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2021-03-22

赤い部屋

異常な興奮を求めて集った、七人のしかつめらしい男が(私もその中の一人だった)態々わざわざ其為そのためにしつらえた「赤い部屋」の、緋色ひいろの天鵞絨びろうどで張った深い肘掛椅子に凭もたれ込んで、今晩の話手が何事か怪異物語を話し出すのを、今か今かと待構まちかまえていた。

 七人の真中には、これも緋色の天鵞絨で覆おおわれた一つの大きな円卓子まるテーブルの上に、古風な彫刻のある燭台しょくだいにさされた、三挺さんちょうの太い蝋燭ろうそくがユラユラと幽かすかに揺れながら燃えていた。

 部屋の四周には、窓や入口のドアさえ残さないで、天井から床まで、真紅まっかな重々しい垂絹たれぎぬが豊かな襞ひだを作って懸けられていた。ロマンチック蝋燭の光が、その静脈から流れ出したばかりの血の様にも、ドス黒い色をした垂絹の表に、我々七人の異様に大きな影法師かげぼうしを投げていた。そして、その影法師は、蝋燭の焔につれて、幾つかの巨大な昆虫でもあるかの様に、垂絹の襞の曲線の上を、伸びたり縮んだりしながら這い歩いていた。

 いつもながらその部屋は、私を、丁度とほうもなく大きな生物心臓の中に坐ってでもいる様な気持にした。私にはその心臓が、大きさに相応したのろさを以もって、ドキンドキンと脈うつ音さえ感じられる様に思えた。

 誰も物を云わなかった。私は蝋燭をすかして、向側に腰掛け人達の赤黒く見える影の多い顔を、何ということなしに見つめていた。それらの顔は、不思議にも、お能の面の様に無表情に微動さえしないかと思われた。

 やがて、今晩の話手と定められた新入会員のT氏は、腰掛けたままで、じっと蝋燭の火を見つめながら、次の様に話し始めた。私は、陰影の加減で骸骨の様に見える彼の顎が、物を云う度にガクガクと物淋しく合わさる様子を、奇怪なからくり仕掛けの生人形でも見る様な気持で眺めていた。

 私は、自分では確かに正気の積りでいますし、人も亦またその様に取扱って呉くれていますけれど、真実まったく正気なのかどうか分りません。狂人かも知れません。それ程でないとしても、何かの精神病者という様なものかも知れません。兎とに角かく、私という人間は、不思議な程この世の中がつまらないのです。生きているという事が、もうもう退屈で退屈で仕様がないのです。

 初めの間うちは、でも、人並みに色々の道楽に耽ふけった時代もありましたけれど、それが何一つ私の生れつきの退屈を慰なぐさめては呉れないで、却かえって、もうこれで世の中の面白いことというものはお仕舞なのか、なあんだつまらないという失望ばかりが残るのでした。で、段々、私は何かをやるのが臆劫おっくうになって来ました。例えば、これこれの遊びは面白い、きっとお前を有頂天にして呉れるだろうという様な話を聞かされますと、おお、そんなものがあったのか、では早速やって見ようと乗気になる代りに、まず頭の中でその面白さを色々と想像して見るのです。そして、さんざん想像を廻めぐらした結果は、いつも「なあに大したことはない」とみくびって了しまうのです。

 そんな風で、一時私は文字通り何もしないで、ただ飯を食ったり、起きたり、寝たりするばかりの日を暮していました。そして、頭の中丈だけで色々な空想を廻らしては、これもつまらない、あれも退屈だと、片端かたはしからけなしつけながら、死ぬよりも辛い、それでいて人目には此上このうえもなく安易生活を送っていました。

 これが、私がその日その日のパンに追われる様な境遇だったら、まだよかったのでしょう。仮令たとえ強いられた労働しろ兎に角何かすることがあれば幸福です。それとも又、私が飛切りの大金持ででもあったら、もっとよかったかも知れません。私はきっと、その大金の力で、歴史上の暴君達がやった様なすばらしい贅沢ぜいたくや、血腥ちなまぐさい遊戯や、その他様々の楽しみに耽ふけることが出来たでありましょうが、勿論それもかなわぬ願いだとしますと、私はもう、あのお伽噺とぎばなしにある物臭太郎の様に、一層死んで了った方がましな程、淋しくものういその日その日を、ただじっとして暮す他はないのでした。

 こんな風に申上げますと、皆さんはきっと「そうだろう、そうだろう、併し世の中の事柄に退屈し切っている点では我々だって決してお前にひけを取りはしないのだ。だからこんなクラブを作って何とかして異常な興奮を求めようとしているのではないか。お前もよくよく退屈なればこそ、今、我々の仲間へ入って来たのであろう。それはもう、お前の退屈していることは、今更ら聞かなくてもよく分っているのだ」とおっしゃるに相違ありません。ほんとうにそうです。私は何もくどくどと退屈の説明をする必要はないのでした。そして、あなた方が、そんな風に退屈がどんなものだかをよく知っていらっしゃると思えばこそ、私は今夜この席に列して、私の変てこな身の上話をお話しようと決心したのでした。

 私はこの階下のレストランへはしょっちゅう出入でいりしていまして、自然ここにいらっしゃる御主人とも御心安く、大分以前からこの「赤い部屋」の会のことを聞知っていたばかりでなく、一再いっさいならず入会することを勧められてさえいました。それにも拘かかわらず、そんな話には一も二もなく飛びつき相そうな退屈屋の私が、今日まで入会しなかったのは、私が、失礼な申分かも知れませんけれど、皆さんなどとは比べものにならぬ程退屈し切っていたからです。退屈し過ぎていたからです。

 犯罪探偵遊戯ですか、降霊術こうれいじゅつ其他そのたの心霊上の様々の実験ですか、Obscene Picture の活動写真や実演やその他のセンジュアル遊戯ですか、刑務所や、瘋癲病院や、解剖学教室などの参観ですか、まだそういうものに幾らかでも興味を持ち得うるあなた方は幸福です。私は、皆さんが死刑執行のすき見を企てていられると聞いた時でさえ、少しも驚きはしませんでした。といいますのは、私は御主からそのお話のあった頃には、もうそういうありふれた刺戟しげきには飽き飽きしていたばかりでなく、ある世にもすばらしい遊戯、といっては少し空恐しい気がしますけれど、私にとっては遊戯といってもよい一つの事柄発見して、その楽しみに夢中になっていたからです。

 その遊戯というのは、突然申上げますと、皆さんはびっくりなさるかも知れませんが……、人殺しなんです。ほんとうの殺人なんです。しかも、私はその遊戯発見してから今日までに百人に近い男や女や子供の命を、ただ退屈をまぎらす目的の為ばかりに、奪って来たのです。あなた方は、では、私が今その恐ろしい罪悪を悔悟かいごして、懺悔ざんげ話をしようとしているかと早合点なさるかも知れませんが、ところが、決してそうではないのです。私は少しも悔悟なぞしてはいません。犯した罪を恐れてもいません。それどころか、ああ何ということでしょう。私は近頃になってその人殺しという血腥い刺戟にすら、もう飽きあきして了ったのです。そして、今度は他人ではなくて自分自身を殺す様な事柄に、あの阿片アヘン喫煙に耽り始めたのです。流石さすがにこれ丈けは、そんな私にも命は惜しかったと見えまして、我慢我慢をして来たのですけれど、人殺しさえあきはてては、もう自殺でも目論もくろむ外には、刺戟の求め様がないではありませんか。私はやがて程なく、阿片の毒の為に命をとられて了うでしょう。そう思いますと、せめて筋路の通った話の出来る間に、私は誰れかに私のやって来た事を打開けて置き度いのです。それには、この「赤い部屋」の方々が一番ふさわしくはないでしょうか。

 そういう訳で、私は実は皆さんのお仲間入りがし度い為ではなくて、ただ私のこの変な身の上話を聞いて貰い度いばかりに、会員の一人に加えて頂いたのです。そして、幸いにも新入会の者は必ず最初の晩に、何か会の主旨に副そう様なお話をしなければならぬ定きめになっていましたのでこうして今晩その私の望みを果す機会をとらえることが出来た次第なのです。

 それは今からざっと三年計ばかり以前のことでした。その頃は今も申上げました様に、あらゆる刺戟に飽きはてて何の生甲斐もなく、丁度一匹の退屈という名前を持った動物ででもある様に、ノラリクラリと日を暮していたのですが、その年の春、といってもまだ寒い時分でしたから多分二月の終りか三月の始め頃だったのでしょう、ある夜、私は一つの妙な出来事にぶつかったのです。私が百人もの命をとる様になったのは、実にその晩の出来事動機を為なしたのでした。

 どこかで夜更しをした私は、もう一時頃でしたろうか。少し酔っぱらっていたと思います寒い夜なのにブラブラと俥くるまにも乗らないで家路を辿っていました。もう一つ横町を曲ると一町ばかりで私の家だという、その横町何気なくヒョイと曲りますと、出会であいがしらに一人の男が、何か狼狽している様子で慌ててこちらへやって来るのにバッタリぶつかりました。私も驚きましたが男は一層驚いたと見えて暫く黙って衝つっ立っていましたが、おぼろげな街燈の光で私の姿を認めるといきなり「この辺に医者はないか」と尋ねるではありませんか。よく訊きいて見ますと、その男自動車運転手で、今そこで一人の老人を(こんな夜中に一人でうろついていた所を見ると多分浮浪の徒だったのでしょう)轢倒ひきたおして大怪我をさせたというのです。なる程見れば、すぐ二三間向うに一台の自動車が停っていて、その側そばに人らしいものが倒れてウーウーと幽かすかにうめいています交番といっても大分遠方ですし、それに負傷者の苦しみがひどいので、運転手は何はさて置き先ず医者を探そうとしたのに相違ありません。

 私はその辺の地理は、自宅の近所のことですから医院所在などもよく弁わきまえていましたので早速こう教えてやりました。

「ここを左の方へ二町ばかり行くと左側に赤い軒燈の点ついた家がある。M医院というのだ。そこへ行って叩き起したらいいだろう」

 すると運転手はすぐ様助手に手伝わせて、負傷者をそのM医院の方へ運んで行きました。私は彼等の後ろ姿が闇の中に消えるまで、それを見送っていましたが、こんなことに係合っていてもつまらないと思いましたので、やがて家に帰って、――私は独り者なんです。――婆ばあやの敷しいて呉れた床とこへ這入はいって、酔っていたからでしょう、いつになくすぐに眠入ねいって了いました。

 実際何でもない事です。若もし私がその儘ままその事件を忘れて了いさえしたら、それっ限きりの話だったのです。ところが、翌日眼を醒さました時、私は前夜の一寸ちょっとした出来事をまだ覚えていました。そしてあの怪我人は助かったかしらなどと、要もないことまで考え始めたものです。すると、私はふと変なことに気がつきました。

「ヤ、俺は大変な間違いをして了ったぞ」

 私はびっくりしました。いくら酒に酔っていたとは云いえ、決して正気を失っていた訳ではないのに、私としたことが、何と思ってあの怪我人をM医院などへ担ぎ込ませたのでしょう。

「ここを左の方へ二町ばかり行くと左側に赤い軒燈の点いた家がある……」

 というその時の言葉もすっかり覚えています。なぜその代りに、

「ここを右の方へ一町ばかり行くとK病院という外科専門の医者がある」

 と云わなかったのでしょう。私の教えたMというのは評判の藪やぶ医者で、しか外科の方は出来るかどうかさえ疑わしかった程なのです。ところがMとは反対の方角でMよりはもっと近い所に、立派に設備の整ったKという外科病院があるではありませんか。無論私はそれをよく知っていた筈はずなのです。知っていたのに何故間違ったことを教えたか。その時の不思議心理状態は、今になってもまだよく分りませんが、恐らく胴忘どうわすれとでも云うのでしょうか。

 私は少し気懸りになって来たものですから、婆やにそれとなく近所の噂などを探らせて見ますと、どうやら怪我人はM医院の診察室で死んだ鹽梅あんばいなのです。どこの医者でもそんな怪我人なんか担ぎ込まれるのは厭いやがるものです。まして夜半の一時というのですから、無理もありませんがM医院はいくら戸を叩いても、何のかんのと云って却々なかなか開けて呉れなかったらしいのです。さんざん暇ひまどらせた挙句やっと怪我人を担ぎ込んだ時分には、もう余程手遅れになっていたに相違ありません。でも、その時若しM医院の主が「私は専門医でないから、近所のK病院の方へつれて行け」とでも、指図をしたなら、或あるいは怪我人は助っていたのかも知れませんが、何という無茶なことでしょう。彼は自からその難しい患者を処理しようとしたらしいのです。そしてしくじったのです、何んでも噂によりますとM氏はうろたえて了って、不当に長い間怪我人をいじくりまわしていたとかいうことです。

 私はそれを聞いて、何だかこう変な気持になって了いました。

 この場合可哀相な老人を殺したものは果して何人なんぴとでしょうか。自動車運転手とM医師ともに、夫々それぞれ責任のあることは云うまでもありません。そしてそこに法律上処罰があるとすれば、それは恐らく運転手の過失に対して行われるのでしょうが事実上最も重大な責任者はこの私だったのではありますいか。若しその際私がM医院でなくてK病院を教えてやったとすれば、少しのへまもなく怪我人は助かったのかも知れないのです。運転手は単に怪我をさせたばかりです。殺した訳ではないのです。M医師は医術上の技倆が劣っていた為にしくじったのですから、これもあながちとがめる所はありません。よし又彼に責を負うべき点があったとしても、その元はと云えば私が不適当なM医院を教えたのが悪いのです。つまり、その時の私の指図次第によって、老人を生かすことも殺すことも出来た訳なのです。それは怪我をさせたのは如何にも運転手でしょう。けれど殺したのはこの私だったのではありますいか

 これは私の指図が全く偶然の過失だったと考えた場合ですが、若しそれが過失ではなくて、その老人を殺してやろうという私の故意から出たものだったとしたら、一体どういうことになるのでしょう。いうまでもありません。私は事実上殺人罪を犯したものではありませんか。併しか法律は仮令運転手を罰することはあっても、事実上殺人である私というものに対しては、恐らく疑いをかけさえしないでしょう。なぜといって、私と死んだ老人とはまるきり関係のない事がよく分っているのですから。そして仮令疑いをかけられたとしても、私はただ外科医院のあることなど忘れていたと答えさえすればよいではありませんか。それは全然心の中の問題なのです。

 皆さん。皆さんは嘗かつてこういう殺人法について考えられたことがおありでしょうか。私はこの自動車事件で始めてそこへ気がついたのですが、考えて見ますと、この世の中は何という険難至極けんのんしごくな場所なのでしょう。いつ私の様な男が、何の理由もなく故意に間違った医者を教えたりして、そうでなければ取止めることが出来た命を、不当に失って了う様な目に合うか分ったものではないのです。

 これはその後私が実際やって見て成功したことなのですが、田舎のお婆さんが電車線路を横切ろうと、まさに線路に片足をかけた時に、無論そこには電車ばかりでなく自動車自転車や馬車や人力車などが織る様に行違っているのですから、そのお婆さんの頭は十分混乱しているに相違ありません。その片足をかけた刹那に、急行電車か何かが疾風しっぷうの様にやって来てお婆さんから二三間の所まで迫ったと仮定します。その際、お婆さんがそれに気附かないでそのまま線路を横切って了えば何のことはないのですが、誰かが大きな声で「お婆さん危いッ」と怒鳴りでもしようものなら、忽たちまち慌てて了って、そのままつき切ろうか、一度後へ引返そうかと、暫しばらくまごつくに相違ありません。そして、若しその電車が、余り間近い為に急停車も出来なかったとしますと、「お婆さん危いッ」というたった一言が、そのお婆さんに大怪我をさせ、悪くすれば命までも取って了わないとは限りません。先きも申上げました通り、私はある時この方法で一人の田舎者をまんまと殺して了ったことがありますよ。

(T氏はここで一寸言葉を切って、気味悪く笑った)

 この場合危いッ」と声をかけた私は明かに殺人者です。併し誰が私の殺意を疑いましょう。何の恨うらみもない見ず知らずの人間を、ただ殺人の興味の為ばかりに、殺そうとしている男があろうなどと想像する人がありましょうか。それに「危いッ」という注意の言葉は、どんな風に解釈して見たって、好意から出たものしか考えられないのです。表面上では、死者から感謝されこそすれ決して恨まれ理由がないのです。皆さん、何と安全至極な殺人法ではありませんか。

 世の中の人は、悪事は必ず法律に触れ相当の処罰を受けるものだと信じて、愚にも安心し切っています。誰にしたって法律人殺しを見逃そうなどとは想像もしないのです。ところがどうでしょう。今申上げました二つの実例から類推出来る様な少しも法律に触れる気遣いのない殺人法が考えて見ればいくらもあるではありませんか。私はこの事に気附いた時、世の中というものの恐ろしさに戦慄するよりも、そういう罪悪の余地を残して置いて呉れた造物主の余裕を此上もなく愉快に思いました。ほんとうに私はこの発見に狂喜しました。何とすばらしいではありませんか。この方法によりさえすれば、大正の聖代せいだいにこの私丈けは、謂わば斬捨て御免ごめんも同様なのです。

 そこで私はこの種の人殺しによって、あの死に相な退屈をまぎらすことを思いつきました。絶対法律に触れない人殺し、どんなシャーロック・ホームズだって見破ることの出来ない人殺し、ああ何という申分のない眠け醒しでしょう。以来私は三年の間というもの、人を殺す楽しみに耽って、いつの間にかさしもの退屈をすっかり忘れはてていました。皆さん笑ってはいけません。私は戦国時代の豪傑の様に、あの百人斬りを、無論文字通り斬る訳ではありませんけれど、百人の命をとるまでは決して中途でこの殺人を止めないことを、私自身に誓ったのです。

 今から三月ばかり前です、私は丁度九十九人だけ済ませました。そして、あと一人になった時先にも申上げました通り私はその人殺しにも、もう飽きあきしてしまったのですが、それは兎も角、ではその九十九人をどんな風にして殺したか。勿論九十九人のどの人にも少しだって恨みがあった訳ではなく、ただ人知れぬ方法とその結果に興味を持ってやった仕事ですから、私は一度も同じやり方を繰返す様なことはしませんでした。一人殺したあとでは、今度はどんな新工夫でやっつけようかと、それを考えるのが又一つの楽しみだったのです。

 併し、この席で、私のやった九十九の異った殺人法を悉ことごとく御話する暇もありませんし、それに、今夜私がここへ参りましたのは、そんな個々の殺人方法告白する為ではなくて、そうした極悪非道の罪悪を犯してまで、退屈を免れ様とした、そして又、遂にはその罪悪にすら飽きはてて、今度はこの私自身を亡ぼそうとしている、世の常ならぬ私の心持をお話して皆さんの御判断を仰ぎたい為なのですから、その殺人方以については、ほんの二三の実例を申上げるに止めて置き度いと存じます

 この方法発見して間もなくのことでしたが、こんなこともありました。私の近所に一人の按摩あんまがいまして、それが不具などによくあるひどい強情者でした。他人が深切しんせつから色々注意などしてやりますと、却ってそれを逆にとって、目が見えないと思って人を馬鹿にするなそれ位のことはちゃんと俺にだって分っているわいという調子で、必ず相手言葉にさからたことをやるのです。どうして並み並みの強情さではないのです。

 ある日のことでした。私がある大通りを歩いていますと、向うからその強情者の按摩がやって来るのに出逢いました。彼は生意気にも、杖つえを肩に担いで鼻唄を歌いながらヒョッコリヒョッコリと歩いています。丁度その町には昨日から下水工事が始まっていて、往来の片側には深い穴が掘ってありましたが、彼は盲人のことで片側往来止めの立札など見えませんから、何の気もつかず、その穴のすぐ側を呑気そうに歩いているのです。

 それを見ますと、私はふと一つの妙案を思いつきました。そこで、

「やあN君」と按摩の名を呼びかけ、(よく療治を頼んでお互に知り合っていたのです)

「ソラ危いぞ、左へ寄った、左へ寄った」

 と怒鳴りました。それを態わざと少し冗談らしい調子でやったのです。というのは、こういえば、彼は日頃の性質から、きっとからかわれたのだと邪推して、左へはよらないで態と右へ寄るに相違ないと考えたからです。案あんの定じょう彼は、

「エヘヘヘ……。御冗談ばっかり」

 などと声色こわいろめいた口返答をしながら、矢庭やにわに反対の右の方へ二足三足寄ったものですから、忽ち下水工事の穴の中へ片足を踏み込んで、アッという間に一丈もあるその底へと落ち込んで了いました。私はさも驚いた風を装うて穴の縁へ駈けより、

「うまく行ったかしら」と覗いて見ましたが彼はうち所でも悪かったのか、穴の底にぐったりと横よこたわって、穴のまわりに突出ている鋭い石でついたのでしょう。一分刈りの頭に、赤黒い血がタラタラと流れているのです。それから、舌でも噛切ったと見えて、口や鼻からも同じ様に出血しています。顔色はもう蒼白で、唸り声を出す元気さえありません。

 こうして、この按摩は、でもそれから一週間ばかりは虫の息で生きていましたが、遂に絶命して了ったのです。私の計画は見事に成功しました。誰が私を疑いましょう。私はこの按摩を日頃贔屓ひいきにしてよく呼んでいた位で、決して殺人動機になる様な恨みがあった訳ではなく、それに、表面上は右に陥穽おとしあなのあるのを避けさせようとして、「左へよれ、左へよれ」と教えてやった訳なのですから、私の好意を認める人はあっても、その親切らしい言葉の裏に恐るべき殺意がこめられていたと想像する人があろう筈はないのです。

 ああ、何という恐しくも楽しい遊戯だったのでしょう。巧妙なトリックを考え出した時の、恐らく芸術家のそれにも匹敵する、歓喜、そのトリックを実行する時のワクワクした緊張、そして、目的を果した時の云い知れぬ満足、それに又、私の犠牲になった男や女が、殺人者が目の前にいるとも知らず血みどろになって狂い廻る断末魔だんまつまの光景ありさま、最初の間、それらが、どんなにまあ私を有頂天にして呉れたことでしょう。

 ある時はこんな事もありました。それは夏のどんよりと曇った日のことでしたが、私はある郊外文化村とでもいうのでしょう。十軒余りの西洋館がまばらに立並んだ所を歩いていました。そして、丁度その中でも一番立派なコンクリート造りの西洋館の裏手を通りかかった時です。ふと妙なものが私の目に止りました。といいますのは、その時私の鼻先をかすめて勢よく飛んで行った一匹の雀が、その家の屋根から地面へ引張ってあった太い針金に一寸とまると、いきなりはね返された様に下へ落ちて来て、そのまま死んで了ったのです。

 変なこともあるものだと思ってよく見ますと、その針金というのは、西洋館の尖った Permalink | 記事への反応(0) | 22:33

2021-03-11

原発溶接工の話を読んだ

原発は確かに設計上は安全に作ってあるが、原発工事するのは高卒中卒である。何も理解せずに言われた通りに作るわけだが、作る過程監視してる職員もまた、原発とは関係ないところからやってきた(農水省で米の検査なんかをやってた)役人。だから間違いがあっても誰も気づけない。

というか、原発みたいなでかい建設物でヒューマンエラーなく建造するのなんか普通にめちゃくちゃ難しい。

完成した原発検査をしても、エラーには気づきにくい。しか検査に来るやつも素人からよくわからんけど判子を押すばかり。

定期検査工事をするのも、季節柄ひまな漁師とか。もちろんど素人

原発第三者委員会は、通産省天下りから第三者でもなんでもない。専門知識のある本当の第三者がいないとやばい

あと、10年耐久と言われた原子炉を、解体廃炉ができないから30年以上使っててやばい原子炉は止めると、冷却用の水で金属が錆びて放射能漏れちゃうから止めておくことができない。燃料を取り出しても、放射能が減るまでずっと冷却し続けなきゃならないけど電気も作らないのに動かすようなことは電力会社がしたがらない。

 

みたいなことを書いてて、ちょっと怖くなった。

良く考えたら原発について何にも知らないし、危険安全判断するような材料は何もなかった。誰かが安全と言ってるから危険と言ってるからぐらいの判断で生きてたが、どう考えても非科学的な思考停止だった。反省

2021-03-10

震災10年目のシン・エヴァンゲリオン

シン・エヴァンゲリオン

震災モチーフリアリティに驚いた。

たぶん私は第三村に行ったことがある。

リアス式海岸漁村は平地が少ない。

海側の居住地が壊滅し、新たに山あいに細長い集落を作った。

おんなじ形のコンテナを並べてできた仮設住宅団地

その風景がかつて数年通ったあの村にそっくりだった。うん。そっくりさんだ。

港は壊滅的なダメージを受けていた。コンクリート建物がごろりごろりと転がっている。

電車も車も船も、そこかしこに転がりのっかり、刺さっている。

海に向かって破壊された巨大なケージのような建物があった。漁船に氷を積み込む基地だったという。

そこから見る海はどこまでも澄んでいた。漁師のお爺さんもこったら綺麗なのはたことがねえという。

夜の海は真っ暗で、星が海面に映って宇宙にいるみたいだった。

木造の古い小学校を、病院役所集会所として活用していた。

わずかに残された古い家に何家族も集まっていた。

集落から離れて、ぼろぼろのガレージで暮らす人もいたなあ。。。

慣れた土地から離されてくしゃくしゃに集められ、無理やり仲良く暮らしていた。

そこに訪ねていくと、大人子供津波がどんなだったか・・・を話し続けるのだった。

僕のせいで津波が来た、私のせいで街が壊れたという子供がいた。

何人もいた。なぜかそのように強く信じているんだ。

津波ごっこにキャアキャアと全力疾走で遊んで、ふと俺のせいなんだっていう。

何もしゃべらない人もいた。

田植えは楽しかった。おやつお茶をもって田んぼに集合!

どろだらけになって植えていった。さすがに機械だったけど、はじっこの方は手で植えた。

水と風の青いにおい。ずーっとおしゃべりしながら笑いながら。

そして疲れるとおにぎりやおかずを山盛りにして食べ、昼寝をした。

ただ何度かおじゃましただけの村。

今はもう解体されてない村。

震災10年目のシン・エヴァンゲリオン

シン・エヴァンゲリオン

震災モチーフリアリティに驚いた。

たぶん私は第三村に行ったことがある。

リアス式海岸漁村は平地が少ない。

海側の居住地が壊滅し、新たに山あいに細長い集落を作った。

おんなじ形のコンテナを並べてできた仮設住宅団地

その風景がかつて数年通ったあの村にそっくりだった。うん。そっくりさんだ。

港は壊滅的なダメージを受けていた。コンクリート建物がごろりごろりと転がっている。

電車も車も船も、そこかしこに転がりのっかり、刺さっている。

海に向かって破壊された巨大なケージのような建物があった。漁船に氷を積み込む基地だったという。

そこから見る海はどこまでも澄んでいた。漁師のお爺さんもこったら綺麗なのはたことがねえという。

夜の海は真っ暗で、星が海面に映って宇宙にいるみたいだった。

木造の古い小学校を、病院役所集会所として活用していた。

わずかに残された古い家に何家族も集まっていた。

集落から離れて、ぼろぼろのガレージで暮らす人もいたなあ。。。

慣れた土地から離されてくしゃくしゃに集められ、無理やり仲良く暮らしていた。

そこに訪ねていくと、大人子供津波がどんなだったか・・・を話し続けるのだった。

僕のせいで津波が来た、私のせいで街が壊れたという子供がいた。

何人もいた。なぜかそのように強く信じているんだ。

津波ごっこにキャアキャアと全力疾走で遊んで、ふと俺のせいなんだっていう。

何もしゃべらない人もいた。

田植えは楽しかった。おやつお茶をもって田んぼに集合!

どろだらけになって植えていった。さすがに機械だったけど、はじっこの方は手で植えた。

水と風の青いにおい。ずーっとおしゃべりしながら笑いながら。

そして疲れるとおにぎりやおかずを山盛りにして食べ、昼寝をした。

ただ何度かおじゃましただけの村。

今はもう解体されてない村。

2021-02-17

なめろう小説

私は漁師町に住む漁師の妻。

遠洋漁業で家を空けることが多い夫。

次帰ってくるのは半年後だ。

今日は夕飯になめろうを作る。

鰹のなめろう

鯵は骨が細かく取りづらいので我が家では鰹でなめろうを作る。

まな板で鰹を叩いていると肉片が四方に飛び散る。

28の若くも老けてもいない、ただ数年前より確実に瑞々しさがなくなった二の腕に肉片が付いた。

その肉片をふと眺める。

口を近づけ、肉片がついた二の腕に吸い付く。

口の中で舌をナメクジのように這わせ、二の腕についた肉片を食べた。

まだ味付けをしていない生臭い肉片。

ふと旦那との情事を思い出す。

あれはいつだっただろうか。

あの時も夕飯はなめろうだった。

味噌生姜を入れてもまだ鰹の生臭さは取りきることはできない。

私はごめんねというのだが、旦那は「海の男にはこれくらいが丁度良い」と笑い飛ばす。

私は良くないのだ。

歯を磨いても取りきれない生臭さ。

その生臭い舌が私の舌を舐める

頸を舐め、乳首を舐め回す。

二人の時間が終わった後、私はシャワーを浴びた。

鰹臭くなった身体を洗う。

なんでこの日に限ってなめろうなんて作ったのだろうと後悔した。

ただ、鰹の臭いを洗い流す時間、それも幸せだったのかもしれない。

今はそう思う。

叩いた鰹に味噌醤油生姜大葉を入れる。

大葉あの日以来入れている。

2階にいる息子を呼ぶ。

なめろうは息子の大好物だ。

風を切るように降りてくる息子から海の香りがした。

美味しそうになめろうを頬張る息子は何故我が家なめろう大葉が入っているのか知らない。

2021-02-03

anond:20210203131445

その辺は教育ではなくて、社会の変化の問題なので、どうにもならないね

 

例えば「経済力があればよい教育を受けられる」なーんてことは有史以来一回も変化したことがないよね実は。なのになんで増田経済力教育力にプレッシャーを感じるかというと、「成功」の定義のほうが変わっているからなんだよね。

実は母親だという増田自身が、エリートにならない人生は失敗だ、などという思想に染まり切って、疑いすらしていない。高卒で手に職つけて工場職人農家漁師になって嫁さんをみつけて幸せになりなさい、みたいな人生負け組か一部の特殊事例と決めつけている。

無理もないよ。だって世の中がそう言ってきてるんだもん。

そして世の中がそう言ってくるのが一理ある程度には、社会現実がそうなっている。

 

教育生存戦略に特化している、との指摘のほうは、なかなか的を射ているけど、基本は同じだね。

の子供はサバイバル競争念頭に入れて生きているとされるが、昔からそうだった。

ただ、家業ってものがあった時代には競争生存なんて考えなくてよかったんだよな。農家の息子は農家に、貴族の息子は貴族になればいいし、そのレールが用意されていた。でも現代っていうのは、自由の名のもとにレールを取っ払った時代だ。まあレールを走るのはうんざりする面があったから無くしたことは望まれていたのでそれはしょうがない。

でも、家業とか持たないや人たちはもとからサバイバル人生していたからね。

あるいは増田家業を用意することだってこの現代普通にできる。自由選択して生きるってことを自明の前提みたいに社会に言われて、それをそのまま信じてるから、そうじゃない選択肢もあることが目にはいらなくなってると思う。

まあ、そうはいっても難しいわな。現実から言えばやっぱり自分の代で家業つくるなんて無理かも。

 

 

そういう全部を教育対応したいっていうのは、まあ願望だよ。

でも願望をかなえたいと思っているのが増田で、だから経済力意識力の差で悩むんだよ。

可愛い子には旅をさせよ、親は無くとも子は育つ、ある程度まではだけど、そういう認識こそが増田には必要とされているんじゃあないかな。ある程度、虐待にならない程度まではの話だけど。

2021-02-02

夫に隠さず恵方巻を食べている。

先月、徒然なるままに「夫に隠れて寿司を食べている。 anond:20210112213223 」を書き綴ったところ、非常に多くの方から反応を戴けた。

妖怪寿司女なるなかなか的を得た、夫に自慢したくなってしまう名も頂戴してしまいとても嬉しかった。美味しいことは良い事だと常々思う。

しかしその所為で夫が出張から無事に帰宅した今日までの間に何度自分日記を見せぬようにと我慢たかは計り知れない。

夫は然程怒らないだろうが、この美と背徳の味は私の胸に秘めておいた方がきっと幸せだろう。

 

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「101」は、恐らく私が初めて覚えた数字だ。青森県から秋田県へ続く文字通り一本しかない国道名前

私は大半の大人漁師猟師をしながら漁業に務めているような限界集落で育っていた。バブルも弾けた平成前半の事。

 

恵方巻は、元々西日本の一部地域文化である

故に、なかったのだ。

節分2月2日家族揃って恵方を向きながら容赦ない太巻きを無言で食べる文化概念は、北の外れに存在しなかったのだ。

から節分とは、玄関落花生をばら撒き、そそくさと片付け、雛祭りの前祝い程度の雰囲気ささやかな夕食を取る健康的行儀。

その程度の認識しか、なかったのだ。当時は。

 

しかし、私は気付いてしまった。

私は、節分2月2日は、お小遣いでお寿司が買える。それに気付いてしまった。

企業努力の賜物である小学生お小遣いでも当時は恵方巻が買えたのだ。

しかも、ピンクのでんぷが入っている一番安い太巻きなら、2本買える。2本。

大好きなサラダ巻か、或いは量の太巻きか。

高級感と憧れのハッピーセットというとんでもない行事があると、当時小学生は気付いてしまったのである

それこそ普段ちょっと高くて、輪切りになっていて、綺麗にパックされていて、なんか微妙に物足りなさもあるサラダ巻が、一年に一度の節分の日だけは威風堂々丸かぶりする事が許される。なんということか。

そのうえ「これぞ西側文化なり」とでも胸を張って主張すれば、行儀が悪いと窘める母もなにやらおとなしくなってしまう。

恵方巻、あまりにも強すぎる。

そして何故か祖父がとても嬉しそうだったのをぼんやりと覚えている。

 

そして、現在

恐らく夫は今日の事を

 

海産物寿司に対して並々ならぬ執念を抱いている妻による年に一度の恵方狩りの日」

 

とでも思っている。

概ね間違ってはいない。何年も付き合っていれば、この習性はもはや隠せる類ではない。

 

休みには「恵方巻食べれた?」とラインが来た。「夕方から出て、4ヶ所くらい確認できたら良きかな。サーモンサラダ巻、いと美味し」と返事をした。

 

仕事は早めに切り上げて、大型スーパー2件と小型スーパー1件、近所の個人経営居酒屋の4件を巡り、先程帰宅した。ふと誰かが、これは増田に書けよと、耳元で囁いた気がした。

 

エコバッグの中を開けてみると、何故だか少し寂しくなった。

年々、中身が軽くなっている気がするのだ。

豪華な海鮮巻や奇抜な肉の海苔巻が増え、値段自体も毎年上がっているように感じた。

美味しい事は良い事だ。適正価格なら仕方が無い。

今年はウーバーイーツにハマってあまり恵方貯金できていなかったからなぁと思い、取り敢えずサラダ巻とマグロ納豆巻を用意する。

先程、夫から職場緊急事態が発生した為、今夜は現場に泊まるかもしれないという連絡を受けた。

会える範囲の友人たちもコロナ禍の下、確かに無言・黙食とはいえ恵方飲食に誘うのは気が引ける。平日都会のベッドタウンを過ぎゆく風は、まだあまりにも寒いのだ。

色々と考えながら、猫を撫でる。しかし今夜は恵方巻がある。

冷蔵庫を圧迫する恵方巻をどういう順で食らおうか、何度も何度も考えていると、だいたいの悩み事はあとでもなんとかなりそうだという気になってくる。

 

恵方巡りどう?ちゃんといい感じで買えた?」

 

からラインに私は大型スーパーで買ったスパム巻の写真撮影し、夫に送った。夫は喜んでいるようだ。

しかしこのあと思い知るだろう。恵方巻スパムだけではないことを。

深夜か明日が、夫が冷蔵庫を開けた時にいかなる反応をするか、本当にとても楽しみだ。恵方 is サプライズサプライズ is プライスレス。つまり恵方 is プライスレスということ。

 

先程、マグロ納豆巻を食べ終えた。

まだまだ冷蔵庫には恵方巻が眠っている。

そう考えると、なにやら不思議と強くなった気が沸いてきて、夫の不在を良い事に家事でもするかと思ってしまう。

そして、そのついでに、もう少し遅くなってから、値引きシールのついた恵方巻散策にでも乗り出そうかと思うのだった。

サーモンサラダサラダ巻とマグロ納豆恵方巻は、とても美味しかった。

 

 

 

 

 

 

妖怪寿司女:寿司を食らう量は恐らく人より多い為、概ね間違ってはいない。ありがとう

落花生:投げる豆が落花生大豆かで戦争が起きるらしい。自分落花生派だったが、夫は大豆である

※99円の海苔巻:あらゆるものが値上げしていく世界価格を維持してくれる心の友

桜でんぶ桜でんぶ雛祭り恵方巻運動会くらいでしか見る機会がなかった気がする。美味しいし可愛いしなんだか嬉しくなる

祖父20人くらい乗れる船を持っていた漁師本名文字面が「寿司」にかなり似ている

サーモンサラダ巻:サーモンがぷりぷりですごく美味しかった

※夫:西日本出身の為、恵方経験は人並みにあるらしい

サラダ巻:ヘルシーじゃないのにヘルシーな気がする

恵方貯金:今年は全くできなかったので、800〜1000円クラスの高級恵方巻を買うことはできなかった。でも毎年サラダ巻を中心に色モノ系と定番中心で高級品は買ってなかったから平気だった

恵方巻:年々価格の高騰がすごい

スパム巻:初めて見た

恵方南南東位置的には猫のトイレがある方角の為、細かいことは考えないようにしている

恵方巻食品ではなく嗜好品の扱いの為、私の財布から生まれる。結果、食費が少し浮く

※猫:マグロの切れ端を少しあげたが無視された

恵方巡り:今年はDQウォークしながらスーパーを歩いてまわった。心から美味しく食べる為には減量大事だと思う

マグロ納豆巻:もしかたらこいつは恵方巻じゃなかったかもしれない

冷蔵庫恵方巻があると思うとわくわくしてしま無意味に何度も開け締めししま

※予約恵方:基本現物を見て美味しそうだと思うものだけ買うタイプなので滅多にしない

居酒屋恵方巻:今年唯一の予約恵方。お会計をする時に現物見せてもらったらついテンションが上がっちゃって「美味しそう!え、これ、めっちゃ安い!すごい!」ってはしゃいでしまった。店長が笑ってたからよかった

恵方巻:なるべく早く食べる方が美味しいのは当然だが無理して今日中に食べきらなくてもよいので、2,3日くらいは強い気持ちでいられる

※値引き恵方学生時代は値引き恵方が中心だったので昔の血が疼いてしま

恵方巻スーパー次第では2月3日に半額で買える場合もあるが、現在住んでいる地のスーパー2月2日のみ販売を貫いている

恵方巻:実はあまり魚介系は買わない。漁村出身補正を抜いても、価格に対して合ってないと感じる場合が多い

野菜山本ゆりさんや有賀薫さんのレシピにはよくお世話になってます

恵方巻しかしながら改めて書き起こすととても二人暮らしとは思えぬ量である

 

 

購入恵方

サーモンサラダ巻 498円

ヒレカツ巻(ハーフ) 250円

サラダ巻(ハーフ) 200円

海鮮恵方巻ハーフ) 398円×2

恵方巻ふつうの) 298円×2

スパム恵方巻 398円

エビタルタル恵方巻 398円

照り焼きチキン恵方巻 398円

焼き肉恵方巻ハーフ) 398円

サラダ巻 298円

恵方巻海鮮居酒屋) 630円×2

マグロ納豆巻 250円

2021-01-31

anond:20210131225518

都市部高齢者は働かないけど地方猟師漁師農民はみんな高齢者で八十になっても働いてる

彼らが死んだら一次産業死ぬ

2021-01-25

漁師にぷろぐらみんぐさせれば速いってじいちゃんが言っとったで

2021-01-08

飲食業の衰退で忘れられてること

・割りばしとか食器とかのメーカー

業務冷蔵庫とか業務調理メーカー

飲食店に卸してた農家

飲食店に卸してた漁師

このあたりも影響受けて衰退するわけだから

忘れがちだよな

anond:20210108013912

なんか勘違いしてる奴多いが

そもそも利害調整をするために、「代表が」議論するのが国会だろ

農家代表漁師代表土建代表飲食代表

利益誘導を謳って選挙に出るのはいいんだよ

失敗すれば次はないのだし

「不当に」利益供与するのがまずいってだけなんだぜ

2021-01-04

anond:20210104132917

人間の胃袋に入る量はそこまで変わらないはずだから農家漁師がそこまで変わるか?

飲食店無駄な廃棄が大量にあるってんなら別だけど。

anond:20210104130053

飲食店潰れる→食品売れなくなる→農家漁師稼げなくなる→国産価格上がる→自給率下がる

2020-12-27

鯨漁禁止したのが失敗だった

禁止する前は年々漁獲量が減って、放置しておいたら、今頃地方漁師町で細々と小型鯨の肉が売ってる程度になってたのに禁止したらなリョナリズムに火がついた。

2020-12-02

anond:20201201184650

私は田舎も都会もどちらも経験しているか立場としては中立だ。田舎にも都会にもどちらにもいいところはあるし悪いところはあると思う。だから田舎工場勤務から自分キャリアスタートした私の若い頃の思い出を書いてみようと思う。

まず、私の若い頃の田舎暮らしは、とても思い出に残る、楽しいものだった。

私が大学院卒業して最初に配属された巨大な工場は、大自然に囲まれ、海に近く、新幹線の駅にも空港にも車で2時間はかかるような田舎だった。その街の法人税収入ほとんどはその大工からもたらされるらしく、まさに企業城下町企業名を冠した通りや橋がいくつかあった。その地域に生まれ高卒でその工場就職するのは超エリート、そんな田舎だった。

その地に配属されると、車が好きだった私はすぐにスポーツカーを購入した。新卒の安月給ではかなり無謀ともいえるローンだったが車が持てることがとてもうれしかった。家賃会社補助もあってタダみたいなものだったし、駐車場代は無料だった。

その車で年間2万キロくらい走った。週末の一泊程度で行ける範囲道路を、地図に載っている道路をすべて塗りつぶす勢いで行けるところへはとにかく全部行った。自然が美しかった。多くの場合は一人ドライブだったが、時には同期の友人を載せたり、地元で知り合った女性を載せてあらゆる所へ行った。

田舎会社は朝も早いが終業が早い。17時には解放されるのでそこから着替えて近所の砂浜で会社の仲間たちと泳いだ。地元出身実家漁師という子がいて、船に乗せてもらい釣りをした。少し離れた小さな無人島(ほぼ岩)に行ってよくキャンプをしたりした。たくさんの仲間や彼女も出来たし今でも当時の地元人達とは交流がある。そのうちの一人が今の妻だ。

買い物は車があるから特に不便は感じなかった。

何年かして、東京に転勤になったときは、むしろ東京という場所で働くことにとても恐怖を覚えた。今は都心暮らしているが仕事引退したら地方都市移住もいいかなと思っている。

結局、どこに行っても楽しく生きられる人は楽しく生きられるし、不満しか見えない人は不満しか見えないのだと思う。「住めば都」は、人を選ぶ。

2020-12-01

ニホンジン反韓感情なんとかしろpart2

ジャップナイキCMで和病ってるのまじで草

どんだけ韓国嫌いなん?で、韓国がお前らの生活にどんだけ関係あるん?こいつら全員竹島の周りで漁できない壱岐漁師なん?

企業が「ジャップって人種差別あるよね」(チョンだけじゃなくクロンボもいた)ってメッセージ発信しただけで、つべコメ欄では反韓一色w

あのさ、どうでもよくね?消費税増税とかコロナ対応の方が優先順位高くね?

チョン嫌いなの利用できるわけよ。ジャップコロナ対応にしびれ切らして政権交代したとして、チョンの大統領ちょっと竹島上陸したらいいわけよ。ジャップ竹島に強くいけって言うからジャップ政権はそこでどう対応するかを迫られるわけじゃん。つまりチョンに政権タクト握られてんじゃんっていう

まあ露助北方領土渡してるんですけどねwwwww

閑話休題

チョン嫌いの政策でお前ら得するんですかって言う。安倍マスク代で慰安婦賠償しとけよあほくせえ

コメすら食えない貧民のネトウヨはおとなしく左派政党さらに言うなら山本太郎に託しとけってこった

慰安婦問題は勘違いでした韓国が間違ってましたって文が土下座したらお前らの生活楽になるの?溜飲下がるだけでおめーらの生活変わらねーよ

赤い布に突進する牛かよまじで。それか光に集まる蛾か?

これでやりたいことは分かる。分かるけれどこれでどうやって動画音楽エンコードをしたり

画像処理をしたりするソフトウェアになるのかというのがよく分からない。

それは「数学」の知識が足りないからだと思う。

画像や音声を扱うのに純粋数学という学問知識必要ない。

でも、工業数学レベル知識必須である

例えば、サンプリング定理(標本化定理)を知らなければ音声の録音も圧縮理解できないのは当たり前。

から大学情報科、もしくは電子工学機械工学を履修するのは無駄ではない。

日本専門学校だと給与が安い仕事即戦力になるようなカリキュラムになりがちだから

専門学校が扱う職業ラインナップを見ればそれは明らかだと思う

乱暴一言表現するなら、この世のすべてはビット、つまり0と1で表現できてしまう。

少し正確に言うと、2進数ですべて表現できるは嘘で、

例えば小数点以下無限数字が続くような数字は、言い換えれば無限情報必要ということになる。

メモリは有限だし、たった1つのそんな感じの数字記憶するためにどんな巨大なメモリも埋まってしまうのでは意味がない。

からコンピュータ浮動小数点を表現する場合、どこかで足を切らなければならない。

それによって、紙で計算すれば問題ないことが、コンピュータではおかしな結果になることがある。

しかし、これを知っていなければ科学計算はもちろん、銀行のようなお金計算おかしな結果になってしまう。

大学数値計算の授業を取得するのは退屈だが、これを理解してなければ社会に出ても間違ったコードを書いてしまう。

というか、私も大学在籍中に間違ったコードを書いたことが何回かあるw

プログラミング入門書を読んでも、一般的に知られているソフトウェアの作り方みたいな事が

書いてないので、ゴールが見えてこない。だからうんざりしてくる。

その原因は根源的で哲学みたいな話で、

世の中のほとんどの物事には正解がないとか、そういう話にしかならない。

良いテキストはあるわけだけど、それを読むべきタイミングもあるし、万人向けが自分に向いてるとも限らない。

本なら何冊かはドブに捨てるつもりで買うしかない

みんなが良いから読めという本も、なんとなく自分にはこれがいいんじゃないか、も買うしかない

買って家でじっくり読んで、途中でナニコレ?みたいな本だったら後悔するかもしれないけど、世の中そういうもんだから

料理を作ろうと思ったら材料と道具を揃えたけれど、レシピが無いので作れないというものに近い。

自分レシピ通りに作らないでヒントにしかしないタイプなのだけど、

料理プログラミングには似ているけど、化学実験ではない。

焼く、炒める、煮る、蒸す、みたいな方法だけ理解していれば味付けなんて適当でいいのだ。

なんらかの魚があったとして、それは食べられる魚だと分かっているが調理方法はまったく知らなかったとする。

本とかネットとか調べる環境がなかったとする。

どうするか?

とりあえず、まず口に入れられるサイズに切るべきだろう。

口に入れられないと食事にならんのだから、魚を切って骨を取る。

さばき方もググれない状況なのだから、もう適当に切断していくしかない。

鱗も大味で取るしかない。

ググらないと、とんでもないほど非効率的なさばき方をしている可能性があるが、とにかく食えればいいのだ。

腐らせては意味がない。

日本刺身みたいな生で食べる文化イヌイットではないが、漁師が船の上で食べることとも関係しているように思う。

何が言いたいかというと、生食現代文明ロジスティクスは保存技術の成せるわざであって、料理の基本は何でも熱を通すべきなのだ

毒になる菌で食中毒では意味がない。

切った魚を、焼く、炒める、煮る、蒸す、みたいな方法で熱を通せば料理は終わりだ。

レシピなんかなくてもこれで十分なのだ

あとはその魚に味を付けるため、味ぽんなり味噌なりトマトなり使えばいいだけなのだ

2020-11-19

anond:20201119165902

知ってるよ漁業権持ってる漁師が身内にいるか

ぜんなしか食べないからあのサイズ食べるの信じらんないわ

anond:20201119165902

漁業権って定期的に見直しすべきなんじゃないかと思うんだけどなんでそうしないんだろう

年寄り漁師既得権益を維持し続けて若い人たちには漁業権が与えられないって仕組みは絶対おかし

2020-11-18

北海道市民には自粛だけどGoto継続意味

おかしいだろ!っていうけど別におかしかない。

http://www.pref.hokkaido.lg.jp/kz/kkd/toukei/R1_irikomi_honbun.pdf

昨年度のデータ10月から12月期で道外客140万人、外国人59万人で約200万人の観光客がいた。

今年の10月から12月期は59万人については0、一人平均一日予算3万円として590000*30000=17,700,000,000円(177億円)で、一日分として飛びます

平均平均3日滞在として約500億円が消え去っている。

しかもこれ、10月から12月期のはなしであって今年分と考えると244万人の外国人観光客の消費がとんでいるので

2440000*30000*3=219,600,000,000(2196億円)の道内経済消費が消えてます

で、国内からの道外客140万人の何割が来るのか?って話しなんだけど

http://www.pref.hokkaido.lg.jp/kz/kkd/raido.htm

1月-7月で昨年度比でみると4741600-93840=-464,240(約46万人)

平均滞在日数日本人なので二日、1日2万として460000*20000*2=18,400,000,000(184億円)の道内消費が消え去ってる。

まだ7月までの数字しか出て無くって閑散期だった11月大分予約がとか10月にも大分来たって話しなので8がけにしておこうか2割減としよう。

平均予算2万として同じ計算をすると

(1340000*20000*2) - (1340000*0.8*20000*2)=10,720,000,000(107億円)が例年より減る

これでGoto対象外にして自粛して10月12月6割減少になると

(1340000*20000*2) - (1340000*0.4*20000*2)=32160000000(321億円)にまで例年より減る

これだけ雑に計算しても従来よりも2300億円の道内消費が落ち込んでいて(大雑把な計算だし年間でうん兆円規模の観光業GDPあるんで実際は宿泊日数とか平均使用金額もっと高いはず)

尚且つ観光消費だけのはなしなの観光客が来ることによるエネルギー消費分も考えるとさらに広がる。

で、このお金の裏側には漁師農家畜産家、それを運送する配送業配送業者やそれらの産業の人たちが利用するコンビニスーパーなんかが観光業GDP以外で存在するわけなのよ

それら含めた副次的経済効果を持つんですよ

観光業が衰退すると漁師農家畜産家に対する新しい需要が産まれなきゃこれも消えていく。

コンビニスーパー需要も減っていく。

から観光業飲食業はその循環の起点として筋がいいので意味があるので

地域経済対策としてGotoトラベル地域経済としてGotoEatとか意味があるんですよ

ほっといたらその地域経済死ぬ地域経済が衰退していくとインフラの維持コストが支払えずにその地域インフラ死ぬ

そうするとさら経済圏が衰退していくを繰り返してしまうよ

その分国が金を渡せば良いだろとでもいうのかね?

2020-11-05

anond:20201105121117

いやいるだろ

ヤマジュンみたいな漁師ものの禁断の愛から入ってきて、おっさんズラ部みたいな他の職業のやつにも手を出すんだよ

漁協布教してFacebook感想を書いたり、時間に余裕があったらTogetterにまとめたりする

2020-11-01

趣味仕事にするってのは

釣り好きが漁師になるようなもの

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