https://kazugoto.hatenablog.com/entry/2022/07/09/235906
https://bokukoui.exblog.jp/32726091/
ここら辺のブログを読んで思った。まぁ小難しい文章なので今も続き読んでるけど。あんまりまとまってない文章書くことになるけどごめんなさい。
墨東氏は《コンテンツは、鑑賞や批評の対象というよりも、「みんなで盛り上がる」手段と化してしまったのではないでしょうか。すると小難しい批評は嫌われ、定型フレーズをネットの「みんな」で叫ぶことで一時の快を貪る、そういう人が増えたのです》と述べますが、”オタク”界隈の「批評」なるものを、商業誌や商業媒体、ならびに同人誌で批判的に取り扱ってきた私としては、果たしてそんな「批評」が社会に何をもたらしましたか、結局は内輪だけで言葉を消費しただけではないのですか、と言いたいです。内輪だけで消費される「批評」に価値があるなど、笑止千万としか言い様がありません。
うぉぉ。言ってしまった。内輪話し合ってるだけのそれっぽい論評が社会の何に役の立つのかと言ってしまった。
っていうのも気になるけど、一番は「小難しい論評が嫌われ、定型フレーズを・・・」の文。
まあこれは、「オタク」が一般化した結果、かつてはオタクをバカにしていた「みんなと月9ドラマの話題で盛り上がる『一般人』」(もちろんオタクも彼らをバカにしている)と、「オタク」が同じ存在になったということともいえるのです。
つーか当の墨東先生も言ってるし。やっぱそうだよね。陽キャが「昨日のドラマ見た!?」って盛り上がってるのと一緒だよね。俺らが「昨日の鬼滅見た!?」って言ってるのと一緒。墨東先生は「同じ存在になった」と表現しているけど、27の俺にとっては物心ついた時からこうだったと思うけど。
一般人を馬鹿にしているっていうのも、あっちがバカにしてきたからアニメだって面白いんだぞ、少なくともお前らが見てるドラマぐらいには内容あるし!みたいな感じで、高尚な論評だとか云々は関係ないかな…
正直、小難しい論評だとか無理だと思うよ。だってやべぇやつに思われちゃうもん。じつは伏線として漫画の一コマにこんなのが…!みたいな考察
https://note.com/iovis_takahasius/n/n5d806216d51c
ここにある通り鬼滅は自助・共助を推奨している!みたいな政治的な方面に進んじゃったらもう大変。悪いけどやべぇやつまっしぐら。
友達とドラマの話してて「自民党政権が…」っていいだしたら「え、どうしたの?」って心配されちゃうよ。
こういうのを見てると、オタクっていうのはもう彼らにお返しして、俺たちは娯楽としてアニメを見るのが好きな一般人として生きたほうがいい気がするなぁ。