はてなキーワード: 女児とは
その前後の朝日新聞の配達員がやらかした奈良の事件もあったじゃん
朝夕の配達が終わったら暇すぎるのかわかんねぇけど、朝日新聞の配達員ってやたらと女児相手に事件起こしているイメージ
配達員は女児相手に犯罪、拡販員は高齢者、女性に犯罪まがいの契約とか他の業界なら大問題になりそうなことがスルーされているよ
オタク向けのロリエロ漫画やBLの「表現の自由」を、弱者・少数派の権利擁護を重視する現代の「リベラル」思想は認めない。
ロリエロ漫画やBLで色情狂のように描かれる女児やゲイは明らかに社会的な弱者・少数派であり、それらを楽しんでいる読者の多くは強者・多数派に属する男性やヘテロセクシャル(ストレートの女性)だからだ。
弱者・少数派を過度に性的に描いた歪んだ表象を強者・多数派が娯楽として消費するのを許すリベラルというのはあり得ない。
ロリエロ漫画やBLはフィクションであっても弱者・少数派を貶め偏見を助長するヘイトスピーチと同様に禁止される。ヨーロッパ諸国でナチス賛美が法規制されているように。
成人男性にレイプされて喜ぶ女児を描くロリエロ漫画(読者の多くは男性)=白人にレイプされて喜ぶ黒人を描く漫画(読者の多くは白人)
ゲイ同士の恋愛とセックスが主題のBL(作家も読者も多くはヘテロセクシャル女性)=黒人同士の恋愛とセックスが主題の漫画(作家も読者も多くは白人)
と置き換えると分かりやすい。
そのような黒人差別的な作品が米国で商業流通できるはずがないというのは簡単に想像できるだろう。
たとえ不快に感じる人や未成年の目に触れないように気を遣って会員制のサイトで18歳以上のみに販売するとゾーニングしても潰される。黒人への偏見を煽り差別を助長すると。
白人の愛好家が、自分たちは実在の黒人への差別意識は持っておらずあくまで作り話として架空の黒人の物語を楽しんでいるだけなのだ、と言い訳しても許されない。
「リベラルは検閲は求めない。適切なゾーニングさえすれば現在のロリエロ漫画のような作品も商業流通できる」という主張を目にすることがあるが、それは「黒人を虐め殺すことを娯楽として描いている作品もゾーニングさえすればアメリカで商業流通できる。問題ない」と言うのと同じ馬鹿げた考えだ。
リベラルは、強者・多数派(男性・ヘテロセクシャル・白人)が弱者・少数派(女性・子ども・ゲイ・黒人)を「性的消費」する表現はフィクションであってもゾーニングしても許さない。
「オタク向けのズリネタ表現の自由」と「リベラル思想」は共存できない。
リベラルが全面的に弱者・少数派への差別的な表現を規制した社会で許されるポルノ表現は
・女性作家が成人女性の肉体美やセクシュアリティをポジティブに描いた作品
・マイノリティ当事者である同性愛者の作家が同性愛者の読者向けに描いた作品
といった類のものだけになると予想する。
・18歳未満に見える少女キャラが性的虐待を受けて喜ぶロリエロ漫画
https://www.tokyo-np.co.jp/article/135244
プリキュアは性的視線から意図的に遠ざけられている。主な視聴者層は未就学の女児。キャラクターは自分より年上のロールモデルだ。もしそのキャラが性的に消費されてしまったら、保護者はもとより、これから羽ばたこうとする女の子の翼を折ってしまうからだろう。
現在の女子大学生は、ちょうど初代プリキュアを見た世代だ。私が授業でコンセプトを紹介すると、「当時プリキュアを見て、強くてかっこいい女性になりたいと思った」「アニメを通して固定概念がなくなるのは良いこと。自分もそうした流れに参画していきたい」という感想が出てくる。戦隊ヒーローものの「ごっこ遊び」では、ピンク役(1人だけしかいない女性キャラ)をやるしかなかったが、「プリキュア以降は好みのキャラが選べるようになった」という学生もいる。プリキュアのメッセージが若者に確実に伝わっていることが、とても頼もしい。
こういうジャッジをされるとき、一番プリキュアを「汚された」と感じる。「女の子にも暴力のカタルシスを」というテーマで始まったやつを「正しさ」で評価するのなんなん。
普通に濃縮されたビビッドカラーの女の子の性的イコンそのままじゃん。プリティーシリーズやアイカツとかもそうだけど
キュアブラックが最初へそ出してたのを続編で隠されてその後またへそ出しプリキュアも登場してくるのはどう解釈すれば
強くてかっこいい女キャラならリボンの騎士も峰不二子もキューティーハニーも居る。ポワトリンやイパネマ、シュシュトリアンなんかも観ていた自分としては、フェミ的な持ち上げ方をされるプリキュアは苦手。
私は15年ぐらい前に一か月ほど、そこに滞在していた。
誰かに話せるような事でもないが、思い出をここに書いておく。
そこで好みの子を選ぶ。いなかったら入れ替えでまた10人入ってくる。
何度入れ替えてもぞろぞろと女の子が入ってくる。何十人いるんだろうか。
最終的に一人を選ぶと、シャワー(とミニサウナ)付きの部屋に通される。
後はまぁ、いわゆるお決まりのコース。シャワー浴びて、ベッドに行って。
日本と決定的に違うと思ったのは「脱ぐとき何故か勝手に踊る」のと「やたらツバを吐く」の二点。
どちらも最後まで違和感があったけど、まぁ、慣れれば大した問題じゃない。
女の子の性格は本当にいろいろ。明るい子もいれば暗い子もいる。
中国語で一生懸命にコミュニケーションを取ろうとする子もいれば、カタコトの英語や日本語で頑張ってくれる子もいる。
私は出張で滞在していて、この「サウナ」システムが非常に気に入っていた。
性的な欲求うんぬんというより、正直いろんな女の子の様子が見られるのが楽しかった、というのが一番の理由だった。
そう、値段についてはやはり日本のソープなんかよりは格段に安い。
だいたいどこもAコースとBコースがあって、Aコースはモデル系の高身長美女って感じ。だいたい12000円ぐらい。
Bコースは街の可愛い子ぐらいの感じ。だいたい8000円ぐらい。
中国人男性の好みは「Aコース」みたいなんだが、私は圧倒的に「Bコース」の方が好みの子が多かった。
なので、ほぼ毎晩この「サウナ」に通って、中国のいろんな出身地の女の子と楽しく過ごしていた。
一番思い出に残っているのは最終日についてくれた四川省出身の子だった。
低身長でクリクリっとした目、そしてショートカット(サウナでは珍しい)の女の子だったのだが、この子がとにかく「萌えキャラ」だった。
日本の美少女アニメとかに出てくるキャラクター、もう本当にあれそのもの。
なんか話し言葉の語尾に「~にゃあ」と付くのがまず、萌えポイント。あれは方言か何かだったのか。
さらに圧倒的なドジっ子だったのが萌えポイント。私の頭を洗ってくれようとするのだが、背が届かない。
そこで私がしゃがもうとすると、そんな事しなくていいとジェスチャーする。
そして、バスタブの縁に立って頭を洗ってくれようとしたのだが、足を滑らせて落下。「にゃああ!」と言いながら。
で、そんなサウナライフの一方で、東莞の街には大量の「置屋」があったのでそっちも見学しに行った。
ここはどういう場所かというと、「サウナ」で働けなかった女の子たちが溜まっている場所。
「サウナ」で働くには厳しい面接があって、さらに「身元が明らかな18歳以上」というルールがあった。
そんな置屋の一つに入ってみる。太った黒シャツのおばちゃんが待ち構えていた。
英語っぽい言葉で「あんた日本人?日本人だね?じゃこっちだ!」と腕をつかまれ、どこかに連れていかれる。
連れて行かれた小部屋でおばちゃんが何か叫ぶ。すると……
カウンターテーブルの後ろから、ひょこっと女の子が飛び出してきた。
それも5人ぐらい。あとからあとからひょこひょこ湧いてくる。どうなってるんだあのカウンター。
並んだ女の子たちはハッキリ言って「女児」。5歳から10歳ぐらいの子たちだったと思う。
え、何これ…何が起きてるんだ。
そう思う間もなく、おばちゃんがその子たちのカラフルなTシャツを、片っ端からまくりあげていく。
そしてまた私の腕をつかみ、「ほら触りなよ!」とばかりに引っぱるので、大慌てで手をひっこめた。
「日本人だったらこういうのがいいんだろ?違うのか?」とおばちゃん。
ここで私は少し哀しくなった。何やってるんだよ、日本人……
おばちゃんの説明によると、日本人はいつも団体でこういう女児を買いに来るという。
いわゆる「買春ツアー」というやつなんだろう。しかもロリコン専用の。
なんだかなぁ……という思いを残し、置屋を出る。いずれにせよ、最初から利用するつもりは無かったので。
なぜならこの置屋地帯、衛生的にかなり問題があるという話を聞いていたので……
他に夜遊びと言えば「カラオケ」にも行った。
この「カラオケ」には数タイプあるようで、現地で仲良くなった台湾のおっさんに連れていかれた「カラオケ」はみんな全裸だった。
そこでいい雰囲気になったら、別部屋でイイコトをするらしい。
なんでも、最初に一人、二回戦に二人、三回戦に三人…と女性を増やしていき、七回戦までいったら「北斗七星マスター」みたいな称号が貰えるそうだ。
ちなみに台湾人の女性の好みは「コロコロっとした健康的な女の子」みたいで、全盛期の小向美奈子みたいな子がいっぱいいた。
また、深センから遊びに来ていた若手起業家みたいなグループに連れていかれた「カラオケ」は、普通のナイトクラブみたいな感じだった。
こちらは基本、マンツーマン。薄暗い部屋でイチャついて、いい雰囲気になったら各自店を出ていく感じ。
女の子のレベルは異常に高かった。私もよく分からないままに座らされ、隣にとんでもない美女が座る。
客も女の子も流暢な英語で話しているが、私はそこまで話せないのでおとなしくしていた。
すると、私に付いた女の子が「お腹が空いたなら、うちで一緒にご飯を食べよう」と言ってきた。
唐突な提案に驚きつつも、このままここにいても浮いちゃうし、なんだか面白そうだったのでその提案に乗った。
その子の家まで向かうタクシーの中で、その子には病弱な弟がいて、同居しているという事を知った。
病弱な弟を救うのにお金が必要で…とか、そういう筋書きかな。なんて邪推をしていた。
そして連れていかれたマンションの一室には実際、男の子が待っていた。
三人で一緒にご飯を食べた。食卓を囲んで。黙々と。なんだろう、この展開。
ほぼ無言の食事だったけど、不思議と気まずい感じにはならなかった。
弟さんは最後まで一言も話さなかったけど、目が合うと微笑みかけてくる子だった。
食事が終わったら、ぼーっとテレビを観た。で、少ししてから帰った。普通に帰った。
帰りにいくらか渡そうとしたら、強く拒否された。これはプライベートだから、って。
じゃ、せめて食事代だけでもと言って、無理やりお金を掴ませた。
正直、タクシーに乗った時点で美人局とか、睡眠薬とか、そういうパターンを想定していた自分を恥じる。
そして帰りのタクシー。陽気な運ちゃんが「日本人の友達いっぱいいるんだぜ、このノートを見ろ」といって渡してきた。
日本人と思しき名前が記されている。明らかな偽名だった。そして、名前の上にふりがなみたいな感じでこう書かれている。
「ぼったくり きをつけろ」
なんだかいろいろあった一日だった。
当時の東莞という街は性産業以外にもいろんな闇の側面があって、その中でも海賊版DVDは隆盛を極めていた。
私はそのうちの一つのお店に、ほぼ毎日通っていた。とにかく何でも売っているので、楽しくて仕方がない。
ディズニー映画やジブリ映画の全集セット。勝手にボックスを作り、ウォルトディズニーや宮崎駿の写真がどーんと入っている。
日本アニメも新旧さまざま揃っている。映画ドラえもん全集、ドラゴンボールZあたりが人気だと言っていた。
ルパン三世も全テレビシリーズをまとめたBOXがあった。ルパン一味の他によく知らないおっさんが入ったビジュアルが使われていた。
日本ドラマもかなり充実していた。古畑任三郎BOXとかすごく欲しかったけど買わなかった。
アメリカのプロレスとかも、DVD40枚組とかでデカイBOXにして売っている。本当に何でもある。
海賊版DVDの世界は、内容関係なく「1枚いくら」というシンプルなルールで成り立っている。
最新映画だろうが、過去の名作だろうが、スポーツだろうが音楽だろうが「1枚いくら」。中身はどうでもいいのだ。
当然、著作権なんて関係ない。「なんかこのアニメが入ったDVDはよく売れるね」ぐらいの認識。
なので、枚数が多いBOXをやたらと進めてくるのだ。トムとジェリーとか。NBA大全とか。
毎日通っていた海賊版DVD店は、おばちゃんと幼児で店番をしていた。
幼児は巨大なビニール袋に入った落花生をひたすら食っていて、店中にそのカスが落ちていた。
他のDVD店にも行っていたのだが、ある日、そこの店員の若い兄ちゃんが話しかけてきた。
「今日はすごいヤツが入ったんだよ。一緒に観るか?」
突然の提案だったので少し驚いたが、なかなか無い経験だと思って店の裏についていく。
そこには店員の兄ちゃんの他に二人、たぶん友達?みたいな人たちがウンコ座りで待ち構えていた。
一瞬だけ「あれ、これカツアゲとかそういうのか?」とも思ったけど、それにしてはフレンドリーな雰囲気なので一緒に座る。
日本のAVだった。しかもちょっと前のやつ。もちろんモザイク入り。
兄ちゃん達はそれを、食い入るように見つめていた。もう私の存在なんてどうでもいい感じ。
よく考えてみたら、これだけ巨大な海賊版DVD店が大量にあるのに、アダルトは一回も見かけなかったような……
たぶん闇営業であっても、そういうのは「ご法度」になっているんだろう。
そしてそういうエロDVDは、こうやって店の裏で上映されているんだろう。
この件に限らず思ったのは、当時の東莞は完全な犯罪都市ではあったけど、それなりの秩序はあったという事。
例えば海賊版DVD店も、月に何度か一斉に「休業」する。そしてその日は必ず警察のガサ入れが入る。
先程の「サウナ」という名の風俗店にしても、操業自体は違法だけど「18歳以下」の女性は絶対に雇わない。
ブランド品とかもそうだった。9割はニセモノなんだけど、1割はホンモノだったりする。そして絶対に同じ値段は付けない。
なんだか、そういう暗黙のルールみたいなので成り立っている街だったと思う。
あのVtuberの衣装が、キャラが、まったく、一ミリも問題ないと
本当に思ってんのかな?
一部の、暴言を放つ人は指を滑らす前に
いっぺん立ち止まって考えることはできると思う。
余談ですが、私の結論としては
抗議をうけて傷ついて全面戦争じゃー「うおー」ってなるのも
「アイドルにもおんなじこと言えんのか」っていう人もズレてるのは
制服着るよね?ってなる。
ほんでもし露出の多いアイドル衣装のまま一日署長やるアイドルが居るとすれば
フェミは当然同じように抗議するだろうね。
アイドルもVtuberも操り人形であることに違いはないと思うけど
アイドルは人間なので感情があり「この衣装恥ずかしい」と思うことはあっても
Vtuberは最後まで操られているし、その衣装込みでの人格なら「恥ずかしい」と思うこともないだろう。
感情がないキャラクタなら、プロデュースする側が配慮してやらないと
抗議の的になるし、ファンとしても悲しいと思う。
最後に、Vtuberの人格は服とセットなの?それって傲慢じゃね?って思う。
やっぱり別の服用意したれよと。
消費者が求めてる描写ってだけだろ、プリキュアが鮮やかな色でスカート履いてるのは女児の好みを反映してるんだが、それは規範を進めてることになるのか?w
お前の理屈だと女がスカート履いてるだけまたは男がズボンを履いてるだけで「規範を進めてる」ってことになるぞ、頭おかしいぞ。
これ、プリキュアにも当てはまるが、こういうカウンターのために自陣の急所(プリキュア)を抉っちゃう奴って、身中の虫って感じで良いよね
同じ文脈で追加されたぞw
私は男だがどっちか言うとフェミ議連の肩を持つ。なんでかなーと思ったら自分の娘にあのカッコさせたくないわという親心?からだった。まあまあキモかった。
補足しておくと
プリキュアが話題になるのは、あれが「ジェンダーバイアス破壊の象徴」として祭り上げられたからだ
プリキュア防犯ポスターに、リアルではアリエナイこんな破廉恥な格好をさせたポスターは許されない、と主張しないと整合性が取れないんだが
あの議連の抗議文だって、お仲間が一生懸命、「プリキュアとの違いはへその位置でぇー」って言い訳するくらい、慎重に取り扱わないといけない
で、切断に四苦八苦してんのになぁ
女は一定の年齢になると女児向けアニメはガキっぽくてダサいというセンスの洗礼を受けて育ってきている
(しかも身近にいる母親や幼児教育者が女児アニメ嗜好を主だって馬鹿にする)(親が馬鹿にする理由はグッズが大量に出て値段がそこそこするから嫌いになってもらったら買わなくていいからというのもある…)
だから特定の属性の男の間に大人になっても萌え絵を嗜好していてよい正義があり一般社会まで漏れだした雰囲気が漂うと「私には捨てさせたくせに。捨てることが正解だと内面化に努めて諦めて捨てたのに」という恨みが募る
さて、オタクの好きな萌え絵がバカにされなくて済む方法は何か?
それは日本全体が豊かになり親がアニメグッズを溢れるように与えられる経済基盤を作り、大人女性向け商売の化粧品やファッション業界を叩いて女性を女児アニメの世界に留まらせ続けることである
ルッキズムに賛同してモテない自虐をしつつ対立相手をブスと詰っている間は萌え絵を馬鹿にする価値観を強化しているにすぎない
外見を理由にしたモテる・モテないの「自分についての」話を即刻我慢すること。これがオタク大勝利への唯一の道筋である。知らんけど
「月見ナントカもう食べましたか~?」という屈託のない声がしたと思ったらテレビの中からで、明らかに月見的有機物の生産能力を得ていない年頃の女児が笑顔で出演しており、その黄色いのと白いのはどこから出てくるのか知っているのか、けっこう意外な場所だよ、などと聞いてみたくもなるし、すぐれたCMだとはまったく思わないが、昨年のCMを使うわけにはいかないことも承知している。昨年は月に着陸した経験のある元宇宙飛行士が月見ナントカを頬張って「月にいたころを思い出すなぁ~」と大きくうなずいたところに月の字と見の字の中央が月のマークになっているロゴが出てくるCMだった。彼が月にいたころはフリーズドライされたきんぴらごぼうを水で戻していたりしたはずなので加熱した鶏卵を見ても「加熱した鶏卵だ」としか思わないと断言できるがCMの効果としてはまずまずで来年も同じ路線を継続できたはずだった。しかし残念なことに月見ナントカの季節が終わったころに彼が夏に犯した盗撮事件―スマートフォンの写真フォルダに入っていたのは黄ばんだパンツの写真ばかりだったという警察の談話が広まって当該メニューを連想しない方が不自然である―が発覚してしてお役御免となってしまった。地球からはるか38万キロ離れた月に着陸して生還しても盗撮をしたいというくだらない欲求にすら勝てない……宇宙の儚さを感じさせる話だが、むしろ人間の性欲の無限の広がりを称賛して詩の一片でも編むべきなのかもしれない。それはともかく、女児は月にも卵にも縁のない存在ではあるものの、少なくとも「無限の広がり問題」についての考慮は必要なく、前年度比で5%も売上が増えれば大成功の部類に入る定番メニューの売り方としてはこれが正解といえよう。ただしそれは人間にとっての話であって、やはり鶏にとっては月見ナントカの季節は憂鬱なのである。しかも中秋の名月は昔も今も一晩で、もう今ごろは月を見ようと思ってもほとんど何も見えないのですが、「月見ナントカの季節」とやらが年々長くなってきているように思うのはわたしだけでしょうか?……などとインターネットの片隅に書いたりしたらそれを見た月見ナントカ製造業の担当の人が短くしてくれたりするかもしれない。そう思って書いている。
物心がついたころには鶏舎におさめられていたので、わたしにとっての世界とは目の前にある餌と両隣の仲間だけなのだが、世話係の人間が見るためのテレビが見える位置にいたことは幸運だった。遠くの檻におさめられてしまった鶏はときどき世話係が紙芝居を見せることで慰めとしているようだが、その紙芝居はカナリアが猫に捕らえられて食べられたり、航空機のエンジンに鷲がつっこんでバラバラになったりするようなものばかりで、要するに「鶏舎の中は不自由と思うかもしれないけれど、とても安全なのでこの境遇に満足すべき」ということが言いたいらしい。そんなことはわかっているしそれなりに感謝もしているのだが、文化も必要なので、せめてすべての鶏がテレビを見られるようにすべきだと思う。
話を月見ナントカに戻そう。鶏にとっては文化の箱であるテレビだが、鶏肉や鶏卵の扱いについては目をそむけたくなるものが少なくなく、人類の存続のために鶏の存在は不可欠であるとはいえ、鶏肉を細かく切って串に刺し、焼いたものを笑顔で頬張るようなシーンを毎日のように目にする。人間に置きかえて考えてほしいのだが、たとえば職場にあるディスプレイで朝から晩まで、人間が細切れにされて焼かれている映像が流されていたとしたら、生産性が大幅に低下してしまうのではないだろうか。よい企画を思いついたとしても「どうせ死ぬんだから」と思えば手が止まるし、エクセルのマクロがデタラメな集計をして日時の売上のグラフが地を這っていたとしても「どうせ死ぬし」と思えばそのままメーリングリストに流してしまうことだろう。「儚い命だが生きている間は後悔しないように一生懸命仕事しよう」などという殊勝な心がけを持つ人類はわずかなのである。それを考えると、モチベーションの下がる映像を見せつけられながらも餌を食べ卵を産み続けるという業務に邁進しているわたしが人間に転生したらひとかどの人物になれるだろうと思うのだが、それにしても月見ナントカだけは耐えがたい。百歩譲ってただ鶏卵を食べるだけならよいのだが、月見ナントカは鶏卵を食べながら、それを鶏の卵としてではなく惑星に喩えているのである。秋になったら月を見たくなるという人類の気持ちも理解しかねるが、月を人類の性器のように隠すことを義務付けられているのならともかく、窓の外に目を遣れば無修正の月を見たいだけ見られるというのに、あえてカーテンを閉めて食卓で月見ナントカを味わう……この習慣を倒錯と言わずして何と言おうか。置きかえてばかりで恐縮だが、人間の胎児を加熱したものを土星に喩えたりしたら、「人間の胎児を加熱するところまでは我慢するが、せめて人間を加熱したものだとして食べてほしい」と思うのが自然な気持ちではないだろうか。
わたしたちが産んでいるのは無精卵なので、人間の胎児と同じとするのは議論が雑なのかもしれないが、月見ナントカに屈辱感を味わいながら月見なんとかの原料をせっせと生産している者がいることは理解していただきたい。月見ナントカを買うなとは言わないが、月ではなくて鶏の卵としてご賞味いただきたい、というお気持ちを書かせていただいた。
ここは一度初心に返って、全国フェミニスト議員連盟が千葉県警に送ったとされる文書を読み返してみたい。
「本動画は、女児を性的な対象として描いており、女児の定型化された役割に基づく偏見及び慣習を助長しています。
戸定梨香というVTuber(アニメキャラクター)は、セーラー服のような上衣で、丈はきわめて短く、腹やへそを露出しています。
体を動かす度に大きな胸が揺れます。
下衣は極端なミニスカートで、女子中高生であることを印象づけたうえで、性的対象物として描写し、かつ強調しています。」
この文書であるが、フェミ側は自分の言いたい本心部分を言えていない。
なので今回のVtuber問題は、フェミ側も反論する側もどちらも議論がズレているように思える。
フェミが言えていない本心の部分とは、戸定梨香というVTuberの顔そのもの、要するに彼女が「美少女」であるという設定のことである。
フェミが気に食わないのは彼女の露出でも胸の揺れでも何でもなく、彼女の顔そのものなのであると私は見抜いている。
それを言わないから、反論側から「性的消費とか意味不明だ」という反論が飛び出す。
仮にフェミが彼女の顔について言及したら、「フェミニズムはモテないブスの狂った集団だ」と反発される。
実際にその通りなのだが、フェミ側はそのような反発を受け止める度胸は無いのだろう。
それが日本のフェミニズムの限界であり、さらに飛躍することはできないだろう。