はてなキーワード: 情報量とは
と思った。
最近レストランとかファッションの情報を仕入れるためにネットでいろいろ見てるんだが、あれだな、当たり前だがここらへん周りの情報量が他の、例えばアニメやらPCやらゲームのことに比べて少なすぎる。そういうインドア趣味に関しては素人がわっけわかんねーレベルまで深く、広く網羅してるのにふと外に出る趣味、服やら食やらになると途端に手薄くなる。で、仕方なしに食べログなんかみたりするわけだけどあんなもん高いものに良い評価しといてしかもヤラセがいるかもしれんわ、情弱っぽい感丸出しの連中が少なくないわで十分に信頼なんてできんよなあ。
そうやって思ったのはやっぱりネットって、こう、生態系としてまだまだいわゆる非リアな人達が発信源として多いし(というかそもそもアウトドア派は当然のことネットなんかほとんどやらんし)偏りが出るのは仕方ないのかなあと思った。いやしかしそう思うとなんというかユーザからの発信情報集めていく型のCGM型というかのサービス設計するならこのへん踏まえとかないと、対象とするものによっては全くいい情報が集まらんということはありうるんだなあ、という。
IT関係よくわからないけど。
どこかの国が、テロの情報、麻薬取引とかを早期に発見しようとする。
googleみたく、wwwすべてのミラーっぽいものを作るというのはほぼ理想的。
で、ネット上の情報量は(当然)誰も把握できないけど、281エクサバイトだとかなんとか。
同時に、googleでさえ把握してるのは0.05%だよ、と出た。たぶんgoogleと同じくらいは最低必要だと予想される。で、googleはこれまでハードウェア機器に対して2億5000万ドルかけている。らしい。
1年間あたりの情報の増加は、175エクサバイト(2010年)
かなりの誤差がみこまれるけど、取り合えずの計算。
(175×10^18)×0.005÷(2×10^12)×1.5=8.75×10^5万円=87.5億円(/年)
+解析のためのCPUとか。
おそらく、これらのコスト見積りは増えることはあっても減らないと予想される。
アメリカの軍事費(2009年)は約60兆4000億円。NSAの予算は数百億ドル(不明)。
割と余裕だった。
だれかもっとつきつめてくれるとうれしいです。
えーっと、すみませんが、
でもって、ネットで言う「ぬるぬる動く」はあなたの作例のどっちのことも指しません。
彼等が「ぬるぬる」って言うときの作画って
背景動画とか、つまり視点がどっかにとどまらないぐらい全体的に動いてて情報量が多い、
ぐらいの意味なんですよね。
タイミングのことを「ぬるぬる」って言ってるわけじゃありませんそもそも。
あんたほんとにちゃんとネットを見た?
アニオタって言いながら全く作画を見る目のない人や
理解の浅さのせいで変な表現で作画を語る人間が居るのは確かですが、
あんたの言ってる話は全体的に的外れですね。
というよりあんたは
偉大なるアニメーターの一人、グリム・ナトウィックは「アニメーションのすべてはタイミングとスペーシング(間隔)だ」と言ったそうですが
それを語るダシに強引にネットの「ぬるぬる」を引き合いに出しただけでしょ?そういう感じがする。
語りたい事だけ語りゃいいんですよ。
よくわかってないことをダシにしようとするとかえって文意がどっかへ行きます。
http://anond.hatelabo.jp/20120526091039 続き
https://twitter.com/sasakitoshinao/status/206228386853560324
なんか「Studygiftは<公>だと思ってたのに<私>だったのか、騙された!」とか言ってる人が何人かいるが、公の意味をこれからもう一度再定義した方がいいと思う。そうやって怒ってる人は公がどこかから神のように降ってくる存在だと思っていないだろうか。
https://twitter.com/kirik/status/206229674295181312
いや、公を誤認させてはいかんでしょ RT @sasakitoshinao なんか「Studygiftは<公>だと思ってたのに<私>だったのか、騙された!」とか言ってる人が何人かいるが、公の意味をこれからもう一度再定義した方がいいと思う。そうやって怒ってる人は公がどこかから
https://twitter.com/sasakitoshinao/status/206228646128656384
公は天から降ってくるものでなければ中間共同体が勝手に担ってくれるものでもなく、今後は<私>の無数の集合体、<私>がつくるさまざまな仕組みの集合体によって<公>が成り立つという方に考えを切り替えないと。
https://twitter.com/kirik/status/206230378468487169
先生、public というのはきちんとした定義のある言葉です。ご主張は理解しますが、今回の事例でそのような理屈は通らないと思いますよ。 RT @sasakitoshinao 公は天から降ってくるものでなければ中間共同体が勝手に担ってくれるものでもなく、今後は<私>の無数の集合体、
https://twitter.com/sasakitoshinao/status/203695743184273409
おっしゃる通りです。情報は開示されてる。家入さんという個人の信頼でも担保されてる。詐欺じゃないでしょ。 RT @fox_m @sasakitoshinao 単位とらなかろうが旅行に行こうがそれをひっくるめお金出す人の選択の自由はあるという話を佐々木氏は言ってる気がするんだけど。
https://twitter.com/sasakitoshinao/status/206751155445956608
私は家入一真という人は、おおくの人が批判するように欠点もたくさんあるのかもしれないけれど、彼が追い求めている価値に共鳴している点で全幅の信頼を置いています。
https://twitter.com/sasakitoshinao/status/206752926461476865
そんな担保などあるわけないでしょう。すべては個人の意見。客観など幻想にすぎない。 RT @maitreya_K 公私とか自助公助とか、そういう切り口自体が佐々木俊尚さん、あなたのセルフサービスの問題意識と見受けられます。その見方はいったい何によって担保されているのでしょうか?
先ほどTwitterに連投したStudygift問題についての論考です。以下、少し整理して転載します。
一連の議論を見ていて思うのは、個別包摂と社会包摂がごっちゃになってしまっていませんか?ということ。社会包摂とは生活保護などの公的扶助をはじめ、誰もが平等に享受できるセーフティネット。個別包摂は、個人的なつながりの中でのセーフティネット。
たとえば隊長の「就学希望児童助成を軽いノリでやるな」という記事もそのひとつで、社会包摂としてはこの視点はそうだろうと思う。しかし個別包摂にまでそれを求めるのか?ということ。
■家入一真さんの例の件で願うことなど: やまもといちろう http://bit.ly/KArAfU
個別包摂なんて、親戚のおいちゃんおばちゃんに金出してもらうのと同じレベルで、単にそれをネットのオープンな場所でやってるだけ。だから「出したい人が出せばいい」と私は書いたわけです。そういう家族単位、知人単位、ソーシャルグラフ単位の個別包摂の集合体が、公的扶助などの社会包摂を補完していく可能性があるから。
だから個別包摂で、後から「なんだお前退学してたのか!」「男女関係からんでんじゃないの?」とかそういう話が出たとしても、おっちゃん(支援者)と姪(被支援者)の間で話せばいい話。「ほんまに復学する気があるのか?」「おまえ結婚しても学業続けられるんか」みたいな、そういうレベルの話。
そしてこの社会的包摂と個別の包摂の混同は、実のところ河本準一氏の生活保護騒動にもつながっている。「息子が支援(個別包摂)できるのに生活保護受ける(社会包摂)のはけしからん!」と。河本氏にあなたは個別包摂を利用せよと求めている。だったらなぜStudygiftの坂口さんには個別包摂によって支援を受けることを許さないのか? 二つの問題の根っこは、ここで実はつながっている。
Studygiftは皆が見える場所でやってるからけしからん、目に入らないところでやってくれという意見もあるだろう。まるで全員に門戸が開かれてるように誤解させるのはけしからん、と。だがこうした個別包摂でさえも可視化されてしまうのがネット時代の恐ろしいところなのだ。そしてこの可視化時代に、妬みや誹りや恨みの対象となるありようはそこらじゅうに可視化されている。今までは知らないで済んでいたことが、全部見えてしまう。これはある意味たいへん苛烈な時代だ。
しかしこのような個別包摂の試みは今後も次々出てくるだろう。個人間送金が簡単になればさらに加速する。私はその多様化は社会包摂を補完するありかたとして否定すべきでは無いと思う。今回のStudygiftは拙速なのは事実だが、そういう試みの最初の小さな一歩にすぎない。
ネットを活用した個別包摂のセーフティネットに対して「うまくやりやがって」「詐欺だ」と怒る人たちは今後も増え続けるだろう。それは避けられない。たとえばこの記事などが典型だ。
■仮に僕膣と学籍詐称が無くてもstudygiftは駄目だよな http://bit.ly/KAuGAA
無償のリスペクトが応酬されているだけの評価経済社会に留まっていれば、問題は起きなかっただろう。だが評価経済と貨幣経済が結びつくことで、評価=カネということが実現してきている。これは大きな波紋を投げ掛ける。
すべての人々が平等に包摂されるような時代は最早やってこない。そういう包摂は戦後社会でも平等幻想でしかなかったが、その幻想さえも剥ぎ取られる時代になってきている。だからこの問題への怨嗟は今後もなくならないだろう。しかし社会亭包摂とは何かということをもう一度考えなければならない時期に来ている。
自らを助ける者が助かるだろう。しかもその「助かる」有り様は見えてしまっている。だったら自らを助けられる者だけが助かればいいのか? そして、自らを助けられない者をいったい誰が助けるのか? これはコミュニタリアリズムとリバタリアニズムの対立にも繋がってる。だからここから本当に真っ当な政治哲学的な議論が始まるのかもしれない。
そう期待したいけど。
いのうえ とーる 私もこれを全く社会包摂で語って批判する人が多いことに最初から不思議でなりません。説明不足である問題点を除けば、売りのある人、自分がいいなと思った人を援助することは不自然でもなんでもないわけですし、そこに不公平だと文句をいうのはおかしいと感じます。だから、わたしは批判のほとんどは単なるそういう行動ができない人の嫉妬にすぎないと思えるのです。
上田 康之 ぼくも佐々木さんの言わはることに賛成なんです。同棲してたとか、退学してたとか、どーでもええ話やと思います。
勝手にやりゃええ話やと思います。
ただ、隊長の話と少し似てるんですけど、なにぶん対象が「子ども」なんで「顔を出して、実名も晒して、学校に行きたいけどいけないというプライバシーを晒すことが、どれだけの苦痛を将来において背負うことになるのか」ってのが少しだけ気にはなりました。
この子は20歳超えた子ですし、その点は理解してるかもしれないですけど。
最上 雄太 Twitterにも幾つかレスしましたが、別に悪意も変な扇動をしようという気もないのは伝わりました。
寄金 佳一 星野智幸さんが小説家らしいさすがの感性で語っています。「私たちがバッシングし、叩こうとし、殺そうとしているのは、「俺」なのだ。自分なのだ。」と。
http://hoshinot.asablo.jp/blog/2012/05/26/6457416
で、悪意がないのにこういった事を本気で書かれているのにヤバいな、と思いました。
不特定多数と知人の区分けが無意味と言いつつ、個別包摂と社会包摂に分けて考えろっていう起点自体が無茶苦茶ですよね。
先の「無視すればいい」という発言もそうですが、本質が全く見えてらっしゃらない。
今回こういう騒ぎになっているのは、一言で言えば「当事者に納得感が無い」からですよね?
この納得感というのは言うまでもなく必須要件であり、また今回の「当事者」は支援をする側される側だけじゃないですよね。
皆まで言いませんが、仲良しごっこも同好会ノリで楽しくやるのも全然いいんですが、迷惑かけないでって事です。
おおつね まさふみ これは「おっちゃん(支援者)と姪(被支援者)の間で話すようなトークを、単にネットという開けた場所でやってるだけ」って言われるだけのような……
おおつね まさふみ 「社会的包摂と個別包摂はネットで差別される。前者について発言するのは自由だが、後者については言論の自由は制限される。理由は◯◯だ」の、理由の部分がなんだかわかりにくいので、そこを聞きたい所。
川岸 義明 今回の件で、就学希望児童助成自体が世間的に眉唾に思われたのであれば....個別包摂,社会包摂に関わらず、痛い話だなぁと...支援者がそれを正しく区別できるのでしょうか....よくわかりませんが...
Kanehira Takashi 学費援助の件では、否定派と肯定派の対立軸がすぐに出来て、両者を包摂するとしたら、弱者を助けたい人(肯定派)の役回りになりそうです。生活保護の件でも、否定派と肯定派の対立では、やっぱり弱者を助けたい肯定派が、否定派に地道な説得をすることでしか包摂が来ない気がします。否定派は日本版ティーパーティーに見えます。閉塞感があるとさらに狭い方にいくのだなと。歴史を振り返ると、女性参政権を勝ち取った人はなんて偉いんだろうと想起したりもします。
くらます りょういち 個別包摂の試みというのは、ずいぶん前からありますね。いわゆる「○○ちゃんを救う会」。海外で手術受けるのに○千万円必要です、みたいな。
しかし、その「○○ちゃん」の情報が、もし事実と異なるものであったとしたら。それがお金を集めた後に明らかになったとしたら。
はたしてそれは「おっちゃん(支援者)と姪(被支援者)の間で話せばいい話」で済むんですかね。
上田 康之 くらますさんの【「おっちゃん(支援者)と姪(被支援者)の間で話せばいい話」で済むんですかね】は、それで済ませたらええんちゃうかなぁ。
もし、その子が将来、極道になったとしても、文句言わんと、それ込みで支援したろうって思ってやったらええんちゃうかなと思います。
はやし りょう 社会的包摂と個別包摂を区別してるんじゃなくて、資金の集まり如何に依らず目的を達成出来ない可能性を明らかにしないまま支援名目で投資を募ったのが叩かれてる原因じゃないですか?社会的包摂と個別包摂で区別して云々って論調が通るならば極論すれば「ばれなきゃオレオレ詐欺ってOKなの?」って話になりますし。
今回の件は何がよくて何がだめだったのかを議論してブラッシュアップを図るのが第一で、論じる人の社会的な関係性に論点ずらすのは単にこのネタつかってプロレス見せてるに過ぎないと思います。
おおつね まさふみ それだと「支援もしないし、興味もないけど、紛らわしい弱者風の錯誤でカネ集めているのは見過ごせないから個別包括をネットのオープンなところで主張する」という人だって居てもいいよね。
はやし りょう おおつねさんの発言がStudygiftをウェブで展開する事の意義だと思います。意見を述べている人の立場を以て「あなたには発言する権利がない」というのはもう本当にナンセンスですよ。そんな主張は第一次世界大戦でもう過去の遺物になってるんだから、知的なブラッシュアップに社会的立場とかホント混ぜないでほしい。
芝尾 幸一郎 個別包摂の取り組みだったら、金くれ http://kanekure.ssig33.com/ と言うサイトで良い気がします。そして、現にこのサイトは別に炎上していない。個別包摂の例なら上のサイトの方が適切な気がします。
金くれ
kanekure.ssig33.com
松本 孝行 社会が面倒を見るのか個人が面倒をみるのか、それを河本さんの話だけで語るならいいですが、studygiftを混ぜてしまうと、とたんに焦点がぼやけてしまいます。その問いかけはたしかに社会起業家やサッチャー・レーガンの社会福祉削除の話とも関連して、非常に重要だとは思います。しかしstudygiftの話はまた別問題です。それに私的な援助ができるのはジャストギビングなどもあるわけですし、なにもstudygiftがダメに成ったから全てダメになるということはありません。むしろ、今回の件は私的な寄付という行為へのハードルを上げたと思っています。
とにかく論点はそこじゃないと思いますよ。
荒巻 里江 個別包摂と社会包摂の区別以前の問題では…? 被支援者が嘘(あるいは誤解を招く言葉)を堂々とサイト上に掲げ、お金を集めようとしたことは、仮に悪意が無かったにしろ問題のある行為ですよね。そして「お金を出したい」と思わせる為の嘘に気付けば、いくら身内のおっちゃんと言えど腹が立つのではないでしょうか。そしてそんな嘘に騙されたおっちゃんの存在を知った周囲が、姪を批難するのは至極当然の流れだと思います。私には佐々木さんが「騙したのが身内のおっちゃんなら何ら問題ない」と仰られているようにしか見えないのです…。そんな馬鹿な話がまかり通るのであれば、世の中の詐欺は無くならないでしょうね。
稲畠 康 概ね同意ですが、個別包摂とはいえ間にサービス提供事業者(本件ではLiverty)が入っている訳で、「おっちゃん」と「姪」の間で話せばいい話と言う下りに疑問があります。
小林 啓一 私も次長課長の河本さんの件とstudygiftの問題はほとんど同じく(Twitter風に言うなら公式RTする様に)感じていました。
これって例えば子供が自立した夫婦の片方が亡くなった時、残された方が再婚する事に親族が反発してしまう話と同じと考えています。
つまり日本社会では成人でさえ個人としての自立が得られず、私で解決すべき問題と公で解決すべき問題の線が引けない、判断できない。
しかもそれに対して、それこそ非当事者が当事者の問題にずけずけと土足で入り込んで、さもしたり顔で持論を押し付ける。
こういう嫌らしい社会にしない様、個々人の当事者性を高めるにはどうしたらいいでしょうかね・・・?
佐々木 俊尚 叩きやすいものを叩く。叩かれてるものを擁護すると、「今さら何擁護してるんだ佐々木は、バカじゃないの?」という反応が湧き出てくる。ドヤ顔で勝ち馬に乗る連中が大量に湧き出てる。
おおつね まさふみ 「誰にでも叩く理由があれば叩く自由は有るよね?」って話なんですが、批判者ウザいっていう話だったのかな?
河村 明 当事者でないものはもの言うな、という考え方は当事者性を高めるのと、逆のところにあるような気が...違和感を感じました。
荒巻 里江 少し気になったのですが、佐々木さんは『問題点を指摘して批判すること』と『ただやみくもに叩くこと』を一緒くたにされてませんよね??? studygiftに対して批判的な意見は『すべて悪だ』と思われてませんよね??? 汚い言葉を吐き捨てるだけの人間も勿論います。しかしstudygiftを批判している人間全てが、ただ勝ち誇りたくて、ドヤ顔をしたくて、運営側に行動を起こしている訳ではないのです。佐々木さんに言わせれば『これは当事者だけの問題だから周りが口を出すな!!』ってことなのかもしれませんが、(揚げ足をとるようで非常に申し訳ないのですが、)もしそうであるなら『非当事者である佐々木さんがstudygiftに関して擁護的な意見を述べられたこと』にも違和感を感じざるをえません。個人的には、改善すべき点を完全に無視して、盲目的に運営側を擁護されるのは少し危険なのでは、と思います。
Shuichi Asai 恥ずかしながら、個別包摂という言葉は初めて聞いたのですが、「個別」と「社会」という分け方が、そこまでデジタルにできなくなってきてるのではないでしょうか。人の姪のことでも、親しい家族以外の人でも、アドバイスする可能性があるでしょ?インターネットでおおっぴらにやられると、なんでも身近に感じてしまうんですよ。コンプガチャ問題も、同じようなもんでしょ。みんな、コンプガチャなんてやっていないのに、嫌悪感を持つ。インターネットに人間がいる以上、このような現象が避けられないので、これを考慮してリスクヘッジするか、覚悟して強行突破するしかないのではないでしょうか?
Shuichi Asai あと「ドヤ顔で勝ち馬に乗って、したり顔している連中」は佐々木さん側にも沢山いますよね。
木下 孝二 生活保護の件、社会包摂の不正利用という1事例にすぎない。学費の件は、個別包摂を依頼する側の本人、仕掛人の当事者性が不足してましたね。「投資」ではない借金や資金支援というのは財布の中身やネガティブ情報も十分に相手に晒す必要がありますから、パブリックな場で募集しようとすれば当然それらを全公開する覚悟が要る。中途半端に情報量を抑えようとしたから、支援要件としての情報量を満たせなかった。
木下 孝二 やまもと氏は「学業支援という未成年中心の支援に機微情報全公開の手法はふさわしくない」と述べていてそれに同意するわけですが、佐々木さんも述べている既存のクローズド(親類)から一歩だけ進んだ、クローズドなソーシャルグラフ上での支援というのが、「一歩先のネット時代の支援」の形ではなかったかと思います。studygiftはいきなり全公開ですから、ちょっと勇み足が過ぎたかなという印象です。
最上 雄太 確かに叩く事自体が目的の人も散見されるので、イライラされるのも、ニュートラルを保つのが大変なのも分かりますが、勝ち馬とかドヤ顔とかいう言葉が出てくる事自体に驚きです。叩かれてるとか周りがどうとかではなく、それこそ極めてニュートラルな視点から感じた事を僕は言っただけですし、ほとんどの方も同様なのでは。論点ずれるのでこの辺にしておきます。
佐々木さんの論考には賛同しかねます。なぜなら、佐々木さんが個別包摂という概念を持ち出すのであれば、Studygiftでは支援者と被支援者との関係が、おじさんと姪のような信頼性が担保される関係には無いからです。ネットの時代の個別包摂だからといって支援者に寛容を求めるのは、支援者にはあまりに酷な話でしょう。
そもそも包摂とかコミュニタリアリズムとか、そんな複雑な概念で論考するような深刻な事案でしょうかね?私には小難しい言葉を意図的に多用して御自身の主張「出したい人が出せばいい」の正当性を守ろうとしているようにしか読めないのですが。
やまだ まさゆき 個人的には「親戚のおじさんが、懇意にしてるキャバクラの女店を持たせたいけど、身銭で賄うんじゃなくて、「この子の夢を叶えてあげたいので、ちょっと金をくれないかな」って言ってきたって印象。
てめーの女なんだからてめーで金出せよって思うし、どうみても「かわいそう」だからじゃなくて、下半身問題にしかみえないのを「かわいそう」という綺麗事を全面に押し出そうとしているから問題視されているのだと思う。
「ばれなきゃオレオレ詐欺ってOKなの?」という書き込みがあるのだけれども、studygiftで今回提示されている案件は血液型占いを本気で信じている人だって「あー・・・これは」って気づくくらいの作りになっていると思うのね。オレオレ詐欺なんか比較にならないくらいにユルいというか最初から、ぐぐたすで有名になったおねーちゃんがiPhone持ってインドなうにお金出してね☆(・ω<)だっていうのは誰の目にも明らかなのに綺麗事で押し通そうとするから、切り込み Permalink | 記事への反応(1) | 11:15
Webゲームっていうか、ブラウザ上で動くような奴。PHP(5.3)で突貫工事したので、ペラペラな感じだけど、なんとか公開できて、たまに遊びに来てくれる人がいて(一時はVIPに募集スレも立ったらしい)、何戦かして帰っていくので、とりあえずサーバー代を払った価値くらいはあったかなーという感じ。
で、どういうゲームかっていえば、人狼みたいに「陣営に別れて、決められた目標をクリアするゲーム」です。
『レジスタンス』っていう卓上ゲームというのかな?それを参考にして作りました。
ちょうど開発してから、一ヶ月程度になったので、宣伝をかねて、現状みたいなのをメモ。
一応、前提としては、Pythonだったら、何かしらのシェルプログラムを書いてcronしてるけど、それ以上のことはしていない程度の、技術ワナビー。
ほぼ業務経験なし。継続してスクリプトを開発したのは、今回が始めてという感じ。
単純にPHPで何か作りたいなーと思ったから。一度はPHPを書くべきだなあと思ったりした。それで、何かいい題材ないかなーと思って探してた。
「昔、人狼BBSで遊んだことあるなー、でも同じ人狼のゲームを作っても芸が無いしなー」と考えていたところ、知人と遊んだ『レジスタンス』ってゲームにピンと来て、「こういうゲームをWeb上で遊べたらいいかな。調べたところ、Web上でも人狼っぽいって言われるし、上手くそういう層にアピールできそう」ということで作り始めたのでした。
とはいえ、最初は勢いで書き散らしたので、本当にClassとかまったくなかった。それを徐々に整え直して、なんとかファイル分割できるようになった。それでも、全く足りない。具体的には下のような部分が汚い。
本当はCakePHPとかそういったフレームワークを使えば良かったんだろうけど、「重いんだったら仕方ないしなー」というわけで、フレームワーク無しで使ってみたんだけど、結果として表示部分にやたらと処理が入って醜いったらありゃしない。
表示部分と、実際のシステム部分はわけられるべきだし、フレームワークを使わないまでも、そういう風な機能分割は必要。
で、そういうコードを書いたせいで、下のようなことが起きる。
PHPUnit使ってユニットテストは書いているんだけど、まったく足りない。
全部グリーンにはなるんだけど、実際に動かしてみるとバンバンエラーが出る。
幾つかの関数はテストを先に書いたりしたんだけど、表示部分とかは「ここテスト書きにくいから誤魔化しちゃえー」といって書いたりした。
で、何が起きるかっつーと、リファクタリングするときにガンガン機能が落ちる。そして死ぬ。
さすがに一つのClassが1000行くらいになってきたので「うっわー、これは駄目だわ。分割するべき」って、ゴミみたいなコードに手を入れ始めるんだけど、全く歯が立たない。
とりあえず、既存のテストはグリーンになるけど、どこかで処理がつまづいているという状態でこれは駄目。
「うわ、この部分、テスト書きにくい!」って思った時点で、何かを嗅ぎつけてちゃんとテストに落としておけばよかった、と反省することしきり。
結果として手作業で複数ブラウザ起動して……みたいなことになっちゃう。バグの温存。
CSSとか勉強のために、自分で1から書いているけれども、これは本当にだるい。
知人から、綺麗にコードが書けるから、と薦めてもらったSaSSを使っているけれども、なかなか綺麗にできない。
一応、Twitter BootStrapは知っていたけれども、それに頼るよりは一から書こうと決心して書いたためか、ようわからないし、デザインとしてもこなれていないために気持ち悪いことになっている。
上記のフレームワークについてもそうだけど、流行っているものには、それなりの理由があって、それをわざわざ避けても、結果として、それ以上のものは(素人に毛が生えているくらいでしかない以上)ならないような気がする。
ならばとっととそういうものを使って、さっさと済ませてしまえばよかったなーと思ったりした。
ゲームという性質である以上、どんどん情報量が増えていくために、そういうのを表示しまくっていると、本当に画面がぐちゃぐちゃになる。
セキュリティーには本当手をつけられていない。(徳丸本読めという話になると思う)
(略)
で、本当にボロボロになりながら作ってみて良かったことをメモしておく。
自分は割と現実逃避の為に何かに没頭することがあって、その逃げ先としてプログラミングっていいなあと思ったりした。
あと、自分が書いたコードがヒョコヒョコ頑張っている姿をみていると、すごくかわいくなる。形にもなるし、「こういうものを作ったよ」とも言える。それは単純に楽しい経験。
元々、自分が好きそうなものから題材をピックアップしただけあって、自分が作っているものが、自分が一番愛用しているというのは幸せなことだなと思う。
自分が楽しむためのものだから、自分が一番のユーザーであるし、自分が快適に使いつづけるために改良を続けてる。
人から「こうしたらいいんじゃないの?」というのも勉強になるし、自分がちゃんと&楽に機能を拡張できるように、ちゃんと勉強しようとも思う。そういうのは本当にいい循環。
大抵は、自分が使うから自分だけのものだったので、あまり他の人が使ってくれることを期待していなかったんだけど、今回のは、ときどき遊びに来てくれる人が居る。
例えば、VIPでスレが立ってたり、あるいはニコニコ生放送でプレイ実況を配信してくれたり。
割と「くっだらねー」と思うけど、一人で細々と開発していると、そういう些細なことが嬉しかったりする。
なので、ついついみてしまったり、場合によっては、プレイしているところをいつまでも一緒に徹夜して観戦していたりする。人のプレイしている姿が楽しいというのも、自分が作って良かったなあと思う。
逆に言えば、使ってくれる人がいるからこそ、一ヶ月間開発が続いているようなもので、「ああ、自分のプログラムで楽しんでくれる人が居るんだな」という手応えみたいなものが、モチベーションになっている。
遊んでくれる人が見えるというのは、自分にとっては、モチベーション維持に大切になってる。
だいたい三日坊主で終わっている自分としては、開発が長く続いているほうだと思う。
目指すところは、もっと綺麗なソースコードにして、Githubで公開すること(いや、もうアカウントは既に持っているんだけど、公開するのは凄く恥ずかしい)。
初めてまだ1ヶ月。ちまたで話題になってるインセンティブ制度による報酬はまだもらってない。アカウント画面に表示される報酬見込額は既に数千円にのぼっていて自分のブログのアフィリエイト収入をとっくに超えているが、実際に振り込まれる確定額の表示は未だ0円のまま。確定額は月1回更新のはずなのに一ヶ月たっても更新されない。報酬目当てのまとめ乞食を釣り過ぎてお金尽きたのかな、とか考える。
初めはコツコツ時事ネタや興味あるネタを丁寧に編集していたが、同じネタを扱った他の人のまとめがあっさりと数万ビューのアクセスを稼いでいて、しかもそれが、マスコミサイト一つからの数行の引用とTwitterの反応だけの記事でしかないのを見て、自分も同じような手抜き記事をいくつか作る。しかしビュー数が同じように数万に行くことはない。どうやらTwitterやフェイスブックのお友達が多くないといけないみたい…
ビュー数は突然増える。
まとめ作成してトピック設定しても丸一日は全く人が来ない。しかし忘れた頃に、NAVERまとめのアカウントがTwitterでつぶやいてくれて一気に拡散する。トップに表示される注目まとめ、定番まとめに入ると恒常的にビュー数が増えていく。
はてブ数の多さとページビュー数の多さは比例しない。人気エントリー上位に入るくらいはてブを集めてもビュー数は思うより増えない。同じ数だけTwitterでRTされたほうがビュー数は増える。
リンクを直接貼るより、サイトのキャプ画像を貼ったほうが人が集まる。リンクより画像、テキストより画像。
ネタは分割してまとめること。「ドラクエネタまとめ」よりも「ドラクエのモンスターのまとめ」よりも「ドラクエ1のモンスターまとめ」よりも「ドラクエ1のスライムのまとめ」みたいな。
同じネタを扱った後発まとめでも丁寧に作ったほうが最後はビュー数で勝つ。あっさり数万ビューを集める手抜きまとめにげんなりしても、丁寧に情報量多いまとめのほうが最終的に人が集まる。
それってただの優越感じゃないのか?
元記事の、(世の中には~な人もいるのに)を(もし自分が~だったら、もし~がなかった・いなかったらと思うと)に置き換えてみ。
それは家にお母さんが居て、お母さんが料理を作ってくれる人だったからだ、
食べ物に困らなかったのは、お父さんが家計を支えてくれていたからだ、
気が滅入っていた時に嫌な事を忘れられたのは、彼女がいつも通りの明るさで接してくれたからだ、彼女がいつも明るいのは彼女の親御さんや友達の影響だ、
身勝手で打たれ弱い自分を許せたのは、あの時彼女がキレて、そして許してくれたからだ、
等々、実在する不幸な人との比較なしに、自分の境遇を幸せに思えるはず。
「世の中には~な人もいるのに自分は(貴方は)...」って言い方がよくされるのは、自分より辛そうな状況の人を見た時に、世の中ではそんなことも起こりうるのかと、自分の現在の境遇を再確認する人が多いからだと思いたい。
そこには差別意識はない。ただ未知の事例に驚いて、自分の生における奇跡を感じているだけだ。
自分の価値観では辛いことが、ある人の価値観では幸せだったりする。
アイドルに恋い焦がれてヲタ芸に走った結果童貞のまま死んでいった男とか、
ホストに金をつぎ込んだ結果借金地獄に陥った女が、必ずしも「不幸」とは言えない。
個人の嫉妬やら高慢やら下らない執念やら疑心暗鬼やら言葉の綾が絡み合って増幅したせい。
やれあいつよりはマシだ、
やれ俺こそ至上・異論は認めないだ、
やれあの方は私を見下してこんなこと言ってるんですよ!だ、、、
貧困も格差も原因を突き詰めていくと、土壌や遺伝子や情報量の違いで、各人の罪ではないんじゃないかと思う。
本当は各人の違いを尊重して単純に助け助けられしながらわいわいできたらいいのに。
音声合成DTM製品「VOCALOID2 CVシリーズ」の第二弾である「鏡音リン・鏡音レン」を用いて作られた一連の楽曲作品。詳しくは検索。
小説とか漫画とか劇化もされてるようだけどそっちはノータッチなので除外。なんか詳細設定とか山のようにあるらしいけどあくまで元動画とその歌詞に情報源を絞る。
前者はある国で暴政を敷いた愛らしい王女が革命によって倒されるまでのことを歌った歌、後者はその王女に仕えた召使いの視点から同じ一連の出来事を歌ったもの。
YouTubeとかに死ぬほど転がっているのでこの文章を読む人にはできれば聞いといてほしい。ネタバレを含むので。『悪ノ娘』から先に。
英語版ならEnnという人? が歌ってるやつの歌詞が好きだな。情報量が多くて。
身も蓋もない言い方だけど「売れてる」から。
ニコ文化が中高生とかOTAKU中心に大人気とは知ってましたが劇って。コミカライズくらいまではわからんくもないが劇。
ファンとはいえそこまでのめり込むほどか。何がそんなに優れてるっつーかウケてるのだろう、という話です。
「優れてるからウケてるんじゃねーよ」というお話はあるでしょうがまあそこはおく。ぶっちゃけ「優れてない」点はいっぱい挙げられるし。
たとえば物語終盤の交代劇とかバレねーわけねーからね常識的に考えて、とか。
・仮にも国のトップなんだから、立てるならもっとマシな影武者を立てるのが普通というもので、脱がした瞬間バレるようなのに気がつかないとか革命が総崩れしかねない。
いや史上の狂乱というのは往々にしてそういう熱狂が高じてもはや狂気〜みたいな面があんだろうことは否定しないけど、そんなの後世には物好きな歴史家とかにケツの毛までひんむかれるレベルまで分析されるのが当然なんだからさ。恥ずかしい性癖が伝わっちゃってる為政者が今どんだけいると思ってんの。読んでないけど正直小説版にはクビ落としてから替え玉と判った革命軍の偉いさんとか偽史として押し通してきた『召使』側の話を証明しちゃったアマチュア研究家とかが裏で始末されるドロドロとかがきっとあった! と信じている。三次創作。
・本物も見物に戻ってくんなよ。そこでバレたらすべてがガチで水の泡よ。危険すぎるだろ。
…とか、突っ込みどころはとってもたくさんあるわけなんですね。文化ルーツもしっちゃかめっちゃかだとかそもそも歌詞がちょっと拙いとかね。
にも関わらず、絶賛者とかいっぱいいる作品でもあるわけで。合唱とか英語版とかあって再生回数すごいし。
何がそんなに人を酔わせるのかしら。それがロマンスというものなのか。
いやねーだろ。これロマンスじゃないじゃん。中世の騎士物語とかほんのちょっぴり読んだことあるけどコレジャナイ感すごいじゃん。
三大悲劇って言われてるけど悲劇ですらねーだろと言いたい。少なくともwikipedia曰くの古典主義的・新古典主義的「悲劇」では絶対ない。
それでは「これ」は何なのか?
まあアレじゃん。ジェンダー界隈でいう性役割意識がどうこうとかあと男の娘ブームとかなんかそんな。
あとこれ国家の皮をかぶった家庭悲劇なんですよね。一種のセカイ系というか。
このお話は王家に生まれた男女の双子のうち女が王家に残されて(おそらくは凄い抑圧とか受けて)暴君になって、男はどっか養子とか?出されて召使いとして戻ってきたつーことになっていますが、男をイエに残して女はよそに嫁がせるつーのがどっちかというと鉄板ですよねこういうの。
「なんでそんなことになっちゃったの」というのはきっと小説版とかが政治の派閥抗争がどうのとかに絡めて辻褄つけてると思うのでおいといて、「よくこれでウケたな」ってーのをですね。
この作品は基本的にすごいストレスを(受けたくないに決まってるけど)受けなくてはならない人間が見るとツボに来るようにできてるんスね。
よく何かこう、最近の若者は〜的な文脈で、男が女っぽくなっただの女が強いだのと言われますよね。いや印象だけど。自分の観測範囲内の話だけど。観測範囲内でもいい加減下火っていうか言い古されて説得力がアレな言説だけど。
少なくともこの作中ではまさに男がやるようなことを女がやっているわけで、そこんとこのギャップがウケてるっていうのはあると思うの。
鏡音リンってキャラクタ的には妹系ってんですか? 笑顔がかわいくてドジで〜みたいな感じだと思うんだけど、それが女故子ども故の残酷さみたいなのを全力発揮してるあたりのギャップもあると思う。
そう、彼女は良い為政者ではない。聖母聖女は齢14で「お金が足りなくなったなら〜、愚民共から搾り取れ〜♪」なんて言わない。普通の女でも言わない。
彼女はむしろ聖女みたいな女に恋人取られたら相手の国ごと潰して復讐する程度にはやりたい放題の女のコ☆です。
しかもそのレベルの人格破綻者まで「最初は無垢だった、ホントは彼女は悪くない」的な補足が入るわけです。これもウケたツボだろう。
イエのあれこれとか人間関係でむっちゃ我慢とか強いられてるけど正直破裂したい、けど破裂したらあとが面倒だけど破裂したいけどあああああとか思ってる人間にはとてもツボ。
破裂したい人間がなぜ破裂しないかって、破裂すると崩壊するナニカがあるわけで、この王女の話は破裂してナニカを崩壊させてしまったってことなので「ああ、あんな風にならないためにも我慢がんばらなきゃなー」とか、「私がしてきた我慢は正しかった!我慢しなきゃああなってた!ざまあwww」とかいろいろと解釈できて美味しい。
それだけなら単なる破滅劇なんだけれども、これを悲劇にするのが王女と対になる召使いの存在ですね。『悪ノ召使い』は『娘』よりもあとに発表された作品ですが、何千回単位だった再生回数を100万くらいまで押し上げたらしいっす。
「顔の良く似た」召使いは(内緒になってんのか知らんが)召使いってことになってるが王女と双子です。これをまず物凄く突っ込みたい。王家の血縁が人に使われる側に回ることのあり得なさとか。でもまあそれはいい。
召使いは破裂しそうな王女のそばであれこれ世話を焼くわけです。王女の命令なら惚れた相手も暗殺してくる。それくらい自分を殺している。
ある意味王家という枷つけられてる王女と完全に同類なわけですが、召使いはそれほど人格破綻してないというか暴君的な方向に爆発しそうではない。
彼には「王女のため」という大義があるからです。彼が背負っても良かったモノを彼女に背負わしたら歪んでしまった、王女がこんななってるのは彼にも責任がある。
だからその責任を果たすためなら、ほんのちょっぴりの「自分」も捨てられる。盲目的に尽くせる。
完全に「家庭なるもの」の中で板挟みになるガキそのものですね。あとほんのりとした近親愛。これがツボをつく。
オチはもうその最たるものですね。自分を殺して殺して殺して…の召使いは本当に自分を殺してしまう。王女はその代わりに助かる。
要は例えば機能不全気味家庭のお子様らには神話のように美しい物語だということですおわり。
鏡音リン・レンなるソフトは作中やファン間でも双子ってことになってますが公式的には「鏡に映るもうひとりの自分」的な感じではっきり双子ではないらしい。
というのもなんかこう、意味深ですね。
怖ェなーと思うのがこの作品が世界規模ですごい再生回数稼いでるという事実。
機能不全家庭の子どもにばかりウケてるわけじゃねーとは思うが、でも例えば上で述べたような「この身代わりはあり得ねーだろ常考」みたいな意見はたぶん野暮としてブーイング浴びるだろうし、きっと小説版あたりで「そうするしかなかったんだよ…」みたいなことが切々と説かれていたりして要するに反論として封殺されることが明らかなわけです。
実際には例えば召使いの行動として「二人で一緒に逃げる、最後まで王女のそばにいて守り通す」みたいなのがあっても良かったはずだし一昔前なんてそれで逃げ切れなくて死んじゃってーみたいなのが悲劇のテンプレ化してたような時代があった気がするんですが、そうならない。
何というか、すごい絶望的で、しかもその絶望が絶望のまま肯定されて同類間で共有されてる感がする。
そういう方法で絶望が連鎖して伝播しているような感じがするのです。
漫画家のとり・みき氏の言葉(の引用の引用)だけど、こういうのがある。
人が涙を流すのは必ずしも作品の出来とは関係がないのだ、と。
かつて自分が何かに感動した時にできた涙腺回路のようなものが頭の中にはあって、そこにピタリとはまるような場面だの言葉だのを見聞きしてしまうと、涙というのはどうやら自然に流れる仕組みになっているらしいのである。歳をとると涙もろくなるというのは、つまりそういう回路のパターンが増えているからではないか。
個人的にこれは結構ガチだと思っているんだけど、一点だけズレてる部分がある。
ここで書かれてる涙腺回路の起動スイッチである「感動」っていうのが、自分個人に限っていえば何か崇高なものに触れて心を動かされたとかではなくて単純に傷つけられたときのことを指すようになってんのね。
つまりこの文章に則って言うと、自分はある一定の場面とか言葉だのを見聞きしてしまうと自動的に繰り返し繰り返し傷つくようになってしまっている。
恐ろしいことなんだけれどこの「回路」が結構強固で、俺はこいつを潰しておかないと日常生活が送れないっていうレベルでいろいろと不便。具体的にいうとAED講習で実際の救命現場の録音(子どもが突然心停止して倒れたそばで手当てする人とか救急車呼ぶ人とかその子の名前を狂ったみたいな大声で必死で呼び続ける母親の声)聞いたときとか、アレ本当は命が助かる感動的な場面のはず(「とりあえずはもう大丈夫です」まで録音されてたはず)なんだからすごくイイ話だと理屈では思うしわかってるんだけど生々しいやりとりそのものがあまりにもショッキングでしばらく「親子」みたいなキーワードで突然ぼろぼろ泣くようになって本当に困った。もうすぐ一年になる例の津波関連も未だにいろいろな場面でダメージ。直に被災したわけでもないのに。
閑話休題。
だから例えば映画とか小説なんかで「泣ける」みたいのを売りにしてるのは基本見ない。
そういう作品は大体が回路起動ツボを外していて(かつ、他の例えば大爆笑回路の起動とかには結びつかないので)白けるが故に、そしてごく少数の作品は客観化が十分でツボ自体から適切に距離を取れるが故に、涙腺回路起動までに結びつくことは滅多にないんだが、それでも見ない。
何が楽しくてそんな自傷行為をせねばならんねん。
でも例えばナイフは指を切るだろうとかわかるけど、この作品で泣くようになるだろうとか普通は読んだり聞いたりするまではわかんないわけじゃん。
で、『悪ノ』シリーズも回路の起動スイッチになってしまったので、困ったなー。と思っている。前述の録音ほどの威力はないしもうだいぶ整理して削いだんだけども未だに人前ではこの曲聞けねえ。
あの召使いの台詞で泣かねー奴は人じゃねーみたいなコメントが動画についていたりして、それを「気持ちはわかる」と思ってしまう。
気持ちはわかるけど、実際問題召使い馬鹿だし王女も馬鹿でみんな馬鹿すぎて救いようがないと思う。「崇高なものが犠牲になる」みたいな楽しみ方は視点が狭すぎて阿呆だと思う。
いろんな人が感動してファンになって翻訳とかされてるのはわかるけど、作品としては全然優れてないと思うのです。
他の作品と比較してどうとかではなく、あの物語自体にもっと洗練の余地があるということ。
そして洗練されるとたぶんあれは悲劇オチ(と取ってつけたようなハッピーエンド後日談)じゃなくてちゃんと喜劇にもなれたはずだなー、悲劇にしてももっとレベルの高い悲劇になれたはずだなーと思うということです。
「物語の洗練」を。
機能不全家庭の傷なめ的なものでなくて、もっとちゃんと救いとか絶望とかが欲しい。
具体的にいうとこのネタで小説でも書いてそれで旅行のためのおこずかいとか稼いでみたいんだけども、まあおこずかいにならなくてもいいから二度と回路起動スイッチにこのネタで手を触れられる奴がいなくなるように自分でパテを塗っておきたい、そのために小説を練ってみたい、ということでした。
すでにやってる人いるけどねそれ。舞城とかね。でも最近なんか舞城も振るわないっていうか、「その先が欲しいんだけど!」みたいなあたりで止まっちゃってる感するからね。ジョジョノベライズ期待してます。
>この8ヶ月間あまりの環境のぬるさと、それでいて何もさせないで放置し、
>何かしようとした時だけ抑えこもうとするというわけわからん仕組みで発狂しそうになった。
>配属された部署がヌルすぎる上に、全くかわろうとしないということですよ。
これと、
>「敵対」はとてもじゃないけど無理だ。なんだかんだいって年季が違うから情報量では全然歯が立たない。
>成果を上げるには絶対に先輩方らの協力は必要だ
これって矛盾してるよね~。
とりあえず、なんか職場の状況を変えたいと思ってるんなら、「ヌルい」職場の仕事位キチッとこなせるようになる事が先決では?
なんか、今年某電力に就職した知り合いも似たような事言ってたよ。
http://anond.hatelabo.jp/20110922023854
世の中には、デバッグ作業してはいけない業界もあるんだなと思った事を思い出した。
例えば、法曹界とか
弁護士が必要な事があって、関わって思った。弁護士だけじゃなく調停委員や簡易裁判所やその他諸々を見て思った。
バグってバグってバグ有りまくりに見えて、それが業界外部にも少しは悟られだし、それで少し儲けようとしてるライターもチラホラいるような状況 (儲けが目的かどうかはわからないけど、本出て生活費稼げてる人もいる)
業界自体が立ち行かなくなるようなバグ、業界自体を破壊するような致命的なバグだけは、何とか対処しようとしてるものの、ちょっとだけ黒い腹が見えようが、先生具が見えかかってますYO、近頃の愚民はうるさい奴もいるから、早く見えないようにしまってください、という注意が行くだけのシステム
法曹界に限らず、他にもあるのだろう。
最近ブログも作って、指摘しようと思ったのも、それに近いのだが
この場合は、よく考えてみたら、バグで食って行こうとしてるようなものだから、これはさすがにやりすぎだろ!!と思ったからブログまで書こうと思ったのかもしれない。
技術系の職場だって、いろいろあるのかもしれない。自分は詳しく知らない。
なぜ、デスマという言葉があるか、なんで何次か請けまで行ってしまうのか
詳しくは全然知らない、外から見てるだけだけど、専門的な知識がある人と無い人で取引する場合、圧倒的に情報量に差ができるから、それを利用してごにょごにょというのは、どこの世界でもあるという事に通じてるのかなと思うので、技術系の世界も綺麗なだけとは行かない部分もあるんだろうなぁと思ったりした
弁護士でも医者でも、情報量が圧倒的に依頼者や患者と違う。 そこにお金が介在してしまうと、非常に不平等な取引が発生してしまう。 弁護士の場合、取引として考えると、一般の人からの依頼は経済合理性に欠く場合もある。 しかし、今はそれさえ経済的な理由から、拾いに着ているやつ(弁護士)がいる事から、余計ややこしく問題が起こりやすい状態になっていると思う。
2chでだから、違うかもしれないが、若手弁護士が月にせめて10万収入があったらなぁ・・・と嘆いていた。ウソみたいな話だけど、その前の書き込みからも、精神的にもまいって神経科の薬を服用してるという書き込みもあり大変なんだなあと思った。それくらい困窮してる若手を作ったのは誰の責任だろう
自分の馬鹿息子のために医者並みに馬鹿も入れる仕組みにしたいというニーズと天下り先の確保というニーズが合致したのと、アメリカからの要望書でも圧力かけられこんな事になってしまっている
日本人が英語を話せないのは、英語に比べ、日本語の音節当たりの情報量が極めて少ないからであり、日本人の脳がそれに慣れてしまっているからである。
日本語は他の主要な言語に比べ、同じ音節数の間に処理する情報量が際立って少ない。例えば中国語の4分の1とも言われる。日本語は1音節にかける時間はやや短いが、それでも同じ時間当たりでしゃべっている内容は遥かに少ない。用意された原稿を読むニュース番組などでは大して変わりはないが、考えながらしゃべる自然な口語になるとその違いが顕著になる。海外のドキュメンタリー番組で日本人が話しているのを見ると、英語話者と比べて同じ時間で話す内容の少なさに驚かされる。この場合、本人はまだ喋り終えていないのに吹き替えや字幕で既に情報は伝わっているので途中で画面が切り替えられてしまうことが多い。
赤ん坊の頃に1秒間に1の言語情報を処理するトレーニングしか受けずに脳ができあがってしまった人が、1秒間で2や3の情報を処理する言語を習得するには、単に新しい文法や発音を学ぶ以上の困難が伴う。逆に外国人からすると母国語よりも遅いペースで情報を処理すればいいので、ある程度単語を憶えれば簡単に喋れてしまう。だから日本人が英語や中国語をおぼえるよりもアメリカ人や中国人が日本語をおぼえる方が圧倒的に速いのだ。
「英語や中国語は日本語と文法・発音が違いすぎるから習得が難しい」とよく言われるが、音節当たりの情報量の違いに比べれば大した問題ではないと思う。なぜなら、文法と発音のよく似た日韓間でも同じことが起きているからだ。例えば第二外国語として韓国語と日本語をそれぞれ1年間学んだ日韓の学生を集め、日本人は韓国語で、韓国人は日本語で討論させると、日本人学生のあまりの「話せなさ」に韓国人学生は驚愕する。ただし文章を書かせるとそこまで悲惨な差が出ることはないのだそうである(呉善花『スカートの風』)。
韓国人は普段から漢語と土着語の二重構造に慣れているので、単に「日本語の漢字仮名交じり表記が特殊だから」ということだけではこの現象は説明できない。おそらく、筆記では会話ほどの情報処理スピードを求められない分、少しはマシなのだろう。
日本人が突出して英語が下手なのは、日本の英語教育のせいではない。しかし、英語を学ぶに当たって日本人だけが直面している独自の問題がある以上、日本人の為の独自の学習法をつくる必要がある。一方でいま文科省がやろうとしているのは「今のカリキュラムを前倒しして小学生から英語をやらせよう」という漸次的な施策である。これでは何も変わらないことだけは断言できる。
思うに、「日本語を唯一の母語とし、日本語の音節のリズムが染み付いている子供のための英語の授業」というのは、アルファベットや文法は後回しにして、「このカタカナをそのまま読めば通じなくもないよ」というカタカナ英語
(ex:
hospital→ハスペロウ
Can I have some water?→ケナイヘヴスムウオラ?)
を作り、繰り返し読んで丸暗記させる、というところから始めなければならないような気がするが、なにぶん私自身英語が全くできないのでよくわからないですどうもすいませんでした。
職場で英語話すことは一切要求されないけど、最新の技術やサービスのこと調べるのに英語読めないと話にならない。高校時代は英語赤点だったけど、社会人になってから必要に迫られて読んでいるうちに、読むだけならあまり困らなくなった。
ちなみに低学歴。田舎の公立小中高卒。今は高校でもっと真面目に英語の授業うけて置くべきだったと後悔してる。ただ当時の英語の授業がいいものだったのかはわからないので、授業がダメと感じたら独学で英語を勉強したい。田舎の貧乏家庭だったので塾や習い事なんてありえなかったけど、こんなに英語が必要だと知って子供の頃の自分に戻れるなら、小学生から図書館に通うなりして勉強したい。
まず言語やソフトウェアのリファレンスが英語オンリーなことが多い。日本語があっても誤訳が多かったり古いバージョンの翻訳しかなかったり、Webサービスの API の仕様書は英語しかなかったり。
流行ってるWebサービスや技術が英語圏から来る。Twitter だって 4sq だって過去グーグルラボにあった技術だってまず英語しかなかった。日本語サービスは一年後なんて珍しくないし、サービスでさえそうなんだから、技術関係の文書や仕様書は英語しかないのがざら。何かトラブルあって解決法探したら日本語での情報は皆無で英語でならあるなんてしょっちゅうだし。
ちょっと方向性は違うけど、英語だからって避けてると勿体無いネットゲームもある。当然そういう所でバグ報告や要望あげるには英語書けないといけない。知り合いには学校では全然ダメだったが UltimaOnline や EQ や MtG で英語を覚えたってやつが結構いる。チャットとはいえ英語全然ダメってところからネトゲ内の英会話に困らないくらいの英語力になる人がいるのが実践の面白いところ。
このネット使えて当たり前の時代、日本語での情報量 <<<<<<<<<<<< 英語での情報量 なので、英語避けてると全ての情報量において損する。だから直接英語に関係ない仕事でも英語全くダメというのはそれだけ損する。
大げさにいえば情報格差。最近の例でいえば、エジプト、今ならリビアの状況なんか英語圏のメディアのサイトではリアルタイム更新で情報量もすごいのに、日本だと全然報道されねーとかよくある。大震災の時でさえ英語圏のメディアの方が図とか写真とかすごくね?って事があったのは記憶に新しいと思う。
世の中には、英語わからなくても困らないゲームでも UI が英語なだけでプレイできない、インストールの途中で日本語選べるのに言語選択までが英語だから怖くてインストールしない、仕事で DropBox 使いましょうってなったのに英語だから使えないとダダこねる、英語だけのサイトに飛ばされたら何かいてるかわからないから全部危険なサイトに見えてすぐブラウザ閉じるので仕事に必要なソフトウェアを SourceForge から DL してくれない、なんていう人が本当にいる。
今さら言うことじゃないけどほんと絶望的にテレビ最近つまんないよねマジで。昔は割とおもしろいのかなーとか思ってぼーっと見てたけど、今はテレビ見るなら人とおしゃべりしてるか本やネットにでも触れてるほうが100倍くらい楽しいよね。
基本的に情報量の問題じゃないかと思うんだ、なんでつまんないかっていうのは。なんか情弱が情弱をたぶらかしてるような商売になってるわけでしょ今って??デジタルに変わる時だってなんで俺らテレビ見てない奴がその変更を知ってんのに、お前ら知らないんだよ(笑)みたいな。
すべてがもう無理だね。別に韓流でもなんでも面白ければいいと思ってるけど、それが面白いかどうかも知らん。ただやっぱりテレビはこれからもマス・コミュニケーションのうちの中心で在り続けると思うし、その中でそう変容してくかが重要になってくると思うんだ。現状での電波免許買い叩いて、下請け丸投げと韓流に代表される海外コンテンツの安値の供給によって無駄に高い賃金に与ってる社員を支えるのはもう限界なんだよね、別にそんなのみんなわかってることではあるんだけどさ。
俺はテレビ見ててこの番組作ってる奴が年間一千万もそれ以上も貰ってると思ったら馬鹿らしくなってすぐにリモコンに手が伸びてしまうんだよなあ。
Huluも来るということだし、これからもどんどんニコ生やらユーストやらで無料で面白いと思えるものが供給されてってどんどん競争すればいいんじゃないかな。娯楽ってこれから経済が限界を迎えたときに本当に大事になってくると思うし、映像による娯楽ってまだ終わってはないと思うんだ。
という雑記。