抜きであって学生は遊んでいる、といつになっても非難される)
全体的に講義のレベルは下がった。授業への出席が求められるようになった。
初年次には、分野横断総合的な学習が重視され、専門を深く学ぶ機会が先送りされた。
その一方で、早くからインターンに参加し就職活動に取り組むことがあたりまえになった。総じて、深い学びの機会は失われている。
では、大学院はどうか。
大学院の重点化、大学院教育の実質化(笑)も、大学教員の負荷を確実に増やした。
修士の学生は増加傾向にあるが、残念ながら修士程度の学生は即戦力にはならない。
博士の学生や専任の研究員が減少し、修士の学生にも教員が手取足取り指導しなければならない。研究成果と言う面においては完全にマイナスの生産性だ。
こうやって育てた修士の学生が博士へ進学してくれればありがたいが、そうはならずに多くは就職してしまう。
ここ数年の博士進学実績は低下基調だ。日本のアカデミアは学生にも見限られている。
こういうった状況をスポーツ界に喩えるならば
国内トップクラスのスポーツ選手に対して、地元の中学高校の部活の面倒をみるのと同時にオリンピック出場を目指せと言うようなものだ。
さて、今後の展望。
これから少子化によって18歳人口が減少するため、ますます大学間の競争が激しくなる。一般入試を経ずに入学する学生が増えて学力は低下する。
活路を留学生に求めることになるため、ますます入試システムが複雑になり、学内には英語コースの設立が求められる。これは、新しく学科を1つ開設するのと同等の労力(つまり時間)が奪われることになる。
文部科学省(財務省)もようやく現状打破の施策を立ち上げ始めた。
博士の学生を増やすための支援を増やし、若手教員比率を高め、若手教員の研究時間確保のための取り組みを大学に求め始めた。
都内のメンズ系美容院で働いてるんだけど、ネットでやたらに清潔感について盛んに議論されてるせいか、最近20〜30代の男客からそういうリクエストをされることがすごく多くなった。
ただ、そういった新規のお客を見てきて、髪を整えるだけでは、その人が望んでいるであろう清潔感が手に入ることはほぼないんだろうなと思ってしまった。
髪型や服装みたいな、分かりやすい何か一つを整えることで一発逆転を求めている人が多い印象だけど、それは正直ちょっと難しい。
男の清潔感を異性が求めることの良し悪しはそれぞれ意見があるので、自分の考えを尊重すれば良いとは思うんだが、自分で選んで「清潔感が欲しい」と願った人がまず何をすればいいのか、そのファーストステップを書き置こうと思う。
※顔の美醜について触れると軸がブレそうなので、ここでは特に肌や髪を手入れをしたことがなく、服装にこだわりのない人のことを全て初期アバターと呼ぶ。
まず、この初期アバターには肌を清潔に整えてみてほしい。彼らの中で肌が綺麗な人はほぼいない。ごく稀に遺伝的に肌質が良いんだろうな、と思う人は見かけるけれど、基本的には毛穴が大きく開き、鼻や額に皮脂が浮いている。
こういう脂が顔に残って酸化すると、毛穴が開く原因になったり、肌色がくすんだりする上、髪も張り付いてしまって、清潔感とは程遠い男が爆誕する。
いきなりメンズメイクをしろだとかは言わないので、最初の行動として、洗顔を見直すことをおすすめしたい。
たぶん初期アバターに限らず、男だとメンズ用のスースーするような洗顔料や、スクラブ入りのを使っている人が多いと思うんだけど、これは洗浄力が強くて顔に必要な皮脂も流れてしまう。ただ相性はあるので、使っていてすごぶる肌の調子がいい、という人はそのままで問題ない。
良くも悪くもない、またはニキビや肌荒れなどが改善されないという人は、ドラッグストアに売ってる女性も使うようなものに変えた方がいいと思う。
あと、洗顔はきめ細かな泡で優しく洗うのが基本だけれど、そもそも泡立てること自体が面倒だと思うので、最初から泡で出てくる洗顔料だとなお良い。売ってなかったら泡立てネットを買おう。
そして、洗顔はとにかく優しく、思ってる時間の3倍は使ってゆっくり洗って、思っている3倍の時間をかけて落としてみてほしい。石鹸を落としきれていなくて、こめかみがニキビだらけになっている人がめちゃくちゃ多い。
洗顔が終わったら保湿をしよう。化粧水やら美容液やら乳液なんて複数のアイテムを使うも選ぶのもハードルが高いだろうから、ドラッグストアで売ってるオールインワンジェルとかでも良い。
あるいはハトムギ化粧水とニベアのようなシンプルなもので充分なので、商品の説明書きにある量の化粧水を手にとって顔に優しく馴染ませて、クリームの油分で蓋をしよう。このクリームは顔につけすぎないように。余ったら体に塗ってもいい。肘や膝など、乾燥しやすい場所に使うと粉吹かなくて良いと思う。
洗顔も保湿も、とにかく続けることが大事なので、商品知識は後回しで大丈夫。面倒な工程や、使う品数を減らすことで習慣にしやすくなるし、これを1ヶ月続けるだけで、とりあえず顔の清潔感の土台の6割は完成するので、コスパも良いと思う。
ニキビやニキビ跡(顔のクレーター状のへこみ)が多い人は、これと並行して皮膚科を受診するといい。肌トラブルは立派な皮膚疾患なので初期アバター状態で行っても恥ずかしがることもないし、大概の場合は市販のニキビ薬なんかよりも病院の薬が1番効くし、なんだかんだと1番安くあがる。
次は髪の毛。男の黒髪は手入れをしていないとフケも目立つし、ツヤがないのも老けて見える。そして以外と汚れているので、まずは30秒くらいお湯だけで予洗いをしよう。その後に何でもいいからシャンプーで洗って、泡立ちが悪い時はまだ汚れが落ち切っていないので、2回洗おう。
髪も肌と同じで、洗顔後は乾燥するので保湿が必要になる。よっぽど髪が痛んでチリチリでない場合は、補修効果のあるトリートメントではなく、コーティング効果のあるリンスかコンディショナーを選ぶといい。ただ、最近は呼び名が違うだけでコーディング+補修の機能を兼ね備えたものがほとんどなので、匂いが良いやつとか、名前にこだわらずにセールとかで選んでも大丈夫だと思う。
そして髪が丈夫な人はいいけど、基本的には濡れたまま放置すると毛根も傷むのでハゲやすくなる。風呂から出たら、とにかく1秒でも早くドライヤーを上から当てて乾かそう。
髪の手をつけるのは、眉毛と髭だ。髭についてはこれだけはケチらずに高い電気シェーバーを選んで欲しい。濃い人はねっとりめのシェービングクリームも使った方がいいけれど、シェーバーを洗うの面倒になると思うので、クリームを使わなくても剃りが甘くならないやつを選ぼう。剃り終えたら、風呂の後と同じように洗顔と保湿をすると良い。
髭が薄かったり、範囲の狭いタイプの人は今後生やすつもりがないならとっとと髭脱毛するのもおすすめだけれど、保湿とか毛の周期の把握とか細やかな手入れが必要になるので、これは初期アバターにはまだ早い。ある程度知識がついてから検討した方が、脱毛クリニックに騙されることも少ないだろう。
そして眉毛については、「まずはプロに頼もう」という意見がネットに多いと思うけれど、これも髪型と同じで、それだけ整えればいいものではないので、いきなり眉サロンに行くのはあまりおすすめしない。
まずは自分で100均で構わないから、眉毛を整えるためのカミソリ(素人にはT字の方が使いやすい)+眉ハサミを購入しよう。
そして、眉毛本体はそのままで、自分の本来の眉毛よりも離れたところにある、明らかに邪魔な毛を処理しよう。両津勘吉レベルで繋がっていて、眉頭がわからないような状態でなければ、眉間の毛も剃ると顔がスッキリする。
眉毛本体をいじると、奇跡的に上手く行ってもそこから定期的に整える必要が出てくる。なりたい眉毛や、知識がない状態で無計画に触れるのは危険なので、ムダ毛を処理するくらいの気持ちで取り組もう。
これで男の顔の土台はほぼ完成だ。その状態が自分の現在のポテンシャルだと思うとちょうど良いかもしれない。
ここでやって欲しいのが、鏡をみて自分を客観的に見る、という行動だ。
唇が荒れていることに気づけばリップクリームを、日焼けに気づけば日焼け止めの習慣化を、保湿で緩和されない肌荒れがあれば皮膚科の受診や食生活の見直しを、歯の色素沈着が気になればホワイトニングを、といった感じで、今までぼんやりとしていた自分の顔の粗と、その対策が何となく見えてくると思う。
ここまで来ることで、あとはインターネットの人がよく言う「プロに任せる」といった行動が活かせるようになるんじゃないだろうか。
たぶんセルフでの手入れの基礎を覚えないと、眉毛サロンで眉毛を整えても維持ができないし、美容院でイケメン風の髪にしても、翌日には再現ができなくなってしまうだろう。
自分をある程度手入れする能力が備わって初めて、プロの腕が役にたつんだと思う。
清潔感のある男になりたいと願う先にあるのは多分モテとか対人関係の円滑化とかだと思うんだけど、結局はいきなり飛び級はできないというか。
ADHDとASDの合併は意外とあるらしいし(そのせいでストラテラが効きすぎたり、効かなかったりとろくなことがない)
もっとも、その様子だと精神科にかかってしまった感じがするので、金銭的な面で言えば、日常生活がある程度できず、就労不能だが、浪費もしない程度に障害を悪化させるのが最適解となる。
なぜなら、国民年金は日常生活ができないと年金がもらえないからだ。
とはいえ、このやり方をとってしまうと予後はあまりよくはないし、本を読むのが好きなら、今から宅建士、行政書士試験、司法書士試験の勉強を始めるといいかもしれない
民法は宅建士の範囲だと不足気味なんで余裕があれば、Vマジック 司法書士の民法を読んで、問題を解くといい
問題を解く場合、単元が終わったら、即問題を解けば、おおむね受かるように作られてる。
https://anond.hatelabo.jp/20240831153236
もし、精神科で薬をもらっていて、微妙に足りないなら、こちらのリンク先を参考にするといい。
発達障害の人はなぜか知らんが、軽度認知障害の漢方が効くし、日常的にストレスを受けているせいで脾虚になってる人が非常に多い。
https://anond.hatelabo.jp/20240831153236