はてなキーワード: 女児とは
いまだ全国的に体育の時、肌着着用を認めていない小学校があるのか確認したい。
2年生時も、同じく。
さすがに3年生にもなれば、着用が認められるだろうと思っていた。
幸い、他の保護者が学校側に肌着の着用許可について要望を出してくれていた。学校側も以前より許可を出している事を回答してくれた。
しかし、実際は違った。
着用してもよいはずはのに、「肌着着用だと汗で身体が冷えるから」の一言。女児達は、叱られる恐怖と従うしかない不安により、仕方なく肌着を脱ぐ。
水泳の授業も男女同室着替えが必須であり、男の目の前で裸体にならなければならない女児達。
たとえばミッキーマウスは、あの外見で葉巻をふかしたりと「大人」として振る舞ったりするんだけども、
じゃあそういう「大人」みたいな振る舞いをしたからミッキーマウスの外見が中年の大人に見えるのかというとそんなことはなく、
あの「頭が大きく」「目が大きく」「甲高い声」によって
「なんとなく若いんじゃないかな」「人間みたいに年は取らないんじゃないか」という受け止め方される
で、じゃあなぜ、あんなふうに頭が大きく目が大きいかというと、
そういうデフォルメをしたほうが、体や目線を使ったジェスチャーが明快になるから
日本のアニメキャラの原形って、基本的にディズニーなどの欧米で培われてきたデフォルメによる表現技法を取り入れて出来てるんで、
アニメキャラが「頭が大きく」「目が大きく」「声が甲高い」のは
で、アニメの女の幼さというのは、
「アニメーション表現として伝わりやすい」「アニメとして動かして面白い」造形に合わせやすいのが「幼い言動をする女児」だから、となる
宮崎駿は明確に「もっともアニメで映える」基準でロリコンキャラを動かしてる
「手でスカートを抑えてどうする! 手はオーバーアクションに使え! スカートは動きの演出のためにパンツ丸見えになるぐらいめくれろ! それこそが動きが最も映えるのだ!」と
アニメーションの絵が書き込み量が増えて「リアルな描写」が当たり前のように作られるようになったから上記が忘れられてるけど、
高畑勲あたりが追及するリアル描写が成立するためには、映像としてちゃんと「映える」ための飛び道具が必要で、
まず、自分は「児相・弁護士会ルートでの一時保護専用施設や児童養護施設の受入対象ではなく(あるいは馴染めず)、DVシェルターに親と一緒に入所できる対象でもないが、家庭内で虐待を受け、孤立している子」については、性別を問わず広く受け皿が整備され、より多くの対象者が保護・救済されたらいいなと思っています。
その受け皿のひとつである子どもシェルターは、まいと@虐待どっとネットさんのおっしゃる通り、女性用子どもシェルターが主で(といっても絶対数自体が非常に少ないですが)、男性が入れる子どもシェルター(両性用・男性用)は非常に少ない状況だと思います。
一方で、そうした男性対象者の受け皿としては、歴史的には自立援助ホームが中心的な役割を果たしてきたと思います。主な対象者は20歳未満と子どもシェルターの中心的保護対象とほぼ同じで、都市部にも地方にも多数存在し(子どもシェルターの約10倍)、男性・女性の定員は全国で450人程度でほぼ同数です。http://zenjienkyou.jp/%E8%87%AA%E7%AB%8B%E6%8F%B4%E5%8A%A9%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%A0%E4%B8%80%E8%A6%A7/ (法的には、子どもシェルターも自立援助ホームの一種として公費支給されているそうです)
ご指摘の「カリヨン子どもセンター」では、「カリヨン子どもの家ボーイズ」と男性用自立援助ホームの「とびらの家」が併設されていますが、他の子どもシェルター運営団体では、シェルターは女性のみ受け入れつつ、自立援助ホームでは男性または両性をケアしているところもあります。例えば「ピピオ子どもセンター」は、子どもシェルターは女性用で、自立援助ホームは男性用です。「子どもシェルターモモ」は、子どもシェルターは女性用で、自立援助ホームは男性・女性それぞれの施設があります。
こうした性別によるケア体制の差は、ひとつには「女性より男性のほうが、20歳以下でもそこそこの収入を得て自立できる仕事があった」という歴史的事情もあるのかもしれません。男性は未成年でも「自分で働いて稼いで暮らしていく」というルートに早期から乗せやすいから、(入所中に一定の費用負担がある)自立援助ホームを中心に「孤立や虐待で家庭にいられなくなった子」を救済してきたように思います。一方で女性の場合は、この年齢で自立生活できるだけの収入のある仕事が相対的に少なく(あってもいわゆる夜職が中心)、最初から自費負担しながら自立援助ホームに入るというコースが取りにくいことから、先行する配偶者DVシェルターの枠組を一部援用する形で、自費負担のない「女性用子どもシェルター」という救済枠組が整備されていったように思います。カリヨン運営の方もこのような認識は持たれているようです。
社会福祉法人カリヨン子どもセンター事務局長の石井花梨氏は,「男の子の場合は,いわゆる『ガテン系』(肉体労働)の仕事があるので,特に若いうちは日給で働いても,割と安定的な収入を得られます。しかし女の子は,どうしても飲食系の仕事が多く,特に今はほんとうにアルバイトしかないので,よほど頑張らないと,アパートで独り暮らしするところまで,なかなかいけません。そこで頑張れなくなったときには,性産業に走ってしまう。そのことも含めて私たちは性被害だと思っています」
もうひとつ、これは個人的印象によるところが大ですけど、DV加害者である親側の「子に対する執着」の傾向には子の性別による違いがあり、親の家を出た18〜20歳の子は、男性の場合は親側には子を奪還しようとする意思がより弱く、女性の場合は親側の奪還意思がより強いため、現場では配偶者DVシェルターと同じように保護対象のセキュリティを重視し、運営場所を秘匿して運営される「女性用子どもシェルター」のニーズが強く認識され、提供されるようになったのではないかと思います。
最後に、物理的事情もあると思います。子どもシェルターも自立援助ホームも一軒家を借り上げて定員6人前後で運営するパターンが多いため、団体のキャパシティが小さければ男性は自立援助ホームでケアし、大きければ男性向けもシェルターと自立援助ホームを分けて、入所者のステージと課題の変化に対応したケアを提供しているように感じます。東京拠点でキャパシティも大きいカリヨンは、男性対象者の支援を2ステップに分け、緊急・短期支援段階は「ボーイズ」で、生活構築段階では「とびらの家」でと切り分けているように思いました。
(なお、まいとさんの場合、児相ルートの児童養護施設と自立援助ホームどちらにも入所を検討されたものの、精神的不調がある、精神科への受診歴があるという理由で入所できず、不幸にもこれらの受け皿の両方にアクセスできなかったとのことでした。https://readyfor.jp/projects/gyakutaiN_first これは確かに制度の欠陥であり、改善されるべきだと思います)
こういう事情もあって、「虐待に遭う男児・女児は同数なのだから、子どもシェルターも同数あるべきだ」という一部の論旨には、自分は首肯しかねます。一方で自分が「それと別に男性専用シェルターが必要かと言われると、自分はその当事者ニーズをあまり認知してない」と書いたのは、多くが女性スタッフで運営されている女性用子どもシェルターの対照物として「男性スタッフによって運営され、男性のみが入所することで『セキュアな空間』を提供できるシェルター」が当事者に求められている、という感覚があまりなかったからなのですが、ここについては、振り返ってみると、自分も勝手に「対照的存在としての」という(元の文脈にはない)読み込みをしており、反省しています。「児童福祉法の保護対象から外れた未成年のDV被害」という要素に対して、多くの自立援助ホームの枠組では最重視されていない種類のケアを男性向けにも提供できるなら、それが当事者にとって「よりよい」ことなのは間違いないです。そういう観点にもとづいて既存の男性用自立援助ホームの機能強化・支援強化を図ること、あるいは自立援助ホームとは別に男性が入所可能な子どもシェルターを作ることは、どちらも賛成します。
一方で、男性用子どもシェルターが希少なことで、あたかも家庭で虐待を受けている男性当事者を保護する仕組みが全く存在しないかのような印象を持たれている方々が批判者・擁護者の両方に見受けられるのは、それはそれで実態と乖離しているとも思います(nero氏のまとめだけを読んだら、そう思う方は多い気がしますが)。児相の一時保護所・子どもシェルター・自立援助ホーム・DVシェルターの随伴入所など、相互に補完しあう分散的な児童福祉セーフティネットが現にあることを前提に、どうやってこのセーフティネットを「より漏れや隙間がなく、きめ細やかな仕組み」に整えていけばいいか、という観点で話をしていくのが良いように思いました。
個人的に、その参考になるのが更正保護関連の仕組みだと思っています。保護司制度、更生保護施設、自立準備ホーム(自立援助ホームとは別)など法的根拠を持った救済基盤が整備されていて、就労支援事業者機構という組織を中心に官民連携も密になされており、企業会員の寄付や協力雇用主会員をベースにした生態系を作っています(地方の大手企業の役員などが機構メンバーになって、中小企業相手にこまめに案内・勧誘したりしています)。制度化によって硬直化してる面も感じなくはないですが、こういう、金の出処も確保した官民連携が更正保護以外の分野にも拡大されていったらいいなと思います。
ここまで書いて思ったんですが、もしかしたら、2022年4月からの成年年齢の引き下げによって、「制度の狭間」(民法上の親権下にあるが、児童福祉法の保護対象ではない)となる18〜20歳の救済を中心に構築されてきた子どもシェルターの性格は、今後は大きく変わって行くのかもしれないなと思いました。児童福祉法の定める保護年齢と成年年齢が一致したことで、結果的に制度の隙間が解消され、「個別入所者にコタン弁護士がついて、親権者との調整を図る」という子どもシェルター独特の法的支援要素が不要になるわけです。今後は子どもシェルターは自立援助ホームと再融合していくのかもしれませんし、よりDV被害のケアを焦点化した支援組織になっていくのかもしれません。そのあたりは両方を運営している団体の方々がどう考えているのか知りたいなと思いました。
県警&署名者「TPO違反?別に不適切じゃないです」。 https://news.yahoo.co.jp/articles/28cb1a60d86250e80c6210c5fb7d8f9a9d9ce038
その上で、戸定梨香については「性的なものであるとか、女児を性的な対象としたというキャラクターであるとか、そういう意図があるとは思っておりません。不適切ではないと判断しております」とし、キャラクター自体に問題はないとの見解を表明。「賛否双方のご意見をいただいています。フェミニストとされる方からも『性的だとは思わない』というご意見がありました」と明かした。
エロは自己解放なので良いものか、消費される悪しきものなのかでフェミニストは悩んでいる。
自由意志が有るならOKと区分しようとしても、その自由意志が既存の常識や社会構造によって操られたものではないか、という議論が出てきてもはや線引きができない。
そんな議論を眺めてて思うんだが、実際にフェミニストがWEBで問題提起した物事を見れば、男が喜んでオナってそうだと厳重に警戒すべし、というのが率直な所なんだろう。
BLの性描写と、男向けエロ雑誌の扱い。抱かれたい芸能人ランキングはよくて、抱きたい芸能人ランキングは許されない。サディスティックな表情で壁ドンするイケメン絵はよくて、マゾヒスティックな表情で照れる美少女絵はよくない。
萌え絵の表現は少女漫画由来だし今でもほぼ同じ表現技法と言われればその通りだが、でも男性向け萌え絵は気持ち悪いという感情は消えないのが本音、ってジレンマも、それは「男の性欲が想像できちゃうと警戒心が湧く」ってことで一貫してるんだよ。
二年くらい前に、女の子が主人公のアニメがないみたいな話題が盛り上がった時に(https://togetter.com/li/1311690)、あれこれ挙げられてもそれはだめこれもだめって言ってたのは、作品内容だけじゃなくて男が喜んで見てそうな作品はフェミ的にダメってこと。プリキュアもセーラームーンもCCさくらも、たとえメインファンは女児・女性だとしても、男オタクもシコりまくってるもんな。これは最初の発言者がヘンな人ってだけではなく、この問題提起に賛同してるフェミ垢も沢山あったので、特殊な議論として片づけることはできない。
そしてもちろんVTuberも、プロジェクト責任者である女性社長、または演者である女性の自由意志があろうと、喜んで見ている男性視聴者の存在が想像できるからダメ。
なんかネットの記事上で動画を見れたから見てるけど、あれはYoutubeでの再生数にカウントされてないかもね。最初に見たときはあまり乳揺れは気にならなかったけど、NHKで報道されたときに NHKの動画を再生して改めて注意して見たら、結構揺らしてるね(そしてこれは再生数にはカウントされない)。
動画を作った時は警察内で問題視されなかったというのも分かるけど、乳揺れに加えて女児だとかスカートが短いとか抗議受けて指摘されている点に注目しながら組織として見直したらちょっとこれは良くないねという話になって警察が使うのをやめるというのも理解可能。組織内部でも一回スルーされるレベルだから、乳揺れ好きのオタクの視点から見れば大したことないという反応になるのは当然。
警察という公共機関の道徳動画に「女児を性的対象としたキャラクター」を起用するのはオカシイって指摘なんだよ
だから、あの道徳動画がどれだけ綺麗に作られてても反論にならんの
AV女優を使うな、みたいな話
この問題、ここが分かり易いんだが
なんでこんな話をしてるかと言うと、フ議連が「乳揺れ」と「へそ出し」をもって、「女児を性的対象物としてる」としたからなんだよ
当然に、じゃぁプリキュアは性的なんですねとか反論されちゃうわけなんだけど
一生懸命、へそ出しがすぐさまに「女児を性的対象物としてる」とはならない、なぜならプリキュアとはへその位置が違うからあ
ってな擁護されたりしたわけ
乳揺れだって、モデル作ったやつが胸にボーン仕込んだから揺れてるだけで、使った(Vtuber)側も、それを起用した(警察)側も
この話は、フ議連が主張したことに対するリアクションなんだが、多くのフェミ側がそれをどっかに捨て去ろうとしてる
だから、「どう考えても性的なのに、オタクは性的じゃないと言い出してる」とか発狂モードに入って視線をそらそうとしてるんだが
問題なのは、世間に受け入れられてる「女児向けアニメ」を肯定しなければならないが、オタク文脈のVtuberは否定したいという所に集約されるので
個々の話をしても全く無駄
以上の話は聞けないよ
学習端末のPWは全員「123456789」…小6自殺、チャットの「陰口」丸見え
https://news.infoseek.co.jp/article/20210922_yol_oyt1t50033/?tpgnr=poli-soci
両親の代理人の金子春菜弁護士によると、女児の死後の昨年12月に学校が実施した調査では、複数の児童が「女児を中傷する同級生の投稿を不正ログインして閲覧した」などと証言。なりすましでのぞき見たチャットの悪口を女児に伝えたとの証言もあったという。
なりすましてチャットしたのではなく、悪口を言っているチャット主のログを見たということらしい
両親によると、女児が残した遺書には、「ドッキリ」と称する嫌がらせについて書かれていた。友人から突然、絶縁を宣言され、その後にそれはウソだと告げられる「縁切りドッキリ」などを受けていたという同級生らの証言もある。
知っている中では有吉反省会が怪しい
ディズニー映画に埋もれた名作などというものは存在せず、有名なやつは出来がよく、無名なやつは出来が悪い。
以下、備忘録をかねてウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオ制作の長編アニメ映画史を概観したい。
『メイク・マイン・ミュージック』以外はディズニープラスで全部見れる。
おすすめの作品:『白雪姫』『ファンタジア』(ミッキーのやつだけ)『ダンボ』
ディズニー長編アニメの歴史はアニメ史に残る傑作『白雪姫』とともに幕を開ける。この作品はとにかく作画が凄まじく、戦後の日本人が衝撃を受けたという逸話も納得の出来である。著作権が切れているのでYoutube等でも見れるが、できるだけきれいな画質で見たほうがいい。7人の小人たちの非モテ自助コミュニティ描写もピカイチで、増田を見ているような人々は目を通しておいて損はないと思う。
ディズニー映画はこの頃から一貫して「教育的で」「社会的にただしいとされる」物語を描こうというはっきりとした意思を見て取ることができる。そのため、作品の背景には常に制作された時代の価値観が垣間見える。
例えば『白雪姫』の3年後に公開された『ピノキオ』では、主人公ピノキオを導く良心の象徴としてジミニー・クリケットという名前のコオロギが登場する。この「ジミニー・クリケット」という名前はジーザス・クライストの言い換え語らしく、つまりここでは創造主の似姿として作られた人形が様々な誘惑と戦いながらも最終的にはイエス・キリストに導かれ、ただしい人間性を獲得するという物語が展開されるわけだ。
『ピノキオ』自体は退屈な作品ではあるものの、歴史や時代背景を含めて見ていくと別の発見があり、それはそれで豊かな体験である。ちなみに当時のディズニー自身はむしろできるだけ宗教色を薄めたいと思っていたらしく、この辺は社会に要請されてやむなくという側面が強いのかもしれない。
ほか『ファンタジア』中の「魔法使いの弟子」と『ダンボ』は見ていて単純にたのしい良作。『ダンボ』のお母さんの健気さは泣ける。
『バンビ』のあと『シンデレラ』まで長編の物語映画はなく、とくにおもしろい作品はない。とはいえ日本人としては、バリバリに総力戦をやりながらアニメを量産していたアメリカの国力にむしろ驚くべきかもしれない。
この頃の作品群には「丁寧な植民地主義」とでも呼ぶべき傾向があり、具体的にはアメリカ開拓時代の美化とラテンアメリカへの観光的関心、キリスト教的な価値観が三位一体となった教育映画が制作されている。この辺はおそらく当時のアメリカの外交・安全保障戦略と密接に結びついており、いわばアメリカ流の国策映画だったのではないだろうか。
丁寧な植民地主義的な傾向はこの後も非常に根強く、形を変え品を変え、ディズニーらしさの1つの要素として受け継がれていくことになる。
『シンデレラ』は物語の大半を出来の悪いトムとジェリー風ドタバタ展開が占め、あまりおもしろくはないものの興行的には大成功を収め、低迷期の脱出に成功する。
『眠れる森の美女』は『白雪姫』以来の超絶作画であり、これ以降の作品と見比べてもダントツでクオリティが高い。一方で興行的には制作費の回収すらできず、総じて失敗作と見なされたようだ。ディズニー作品の作画技法は『眠れる森の美女』でひとつの頂点に達し、以降はべつの方法論を模索していくことになる。
ほか『ふしぎの国のアリス』のチェシャ猫や芋虫の悪夢的な描写は見たものに強いインパクトを与える。一方で登場人物にだれ1人としてまともに会話の通じるキャラがおらず、集中力の維持が非常にむずかしい作品でもある。
『ピーター・パン』では全能感と成熟の拒絶というYoutuberの原型のようなヒーロー像が描かれる。ピーター・パン症候群とはよく言ったもので、本家ピーター・パンも未成年淫行で炎上する未来を強く予感させるキャラクターだった。
『わんわん物語』では都市的自由を謳歌していた野良犬がペットとして不自由な幸福を手に入れて物語が終わる。ここで描かれるペットたちのむき出しの奴隷根性は、前述の植民地主義と無関係ではない。『ピーター・パン』『わんわん物語』ともにおもしろくはないが、それぞれ見どころのある作品となっている。
おすすめの作品:『101匹わんちゃん』『くまのプーさん 完全保存版』
『眠れる森の美女』のアーティスティックで洗練された描線から一転、『101匹わんちゃん』以降はえんぴつで描かれたかのようなラフな描線で作品が構成されていく。『眠れる森の美女』以上のものを作り出すことが現実的に不可能であり、見劣りを避けるという意図があるのか、あるいは端的に制作資金が枯渇しただけかもしれない。
技法的にはやはり『くまのプーさん 完全保存版』でひとつの完結を迎え、以降ディズニー映画は再び模索と低迷の季節を迎えることになる。
『おしゃれキャット』は金持ちのペットが使用人をブチのめす話で、一方『ロビン・フッド』は貧乏人が金持ちをブチ殺す話だ。この時期のディズニーは節操のなさがすごい。
この時期の作品群の特徴を一言で言い表すならば、「リアリティへの接近」ということばになるだろう。それは一方では作画技法への3DCGの導入というかたちで現れ、他方で物語上では善と悪の単純な二項対立の脱却が図られることになる。
前者は『コルドロン』の奥行きのある大胆なカメラワークや作画法、『オリビアちゃんの大冒険』『オリバー ニューヨーク子猫ものがたり』での部分的な3DCGの導入に見られる。後者は『きつねと猟犬』での人種対立のメタファーとして描かれた動物間の争いや、多人種が共生する複雑な現実を猫の姿を借りて描いた『オリバー ニューヨーク子猫ものがたり』に象徴的である。
『きつねと猟犬』はこれまでのディズニー作品に見られた家畜たちの奴隷根性を初めて批判的に描いた作品であり、『オリバー ニューヨーク子猫ものがたり』と合わせて「社会的にただしいとされる」物語像の変容を見て取ることができるだろう。ただしこの時期の作品群は総じて地味で魅力がない。どうやら創業者ウォルト・ディズニーの死や主要スタッフの大量離脱の影響があったようだ。『コルドロン』は興行的にも大コケし、ディズニーの低迷を象徴する作品となった。
シャーロック・ホームズの翻案である『オリビアちゃんの大冒険』がかろうじて見ていられるという程度で、単品の映画作品としておもしろいものは少ない。『オリビアちゃんの大冒険』では、冒頭からネズミ女児のパンチラという一体どこに需要があるのかわからない謎サービスカットがあり、視聴者の集中力が乱される。
おすすめの作品:『リトル・マーメイド』『美女と野獣』『アラジン』
この時期ディズニーは批評的評価・興行収入の両面で復活を遂げ、一般に「ディズニー・ルネサンス」と呼ばれているらしい。本稿でもその表現に従う。
たしかに作品のクオリティは過去10年とは比べものにならないほど高く、ルネサンスと呼ばれるのも納得の時期である。一方で技術革新や価値観の変容は停滞気味で、歴史の流れとしてはさほどおもしろくないというのが正直なところ。ルネサンスの言葉通り、ある種の保守回帰の時代に当たる。
おそらくこの時期、真に革新的だったのは、作品の表層に現れる技術やテーマ設定ではなく、安定して高品質な作品を量産する社内の体制や組織づくりの技術にあったのではないか。
個別の作品として語れる部分は非常に多く、『リトル・マーメイド』は作画がよく、『アラジン』は見ていてたのしい。
『美女と野獣』でははっきりと他者理解をテーマに打ち出し、また女性主人公が男性からの求婚を拒絶する主体性を獲得するなどプリンセスものとして出色の出来栄え。他者を尊重することを覚えた野獣が救われ、他者の存在を最後まで容認できなかった村のヤンキーは破滅する。主人公が読書好きでヤンキーと話が合わないインテリとして描かれる点も珍しい。ただしこの他者理解はプリンセス側に一方的な負担を強いるかたちとなっている側面が強くあり、なかなかむずかしい部分もある。
『ポカホンタス』は白人によるアメリカ侵略・植民地化を矮小化し美化するかなり最悪のお話で、案の定ネイティブアメリカンの民族系団体にかなり怒られたようだ。引き続き怒られてほしい。
『ターザン』もインディアンをゴリラに変えただけで『ポカホンタス』とほぼ同類型のお話ではあるが、最後に白人研究者たちがゴリラの部落に居残ることでギリギリのバランスを取っている。ここにはターザンとポカホンタスの男女差が絡んでおり、単純にターザンのほうがいいとも言いがたい。
『ノートルダムの鐘』は強引にハッピーエンド化されているという不満はあるものの、子供向けの大作映画で障害者の活躍を描いた点は積極的に評価されてよいだろう。そもそもディズニー作品には『ノートルダムの鐘』以外にも障害者がやたらとよく出てくる。アメリカ社会には障害者を積極的に受け入れる土壌があるからできるのだとは思うのだが、日本のコンテンツおよび社会全体でも頑張ってほしいポイントである。東京ディズニーランドでもべつに障害者見かけないし。
そのほか『ムーラン』『ターザン』ではそれぞれ3D技術の進歩を見て取ることができる。
みたび低迷期である。『ダイナソー』に代表されるように3D映画への本格的な移行が始まり、2D映画最後の全盛期に当たる。
作品としては『リロ・アンド・スティッチ』がずば抜けてすばらしい仕上がりで、商業的にも大成功を収めた。『リロ・アンド・スティッチ』は王子様に救われるというプリンセスものの物語類型とは異なる、弱者同士が助け合う疑似家族モデルを明確に示した重要な作品である。
自分の欲求をうまくコントロールできない少女リロと、破壊衝動を植え付けられ誕生した人工生命体スティッチが、貧困家庭のネグレクト問題とSFアクションを背景に成長していく姿が描かれる。キャラクターデザインはかわいらしく、作画から細かい小ネタに至るまで非常に丁寧に作られており、娯楽作品としてもすばらしい。リロの姉・ナニの恋人もいいヤツで好感が持てる。
残念ながらディズニー映画ではこのあと疑似家族的な想像力は発展せず、プリンセスものという旧来の枠組みのなかで無理やり「価値観のアップデート」を図ることになっていく。
『アトランティス 失われた帝国』はディズニー映画には珍しく人がバンバン死ぬ作品で、ふしぎの海のナディアや宮崎作品みたいなものをアメリカ人が真似して作るとこうなるのかといった印象。ガバガバ設定とご都合主義が目につき、リアル路線なのかファンタジー路線なのかどっちつかずの失敗作だった。ただし主人公にオタク青年が採用されている点は注目が必要で、これ以降ディズニー主人公はイケメン・マッチョではなく非モテ・オタクが主体となっていく。
『白雪姫』で人間扱いされていなかった非モテの小人たちが「社会的にただしいとされる」物語の主人公となる時代を迎え、しかもそれが日本のアニメの強い影響化で発生しているわけで、価値観の大きな変化を感じ取ることができる。ただし、『白雪姫』の王子様はあれはあれで人間味のかけらもない平板なキャラクターではあるので、モテ非モテという面ではそこまで単純明快な話ではない。
『ブラザー・ベア』は殺した相手の子を育てるというなかなか攻めたお話ではあるのだが、最終的にファンタジーに着地するせいでどうも軸がブレる。
続く
全国フェミニスト議員連盟、認識を聞いただけと千葉県警のせいにしたhttps://t.co/es2qMTq64Q
千葉県警等に提出した抗議ならびに公開質問状にご関心をお寄せいただいた皆さまへ
提出した文書は、公的機関としての認識を問うたものです。
当該動画の掲載も、削除も、ともに千葉県警によるものです。 pic.twitter.com/zq9Bdin4fn— 大田区議会議員おぎの稔(無所属)💉議員系Vtuber🛫🏭 (@ogino_otaku) September 19, 2021
結局フェミニスト議員連盟は自分達のお気持ちを表明しただけで、動画についての対応はあずかり知らないという回答。
【①全国フェミニスト議員連盟が警察、市長等に提出した公開質問状の一部の書き起こし】
私たち全国フェミニスト議員連盟は、女性議員が圧倒的に少ない日本社会の政治風土を改革し、女性議員を増やして、男女平等社会を実現しようと活動している市民と議員の団体です。
私達は、啓発動画に「松戸市ご当地Vtuberの戸定梨香」を採用した千葉県警・松戸東警察署に強く抗議し、当局の謝罪、ならびに動画の使用中止、削除を求めます。
本動画は、女児を性的な対象として描いており、女性の定型化された役割に基づく偏見及び慣習を助長しています。
続きはこちらでhttps://twitter.com/ogino_otaku/status/1437332071546953729
千葉県警等に提出した抗議ならびに公開質問状にご関心をお寄せいただいた皆様へ
現在、多数のメール等が多種の内容で寄せられており、個別に回答は致しかねます。
悪しからずご了承ください。
以上
空いた口が塞がらない。
全国フェミニスト議員連盟に所属している議員、関係者は自分達の回答が世間の反感を買うことに気が付いていないのか?
②分かった上でのあの回答
③あの回答で世論味方についてくれると思った
個人的には①と③な気がしている。
尾瀬ガイド協会の謝罪文※とまではいわないが、せめてVtuberという文化への理解※や、
今回自分達の対応がなぜ反感を買っているのかという分析があれば、全国フェミニスト議員連盟の考えももしかしたら共感、理解されたかもしれないのに。
今回の回答はあまりも傲慢で、これではフェミニストという存在の印象をより悪くしているだけに過ぎない。
結局性欲というのが全面に出るときには人は間抜けになるものなのか。
というかストレートにセックスが目的である性欲のほうが男はまだまともなのではないか。
変にこじれたというか性欲が下地にあるというか性欲でしかない性欲の塊なのに
それが変に隠れてしまっている性欲のほうがはるかに気持ちが悪いし、まぬけだ。
女の性欲というのはそのまぬけな性欲の表現のほうが多すぎるのがまぬけだ。
男が女児のSNSに裸の写真を送って、と送るのは卑劣だが性欲の表現としてストレートだ。
そうではなくて女児を好ましいと思いつつ自身の性欲には気づいていないのは気持ちが悪い。