はてなキーワード: 人形とは
パシフィック・リムを7回見た。
それが多いのか少ないのか、私に判断できない。
まだ1度も見ていない人からすれば「なんでそんなに見てるの?!」と驚かれてしまうだろうし、
毎日のように映画館に足を運んで、10回、20回と見ている人からすればたいしたことないだろう。
なぜ7回見たのか。
おじさんたちは嬉しそうに私の知らないたくさんの映画の話をしてくれた。
俺らにとって「スター・ウォーズ」は本当に特別な映画なんだよ。
エピソード4でXウイングが画面の外からビューッと飛び出してきて
デス・スターの表面を進んでいくところが衝撃的にかっこよくて、
映画館の座席でひっくり返りそうになったくらいだ。
おじさんたちのオススメで、私は「スター・ウォーズ」を生まれて初めて見た。
そういえばこれの続編が中学生くらいのころに新作映画のラインナップに入っていたのを覚えているけれど、
ストーリーは面白いし特撮もかっこいいけれど、2013年に生きる私が見ると、何か物足りなく感じる。
Xウイングのシーンも、ぼんやりしているうちに一度見逃したくらい印象に残らなかった。
また、おじさんたちは別の映画の話もしてくれた。
レイ・ハリーハウゼンの「アルゴ探検隊の大冒険」は本当にすごかった。
骸骨剣士との戦いのシーン、あれは1コマ1コマ人形を動かしながら撮影していて、
ハリーハウゼンはあのほんの短いシーンのために何カ月もかけたんだ。
あんな映像、俺らは見たことなかったから、めっちゃかっこいい!って興奮したんだ。
その話を聞いてさっそくそのシーンを見てみた。
確かにすごい。
当時は特撮技術でもって労力をかけて作ったんだと思うと本当にすごい。
でも、こんな映像を見たことがない、ということはなかった。
CGモデルをモーションキャプチャで動かせばすぐできるんじゃないかな、とか。
もしかしたら無料ソフトのMMDを使って作れてしまうかもしれないな、とか。
「当時」としてはすごかったのかもしれないけれども、
私はおじさんのわくわくした気持ちを共有することができなかった。
そうこうするうちに、おじさんたちと会う機会はなくなってしまった。
それまでに、私は初めて「ゴジラ」を見たし、
「海底軍艦」や「フランケンシュタインの怪物 サンダ対ガイラ」も見た。
どれもそれなりに面白かったけれど、退屈なシーンも多くて、
おじさんたちみたいに「すごい作品なんだ」と声を荒げることはできなかった。
それからしばらく経って、「パシフィック・リム」が封切になった。
おじさんたちはこの映画も楽しみにしていた。
じゃあ、それなら、見てみようかな、と仕事帰りに映画館に足を運んだ。
面白かったし、わくわくした。
イェーガーは個性的だし、キャラクターたちは魅力的だし、ストーリーに無駄がない。
いいものを見たな、と思った。
調べてみると、ぎりぎりまだIMAXを上映中の映画館を見つけた。
立ち寄りで直帰します、と言い置いて会社を出て、IMAXでの上映を見た。
すごかった。
空いている座席がなくて、巨大なIMAXのスクリーンのかなり前のほうの席にいた。
ベケット兄弟がイェーガーに乗り込み、イェーガーの頭が落下してボディと合体する。
そして重厚なロボットが音を立てて夜の海に乗りこんでいき、怪獣と殴り合いのバトルを始める。
海に取り残された線上の人たちがジプシー・デンジャーを見上げたとき、
私もまたその巨大なロボットの姿を見上げていた。
映像の技術的なことはわからないし、冷静に考えれば設定に不思議なところもある。
でもそんなことは関係ないのだ。
悪い怪獣と殴り合いをするジプシーを拳を振り上げて応援したくなる。
この作品の魅力を説明しとうとしても、自分の興奮が先に立ってしまって、
「とにかくすごい」「楽しい」「わくわくする」こんなふうにしか表現できない。
おじさんたちは言っていた。
ジョージ・ルーカスは「スター・ウォーズ」のエピソード6を撮影したあと、
自分が撮りたいものを撮るための技術が出来るまでに10年以上待ち続けたそうだ。
おじさんたちが大好きな、昔の映画を悪く言ったり、バカにするつもりは全くない。
でも「当時新しかったもの」が時を経て古く見えるのは仕方のないことだと思うから、
こう表現することを許してほしい。
一番新しいものが一番すごくなきゃいけないんだ。
「こんなの見たことない」って思わせなきゃいけないんだ。
私は「パシフィック・リム」みたいな映画を見たことがなかった。
映画にこんなに興奮することも初めてだし、同じ映画にこんなに何度も足を運ぶことも初めてだった。
たぶん私は「パシフィック・リム」のおかげで、おじさんたちの気持ちをわかることができたと思う。
それから3Dで見たり、吹き替えで見たり、2Dではどうか試したくなったり。
立川爆音上映会のチケットも必死で取ったし、池袋絶叫上映にも行った。
この連休は遠征して4DXを見に行く。
次にあのおじさんたちと会うことがあったら、「パシフィック・リム」の話を振ってみようと思う。
それで私のわくわくした話も聞いてもらいたい。
たぶんおじさんたちは、「あのシーンはあの映画のオマージュ」「あの設定はあのアニメが元ネタ」
なんて話をいっぱいしてくれるんだろうな。
テレビ番組「世界は言葉でできている」が大好きだった。深夜のころに偶然見ただけだったんだけど、とても面白かった。句会のような番組で、下の句を作るように名言を作っていって、誰かが方向性を決めると「ああ、そっちなのね」と言って皆さらにかぶせてくる様が圧巻でとにかく面白かった。オードリー若林さんとバナナマン設楽さんはとりわけ(失礼だけど)カンがよかった。若林さんの場合は読書経験から裏打ちされた言葉の山からいい組み合わせを選んでくる才能で、設楽さんの場合は、意外な言葉を結び付けることで雰囲気を作り上げてくる才能があったように思う。前述の方向性を作る、というのは若林さんの力で、かぶせてくるのは設楽さんの力だった。大喜利と勘違いした出演者が見ていて哀れだったのも印象的だった。そうじゃない、もっとキザに言葉を作り合わせるゲームなんだと気付いてほしかった。
そんな番組がゴールデンに進出した。正直言って不安しかなかった。「24時間残念営業」の店長が言うところの時間帯によって売れる商品が違うのに、深夜の商品をゴールデンに持ってきただけだった。変に変えなかったのは作り手側の矜持だろうか。もう敗戦処理だったんだと想像する。
いい名言には超ニーチェ君人形がもらえるのだけれど、ゴールデンで初めて見る人たちには、どうして超ニーチェ君なのか意味が解らなかったと思う。深夜ならその人形はくだらないながらも、仲間内だけでわかるこじゃれた嫌がらせみたいに見えていたのに、ゴールデンだと単に雑な人形にしか見えなかった。
やはりそこには先の店長のいう「うちらの世界」があったんだと今になって思い至った。どんな番組も中身が変わっていく。ほこたてだって、お試しかだって。ゴールデンで生き残るというのは、そういうことなんだろう。全然しらない世界だけど気の毒だ。
決して自身を変えることなく、5回で、しかも明確に終わりを示さず終わってしまった「世界は言葉でできている」。番組本は丁寧な編集で、通して読むにはページごとに雰囲気が変わりすぎて辛いのだけれど、ちょっとしたときに手にして、適当に開いたページを読むには最適にデザインされている。名言というのは居合切りのような芸で、続けてみるには向いていないのだと判る。番組も2時間見るにはつらい。好きでも辛かったのだから、まったく新規の人には同じことの繰り返し、しかも笑いなしとどう楽しめばいいのかわからなかっただろう。ゴールデンじゃどう楽しめばいいのかわかっている番組じゃないとだめなんだ。繰り返すけど、それでも番組を変えなかったスタッフには敬意を感じる。
深夜で半年に一回くらいでほそぼそとやっていれば僕はいまだにこの番組を見られていたのかもしれない。いまのフジテレビの凋落というのはこういうところからきているんじゃないかな。
このアンケートは、たぶん、ソシオメトリーという人間関係を把握するための心理テスト
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%82%B7%E3%82%AA%E3%83%A1%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC
大学の教職課程の授業で習った。自分が小学校の頃も毎年のようにやってたよ。
みんなの前で「○○ちゃんは友達がいません」といったならば大問題だか、ひとりだけで呼び出して、友人形成のアドバイスをするのは、ソーシャルスキルトレーニングの方法として間違ってないと思う。
ガッチャマンクラウズを一言でいえば「『新しい』とは何かを勘違いしたSFごっこアニメ」だ。
スタッフは新しめのガジェットを詰め込めば「新しいアニメ」になると勘違いしている。
SFとは未来のプロトタイプであり、現状追認でしかないクラウズは「SFごっこ」でしかない。
新しいようでいて既に古臭いガッチャマンクラウズ。その理由を三つ挙げよう。
ガッチャマンクラウズの世界ではGALAXというSNSが浸透しているが、
その画面は一言で言えば、ポストペット、あるいはセカンドライフだ。
この画面を見るたびに、私は恥ずかしくなる。いったい何年前のインターネッツだ。
バーチャルリアリティもアバターもすでに終わった。誰も使っちゃいない。
LINEを見ればわかる。高速に意思疎通ができればいいのだ。架空の部屋も、人形も必要ない。
それにソーシャルゲームの最新型はアバターなんかで稼いでいない。
ツイッターっぽい画面やYoutubeっぽい画面、ニコニコ動画っぽい画面も登場するが、
すべて現実のマネッコでしかなく、そこにその先を行く想像力は存在しない。
しかし、現実の最新型はグーグル・グラスであり、ツイッターやアバターはもう終わりを遂げようとしている。
バカゆえに空気を読まない発言や行動で、物事の本質を突くというものだ。
「視点を変えれば世の中面白い」なんて手垢にまみれた主張であり、
「○○っす」「○○っす」ってうるせえんだよ、黙れ。
同じテーマを持つVOWの方が、見せ方ははるかに洗練されている。
ほかにもGALAXの夢想するSNSの繋がりで世界を変えよう、だなんて
昔懐かしい「ウェブ2.0」の主張とおんなじだ。
GALAXの開発者は『ウェブ進化論』でも読んだに違いない。7年前の本だ。
この主張の古臭さはもちろん、その危険性も私たちは「パーナさん」で知っている。
『ガッチャマンクラウズ』はネット上で感想があがり、盛り上がりを見せた。
その中の人たちは「クラウズ論壇の誕生だ」とか言ってはしゃいでいる。
彼らの名前を見れば、どういう層にクラウズがウケているのかがわかる。
クラウズを褒めているのは「Hatena」に生息する批評家ワナビーたちであり、
「一時期の東浩紀のマネ」とは何かというと、アニメを通して社会を語るというスタイルである。
アニメの一部分を取り出して、「○○は××を象徴している」という論評の仕方だ。
これをすると、アニメを見ているだけなのに、社会も語れて頭がいい気分になれるので、非常に人気がある。
例えば、「エヴァンゲリオンは現代社会の生き辛さを象徴している」とか、そういう語り方だ。
そういうスタイルの人たちには、ガッチャマンクラウズほど語りやすいものはない。
「ゴテゴテに化粧した男の娘は、SNSやアバターで着飾る現代人の象徴!」
「ガッチャマンを助ける一般人は、ソーシャルメディアで助け合う現代人の象徴!」などと何とでも言える。
スタッフがあらかじめ社会現象を反映させようとして作っているので、とても読み込みやすい。
そうやって用意されたものを読み込んで「俺って頭いい」と興奮している、そんな印象だ。
東浩紀自体は、そういう見方をやめてしまっている。彼の関心は政治であり、原発だ。
そういうアニメ批評、漫画批評が盛り上がりを見せたのは2000年代の中盤だけで、もう終わった。
しかし、現実の問題は語れないくせに、「現実を語りたい欲」だけがある人間が、この読み方をし続けている。
いわば「東浩紀フォロワーの残党」たちがごちゃごちゃ言い合っているだけなのだ。
彼らがごちゃごちゃ言っている間に、現実はもうはるか先に行っている。
アバターは廃れたし、不特定多数と不用意に繋がる危険性を、私たちは知っている。
ガッチャマンクラウズは『東のエデン』を引き合いに出されることが多い。
確かに作りは似ている。どちらも現実の社会問題やガジェットを取り入れてドラマを作っている。
しかし、今の時点でいえば、ガッチャマンクラウズは現状追認で終わっていると言えよう。
『東のエデン』にはまだ「東のエデン・システム」という現実の先を行く想像力があった。
しかし、ガッチャマンクラウズにはそれがない。
ガッチャマンクラウズよりも現実の方がはるかに新しい。
私たちの目の前で起きている現象を観察すれば、
ガッチャマンクラウズなんか見る必要ない。
こんなの見るくらいなら、『アキハバラ電脳組』でも見た方がマシだ。
(追記:8/30 21:40)
幾多のアイドル(グループ)の例に漏れず、ももいろクローバーの歌唱力がいまいちなことについて盛り上がっているわけだけど、気になるのは
同じ「アーティスト」であるセックスピストルズもいまいちだから!っていう反論を信者が言っちゃうこと。
(http://azanaerunawano5to4.hatenablog.com/entry/2013/08/01/112642)
いやいや、それは伝統的なアイドルではないのであって、れっきとしたアイドルだよ?
Perfumeもそうだけど、買い支え、コアに支持しているのはやっぱりアイドルを求めていた層なわけで、ど真ん中なアイドルは欲しくない
そりゃ操り人形であることをやめるしかない。しかし、Perfumeの支持層は人形師である中田の支持層であることも必然としているし、
ももクロの支持層なんかもっとひどくて、おもちゃとして操れるカタルシスを覚えるから支持してるんだろ?どうしようもないじゃないw
http://cruel.org/wsb/burroughs.pdf
カットアップで記録を破壊し書き換えることで、現実を本当に変えられる(そしてそうすべきである)と主張していたバロウズには、具体的に変えたい記憶(現実)があった。でも、そういう記憶は、カットアップしても、破壊されなかった。破壊されるどころか、各断片がもとの記憶の全体を呼び起こすポインタ/ハッシュ値になってしまった。カットアップすればするほど、それはますますその記憶のかけらをいたるところにまき散らすだけだったということだ。
(中略)
記憶を自分の都合のいいように改竄してしまう人には、ぼくたちみんな出会っている。中には自分のまちがいを認めるのがいやで、ウソをついている人もいるけれど、本当に自分の記憶を改竄して、なかったことをあったことにしてしまっている人はたくさんいる。一方で、スターリンや中国共産党みたいに、オーウェル式に記録をすべて書き換えることで、たとえばトロツキーをいなかったことにしてしまったりする例もたくさんある。
でも、この両者は同じものではない。スターリンが公式記録を書き換えたようには、自分の記憶は書き換えられない。そしてこの両者は、なかなか両立しない。書き換えようとするその行為自体が、記憶の中で実際にあったできごとを一層はっきりさせてしまうからだ。つまり、変更前と変更後をちゃんと理解していないと、十分な書き換えはできなくて、その変更前の状態を知っている限り、自分の記憶は残ってしまう。自分の記憶を書き換えるには、ゆっくりと、すこしずつ、自分で気がつかないうちにやらなきゃいけない。記録があるという記憶まで抹殺しなくてはならない。意識的にカットアップなんかをして、記憶を書き換えようとしているうちは、絶対に自分の記憶は――そして自分にとっての現実は――なくならないのだ。
この文章を読んだ時、俺ははっとした。そうなんだ俺も同じことをやっていて、だから俺はバロウズの小説にハマっていたのだということに気が付いた…いや気が付かされた。
俺は地元の三流大学を卒業後、とあるゲームスクールに入学した。大学も好きで入った訳でもないし、自分が好きなことを学びたかった。あとは社会に出るのがたまらなく怖かった。
で、俺はゲーム業界に入ったのか。いや挫折(笑い)したよ。大学でも言語は学んだし、成績は「優」だった。でも全然通用しなかった。あの三流大学でのプログラミング授業なんかママゴトに等しい、そう感じた。それよりもなによりも俺はアルゴリズムの立て方が下手だった。それでも前期はなんとかやり過ごせた。しかし一年の後期での皆の自主制作を観た瞬間、もうダメだと。学校とはいえ「公の場」のディスプレイに「萌えアニメ」画を「壁紙」にする、端末周辺に人形を置く。そんな連中に負けた自分がそこ(学校)に居るという現実に耐えれなかった。
それでもまだ自分には可能性があるのでは?と考えた末、一旦ブランクを入れて考え直そうと思い、当時通っていた精神病院に書いてもらって休学することにした。休学中は最悪だった。うん、ダメだ、この時期についてはまだ自分で文章化するほどに整理がついていないようなので止めよう。
で学校辞めて、いくらかのブラブラ無職生活を経て就職活動。開発でなければどうにかなんだろ、という甘甘すぎる考えでIT業界に書類を出しまくるが当然の如く落ちまくった。でも幾つか引っかかってなんとか社会に潜り込むことが出来た。
でさ、面接で当然「空白期間の4年どうしていましたか?」訊かれる訳だ。それに対して俺は「大学卒業後、スーパーで社員になるつもりで(4年間)働いていました」と。これは以外にも成功した。大学在学中と休学中にスーパーでバイトしてたから色々突っ込まれても対応できたし。俺はどうしてもあの空間に自分が居たという事実を認めたくなかったんだ。これは面接に限ったことじゃなくても改ざんする。経歴を語る場面において全て無かったことにする。俺は脳からあの記憶から消したかった。
でここで最初の引用文だ。俺が経歴を語る場面に置いて、改ざんした経歴を語れば語るほど、あの学校に居た記憶が呼び出される。対外的にはできるけど、自分の頭は騙せない。語れば語るほど屈辱に満ちた時間が蘇る。俺はバロウズの小説の「カットアップで現実を変える」に希望を感じながら、引用文のような事実に無意識で共感していたからこそ、(バロウズの小説に)惹かれていったのだと今更ながらに思った。
でも、俺は改ざんすることを止めない。馬鹿としか思えないが、バロウズの「カットアップで現実を変える」という銘を信じて、俺は脳から消して見せる。それを宣言したい、そして整理したいために匿名ダイアリーに書いた。
以上、駄文終了。
片山容疑者以外が犯人である場合、次の条件を満たす必要がある。
・江ノ島に行って猫に近づいたことを知っている
・雲取山周辺で車を運転していたことを知っている
容疑者に近い人間であればこれらのことを知っていて、ウイルス作成能力があってもおかしくない。
容疑者に近い人間ならば、警察も監視カメラ等を調べているに違いない。
疑問:監視カメラに映らずに猫にSDカードをつけることができるだろうか?
疑問:雲取山まで監視カメラに映らずにUSBメモリを埋められるだろうか?
片山容疑者のパソコンを遠隔操作できる状態であれば、その日にどこに行ったか把握できるかもしれない。
あらかじめターゲットを絞れば、不可能ではなさそう。
疑問:もし片山容疑者を犯人にしたいのであれば、自宅のPCや職場のPCにウイルスを残すことくらい容易いのではないか?
ほかにも色々あると思うが、ぱっと思いつくのはこれら。
・Torを使っている
・ネコ好き
・犯行に使用したメールアドレス登録時の郵便番号が派遣先の会社
Visual Studioの開発環境が見つかっていないから犯人じゃないとか、C#が使えないから犯人じゃないというコメントや弁護側の主張が納得いかない。
ハードディスクをツールで消去すれば綺麗サッパリなくなるし、JAVA使える人がWin32ウイルス作るならC#使うんじゃないの。
追記です。
オーストラリアでは棒人形で逮捕されています。という部分は誤りでした。
すいません。
実際にはアニメ、シンプソンズの登場人物の児童のポルノを描いたとして逮捕されていました。
その判決の際に、裁判所が、「棒人間も人間の表現の描写になりうる」と発言していただけです。
また、この発言を受けて以下のような批判をするサイトもできています。
http://stickfigurechildporn.blogspot.jp/ [棒人間エロ注意]
以下は僕の感想&推測です。
2000年前後に欧米で児童ポルノの厳格な規制ができ、10年程経って、
このブログと同じく、厳しすぎないか?という声がちらほら出てきだしているようです。
http://infosecurity.jp/archives/2663
そこで反対派(日本の団体も含む)の矛先が2次元児童ポルノを大量生産している
しかし、児童ポルノが児童への性的虐待を抑止するので、彼らの言い分は
「私は気持ち悪いものを見たくない、それがなくなって、あなたの国の子供が
そういった無責任な人々の意見を真摯に受け入れる必要はありません。
(簡単なことではないですが)むしろしっかりと彼らへ児童ポルノが児童への
他の欧米の人々は今の規制は厳格過ぎるのではないかと薄々思っている可能性があるからです。
ideasのコメント欄にある
”もし児童性愛が普通の性的衝動なら、君は自分の子供を性的虐待で苦しませた、
児童性愛者に拍手喝さいを送るのだろうな。なぜなら彼は君の正義感を体現しているし、
という規制緩和反対発言も、
”児童ポルノ法を厳格に規制するのなら、君は自分の子供を性的虐待で苦しませた、
日本での児童ポルノ規制法改正、アメリカでは児童ポルノ規制はどのように論じられているのでしょうか?
著名なシカゴ学派の経済学者であるミルトン・フリードマンの息子、
経済学者デイビッド・フリードマンのブログ、「Ideas」から、
2012年7月1日の記事、Are Child Sex and Child Porn Substitutes? を紹介します。
↓原文URL
http://daviddfriedman.blogspot.jp/2012/07/are-child-sex-and-child-porn.html
本文を読んでみると作者の提案に日本との一致もあったり.....。
個人的には、アメリカでのポルノ法規制の地域によっての違いや、
チェコでポルノ法が緩和されており、実際に性犯罪発生率が大幅に下がっているということがコメント欄からわかり、
ポルノと性犯罪の関係性の真実より、私たちはポルノを認めないというシグナルを出すほうが大切。”
というコメントがしっくりと来ました。
日本はわざわざ通らなくてもいい道を通ることになるのか・・・。
また、一度児童ポルノを法規制してしまうと、緩和を唱える政治家は現れないであろうということも問題ですね。
※抄訳です。
本文もコメント欄も面白いので原文で是非両方とも読んでください。
本文要旨
”私は最近ニュースで、児童性愛は(おそらく生物学に基づいた、そしてまたおそらく変更できないであろう)
子供を守りたければ、人々に児童性愛を持たせないようにするのではなく、
児童性愛の行動を起こさせないようにするのが明かな結論だろう。
一つの方法としては子供との性交を罰する、ほかの方法としては、
簡単に手に入る代わりの物を作ることだろう。
この世には、かわいい女の子とセックスできない若い男がたくさんいて、
インターネットからのポルノ視聴が増え、レイプの数が減っている証拠もある。
児童性愛者も児童ポルノを見ると、実際の行為に及ばなくなるのではないだろうか?
もしそうならば、今の厳しい児童ポルノ規制は、実際には子供の危険を減らすというよりはむしろ増やしているのではないか?
そのような法律の言い分としてはは児童ポルノの商品そのものが児童への性的虐待であるというものだ。
―だが必ずしもそうではない。
児童ポルノは実際の年よりものすごく若く見える女優をパソコンの技術の助けも使って作ればよい。
間違いなく、そういうポルノを合法化すると児童性愛好者(好みとしての)は増えるだろうがね。
まあ、私の見る限り、法案を提出する真剣な政治家は一人もいないようだけどね。
少なくとも、もしまた立候補するのを予定している政治家なら。”
むしろ、漫画やアニメで児童ポルノを見ている分、より先進的ですね。
また、児童性愛が先天的な特徴であるというのは十分に論理的であると思います。
児童性愛が先天的な特徴であると論じている人は僕は日本のニュースでは見たことはないですが。
これに対してのコメント(16件)は様々で、
いいアイデアだと思えないと言っている人が、
大麻の議論ととても似ているという風に感じてしまう自分の自由主義者の資格が危険だと言っていたり、
私は特に日本では普通だと思いますが、アメリカでこういった発言をブログでするのでさえ思い切ったことなのですね。
清教徒による性への規制にはうんざりだという意見もありました。
反対派の人は
児童性愛が普通と言うならば、あなたの子供を性的虐待で苦しませることに同意するのだろうな
という過激な意見もありました。
”博士の学位をとるために検閲とインターネットについての論文も出した身で言うと、
”児童ポルノ”の定義は州で違うし、町が違うだけでさえ異なる。
いくつかの地域では年齢表示のない写真は合法の年齢の人であっても児童ポルノとして検閲されるし、
ハリーポッターとドラコ・マルフォイのBL(文章のみ)が、子供の性交を描写しているからとして
検閲される。またほかのいくつかの地域では棒人形を書いて”5歳のヌード”とラベルを張ると逮捕される。
君の言うように、再選したい政治家はそういう法案を提出しないだろうね。”
また実際にアメリカではないですが、オーストラリアでは棒人形で逮捕されています。 ←誤り、追記にて訂正しています。
http://www.slate.com/blogs/humannature/2008/12/16/is_this_child_pornography.html
また、他のコメントでのチェコにおける性犯罪とポルノについての論文の引用では日本も挙げられています。
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/21116701 ←論文
”児童ポルノが手に入ることと、児童への性的虐待の発生率の低下が関連付けられている論文が少なくとも一つある。
「特筆すべきは(チェコのポルノ法規制緩和後)、デンマークや日本のように児童ポルノの所持が
違法ではない国と同じく児童への性的虐待の発生が大幅な減少が見られたことだ。」”
ポルノと性犯罪の関係性の真実より、私たちはポルノを認めないというシグナルを出すほうが大切。”
また、オハイオ州最高裁のCGによる児童ポルノ合法であるとする2007年の判決が引用されているコメントもあります。
http://www.dispatch.com/content/stories/local/2007/07/26/CHILDPORN.ART_ART_07-26-07_A1_SF7CML1.html
しかし、2008年には連邦の最高裁判所が2003年にできた法律、 ”Protect Act”を維持すると宣言しています。
http://www.nytimes.com/2008/05/20/washington/20scotus.html?_r=0
※Protect Actでは児童ポルノがパソコンで作られたCG、あるいは、人の写真をデジタル加工したものであると判明した場合でも違法となる。
実際には存在しない児童ポルノを嘘をついて提供とするといったときでさえ違法とする法律です。
――初はてな初増田ですので、読みにくい個所、変なところがあればご指摘お願いします。
この駄訳がこんなにも読まれているとは。少し戸惑っています。
日本での児童ポルノ規制法改正、アメリカでは児童ポルノ規制はどのように論じられているのでしょうか?
著名なシカゴ学派の経済学者であるミルトン・フリードマンの息子、
経済学者デイビッド・フリードマンのブログ、「Ideas」から、
2012年7月1日の記事、Are Child Sex and Child Porn Substitutes? の要旨、コメントを抄訳しました。
↓原文URL
http://daviddfriedman.blogspot.jp/2012/07/are-child-sex-and-child-porn.html
本文を読んでみると作者の提案に日本との一致もあったり.....。
個人的には、アメリカでのポルノ法規制の地域によっての違いや、
チェコでポルノ法が緩和されており、実際に性犯罪発生率が大幅に下がっているということがコメント欄からわかり、
ポルノと性犯罪の関係性の真実より、私たちはポルノを認めないというシグナルを出すほうが大切。”
というコメントがしっくりと来ました。
日本はわざわざ通らなくてもいい道を通ることになるのか・・・。
また、一度児童ポルノを法規制してしまうと、緩和を唱える政治家は現れないであろうということも問題ですね。
※抄訳です。
本文もコメント欄も面白いので原文で是非両方とも読んでください。
本文要旨
”私は最近ニュースで、児童性愛は(おそらく生物学に基づいた、そしてまたおそらく変更できないであろう)
子供を守りたければ、人々に児童性愛を持たせないようにするのではなく、
児童性愛の行動を起こさせないようにするのが明かな結論だろう。
一つの方法としては子供との性交を罰する、ほかの方法としては、
簡単に手に入る代わりの物を作ることだろう。
この世には、かわいい女の子とセックスできない若い男がたくさんいて、
インターネットからのポルノ視聴が増え、レイプの数が減っている?証拠※もある。
児童性愛者も児童ポルノを見ると、実際の行為に及ばなくなるのではないだろうか?
もしそうならば、今の厳しい児童ポルノ規制は、実際には子供の危険を減らすというよりはむしろ増やしているのではないか?
そのような法律の言い分としてはは児童ポルノの商品そのものが児童への性的虐待であるというものだ。
―だが必ずしもそうではない。
児童ポルノは実際の年よりものすごく若く見える女優をパソコンの技術の助けも使って作ればよい。
間違いなく、そういうポルノを合法化すると児童性愛好者(好みとしての)は増えるだろうがね。
まあ、私の見る限り、法案を提出する真剣な政治家は一人もいないようだけどね。
少なくとも、もしまた立候補するのを予定している政治家なら。”
むしろ、漫画やアニメで児童ポルノを見ている分、より先進的ですね。
また、児童性愛が先天的な特徴であるというのは十分に論理的であると思います。
児童性愛が先天的な特徴であると論じている人は僕は日本のニュースでは見たことはないですが。
これに対してのコメント(16件)は様々で、
いいアイデアだと思えないと言っている人が、
大麻の議論ととても似ているという風に感じてしまう自分の自由主義者の資格が危険だと言っていたり、
私は特に日本では普通だと思いますが、アメリカでこういった発言をブログでするのでさえ思い切ったことなのですね。
清教徒による性への規制にはうんざりだという意見もありました。
反対派の人は
児童性愛が普通と言うならば、あなたの子供を性的虐待で苦しませることに同意するのだろうな
という過激な意見もありました。
博士の学位をとるために検閲とインターネットについての論文も出した身で言うと、
”児童ポルノ”の定義は州で違うし、町が違うだけでさえ異なる。
いくつかの地域では年齢表示のない写真は合法の年齢の人であっても児童ポルノとして検閲されるし、
ハリーポッターとドラコ・マルフォイのBL(文章のみ)が、子供の性交を描写しているからとして
検閲される。またほかのいくつかの地域では棒人形を書いて”5歳のヌード”とラベルを張ると逮捕される。
君の言うように、再選したい政治家はそういう法案を提出しないだろうね。”
また実際にアメリカではないですが、オーストラリアでは棒人形で逮捕されています。
http://www.slate.com/blogs/humannature/2008/12/16/is_this_child_pornography.html
また、他のコメントでのチェコにおける性犯罪とポルノについての論文の引用では日本も挙げられています。
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/21116701
”児童ポルノが手に入ることと、児童への性的虐待の発生率の低下が関連付けられている論文が少なくとも一つある。
「特筆すべきは(チェコのポルノ法規制緩和後)、デンマークや日本のように児童ポルノの所持が
違法ではない国と同じく児童への性的虐待の発生が大幅な減少が見られたことだ。」”
ポルノと性犯罪の関係性の真実より、私たちはポルノを認めないというシグナルを出すほうが大切。”
また、オハイオ州最高裁のCGによる児童ポルノ合法であるとする2007年の判決が引用されているコメントもあります。
http://www.dispatch.com/content/stories/local/2007/07/26/CHILDPORN.ART_ART_07-26-07_A1_SF7CML1.html
しかし、2008年には連邦の最高裁判所が2003年にできた法律、 ”Protect Act”を維持すると宣言しています。
http://www.nytimes.com/2008/05/20/washington/20scotus.html?_r=0
デジタルネイティブはほんとにネイティブ、生まれつきなのかなと疑問にがふとよぎったことがある。生まれた時にPCが隣にあれば放っといても使い出して、いつの間にかコーディングを始めて、行く末はWebサービスを支えるエンジニアみたいな。デジタルネイティブを足らしめる要素は枕元に情報機器を置くことだけなのかって。
TechCrunch Japanの記事はそんな自分の疑問に答えるものだった。
Naverまとめで新世代ェ・・・デジタルネイティブの恐るべき生態なんて見かけると、iPadを与えた全ての子供たちが何も教えなくても自然に使い方を覚えて、勝手にデジタル環境に適応していくように思える。幼少時代、外で誰に教わることもなく缶けり、鬼ごっこ、お人形で遊んでいたように。
デジタルネイティブなら当たり前にできて当然じゃないの?と見過ごしがちだけど、デジタル機器もまた単なる道具。見るだけで使い方がわかるアフォーダンスデザインなんて存在しないんだ。誰かが使うのを見て知らず知らずのうちに子供は使い方を学んでいく。ある日突然しゃべりだすように。でも、それだけだ。コミュニケーションが場数を重ねて上達していくように、人と交わりあって自然と人間関係の難しさを覚えていくように、デジタル機器もまた教える人、教わる関係があって初めて学べることはすごく多いんだと思う。まとめを見ていたら、デジタルネイティブはすごい、すごいともてはやす裏に、自発的に歩む可能性に全てを押し付けて、教えることを放棄してるんじゃないか、なんてことを勝手に考えて勝手に暗くなった。
大学が推奨してたiBookG4を買ったはいいけれど正直持て余してたのでそれっぽいことをしなければと思ったからだ。
その最初の受講日、スライドを見ながらぼちぼち打っていた時、後ろからちょんちょんと肩をつかれた。
「漢字、かな」の変換はコマンドキーとスペースの両押しでできるよ。
スペースキーの隣にある林檎のアイコンを押してみてと言われるがままに実行すると、
...それまではマウスボタンでわざわざ右上にもっていって逐一切り替えていた私。Windowsと比べて、右クリックのボタンはないし、「半角/全角」のボタンもないし、UIもおかしいし、@の位置は違うし、起動の音はでかいしとMac使いづらい理由のトップ5が初めて切り崩された瞬間、自分はどんな顔をしていたのだろうか。
後に友人になる彼にはその後もいろいろ教えてもらった。ジョブズの名前を初めて知ったのもその一つだ。彼の死亡が報道されて、名前が連呼するようになった後、初めて正しい発音を知った。他にも似たようなことがあったので当時の彼は自分と五十歩千歩だったのかもしれない。だが、yahooで質問することを覚え始めた自分には、顔が見えるだけで安心するかけがえのない貴重な師だったことは間違いない。予断だけど、ウェブの善意が最初は怖かった。どこの馬ともしれない自分にどうしてこんなに親切に回答をくれるの?とあの頃は不思議でしょうがなかった。そんな自分が今増田で書いているのがひどく可笑しい。ここまで来るのに義務教育と同じ時間がかかってる。ここまで来てなんで増田なのか、振り返らないこともないけど、私の人生の分岐点を担ったのは紛れもなく友人だ。YahooによるTumblrの買収について、Gizmodoの記事読んだ?そんな話を振ってくれる彼は今も私の前を走り続けている。
ショートカットキーの一つや二つ、普通は勝手に覚えるものじゃないかと思う大半の方にとっては奇妙な話なんだろうけど、少なくとも私にとってショートカットキーは教わるものだった。教えてくれる教材はウェブにいくらでも用意されているけど、「ショートカットキー」という言葉を知らなければたどり着くこともない。yahooポータルのホームページには「ショートカットキー」という言葉は載っていないから。だから、無知に気づくこともない。知らないことを知らないから。
勉強をするための教材も、
全部ネットにはあるけれども、
ただあるだけ。
そこへ行くのは誰でもない本人の意思だけど、
本人の意思じゃない。
その動線はやっぱりリアルなのかなと思う。リアルの知り合いでフォローしていたら偶然回してきたリツイートで知らなかった世界を知った時にそこで新たな世界を知るか知らないかを決めるのは、今までに築いたリアルなソーシャルの環境だから。デジタルネイティブと言われ、みんながみんな、同じような情報機器を所有する中で、私たちの世代には予想だにしなかった"格差"がこれから生まれるのかな。
(見るに堪えないので削除)
63 搾乳 近親相姦(母子) 薬物 幼女妊娠(腹ボテ) 乳幼児 ケモショタ 下手な絵(独特の画風?) 虫姦 植物姦 拷問(出血、流血レベル)
62 人外(娘ではない) 触手 欠損(身体) セルフフェラ 幼稚園児 洗脳(異種姦によるもの) 異種姦(謎生物) 単眼 デフォルメ
==========正直無理==========
61 尿道責め スカトロ小(飲む) 鼻フック 障害(身体) 母乳 人外娘(原型ほぼなし) オナホ妖精人形 自分(鏡、写真鑑賞) 食ザー
60 妊婦 髪コキ よだれ ふたなり ケモノ(人型) 臨場ごっこ(ググれ) 異物挿入(野菜など) 異種姦(怪物) 偶像(銅像など)
59 未亡人 腋コキ 生理用品 »16(デスタムーア的な?) BL 幽霊
58 おもらし(人前) 小学生(低学年) 催眠 生理中 孕ませ 寝取られ 洗脳 巨大娘(ビル程度等) 拷問(出血を伴わない)
57 視姦 露出 女装 見てるだけ デブ専 軟体 性転換 男の娘 メカ系 獣姦 ショタ スカトロ小(見る) 近親相姦(父娘)
56 痴漢 盗撮 中学生 剃毛 青姦 逆レイプ 乱交 トイレ姦 強姦 アヘ顔 体格差 ナレーション 空中姦(スカイダイビング)
==========リアルでどん引きされるレベル(この辺りから境がなくなる)==========
55 百合 ふんどし 拘束 イラマチオ ロリ巨乳 熟女 近親相姦(兄弟姉妹) ロボ娘 筋肉娘(戦士娘) 小学生(高学年) 人外娘(ほぼ人型)
54 SM オナホール ヤンデレ 罵倒 エルフ ロリババア 人妻 異物挿入(ローター等) 赤ちゃんプレイ 女装(自分が)
53 腋 体臭 靴 アナル ふくらはぎ 言葉責め ケモノ(耳尻尾程度) 鼻 セクハラ発言
52 スマタ 足コキ 尻コキ 綺麗な歯 汚れた下着 天使・女神等
51 のぞき ストリップ 顔射 ぶっかけ 魔法少女 主従関係
48 見えそうで見えない 方言
47 靴下 声 めがね
番外 無生物(文房具等) 自然災害 宇宙 観葉植物等(普通の) 埋葬 音響 高所 広・閉所 鏡に映った何か 聖なる物 死(死そのもの) 爆発、炎上(非対人) "
母と喧嘩した。
自分は30代男。真面目系クズ。高卒後アルバイト→契約社員となった別業種の会社から
親の勧めもあって、専門学校経由で建築業に転職。4年後退職し親の自営業を数年ほど手伝っていた。
メインはリフォーム業。建築業許可はあったものの、新築はせずに
改修メインでやっていた。贔屓の顧客がいたが、社長でもある父は67歳の高齢になり、
仕事が無いときは営業もせずTVを見てるか二人で何処かに温泉と釣りに興じている。
最近長年メインにしていていた下請けが止まり、暇をもてあます事も多くなった。
切られたわけでは無い、他の業者に聞いたら同じ境遇だった。現場が無いのだ。
・・と言うことで会社の資金は減り、暇があれば旅行に行っていた夫婦は
出費節約の為、無用の外出は控え、自室に引き込もって6月開催の施工管理技士試験の勉強と
少しの遊び賃使ってFXに打ち込む日々。運用実績はマイナスなのは別の話なので省略。
食事の会話内容は楽しい話題は無くなっていた。
まずは健康について早朝ウォーキングの話やら血液サラサラとか痩せるとか
そんなこと延々聞かされて美味しくご飯食べれますか?
別の日には自分の服装について文句が出た。
「この色のTシャツは、ずさ袋みたいで気持ち悪い。運気が下がる。今すぐ捨てなさい」
「Tシャツ買ってきたから来なさい、良いカラーねー」・・・自分は着せ替え人形ですか?
そしてある日、の夕飯、姓名判断の本を買って読んだと思ったら
「○○(自分の名前)は運気が悪い、××にすれば変わる。今すぐ変えなさい」と
そして母親にとってはその害悪(と見なされている)のTシャツを勝手に隠した。
置いてあったシャツとズボンが洗濯されて、そのTシャツだけ無くなっていた。
そのことを怒ると「お前の人生の為に~」「このままでは成功しても有り金が全部無くなる」
「6月の試験なんて絶対に受からない」とかの罵倒のオンパレード。
確かに実家にいれば電気・ガス・水道は使い放題(通信費は自分名義・支払中)家賃0の好待遇であるのは認める。
親の言うこと黙って聞いていればこの生活が送れるかもしれないが、結局は脛齧り期間の延長であって抜本的解決にならない。
前職が社畜でノイローゼ気味だった自分を自営業に呼んでくれた親達には感謝はしているが、その期待にはもう応えられない。
このままだと宗教団体のような押しつけが続けば精神がダメになりそう。
言うことを聞いて、言い訳ばかり言ってる自分を捨てるときが来たみたいだ。
自分でもブログとかツイッターとか持ってるけど、何も希望の無いどす黒いのを吐き出したくて