はてなキーワード: キッチンとは
昨夜の話である。彼氏が夕飯にエビチリを作ってくれると言った。
このエビチリがまたうまいんだ。たまねぎがたくさん入っていて、ソースをごはんにかけて食べてもうまい。
エビチリ用に有頭海老を12尾買ってきて、頭を切り落とし、大量の油に入れた。海老からたっぷり旨味が出るので、彼氏が「多めに油を入れて、海老油を作ろうか」と言った。海老のエキスがぎゅっと詰まった油… 香味油としてラーメンに垂らしてもいいし、炒飯を作るときに使ってもいい。考えただけでワクワクした。
しばらく横で見ていたが、「今日の夕飯は俺が作るよ」という言葉に甘えて隣の部屋でスプラトゥーンをやって待つことにした。ガチヤグラを2試合やったけど、人が家事をやっているのにひとりでゲームをやるのはちょっと落ち着かなくて、様子を見に行った。
中華鍋に海老を入れながら、彼氏が「できたよ」と海老油がたっぷりと入ったガラスの保存器を指差す。海老のエキスを吸って赤く染まった油をみて、明日はどんな献立にしようか、せっかくの海老油を活かす料理はなんだろう、と想像を膨らませた。海老油の入った器がちょうどコンロの横に置いてあったので、料理中にバタバタして倒したら危ないな、と思った。彼氏が料理をしている間に片付けよう、と思ってコンロ横のものをどかし、海老油の入った器も避難させようとした。
器を持ち上げた瞬間、蓋が外れて器が3cmほどの高さから落下した。真っ赤な油がキッチンカウンターにぶちまけられた。心臓が一瞬止まったような感覚になった。「海老油が飛び散った」という状況は視界を通して入ってくるけど、脳が処理に追いついていない感じで、何が起きたのかわからなかった。息が詰まった。かろうじて「ごめん」と声を絞り出して彼氏のほうを見たら、ちょうど中華鍋と向き合っていて見逃していたらしい。こちらを向く彼氏に、死にたくなるような気持ちで「こぼした…」と伝えた。せっかく作ったのに、と彼氏が言い出したが、すぐに「そこ、片付けてやって」と言い直した。カウンター、電気ケトル、トースター、そして床にもはねてしまった香り高い赤い油を見て、「うん」としか言えなかった。
キッチンペーパーを取り出して無言で拭いていく。白いキッチンペーパーが油を吸ってほんのり赤く色づき、拭いても拭いてもなくならない油に「こんなにもたくさん溢れてしまったのか」と思った。拭いているうちに少しだけ視界がぼやける。木べらで海老の頭をすこし潰しながら、じっくり、じっくりと海老の旨味を油に移していく彼氏の姿が脳内に浮かぶ。楽しみだね、と言っていた彼氏。もう少し油を足したほうがいいかな?でも多すぎて海老の旨味が薄まったら意味ないよね?と言いながら海老の頭をコロコロと転がしていた彼氏。つきっきりで海老油を作っていた彼氏。わたしも料理はよくする。だからこそ、彼氏のショックが想像できる。待望の海老油ができたその直後に、隣の部屋でのうのうとゲームをやっていた彼女がやってきて全部ぶちまけてしまったのだ。彼氏のこの行き場のないショックと怒りをいっそわたしにぶつけてくれればいいのに、と思った。なのに拭き終わって目に涙をためて「ごめんなさい」と繰り返すわたしに、彼氏はやさしく笑いながら「海老油はまた作ってあげるから大丈夫」と言った。わたしの不注意でぶちまけてしまった彼氏の労力と期待。本当に申し訳なくなって、でもどうすればいいのかわからなくて、ひたすら謝った。
相当暗い顔だったと思う。せっかく好きなエビチリを作ってあげたんだから、と言われて、なるべく重い空気にならないように食べ始めた。すごくおいしくて、さらに申し訳なくなった。油で香ばしく揚がった海老の頭も食卓に出てきて、バリバリと噛み砕くとじゅわっと口の中に海老のおいしさが広がってゆく。「ああ、このおいしさが凝縮された油を、わたしがぶちまけてしまった…」と思うとまた哀しくなったけど、せっかくおいしいご飯を作ってくれた彼氏に申し訳ないのでなるべく明るい雰囲気を作ろうとした。食べ終わってからプーアル茶を淹れてデザートにライチのシャーベットを出した。こんなことじゃ埋め合わせにもならないだろうけど、少しでも彼氏の好きなものを、好きなことを、やってあげたい。
ひさしぶりにこんなに心が沈んだ。昨夜の大惨事を奇跡的に逃れた小さじ1杯分にも満たない海老油が、今キッチンにある。これを使ってとびきりおいしい料理を作ってあげよう、と思う。何がいいかな。
まだ妊娠超初期だったので、まずは定期的に産婦人科に通い、出生届が出せる状態になるまで赤ちゃんの成長を見守ることになった。
ところが何週間たっても赤ちゃんの体が大きくならない。心音も確認できない。
着床して胎嚢はできたものの、それから赤ちゃんが育ちきれずそのまま亡くなってしまい、なきがらが体内に滞留している状態をそう呼ぶのだそうだ。
もともと子供を強く欲しがっていたのはわたしよりも旦那のほうだったが、でもわたしもやっぱり妊娠がわかったときは単純に嬉しかった。
旦那からは気が早いと笑われたが、名前を考えたり、どんな顔のどんな性格の子どもが生まれてくるのだろうと想像したりして、自分なりに妊娠生活のスタートを楽しんでいた。
生活も変えた。発泡酒の代わりにウィルキンソンの炭酸水と、それとカフェインレスのコーヒーを買い込んだ。
葉酸が多く含まれる食品を積極的に摂取し、ストレスがかからない範囲で嗜好品を控えるようにした。
そんな生活を2ヶ月ほど続けていたところに稽留流産を告げられた。
エコー検査では毎回爪の先ほどの小さな影が見えるだけでまだ人の体をなしていなかったこともあり、正直赤ちゃんがお腹の中にいるという実感はまだまだ乏しく、なので流産と言われても悲しかったがものすごくショックというほどではなかった。
残念だったね、でも次また頑張ろうねというふうな話を旦那とした。
妊娠超初期段階の流産とは、着床時の異常や遺伝子異常などでどのみち正常に発育することができない赤ちゃんに発生するものであり避けることができないものだと、母親の生活態度などで左右されるものではないと、かかりつけの薬剤師の先生からは聞かされた。だから自分を責めないでほしいと。
そういったサポートを受けられたこともあり精神的なショックはさほどでもなかった。
赤ちゃんが体内に残ったままでは色々と今後リスクがあるので、早いうちに赤ちゃんを体外に出してしまう手術をした方が良いと医師から勧められ、先日その手術をしてきた。
引き合いに出すのはおかしいかもしれないが中絶手術と同じようなやり方で、サジのようなもので赤ちゃんを体外に掻き出すのだそうだ。
土曜の朝から病院に行き、全身麻酔で意識がなくなっている間に手術は終わった。その日の夕方には家に帰れた。
ほどなくして2カ月間止まっていた生理が再開し、経血が排出されていくのと同時に妊娠判明以来ずっとあったお腹のもやもやとした異物感のようなものは解消されていった。
妊娠前の元気な体が戻ってきたのだ。
わたしの妊娠生活はかくして終わった。少なくとも妊娠できるということはわかったのだし、今後に向けて前向きに生活している。
昨夜、女友達数人で飲みに行った。流産のことは誰にも言っていないのだが、旦那がちょうど出張中で話し相手に飢えていたこともあり、いろいろな馬鹿話で笑い転げた。久しぶりのビールは本当においしかった。
少しの二日酔いでクラクラしながら今朝目が覚め、酔っ払って散らかし回した家の中を片付けていた。
キッチンカウンターに、使いかけのカフェインレスコーヒーが残っていた。
それを目にした瞬間、不意に虚しさが襲ってきた。
カフェインレスコーヒーは確かにコーヒーの風味はするのだけれど、やっぱりどこか味気なく、本物のコーヒーのほうがおいしいことに間違いはない。
でもそんな、柄にもないものを必死になって探して買い込んでいたついこないだまでの自分が、滑稽で、哀れで、愛おしくて。
手術が終わり、「増田さん、終わりましたよ」と麻酔科医から名前を呼ばれて手術台の上で目が覚めた瞬間、朦朧とした意識で最初に私が口にしたのが「出てきた赤ちゃんを見せてください」という言葉だった。
医師は一瞬迷った様子を見せた後で、小さなカプセルに入ったピンク色の塊を私に見せた。それは全くピンク色の肉塊でしかなく、赤ちゃんの体だと言われても素人には何が何だかわからない。
見せてもらってどうするつもりだったのか自分でもよくわからない。そんなことを頼む心積もりはなかった。ただとっさに、まだ半分寝ている状態でそんなことを私は言っていた。
自分を責めることはないと周りからは言ってもらえたが、でもやっぱり、ごめんねと思っている。
大きなショックは受けなかった。それは本当だ。でも何か、重しのような、ちょうど生まれたての赤ちゃんぐらいの、軽くて小さくて吹けば飛ぶような儚い、だけれど確かに重さを感じる、そんな重しのようなものが、わたしの心臓にぶら下がっているような、そんな気持ちがしている。
一人暮らしすることにした。今更って言われそうだけど。
理由は家族が煩わしくなったから。家族ともコミュニケーションがうまく取れない。
婚活して結婚決めてから同棲した方がお金は貯まるけど、その前にまず恋人だと思った。これも一人暮らしする理由の一つ。
あとは料理がしたい。自分だけのキッチンで好きな時間に料理する。
その一方でいろいろ節約して、サバイバルみたいなものも楽しみたいとも思ってる。
ただはじめのうちは楽しいだろうけど、この生活を何十年は辛いなあ。
検索すると色々なWebサイトがヒットするが、どこも似たような作りとなっている。システム、スケジュール、予約、アクセス等々、いわゆる性風俗サービスのサイトと作りはほとんど同じ。システムをみると、60分10000円くらいから時間に合わせて値段は様々だ。
「メンエス」で検索するとヒットするのが、いわゆるレビューページ。様々なメンズエステでの体験が毎日のように更新されている。これも作りは、性風俗サービスのレビューページとそっくり。書いてある内容というか文体もよく似ており、具体的なサービス内容がぼやかされていることがあるのも似ている。確かにWebサイトにはあまり明確なことが書いていない。強調されているのは「癒やし」「治療を目的としたものではない」「性的なサービスは一切ない」とか。「アクセス」もぼやかされていて、「最寄りの駅から電話をしてください」とあるのが定番だ。
性風俗サービスにも、性感マッサージ・エステと称するジャンルがあり、オイルなどによるマッサージと抜きがセットとなっている。この場合、ほとんどの店は派遣型か、受付所で手続きして近くのホテルでサービスを受ける、
いわゆるホテヘル型になる。店舗型のエステはあまり聞いたことがない。さらに、シティホテル、ビジネスホテルに宿泊すると、出張マッサージを呼ぶことができる場合がある。シティホテルならホテルにマッサージ師が常駐しており、時間が合えばすぐに部屋で施術を受けることもできる。小規模なホテルの場合、あるいはオイルマッサージの場合は、派遣型となり、電話で予約をすると、どこかから施術者がやってきて、オイルなどによるマッサージのサービスを受けることができる。この場合、性的なサービスは一切ない。他、高級ホテルなら、ホテル内に「SPA」があり、同様のサービスをホテル内のSPAで、あるいは宿泊する部屋で受けることができる。
街角にあるマッサージ屋、サウナでのマッサージ、ホテルでのマッサージ、出張のオイルマッサージ、性感エステなどを利用したことはあるが、メンエスは仕組みがよくわからないため敬遠していた。非常に疲労し体がだるいある日の午後、時間だけはあり余っていたので、思い立って都内にあるメンエスに電話をしてみた。電話の受付は女性。開始時間、施術時間をリクエストして予約をする。予約の時間になったら、最寄りの駅のX口から電話をしてください、ということだった。その時間に指定された場所から電話をすると、サービスを提供する場所をより詳しく説明してくれる。この対応も女性であった。場所は、近くのマンションの一室のようであり、簡単に見つけることはできない。どこどこの交差点についたらまた電話して、というやり取りを繰り返し、マンションの近くまで来たところで、建物名・部屋名が明かされた。なお、今回の場合はWebサイトに具体的な住所・建物名・部屋名の記述はなかった。
指定されたマンションはオートロック式で、部屋番号を呼び出して建物の中へはいり、エレベータで部屋のある階まで移動した。新しめのマンションのように思える。部屋の前でアホンを押すと、しばらくしてドアが解錠され、日本人の女性が一人で現れて入室するように促された。玄関をはいるとすぐに小さなキッチン、トイレ、浴室があるような単身用のマンションである。部屋には、施術者の女性がマッサージ師のような衣装でたっていだけで、他の人はいない。間接照明のため薄暗いリビングには、小さめのソファがあり、床にマッサージ受けるための敷物があるだけ。ソファに座り、最初に代金の精算をおこなった。ここで、ひとつ予想外のことがあった。90分のサービスで事前に金額を聞かされていたものの、部屋で示された用紙には、プラス3000円で「VIPコース」「ラグジュアリーコース」(場合により呼び方が異なる)があり、それをお勧めされた。ただし、具体的に何がVIPでラグジュアリーなのかの記述や説明はない。特に考えもなく、追加の金額を加えて支払いをした。その後、流れについて簡単に説明がある。これは単純な話で、最初に一人でシャワーをあびる、シャワーが終わったら体を拭き、準備された場所に横たわって施術を受ける、施術が終わったらもう一度シャワーを浴びる、というだけ。シャワー用には、貴重品袋が用意されていた。シャワーの間、施術者は準備をするという。
浴室は単身者用の部屋によくある狭い湯船の浴室で、ボディーソープ、あかすりスポンジなどが準備されている。そして、シャワーを浴びた後に履く、パンツ。これは、オイルマッサージであれば、出張マッサージでも用意されていて、シャワーの後にはそれだけを身につけてベッドに横たわるものだ。使い捨てのものであり、なぜだかわからないがTバック、というか後ろはほぼヒモであり、前もどうにか隠れる程度の下着だ。普段そのような下着をつけることのないおっさんには違和感がありまくる。
さて、シャワーをあびて、露出過多な使い捨てのパンツを掃いて部屋に戻ると、施術者が衣装を変えていた。変えていたというよりは、脱いでいた。全裸ではない。透け気味のキャミソール姿である。過去にホテルで出張のオイルマッサージを受けた際には、施術者が着てきた着衣を脱ぐことは一切なかった。最初から性風俗店であると謳っている性感エステの場合、着衣から始まり、流れでトップは裸、全裸など様々である。「性的なサービスは一切ない」はずのメンエスとは、健全なオイルマッサージと、性感エステの間に漂う玉虫色の存在なのだろうか、と思いつつ、施術は進行していく。メンエスとは一体なんなのかという謎に、少しだけヒントが与えられた気がした。
最初は、うつ伏せで、オイルを使ったマッサージが下半身からはじまる。なぜだかわからないが、敷物の周りには、床に横長の鏡が設定されてい、自分が横になってマッサージを受けている様子をチラ見することができる。マッサージこのような設備は必要だろうか?ということはともかく、「今日はお休みですか」「どちらからお越しですか」などのマッサージあるある会話をしつつ、淡々とオイルによるマッサージが行われる。一通り、足裏からふくらはぎ、ふとももまで下半身をオイルにより摩擦したところで、施術者は体勢を変えて、うつ伏せの頭側へ移動してきた。そのまま、うつ伏せの頭の上にほぼまたがるような体勢で、背中の上側から上半身のマッサージがはじまる。このような不思議な体勢によるマッサージははじめて経験した。なお、施術者はキャミソールとパンツのみであり、いわゆる頭と下半身は近い。布一枚。接触をするわけではないが、もやもや、する。趣味についての会話をしながら施術は進行し、後半は仰向けでマッサージをうけた。最初に、施術者は上半身の首やデコルテのあたりをマッサージしてくれる。さらに、下半身側に移動して、今度は仰向けの体勢で下半身周りのマッサージをする。「これがリンパを流すってやつや!」と考えながら、そして全身オイルまみれになりながら、足の付け根の周辺のマッサージがおこなわれていく。ここまで完全に受け身であり、マッサージだからそれは当たり前なのである。十分にリンパがながれたくらいのところで、時間となり、マッサージは終了した。もう一度シャワーを浴びて、オイルを流し、少し休み、お茶などを飲んでから、着替えて部屋をでた。少し体が軽くなった気がする。
部屋を出る前に「VIPコース」というのは、普通のコースと何が違うのか?と尋ねてみると、衣装が違う(脱ぐ脱がない)のだということであった。別の店でも同様の説明を受けた。
オチはない。
外食やコンビニ弁当ばかりだと高くつくし健康にも良くないと思い自炊しようと意識していたのだが
調理がめんどうで、だんだんと食材をそのまま食べるのが癖になってしまった(自分では素材喰いと呼んでる)
ヨーグルト、納豆、豆腐、生卵、ミニトマト、バナナ、ソーセージなどで
キッチンに立ってそのまま食べている
皮や種が出る野菜は基本的に買わないし、油を使う調理もキッチンが汚れるのが嫌でしなくなった
米をたくのもめんどうだし、パンも日持ちしないのであまり買わない
炭水化物や油分を取らないせいか、日に日に痩せていて、かえって不健康になっている気もする
家事の音がとにかく苦手だった
何か急かされているような、日常のあらゆることをやらなきゃと思わせるような音
掃除の音も苦手だ
非常に邪魔にされているように感じた
ハウスキーピングが第一優先で、自分のことは二の次になっている感じがした
母はそういった人間だ
この性格は介護職ではかなり重宝されているようで、利用者や同僚には人気が高い
今一人暮らしをしていて、部屋は荒れてる方だと思う
まあ男の一人暮らしなんてこんなもん、みたいな感じだ
でもそこまで嫌ではない
あの時よりは落ち着いて集中できる
家事の音はたまにする程度でいい
マルクス(なんてハンドルだ)に寄せられた批判が「揚げ足取り」だと思うならマルクスと同レベルの馬鹿だから自覚をしてくれ。
広く伝わる表現を選ぶ以外にどうやって影響を広げていくんだ?
こつこつと働いて周囲の人を思いやって自分の人生を楽しくして生きていってくれ。
「彼女の話を聞いてぼくちんショック!」なんてくだらねえことを何故世間に広く伝えなきゃならんの?
自分たちにできることはないのか?
ねえよ
素人のやることはすべて余計なことか?
余計だよ
ゴミを撒き散らしてる自覚ぐらいは持ってくれよ。馬鹿って口開くだけで迷惑なんだから。
そしてマルクスはゴミみたいなアウトプットがやけに広まったので
そこで泣きを入れるなら口を閉じてろよ。
自分の声を無思慮に世間に広めたいけど発言内容をチェックされたり批判されたりしたくありましぇーーーんてか?
そんな都合のいい世間はどこにもねえよ。
お前やマルクスみたいな馬鹿じゃなくても自分の発言には責任を持たされてるんだ。みんなそうだ。
なんのための働きかけ?
雑音出してるだけじゃねーか
馬鹿は手元の仕事をコツコツやって周りの人に注意を持って優しくしろ
そうすりゃ周囲はそれなりにお前のことを認めてくれるし幸せに生きられる
身の丈を忘れて御政道談義なんかしようとするんじゃない
馬鹿が部屋に入って来て何か有意義な仕事してるような顔でゴミまいて遊んでるから
「お前のやってることはクソなので部屋をこれ以上汚さないように」って説明されただけだろう。
こういう不寛容で人の行動の意志を摘むようなスタンスが称賛されるのはこわい。まずい部分があったら都度修正しながら進めていけばいいじゃん。
お前が言ってるのは「この不潔な残飯を直しながらチャーハンを作ればいいじゃん」みたいな話だ
実際にはその残飯はなんの役にも立たない
この場合は残飯を捨ててキッチンを掃除するのが必要な仕事であって
義実家にお世話になっている。
料理は義母が「作るから」と、私に料理を作る「義務」はないけど、料理好きだからたまに軽めのやつを作る。
わかりやすい料理(オムレツとかホットケーキとかカレーとかグラタン)は喜んでもらえる。
だが、食べたことない系の料理(パエリアとかリゾットとか)を「実家でもよく食べてて、美味しいんですよ〜」というと
「う〜ん…私はまあいいけど他のみんなは食べないんじゃないかなあ?」と言われる。
食べる前なのに。まだネットで写真しか見せてないのに。キッチンには出来上がってて、あとは夕飯の後の時間に味見程度に、もてなすだけの状態なのに。
そう言われるたびに「何も作りたくない、こんなことなら作らなきゃ良かった」と思う。
息子の離乳食もそうだ。
「これ息子にどうかな〜と思ってるんです」とレシピ見せたら
「これは食べないでしょ、作っても意味ない。」
で、いつも通りのレシピだと
どうしたらいいの
タイトルは「真実と書いてリアルと読む(漢字2文字の上にルビ振ってある)」系で。
40代小梨♀、今月離婚が決まった(決めた?)。世間じゃよく聞く話題だけど、まさか自分が当事者になるとは思わなかった。いざその立場になってみたら、これまでの自分の離婚のイメージと違い過ぎて驚いたので、そのことを書いてみようと思う。
まずコレ。うちの場合はもうとっくに夫婦(男と女)じゃなくなっててたので、それが一番大きいんだろうけど、今の生活が続けられなくなることや、今後の不利益(金銭・労力)ばっか頭にあって、それ以外の感情が何も無い。一番近いのが、交通事故やっちゃって、大金が吹っ飛んだことにダメージを受けつつ、明日から通勤どうすんのよーとか思ってる心境に近い。
地方都市のそこそこ中心地に持ち家がある。徒歩10分内2路線アクセスで、便利なのに静かな穴場的立地。小型車限定だけど駐車場付き。大きなワンルームのような、各フロア独立してるような、ちょっとない間取りのこだわりの木の家で、スペック的には超狭小住宅なんだけど、居心地は超良い。色んな出会いがあって奇跡的に建った家で、もう2度と建たない家(←自分達の経済力では)。色んな人にお褒め頂いた(特に外国人に好評)ので、この家だけは自信を持っていいのだと思う。
この家が共有名義なので、財産として分けなければならない。家自体には未練がめっちゃあるけど、手持ちキャッシュで払える充ては無いので、売るか貸すかしてキャッシュを作らなければならない。相方が住み続けるか引き取る選択肢は無く、引き取るとしたら自分の方。
家自体には愛着があり、手放すのは勿体無くもあるんだけど、一人だったら、一軒家はやっぱり寂しい。猫飼ってるとかガーデニングが趣味だとか、一軒家でないといけない理由も全く無いし、正直、維持に疲れてきた面もある。一人だったら職場の近くに住んで通勤時間を短縮したいし、職場は家賃が安い田舎なので、わざわざ都会の家を維持する理由も無い。
たまに小さなスペースに暖房を入れて、あっという間に暖まることや、掃除が楽なことに感動したりするので、ワンルームだったら楽だろうなーと思う。掃除も家を飾ることも、誰も見てくれる人がいなかったら甲斐がない。
上の掃除と同じだけど、飯を作る張り合いが無い。今までも相方が食事要らない日は、カップ麺とか袋麺とか、蕎麦やうどん茹でただけとか(←我ながら麺空きだな)、コンビニで買った適当なもんとか、菓子だか食事だか分からんもので済ましたりとかしてたので、これが毎日になるかと思うと、さすがに危機感を感じる。かと言って、誰も食べてくれない食事を作る気には全くならない。正直、自分の作った飯を食ってくれるルームメイトが欲しい。
相方が趣味部屋みたいに使ってた部屋が余るので、部屋自体は狭いけどいい部屋だから、誰かここに住んで、ついでに飯食ってくれないだろうか。家賃とか要らないし、もし気になるなら、家賃代わりに掃除してくれれば嬉しい。よく経済的なことが理由で家を出たいけど出れない女性いるって聞くけど、そういう人うちに住んでくれないかな。住むところと食事くらい提供するし。
家賃無しで、リビング、キッチン、バス、トイレ、家電は自由に使ってくれてよくて(自分は仕事でいない時間が長い)、その代わり掃除するだけ。その掃除も、別に仕事みたいにキッカリやる必要は無くて、パートの合間に、週に2回くらいでいいし、ちょいちょい長期旅行で抜けるとか全然OK。自分が、誰かいないと張り合いが無い&ちょっと掃除がシェア出来たら楽になるってだけだから。
でもそういうの揉めるんかな。将来出て行って欲しい時に出て行ってくれなかったり。あるいは急にいなくなっちゃって、荷物どうすんのよとか、勝手に動物・子供・男(汗)連れ込んだりとか、なんか事件になっちゃったりとか?
そうすると家主の責任になって・・・・、うーん、なかなか現代社会は世知辛い。
まあ今の家に住み続ける選択肢は無くて、貸すか売るかなんだけど、どうしたらいいんだろう。正直持ったまま貸したい気持ちはあるんだけど、スペックが超貧弱な戸建てなんてニーズが無い(狭くてよい人はマンションを選ぶし、戸建てを望むのは、広くて部屋数充実派か、ペット買いたい人だし・・・)。
貸すなら掃除や設備の入れ替えに初期投資がいるし、とにかく変わった物件だから借り手がつかなくて、仮に1回ついたとしても、また空いた時に見つかるかが問題で、結局手放すことになる予感。そうすると初期投資する前に売っときゃ良かったとなる予感。そもそも、これから人口減で不動産は余るから、売るなら早いほどよい気もする。大体、いくら持ち続けたって、40代の今すでに維持に疲れてるなら、年取ったら考えられないくらい億劫になるだろうし。そうすると、可能性の無い可能性を持ち続けることに意味があるのかってことになって・・・・・、あー悩ましい。
ところで増田達よ、これから先、不動産ってどうなると思う?今手放した方がよいと思う?
老後住むところと考えて持ち家用意したけど、これも一緒に住むパートナーがいる前提のことで、一人だったら、自分にはあり得ないや。一人で戸建て維持してる人、マジ尊敬する。
本当に離婚するんかな。このまま一生一人なんかな。全然実感ない。とにかく家の整理と、売るにしろ貸すにしろ、いろんな事務しなくちゃ。やっぱり交通事故の後みたいだ。
鬱じゃなくて躁鬱なのでは、躁鬱は統合失調症と並んで不治の病というブコメがあったので、
そういえば躁鬱って不治なんだっけ?どうなんだっけ?と不思議に思った。自分の思考整理と記録のために書き残す。
なまえをかくしてたのしいにっき。
■誤診期
「誤診」と書いたが、診断確定の難しさは他でもない私が知っているので、「誤診」よりもイメージの良い、精神科医の名誉を傷つけないワードがあったら教えて欲しい。
時期:十年前~七年前
症状:元々パワフルで仕事人間、しかし分配された家事はきちんとやる母であった。共働きフルタイムだったが、食事ははおいしかったし、稼ぎもそれなりにあり、仕事も好きだった。趣味があまり無かったが、車は嫌いではなく毎日の通勤に乗っていたのでストレス発散の手段はゼロではなかったと思う。
母は突然、朝起きれなくなった。仕事に行けなくなった。
涙を零すとか不満をぶちまけることはなく、全てのことに無気力になってしまった。
休職期間が切れ退職扱いになるまでの一年はあっという間で、家族(父、増田を含む兄妹二人)は通院をはじめとした外出に抵抗を示す母を引きずって病院に通いながら、減った収入を補填すべくがむしゃらに働いた。
診断:鬱病。加齢によりが少し体のある器官のせいで、全盛期に比べ仕事の効率が目に見えて落ち、生きがいだった仕事への活力が失われたことが原因ではないかとの意見。
まだ地獄ではなかった。
時期:六年前
症状:何をするにも無気力で食事を採らせるのも一苦労、10キロ以上体重が落ちほぼ寝たきりの状態だった母から、仕事中の増田に電話がかかってきた。
内容は「お前を大富豪にするビジネスプランを考えた。今すぐに実行しろ、金は私が出す」。
我が家に金なんてない。
妹に対しては「お前を玉の輿にのせるプランを考えた。」という電話があったらしい。
その後、仕事中に着信が1分1件ペースで入る。
躁鬱に対する知見が全くないので家族はパニックに陥り、全員が仕事を早退し家に帰ると、見違えるほど元気な(元気すぎる)母がいた。
・投資用マンションの契約をしようとする(一番やばかった、本当に手付け金が帰ってきてよかった)
・キッチンをめちゃくちゃにする
・アドレス帳のすべてに電話を何度も何度もかけまくる(母本人の希望で疎遠にしていた人含む)
・テレビを壊す、壊れたからといって過剰に大きいサイズのテレビを買う
・そのほか高額なものを買いまくる
・「私の考えた最高のビジネスプラン」を話しすぎて、喉が切れて血が出る。血が出てもまだ話すので、口元からずっと血が垂れ落ちている
などなど。今から考えると「自殺をこころみる」が含まれていないのは、本当にラッキーとしかいいようがない
診断:「わたしの鬱病は治った」と言い切る本人をなんとかだまくらかして病院に連れて行くまで半月、その間に家の中は大惨事。様々なもののクーリングオフ、迷惑をかけた方々へのお詫び行脚に明け暮れる。
医師は「躁鬱の波が長いタイプ。鬱が最初に来てしまったので、診断できなかった」とのこと。
なんと躁鬱に効く薬と鬱に効く薬は全く別で、医者も家族も効くわけもない薬を無理やり嫌がる母にのませていたのである。「効果ありませんね~」じゃねーよ、とこの時は思った。暴れるのを抑えるための措置入院を経て、三年間見たこともなかった名前の薬に変わる。
■回復期
時期:五年前~
症状:正しく躁鬱の薬を処方されてからはかなり早く、措置入院は1カ月、その後はテンションの上下自体はあるものの、順調にその波はおさまっていった。勿論きちんと薬を飲むか等、かなり細かく監視の必要はあったが、「鬱だな」「躁だな」と判断出来るようになったことで、家族全員がだんだんそれぞれのパターンでより刺激しない接し方を覚えていった。
また、この頃、自分が通院する必要性について自分でやっと理解できたように見えた。激しい鬱期は被害妄想が強く、躁期には「治った」と思いこんでいたため。
少しずつ少しずつ安定した生活習慣を取り戻し、知り合いのツテで仕事にも一部復帰。(突発的に休む可能性がかなり高いにも関わらず専門性の高い仕事に復帰させて貰えたのは奇跡としか言いようがない。復帰後の職場の皆さんには、今でも、母も自分も頭が上がらない)仕事をするようになってからは、自己肯定感が増し、安定している頻度が増えたように感じた。働くことはプレッシャー増であると考えていた自分には意外だった。
■寛解期
時期:三年前
診断:「寛解」
精神病には、基本「全治」はないという。
骨がくっつきました、とかと違って明確な基準がないため。
が、家族から見ると、一度病気を経た母は少し罹患前より変質しているようにみえた。9割5分、記憶のままのマトモな母だが、やはりどこかしら違ってしまったことがあるように感じた。
私が好きだった母と全く同じものは、もうどこにもいないかもしれない。それは少し寂しかったし、それこそが「寛解」と「治癒」の差かもしれないと感じた。再発のリスクは、限り無く少ないが、ゼロではない。
■最近
おまけ。
寛解から三年たってようやく、「あのころこうだったね」等の振り返りを当人含めてできるようになってきた。妹は良く「玉の輿に乗る方法」の話をして笑いをとっている(※妹は未婚)。
もしかしたら病気になるまえの母はストレスを押し殺していて、本当の母ではない=今の母が本当の彼女の姿なのかもしれないと漸く思うことができた。確かに、記憶の中の母よりもほんの少しだけセンシティブである。
でも我が家はこれを乗り越えられてよかった。家族みんなが、自分のストレス閾値を考えられるようになり、出来ないことを頑張りすぎないようになった。そして家庭の外でも、頑張り過ぎようとしている人に優しく出来るようになった。人間的成長ではなく、壊れたらより損失が大きいことを身を持って知ったからである。
結果、皆母のために暫くの間キャリアを犠牲にはしたが、最終的には職場での評価はあがった。
振り返ると家族の中に三人働ける人間がいたこと、子供二人はまだ未婚で家族以外にかける迷惑が最小限で収まったこと、そして三年の膠着期間を経たとはいえきちんと正しい診断がおり寛解に至れたこと、様々な幸運に助けられたんだなと思う。
かなりベストに近い形だとは思うが、それでも躁に転じたとき二段回目があるのか、この先もっともっとおかしくなるかもしれないという底知れない恐怖ははかりしれない。母がどうこうというより自分だっていつかは、ああなってしまうかもしれないと恐ろしかった。
周りにもし近い状況になっている人がいたら情報共有したい経験ではあるし、我々のように幸運が重ならなかったとしても、何からのセーフティーネットで患者や家族がなんとか生きていける社会であればいいなと思う。
こういうの、自分の都合のいいことしか書いてないかもしれないからなー
たとえば食器洗いが増田の担当で、食器・調理器具をシンクに平日5日分まるごと溜め込んでたりしたら不衛生すぎて正直揶揄されても仕方ないし
共働きなのに家事分担してなくてなぜか全部増田がやらされてるなら夫がクソとしか言いようがない
夫婦に限らず家族でも友人でも、共同生活するなら家事は誰がどれだけどの程度やるのか分担きっちり決めるのは必要
これもちょっとした愚痴で旦那の許容量が低すぎるのかもしれないし、仕事は楽しいといいながらも実際は聞いてる側がイヤになるぐらいの文句の雨あられなのかもしれない。
なので大学ではそれを専門にやって、その好きなことの分野の企業に就職した。
それなりに認められて色々任されて、失敗しても成功しても好きなことだから楽しくて、飛ぶように月日が過ぎて気づいたら勤め始めて3年経って25歳になってた。
5つ上の彼氏は30歳になって、プロポーズがあって、結婚した。
結婚にあたって、かなり残業がある職種なので「私と結婚しても家事はできないと思う」と言うと彼は「家政婦が欲しいわけじゃない。一緒にいたい」と言ってくれた。「子供はいつか考えてもいいけど、しばらく欲しくない(そもそも子供が好きじゃない)」とも。
その言葉に、私は「家事は求められていない+子供もいらない=各自好きなことを好きなだけやる生活形態。多少家が散らかっても、生活リズムが乱れても、大人2人でゆるく楽しく暮らす結婚」という解釈をして、それで喜んでOKした。
もちろん拡大解釈だった。
向こうは19時に帰宅し、私は午前1時に帰る毎日で、毎晩寝ずに待ち構えていて翌朝眠い眠いと言う。私は夜遅い代わりに始業も遅いので寝ていたら見送ることもしないと言って怒る。
私が仕事の愚痴をこぼすとそんな仕事辞めろ、いつ辞めるんだ今決めろ今この目の前で転職サイトに登録しろと言う。
土日料理片付け掃除洗濯をどれだけやっても、平日洗濯物がたまってたりキッチンが汚れてると揶揄するようなことを言う。(ここはゴミ屋敷か?など)
好きなことしかやりたくないので、
今の仕事が楽しいのに転職活動をするとか、疲れて帰ってきていても洗濯しゴミを捨て皿を洗って風呂に入りセックスもするというのは私にとってもの凄くハードルが高い。いつもタスク表の「ぐっすり寝たい」より優先順位が低い。
そもそも結婚する意味や結婚生活への認識に齟齬があるのでどんなに話し合っても平行線になってしまう。
ついにこの前「お前の仕事に同居人の俺の都合を差し置いて残業する程の価値は無い」と言われて、「あ、結婚しなければよかった」と思ってしまった。
私は同居人の都合なんかより、若くて体力のある今自分が好きなことを好きなだけやる方がずっと価値が高いと思っていて、
それは今しかできないという点で、この世に1人の夫より価値は上だと思っていて、
結婚のタイミングを間違ったのかもしれないし、そもそもすべきでなかったのかもしれない。
そうなったら夫を憎んでしまいそうで怖い。
飲食店なんだけど。
いつも機嫌が悪い。忙しい時にはキッチン・ホール関係なく怒鳴る怒鳴る。近くにお客さんがいてもおかまいなし。「違うだろ!なんでそうなんだよ!」小さい店だから店の端までよく聞こえてきて怖い。人件費をケチるからホールが回らない。1人しかいないとかザラ。キッチンも回らない。そんな中でもいつのまにかいなくなっていて、1時間ほど帰ってこない。理由も何も言わずに消え、謝りもせずに戻ってくる。そして仕事にケチをつける。そしてまた今度はタバコを吸いに行くと言って1時間いなくなる。店長がいない間に上がった人が、隣のパチンコ屋に店長がいるのを見たという。営業中なのにだ。私達は必死に働いてようやく給料がもらえるのに、店長はパチンコをしていれば給料がもらえるそうだ。こんな理不尽な話あるか?店長のシフトは朝10時からと書いてあるのに、12時に来て、その後パソコンで管理しているタイムカードの出勤時間を10時に直してさも毎日時間通り来ているかのように振舞っている。
営業とは関係ないが、妻子持ちの癖に夜は家に帰らずキャバ嬢と遊んで不倫しているらしい。なんて人だ。
まあこれを聞いてさっさと辞めろよと思う人は正解。健常。私もそう思う。けれどキッチンもホールもいい人たちだし、期間的にはあと半年ちょっとしかバイトできないわけだから、今辞めることもできないんです。