はてなキーワード: 霞が関とは
日本人にとって、直訳という言葉は「機械的に文法に沿って訳語を並べて、意味不明の訳文を作ること」といった印象が強い。意味が通じる翻訳をするには、意訳、つまり元の文を理解した上でその内容を自分の言葉で書き直す必要があると考えられている。
しかし英語で直訳を表わす"literal translation"は、そういった言葉ではない。もちろん、機械的に置き換えて意味の通じない文を作ってしまうことも言うのだが、"literal translation"は「原文に忠実である」というポジティブな側面を持っていて、formalで立派な翻訳という感覚を伴う。
それはつまり、「意訳」に良い印象がないということでもある。それは「意訳」に当たる適切な英語表現がないことでも分かる。
https://www.onehourtranslation.com/translation/blog/literal-translation-vs-conveying-sense-text
ここでは"literal translation vs. conveying the sense of the text"(直訳 vs. テキストの意味を伝えること)というタイトルになっている。日本人から見ると「"直訳 vs."と来たら『意訳』が来るに決まっているだろう」と言いたくなる。しかし、英語で意訳という言葉は、直訳とvs.出来るほどの市民権を得ていない。
英語の翻訳はフランス語やラテン語といったヨーロッパ圏の言語から知識を取り入れるために行われることが多く、ヨーロッパ圏の近縁語同士では直訳は有効な方法論だ。結果として、"literal translation"は立派でフォーマルな翻訳という意味合いが生じた。
対して、訳者が勝手に自分なりの表現を加えてしまうと、fidelity(原文に対する忠実さ)が欠けているという批判の対象になる。
たとえば、私は素人ながらアニメの英語翻訳に関わったことがあるのだが、海外のアニメオタクは意訳を嫌う。佐藤さんはSatou-san,斎藤先輩はSaitou-senpaiだし、学校の先生の敬称は英語だとMr.なのだが、犬塚先生はInuzuka-senseiだ。
たとえば、アニメのセリフに「ありえなくね?」と出てきたら、文字通り"That's impossible, right?"と訳すのが好まれ、意味を汲み取って"Are you kidding?"と訳したりすると、"over-translation"とか"liberal translation"などと言われて叩かれてしまう。日本人の私から見ると、とても理不尽に感じるが、彼らの感性はそうなっている。
この問題についてググっていたら「literal translationが良いというのは神話だ」という海外の人の意見を見つけた。これを言っているのが日本語の英訳をしている人だというのも示唆的だ。
日本では英語文献を翻訳するのが主なので、literal translation、直訳はほとんど役に立たず、ひどい翻訳の代名詞のようになっている。英語話者にとっての日本語の英訳でも同じだろう。
基本的に、英語圏でTranslationと呼ばれているものと、日本で翻訳と呼ばれているものは、行為としては似ているが、内実は全く異なっている。
英語圏で行われているのは直訳であり、我々がやっているのは意訳だ。英語圏でやっているのは文法ルールと訳語を覚えて他言語に当てはめ、原文を出来るだけ変えずに英語に直すことであるが、我々がやっているのは「他言語を(何らかの方法で)理解し、その内容を自分なりに日本語で作文する」という行為である
直訳が役に立たないということは、つまり文法ルールを覚え、日本語の訳語を覚えて適用しても、英語を理解することは出来ないということだ。
これは残酷な現実であるが、「いくつの文法ルールを覚え、何万の訳語を覚えても、英語を理解することは出来ない」
これは文法や訳語が不必要だと言っているのではない。文法や訳語はヒントにはなる。だが、答えにはならない。
はっきりいえば、ヒントを一生懸命集めて暗記しても、意味がない。文法ルールをいくつ暗記しようと、英単語の訳語をいくつ暗記しようと、それは英語力ではない。
身も蓋もない言い方になってしまうが、法則化出来ないなんらかのプロセスによって、英語を直接理解する能力。それが英語力だ。
そして直訳が出来ない、つまり英語を日本語に変換して理解するための法則が導けないという事実から分かるのは、日本語を理解している我々の脳をどういじくっても、それを英語に適用することは出来ないということだ。
それはつまり、「英語を理解するための脳の回路を、日本語とは別にゼロから構築する必要がある」ということに他ならない。赤ん坊が新しい言語を習得するときのように、何年もかけて、少しずつ脳を開発していき、英語を理解できる脳を構築していくしかないのである。
どこかの英語学習体験記で読んだことがあるのだが、「留学に行った所、フィンランドの学習者と同部屋になった。フィンランドの学習者はひたすら単語帳を眺め、英単語だけをひたすら覚えていたが、それによってあっという間に英語が出来るようになっていた。だから、私も一生懸命単語帳を眺めることにした」といったものだ。
これがつまり、直訳が可能な言語を使用している脳と、直訳できない言語を使用している脳の違いだ。欧州の人々は基本的に、母国語を理解するために使っている脳を英語向けにアレンジするだけで、英語ができるようになる。我々はそうではない。
たしかその体験記の終わりは、「一生懸命英単語を覚えた結果、留学を終える頃にはかなり英語ができるようになっていた」となっていたように思う。しかし私が声を大にして言いたいのは「それは英単語を覚えたおかげではない」
日本の英語学習界には、留学神話がある。「留学さえすれば英語は出来るようになる。留学しないといつまでたっても英語ができるようにはならない」というものだ。
もちろん留学さえすれば英語ができるようになるというのは嘘だ。それはもちろん神話でしかない。「留学して、英語を使わざるを得ない環境に自分を追い込み、一生懸命英語に取り組めば英語は出来るようになる」というのは正しいが、「留学はしたものの、日本人同士で固まって遊んでいただけで、勉強はしていない」といった生活で英語ができるようになるはずもない。実はそういう日本人留学生は数多い。
しかし「留学しなければ英語ができるようにはならない」というのは真実を突いている。
日本の英語教育に従って、文法ルールを覚え、訳語を覚え、どんなに努力を続けても、英語ができるようにはならない。留学して、日本の英語教育から離れ、ただがむしゃらに英語と格闘すれば、それだけで英語は出来るようになる。
そして「がむしゃらに英語と格闘する」ためには、留学は別に必須ではない。がむしゃらに英語の本を読む事もできるし、映画を見てもいい。海外英語フォーラムに書き込んでもいいし、Lang-8で英語で日記をつけてネイティブに添削してもらうのも、アジア圏のネイティブとスカイプ英会話をやるのも良いだろう。
がむしゃらに英語と格闘することが必要なだけだ。そしてそれ以外に英語ができるようになる方法はない。
http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG25H1M_V20C15A5CR0000/
全国の公立中学・高校の英語教員のうち、英検準1級以上かそれに相当する資格を取得しているのは中学で28.8%、高校で55.4%だったことが25日、文部科学省の2014年度英語教育調査で分かった。政府の教育振興基本計画は17年度までに中学で50%、高校で75%との目標を掲げている。英語教員のいっそうのレベルアップが必要な状況が浮かんだ。
高校の英語教師で英検準一級が55%、半分近くが英検準一級を持っていないということだ。準一級を持ってないということは、日本の文法・単語の暗記中心の教育をする能力すら疑問符がつく。
準一級の問題は、日本の英語教育で教えられたとおりに暗記した単語を当てはめ、文法ルールにそって直訳すれば理解出来る、日本人向けの英語もどきでしかない。それが分からないということは、英語もどきを教える資格もないということだ。
もちろん教師は聖職として尊敬されるべき存在であり、それを指揮するのは霞が関文部科学省のエリート官僚であるから、自分たちが教えているのが「実際には役に立たない英語もどきです」とは言えない。「私たちは英語がよく分かりませんし、『生徒をちゃんと英語が出来るようにしろ』と言われても出来るわけありませんよ。むしろ、そんなやり方を知っているなら教えて下さいよ」などと口が裂けても言えるはずがない。
それに対して一方では「聞き流すだけで英語がペラペラに!」とか「たった100語で英語は出来る!」とか「頻出フレーズを暗記すれば日常会話はバッチリ!」とか、英語教育界はオカルトだらけである。
もちろん商売でやってるのであるから、「がむしゃらに英語と格闘しろ、それ以外ない」などと言えるはずもないのだが、そんなことを言っていても誰も英語が出来るようにならない。なんとかならないものだろうか。
私が実践してきた、オススメの、実際はがむしゃらにやるだけの英語学習法を紹介しておく。
http://anond.hatelabo.jp/20170526220542
http://anond.hatelabo.jp/20170524213622
http://anond.hatelabo.jp/20170522214348
コメントを頂いた。本を読んでもTOEIC3000語が覚えられない、ということだった。
TOEICのリーディングは結構速読が必要なので、その実力が身につくまで、100万語ぐらい、500ページのペーパーバックを12冊分程度読まないと、普通は最後までたどり着かないんじゃないかと思う。12冊分を辞書を引きながら、単語や表現の感覚を感じ取りながら舐めるように読めば、どうやっても8000語程度の単語を感覚的に理解できる、生きた語彙力が身についてるはずだ。必要なのは暗記力ではなく、文を深く読み、英語表現の意味を感じとる力だ。記憶は忘れるけれど、感覚は忘れない。忘れたと思っていても残っていて、何度か同じ表現を見かければ、その都度感覚は強化され磨かれていく。
単語を覚えるというのは読書の途中で自動的についてくるもので、ピクニックの途中で摘める野イチゴのようなものだ。しかし英語学習者は読書というピクニックには出かけず、ピクニックの準備だけを念入りに行っているように感じている。「自分にはピクニックも難しい。ピクニックに出かけたらヤマで遭難するかもしれない。その時のために食料を買い込んでおこう」と言いながら、辛い奴隷労働をして腐りかけのイチゴを買い込んでいるように見える。ヤマに出ればいくらでもおいしい野イチゴが摘めるのに、ヤマに行っても腐ってて使い物にならない表面だけの単語知識を必死で暗記しているように感じている。これは本当によくないことだと思う。
もう一つコメントを頂いた。学習者は英英辞典はオックスフォードでなく、ロングマンをやるべき、というご意見だ。
辞書から得られるものは単語の理解ではなく、ヒントでしかない。ヒントを英語で貰っても基本的に英語学習者にはわかりにくい。英英辞典自体を読み物として楽しめないなら、英英辞典を見ても英和より効率が悪いと考えている。もちろんロングマンが読み物として楽しい、読んで頭に入りやすいという方がいるならその方が良いと思う。私はオックスフォードが読み物として楽しいので使っているが、面倒な時はウェブリオに走っている。
この記事は長文すぎて最後が切れていたので、二つに分割したものの後半部分だ。前半部分はこの記事と繋がりがあるようでないのだが、いろいろと書いた。 http://anond.hatelabo.jp/20170529095534
ネタがなくなったので、多分この増田で吠える英語考察は今回でしばらく休止するかと思います。今まで長文をご覧いただいた方、コメントを頂いた方、ありがとうございました。
そもそも沖縄の普天間基地の移設について「最低でも県外」という公約があって民主党政権は成立した。
すなわち霞が関は県外移設の方向でいろんな方法を考えて動かないといけなかったが、実際は鳩山総理が
県外移設を翻意することになってしまった。そもそも内閣総理大臣が選挙で支持された自分の政策を
通すのに役所から反対に説得されるというのは異常ではないか。もちろん民主党内部でも県外は無理という
勢力はいたのですべてが霞が関のせいとは言わないが少なくとも消極的であっただろう。
一部報道でありもしない米国との協定を見せられたなどの話が出ている。
四年前に自民党政権に戻ってしばらく政権交代がないという状況のもとで自民党は霞が関を完全に
以下は、これらをつなぎ合わせる妄想です。いちど観ただけの記憶を元に書いているので、細部記憶違いの可能性もあり。苦手な方はお帰りください。
シン・ゴジラは現実の事件ではなく創作物なので、創作物なりの読み解き方ができるはず。
物語中、唯一の癒やし成分として登場するカヨコ(石原さとみ)による情報で、ゴジラは60年前に米国が杜撰に海中投棄していた核廃棄物が謎の古代生物の生き残りに作用して発生した新生物である可能性が示唆される。そのレポートをまとめたのが牧教授。超重要なのに、セリフの中にしか出てこず、回想シーンすらない人物である。
セリフの中にしか出てこないということは、セリフの中に出てくる説明や推測がそのまま牧教授の人物像の設定と考えていい。
ざっくりと箇条書きにすると
と、こんな感じ。
冒頭の無人ボートに残された「私は好きにした。あとはお前たちが好きにしろ」(だったっけ?)という捨て鉢なメッセージ。揃えて脱がれてあった黒い革靴。牧教授はあのボートから海に飛び込んで自殺したことは間違いない。ではなんのために?
パンフレットによると、映像には映らなかったが東京湾に出現した時点の第1形態はしっぽの長いオタマジャクシ型らしい。
出現時の順序は、次のようになっていた。
高温は急激な形態変化の副産物なので、最初の「謎の高温」は、形態変化が爆発的に開始したタイミングと考えられる。
ということは、当然それ以前、オタマジャクシ型の「前」があるはずだ。
これらのことに、古今の漫画的な「お約束」を加えると、ゴジラが他の生物を「取り込んで」成長することは明らかだ。
尻尾の先にあった別の生物らしき骨格は、ゴジラが吸収して未消化の(あるいは完全生物であるゴジラにとって不要と判断された)パーツと考えられる。
さて、ここから大きくハネてみる。
米国の沿岸で発生したゴジラ。これが「わざわざ」東京湾までやってきて爆発的に成長を始める。そして「なぜか」東京の中心(日本の中心)だけを執拗に狙う。
ここに「日本を憎んでいて、最近米国から日本に移動したマッドサイエンティスト牧教授」というピースを当てはめるとすべてがしっくり来るストーリーが作れる。
こうなっていたとすると、ラストシーンの尻尾→ゴジラが他の生物を取り込む設定→冒頭の無人ボートの謎が解けることになり、物語がきちんと閉じて気持ちいい。
この説に直接関係はないが、牧教授の遺書「君たちが好きにしろ」というのを深読みすると、牧教授が憎んだのは日本のすべてではなく、自分の研究をきちんと評価しなかった学会や官僚主義といったものだったかもしれない。現在の日本はどうしようもないから滅んだほうがいいが、ゴジラを乗り越えられるような日本に生まれ変われるのなら、それもまた良しといったメッセージのようにも思える。
こうしてみると、これを思い出さないだろうか。場所も鎌倉と芦ノ湖で近いし。
あっ、作者が同じだ!偶然だね!
「休眠」という概念(そして、一定時間後に活動再開するということ)が、確定的に言われたのはお話のどの時点だったか、もう一度確認してから書いてください。増田の話は全て「休眠してる」ことを前提に成り立っているけど、それはストーリー上どの時点で「確定」していたか? せめてパンフレットが手元にあればそれを読み返してから返事してみてください(こちらはそうしてます)。群体化、有翼化の危険が指摘されたのがどの時点かも含めてね。
群体化、有翼化の意味、本当に分かっていますか? 細胞レベルで増殖していく生き物が、翼をもって世界中に拡散する、それはもう人類滅亡に近い危機なわけですよ。それに対して政治的にどうとか考えている余裕がありますか?「まとまってるうちに一撃で全部焼く」のは、少なくとも一つの見識です。ミサイル攻撃には意味がないと何度も繰り返し言ってるのは、今はゴジラという個体の「破壊」が目的じゃないからですよ。どんな物質であろうがバラバラに気化せざるを得ないような圧倒的な高温で一気に全てを「焼く」。水爆は、最初に実験された10メガトンの爆弾で、島一つを文字通り「蒸発」させたそうですが、細胞レベルで増殖し進化する生き物に対しては「破壊」ではなくそういう「圧倒的な熱による攻撃」しか対処方法がないという判断です。巡航ミサイルの「力」とは、そもそも質的に違うのです。
ちなみに
については、「大陸間弾道ミサイル」は基本核弾頭なので、それをいうならトマホークとかの巡航ミサイルとかかな、と勝手に解釈して変えていますよ。
この世界は未知の存在や事象に対してもまるで抵抗なくスポンジのように受け入れているのも違和感丸出し。
リアルさの欠片も無い、ゴジラみたいなのが現実に現れて、そこにいたとしても存在を容認できずにパニックになる人間が出てこない。
それはさすがに官僚・政治家という人種を知らなすぎると思いますね。作品冒頭にも一種コミカルなほどリアルに描かれていましたが、仮にゴジラが登場しても「防衛出動だろうか、有害鳥獣の駆除でいけるだろうか」と真面目に議論するのが官僚・政治家という人種なんですよ。現実を徹底的に書類の束の中に落とし込んで「会議室の中で全てを片付ける」存在が彼ら。それを「ナチュラルに狂っている」と言うのは別に間違っていませんが、そういうナチュラルに狂った人間じゃないと国家なんて巨大組織の運営に関わることはできないんですよ。あなたはたぶん実際の中央官僚・政治家を見てもバリバリの「違和感」を感じるのでしょう。
それならあのデモの描写はどう見たのでしょう? ただのお休みシーンだと思いましたか? あそこで「多数の人々は右往左往して訳わからなくなってる」ってことは十分示されていましたよ。ここにもまた増田の見落としポイントがあったのですね…。
多くの霞が関の中関係者から、あの映画が、戯画のように見える点も含めて可笑しいほどにリアルだという評のあることを知っておくべきです。増田が何歳でどういう立場の人間かは知りませんが、官僚・政治家と日常的に付き合わなくて済む立場の人なのでしょう(それはそれで幸せなことではありますが)。ですが世の中にはああいう世界が実際にあって、そしてそれぞれの立場で妙に純粋だったり真剣だったりしたノリで「国」を背負って仕事をしている、そういう人らが実際にいるということは、後学のために知っておいた方がいいと思います。まさにまずその認識からすり合わせて欲しい点ですね。
【サイト終了のお知らせ】 当サイト「THE HARDWORKERS」は2016年8月15日をもって 終了させていただくことになりました。 長らくご愛顧いただきまして誠にありがとうございました。
なにかあったんだろうなとは思っていた
閉鎖したからなんだと言うほど
注目していたサイトではない
「いつ閉鎖するのかな」的に
「ああやっぱり」というのが率直な感想だ。
いろいろと感慨深い
たとえばコレ
だが社畜が居なくなると
処理できないジョブがどんどん押し寄せてきて
業務が滞りはじめる。
そして・・・
合理的になっていく
社畜を全員クビにすればいい
いつまでたっても組織は良くならない
ほんのちょっぴりだけ寂しい
労働人口は急速に減少し希少になっていく
以下に書くのは
・2004年1億2784万人いた日本の人口は2100年に4771万人に激減する(中位推計)
・65歳以上の人は2004年に5人に1人だったが2100年には2人になる
・1980年に12%だった高齢者単身世帯率は2050年に55%になる
・2050年日本の国土の98.1%で人口が減り1.9%の地域に人口が集中する
・2050年首都圏では610万人近畿圏では586万人の人口が減る(2005年比)
・2050年日本の全人口の56.7%が三大都市圏と東京圏に集中する
・人口が増加する都市雇用圏は全都市圏の3.3%わずか8都市圏のみ
・中国と四国では首都の3倍(24.4%以上)の居住地域が消滅する
・2050年に老齢従属指数1未満の地域は対2010年比で3倍に増える
・2050年に高齢者一人に対して働く世代の人口は1.31人まで減る
・2050年に東北北陸中国四国北海道の生産年齢人口は-50%を下回る
・2050年に日本の生産年齢人口は総人口の減少よりも大きく減る
・2050年までに人口減で国民総仕事時間(労働力)は4割減少する
出典・典拠
国土交通省国土審議会政策部会長期展望委員会 2011年2月21日
労働人口が少なくなるということは
良い人材が集中するということだ
幕開けに過ぎない
どんな社畜も
いつか限界を迎える
どんな社畜も
働けなくなる
社畜たちよ
お疲れさま(笑)
ネタバレ含む
庵野秀明総監督として制作されたシン・ゴジラの評判が高く、一部では傑作として騒がれている。
しかし、パニック映画としては、途中で被害を受ける一般人の姿が殆どなくなり、怖さの演出がなくなっていき、完全体となったゴジラには恐怖感をあおる演出はなく、強さはあっても怖さはない。
序盤の深海魚的ないびつさも、慣れない人には恐怖かもしれないが、基本的には間抜けな顔をしている。
怪獣映画としても、ゴジラにさほどの強さとしての演出が残念である。硬く大きい、それは原始的で分かりやすい強さではあるが、特別な強さを感じない。
放射火炎は一見強そうだが、よくよく見てるとバーナーであり、色々な建物を破壊するが、あのゴジラならしっぽをぶつけるだけで問題ない。全身からバーナーを出すのも、防御のためで強いというよりは防衛反応の強い生き残ることに特化した存在だ。
それも凍結作戦の推移を見るに、無人機での波状攻撃で防御バーナーを無効化してから、バンカーバスターによる攻撃で破壊できそうに見える。(もちろん細胞の再生機能が強く、解決はしないと劇中で描かれているが、それでも強さを感じない一因となる。)
最終的に転がされて、口から凝固剤流し込まされて活動停止とか見せられては「ああゴジラ強かったな」と言う思いが薄まってしまう。
メインとなっている会議シーンはどうだろうか、今回の会議シーンは日本の行政の手続きこそを大事にすることを皮肉的に描いている。
現場から連絡が数珠つなぎに上がって、総理の命令が数珠つなぎに下されていくなどは、寿限無のような落語的愉快さをもっているとは思う。
しかしながら、会議の展開に緩急がなく急ばかりでメリハリが弱い、最初からクライマックスな展開のためいわばすべて緊急場面の会話で、緊張状況の雰囲気に慣れてラストシーンへの緊迫感ですら冗長になってしまう。
また、終盤の会議で問題発覚→提案→解決の流れが簡単すぎて、その問題を描く必要があったのかと言うシーンが続くのも緊迫感が薄れる原因の一つだ。
解析のためのマシンパワーが足りない!→世界に応援を依頼→日本を信じるわOK!→解決
世界的な協調を演出したいのかもしれないが、無意味だったのではないか。
世界的な展開と言う関連でいえば、今回の映画は日本対ゴジラと銘打たれているが、基本関東vsゴジラであり、もっと言えば霞が関vsゴジラであって、後自衛隊ぐらいでそれ以外は一切戦っていない。(薬剤作成に協力した企業ぐらいか。)
日本の他の地域の描写はないため、東京近県以外にはあまり身につまされない。
今回のゴジラと言うのは、原発事故と津波・地震のメタファーであることが映画からすぐにわかるが、つまるところ東日本大震災なのであり、あの震災を体験した東京の人達には身近な恐怖として心底感じるものがあるかもしれない。
しかし、西の地域からすれば、(それが人間としてどうこうはおいておいて)やはり他人事のように関係のない話にみえてくる。
このように、面白みがない映画ではないが、絶賛するほどに良くできた映画でもない、良作と言う程度と感じられる。
(ここまで飛ばしてOK)
シンゴジラを傑作とすると感想を見ていると、「ようやく邦画として世界と戦える映画ができた」みたいなものが出てくる。
ここらへんの事情は、結構な割合で、「字幕が読めない」「吹き替えが下手でいや」「顔の区別がつかない」などの理由で”邦画以外を見れない層”が結構いて、
この邦画しか見れないような手合いが、今までの、つまらなくつまらなく作られた日本人オンリーのドラマや邦画を、これしか見れないからとずっと我慢して見続けてきた結果、シンゴジラを見て「これは凄い傑作だ」と感じるのだろう。
また、普段映画館に行かず家のテレビで映画を見ていたような層が、庵野秀明+ゴジラと言うことで見に行って、大画面+大音響にいつも以上に心が動かされたのかもしれない。
この辺り、シンゴジラを絶賛している人たちが「つまらないとか○○な証拠ww」とか言って、シンゴジラへ批判する人物の、人間性の否定が始めているところから、
初めてジャンルに触れた時に感動してファンになった人が、普通の批判程度にも噛みついているのと良く似ていることや、特定のジャンルに新規ファンが来た時のアンチとの口喧嘩とよく似ていることから
映画やゴジラでで良いものを見るという経験に乏しい多くの人が見て感動したのではないかと感じられる。
ただ、多くの人を映画館に足を運ばせる誘因力があり、それを、ただ足を運ばせるだけではなく、ちゃんと満足させた。それは重要な出来事だ。
その意味で、シンゴジラは確かに傑作であり、多くの人を映画へと興味を持たせ希望を持たせたという意味で、日本映画界の一つの希望だろう。
結局、あいつらはカネが欲しいだけじゃねぇか。
霞が関の役人は沖縄も原発立地自治体も馬鹿にしているけど、そりゃ馬鹿にするでしょ。
こんなこと書くとヤマトンチュや東京のもんに何が分かるんだって反発されると思う。
まぁ、反発する気持ちは分かる。
でも、カネで解決している事実はあるし、それが健全な対応でないことくらい余所者にも分かるよ。
いい加減にしろよ。
東京の人間が曲がりなりにも国益・省益考えて行動しているのに、あいつらは今を生きる自分の利益しか考えていない。
郷土さえ眼中にない。
将来、基地と原発がどれほど地元を損なうかなんてどうでもいいと思っている。
基地と原発が地域の自立的経済圏の発達を拒むとか、放射性物質に汚染されれば半永久的に住めなくなるとか、譲っちゃいけないラインがあるだろ?
プライドはないのか?
今年パスポートの期限が切れるのでなかなか面倒な役所回りをしなければならず憂鬱なのですが、最近パスポート申請書フォームがダウンロードできるようになり、日本国内に先行して在外領事館がそれを受理するようになったので早速利用してみました。海外在住者にとってパスポートの更新は滞在国のビザの扱いに関わってくるので、少しでもそのプロセスが簡略化されるのは喜ばしいことです。
外務省の旅券のページにダウンロードリンクがありました。早速落としてみましょう。
https://s3.eu-central-1.amazonaws.com/mi-ubuntu/zip.jpg
おやっ?大した容量もなくファイルも1個ですけどzipですか。そうですか。
https://s3.eu-central-1.amazonaws.com/mi-ubuntu/plswait.jpg
ダブルクリックしたらMacのプレビューで開いてしまい、怒られました。私としたことがうっかりしてました。気を取り直してAdobe Readerで開きます。
https://s3.eu-central-1.amazonaws.com/mi-ubuntu/CfWKeEBW4AAJPAK.jpg-large.jpg
https://s3.eu-central-1.amazonaws.com/mi-ubuntu/keikoku.jpg
!!!!
(゜Д゜) ハア??
PDFフォームって普通クロスプラットフォームですよね。なによ警告: -- 外務省って。ちょっと信じがたくFAQを見てみました。
よくあるご質問 | パスポート申請書ダウンロード | 外務省
なにこのクソ仕様。ユーザー視点とかいうレヴェルじゃない。なんだよVistaって。PDFの普通の機能を敢えて削ってWindows専用にしてリリースしてるわけです。
あのね、まず記入したフォームを印刷して領事館に提出するっていうフロー自体そもそもダサいんですよ。電子政府はどうしたんですか。海外在住者は在留届を領事館に出しているので本人の同定はそんなに難しくないでしょう。Salesforceあたりでぱぱっと電子申請作っちゃえばいいじゃないですか。100歩譲ってAbobe製品で印刷・提出にする方式にしても、普通はWebフォームでしょ。あんたらそんなに特殊仕様入れたいんなら、いっそ一太郎形式でダウンロードさせればいいじゃん。
さて、このフォームにいくらの血税がつぎ込まれたと思いますか?
http://www.mofa.go.jp/mofaj/files/000096248.pdf/
次のとおり落札者等について公示します。 平成 27 年9月1日
[掲載順序]
1品目分類番号 2調達件名及び数量 3調達方法 4契約方式 5落札決定日(随意契約の場合
は契約日) 6落札者(随意契約の場合は契約者)の氏名及び住所 7落札価格(随意契約の場合 は契約価格) 8入札公告日又は公示日 9随意契約の場合はその理由 12予定価格
○支出負担行為担当官 外務省大臣官房会計課長 本清 耕造 (東京都千代田区霞が関2-2-1) ◎調達機関番号 014 ◎所在地番号 13
171、27 2領事業務情報システム(ダウンロード申請書、及び該当事案添付書類暗号化に関わる システム改修) 3購入等 4随意 527. 6.22 6富士通(株) 東京都港区東新橋1-5-2 7 39,492,360円 827.6.1 9b「技術的理由による競争の不存在」 39,492,360円