まだ妊娠超初期だったので、まずは定期的に産婦人科に通い、出生届が出せる状態になるまで赤ちゃんの成長を見守ることになった。
ところが何週間たっても赤ちゃんの体が大きくならない。心音も確認できない。
着床して胎嚢はできたものの、それから赤ちゃんが育ちきれずそのまま亡くなってしまい、なきがらが体内に滞留している状態をそう呼ぶのだそうだ。
もともと子供を強く欲しがっていたのはわたしよりも旦那のほうだったが、でもわたしもやっぱり妊娠がわかったときは単純に嬉しかった。
旦那からは気が早いと笑われたが、名前を考えたり、どんな顔のどんな性格の子どもが生まれてくるのだろうと想像したりして、自分なりに妊娠生活のスタートを楽しんでいた。
生活も変えた。発泡酒の代わりにウィルキンソンの炭酸水と、それとカフェインレスのコーヒーを買い込んだ。
葉酸が多く含まれる食品を積極的に摂取し、ストレスがかからない範囲で嗜好品を控えるようにした。
そんな生活を2ヶ月ほど続けていたところに稽留流産を告げられた。
エコー検査では毎回爪の先ほどの小さな影が見えるだけでまだ人の体をなしていなかったこともあり、正直赤ちゃんがお腹の中にいるという実感はまだまだ乏しく、なので流産と言われても悲しかったがものすごくショックというほどではなかった。
残念だったね、でも次また頑張ろうねというふうな話を旦那とした。
妊娠超初期段階の流産とは、着床時の異常や遺伝子異常などでどのみち正常に発育することができない赤ちゃんに発生するものであり避けることができないものだと、母親の生活態度などで左右されるものではないと、かかりつけの薬剤師の先生からは聞かされた。だから自分を責めないでほしいと。
そういったサポートを受けられたこともあり精神的なショックはさほどでもなかった。
赤ちゃんが体内に残ったままでは色々と今後リスクがあるので、早いうちに赤ちゃんを体外に出してしまう手術をした方が良いと医師から勧められ、先日その手術をしてきた。
引き合いに出すのはおかしいかもしれないが中絶手術と同じようなやり方で、サジのようなもので赤ちゃんを体外に掻き出すのだそうだ。
土曜の朝から病院に行き、全身麻酔で意識がなくなっている間に手術は終わった。その日の夕方には家に帰れた。
ほどなくして2カ月間止まっていた生理が再開し、経血が排出されていくのと同時に妊娠判明以来ずっとあったお腹のもやもやとした異物感のようなものは解消されていった。
妊娠前の元気な体が戻ってきたのだ。
わたしの妊娠生活はかくして終わった。少なくとも妊娠できるということはわかったのだし、今後に向けて前向きに生活している。
昨夜、女友達数人で飲みに行った。流産のことは誰にも言っていないのだが、旦那がちょうど出張中で話し相手に飢えていたこともあり、いろいろな馬鹿話で笑い転げた。久しぶりのビールは本当においしかった。
少しの二日酔いでクラクラしながら今朝目が覚め、酔っ払って散らかし回した家の中を片付けていた。
キッチンカウンターに、使いかけのカフェインレスコーヒーが残っていた。
それを目にした瞬間、不意に虚しさが襲ってきた。
カフェインレスコーヒーは確かにコーヒーの風味はするのだけれど、やっぱりどこか味気なく、本物のコーヒーのほうがおいしいことに間違いはない。
でもそんな、柄にもないものを必死になって探して買い込んでいたついこないだまでの自分が、滑稽で、哀れで、愛おしくて。
手術が終わり、「増田さん、終わりましたよ」と麻酔科医から名前を呼ばれて手術台の上で目が覚めた瞬間、朦朧とした意識で最初に私が口にしたのが「出てきた赤ちゃんを見せてください」という言葉だった。
医師は一瞬迷った様子を見せた後で、小さなカプセルに入ったピンク色の塊を私に見せた。それは全くピンク色の肉塊でしかなく、赤ちゃんの体だと言われても素人には何が何だかわからない。
見せてもらってどうするつもりだったのか自分でもよくわからない。そんなことを頼む心積もりはなかった。ただとっさに、まだ半分寝ている状態でそんなことを私は言っていた。
自分を責めることはないと周りからは言ってもらえたが、でもやっぱり、ごめんねと思っている。
大きなショックは受けなかった。それは本当だ。でも何か、重しのような、ちょうど生まれたての赤ちゃんぐらいの、軽くて小さくて吹けば飛ぶような儚い、だけれど確かに重さを感じる、そんな重しのようなものが、わたしの心臓にぶら下がっているような、そんな気持ちがしている。
おつー^^ また次を作ればいいさ! 今は体に気を付けて養生してナ⭐
その子の名前はハラデスギにするがよい