はてなキーワード: バビロンとは
讃美歌リスト。順番に聞いていきたいなと思ったので
番号 讃美歌1番~100番 番号 この頁のトップに戻る
1 主イェスよ、われらに 2 聖なるみ神は
3 扉を開きて 4 世にあるかぎりの
7 ほめたたえよ、力強き主を 8 心の底より
9 わが身にたまいし 10 今こそ人みな
13 みつかいとともに 14 たたえよ、王なる、われらの神を
15 みことばにより 16 われらの主こそは
17 聖なる主の美しさと 18 「心を高くあげよ!」
19 み栄え告げる歌は 20 主に向かって喜び歌おう
21 主をほめたたえよ(歌えハレルヤ) 22 深き悩みより
29 天のみ民も 30 主よ、あわれみを
35 主よ、あわれみたまえ 36 いと高きところには
43.1 マラナ・タ 43.2 マラナ・タ
43.3 主よ、おいでください
44.3 キリストは死に
45 わが主のみことばは 46 すべての人よ
47 とわに たたえて歌え 48 主をほめうたえ
49 全地よ 主をほめうたえ 50 みことばもて主よ
51 愛するイェスよ 52 歌え 高らかに
55 人となりたる神のことば 56 主よ、いのちのパンをさき
59 この地を造られた 60 どんなにちいさいことりでも
63 天にいます父よ 64 まごころこめ
65.1 今ささげる 65.2 今そなえる
66 父と子と聖霊の
67 貴きイェスよ 68 愛するイェスよ(おさなごとともに)
71 近づき、み前にでよう 72 まごころもて
75 今、装いせよ 76 今こそ歌いて
77 パンくずさえ拾うにも 78 わが主よ、ここに集い
79 みまえにわれらつどい 80 今 与えられる
81 主の食卓を囲み 82 今こそここに
83 聖なるかな 84 聖なる神よ
87 罪なき子羊 88 心に愛を
89 共にいてください 90 主よ、来たり、祝したまえ
93 礼拝文 94 わが主よ、すべてを
95 聖なる霊よ 96 恵みあれ しもべらに
99 主イェスよ、われらの 100 聞きたまえわれらの祈り
125 いかに幸いなことだろう 126 感謝してあたらしい歌で賛美せよ
129 私の望みは 130 涸れたる谷間に
131 谷川の水を求めて 132 涸れた谷間に野の鹿が
133 み神は避けどころ 134 神よ、われをあわれみ
135 あわれみをたまえ 136 わが魂 黙して
137 聖なる主の家で 138 全地よ、神に向かって
141 主よ、わが助けよ 142 主はわがかくれが
143 主をほめ、主に感謝せよ 144 主に向かって喜びうたおう
145 全地よ、主に歌えよ 146 主は来られる
151 主をほめたたえよ 152 みめぐみふかき主に
157 いざ語れ、主の民よ 158 捕われの民
159 主が建てなければ 160 深き悩みより
163 み恵み深い主に 164 バビロンの流れの
169 ハレルヤ。主をほめたたえ 170 わが魂よ、主をたたえよ
181 主よ、今こそ 182 ほめうた歌え
187 よろこびの歌で 188 歌え、デポラ!
191 われら迎えん、救いの光 192 主イェス・キリストはわれらの道
193 神の使者、その名ヨハネ 194 神さまはそのひとり子を
195 まかれた種 196 主のうちにこそ
213 み神をたたえよ(さびしきこよいも) 214 わが魂のひかり
215 心をはずませ 216 月はのぼりて
219 夕日落ちて 220 日かげしずかに
221 この日のつとめ 222 キリストよ、光の主よ
227 主の真理は 228 造り主なる主
229 いま来たりませ 230 「起きよ」と呼ぶ声
231 久しく待ちにし(すくいの主きたり) 232 神のみ子は世に来られた
235 久しく待ちにし(イェスよ、きたりて) 236 見張りの人よ
241 来たりたまえわれらの主よ 242 主を待ち望むアドヴェント
251 羊飼い群れを守る夜に 252 羊はねむれり
255 生けるものすべて 256 まぶねのかたえに
259 いそぎ来たれ、主にある民 260 いざ歌え、いざ祝え
265 天なる神には 266 イェスは生まれた
269 飼いば桶にすやすやと 270 神はひとり子を
271 喜びはむねに 272 おやすみなさい
273 この聖き夜に 274 救い主キリストよ
277 罪なき神の子 278 暗き闇に星光り
291 み神の座を捨て 292 勝利をたたえて
293 救いのぬしは罪もなしに 294 ひとよ、汝が罪の
297 栄えの主イェスの 298 ああ主は誰がため
番号 讃美歌301番~400番 番号 この頁のトップに戻る
301 深い傷と流れる血に 302 暗いゲッセマネ
303 丘の上の主の十字架 304 茨の冠を主にかぶせて
305 イェスの担った十字架は 306 あなたもそこにいたのか
309 あがないの主に 310 血しおしたたる
313 愛するイェス 314 神の国の命の木よ
315 茨の冠かぶせられ 316 復活の主は
317 主はわが罪ゆえ 318 勝利の声を
341 来たれ聖霊、わが主 342 かみの霊よ、今くだり
347 たたえよ、聖霊を 348 神の息よ
349 神の息よ 350 来たれよ、聖霊
351 聖なる聖なる 352 来たれ全能の主
355 主をほめよ わが心 356 インマヌエルの主イェスこそ
357 力に満ちたる 358 小羊をぱほめたたえよ!
361 この世はみな 362 創造の主
363 み神の力は 364 いのちと愛に満つ
365 古い年は行く 366 悔い改めつつ
367 偉大なみ神の 368 新しい年を迎えて
369 われら主にある 370 おもいもことばも
371 このこどもたちが 372 幾千万の母たちの
375 賜物と歌を 376 人の知恵と言葉を超え
377 神はわが砦 378 栄光は主にあれ
381 力に満ちたる 382 力に満ちたる(わがかみの)
383 証し人の群れ 384 盾も武器もなく
385 花彩る春を 386 人は畑をよく耕し
389 み神をたたえよ 390 主は教会の基となり
395 建ちては崩るる 396 喜べつねに
397 主の教えのべ伝え 398 光りさす朝
399 さすらいの民よ 400 たとえ塔は崩れ
番号 讃美歌401番~500番 番号 この頁のトップに戻る
401 しもべらよ、み声きけ 402 いともとうとき
403 聞けよ、愛と真理の 404 あまつましみず
407 この世のすべては 408 この世のもので
415 せかいの友と 416 神の民は
429 世界のどこかで 430 とびらの外に
431 喜ばしい声ひびかせ 432 重荷を負う者
433 あるがままわれを 434 主よ、みもとに
435 主よ、みもとに 436 十字架の血に
437 行けども行けども 438 若き預言者
439 暗い夜 440 備えて祈れ
441 信仰をもて 442 はかりも知れない
443 冠も天の座も 444 気づかせてください
445 ゆるしてください 446 主か手をとって起こせば
449 千歳の岩よ 450 死に勝利された
451 くすしきみ恵み 452 神は私を救い出された
455 神は私の強い味方 456 わが魂を愛するイェスよ
459 飼い主わが主よ 460 やさしき道しるべの
461 みめぐみゆたけき 462 はてしも知れぬ
463 わが行くみち 464 ほめたたえよう
465 神ともにいまして 466 山路こえて
467 われらを導く 468 神をたたえよ
469 善き力にわれかこまれ 470 やさしい目が
471 勝利をのぞみ 472 朝ごとに主は
473 世界の望みなる主よ 474 わが身の望みは
475 あめなるよろこび 476 あめなるよろこび
477 主イェスを想えば 478 どんなものでも
479 喜びは主のうちに 480 新しい時をめざし
481 救いの主イェスの 482 わが主イェスいとうるわし
483 わが主イェスよ、ひたすら 484 主われを愛す
485 この世を愛する神は 486 飢えている人と
487 イェス、イェス 488 この世に造られた
495 しずけき祈りの 496 しずけき夕べの
497 この世のつとめ 498 道、真理、命
499 平和の道具と 500 神よ、みまえに
505 歩ませてください 506 すべては主のため
507 主に従うことは 508 救い主イェスこそは
513 主は命を 514 美しい天と地の造り主
515 きみのたまものと 516 主の招く声が
517 神の民よ 518 主にありてぞ
521 とらえたまえ、われらを 522 キリストにはかえられません
525 主なるイェスは 526 苦しみ悩みの
529 主よ、わが身を 530 主よ、こころみ
531 主イェスこそわが望み 532 やすかれ、わがこころよ
535 正義の主イェスに 536 み恵みを受けた今は
537 眠りからさめよ 538 力の限りに
539 見よ、闇の力 540 主イェスにより
541 また会うその日まで 542 主が受け入れてくださるから
549 わたしたちを造られた神よ 550 大地よ、星々よ
555 真っ青な空と海に 556 神の賜物を
557 み神の風うけ 558 主よ、聞きたまえ
559 見よ、世はすべて 560 主イェスにおいては
565 働く人びと 566 むくいを望まで
569 今やこの世に 570 主はわが命
571 いつわりの世に 572 主をあがめよ
573 光かかげよ、主のみ民よ 574 雪より真白い
575 球根の中には 576 天の輝きの宿る都よ
577 聞けよ、主の民 578 平和を求めよう
579 主を仰ぎ見れば 580 新しい天と地を見たとき
今回の参院選ではいつも以上に左翼陣営から『意に添わぬ投票行動をする人々』に対する罵倒が多かった。
それに対してはてブ等では、
「なぜ左翼は味方になりうる人に罵声を浴びせるのか。そんなことをして味方が増えるわけないじゃないか。非合理的だ」という意見が散見されたが、
これはとても間違っていると言わざるを得ない。
あるいははてブらしくもない、一面的、非リベラル的なものの見方だと言ってしまってもいいだろう。
左翼陣営にとって、「仲間になりうる人に罵声を浴びせる」というのは仲間を増やすうえで非常に合理的、あるいは合教条的行動なのだ。
基本的に、左翼陣営が仲間を増やすときに用いるのはアブラハム宗教メソッドである。
2、それを足掛かりに暴力をもって物理的制圧を行うか、精神的マウントをとる。
3、教化を行う
このような手順になる。
思想の輸入の際にメソッドも合わせて輸入されたのか、それとも敗戦の記憶がバビロン虜囚の代わりになったのか定かではないが、
日本でも左翼陣営が仲間を増やそうとしたときに行われる行動はおおよそこれで説明がつく。
ここまで書けばお分かりいただけるかと思うが、彼らにとって仲間を増やすことと相手を貶めることは不可分である。
仲間を増やしたい『のに』相手を罵倒しているのではなく、仲間を増やしたい『から』相手を罵倒しているのだ。
メソッド的には何も間違っていない。本来ならばこの後に続く、相手を圧倒する物理的暴力や知的能力を持ち合わせていないだけなのだ。
あらすじ
どうにか名辞を使って人間を作り出せるようにならないかってのを模索する
メインで進めてる人は、その技術つかって人口コントロールしようとしてたので、
こっそり下々の者にも名辞をばらまく準備したりする
技術供与してくれっていう、技術力ある宗教家もくるけどつっぱねる
いきなり固有名詞でてくるし
なんかダラダラしてて話のネタとお話としての絡みが少なくて、カタルシスもあんまりなくてイマイチだった
半分のページ数でいい内容だったと思う
ニュートンとかにのってそうな記事のような書き方で描写されている
この世界では超人類と普通の人類がいるけど、普通の人にだってできることはある。
それが何かっていうと、天才がバカを考慮することを見落としがちなのと同じように、
普通の人類は超人類ほど頭がよくないから、それに追いつくためにはどうしたらよいか・何が必要かっていう研究とか。
すでに頭がめっちゃいい超人類には不要なものだから盲点になってるよね。
というポジショントーク的・疑問提示して自分で回答出す感じの。
満を持しての表題作
異星人とコミュニケーションするために言語学者の女性がいろんなアプローチを試みる中で、ところどころに女性の娘へ話しかけるような描写が入る
一見何の関係もないように見えるのに、最後の最後でその構成の意味がわかったとき、めっちゃ感動して鳥肌たった
SFとお話としてのオチがすごく綺麗につながってて、しかもそれが読みやすさにも寄与する構成になっているという、何重にも考え尽くされた構成
どーゆーことかっつーと、娘へ語りかける描写→言語解析アプローチフェーズ→の繰り返しなんだけど、言語解析のところはぶっちゃけ読んでて結構きついのよ
わからないわけじゃないけど(ここもテッド・チャンのすごいところ。自己満じゃなくて、読者にわかるレベルで丁寧に書いてくれる。この話にかぎらず)、
細かすぎて疲れるっつーか、ずっとこの調子で書かれるとちょっとうんざりするなあという感じ
それが娘への語りかけ(これも平易だけど細かいディテールに凝った、感情移入しやすい描写)がはさまることで、かなり緩和されてるのよ
そんでその構成も、ただの読みやすさのためだけじゃなくて、ちゃんと意味があるの
もうファーーーーーーーwwwwwwww
ッて感じとうっわまじかよ・・・って感じで思わず本を置いてしまった
SF作家じゃなくて言語学者が書いたのかとばかりに凝りに凝ったディテールの、異星人の言語解析描写は、ほんとやばい
全部やばい
いまんとこ面白さは、
かな
マジすげえ
もっと早く読んどくんだった
星を継ぐものとか夏への扉なんかより、こっちを先に読むべきんだった
全部読み終えてから感想を書くには、あまりにも増田のスペースは小さすぎる
ってなりかねんと思ったのと、都度書かないとそのときの感動を残せないと思ったから、
ちょっとずつ書く
まずはじめに、これまでホッテントリに上がってくるようなSFの古典とか名作とか言われてるのにちょこちょこ手を出してきたけど、その中でこれが一番だった
海外作家で設定厨に堕してなくてSFのエッセンスとエンタメの快楽を同時に最小限の文章で表現できている人に初めて出会った
下手に長編読んでもげんなりするし失敗したときのダメージがでかい
まだ全部読んでないし、これ以外のSFも2桁に届かないくらいしか読んでないけど、SFに手を出すなら、海外作家ならこれ、国内なら小川一水の老ヴォールの惑星を推す(星新一は別格として)。
SF警察に取り合うつもりはまったくないけど、小説というからにはエンタメがないとダメだと思う自分にとって、SFやりつつエンタメ性もあるものってなるの上記の選定が最初はベストだということ。
表題作含むいくつかの短編が入ってるから短編ごとに簡単に感想書く
RPGのワールドマップが上下左右でくっついてる理由、みたいなネタを思い出した
固有名詞がいろいろ出てきて覚えにくい・覚えるのめんどいと思ったけど、別に覚えなくてもどうにかなった
これヤバイ
クソ面白い
アルジャーノンに花束を+天才対天才の超身体能力バトルみたいな感じ
ちょっと話逸れるけど、伊藤計劃の虐殺器官ってやつで、結局虐殺の文法ってなんだったんだよってのがはっきり描かれなかったことが、自分にとってすんごくフラストレーションだった
あと野崎まどのknowってやつでも、最後らへんで天才対天才のバトルがあるけど、描かれてる視点が第三者だったから、高尚ですんごいバトルしてるのに傍目からは何をしてるのか全然わかんない、とにかくなんかすごいことやってるって描写しかされなくて、これもまた自分にとってすんごいフラストレーションだった
そんで翻ってこの理解という短編は両方を同時に解決しているすんごくすっきりする話だった
虐殺器官もknowも長編でだらだらやって結局大事なところをぼやかして描写することから逃げてるように感じたから、短編でここまで正面切って読者に開けっぴろげにケレン味たっぷりの描き方をしてくれてることに感動すら覚えた
表題作もいかにも面白そうで今まだ読んでる途中だけど、この短編だけのためにこの本買ってもいいくらいにはめちゃくちゃおもしろかった
最近のラノベのバトルとかマジで子供だましに見えるくらいの面白さを感じた
数学理論がひっくりかえるようなことを見つけちゃったのはわかるけど、それがあんまり大きくお話にからんでこなかった気がする
たぶんこれは2,3回読まないと理解できない
サブタイの1(数学のうんちく) 1a(妻視点) 1b(夫視点)で視点が切り替わるのは面白かったし、最後のサブタイはふーんと思ったけど、いまいちカタルシスに欠ける、というか、面白さが一読するだけだとSF素人には伝わってこなかった
今も大相撲を見ることあるけど、仕事の関係上休みの日にしか見れない。だからいつの間にか新しい力士が頭角をあらわしたりしている。
子どもの頃、祖母の家に預けられていた私は、曽祖母と大相撲や甲子園を見ることが日課になっていた。
今日はGWの振り替えでお休み。本当に久しぶりに3時過ぎから見ている。
曽祖母は1908年生まれで2007年まで生きた。最後までボケず、俳句をたしなみ、足腰は不自由だったが聡明な女性だったと思う。
北海道の開拓の第二世代として大正~戦前戦後、平成まで生きた。すごい時代を生きたもんだ。
最晩年、病院で曽祖母の手を握った感触は今でも忘れない。私も、時代は変われどあのように生きたいと思える人間だった。
中入りとか土俵入りをじっくり見ながら、また当時の力士が親方になったことを改めて感じながら、昔の、あの、祖母の家での日々を思い出した。
しっかし相撲ってのは非常にゆっくりとしたもんだ。慣例でほとんどの場合時間いっぱいまで仕切る。
だから冗長になる。お相撲さんたちは塩を撒くは四股は踏むはやりたい放題である。
で、取り組みは一瞬だ。
職場の女の係長なんかは相撲(豪栄道)が好きなのに、仕切りのところで「ほらまた豪ちゃんが準備運動みたいなことしてるよ!」とか言ってる。仕切りだっつーの。
そういう所作がまた大相撲のいいところだと思うし、解説がじっくり聴けたり、前の取り組みのダイジェストなんかが見れたりして、それなりにメリットがある。
だがやっぱり冗長だ。
例えばテニスの殿堂ウィンブルドンはコートが19あるという。これに倣って土俵も5個ぐらい有ると面白いのではないか。
幕内・十両の力士が取り組むセンター土俵、幕下の土俵、観客が自由参加の土俵なんかを配置すべきだと思う。
幕内でも同時に三番くらいやっちゃうのも面白い。コートを分けるように、土俵も分けるのだ。
もしかしたら両国には場所がないのかもしれない。その場合は国技館を改造して、縦に5段土俵を作ればいい。上の土俵は中空に浮いているわけだ。国技館を立体化すべきと言うこと。領国で無理だったら蔵前でも良い。
もちろん白鵬ら横綱陣は最上級の土俵で相撲を取る。最新鋭の土俵設備はもちろん、伝統やバリアフリーに配慮した土俵にすれば、批判は起こらない。塩も深海のものを使用しよう。
かつて角界は、江戸の場所と大阪の場所があり、それぞれ横綱があった。このように相撲は伝統的と言いながら、賭博問題などさまざまな課題も抱えつつ、激動の変遷を経ている。
そして漫画などでわかるとおり、相撲はなぜかSFと親和性が高い(『五大湖フルバースト』など)。ヴァーチャルな相撲は、実は角界の未来を考えるためにも役に立つ。
今テレビで見てる相撲が、未来もそのままであるわけではないだろう。どんどん相撲も変わって行っている。立ち合いの際の手を十分につくルールなんかもそうだ。ちょっと前までそんなことなかった。
ポーの一族、11人いる、トーマの心臓、スターレッド、百億の昼千億の夜、エロイカより愛を込めて、エルアルコン鷹、浮浪雲、じゃりんこちえ、サザエさん、いじわるばぁさんなど
漫画日本の歴史、つるぴかハゲ丸、あさりちゃん、ドラえもんなど
銀曜日のおとぎ話、ときめきトゥナイト、おとうさんは心配性、ちびまるこちゃん、星の瞳のシルエット、有閑倶楽部、ねこねこ幻想曲など
バナナフィッシュ、BASARA、THEBBB、はじめちゃんが一番、前略ミルクハウス、動物のお医者さん、笑う大天使、ぼくの地球を守って、ここはグリーンウッド、なんて素敵にジャパネスク、サイファ、月の子、OZ、花咲ける青少年、So What?、×ぺけ
今日から俺は、うしおととら、パトレイバー、ジョジョの奇妙な冒険、スラムダンク、ドラゴンボール、キャプテン翼、星矢
絶愛
アーシアン、源氏、聖伝、東京バビロン、GoWest、ダンディドラゴン
どっちも同じようなスマホだと思っていたが、今みると明らかに違うことがわかる。
「声紋チェックXXXアップデート中・・・」
なんだかメッセージが画面にでている。
なんだろう?
あーもうなんなの?機械音痴の私にはわからないこと多すぎる。じれったいわ。
「人物」「シコッテ・ネィロ」をググってみた。
検索結果:
『ロード・オブ・ザ・クンニリングス』はR18指定で実写化された。
・・・・
どうやら別人のようだ・・・
作中にも教祖として登場する。
あ、これだ!
「ありきたりなストーリー。展開もひどい」
「なんかむかついたので本燃やしました」
「作者きもいwwしね」
「こんなんで金とってるの?」
なんだかひどい罵詈雑言が飛び交ってる。
酷評されているようだ。
しかし、ネィロ作品は多くの読者から批判されているが、現在も一部の熱狂的なファンに支持されている。
3Dソフトが爆発的な人気となり、ヴァーチャルアイドルとして今でも人気である。
・・・え?
ヴァーチャルアイドル?
まただ。
なんてことだろう・・・
これ、私だ。
どういうこと?
・・・・なんだかカラダもすごく熱い
つづく
はじめに、百合の花が咲いていた。
長い年月が過ぎ、天変地異、地殻変動の後に、人類の住まう地に大きな塔が聳え立った。
この塔はなんとも不吉であった。
姉妹たちは皆、この聳え立つ塔に恐怖した。
勇敢にもその塔へと登って行った。
これは私の住んでいるこの世界の神話『キマシタワー物語』の一説である。
小さい頃おばあちゃんによく聞かされたが、当時から好きではなかった。
今では学校の授業でもさんざん聞かされるこの話はネィロ教であるこの町の住人なら殆どが知っている。
塔の中でセーナに生きる喜びを与え、人類の救世主として現れたのが
ネィロ教の始祖シコッテ・ネィロ様なのだそうだ。これが町の歴史。
現在、奇間市の中心には町のシンボルである奇間市タワーが立っている。
この塔は教団の本部でもある。
とても大昔の地殻変動で出来上がったには見えない、おそらく神話に因んで建造された塔。
この時まで私はあの物語をただのお伽噺だと思っていたのだ。
父親は物心つく頃にはいなかった。ちなみに祖母は父の母親で、母とは血のつながりはない。
複雑な事情があるのかわからないが、家でそういう話はなんとなくタブーになっていた。
祖母はネィロ教団の元幹部で、今でもご意見番として影響力をもっている。
それが直接の原因ではないが、私に対して同年代の風当たりはキツく、
不登校ぎみで家に籠ることが多い。
そんな私の楽しみはインターネットで知り合った友達とのチャットやネットゲームだった。
同じように不登校で悩みを打ち明けあって仲良くなった小豆ちゃんとは3年ほどの付き合いになる。
お互い男性に対しての免疫がなく、同年代の男子ともろくに会話をしたことがない。
しかし、アバターを通してならなんとか男子とも会話ができるのだ。
小豆ちゃんとは自撮りの写真を送りあったり、ビデオチャットもたまにする。
不登校になったのも、男子から人気だった小豆ちゃんにクラスの女子が集団で陰湿ないじめをしたのが原因らしかった。
いつものようにビデオチャットしていると、小豆ちゃんの後ろに映る部屋の本棚が気になった。
しかし、そこに写るその本は見たことのない本だった。
「どうしたの、セーナちん」
「その右端のネィロ様の本…」
「えっ!??」
「・・・え?」
「あぁ、ごめんごめん。セーナちんが『ネィロ様』なんて言うからwwwそりゃあ好きなんだろうけど」
「え?どういうこと?」
「だってセーナちんもネィロ先生の小説好きなんだよね?だってHNもセーナだし・・・・」
「ん?・・う~ん??」
なんだか微妙に会話が成り立たない。
「へ???」
「あずにゃん?何言ってるの?ネィロ様は大昔の人だよね?」
「wwwそりゃあけっこうご高齢だけど、大昔ってwひどすぎww」
「え~と、ゥイキにも年齢は載ってないみたいねぇ。『この街の真実シリーズ』で人気になった作家...→(URL)」
この時、小豆ちゃんはネィロ様についての詳細が書かれたゥイキのURLを貼ったらしいが私にはアクセスできなかった。
「ん?どうしたのぉ~?セーナちん。」
「さっきの本、どこで買ったの?」
「どこで、っていうか普通に書店でも推してたし、あ○ぞんでも売ってるじゃん。レビュー凄い数だし、→(URL)」
これもアクセスできず。
「・・・」
小豆ちゃんはふざけて言ってるわけではなさそうだ。
「ごめん、ちょっとはしゃぎすぎた?何だかセーナちゃんと好きな本の話できて嬉しかったから…」
「ううん。そうじゃないの。なんか今日は疲れてるのかも、もう寝るね」
「そっかぁ。おやすみ~ノシ」
「おやすっみ~ノシ」
混乱していた。
自分を取り巻く世界が、ガラス細工のように音を立てて壊れていくような、なんとも言えない気分だった。
つづく
小豆ちゃんとのチャットを切った後はしばらくボーっとしていた。
ゲルーググで「シコッテ・ネィロ」をググッてみると教団の始祖であることや、私が今まで聞いたことのある情報がでてくる。
小豆ちゃんの持っていた本のことや小説家であることなど一切でてこない。
スマホでも調べてみたが結果は同じだった。
同年代の子たちはクラスでも部活動でも塾でも、それぞれのコミュニティーを築きあげている。
不登校気味になり、今ではボッチになったが中学に入った当初はそれでも何とか輪に入ろうと努力していた。
スマートフォンは入学した時に生徒全員に配られるもので基本的に教団からの支給品らしい。
ITリテラシーとか情報化社会がどうとか先生からいくつか説明されたがよくわからなかった。
入学式の日、家に帰ると祖母が入学祝だといってスマートフォンを私にくれた。
でも、スマホなら今日渡されたのがあるし2つもいらないなぁと思ったが祖母には黙っておいた。
久しぶりの祖母からのプレゼントだったので凄くうれしかったのだ。
それ以外は見た目も画面もほとんど同じだったので祖母に貰ったほうを使うことにした。
学校のスケジュールやクラスメイトとのやり取りにはLINNE(リンネ)というアプリを使う。
クラスのリンネグループに参加しようとすると何故か私は登録できなかった。
他にもノイズのような画面がチラチラでる時があった。
クラスでも私以外は皆LINNEで繋がっている。
そのうちクラスの中でもリンネでの話題が多くなると会話についていけず、困っていた。
なにより仲間はずれにされるのが嫌だった。
私は、祖母に故障かもしれないと相談してみた。そこで本当は学校で支給されてることも打ち明けた。
すると祖母はなんだか複雑な表情でこう言った。
「あらあら。それは故障ではないけど、とりあえず学校で配られたほうでもいいんじゃないかねえ。今はね…。友達は大事よね。」
配布されたスマホに替えるとエラーが無くなったので、その時からおばあちゃんのスマホは机にしまっていた。
思い出すと何かひっかかる。今は…という言葉。
もしかして何かわかるかもしれない。
私は机の引き出しからバッテリーが切れたスマホをとりだし、とりあえず充電機にさした。
つづく
バッテリーを充電中…
充電してる間、色々な思考が私の頭の中をぐるぐるとめぐった。
あれは初恋だったのかもしれない。
今ではHNとして「セーナ」が通名になっているが、はじめは「静奈」だった。
本名のシズナのつもりだったが、みんな「セイナ」と読んでいて、いつのまにかセーナになっていた。
というのも、学校にいる同世代の男子というのはガサツで下品だった。
何やらHな本を見て盛り上がってたり。
正直キモイと思った。
スカートめくりでしかコミュニケーションをとれないような幼稚な奴らと対照的だったのも魅力の一つだ。
お互いのことを少しずつ話すうちに、年が同じことと、現実では学校になじめてないことがわかり、
次第に二人でパーティーを組んだり狩りにでかけるようになった。
このゲームは結婚するとお互いをその場に召喚したり、便利だったからだ。
ゲーム攻略のため、利便性のためだとわかってはいたが、お互いなんだか照れ臭かった。
それでも私はカズキが好きになっていた。
疑似恋愛というのか、二人で過ごす時間が楽しくて、そして幸せだった。
カズキ…逢いたいな
・・・・
ピョイン!!
バッテリーの充電が終わったようだ。
そうだ。なんとなく勘だけど、このおばあちゃんのスマホからのアクセスは特殊なものなんだ。
これでネットに繋げば何かわかるはず。
つづく
私が認識している現状ぐらいの事は長年ネットしている人たちには「ゲート・オブ・バビロン」で周知の事
「匿名」界に首突っ込んで「はてな匿名ダイアリー」の存続を危うくするような流れや気に食わない人を〇〇〇〇〇に
仕立て上げたり、気に食わない人の家族の悪口を書き込む流れが出てきたときには「拡散」「RT」で流されちゃう
人達を止める為に稀に深海から浮かび上がるけどそれ以外のことには関心無いね
口で言い返せないから「罵倒」「脅し」に走る人達ってどの程度日本語勉強して「きた」のだろうと溝の深さを
感じる時あるわー 見ている世界の水平線が違うって感じ
「定型語」を言われて思考停止して口をつぐむのは「つい民」ぐらいなもので「はてな民」には通用しない
批判覚悟で言いたいことを先に言うと、
「貸す方と借りるほうが納得してるのに、部外者がグダグダ言うのは気持ち悪い」ってことだな。
それを言ったら消費者金融の問題もヤミ金の問題とかも全部問題なしになっちまうけどさ。
貸す側の責任とか、借りる側の責任とか、そういうのはそれぞれが負えばいい。
もともと、銀行業っていうのは、借りたい人間と貸したい人間を結びつける仕事、金を貸す相手の返済能力を査定する仕事だと思ってる。
銀行が企業の返済能力を査定することに関してどれだけ秀でてるかなんてのは、怪しい。
財務表の読み方くらいなら、そりゃ金融業が誕生したバビロンの時代ならとにかく、識字率が2割だった中世ならとにかく、そんなに特殊技能とは言えないし。
そもそも、そういうことに秀でていたら、不良債権を抱えたりしねぇ。
給料は銀行に貸して利息をもらって、銀行は企業に貸して、利息をもらって、っていうのはもう前時代的で、個人が好きなところ、信用してる会社、個人と好きに取引すればいい。
話が脱線したので戻るが、日本育英会がどれだけ学生の優秀さを判断できるかなんてものも怪しい。
そもそも、学生を値踏みする力があるなら、踏み倒されたりしねぇ。
A銀行の融資を切られたから、B銀行の融資を受けた、それとなにが違う?
育英会から資金を調達しようが、マネーの虎で資金を調達しようが、study giftとやらで調達しようが、なんで部外者が騒ぐのかね?
自分が金を出したわけでもないのに。
ソーシャルネットワークとかいうものが気持ち悪いと思ってる人間だから、google+で人気者ってのを俺は評価しないけど、
ソーシャルネットワークでもてはやされるのが気持ち悪いっていうことで言うなら、facebook上場と、公募価格で必死に買い支えるモルガン・スタンレーとゴールドマンサックスのほうがずっと気持ち悪い。
また話がズレた。
もう一回ふりだしに戻す。
あの騒ぎはただの嫉妬。
奨学金なんてのはオワコンで代替えのサービスが出てくるのは自明。
ってことだ。
とはいえ、炎上させた、加害者は嫉妬に狂ったバカだけど、炎上必至のシステムを作って、一人の人生を狂わせたのはちょっとひでぇなと思う。
クソって気づいていない奴は勝手にやってろ!肥溜めの中で自分のクソを食っていればいい。
ただし、注意して欲しいのは俺は日本のコンテンツクリエイターたちがクソだとはまったく思っていない。日本のクリエイターたちは決してクソではなく、どう考えても世界的に見ても優れているし、実際によくわからない調査で、東京はもっともクリエイティブな都市だと思われているらしい。
外人どもが何を考えて東京がクリエイティブかと思っているのかはしらない。しかし、実際に日本にはクリエイティブなヤツラがいっぱいいるが、東京はそんなヤツラにとってどちらかといえばゲットーに近い。というよりも東京バビロン(笑)。クリエイターの上に鎮座増します既得権益をもつヤツラで息苦しいっちゃありしねぇ。
問題は著作権やそこらの法的規制だけではない。大手レコード会社やゲーム会社といったコンテンツ産業も悪いが、それを流通させたり、広めたりするメディアが圧倒的にクソ。というかヤツラは基本的に一緒だ。というかコンテンツというかすべて広告。音楽もゲームもアニメもどちらかといえば日本ではオマケだ。ガキの時代に体験したビックリマンチョコが忘れられないのかしらないが、日本はオマケゲットーだ。
てめえが買っているCDの売上は、てめえがその音楽を聞くキッカケになった放送局に回る。てめえが話題だと思って買ったそのゲームの売上は、それを話題にした雑誌に回る。てめえが無料だと思って始めたゲームに使った金のほとんどは、そのゲームのクオリティを上げるために使われるんじゃない。そのゲームを宣伝するために使われるだけだ。
まさにオマケなんだそのコンテンツは。中身がない。圧倒的に中身がない食べかす、クソ。別に世界中がそんな肥溜めなら、俺は多少は諦めるだろう。
でもそんなことはない。インターネット以降、クソの量も拡大しているけど、ステーキは安く食えるようになった。それに海外には美味しいコンテンツを教えてくれるメディアがある。もちろんそれらが全部、信用できるわけじゃない。でもそれを信用するか信用しないかは、てめえのセンスの問題だ。てめえのセンスにあったメディアはきっとある。てめえのセンスを共有してくれるレビュアーや評論家やブロガーはいる。
ところが日本には食べログみたいに、これまたクソみたいなCGMしかない。お馬鹿なオリコンはCDの楽曲の単純集計というまったく時代に合わない業界観測をやっている。どのメディアも食べるべきコンテンツを教えてくれない。ただ産業の台所事情に合わせたメニューを送りつけるだけだ。
別にCGMがダメなわけじゃない。海外のユーザーレビューだって似たようなものだ。ただこの日本にはユーザーレビューしかないってことなんだ。あとはほぼ広告。結果、コンテンツはオマケだ。
どうして美味いものを美味いと言わないのか。馬鹿なの?恥ずかしいの?
いや、理由は知っている。美味いもの美味いって言っても、産業側は金くれないからだ。だったら産業側が送りつけるクソを褒めた方が儲かるってことだ。
でも、こんなの絶対におかしいよ!
美味いもの美味いって言って金をもらうんだったら、それを作った奴に強請るんじゃなくて、その情報を聞いて次に食いに行った奴から金もらうんだよ。そっちが普通じゃん。だって美味いコンテンツ教えたんだから!
え、てめえの味覚なんてアテにならねえ!?
まあそうかもしれないが、だったらお前は産業廃棄物を一生食ってろ。
というかお前が俺の味覚をとやかく言うレベルの味覚を持っているんだったら、何が美味いか教えろよ、コノヤロウ!もしお前が教えてくれた店のメシがうまかったら、その数%をお捻りあげるから。
ネットのおかげで、てめえの感想や味覚を主張するためのコストは滅茶苦茶減った。だったら積極的に言えよ。何を食うべきか、そして何を食うべきじゃないか。そして、お前の味覚が確かなものならば、それが商売になるかもしれない。
もう肥溜めは嫌だ。
淀川長治がキネマ旬報年間ベスト10で最高点をつけた洋画のリスト
1950年 自転車泥棒(ヴィットリオ・デ・シーカ)
1958年 白夜(ルキノ・ヴィスコンティ)
1961年 素晴らしい風船旅行(アルベール・ラモリス)
1965年 81/2(フェデリコ・フェリーニ)
1967年 欲望(ミケランジェロ・アントニオーニ)
1968年 2001年宇宙の旅(スタンリー・キューブリック)
1974年 フェリーニのアマルコルド(フェデリコ・フェリーニ)
1975年 ザッツ・エンターテインメント(ジャック・ヘイリー・Jr)
1976年 トリュフォーの思春期(フランソワ・トリュフォー)
1978年 家族の肖像(ルキノ・ヴィスコンティ)
1980年 ルードウィヒ/神々の黄昏(ルキノ・ヴィスコンティ)
1987年 グッドモーニング・バビロン!(タヴィアーニ兄弟)
1988年 ザ・デッド(ジョン・ヒューストン)
1989年 生きるべきか死ぬべきか(エルンスト・ルビッチ)
1990年 フィールド・オブ・ドリームス(フィル・アルデン・ロビンソン)
1991年 シェルタリング・スカイ(ベルナルド・ベルトルッチ)
1994年 オリーブの林をぬけて(アッバス・キアロスタミ)