はてなキーワード: 住宅とは
古い価値観 ... 男性には家計を支える責任がある。女性には育児と家事をする責任がある。
新しい価値観 ... 性別によって役割が決められているのはおかしい。男性も育児や家事を担うのが当然。
結婚するまでは、古い価値観が嫌だったので自分は育児や家事にもしっかり参加していこうと思ってた。
そして実際に今、自分は家庭を持っている(自分、専業主婦の妻、2yの子供)が、しっかり家事や育児に参加してるつもりだ。子供が生まれた時は2ヶ月育休取った。
今担当してるのは、子供を起こす、朝ご飯を作って食べさせる、お風呂に入れる、寝かしつける、食器を洗って、ゴミを捨てて、風呂を洗う。休日は子供と2人で遊びに出かける。今はしてないけど、洗濯・買い物・夕飯作りもできる。だから仕事が休めれば24時間ワンオペだってできるし、休日に妻の自由時間を作るたびにワンオペする事もある。
教育資金、住宅資金、老後資金などの責任が重くのしかかる。そして育児との両立がマジでキツい。残業がほぼできない。
少なくともあと30年ほど働く必要があるが、その間、家計のすべてをまかなえるだけの収入を維持する責任があるのが本当にキツい。
そして、親に介護が必要になった時のための金、自分が万が一死んでしまったときに使う金などと考えていくと本当に無限の責任がのしかかってるように感じる。
だったら、妻と話し合って働いてもらった良いとも思ったが、妻のこれまでのキャリア的にアルバイト以上の収入が期待できる職に付くのは難しい。ぶっちゃけ、共働きにして保育園に入れると赤字になる可能性が高い。
こういう状況になった要因の一つに、「女性はそれほどバリバリ稼がなくていい、だから学業もキャリアもそれほどしっかりと積み上げていく必要はない」という古い価値観に基づいて作られた、これまでの妻のキャリアとか、やっぱり現代においても女性には賃金格差があるとかそういうのがあると思う。(全部とは言わないけど)
まあ、まとめるとしんどいって話しです。
じゃあ、家事育児・仕事全部できるカップルしか結婚するべきじゃないのか? って考えるとそれも違うと思うし良く分かんないっすね〜。
親世代の住宅投資を子世代にうまく引き継げてないのが大きいんじゃないかな
日本の戸建て住宅の耐用年数の短さもあるが、首都圏郊外でさえ空き家だらけでも、無理してローン組んでタワマン買うとかどうなのよ
世代ごとに生涯年収の数十%を住居取得に費やしてたら貧乏になるのあたりまえ
住む家と家業があったら大学出なくても普通に暮らしていけるようにすべきなんだが、奨学金背負って二流大学出て薄給サラリーマンになるとかどんな罰ゲーム
東京きて日本にもエスタブリッシュメントが存在しているんだなを実感したいなら
松濤とか行くといいと思うよ
エリートリーマンがFIREがどうたらって言ってる横で、40億の家が売られてたりするし
■面積約235.75坪の広大な土地
2沿線以上利用可、土地100坪以上、スーパー 徒歩10分以内、市街地が近い、システムキッチン、浴室乾燥機、陽当り良好、閑静な住宅地、前道6m以上、整形地、トイレ2ヶ所、2階建、東南向き、温水洗浄便座、都市近郊、アイランドキッチン、IHクッキングヒーター、都市ガス、小学校 徒歩10分以内、平坦地
そもそもこういう桁違いなの抜きにしても、永住前提の邸宅グレードのマンションは最低4億からだし、
エリートリーマンや高級官僚や勤務医やインハウスローヤーや町弁程度の収入じゃ無理っすね
あと、高給住宅と地方民に認識がない住宅エリア、武家エリアや文京区の高台や渋谷区や目黒区や中央区のあたりには、
開業医でも厳しめの家建ってるぞ
参考文献の書籍の方を読んでもらうとだいたい増田の疑問はあるので、ちゃんと知りたい場合はそっちを読んでほしいけど、答えてみると、「安心」と「安全」は違うみたいな話になってしまう。
あと異論は認める。っていうかもっとお前ら異論だせしください。
経済的問題というけど具体的には?
それを「子供を産んでも育てられるだけの経済力がないから(&子供を産まないなら結婚する必要がないから)結婚しない→非婚化」
と解釈する人が子育て支援を打ち出してるんだと思うんだが
前提条件として、この考え方は以下の点からちょっとちがうかも。
で、経済的問題の中身については、絶対的な数字と言うより「結婚しても生活は良くならない。その理由の筆頭が経済を上げている」と言う話。
子育て支援には意味がないと言い張る人は、結婚するのにそれとは違う事に金がかかると思ってるの?
まさか結婚式代だの新居の敷金代だのなんて話じゃないよな?
そのレベルの金すらない人は当然自力じゃ子供も育てられないわけで(そもそも出産費用すらなさそうだ)
どっちみちその金を支援して結婚したって子育て支援なきゃ産めない立場だろうに
まず構造的に
と言う事になっている事実としてある。
で、結婚するのに必要な金というのは、そのための具体的資金ではなく、「結婚すると生活が良くなる」という事のための資金勘定という事になる。
ここら辺を読み物として楽しく読むには、元増田にもあげた参考文献「逃げ恥に見る結婚の経済学」とかを読んでくれ。 https://mainichibooks.com/books/social/post-434.html
みんなが見んな、リアルでここまで計算して考えているとは思えないけど、例えば、こんなことは言われる。
俺が知りたいわ。それが分かったら誰も苦労はしてない。
それだけでは何なので、妄想を書き綴る
結局の所、バブル期以前の結婚観を捨て去っても良いのだ、というロールモデルを普及するしかないんじゃ無いかと思う。
つまり
と言うか、エリート層はこうなってるんだよね。高収入層の婚姻率は回復傾向にある。
よくあるステレオタイプ的な誤解で、女性は給与が高いほど婚姻率が下がると言われる。平成初期のキャリアウーマン的幻想だよな。これ、社会全体で見ると殆ど実態がない。
でも、実態としては年収による婚姻率に差は殆ど無い。(男性は無茶苦茶ある。年齢別で見ても、年収350万以下で婚姻率が一気に下がる)
むしろ、年収が多い女性の方が婚姻率が微妙に高い。また子どもの数は、男女ともに収入が多い方が多い傾向にある。
(以上から、ステレオタイプ的な誤解にある、貧乏多産というのは統計的にはほぼ無視できるレベルの得意な現象であるとも言える)
さて、理想論については、シャーの「ならば愚民に英知を授けて見せろ」みたいな話で、意識が高い層はそれをやればいいけど、そんな箸が転がっても何かを学ぶような意識の高い連中はそうそう多くはない。
もちろん啓蒙して増やして行く努力はいるだろうし、これから大人になる人たちはこれがスタンダードになると言うので良いだろう。
でもそれで既存の層を改善しなかったら駄目じゃん? すると、強制的にインセンティブを作るしか無いと思う。
言いたいことは分かる。無理じゃねーのとか思うだろう。
異論は大歓迎なので、みんなで考えてくれ。
最近だと武蔵小杉、海老名、川口、浦和、赤羽、綾瀬、南町田なんかの地価が彼らの思惑通りまんまと上がった(正直、海老名なんかよく上手くやれたと思う。とにかくクソ遠いぞ……快速急行使っても新宿駅まで乗車時間だけで45分もかかるんだぞ)
そこで疑問なんだけど、
八潮団地とか、小田栄とか、小島新田とか、川崎大師とか、浜川崎とか、大森南とか、羽田旭町とか、
あのへんの住宅購入不人気エリアが突然高騰する可能性かなり高くないか?
猫も杓子も東京近郊に家買いたがってる状況は相変わらず続いていて、コロナですらそれは変わらなかったわけだし、
不動産屋がその気になって開発してお化粧して売り出せば必ず売れちゃうわけじゃん
上記不人気エリアは都心オフィス街までの直線距離がやたら近いし
地価高騰がありえないって言うなら、すなわち不動産屋がこんな状況下でも例示した地域を売り出す気がないということになるけど、それはどんな理由からなんだろうか?
これらの未来予言を考慮に入れ、様々な問題に備えることが重要です。特に、政府や企業はこれらの課題に対処するために事前に対策を講じる必要があります。以下は、これらの未来予言に対処するためのいくつかの対策です。
2.税の強化への対策
これらの対策を実施することで、未来予言が示す潜在的な問題に対処し、社会の安定と持続的な発展を実現することができます。また、個人や企業も自身の計画や戦略にこれらの予言を考慮し、柔軟に対応することが求められます。
よく来た。若者の海外流出、自殺増加などを見てきた私が予言しよう。次の30年に起こるであろうことを3つ伝える。
第一に、人口減少によってインフラの都市集中化が進むだろう。これは、人口が減少するにつれて、地方インフラの維持コストが高騰する。高騰するだけならまだしも、維持する労働力も減る。すると廃村や統合を繰り返し、維持を試みるも中央から離れたとこほどサービスは低下する。すると都市の人口密度が高まり、都市圏内のインフラや公共サービスが一層集中する。都市部への投資が集中することで、地方都市の発展が遅れる悪循環となるだろう。
第二に、労働力の減少によって各種税の強化が進むだろう。少子高齢化に伴い、二人の親の資産が一人の子へ流れるようになる。出生数が減って労働力が減少する中で、遺産で働かなくて済む者が増えるのはまずい。相続税の負担を増やし働かなくても生きていける人間を減らすだろう。また、そうなる前には金融資産の課税を強化し、FIREなるものの撲滅に動くだろう。
第三に、エレベーターの問題が増加するだろう。高齢者が増えると、高齢者の足腰が要因となる問題が増える。そしてそれを解決すべきテクノロジーとしてエレベーターが選択されるが世界で同様の問題があるため部品供給に苦慮するだろう。また高齢者の居住にはエレベーターが必須となり、エレベーターの無い集合住宅は空室率が増え空き家となる。住宅バブル崩壊も進むだろう。
これらの出来事が起こると、社会や経済に大きな影響を与える可能性がある。これらの出来事に備え、個人や企業は注意深く計画を立て、対策を講じることが重要だ。私が言うことは、あなたが信じるかどうかはあなた次第だ。
つまり、賃貸住宅の所有者に課税した金を原資にして、結婚している人や子どもがいる人を優遇すると言う政策か。
わりと悪くない思考実験だと思う。
ただ、これをやるなら、子どもがいるとかいないとか関係なく、住宅政策全般の平準化への原資にしたほうがいいんじゃないか。
というのは、住宅が不安定だというのは少子化問題に限らず、社会の安定に非常に重要だから。
例えばリーマンショックの時の派遣切りにより、職と同時に住居まで失ってホームレスになった人が溢れたでしょ。あれな。
もちろん、その中で新婚夫婦とか子育て中世帯とかを特に優遇するのはありありのアリ。事実それで出生率を2以上に上げた村とかあったはず。
都市部の住宅事情では正直無理。そもそもの問題は人手不足と物流量の増加なので置き配の有無とか置き配の時の各種処理とかの時間が勿体ない。
挙句に濡れたり無くなったら配送業者に文句言ってくるとか誰も得しないのが置き配
当たり前だがこれらは『倉庫』ではない。でもマンションの宅配ロッカーと同様に倉庫代わりに使う人は思った以上にいる。もちろん外箱に傷や汚れ付いたら怒る。数週間綺麗に保管しとけとでも?
あとロッカーやコンビニは配送業者が契約しないといけない。分かりやすく言えばヤマトが契約して無いから目の前コンビニ届けが出来ないとか普通にある。もちろんサービスが便利になれば送料とかは高くなるしコンビニオーナーは荷物増やしたくないから渋い顔する。でもコンビニ各社は来店理由の為に増やしたい。だいぶ地獄
よくある「インターホン鳴らさず不在伝票書いていった」と言う配送員は居ますが、こんな奴クビに出来ないくらい配送業に人居ません。でもそれ以上に鳴らしても居ない人多いです。もちろん時間指定できない商品で平日日中に伺ったらいないのは当たり前ですが、時間指定しても居ない人の多いこと多いこと。自分で設定してなんで居ないの?トイレ?
配送料の値上げは確実です。物流センター、車、燃料、人、それらのための金がありません。法人向け料金の大幅値上げは確実です。通販会社がどうやって対応するかは知りません。ちなみに自社でやるのは今は無理でしょう。すっごく良い給与出せれば可能でしょうが3か月で大赤字で地獄を見ると思います。送料無料とかここ1年でほとんど無くなるんじゃないかな?
あと翌日配送とかも消えると思います。長距離の人員マジで居ない。ヨドバシの独り勝ちでも良いけど正直あそこはこれ以上の伸びしろ難しいしどんなにシステム上手くやっても破綻は必至だと思う。
お店で見て通販で買うことが安く済むことは無くなると思う。これは配送以外の料金も上がっているからだ。早く手に入れたいなら実店舗で、遅くても楽にしたいなら通販って一昔前に戻るだろう。マゾの移民が大量に日本に来たら大丈夫だろうけどたぶん別の問題が発生するから結果無理。
病気ではないかというコメントが多いけど、真面目に答えてみる。
加齢による衰えは、10年周期で感じる。
30半ば、40半ば、50半ば、60半ばという感じで、体力や気力がガクッとなる。
そんなものだと聞いている。
もちろん個人差はあるし、30半ばと40半ばだったら、40半ばの方が落差が大きいし
50半ば、60半ばと落差は大きくなるという話だ。
その中でも女性への興味が消えうせるところは非常にマズイ。
勢いで20代で結婚するか、30後半で独身を選ぶか、が多いからだ。
もう30過ぎると、目の前に良い娘が現れたら結婚しようというだけで、良い娘を探さない。
結婚したら趣味に使う金も時間も無くなるとか考えて、とにかく探さない。
高卒でそれなりの会社に入って、20前半までに結婚した方が良い。
結婚してから互いに100%になれるような相手を見つけた方が良い。
とにかく結婚は早い方が良い。
以下のくだりが、とても印象的だった。
その時にわたしの出身地の名産が好きで、通販でたまに買って食べてるんだけど美味しいよね、とさりげなく話題をそらしてくれた年配の男性がいた。
その人が後から「あの人、悪い人じゃないんだけどごめんね、自分も神戸出身でさ」と言われた。
恥ずかしい話、「神戸出身だから」と言われて私は何も分からなかった。
私は自分が地震と津波の被災者で、東北で育った私たちが一番の被災者で、今後数十年はわたしたちが一番のかわいそうな立場だという感覚を持っていた。
「なぜ急に神戸?」とポカンとして「はぁそうなんですか…」と雑に返した気がする。
その後、関東に戻ってしばらくしてから、何がきっかけか覚えていないがオウム真理教の話になったとき、
上司が「あの年は神戸で大震災もあって、オウムの事件もあって日本は終わりだと思った」と言ってて
やっと気づいた。
ひとの災害経験というのは、ほんと様々で、一概にかわいそうな被害者としてのっぺらぼうな面をみるわけにはいかないよね。
自分だけが被害者面していたかも、という気づき。こういうちょっとワンクッションおいて、時間が経って考えること、こういうのが大切なんだと思う。
ただ、被害者という言葉で共通項を見出したとしても、阪神淡路大震災を経験したひとと、東日本大震災を経験した増田がこうして、何かのきっかけでお互いの体験の共通部分に触れようとしたときでさえ、お互いが経験したものの奥行や背景は全く違う。でもそれは、もっと言葉を交わさなければみえてこないもの。
多分、増田は上記の言葉を交わしたとき、その手前でふと立ち止まって考えたんだと思う。
ひるがえって自分の親戚の話。自分語りをトラバに混ぜるのはなんだかな、と思うところもあるが、テーマの性質上書かせてもらう。津波から数日後、東北のもっとも大きな漁港のひとつで、親戚が経営していた漁業関連会社と生産工場が全滅したとの一報を受けた。一方、杜の都に住む息子娘世代は全員無事だったという朗報にほっとしたことを思い出す。
しかし、それよりも震災から半年くらい経って、父が一言つぶやいた言葉のほうが忘れられなかった。
他界した親戚一家は、さかのぼると、昭和8年の津波の前から漁港で生計を営んでいた。1933年の津波で多くの財産を失った親戚は一から再建する際に、同じ場所でやり直すのはやめるべきだと再三にわたって、周囲から助言されていたという。しかし、結局、同じ場所で人生をやり直し、次世代が引き継ぎ、そして次第に事業規模が大きくなり、津波の記憶が遠ざかっていくなかで、そのまた次世代の方々が財を成し、地元の名士として羽振りよく、親族のなかで存在感を持つに至る。そんななかで、半世紀以上前、東京に出て行った東北の令嬢が結婚前の父と出会う。
大切な令嬢(大地主の長女)をどこの馬の骨ともわからないよその県の小作人の末っ子風情に嫁がせるわけにはいかない、という大反対の嵐。本家筋からなにから親戚中の冷たい目線。結局、結婚は許されて、父は母の家系に婿として入ることになるのだが、その時に受けた屈辱を忘れられないらしく、東日本大震災で全滅した親戚に対して、天罰、という言葉で自身のつらみを含ませて表現したのだった。
父にとっては、かわいそうだね、では決して片づけられない感情。
個人的には、なにより、貧しい者も栄華を誇った者も等しくなぎ倒した大津波の、客観的な、物理的な力に圧倒せざるを得なかった。
たとえ、誰と震災の経験の話をするとしても、このようなパーソナルヒストリーの違いによる温度差は避けることができない。そう思っている。
震災を経験していようがいまいが、あるいは同じく焼け出された隣人でも同じではない。大地震大津波の破壊力を前には、あの家は無事だった、無事でなかった、そういうさまざまな経験がそれぞれにあるにすぎない。
こうしたファミリーヒストリーな視点でそれぞれの思いがある一方で、
上司が「あの年は神戸で大震災もあって、オウムの事件もあって日本は終わりだと思った」と言ってて
やっと気づいた。
という上司の言葉。そして、「やっと気づいた」という言葉。このつながり方は、大変興味深い。「あの年は~」というのは個々の経験の違いを超えた、歴史を振り返った俯瞰的な総括を含んでいるからだ。1995年という時代、そういったマクロな視点での気づきをもたらすのも災害だ。
そして、それが何かの理由で、自分自身のファミリーヒストリーや神戸出身者とのちょっとした会話と結びついたのだとすれば、それは自分のある意味「かわいそうな」私的な思いを、歴史の一コマのなかに着地させようとする、そういう覚醒だったのかもしれない。
実をいうと、よりマクロな視点で、それぞれの災害にはそれぞれの社会的な背景があり、その脆弱性が被害を増幅させている、という視点を最初に提起したのは、阪神淡路大震災だった。
1990年代以前は、災害被害者というのは、災害管理の文脈で救援対象として、比較的ステレオタイプに捉えられていた。しかし、その認識を大きく変え、都市の社会構造の脆弱性に関心が高まったきっかけが1995年の震災だった。こう書くとなにやら上から目線風だけど、阪神淡路大震災が自分が仕事として防災の世界に入るきっかけを作った。
神戸の都市としての成り立ちは、明治の初め、神戸港が開港された時から始まる。以降、港湾労働者が多く流入、低所得層が脆弱な埋め立て地や条件の悪い内陸部へ集住するようになる。他方で、20世紀の鉄道の時代に入ると、阪神間の交通網が充実し、六甲山ろくに高級住宅地が開発されるようになる。高度経済成長期には六甲の開発で切り崩した丘陵地に住宅地を建設、その残土で海岸が埋め立てられ、工場用地や港湾建設が進められていく。おりしも公害問題が深刻化した時代、都市の生活環境はますます深刻化していった。そんななか、オイルショックを契機に産業構造の転換という時代の変わり目を迎え、神戸の産業のシンボルであった造船、鉄鋼は停滞してゆく。それは関連する神戸の零細地場産業を苦境に陥らせ、今度は人口流出が起こり都市部の空洞化が始まった。都市部に残っているのは、流動性の低い層つまり高齢者、低所得者ばかりとなった(インナーシティの形成)。
これに対して1980年代、神戸市の政策的な対応としては、財政問題の打開が先行した。バブル前の当時の考え方では、大規模開発こそが地域経済の再生をもたらすと信じられていた。埋立地の利用による、ポートラインラド、六甲アイランド建設、物流機能強化のための明石大橋建設、最先端技術産業の誘致、ニュータウン建設など、新たな付加価値の創出が事態打開の切り札だった。
その一方、社会の脆弱層への支援、行政による市街地の再生は後手に回っていた。
オイルショック後の産業構造の転換で取り残された低賃金労働者の町、老朽化の進んだ木造住宅密集地域、長屋建ての住宅の占める割合の多い市街地(長田区のスラムのようなオールドタウン)は新陳代謝が進められなかった。地震対策の上でも洪水対策の面でも取り残された街となった。どのような地域であったかは番町地区で検索をしてほしい。
このような経済格差や脆弱性が生み出された、マクロな構造変動のなかで襲ったのが1995年の大地震であり、被害が社会経済的に脆弱な人々に集中した。暴力団員が懸命に救助活動していたエピソードを覚えている人もいるだろう。そういう街だった。
社会学的な視点でみれば、この地震の教訓として、被害が高齢者、低所得者に集中したのは、ある意味、歴史的必然だ。格差が生み出された背景などのマクロな政治的・経済的な動向と切り離せないということだ。
そして、このような格差や脆弱性という切り口でみる構造分析は先月発生したトルコとシリアの大地震でも、当てはめることができる。
このように、可哀そうな存在というのを社会学的に脆弱性として構造的にとらえる、ひとつのきっかけは、やはり他の災害を知るということであるし、昔の災害を知るということだと思う。
パーソナルヒストリーとしてお互いに触れあうことで、お互いに違うバックグラウンドにあることがうすうすわかってくる、それもまた、大切な気づきなのだと思う。
また、パーソナルなコミュニケーションが、例えばまさに「通販でたまに買って食べてるんだけど美味しいよね」みたいな会話、これが実はマクロな特性を知るうえでも、その人のパーソナルヒストリーをしるうえでに、もっとも重要なエントリーポイントだったりする。仕事上、ひとから話を聞くときにいつも気に留めていることでもある。
だから、トルコとシリアで現在進行形の震災について全体状況を大きな視点理解している国際機関よりも、よりミクロな視点で、特定の家族や地域の人たちにコンタクトがとれる小規模のNGOや支援団体に私自身は微力ながら支援金を送付している。たまたまシリア難民支援をしている人と知り合いの知り合いくらいの関係でSNSでつながっていたのがきっかけだ。アサド政権が物資を止めてしまう現状も現地の声としてより関心を持つようになった。そのほうが確実に、受け取った人の顔がみえ、困っている状況がミクロにもマクロにもわかってくる。自分が支援したお金が支援先の一家族あたりの支援額(しかも第一バッチ)の1/4にも満たないことを知る。こういうことも大切だと思う。
そのように、何かをきっかけに、他の災害に対して接点を持つ機会を大切にしたい。
というのは、居酒屋のトイレの洗面所とかで何気なくかわす会話、とか想像していたのだけど、そういうのが大切だよね。そういうのが心の残って覚えている、ということがさ。もちろん完全にひとのことを理解するなんてことはどんなに会話を交わしてもない。でも覚えてさえいれば、そのなぜか覚えていた思いを何かにつなげることができる。その「きっかけ」というのはとても大切に思う。
災害を忘れない、というのはそういうことだと思うので。