はてなキーワード: ビックリマンチョコとは
国税庁の最終面接のことを思い出している。大学四年生の頃だ。今までの面接は、無機質な長机とパイプ椅子でのものだった。だがその時は、四角いどっかりとした檜机と、ふかふかの椅子だった。それでいて圧迫感のある面接であり、最後に「私達と一緒に働けますか?」と言われたのを憶えている。
「はい。私でよければ宜しくお願いします」といったことを告げると、その場で最終合格が遠回しな言い方で告げられた。内定通知は賃貸アパートに届いた。
こんなところに書くほどだから予想はつくだろうが、結構前に官僚を辞めている。仕事は大変キツかった(きっつー、というやつ)が、やりがいはあった。いつかは挑戦してみたい仕事もあった。
思えば、大学3年生の春からコツコツコツコツと勉強を重ねて、やっと第一志望のひとつだった官庁に合格できて、「やったー!」と無邪気に思っていた。案外こんなものだ。
国家公務員(課税部門)としての経験は20数年しかないが、せっかくのシルバーウィークだ。ちょっと語ってみたい。今は税務コンサルタントとして働いているが、夏前に大きな仕事が片付いた。今は仕事を少なくしてもらっている。
仕事のことを、はてな匿名ダイアリーに書いてる人を稀に見る。今回、私もやってみようと思った次第だ。企業との課税交渉の協議録とか、個人・法人の税額とかを載せない限りは大丈夫だろう。何かあったら責任は取るつもりだ。
高橋洋一や山口真由が自著で話している内容に比べれば、当日記はベジタブルのようなものだ。あの内容を出版して捕まらないなら、ここで書く内容など余裕でセーフだ。
なお、私ははてなユーザーの中では年寄り(フミコフミオさんと同い年)である。古い表現があってもお許し願いたい。
先に言っておくが、「霞が関に来なければ体験できなかったことは人生の財産」とか、「国のために働いている自負があった」とか、「苦しかったけどいい仕事ができて国民のためになった~」といったことはあまり書かない。
そんなに夢や理想のある官僚じゃなかった。僅かばかりはあったが。むしろ組織に負のイメージがあって、若い頃に限った語彙だと「こいつらクソ野郎だな」という感情を抱いていた。それで、40代になって数年後に転職した。再就職規制に引っかかる危険はあったが、グレーな方法で突破した。
当日記は、数パートに分かれている。できるだけ簡潔にまとめたい。以下、思い出を何点か挙げて回想する。
中学生の頃から、「税ってそもそも何ぞや?」という疑問があった。大学に入ってからは、税理士の資格を取るために勉強していたが、どれだけ勉強しても税への理解はイマイチだったし、全科目に合格した後も結局わからなかった。
※東大とか一橋大とか慶應とか早稲田とか、そういういい大学を出てるわけじゃない。偏差値50ちょっとの大学だ。たまたま会計学の講義を取ってみたら面白く、勉強にハマった。
税とは、一般的な説明だと、国や地方自治体が国家の維持や発展をめざして、民間では供給されにくい公共的なサービスを提供するにあたっての資金として「税金」を徴収している――ということになっている。
だが、おかしいと思っていた。だって、国はお金を自由に発行できる。地方自治体が言うのならわかる。あと、大昔だったら年貢を物納で納めてもらわないと国が維持できなかったはずだ。
だが、現代社会の国家がそんなことを言っても説得力はイマイチだ。税金をとらなくても、別にお金を刷ったらそれでいい。金本位制の時代を通り抜けて、今では発行された紙幣そのものに信用がある時代なのだ。お金というのは、それがお金であるがゆえにお金だ、というトートロジーである。
増田民の人も、わかってる人はわかってるだろう。税とは何かが。ここで答えは書かない。気になる人は、Yahoo!知恵袋とか、Quoraで求めれば賢い人が教えてくれる。
私が納得いかなかったのは、一応は国家公務員一種試験(昔だったら上級甲種試験)を通ってきたはずの人達が、入庁一年目だった私の質問に答えられなかったことだ。「そんな当たり前のことを聞くな」という人もいたし、「ここではちょっと…」と口を濁す人もいたし、「知らん。自分で調べろ」という人もいた。
税を納めるのは当たり前のこと、ただ、その原理と言うか……そう、原理が大事だろう。何も考えずに常識を信じていいのは中級者までだ。上をめざすのであれば、身も蓋もない本質を疑う必要がある。
こういうことを私が言っても説得力がないので、ちょっと引用させていただく。
それぞれの原理を、その自然本性のかぎりで探求しようとしなければならないし、きちんと定義されるよう腐心しなければならない。というのも、原理はそのあとに続く事柄にとって、大きな影響をもっているからである。実際、原理は全体の半分以上であり、探求されているものの多くは、原理を経由することで明確になると思われるのである。 ニコマコス倫理学(上) P.62
なぜ国民から税金を取るのか、という新人職員の問いに答えられる職員は10人に1人ほどしかいなかった。思えば、この時から私はいつかここをやめようと思っていたのかもしれない。
実際、徴税は国民みんなから集めたお金を公共サービスに充てるため、というのはお題目だ。わかりやすく国民を納得させるための。本来の目的はほかにある。それに比べると、上の『お題目』はビックリマンチョコのおまけに近い。ウエハースだ。
トラブルになりかけた事例になる。詳細は端折って書く。専門用語は補足するか、日常的な言葉に言い換えている。
キャリア官僚は現場を体験しないイメージがあるかもしれないが、別にそんなことはない。入庁二年目からは普通に現場だったし、30才を過ぎて地方支局で働いてる人もいる。
当時は、北海道某所にある国税局に勤務していた。一応は税理士に必要な科目は残りふたつというところまで取っていたが、それでも実務は難しかった。勉強しないといけないことは山ほどあるし、一年目は税務の学校で学ばせてもらったが、実務に必要な知識の何割も身に付いていない。税務の世界は広いのだ。
最初の頃はひたすら、簡単な事務とか雑用とか、先輩が受けた税務相談の回答案作りとか、上位機関からの調査ものとか、庶務全般(文書収受~会議日程調整~飲み会手配まで含む)に、兎に角いろいろやった。
すべて勉強になるとは思ったが、正直これは臨時職員がやった方がいいのでは……と感じるものもあった。まあ、とにかく新人らしく何でもやった。
赴任して半年だった。とある先輩を経由して、それなりの事業規模の法人の税務申告を最初から最後までやらせてもらえることになった。同じ年代の職員(※省庁キャリア)の中では遅い方だった。資本金が結構ある機械メーカーだったかな。これまで当業務では、先輩方を手伝う立場として動いていたから、割とすんなりいくように思えた。
申告内容は当然精査するのだが、日本の課税制度は一応性善説でいっている。国民(法人含む)が嘘をついたりごまかしたりしない、ということを前提にしている。その企業も、過去に税務に関して更正処分(支払う税額が誤っていると判断した場合に○円払いなさい、という措置)関係のトラブルを起こしたことはない。
一応は提出書類を三周ほどしたところ、申告書類も、帳簿も、領収書や請求書や契約書(請書)も、通帳関係も問題なし……それで、さあ決裁だといった具合に伺いをスタートした。
先輩方の場合は、スルッと起案が通るようだったが、自分の場合はそうはいかなかった。新人に厳重なチェックが入るのは当然だった。
「不動産の項目がおかしい。取得した不動産価格が常軌を逸して安い。税をごまかそうとしているのでは?」
という、先輩及び直属の上司からのツッコミがあった。上司を納得させないと、次に進むことができない。思えば、あの先輩は、このことがわかっていて私に振ったのかもしれない。
当時の私の実力を超えた課題だった。頭を抱えたのを憶えている。あの時の思考過程を追っていこう。
かくして・・・
探求の旅は はじまった
まず何をすればいいかというと、不動産価格がしっかりしたものかを調べればいい。正当な根拠のある価格であればいいし、不適当な価格であれば……面倒なことになる。
不動産売買にかかる課税額は、比較的シンプルだ。普通の法人税と同じで基本は定率である(税額表を見ればいい)。ちょっと賢い中学生でも実務ができるだろう。
印紙税も、登録免許税も、不動産取得税(県税)も、固定資産税(市税)もそんな具合だ。不動産本体の価格については難しい計算が必要だが、焦る必要はない。市区町村にある固定資産税台帳には、固定資産税評価額が載っている。それを見れば、登録免許税の目安となる不動産価格がわかる。※固定資産税の納付書にも書いてある。
それを根拠に……と思ったが、そんなに単純な話ではない。ならば先輩も上司もツッコミを入れたりしない。イレギュラーなケースなのだ。
その物件は、なんと固定資産税台帳に載っていなかった。そういう土地だった。登記簿を見たところ、字名がとんでもないことになっていた。奥地にあって、大昔は栄えていたのかもしれないが、今では地域まるごと誰も手入れをしていない。そんな土地だった。しかし、幅4.0m以上の道路は通っている。江戸時代の人が整備したと思われる。
国税庁においても、外部公表している不動産価格の調べ方みたいなものはある(いわゆる路線価だが、当然奥地には路線価がない)。国でも地方自治体でも、不動産価格を求めるための要綱要領は具えているが、今回は通用しないのではないか。そういう案件だった。
若かりし日の私は思案しつつ、先輩にも相談して上司に2つの案を出したはずだ。懐かしい。
1. 比準価格(みなし計算のようなもの)を使って不動産価格を弾くと、今の数倍以上の価格になる
2. 今回は大した金額ではないため、相手方の税額を受け入れる
メリット…百万にも満たない税額差であり、費用対効果を考えるべき
結局、2.の案が採用された。それで、起案はあっさり通った。協議や相談をしたのは直属の上司までであり、決裁の責任者には上司が一声かけたくらいだ。それで新人職員の一件目である課税処分は通ってしまった。
思えば、先輩や上司からすれば、最初から2.一択だったのだ。今の私の判断もそうだ。課税額の差として百万円にも満たない金額のために、そこまでの手間はかけられない。もっとほかに、日本の税務行政のためにやらないといけないことが山ほどある。
一応弁護しておくと、現場で働く公務員には、「法適用の裁量」と「エネルギー振り分けの裁量」がある。現場的な要素が強い職種だと、上司の指揮監督を受けるのが望ましくない場合がある。極端な例だが、警察官が凶悪犯をパトカーで追っている最中に、スピード違反や信号無視をしている者を放っておくのはやむを得ない、といった観点だ。
余談になるが、国税局職員が県税や市税の脱税を見つけた場合も、人や状況によって対応が変わる。情報提供する場合もあれば、見なかったことにする場合もある。
それこそ昔の話だが、飲み会でとある話を聞いた。ある個人納税者から地方税務署に相談があったという。要約すると「1年前に出した赤字決算の申告書だが、実は黒字で、税金を納めないといけないことがわかった。どうすればいいか」ということだった。追加で納付すべき税額は、約30円のようだ。このままでは脱税者になってしまうと焦っていたらしい。
その相談を受けた税務署員はこう答えたという。「実は、ボールペンとか消しゴムとか、事務用品を買っていたのを申告書に書いてないんじゃないですか? だったら、納付すべき税額はやはり赤字では? 問題ないですよ」と。※以後の話は不明
課税処分はもちろん、どのような行政処分であっても費用対効果という観点が重視される。税収1万円増のために2~3万円をかけるのは議論の余地があるにしても、20~30万円をかけるのは明らかに不合理だろう。
テレビやネットメディアやはてなブログでは、公務員は何も考えずに税金を支出しているイメージがあるかもしれないが、ちゃんと考えている人が多数派である。そこは信じてほしい。
数年後、私は北海道から霞が関に戻ることになった。それから退職するまで、ずっと法人課税部門にいた。
Part2/3
社会的な流行をこの目で見たことってあんまりない気がする。たまごっちとかエアマックスみたいなの。エアマックスは今でも全然見かけるけど。スタンスミスといい勝負くらいじゃないかな。
中学か高校の頃にbeatsのヘッドホンが流行ったりはしたけど、それだって誰も彼も着けてるって訳じゃなかったし。四角いプラのバッグ?ケース?みたいなのが流行った時期もあったな。あれは割と見た気がするし、今は見かけない。yeezyもSNSの観測範囲では人気だったけど、実生活でそこまで見る事は無かった気がする。
西多摩の郊外だからそこまで感度が高くなかったのかも分からん。ああいう流行は都心部じゃないと中々見られんのかもしれんな。娯楽も色々で、クラス全員がドラゴンボールの話をしたりビックリマンチョコで盛り上がるような時代でもないし。
「ビックリマンチョコ」は令和の時代にも存在するので、普通に知っている人もいると思う。
ウェハーチョコ菓子に、おまけとしてシールが入っているアレだ。
目当ては無論、おまけのシールのほうだ。
シール集めが過熱しすぎてウェハーチョコを食べずに捨てるという社会問題まで巻き起こした。
でも今考えると、真っ当な時代だったなと思う。
人気ゆえに極度の品薄だったけど、ほとんどの店では「一人3個まで」と制限がされており、商店以外では入手する術がなかったので必然的に誰もがこのルールに従わされた。
そして商店が値段を吊り上げることは当然としてなく、メーカー希望小売価格の30円で買えた。
時は流れて2021年。
子供相手の商品だろうが何だろうが、少しでも人気が出ようものならクソ転売ヤーが即座に湧いて買い占めた挙句、アホほど値段を吊り上げて好き勝手に売りさばいてる。
いい大人になればこんなバカどもの術中におちることをよしとせず、買ったりすることはしないけど、自制がきかない子供や、その子供にどうしてもとせがまれてる親や祖父母は、苦渋ながら購入してしまうこともあるだろう。
万引なんてしなさそうなやつがなぜか盗むからリアリティあるんだ
ビックリマンに興味もない姉がいきなりビックリマンシールを盗もうと提案したという馬鹿力の投稿ネタがいまも忘れられない
小2の時仲のよかったHと悪ガキの柿崎の3人で僕の家で遊んでいました。Hはたくさんビックリマンシールを持っていて、その日もたくさんビックリマンシールのあるアルバムを持ってきていました。Hが熱心にファミコンをしているときに急に僕の小5の姉が部屋に入ってきて、僕と柿崎を廊下に呼んで「あいつのビックリマンシール、ぬすまねえ?」と言い出しました。柿崎はすぐに了承に、僕もHのビックリマンシールは魅力的だったので、こっそり抜き取り山分けしました。その後のHtono関係は結構普通でした。今不思議に思うのは、なぜビックリマンシールに何の興味もない姉があのとき悪魔のようなささやきをしてきたのかのみです。
小学校6年生の頃、その頃はよく甥っ子の年下のR君の家で遊んでいました。その日R君の家で遊んでいるとその頃大流行だったビックリマンシールが大量に出てきました。僕が「へえ、こんなにたくさん持ってるんだ。あ、僕の持っていないヘッドもある」というと、「ヘッド以外だったらダブってるやつあげるよ」と言ってくれ、僕の持っていない天使・お守り・悪魔などをもらいました。そのときはそれで家に帰ったのですが、しばらくしてどうしても欲しいヘッドがあり、必死でチョコを買いシールをゲットしていったのですがどうしても出ません。少ししてR君の家に行くと僕の欲しかったヘッドはそこにあります。その夜R君のおばさんから電話があり、「ビックリマンのワンダーマリアとやらがないんだけど知らない?」と言われました。僕は「知らない。ワンダーマリアなんて見たこともない」と言ってその電話は終わりました。ワンダーマリアはいまだに僕の宝箱の中に大切に入っています。ちなみにR君の家とはいまだに交流があり、R君はこの番組をきいています。R君、本当にごめんなさい。本当に。
(イクオさん)
5・6年前の小学校ンのとき、ビックリマンが僕ら小学生の間で再びブームとなっていました。休み時間の話は「ビックリマンのスーパーゼウスがでない」や「帰りに駄菓子屋で協同で箱買いしよう」という話。しかし興味もお金もなかった僕はその話についていけませんでした。ある日教室にはいると男子の人だかりができています。なんだろうと見てみると、貧乏でそんなに目立たないS君の手にきらきらしたものがもたれています。そう、それはめったに出ず、店に行くと高額で取引されているスーパーゼウス。僕とS君は貧乏仲間で「俺たちはあんなブームには流されない」と言っていたはずなのに。S君はたまたま母親のお遣いでいった買い物のお釣りでかったビックリマンで1発ゼウスを引き当てて一役ヒーローになっています。それにくらべて僕はちょろちょろはえてきたチン毛を風呂場でそったりそらなかったり。そりゃ体育の時間に「腹痛いからトイレいってきます」というフリをして忍び込んで盗みますわ。その後帰りの会で僕が疑われましたが「あいつはビックリマンを集めていないから違う」という理由でシロと断定されました。
(フランケンさん)
私は、両親のお金に手を付けた事はありませんが、強いて言えば私が小学校低学年の頃、当時の私の頭の中はビックリマンシールで一杯でした。友達と話す事もいかにたくさんの種類のビックリマンシールを持っているかでした。
しかし、1個30円とはいえ小学生の私のお小遣いなどで買える数はたかが知れていました。
そこで結成したのが『ビックリマン盗賊隊』。友人2人とコンビニに入り、パンツの中にビックリマンチョコを忍ばせて出てくる、これを繰り返すおちゃめな隊でした。
運がいい事に半年ほどやって1度も捕まった事はなく、気を良くした私たちはいつしか大胆になっていきました。
そんなある日、家の近くのこども銀行のお札を「毎度どうも」と言って受け取る老人のお菓子屋さんで、私はいつもの行動に出ようとしていました。
これまでも何度かやった事がある通り、その老人の目を盗み、いつものように物色。パンツに5個のビックリマンを入れ、出口を出ようとしたその時、老人が静かに言った言葉。
「お姉ちゃん、今日はいくつパンツに入れたの?今日は見てなかったから教えといて。あとでまた、お母さんの所にお金もらいに行かなきゃならないから。」
みんな知ってたのかぁ…。
次の瞬間、老人の前でパンツからビックリマンを出すと、涙をポロポロこぼしながら「でもね、私にも色々あるから…。」と訳の分からない事を言い、近くのほら穴で泣きました。
あれは私が小学校2、3年生ぐらいの時です。当時私たちが集まっていたら、それはビックリマンシールの交換会でした。学校の男子生徒のほとんどが集めていましたが、私とそのT君を含む6、7人ほどのグループが一番熱狂的でございました。
ある日、緊急招集がかけられ、私は弟を連れてその公園に行きました。そこでT君が皆に見せたのは伝説と化した『お守りシール』でした。その『お守りシール』はうちの学校では誰も持っていない物で、もう船橋市にはないと言われておりました。
「手、手にとって見せて。」と言う僕に「ああ、いいよ。」T君は迷わず貸してくれました。
手に取った瞬間、これまでの苦労が走馬灯のように甦りました。バカな噂に流されて隣町のガードを越えたデイリーストアーのレジの横に置いてある箱の右の列の後ろから5番目のチョコを買ったり、そういった事でした。
そしてその苦労と同時に私の中に1つの考えが浮かんでしまいました。
「何で、何であんなに苦労した僕が手に入れられなくて、Tは手に入れられたんだ。」
逃げおおせて、アパートの階段の下に隠れて、改めてそのシールを眺めました。と同時に凄い事に気が付きました。
明日学校に行ったら、T君や他の皆に出会ってしまうじゃないかということです。この疑問は幼い僕を悩ませました。
そして5分後、今日の夜12時までに取り返されなければ時効だと自分を納得させました。つまり今日1日安全な所にいればいいんです。
私は家路を急ぎました。
家まであと数mとなった時、後ろで叫び声が。
「いたー!追いかけろー!」
なんと、私包囲網が出来ていたのです。
後からわかったのですが、その包囲網はT君達5、6人がクラスの皆に声をかけ、この時既に20人ほどに膨れ上がっていました。
1時間ほど逃げましたが私は逮捕され、窃盗品は押収されました。
しかしT君は泣いていました。僕も自分が悲しくなったのでしょう、涙を流して「ゴメン、もうしないから、もうしないから」と謝りました。それ以来、「もう人の物は盗らない」と心に決めました。
僕は心晴れ晴れと家に帰りました。
しかし、「ただいまー。」元気良く家のドアを開けると、なぜか母親が閻魔様の乗り移ったような顔で仁王立ちです。
「あんた、T君のビックリマンシール盗ったんですって?」と言います。
僕は「お母さんがその事を知ってるわけはない、お母さんがその事を知ってるわけはない」と思い、
「知らないよ。」
そう言った瞬間、私は玄関に倒れていました。
「本当の事を言いなさい。盗ったの?」
母親の顔はマジです。もし「盗った」と言ってしまったら、もう1発、今度は正拳が飛んできそうな雰囲気でした。幼い僕はもうシラを切りとおすことを選択しました。
「違ーう!T君のシールを宝物ということにして、皆で軽ドロ、軽ドロをしてたんだ!」
「違うよ、クラスの人達が言ってたよ。お兄ちゃん盗ったんだよ。」
私は倒れました。
「あんたウソまでつくのかい!あたしがいつこんな事を教えたの?今から一緒にT君の所に謝りに行くんだよ。」
私はつい20分前に泣いて友情を確かめ合ったT君の家に、また泣きながら謝りに行くという惨めな思いをしました。
シール単体で売ればこんなことにならないじゃん。
抱き合わせ販売って確か犯罪だったと思うんだけどなんで許されてるんだろうね。
本当に悪いのはどう考えてもウェハースチョコにシールつけてそっちを本体みたいにして売ってる企業の方。
消費者側よりも先にそっちを攻めるべきなのに、どうして消費者同士で争ってるんだろうねえ。
多分ね、相手が強いから言い出しにくいんだよねそういう連中って。
簡単に批判できて手痛い反撃もしてこなそうなのは批判したいだけなのよ。
それってようするにいじめっ子が気の弱い子がクラスの足を引っ張るタイミングを今か今かと待ち構えてるのと変わらんよね。
ほんっとうに意地汚い。
そういう薄汚い連中って、そのくせ自分は正義だと思ってるんだから酷いもんだ。
実際さ、学校でいじめがあったときって、そういう連中が「でもA君は~~」って言い出して最後まで罪を認めないんだよね。
イカれてるよ。
マジで。
そういう連中を幼少期に少年院で人格形成やり直させるシステムのない今の教育システムの敗北なんだろうな。
価値観は多様であるべきだけど、自分が気持ちよくなるために弱そうな相手を選んで意地の悪い事を言ってふんぞり返ることに人生の意味を見出してるような連中は、そういう事は思っていてもやっちゃ駄目だよって教えるべきだよね。
人を殺しながらセックスしたいとか、素人のリアルな盗撮動画を撮りたいとか、そういった性癖が存在することは許されても、実行に移したら刑務所に入って貰う必要があるのと一緒だ。
義兄が転売ヤーだった。
鬼滅の刃とビックリマンチョコがコラボしたウエハースを求めて数時間かけてコンビニを回り、いくつも箱買いして帰ってきたところだという。
はじめは、義兄の子どもたち(姪・甥)が鬼滅が好きだから、そんなにたくさん買ったのかな、と思ったら、フリマサイトで煉獄さんは〇〇円で、善逸は〇〇円で売れる、とういうことを語ってきた。妻(義姉)や娘(姪)もその行動には呆れていたが、家族一同で仕入れに行っているんだから転売行為には目をつむっているようだ。
義兄はちゃんと働いていて、義姉も働いていて、ふたりともギャンブル等していないし、派手な生活にも見えないのでお金に困ることはないとは思うけど、とにかくケチで細かい性格だ。NHKの受信料も払っておらず、徴収員が来たときは基本居留守、もしうっかりインターホンに出てしまったときはテレビがない・スマホがないと突っぱねて帰す、と意気揚々と話していた。彼らの子どもたちはめちゃくちゃEテレ見ているけれど。
私は昔から、自分の好きなキャラのグッズやアーティストのライブチケットが高額で大量に転売されていることが本当に嫌いで許せなくて、転売ヤーがいなければ自分の手元にもあのグッズがあったかもしれない、あのコンサートに行けたかもしれないと、何度も苦い思いをしてきたことがある。本当に本当に転売ヤーが嫌いだ。その存在が憎い。その転売ヤーがこんなにも近くにいたことがとてもショックだ。
義兄がいなければ今回の鬼滅のビックリマンチョコだって、近所の子どもたちが定価で買えたかもしれないのに。子どもを持つ親も自分の子どもに買って帰ってあげられたかもしれないのに。実際、私も近所のコンビニで見かけたら鬼滅のビックリマンチョコを娘に買ってあげようと思っていた。それなのに、もううちの周辺一帯にはないんだな。義兄は日々お店をチェックして新しく入荷されてたらそれを仕入れるんだろうか。
鬼滅のビックリマンチョコ(のステッカー)が欲しい人は、近所のコンビニやスーパーに行くより、高額でもフリマサイトで購入するほうを選ぶのかな。
商社とかが問屋から商品を仕入れて市場に適正(とされた)価格で売るのはいいんだよ。それを個人が掠め取って、フリマサイトで高額転売する、という行為が本当に嫌。転売するために商品を買うな。
もともと日々の言動から義兄のことが嫌いだったけど、今回のことでもっと嫌いになった。なんなら縁を切りたい。
こんな義兄はいらないし、それを持て囃したり肯定したりする身内もいらない。転売は法律に違反してはいないらしいけど、私にとっては犯罪者が身内にいるのと同じ感覚だ。
これは深刻。あとオレもそう。
世の中の外食・中食産業が、脂がつよく塩気とスパイスと繊維とタンパク質が多すぎてデンプン少なすぎ、消化が悪いものをのぞむ人にむけて進化しちゃってるので胃腸の病気も増えている
ハイカーブダイエット(高でんぷん食、うどんやごはん)とプリンや卵焼きや白身魚の煮付けとキャベツやモヤシのお味噌汁くらいで人間は十分いきていける
「腸よ鼻よ」という闘病エッセイマンガの各話の表紙にあるUC食レシピというのが胃にも優しいからトライするといい。
入院するとそれがそのまま低残渣食っていってでてくるぞ
あとビックリマンチョコはシールを抜いてチョコを捨てるのが流行ったけどそれが大人になったらカレーメシだのコンビニで栄養ドリンクを変えばノベルティがついてくるだので踊らされている
待つこと2ヶ月。ついに我が家にアベノマスクが届いたらしい。らしい、というのは私はまだ会社で一人残業しているからである。家人からの連絡によれば「アベノマスクが届いた。あとあつ森のカブ価は98ベル。」とのこと。ああ早くアベノマスクが見たい。思えば小学生のときから流行には鈍い性格であった。同級生はカードダスに夢中になっているというのに、親にビックリマンチョコをねだり続けていた。みんながジャンプを読んでいるころ、私はコロコロコミックしか知らなかった。やっとこれで人様並みに世間の話題についていけると思えばこそである。やっとだ。これで実現できる。当初の目論見通りコロナ禍の記念碑として孫に自慢すべく、大きめの真空パックにアベノマスクとシリカゲルを入れて押入れの奥深くに大切に隠すのだ。そして30年後、まだ見ぬ孫にコロナの恐ろしさとアベノマスクに係るアツいストーリーを自慢するのだ。あとは私が帰るまでに家人にアベノマスクが開封されていないことを祈るばかりである。早く帰りたい。