「安野モヨコ」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 安野モヨコとは

2022-08-02

anond:20220801153406

何にも知らんのだな。ジェンダー問題を扱う少女マンガ結構ビジネス現場であることが多い。

槇村さとるReal Clothes」。三越伊勢丹合併が背景にある百貨店アパレルマンガ。槇村はバレエ以外は大体ビジネスモノではないか

安野モヨコ働きマン」。出版社もの

榛野なな恵の「Papa told meヤングユー版)」。主軸はませた小学生女の子モテモテシングルファーザーだが、その周辺に居る女性は大体組織に属していて、やり切れない目にあっている。

2022-07-03

anond:20220701203714

史上最も偉大な日本サブカル漫画家100人

知名度、後世への影響、漫画史的意義などを独断偏見考慮した上でサブカルくそ野郎フィルターで濾した二番煎じを俺も作ってみた増田

作家デビュー代表
田河水泡1929年のらくろ
手塚治虫1946年新寶島』『鉄腕アトム
藤子不二雄1951年オバケのQ太郎
藤子・F・不二雄1951年ドラえもん』『エスパー魔美
藤子不二雄1951年笑ゥせぇるすまん』『まんが道
石ノ森章太郎1952年サイボーグ009』『さるとびエッちゃん
松本零士1954年銀河鉄道999』『宇宙戦艦ヤマト
つげ義春1955年ねじ式』『ゲンセンカン主人』
楳図かずお1955年漂流教室』『まことちゃん
赤塚不二夫1956年おそ松くん』『ひみつのアッコちゃん
水木しげる1958年河童の三平』『墓場鬼太郎
谷岡ヤスジ1959年ヤスジのメッタメタガキ道講座』
山上たつひこ1965年光る風』『がきデカ
佐々木マキ1966年『うみべのまち』『やっぱりおおかみ』
林静一1967年赤色エレジー
宮谷一彦1967年『性蝕記』
竹宮惠子1967年風と木の詩』『地球・・・
東海林さだお1967年アサッテ君
萩尾望都1969年ポーの一族』『11人いる!
吾妻ひでお1969年ふたりと5人』『失踪日記
諸星大二郎1970年暗黒神話』『夢見る機械
植田まさし1971年かりあげクン』『コボちゃん
山岸凉子1971年天人唐草』『日出処の天子
谷口ジロー1971年孤独のグルメ
蛭子能収1973年地獄に堕ちた教師ども』『私はバカになりたい』
魔夜峰央1973年パタリロ!
大友克洋1973年童夢』『AKIRA
いしいひさいち1972年がんばれ!!タブチくん!!
鴨川つばめ1975年マカロニほうれん荘
高橋葉介1977年夢幻紳士』『学校会談
江口寿史1977年すすめ!!パイレーツ!!』『ストップ!!ひばりくん!!』
吉田秋生1977年BANANA FISH
中崎タツヤ1978年『じみへん』
高野文子1979年絶対安全剃刀』『黄色い本
いがらしみきお1979年ぼのぼの
とり・みき1979年クルクルくりん』
山下和美1980年天才柳沢教授の生活
丸尾末広1980年少女椿』『芋虫
佐々木倫子1980年動物のお医者さん
あさりよしとお1981年宇宙家族カールビンソン
山田花子1982年『神の悪フザケ』『魂のアソコ
宮崎駿1982年風の谷のナウシカ
日渡早紀1982年『僕の地球を守って』
岡崎京子1983年リバース・エッジ』『ヘルタースケルター
山野一1983年『四丁目の夕日』
浦沢直樹1983年YAWARA!』『20世紀少年
岡田あーみん1983年『こいつら100%伝説
山本直樹 a.k.a. 森山塔1984年Blue』『レッド』『よい子の性教育
高河ゆん1985年アーシアン』『ローカライザー
矢沢あい1985年NANA
吉田戦車1985年伝染るんです。
望月峯太郎1985年ドラゴンヘッド』『ちいさこべえ
安達哲1986年さくらの唄
桜玉吉1986年しあわせのかたち』『漫玉日記
伊藤潤二1986年富江』『伊藤潤二傑作集 3 双一の勝手呪い
松本大洋1987年鉄コン筋クリート』『ピンポン
西原理恵子1988年『まあじゃんほうろうき』『パーマネント野ばら
山本英夫1989年殺し屋1』『ホムンクルス
榎本俊二1989年GOLDEN LUCKY』『えの素』
新井英樹1989年宮本から君へ』『ザ・ワールド・イズ・マイン
安野モヨコ1989年働きマン
CLAMP1989年カードキャプターさくら』『XXXHOLiC
漫☆画太郎1990年珍遊記 -太郎とゆかいな仲間たち-』
今敏1990年『海帰線』『OPUS
高橋しん1990年いいひと。』『最終兵器彼女
ねこぢる1990年ねこぢるうどん
田丸浩史1990年ラブやん
冬目景1992年羊のうた』『イエスタデイをうたって
サガノヘルマー1993年『BLACK BRAIN』『ボーラーズ』
沙村広明1993年無限の住人』『波よ聞いてくれ
黒田硫黄1993年大日本天狗党絵詞』『セクシーボイスアンドロボ
五十嵐大介1993年『はなしっぱなし』『海獣の子供
古屋実1993年『行け!稲中卓球部』『ヒメアノ~ル』
あずまきよひこ1994年あずまんが大王』『よつばと!
玉置勉強1994年東京赤ずきん
木尾士目1994年げんしけん
古屋兎丸1994年ライチ☆光クラブ』『帝一の國
こうの史代1995年夕凪の街 桜の国』『この世界の片隅に
カラスヤサトシ1995年カラスヤサトシ
町田ひらく1995年卒業式は裸で』『少婦八景
大石まさる1996年みずいろ』『水惑星年代記
押切蓮介1998年でろでろ』『ハイスコアガール
清野とおる1998年東京都北区赤羽
東村アキコ1999年海月姫』『かくかくしかじか
クリムゾン1999年蒼い世界の中心で
石黒正数2000年それでも町は廻っている
ばらスィー2000年苺ましまろ
浅野いにお2001年ソラニン』『おやすみプンプン
押見修造2002年スイートプールサイド』『惡の華
華倫変2003年カリクラ 華倫変倶楽部上下』『高速回線は光うさぎの夢を見るか?』
蒼樹うめ2004年ひだまりスケッチ
花沢健吾2004年ルサンチマン』『アイアムアヒーロー
鮒寿司2005年『胎界主』
阿部共実2005年空が灰色だから』『ちーちゃんちょっとたりない』
谷川ニコ2007年私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!!』
クジラックス2008年『ろりとぼくらの。』
panpanya2008年『蟹に誘われて』
宮崎夏次系2009年あなたはブンちゃんの恋』『と、ある日のすごくふしぎ』
九井諒子2011年ひきだしにテラリウム』『ダンジョン飯
藤本タツキ2013年ファイアパンチ』『チェンソーマン

2022-06-06

追記あり子供の頃、西原理恵子ファンだった思い出。

西原理恵子について、思っていたことを適当に書く。ちなみに私は1985年まれ東京僻地ぬくぬくまれ育った軟弱な人間

今手元に本がなくて時系列は間違ってると思うからその辺はいい感じに脳内保管してくれると助かる…。

西原理恵子との出会いはもうよくおぼえていない。多分ダヴィンチとかカルチャー誌に載っていたのを読んで興味を持ったんじゃないかと推測している。

はいろいろあって学校に行けない子供だったので、午前中に図書館に逃避し、そこで西原理恵子の本を借りたり、その帰りのブックオフお小遣いで買ったりしていた。なので、売り上げに貢献していない読者だと思う。本当にそれは申し訳ない。

話を戻すと、最初に買ったのは「まあじゃんほうろうき」だったと思う。何故これだったかというと、単純にブックオフで全部100円で買えたから。

中学生くらいの私(今から22年前だ…時間の流れ怖っ)にはめくるめく世界だった。一気に西原漫画に夢中になったし、彼女が大物とも臆せず交流する人間的魅力にも惹かれ、私も大人になったら雀荘で夜通し麻雀をする大人になろうと思っていた。

尚、36歳現在麻雀はできるが雀荘には一度も行ったことがない。

その次は「鳥頭紀行」に衝撃を受けた。なんだこれ。大人になったらこんなジャングルかにも行けるのか。幼少期から旅行記好きの私の心はがっちり掴まれた。

私も大人になったら世界中を飛び回りたい。しかお酒が美味しそう。西原は良い仲間に恵まれてて羨ましい。でも、それは本人に魅力があるからだろう。私も西原みたいな大人になって、楽しい仲間とさまざまな国でお酒を飲んでみたい。心底そう思った。

尚、36歳現在海外には一度も行ったことはない上に体質で酒は一滴も飲めない。

病気高校には行けなかったが、年齢が上がったことでネット環境を与えられ、もう時効だと思うから白状するが私は体調の良い日はブックオフで「せどり」をして小遣いを稼いでいた。そのお金で、西原の本を揃えられる限り揃えはじめた。

「ちくろ幼稚園」にはじまり「ゆんぼくん」「ぼくんち」などの叙情系を読み、「あの破天荒西原がこんなに繊細な漫画も描けるのか!!」と素直に才能に感心したし、それまでの彼女人生に思いを馳せたりもした。

その他、著作は書ききれないほど(この時点で2000年くらいかな)あったが、どれも思春期学校に行けず友達を作る機会もない私には輝いて見えた。こんな大人もいるんだという、一つのロールモデルとして彼女は私の中に刻まれていた。

もちろん、西原にはなれないのはわかっていた。それでも、世の中にはいろんな人がいる。そう思えるだけで、世界はいくらでも広がっていく。

そんな私が潮目が変わったと感じたのは2001年の「西原理恵子ブレークへの道」あたりからだと思う。既刊をあらかた買い読み尽くし、関連人物書籍も一通り読み終え、とうとう私はリアルタイム西原を追いはじめた。この頃はまだせどり可能で毎月一定の額を稼いでいた私は、とうとう西原の本を定価で買うことができるようになる。

少しそれるが、西原漫画コミックというより書籍扱いなので一般的漫画よりページ数が少なく、高い。

なので、いくら稼いでいるとはいえ(体調の良い時しかできないしな)合計しても小遣い程度の私には定価で買うのはまあまあ大変な額ではあった。でも、西原のことは信頼していて、躊躇うことはなかったと思う。

なのに、ちょうどこの頃の新刊あたりから内容がどこに向かっているのかよくわからない本が多くなった気がした。

加えて、2002年新聞連載をはじめると、必然的家族話題が中心になる。

私は西原作家としては信頼していたが、人間性まで盲信はできなかった。確か、「人生一年生」(1号か2号か忘れた)の中で安野モヨコが「西原漫画は好きだけど、友人として近づきたいわけではない」という旨のコメントをしていたのがすごく心に残った。

そうなんだ。西原漫画家としては才能があるけど、だから人間性もすべて素晴らしい人ではない。魅力的ではあるが、何かが欠けている。それが欠けているからこその魅力であり、埋めてしまうと彼女漫画を描けなくなってしまう気がする。

そういった私の中の西原への印象を、端的に言葉にしたようなコメントだと思った。

そこから新聞連載は興味があまりなかったこともあり、新刊を時々は買うものの「何か違うな…」と思うことが多々あった。おそらく、それは私が目まぐるしく成長していた時期だったからだと思う。

私の西原への熱量は冷めていき、一応情報を追ってはいるが興味が持てなくなっていった。

映画化絵本執筆

それは華々しいが、私が西原の魅力と感じていた部分がそれによって表せていたかというと疑問だ。

「大体、絵本とかで良い話描く際に必ず草原に青い空って手抜きじゃね?」

というくらいに、この頃から私の中で西原は「青い空の下草原をバックに良いこと言う作家」というイメージに変わっていった。漫画だと手抜きも笑えるけど、良い話、しか絵本になると「それでいいのか?」という気持ちになるから不思議

更にだんだん文化人枠に入っていくのも不思議ものを見ている感じだった。新聞連載は最初ちょっと読んだくらいなので、「良い母」としてCMに出る西原不思議な感じがした。だって西原ってあんなにめちゃくちゃやってる人なのになんでこんな綺麗にコーティングされているんだろう?

無頼派新刊も、かっちゃんマネー頼りの内容が多くなり、金で解決するオチが頻発して食傷気味になっていた。

そして20歳を超えた私は、新刊を諦めかつて夢中になっていた既刊を読み返すことにした。

しかし、それを読む私は確実に昔より成長していたらしい。

西原の本に出てくる友達男性ばかりで、特に仲の良い人はおそらく恋人だ。頻繁に出ていた人が急に出なくなるのは、きっと別れたからだろう。そう思った。そしてあんなに友人が出てくるのに、女性の友人は数えるほどしか出てない、もしくは出てもすぐに出なくなる。

それまでも、西原の本の内容が「嘘」であることは欄外などに語られていた。でもそれは面白くするための嘘であって、自分をよく見せるための嘘ではないんだろうと勝手に思い込んでいた。

しかし私が大人になったのか、女性の友人があまり出てこない事実に気付き、いろんなメッキが剥がれていった。

そして惰性で書店に行くついでに新刊をめくると、息子と娘の扱いに差がある気がする。

親との確執特に露骨に弟を贔屓し全肯定するのに私を全否定する母親との確執がある私にとって、それが気になった途端、新刊を追うことはできなくなった。

それ以降は聞き齧りなので本当に時系列がよくわからない。

とりあえずかっちゃんとの交際が公になったまではまあ「ふーん」と聞き流していたが、その後のMXテレビでの女性発言をかっちゃん解決してもらうところはすごく悲しかった。

なんていうか、それまで強い男に媚びてのし上ってきたんだろうなと気づいてはいものの、なるべくそこは見ないようにしていたのに、鼻先に思い切り突きつけられた気がして。

それでもまだまだ西原アル中鴨ちゃんを看取りシングル子供2人を育てた良き妻、良き母。かっちゃんとの関係はまだ女を捨てていない素敵な関係。そういうイメージ媒体を見るたびに悲しくなってしまった。そこには、私の好きだった西原が小さくなっていて、よくわからない素敵そうなものが大きな顔をしている。そういうふうに私には見えた。

とどめを刺したのは、「女の子が生きていくときに、覚えていてほしいこと」だった。

私の中で、女性作家若い女性に向けた提言本を出すと、それはもう終わりの始まりだという謎の思い込みがある。

(男性作家にも一部そういう人はいるが、どういうわけか面白く書く人もいて、この辺はいつも不思議。要するに成功した男性ロールモデルは数種類いるのに対し、成功した女性ロールモデルは種類が少なく画一的からだろうと思っている)

結婚子供を産んだ。金も男も手に入れた。確かに、そういう意味西原に憧れる人もいるんだろう。そして、この本が響く人もいっぱいいるんだろう。

でも私は病気学校に行けなくて、どんなに頑張っても今の世の中だと普通に働いて結婚して子供産むとかすごくハードなことで…。そんな私のコンプレックスなんて西原にはなんにも関係ない。でも、かつての本には弱者への目線も書かれていて、その人たちを笑わそうと体を張っているすごい人だと幼い私には見えていた。

それだけに、いわゆる「成功した作家」が提言本を出すのが、私には作家として何かを手放しているように思えて仕方なかった。

そんでもって相変わらず「青い空の下草原をバックに」表紙だしな!

(別に丁寧に細密な絵を描いて欲しいわけではない)

これ以降は別に私が書くことではない。

ない、が、娘さんの告発を見て、「やっぱりなあ…」と思ってしまった。

家族のことを部外者がとやかく言うのは下品だと思うので差し控えるが、著作を買っていた私は娘さんを追い詰めた側の人間だと思うので、今後どんな形でもいいか彼女が満たされ幸せに生きていって欲しいと素直に思う。

それはそれとして、西原ならこの騒動あの手この手マネーに変え、何故か感動のラストに持っていくのでは…と危惧している。多分、この予想は高確率で当たると思ってしまうのがすごく悲しいことのように私には思えるが、西原には西原なりの大切なものがあるんだろう。今の私にはよくわからないけれども。でも、私は娘さんを追い詰めた加害者なので、その顛末を見届けないといけないと思う。だから、少しでも娘さんが救われる顛末であって欲しい。ここでこんなこと書いてもなんにもならないけどな!

今までお気持ち表明って冷ややかに見ていたが、自分で読んでも気持ち悪い文章になってしまった。

高かった熱が冷めれば冷めるほど、人は気持ち悪い文章を書いてしまうのだろう。

それでも、私は一時期確実に西原漫画を読んで生活が潤っていたし、その潤いがなければ生きてこられなかったと思う。

なるべくそのことは忘れないよう、これからも生きていけたらいいなと思い、私は明日行きたくない会社に出社してやりたくない仕事をするだろう。おしまい


追記

男性に伝わるか私にはよくわからないんだけれども、大体の女性にとって「やたらとわかってる風に振る舞う男性友達ばっかりで同性の友達がいない女性」ってなんか言動とか価値観?とかに違和を感じていて、直接的だったり間接的に嫌な目に遭うことがままある…気がする…あくまで私の周囲の女性意見だけども。

(そういう女性男性はいい顔するので、例の「女の敵は女」という言葉が出てきがちだ。そりゃ被害に遭わなきゃ女性だって高みの見物できるだろうと思う。往々にしてその手の女性好戦的なのがめんどい)

とりあえず愛ちゃんアシスタントだし、はせぴょんとか中瀬ゆかりさんはビジネスだろう。「毎日かあさん」のママ友の話はほぼ創作(むぎちゃんだっけ?あの人は多分いない)らしいので、若い頃の同性の友人の話も聞いた話を適当に盛ってほぼ創作なんじゃないかなと思う。

とにかく言いたいのは同性の友人がいないことは悪いことではないと思うけど、同性の友人がいない人が娘の母親としてどう振る舞うかというと…ということを言いたかった。

まあ、ぶっちゃけ私の母親がそういう感じなんだって話でしかないけどな。

追記2】

作品ファンだったと思うのが健全で、作家ファンだったと思うのはちょっと違うと思った方がいい、みたいな意見はすごく真っ当な意見だと思うし、私もそういう風に考えたいと思う。

でも、西原をはじめとした自分身の回りノンフィクションエッセイとして作品を発表する作家はある程度作者の魅力込みで読者がファンになる特殊ジャンルかなとも思う。

(さすがに盲信するのはどうかなという気がするし、きっと完全フィクション作家ならみんな簡単に割り切れるかなと)

そういう特殊で業の深いジャンルであるが故に、今回の娘さんの話題で様々な意見が出るというのが問題?の本質かなと私は思ってる。だからこそ、今後また西原が今回の話題も何かしらの作品昇華してしまいそうで怖いなと思っている。

(作家としてはそれが正解なんだろうけど、それ故に残酷というかあまりに業が深すぎる職業というか)

追記3】

今ざっくり自分文章読み返してみて、多分初期の方が弱者への視点が感じられ、更に作者本人が体を張って笑いをとりに行く様が魅力に感じられたように思う。

そして、よくある話ではあるが金や権利を手に入れたあたりでその魅力が感じられなくなったのかなと。

多分その魅力は彼女の中にまだあるはずだけど、今の状況だとそれで作品を作るのは難しそうだ。それはとても困難で手間がかかるし、素敵な女性として楽にいい感じの本出した方が売れるだろうしね。

追記4】

他の人の西原への感想などが読めてとても嬉しいです。もっと読みたいので書ける人は書いてくれるとすごくすごく嬉しいです。

しか新聞連載以降の作品ファンがあまりいないので、あの辺の作品を買った層と初期の作品を買っていた層はまったく違う層なのか?と新たな疑問が出てきた…。「上京ものがたり」あたりは私も結構好きでした。特にラストはすごく心に残っている。

追記5】

追記多いのマジで気持ち悪いな。でも本文から気持ちいからなんかもうええわ。

友達の多い少ないは少なくともこの文章においては問題ではない。実際私も学校行ってないか友達少ないし。そしてそこを語りたいわけではない。

では何が私が引っかかったかというと、私がこの文章を書いた発端が彼女の娘さんの文章を読んだこと。

何度か男性友達は多いのに同性の友達がいない、少ない女性と接した経験から、そういう人々はとても男尊女卑であると思った。要するに、大勢男性と親しくできる自分は「名誉男性」であり、同性とばかり親しくする女性を格下に見ている。そして、人間を上か下かでしか見られず、他人自分と等しい存在だと捉えることができない。男尊女卑は対男性には伝わりにくいが、対女性にはすぐ伝わってしまうので対女性とはトラブルが多い。

そういう男尊女卑内面は奇しくも本人が言う通り、男尊女卑のまかり通る環境で生まれ育ったことも関係あるのかもしれない。

(でも、そういう環境で育った人がみんなそうなるわけではないけれども)

そして重要なのは、ここが問題点なのではなく、本当に重要なのはここから

本人が自覚あるかないかに関わらず、男尊女卑思想のある女性男の子女の子を産んだ場合女の子にはどう接するだろうか。

ここからは私の知り得るところではないので差し控えるが、自身母親と照らし合わせると自ずと見えることが無きにしも非ず。

それはそれとて、そういうことを考える私もまたすごく嫌な女だということは間違いないだろう。

自分の周辺にそういう女性に心当たりがないという人はとても良い環境に恵まれた人だと思うので、それは自身の人柄によるもので、すごく誇っていい尊いことだと私は思う。

追記6】

私がこの文章で書きたかたことは、西原理恵子という作家の業と私という読者の業、そして何より娘さんについて。

なので差別云々というのは私の文章力とか私の考え方に問題があるのは前提として、それを除けばここのコメント西原理恵子という作家や娘さんのことを触れないのは片手落ちに感じる。

(もちろん、100文字という制限がある以上それは仕方ないとは思う)

そして、私はその業や娘さんに関係ないことはこの文章の中で書く気はないし、責任もとる気がない。

私は誰しもどこかに他人差別してしまうところがあって、多分そこを言及されていると思うけれども、他人に「絶対差別するな」って押し付けたり、「自分絶対差別してない」って言い切る人は理想主義過ぎて少し怖い。

から、その辺が気になる人は、自分でそういう差別についてのエントリを書く方が満足できるし有意義だと思う。

追記7】

差別が〜って言う人は西原漫画読めるのか…?とずっと考えていたが、よく考えたら西原漫画を読まずにこのエントリだけ読んで「差別が〜」と言っている可能性もあるのか!とはたと気づいた。

知らない人に説明すると、西原理恵子という人の芸風は人種差別女性差別弱者差別などあらゆる差別を笑いに昇華していくものである。実際、女性の友人をデブだのブスだのヤリ○ンだと罵ったり、子供を産んでいない女性専業主婦へのヘイト発言なんて日常茶飯事だ。しかも、この何十倍も汚い言葉でそれを言う。

(改めてこう書くと本当酷いな…)

もう本人の作品自体ミソジニーだのホモソーシャルだのが真っ青になるくらい、差別問題発言の坩堝なのが西原理恵子漫画だ。

(今のポリコレではアウトでしかない…だから改めて差別とかホモソーシャルとか言われると「いやもっとアウトな発言いっぱい出てくるから!」ともうどこから突っ込めばいいのかもうよくわからない)

ところが、それがものすごく面白くて笑えるから始末が悪い。そして、それを読んで笑う読者ももれなく下品である。それが、西原理恵子と読者の業の深さの一端だ。

私は西原理恵子という作家について書くにあたって、そういう彼女や読者の中にある「差別」は切り離せないものだと思ってこの文章を書いた。そして、その「差別」がどの程度彼女の娘さんに及んでいたのか(あまり詳細が書かれなかったこともあるが)読者にはよくわからなかったところが例の娘さんの件で露見したように思う。

(更に補足すると、彼女差別する人間からこちらも差別していいとかってそういう話ではない)

なので西原理恵子を知らない人は、とりあえず図書館にも置いてあるしブックオフで叩き売りされているので読んでみて欲しい。私のおすすめは、コメントでも人気の高い「鳥頭紀行」とか「ぼくんち」あたり。

実際の西原漫画を読んで、差別だとかそういうもので頭がクラクラするのにギャグが強烈に面白いという奇怪な感覚に失神するがいい!

(ただし、合わない人には本当に合わない)

結局、何があっても私は西原理恵子漫画のすべてをきらいになれないし、機会があれば好きな作品を未読の人にも読んでもらいたいのだ。

Permalink | 記事への反応(18) | 17:22

2022-03-09

これでマリ=モヨじゃないって言うのは苦しいよなぁ

エヴァンゲリオン公式@evangelion_co

#シンエヴァ1周年質問

#シンエヴァ1周年特番

#庵野さんからお返事

Q:マリシンジが何処に向かって行ったんでしょうか?

A:先日残念ながら閉店した「喫茶らいぶ」です。

https://twitter.com/evangelion_co/status/1501181397645492232

安野モヨコ@anno_moyoco

宇部に里帰り中です。銀天街喫茶店らいぶで監督お気に入りたまごナポリタンを堪能しています。らいぶのマスター監督高校の先輩なのです。モヨコ

https://twitter.com/anno_moyoco/status/678782184988082176

2021-09-14

庵野秀明結婚して幸せになって作品も変わった

っていうけど

庵野秀明結婚した安野モヨコ作品は当時のままキレッキレなのはなんで?

2021-08-15

anond:20210814014402

あれは庵野さんが救われる過程をみんなで眺める映画なんだな

三村庵野さんの職場だと考えれば、碇シンジ庵野さんそのもので、

みんな他社のアニメ下請けとかやって働いてるのに…、みたいに説教されたり、

なんでみんなぼくに優しいんだよ、みたいに喚いても、

みんなが庵野さんのこと好きだから、みたいに言われたり、

そうこうしているうちに、エヴァ最終回から逃げてたけど作る気になったから、

みたいに言い出して、

スタッフの一人に、エヴァだけは作らんといてくださいよ、とは言われないだろうけど、

最後はなんかよく分からんけど、

フレッシュマンになって地元企業新卒内定するところで終わってるけど、

あと、安野モヨコ愛がすぎるだろ

もうキャラデザが安野だぞ

貞本でなくなってる

2021-07-08

シンエヴァを見たが、これは庵野秀明自伝だろう

エヴァは「庵野秀明の才能」の言い換え

 エヴァ元ネタウルトラマンだとよく言われている。ウルトラマンは巨大で強く、強い自己化身でもあり、男の憧れる父親のものでもあり、自分を包み込んでくれる母親でもある。

  庵野秀明にとって、エヴァンゲリオンという「作品」は外界と自分を繋げる唯一のものであり、庵野秀明監督としてそれを操作していた。同時に、エヴァという機体は自分自身の才能でもあった。

同時にその「巨大で強い自己化身」は、自分コンプレックスの表れでもある。シンジの持つエヴァの搭乗への葛藤は、創作の才能一つで生きてきた庵野にとっての葛藤そのモノであったのだろう。

 エヴァを作るころには周囲には才能を認められていた。宮崎駿やその他の監督自分の親からの期待、「逃げちゃダメだ」という言葉は、まさに当時の庵野秀明感情でもあったのではないか

同時に、当時エヴァ最終話での制作の難航と、それに伴うネットからバッシング。そして思った以上の膨大な反響オタクたちはエヴァ作品にのめり込み、数々の作品エヴァに影響を受け始め世界の潮流を変えた事。

 自分人格を込めたエヴァへの批判は、シンクロすればシンクロする程思い通りに動く作品の代償として、そのまま彼の精神自体に傷をつけただろう。心を無にして、ダミープラグを使いたいと思ったのではないか

これはエヴァ暴走のもので、彼自身にとっての作品勝手暴走庵野にとっての一番大きな原体験となっただろう。同時に作品にそれらを「重ねる」という事もまごころを君にでやり始める。

 エヴァに頼るな、現実生きろ。そういうオタクへの批判は同時に、自分自身への批判でもあったんじゃないだろうか。


マリは「安野モヨコ」の事

 新劇場版はそういった「エヴァンゲリヲンという作品制作」を通じて感じたことを再度「エヴァと言う作品」に落とし込む作業だったんだろう。新エヴァでは特に、「エヴァへの搭乗に対するシンジの心の変化」について重点的に視点がある。これは庵野エヴァ作品への向かい合い方を落とし込んだに違いない。

 やれと言われてやった(作った)→批判された(バッシング)→自分選択肢はない(拗ねる)→他人に任せる。批判されて辞める(エヴァから手を引く)→やっぱり調子に乗って自分の為に乗る(つくる)→失敗……そこから先は庵野の「エヴァと言う作品の向き合い方」そのものなんじゃないだろうか。「エヴァと言う作品」を作った事により、他人虚構へ誘った罪の意識から同時に、「ニアサーも悪い事ばかりじゃなかった」という言葉自己への客観視と許しにも思える。ニアサーが起きた後の世界は、エヴァテレビシリーズが出てからの彼から見えた世界自分引き起こした破片があちらこちらに浮かぶシンゴジラと言う作品は彼にとって第三村のようなものだったのではないか

 おそらく新劇の時から欝の兆候があったんだろう。周囲に「エヴァを作るな」と言われたことは、そのまま脚本へ落とし込まれていると思う。それでも乗り、精神を壊し、作品を狂わせてしまった。

 その作品の中で、異色の存在が出てくる。エヴァを難なく乗りこなし、明るく自分に接してくれた存在。これって妻である安野モヨコ」そのものなんじゃないかと。いろいろな「エヴァ」つまり作品」を吸収し、精神も病まず自由に乗りこなす彼女友達に紹介されたそうなので、パラシュートで降りてきたような物だろう。今まで他人拒否される事に恐れていた庵野にとっての救済だったのではないか

 庵野にとっての「人類補完」へのあこがれはこの結婚によって無くなったんじゃないかと思う。この時点で多分、「妻にもう一度会いたいゲンドウ」にしか感情移入できなくなってる。


インパクトは即ち、庵野秀明自殺願望

 世界を変えてしまった庵野にとって、ニアサーの後の世界は、新劇を作り始めた時の世界そのモノだったんだろう。やっぱり彼は止められても新劇を作り、自分を傷つけた。そしてギリギリ自殺しそうになったのをニアサー表現したんじゃないか自分を、他人を変えたいと思い始めた創作エヴァ化しそこなった首の無い人はファンたちの事だろう。

 ミサト率いるヴィレ自殺を止める自分の理性であり、シンエヴァ幻想的な戦いは彼の心象風景のものだったんじゃないか


エヴァの居ない世界は、そのまま庵野にとって「エヴァを作る必要のない世界」の事

 作中の突如現れる空白の14年は、庵野にとってエヴァを作らなかった数年の事だろう。当時の声優も、アニメーターファン大人になってしまった。

 第三村で、嘗て殴ってきた友達も、カメラ片手にちょこまかしてたアホガキも、かたや医者になり子供を作り、かたや一人で生き抜く一人前の男になっていた。

 色に乱れてた赤城リツコも「煩悩」を髪の毛と一緒に切り、ミサトは母になった。その中で、エヴァを作り続けて悩んで苦しんでる庵野自分自身を「何も変わってない少年」だと思っただろう。

 庵野にとってそんな自分に優しく手を差し伸べる周囲の人間は、なお一層コンプレックスを掻きたてたに違いない。しかし一方で、「エヴァで皆を助けただけでも偉い」という自己肯定の言葉もちらほらみられる。

 シンゴジラ成功したし、安野モヨコ夫婦漫画ありのまま自分を受け入れてもらえるし、庵野社会的地位を手に入れて金もある。尊敬もある。

 彼は自分自身を知ってもらうために「エヴァ」を作る必要などないのだ。エヴァに乗る必要なんかない。エヴァを作らなくても、エヴァに乗らなくても自分を認めてくれる人が沢山いるから。

 もう他人の血も、友達を殴った手の感触も、やけどする程の熱さも、自慰で流した精子も、彼の右手には必要ない。だってもう彼の右手には握ってくれるもう一つの手があるのだから



・雑感

考察何て意味ない。結局は庵野秀明人生元ネタなんだから

 無責任。これに尽きる。最近監督無責任だ。新宿を綺麗に描くのが得意な監督は、今まで自分が作ってきた、願った世界子供押し付けて「大丈夫だ」なんて言わせるし

 庵野秀明勝手に悩んで、勝手大人になって、ずっと自分しか見えていない癖に、子供のままの俺たちを置いて去ってしまった。

 世の中にはな、世界を作れなかった人間、人を気にして何も動けず下敷きになってしまった人、大人になれない髭の生えた子供たちが沢山いるんだ

 そういう人に寄り添ってくれる作品を作ってくれる人はおらんのかね。若者に厳しい世の中になってしまった。

 

2021-07-01

anond:20210701133503

フィールヤングあたりの漫画家見ると、全体的に女性漫画の絵柄の手は大きくて指と爪の書き込みが細かいネイルはもちろん塗っている。安野モヨコとか、ネイルの柄まで書き込んでるのもあった。

対して萌え絵みたいなのだと、手がすごく小さい。先端に向けてどんどん縮小して消えていってるみたいな感じだ。洗濯バサミみたいだ。

2021-06-24

anond:20210621193554

理解ある嫁を食わす」???安野モヨコに対してよくそんな言葉が出てくるなぁ…

この増田の本題じゃないんだろうけどエヴァ見たり庵野監督のこと知るより先に安野モヨコファンだった者からすると、エヴァ庵野監督批判するために安野モヨコの功績を矮小化するのマジやめてくれないかな…ってなる。

安野モヨコも鬱で作品出せなかった時期あるし、それを支えてた庵野監督は「理解のある嫁」にお世話してもらうばかりじゃなくて監督パートナーにとってはちゃんと「理解のある夫」の役割を果たせてたわけで、つまりお互いを補いあってる普通夫婦でしょ。

それを幼い監督にとって都合のいい妻みたいな文脈揶揄する必要ある?

2021-06-11

マリ安野モヨコ説が否定されたのに盛り上がらない

シンエヴァは結局それほど盛り上がらなかった感が。公式マリ安野モヨコ説をほぼ否定しているけれど、そのことが盛り上がらなかったことを考えると。

マリ安野モヨコ説が嫌いだった私としてはそれみたことかと思うのだけど、なにせ公式否定する振る舞いを見せているのに、その否定すらまるで話題に上がらない。

それはマリ安野モヨコであって欲しいと願われたことを示し、納得し、それ以上踏み込みたくなかったことを示しているのだろう。

2021-06-09

結局「マリ安野モヨコ」説ってオタク妄想だったの?

そんなこったろうとは思っていたけど。

2021-04-24

anond:20210423235228

地方国立理工卒ですが、全然まともな人生を歩んでいません

コロナで非常にマズい状況になってますが、現実逃避増田を書いてしまます

今すぐ走り出せ、とか無責任な助言をする方が世の中には多く存在するわけですが、

走り出したいのはやまやまですが、体調を人生で今までにないぐらい大幅に崩してしまいました

例えるならば、膝に大きな矢を受けてしまった感じです

ちょっとだけ自慢できる成果がなくもない自分だとは思うのですが、

これから6年以内に戦争が始まるそうですし、コロナだし、

まだオリンピックとかアホな偉い人たちが言ってるみたいだし、

あー、このへんで人生終わりたい…

でも、積極的に終わらせるのは痛いからいやですけどね…

庵野さんもそんな時期があったみたいだけど、いつまで経っても自分安野モヨコは空から降ってきません

降ってこないのなら、自分で空から降ればいい、と思いそうな鬱々とした日々を送っています

2021-04-20

anond:20210420101223

忘れないうちにちょっとだけ追記すると、

ファーストガンダムアムロと対になる女性フラウ・ボウからセイラ・マスに変わる話なんだよね

自分ガンダム再放送か再々放送世代のはずなのだけど、

子供の頃にテレビ劇場版も観ていたはずなのに、このへんのことをまったく理解できていなかったみたいで、

成人近くになって改めて観たとき、あー、そうだったのかー、そういう話だったのかー、と感心したりした

あと、富野氏の小説を読むべきだったのかもしれない

フラウ・ボウって命名元ネタは当然ボウフラなのだろう、

酷いネーミングだなあとずっと思ってたのだけど、劇場版だけなんだろうか、

最近もガンチャンでファーストの二作目と三作目は観てしまったのだけど、

フラウはもう自分ニュータイプとして覚醒したアムロと不釣り合いなことを自覚していて、

アムロよりハヤトとの会話を楽しむようになっていることをカイが皮肉を言ってゲラゲラ嘲笑し、

セイラに叱られるといういつものパターンなわけだけど、

台詞で明確に、アムロにはセイラさんがいるでしょ?みたいなのがあったんだったかな…、

どんどんアムロに置いて行かれてる感じがするみたいな台詞があったと思う

アムロ・レイという少年青年大人になる、自立する、父殺し、母殺しがファーストテーマの一つだったはずなのだけど、

成長と共に付き合うべき異性も変わる、という話を含んだガンダムってやっぱりスゴかったんだと思う

というか、庵野氏は学生時代女性に「ガンダムって知ってる?」みたいにいきなり話しかけたんだったか

しかしながら、庵野氏は不思議あんまりガンダムについて語らないんだよなあ

宇宙戦艦ヤマトウルトラマン仮面ライダー富野作品イデオン

オタク教養として当然ガンダムは観ているはずではあるのだけど、あんまり語ってるのを知らない

なんとなく思ってたのだけど、意外と内心では一番ファーストガンダムライバル視しているのではないか

と思っていたら、最近エヴァイベントだったか

観客に感謝を述べられる最後の機会になるかもしれないから、みたいに思ったとかで、

その席でたしかロボットアニメとして、とかガンダム名前ちょっと出てきた覚えがあるのだけど、

エヴァガンダム全然違うようなストーリーではあるのだけど、

意外と内心では対ガンダムというか、俺ならガンダムはこうやるのにな、みたいな話だったりして、

とずっと前から思ってたのだけど、意外とそうだったりするのだろうか

まりマリセイラ役割アスカがフラウになってしまうわけだけど、

ドイツ人女性記事でも、アスカ可哀想と書いていたけど、こうなるともっと可愛そうではある

でも、セイラって自立した女性って感じだし、アムロと籍を入れるという感じではないし、

実際にそうでないのはZガンダムを観ても明らかなわけで、

まあでも、オリジナルアスカは旧劇で惨めに死んだのかもしれないし、

当然、フィクションシンジ主人公なのだから物語主人公が優先されるのは当然であって、

シンジアムロみたいに覚醒するより、いつまでもグチグチしているタイプではあるわけだけど、

親離れしてみたらアスカが不釣り合いになっていて…、

みたいな異性関係の変遷は現実でもあながち間違ってない気がする

なんにせよ、庵野氏がなのか、エヴァ最初から最後まで非常に屈折した話だったので、

多分、今回の映画がそのぐにゃぐにゃになった身体を徹底的に矯正してしまうのだろうけど、

何分屈折しているので、ラストアスカと結ばれて、おめでとう!なんてやるかバーカ!

みたいに庵野氏は内心思っていただろうと思われるので、

あんなことになって、あー、やっちゃったー、な感じになってしまったわけだけど、

でも、新劇CGを全面採用するだけでなく、何か仕掛けてくるんだろうなあとは思っていた

俺妹ラストは終わらせない話にしているわけだけど、

エヴァは終わらせる、今度こそ終わらせる、という信念で作っていたと思われるので、

当然、最後シンジは誰かと結ばれる、

しかしながら、アスカは旧劇でもう役目を終えてしまっているので、誰か別のキャラがいいなあ、

自分だったら考えると思う

考えると思うが、うん、言われてみれば新キャラってマリしかいないわけだけど、

観客から見れば本当に泥棒猫とでもいうか、高速道路の合流で強引に入ってこられたような、

そんな感じが否めないのが自分の正直な気持ちではある

ではあるが、いきあたりばったりであれ、物語の進行上、

今度こそアスカ役割を担う、アスカとは別の新キャラを登場させたい

から、多分新劇ではなく、もう一度テレビシリーズエヴァをやるとすれば、

マリ存在感ちゃん表現できたのかもしれないけど、映画数本でやるとなるとああなるわな…

あと、安野モヨコ氏がモデルかはともかく、庵野氏が老いたというか、

現実世界はね、理想的恋愛なんてありえないんですよ、

みたいに思ったのか知らんけど、まあ、そんな感じでアスカを外したかったんだろうなあと

から俺妹と違って、シンエヴァは終わらせるための物語なので、

続編を作るとしたらシンジ中年になって離婚を考えるようになったりした矢先、

街中でばったり式波の方のアスカ出会ってしまい、

そこから不倫に発展して、ある日マリに目撃されて修羅場になり、

でも、中年になってもボクだって男性なんだし、幸せを探す権利だってあるよね、

みたいな開き直りを言い出したりすることになるわけで、

こういうのを、現実から逃げてない、と仰っているようにも思えたのだけど、

庵野氏に言いたいのは、

うん、そうなんだけど、そうなんだけどさ…、

それでも現実逃避の場所としてのフィクションも忘れないでね、とかえって思ってしまうのでした

でも、銃とかメカとか兵器描写にはリアリティを求めるのに、物語内の男女関係リアリティ求めないのはおかしいよね!

とか言われると、自分もぐうの音も出ないのでした

あ、ずっと出掛かっていた表現が出た

まりアスカかませ犬だったということになるんだよなあ

最初からそうだったかは知らんけど

2021-04-16

シンエヴァもっかい見てきたけどやはり面白くない

仕事早く終わったからもう一度見てきたんだけど。

褒める感想を色々読んで、楽しみ方としては「出来は悪いけど監督ががんばってる」という意識で見てきたけどやはり無理だ。

まらない。

マリ安野モヨコ氏だとおもってみたけど無理だ。どう見てもあれはアニメキャラマリだ。

安野モヨコ作品は読んでるけどモヨコはあん人物ではない。

感動してるひとはストレートに感動してるみたいだけどわからん

2021-04-10

学校勉強なんて社会に出て役に立つの

理系はそのまま役に立つことが多い

電子回路機械設計情報工学バイオ、物性は当然、

高校までの数学物理化学は役に立つし、英語が読み書きできないと本当につらい

でも、最近中国では、英語あんまり勉強せんでええで、という話になってる?らしく、

どうせ自動翻訳がやる、バンバン名著は中国語訳されるし国もバックアップする、

英語なんて敵国語頑張るより本業研究を頑張って、

どうせ中国世界征服したら英語より中国語の方が世界共通語になるから

みたいな話らしい

あと、ちゃん日本語思考できないと英語やっても無駄と同じで、

ちゃん中国語で思考できないのに英語やっても国語力、読解力がなければ無駄

ということでもあるのだろう

本当に要領がいい人は大抵は学校勉強もできる

本当に要領がいい人はこだわりがなく、卒なく何でもこなものである

寧ろ、学校勉強ができない人の方がこだわりがある、ということの方が多いように思う

学校勉強ができない人は、〜はできるが、学校勉強はできない、とか、

なんかよくわからんが、自分学校勉強ができない、と思い込んでいる節がある

実はそう思い込まない、自分先入観を持たなければ、

小手先テクニックだけでも行けるところまで行けるのに、先入観があるからか気が付かないのである

食わず嫌いみたいなものもあるのかもしれない

安野モヨコ氏が庵野氏がズッキーニとか知らない食べ物を食べないとテレビで語っていたと思うのだけど、

庵野氏もこだわりが強いタイプに思える

こだわりが強いと、こだわっていることには強いが、

社会性が落ちてしまったり、要領が悪くなってしまうように思う

自分学校勉強ができない、と思っている人は、まずそれが思い込みでないか疑ってみることである

しかしたら他人に、親に、教師にそう思い込まされてるのかもしれないし、

自分自身に自分頭が悪いと思い込まされてるかも知れない

自己暗示学習性無力感みたいなものでもある

こだわりで学校勉強ができなくなるパターンとして、

ちょっとでも疑問に思うことがあるとそこで止まってしまう、というのがある

というか、自分にもこの毛がある

要領のいい人は、その疑問をとりあえず飛ばして、これはこういうものだ、と理解するのではなく納得するに近い形でスルーする

スルーしないと先に進めない

なんかよー分からんが、えらい人がこれでオッケー言ってるんだからオッケーなんや

と思って、細かい疑問は飛ばし、それを定着させる練習問題を多くこなすとか、とにかく先に進めることである

しかし、要領のいい「だけ」の人は、この自分で考えて疑問に思う、ということに無頓着であるため、

社会に出てから意外なことでトラブルを起こしてしまうこともあるように思う

上述のように、えらい人が言ってるのだから間違いない、というのが実際は罠であることが社会では往々にしてあるため、

要領がいい「だけ」の人は何の疑問も持たずにそれを信じ、結果としてトラブルに繋がってしまうのである

まり、これはバランス問題であって、

まず、いわゆる受験勉強試験突破するためには要領が良くなければ駄目である

学校勉強を真面目に学問として考えすぎてしまうと、試験突破できない

試験突破するのは要領であり、テクニックの面が強いかである

しかし、要領がいい「だけ」の人には学問学術的な思考ができないのである

そうでありながらも、詰め込み教育英語や数式に慣れていなければ、学問学術にも支障が出てしま

詰め込み教育否定しすぎても、結果的には学問学術ができない人を生み出してしまうだけである

から、これも結局はバランス問題しかない

どうしても学校勉強自分はできない、苦手だと思う人は、ここまで述べてきたことを逆に考えるならば、

寧ろ何か学校勉強以外にこだわりがあったり、特技がある可能性があるかもしれない

学校というのは単なる人生フィルターであって、

しかし、そのフィルターにはじかれたとしても、それはマイナスなことだけではないはずである

自分に向かないということが分かるだけでも、人生前進したと考えるべきである

向かないことより向いてることで自分他人に役立つことに専念するべきである

苦手なことに専念させようとする他人、もしくは自分自身が間違っているのである

2021-04-03

理解のある彼女さん、いたじゃん

理解ある彼くんはいても彼女さんはいない!とインセルがよく喚いていたけれど

庵野秀明に対する安野モヨコ、まさに理解ある彼女さん

肉も魚も食べずにラーメンスナックばかり、毎日UCCコーヒーを飲むという

彼の凄まじい偏食を知った上で結婚してくれて、

健康的な食生活運動ができるようにサポートしてくれるという

庵野には才能があるからだとか言われたら

男女逆でも容姿若さといったアドバンテージがないと理解ある彼くんが表れるのは無理なんだから同じ事だよ

2021-03-30

シン・エヴァンゲリオン劇場版IIを見た。

庵野さん、本当に本当にお疲れさまでした。

庵野さんの描く世界観に惹きつけられたスタッフの皆さんも、お疲れさまでした。

巷に流通するネタバレブログでさんざんストーリーについての感想は書かれているので、今更私が書くこともない。

NHK番組も見た。NHK側がどんどん庵野さんのワールド汚染されていくのが心地よかった。

言えることは庵野さんがエヴァンゲリオンという自分投影させたアニメーションを世に出した功罪に26年間悩み続けて、なんとかして終止符を打ちたかったわがまま作品がシン・エヴァンゲリオン劇場版IIだったんですねと。

NHK番組庵野さんのわがままを受け入れ協力し自分能力を注いでいるスタッフの姿は本当に美しかったです。

不完全な世界微妙調和で進んでいく時間軸に、あまりにも不調和だったエヴァンゲリオン世界がどんどん吸い込まれて行った時、自分自身のエヴァ世界観との決別をせにゃならん時がついに着たのだと理解劇場で泣きました。

安野モヨコ存在庵野さんの不完全な世界を終わらせたのだと。

2021-03-26

ネットニュース安野モヨコ写真見たけどけっこうキツそうな印象だな

いつもデフォルメした漫画のやつしか知らんけったけど結構イメージ違ってたわ

2021-03-23

安野モヨコ庵野秀明にとって理解のある彼くんみたいなもんなん?

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん