はてなキーワード: ブラックボックスとは
前々から思っていたけど、東大教授ってやっぱアホだらけだよね~。
受験生の再現答案をかき集めることのできる予備校(講師)だけがそのブラックボックス(≒採点基準)の中身を知ることができるようになった。
そうした「優秀な」予備校講師に出会えるのは、こうした実態を知っていて、かつ、カネを持った親の子のみ。つまり俺のような奴だけ。
周囲の受験生があくせく勉強している中、こうした予備校講師の分析結果をごっそり頭の中に入れて、あとは紙上に吐き出すだけ。
だからね、
id:hdampty7 東大の2次試験を知ってるとまた違う反応になると思う。問題数が少なくて論述式なのよ。
ってのは全然理由になっていない。「論述」だからこそ解答例・採点基準を公表しないとダメなんよ。
カネのない奴(≒「優秀な」予備校講師に出会えない人)が、採点基準を知りえないが故に、余計な勉強を山ほどしないといけないってのは不公平でしょ?
「それが社会ってもんだろ。わっはっは。」ってんなら知らんけどね。「世の中の多くに解はない」ってのはそういうことよね。
そうそう、こういう↓データが出てんのも、入試解答例を公表しないのが一因だと思うよ~。
まず発達障害者と一括りにするのは不適切です。人によってはむしろ言語外情報のやりとりも要求される通常のコミュニケーションよりも、言語に集中できる文章読解の方がやりやすいというケースもあります。結局のところ得意不得意は個人的なもので、大学も欲しい学生を採る権利があるはずですから、そこまでの配慮は不可能でしょう。
また、小説の心情読解の問題にもある程度システマティックな解法は存在しますから、感性的なものに頼らずともある程度対策可能です。
そもそも感情というものは、感覚とは異なり、文化的な要素が強いものです。顕著な例として、「恥」と言う感情が挙げられます。日本人とその他の文化の人々の間で、恥という概念は共有されますが、どういう場面でどういうことが起こった時に恥という感情が生じるかは、文化によって異なります。つまり、恥という感情には、後天的に身に付けなければならない、文化の中で定義されるある種の知識・技能の側面もあるということです。
この事の裏を返せば、国語の試験で問われる心情問題というものを、文章として描かれている登場人物の置かれた状況に対し、上述のような定義に基づいて感情を当てはめることができるかを問う、一種の語彙問題と捉えることもできるということです。例えば、主人公と敵対関係にあった人物が、悲惨な状況に陥った主人公に対して一瞬敵意を収め、微かに気遣いを見せた場面があり、そこでその人物の心情を問われたとすると、解答の最大の焦点となるのは「同情」「憐れみ」と言った語彙が出せるかどうか、ということなります。その際基本となるのは、それらの感情表現の辞書的な定義を理解・運用できるかという理知的な言語能力であるはずで、それを要求・評価するのは国語の試験として至極正当であると言えるでしょう。
もちろん普遍的に通用する系統だった解法が存在するわけではありませんし、非論理的な設問も存在しますが、小説の問題と言えど考え方は全くのブラックボックスではないことを理解して、どの科目の試験にも相性のような要素はあることも踏まえれば、多少の向き不向きがあるとしても適切な指導次第で対策可能であると考えます。
余談ですが、昨今入試問題に対する意見を多く見かけます。これを機に、そもそも試験というのは出題者から一方的に与えられるものではなく、受験者やその指導者それぞれが関わって成り立たせてゆくものだということに立ち戻って、出題する側もそれを解く側も、より良い問題を作り、より良い考え方で解く、という意識が共有されるようになることを期待しています。
そもそも福原Pが「何に対して不満を持たれていたのか要領を得ず困惑していたと言うのが正直な所」と言っているのは12月下旬の報告の中での話で、その後12.1話と同人誌については許可は取っていると釈明しているが、その釈明そのものが釈明としての意味をなさずに非があったことを自ら示しているように見受けられる状況。
そして福原Pは何が問題視されていたのかについては結局話していない=最後まで分かっていないか、分かったがあえて語っていないかのどちらか。
この時点で問題視されていたのが同人誌かそれ以外か同人誌とさらにそれ以外もだったのか、詳細は分からないけれど、とりあえず分かりやすく同人誌が問題視されていたと仮定して考える。(他のケースでもだいたい似たような話になると思うので)
仮に今に至っても問題に思っていないのであれば、上層部の人間が出てきてまで話し合いの機会が設けられてそれでも本当に委員会に話を通さずに他所で使用したイラストを使用したことを問題視していないのであれば、つまり、話し合いがあってもまだきちんとしたコミュニケーションが取れず、権利に関して雑な認識のまま、となってしまう。そうなれば二期続投は難しいだろう。
次に話し合いが持たれて認識の一致はできたが、何らかの事情があってそこには触れず、最終的に決裂した原因については黙っている場合について。
その場合、ではコミュニケーションの不足と権利関係に関する認識の粗雑さが帳消しになったかと言えば、そうではないと思う。役員が出てきてヒアリングをするまでは問題にも思っていなかったその時点でそもそもどうなのよ、という話が一つ。
そして今回はたまたま専務が仲介することになったから共通の認識が持てたが、では今後はこのようなことが起こらないと言えるのか?という点が一つ。
今回は誰も悪くなかったので特に問題にはしないが、今後続けてビジネスパートナーとやっていくには難しい、一アニメのために都度上層部の人間を引っ張り出して討論しないといけないのか?それだけのメリットは本当にあるのか?という判断をすることそのものはやはりそこまでおかしくないように思う。
もちろん、もっと別のメンツの問題が絡んでいる可能性は否定しないし、儲け度外視の個人的感情を優先したケースも考えられる。そこはやはりブラックボックスでしかないので考えてもどうにもならない。
ただ、個人的にはそのあたりの最終的に二度目の決裂がどういう理由だったのか、といったところは話していなくて、そもそも最終的な理由自体は問題にしていなくて、最初からもっとコミュニケーションを密にしていて権利関係についてもしっかりとしていればこのような問題は起こらなかったのではないか、という点において、ヤオヨロズ側というかこの場合は窓口だった福原Pだろうか、そこがコミュニケーション周りや利権関係の面において(作品作り面とかその辺は全く話していない)巨大プロジェクトを担当できるほどの能力を有していなかったという話ではないか、と現存する文章からは読み取れるな、という、二度目だけど思考実験的な話だというだけ。
読み取れる→解釈の一つとして読み取れる くらいに。再三だけどこれは与太話。同じ文章から別方面の解釈をすることも可能だと思う。個人的にはこの解釈のしかたが一番とりやすかった、という。
https://agile.kddi.com/confluence/display/HABU/calendars
下請け企業がやっていた、法律の穴をついたような悪行によって、
苦しんでいる人がたくさんいる。
という部分においては、国家がきちんと迅速に対応してほしいと思います。
※法律の穴
違法と知っていて最低賃金以下の異常に低い賃金で奴隷のように働かせ、
計画倒産の上で、人員を切り捨て、まったく同じ新しい会社を設立する。
これで、未払い賃金を払わなくて済む。(未払い賃金は国が負担つまり税金)
以下ループ。
ほんとにこういうのはどんどん淘汰されてほしいなと思います。
という一面と。
という意思表示に他ならないのであって、ちゃんと労働コスト支払ってます。商品の値段は相応にします。
じゃあ高いから買わない。
というのは違うよなぁ・・・とも思う。
今まで表面化せずに、価格の恩恵を受けてきたイチ消費者として、
ということなのかもしれないということをちゃんと想像しないといけないな。
でも安いからという理由で買う人はたくさんいて、コストメリットを出していく
企業は世の中にはたくさんあって、そういう企業が「どうやって」それを実現しているのか?
が結局ブラックボックスである以上、なかなか難しくて根が深い問題なんだな。
ということも感じた一件でした。
こういうことも様々な企業を見る目を養うのに、役に立つなと思い、
かしこ。
マクロのパラメータが痛んでるときに、最後のブラックボックスであるイノベーションにかけて一発大逆転を狙うと必ず無理がたたってインパール作戦になるので、現実を直視し、エビデンスに基づいてコツコツ修正するように、と言ったのに…。 経産省にも責任があると私は思う。
この分析は非常に正鵠を射ていると思う。今や、この国のあらゆる人々が一発逆転を期してユメを語る人間にカネを託すようになった。言い換えれば、経済が停滞を続ける状況下において、ブラックボックスは最もカネになる存在となったのだ。
しかしながら、社会システムが硬直化して閉塞している場合、不確定要素を入れて、例外的状況を生み出すしか活路はないと思うんだが。
(もちろん、規制緩和というやり方等もあるが、それはそれでやれば良いと思うし、使える手段は全て使うべきでは?)
単にやり方が良くないだけにも見える。
STAP事件の場合は、公的機関である独立行政法人に金が集まりすぎたのが多分問題だったし、スパコン詐欺事件の場合は、助成金詐欺だが、大体、民間資金だけでは回せないから助成金を入れるという話が筋なのであって、「公的資金を入れている場合は、それに対する民間資金の上限を設ける」等の措置を取ればいいようにも見える(もちろん、簡単に考えすぎな部分もあると思うが、基本路線としては)。
もちろん、「民間資金だけで回せる」というならば、それに越したことはないし、金になりそうならば、公的機関でも民間の営利企業になった方が良いと思うしね。
今にして思えばSTAP細胞事件が典型的だったと思う。妄想(ゆめ)を語る研究者に対する人々の期待がバブルのように膨らみ、マスコミや業界紙はそれをさらに煽るべくショーアップする。結果として、彼らの下には多額のカネが集まってくる。
結局、そのバブルは弾けて水泡に帰した。しかし、本来、科学的研究などというのは失敗してナンボのものであり、提案された成果の追試が成功せずに認められないことは珍しくない。STAP細胞も、そのような失敗した研究の一つとして粛々と科学史の闇の中へと消えていく程度の話であったはずだ。
しかし、現実には有名研究者であった副センター長の自殺という衝撃的な結末を迎えた。何が、彼をそこまで追い込んだのか?
翻って今回の場合、齊藤氏とその技術者チームが開発したスパコンはGreen500で四位という立派な成果を出したのであり、その技術力は虚像ではない。だが、その発言が非常に危ういものであったことはすでに指摘されている。
(中略)
次世代のスーパーコンピュータの必要性は、もう釈迦に説法であるかもしれないが、さまざまな手法による省エネルギー、そして新エネルギーであり、最終的にはエネルギーフリーに持っていく。小型熱核融合といったところには核変換の機能が付与されるため、資源問題が大きく改善、解決されていく可能性がある。
食糧問題というものも、植物工場のあり方次第で大きく変わってくるということや、衣食住がその次のフリーになるというようなところも議論としてあり、続いては安全保障、軍事の議論もここに含まれてくる。やがて保有するスーパーコンピュータの能力が国力という時代が非常に近づいてきているのではないかと思う。
http://www5.cao.go.jp/keizai-shimon/kaigi/special/2030tf/summary_281003.pdf
夢を語るのは良い。だが現実には何が起きたか。おそらくは、彼の描く楽観的なビジョンに対して次々と舞い込んだ多額の助成金が、後ろ暗い勢力を引き寄せる結果となり、最後は食い物にされた。それが、今回の件の実態なのではないか。
(追記:四億円だけの話をしているわけではないよ。)
同じく委員会に参加していた「東ロボくん」などのプロジェクトで知られる新井紀子氏は、今回の件についてこうコメントしている。
マクロのパラメータが痛んでるときに、最後のブラックボックスであるイノベーションにかけて一発大逆転を狙うと必ず無理がたたってインパール作戦になるので、現実を直視し、エビデンスに基づいてコツコツ修正するように、と言ったのに…。 経産省にも責任があると私は思う。
この指摘は非常に正鵠を射ていると思う。今や、この国のあらゆる人々が一発逆転を期してユメを語る人間にカネを託すようになった。言い換えれば、経済が停滞を続ける状況下において、ブラックボックスは最もカネになる存在となったのだ。
このことは、昨今の政治スキャンダルの様相が変わったことと大きく関係していると思う。前世紀と比べて、我が国ではハコモノ利権は相当に厳しくなった。これは、有権者の目が嚴しくなったこともあるが、マクロの経済環境が停滞した結果、そもそもバラ撒くためのカネがないということもあるだろう。
一方で、昨今に取り沙汰されている政治スキャンダルを振り返ってみると、全て「教育」「構造改革」「イノベーション」に関するものだ。繰り返そう、ブラックボックスはカネになる。子供の中にも先端技術の中にも無限の可能性があり、そこに対する投資は無条件に正当化される。
既存の利権の伸びしろが無くなった今、ブラックボックスに対する期待をカネに変えて配る、すなわち「イノベーション利権」の構造こそが、この国の政治の最先端の姿なのではないか。
前者は無能の集団だとバレてしまった事、後者は現在進行形で無能だとバレている事。
立憲民主が民進と後々合流するつもりらしいが政治屋に任せてしまえばまためんどくさいことになるのだ。
金をカットするのは馬鹿でもできる。そこからどう成長させられるかが肝なのに、下に任せっきりになる。しかもワンマン脳なので適当なことをチラホラ言う。先頭に立って作業するなど絶対にしない、というか出来ないししないで欲しい。
埋蔵金なんてなかった。ブラックボックス化というよりも踏ん反り返ったジジイ共が居ただけだった。首をすげ替えたら誰も動かなくなった。
また同じことをやるのか。
今回の国政でわかったのは「自民党苦しそうだな」ってだけなんだよ。
民進よ、そこから生まれた新たなシンパよ、お前らは単純に敵なんだよ。苦しみを生むだけのな。
詐欺師を呼び込んで総理の嫁さん騙くらかした事を国会で言っても何の恥じらいもない。
自分達の無能さで数年も大学作りをストップさせた事実を受け止めさせない。
味方は選べよ。
なお、野田氏は県連の選対委員長を務めており、数人に出馬を打診していたが断られる
本人はそれまで「出馬しない」3回も負けており「賞味期限切れじゃないですか」と公言
長年、県連で汗をかいてきたらしく、本人の意思を尊重してあげたいという意見や分裂すべきでない、2区に影響が出るなど収束せず
野田氏、泣く
外国人参政権だけは譲れないと明言
本人「申請はしていない」
「選挙はもう目前に迫っている。われわれは安倍1強政治にピリオドを打つために必死に頑張る。意思合わせは選挙が終わってからだ」
民主党時代、公認申請しながらも公認もらえず対抗して維新に鞍替え出馬した事は皆憶えてるぞ
手下増やしたいだけの細野モナ夫も同様にクズ、こいつが一番かも
稲田朋美楽勝おめでとう
ただ、最低投票率記録かな
日本習字では毎月、お手本と冊子が送られてくる。
お手本は原田観峰、冊子には日本習字の高位段の会員の作品が掲載されていた。
子供ながらに自分はすごく美しい字だと思ったし、きっとすごい人たちなんだろうなぁ~と思っていた。
中学三年生くらいの時、たまたまネットで原田観峰について調べたらとあるサイトでぼろくそにたたかれていた。
内容は「書道の世界に段位を持ち込んで人々の誤解を招いた」というものだった。
私の中で原田観峰のイメージが崩れてしまい、同時に自分が恥ずかしくなった。
もしくはYoutubeの誰かの動画コメントに「下手」「正しくない」「正しい書き方は~」
そもそも、2chは便所の落書きだし、匿名のコメントでは判断の仕様がない。だか私にはこれらの書き込みにはおそらくある程度の説得力があるように思える。
そしてどうやら書道業界では柿沼康二という人物が相当な実力者らしい。
彼は、昭和の三筆の一人である手島右卿に師事し、毎日書道展毎日賞という書道界では栄誉ある賞を20代で受賞。大学生の頃は16時間を臨書に費やしていたという。
私の中で彼は、わかりやすい「書道のすごい人」になり、書家の指標になった。
人間は単純だから、複雑な社会を一つの軸や価値観を通してしか見ることができないという話を聞いたことがある。
なるほど。
例えば漫画を見てみよう。
ある売れている漫画が2chなどで叩かれている光景を目にする。
絵が下手なのに売れているのが理解できない、ストーリーが下手なのに売れているのが理解できない、と。
人間社会は複雑なので、実際には「マーケティング」「絵」「ストーリー」「タイトル」「時代性」「知名度」……そして「好み」非常に多くの事柄がかかわって「売上」という数字をたたき出している。
それなのに一つの項目だけを見て売上を語ることはおろかである。
だが、それでも人は絵のうまさだけで売上を語りたいのだ、2chに書き込みたいのだ。
私が今どういう状況かというと、ちょこっとだけ書家の世界をのぞいてみたい。
漫画家のランキングをつけようにも、何度やっても決まらないだろう。
ただ、一流の漫画家を挙げろと言われれば誰もが納得する名前が挙がることだろう。
だが、私の好奇心がそれを欲している。
ならば下手という指摘はなぜできるのか。
これは断言するが、書道業界を知らない素人にとって書道のすごい人は武田双雲だ。
たとえ武田双雲がプロからみてどれだけ下手で臨書をしなくても、その事実はおそらく変わらないだろう。
柿沼さんはどう思うだろうか。素人に理解されなくてもいいと思うだろうか。少しでも多くの人に本物の書を知ってほしいと思うのだろうか。
このことを悲しむだろうか、残念に思うか。自分がその立場なら残念に思うかもしれない。
でもこの話は書道業界だけの話ではなく、音楽、映画、現代芸術、きっとどの業界にもある。
だから柿沼さんもまた別の業界の素人であってその道のプロから何か思われるかもしれない。
もちろん、彼の情熱を見る限り、芸術分野ならきっと通じ合うものがあると思うが。
私の言いたいことは、素人というのはそういうレベルの人であるということ。
自分の当たり前が通じない、それも毎年何万人もの素人が新しく量産される。
私が長々と何を言いたいというかというと、書道はブラックボックスであるということである。
芸術系の分野ではおそらく、自分の知る限り最もブラックボックスである。
現代芸術では絵のうまさは最も重要な項目ではない。最も重要なのは文脈である、らしい。
その作品がアートの歴史の中でどういう立ち位置にいるのか、どういうコンセプトなのかが重要な位置を占める。
私は書道のことに詳しくはないが、書道の世界の美しさ、素晴らしさ、良さは言葉で説明できないようなものであるのではないかと思う。
もっと言うと王義之の書が最高といわれるが、素人にはわからない。きっと時間をかけて書にふれれば見えてくる世界もあるかもしれないが、素人にその気はない。
私はフォントが好きなので、いろんなフォントをよく眺めている。王義之の書より日本語フォントに美しさを見出す。
もちろん、それはあくまで、私の心の中の世界の話であり、好みである。正しさではない。
書道の正しさでは王義之だろう。それか書道とフォントは全くの別物だから比べることじたい意味がないのかもしれない。
まぁ、書家のいうなんちゃって揮毫も多くの素人が美しいと思うのと同じかもしれない。知識不足で見えない世界のため、下の世界で満足しているだけかもしれない。
話は変わるが、待ちゆく人に好きなフォントを聞くと「MSゴシック」だそう。たぶんデザイナーではありえない。少なくとも自分は好きではない。
美しいとされるフォントは手書きの温かみを再現していたりするので、書道から教えられることは多いかもしれない。
でも私は彼らを馬鹿にしたりはしない。無論、私は一流デザイナーではないし、アーティストではないから柿沼さんと比較はできないが。
つまり素人というのはそういうものである。どの業界もきっと素人にわかってもらえない苦労はある。
だからやさしく教えてあげればいいと思う。
書道界で名をはせている人はなぜ有名なのか?
美しいとされる文字はなぜ美しいとされるのか?
正しさはどこにあるのか?美しさはどこにあるのか?
そもそも沢山の人が訪れる分野ではないかもしれない。ネットで書道の情報を集めるのは(ほかの分野に比べれば)大変だ。
派閥ではなく真に実力で名をのこした書家を知りたくても素人にはわからない。
つまり、ブラックボックスの芸術なので、ネットで書家が叩かれているのが正しいのか正しくないのか、的外れなのか的を射ているのかわからない。
下手といわれても素人目にはすごくうまく見える。
下手なのを説明できないのであれば、うまいのを説明できないのではないだろうか。
私は説明もなくただ、下手だといわれても素人だから納得できない。
追記:
そうか…
悪文ごめんね。思ってることを書き連ねたらこんな文章になってしまった。
冷静になって読み返してみると話が飛びすぎてるし、後半読みづらいのは確かにある。
ごめんね。
でも頭が悪いっていうのはひどいよ。
言いたいことを要約して書くけど、
だからそれは過程の話であってユーザーにとってはまるで関係ない話だって何度言わせればいいんだ
そういったゴタゴタが表に出ずに価値を下げず利益を得るという「結果」が重要で、
それをゴールにしないといけないって話をさっきからずっとしてるんだがお前はそれが不満なの?
「こうこう、こういった理由からできなかったからしょうがない!」
ってお前の主張はそれはユーザーサイドでもないし権利元にとっても全然嬉しくない
そうならないために製作委員会はさっき言ったゴールを全力で目指さないといけないし
そのお前のいう舵取りをする責任が角川にあるわけ
たつきがもし角川よりも力があるスタジオを持っていたとしたら逆にその非難はたつきに向かっていた
委員会として円満な進行をするという責任があったのは角川です、これはたつきじゃない
ユーザーサイドにとってはどうでもいい、どころかマイナスにしかなってない
だからブランドイメージを守ることに当事者全員が意識しなければならない
単純な話
だけどお前みたいな切り分けできない馬鹿が
よかったね~
「感情移入」といっても
NTRに限らず男性向けエロ話に対する割と普遍的な読み方だと思うのだけど、
これは別に女性の立場になることを望んでいるということではない。
強制労働施設からいち早く出ないと命も縮めると悟ったカイジは、
受け取る金を貯金していくことを決意するが、
班長の甘言もあり結局ビールや焼き鳥に散財してしまうというエピソード。
脱出のために貯金するという強い決意が揺らいでいけばいくほど、
決意を反故にして食べた焼き鳥とビールのうまさもまた想像される。
これってエロマンガとかで女性が堕ちる話と類似の構造なのだけど、
カイジの心情や食事のうまさを強く想像しながら読んだとしても、
それと同じように、
女性側の心情を強く想像するという意味で「感情移入した」読み方をしても、
それは自分がその視点に立ちたいとかその役割をしたいということではない。
でブラックボックスで多様に見えるからこそ、強い性的な興奮や快感を女性側にたくして
2017/3/5 23:05
各プレイヤーの思考材料は相手のハンドと誰が何を言ったかの二点。
発言者ってのは客観情報と主観情報を入力に取り、自分内の思考を織り交ぜて出力する。
ゲームをプレイするに当たって、この関数の挙動を推察する必要がある。
これがこのゲームの醍醐味であり、いわゆるコミュニケーションゲームの本質の一つ。
複数回ゲームを行えば傾向や流れ、あるいはゲーム進行における暗黙のルールが把握できる。
これを全プレイヤが思考することで、いわゆるメタゲームが構成される。
コミュニケーションを支配できれば自ずとこの"ゲーム"に勝つことができる。
勝ち得るというか、勝つための道筋が見えてくるはず。
2017/3/5 23:14
就活を始めた3月から、本当にいろいろな業界や会社を調べてきた。
良かったのか悪かったのか今でもわからないが、ネットでいろいろと情報を集めていたのだ。
ネットの噂に踊らされ続け、消去法を繰り返すうちに本当に行きたいところというのがなくなってしまった。
ネットを見るとどこの業界・会社も悪く書かれているもので、重工自動車系は片田舎に飛ばされ飼い殺し、SIerは結局人を使うだけの仕事、Web系は給料が低め、、
そうして踊らされ続けた結果、当初は全く想像していなかった業界、名前さえ知らなかった会社に入ることになった。
結局行きついたのは良い噂も悪い噂もネットに情報が乗っていないような業界の会社だった。
上場はしているが有名企業というわけではなく、年収はいいが激務という噂もあり、そもそも歴史が浅く噂が立つほどの歴史がない。
そんなブラック企業ならぬブラックボックス企業に内定を承諾してしまった。
今思えば謎の選択だった。
こんな気持ちでやっていけるんだろうか。
そもそも、あなたのパートナーは姓名判断の使い方を間違えているし、
あなたはあなたで、姓名判断が今なお存在する理由を全く理解していない。
だが、何らかのニーズがあったからこそ、今まで生き残ってきたのではないか?
そしてどんなニーズかというと、変な名前をつけようとする奴への抑止力だと考えるのが自然だろう。
仮に、ネーミングセンスのおかしい親がいるとする。子の誕生で舞い上がっているものだから、
なおさら理解に苦しむ名付けをしがちだ。しかし、直接そう言おうものなら角が立つ。
そんな時に活躍するのが、姓名判断という名のブラックボックスである。
北海道には難読地名が多いとされる。確かに、俺も北海道に引っ越してきたばかりのときは戸惑った。とにかく地名が読めない。
でも、地名といっても所詮は人間がつけたものだ。ある程度の規則性はある。だから、いくつかの法則さえ抑えておけば、北海道の地名なんてある程度は余裕で読めるようになる。これから紹介するいくつかの法則は、俺が3年かけて発見した非常に有用なものだ。ぜひ憶えて帰ってほしい。
・法則①「寄」と来たら「ヨロ」
これは鉄則。応用範囲は狭いが、的中率は100%近い。足寄、名寄などがある。ちなみに道民は最寄駅のことをモヨロ駅と読む。ちなみに近所に流れるウヨロ川にはオヨロ橋がかかっている。頭おかしい。
・法則②「美」は「ビ」
ミとかウツクシとかも考えられるが、北海道の場合、美と来たら100%「ビ」と読む。美瑛(ビエイ)、美幌(ビホロ)、美深(ビフカ)など。道民なら9割が気づいている法則だ。美幌ときてミホロなんて読んでいたら素人丸出しで恥ずかしいから確実に抑えておこう。
上2つは経験則だからおれの知らない例外があるかもしれないが、これは例外が存在しない。別は絶対にベツと読む。登別、喜茂別、紋別など。内も絶対にナイだ。歌志内、中札内、木古内など。なぜ断言できるかというと、ベツもナイもアイヌ語で川を意味する語彙だからだ。北海道の地名は川にちなんだものが非常に多い。ちなみに近所には別々川(ベツベツガワ)という川が流れている。日本語に直すと「川川川」だ。頭おかしい。
これはガチ。北杜、松前、八雲、森、駒ケ岳、せたな、など。これらの地名は比較的サラッと読めるだろう。これらは皆道南の地名だ。さらっと読める地名はたいてい道南の地名。これは覚えておくと役に立つ。逆に言えば道南の地名はまともに読めば当たるということを意味するからだ。道南の地名だということがわかっていたら深読みはせずストレートに読んだほうが良いだろう。道南から北に移動していくと、長万部あたりから急に読めない地名が増え始め、北に行くほど難易度が上がっていく。
・法則⑤「幌」は諦める
札幌、羽幌、幌糠。これらはすべて読みが違う。さっポロ、はボロ、ホロぬか、だ。札幌は馴染み深いから誰でも読めると思うが、それは知っているから読めるだけだ。これらの幌が付く地名は、いずれも理論的に読みを推測することが不可能だ。どんなときホロが来て、どんなときポロが来るのか、それを予測することは誰にもできない。たとえ道民であっても触れてはいけない禁断のブラックボックス、それが「幌」という字だ。
・法則⑥変な読み方しておけばたいてい当たる
留萌という地名がある。留は「ル」で良いとして、問題は「萌」だ。素人はこれを「モエ」と読んで、ルモエと読んでしまう。素人丸出しだ。こういう地名に当たったら、とりあえず素っ頓狂な読み方をしておくと正答率が上がる。この場合「モイ」だ。何故萌をモイと読むのか疑問に思ってはいけない。とにかく迷ったら素っ頓狂な読み方をしておけば良いのだ。これは先ほど上げた「足寄」なんかにも使える。「寄」は法則①を適用してヨロだとして、「足」の処理に困るはずだ。こういうときは「アシ」とか「ソク」ではなく「アショ!」と読もう。アショ!ヨロ!、アショロだ!と、こうなる。こういったプロセスで読めば全問正解間違いなしだ。多少難易度の高い、慣れが必要な技だが、ぜひ抑えてほしい。
ここで上げた法則1~6を理解した貴方は、初見の地名であっても読みの正答率がかなり向上しているはずだ。自信を持っていい。では実践に移ろう。以下に挙げた地名を読んでみてほしい。この6つの法則を理解した貴方は、間違いなくすべて読めるようになっているだろう。ちなみにネイティブ道民ならおそらくすべて読める。なぜ読めるかというと、こういった法則を深層学習的に理解しているからだ。
・音威子府
・枝幸
・弟子屈
・平取
・占冠
・増毛
・興部
・1839峰
以前増田に「新興宗教がいかがわしいのは個人崇拝の色が残っているから」的な投稿がありました。
自分も同じ考えで、歴史の浅い宗教だと、とにかく教祖や何代目かが言うことは絶対になりがちです。
これの何が問題かというと、外から見た場合、向こうがどういう基準で動くかわからない、
なんせ上にいるやつの気分次第だから、これが実に厄介なわけです。
こういうことを考えるのは、そもそも自分が人間不信気味だからかもしれませんが、
人間のそれも感情に依存するシステムというのは、それだけでクソの極みだと思うのです。
名君というのは、どうにでも悪用できるシステムをうまく運用しただけで、
名君がいたからといって、システムまでいいということにはなりません。
そいつの息子がアホということも割とあるし、気まぐれで重税だの処刑だのやられちゃかなわん。
例えば自分は、同じ人の権利を抑えようとする勢力でも、今の日本でポリコレうるさい人に比べれば、
キリスト教保守とかイスラームとかの人らの方がまだマシだと思っています。
なぜかというと、少なくとも彼らには聖典というバックボーンがあって、
いざとなればそれをあたれば門外漢でも彼らの考えが少しは理解できるし、
もし言ってることと書いてることが食い違うようなら「お前それは違うだろ」と指摘もできる。
生物を作ったのは神で、進化論を否定しているから、ポケモンもダメということになる。
その結果は受け入れられないけど、そこに至る理屈はわからんでもない、となるわけです。
もちろん神学論争があるように、解釈を巡る争いがないわけがないのですが、
少なくともブラックボックスをブラックボックスのままブン回してくるよりはマシなわけです。
逆に言うと、ジャパニーズポリコレフリークの皆様のいかがわしさがどこにあるかというと、
とにかくそのバックボーンがふにゃふにゃであるという点に尽きます。
まず宗教がない。よその受け売りでしかない。元が感情で動いてるから理屈が毎回変わる。