2013-08-29

ガッチャマンクラウズ』は今世紀最大のクソ駄作。見る価値なし。

あらかじめ古臭いSFアニメ

ガッチャマンクラウズ一言でいえば「『新しい』とは何かを勘違いしたSFごっこアニメ」だ。

スタッフは新しめのガジェットを詰め込めば「新しいアニメ」になると勘違いしている。

SFとは未来プロトタイプであり、現状追認でしかないクラウズは「SFごっこ」でしかない。

新しいようでいて既に古臭いガッチャマンクラウズ。その理由を三つ挙げよう。

ガジェットが古臭い

ガッチャマンクラウズ世界ではGALAXというSNSが浸透しているが、

その画面は一言で言えば、ポストペット、あるいはセカンドライフだ。

架空の部屋に架空キャラクターを置き、会話をしている。

この画面を見るたびに、私は恥ずかしくなる。いったい何年前のインターネッツだ。

バーチャルリアリティアバターもすでに終わった。誰も使っちゃいない。

LINEを見ればわかる。高速に意思疎通ができればいいのだ。架空の部屋も、人形必要ない。

それにソーシャルゲームの最新型はアバターなんかで稼いでいない。

ツイッターっぽい画面やYoutubeっぽい画面、ニコニコ動画っぽい画面も登場するが、

すべて現実のマネッコでしかなく、そこにその先を行く想像力存在しない。

ちょっと前に流行ったガジェット」を取り入れているだけだ。

しかし、現実の最新型はグーグル・グラスであり、ツイッターアバターはもう終わりを遂げようとしている。

「いま・ここ」の現実の方がはるかにアクチュアルで新しい。

主張が古臭い

主人公キャラ付けは「GTO」を踏襲している。

バカゆえに他の人間と違った視点で物を見ることができ、

バカゆえに空気を読まない発言や行動で、物事の本質を突くというものだ。

最近でも『斉藤さん』とかありますよね。そういうの。

視点を変えれば世の中面白い」なんて手垢にまみれた主張であり、

毎週毎週クドクドとセリフにして言うほどのものじゃない。

「○○っす」「○○っす」ってうるせえんだよ、黙れ。

同じテーマを持つVOWの方が、見せ方ははるかに洗練されている。

ほかにもGALAXの夢想するSNSの繋がりで世界を変えよう、だなんて

昔懐かしい「ウェブ2.0」の主張とおんなじだ。

GALAXの開発者は『ウェブ進化論』でも読んだに違いない。7年前の本だ。

この主張の古臭さはもちろん、その危険性も私たちは「パーナさん」で知っている。

褒めている人が古臭い

ガッチャマンクラウズ』はネット上で感想があがり、盛り上がりを見せた。

その中の人たちは「クラウズ論壇の誕生だ」とか言ってはしゃいでいる。

彼らの名前を見れば、どういう層にクラウズがウケているのかがわかる。

クラウズを褒めているのは「Hatena」に生息する批評家ワナビーたちであり、

端的に言えば、一時期の東浩紀のマネをしたい人たちである

「一時期の東浩紀のマネ」とは何かというと、アニメを通して社会を語るというスタイルである

アニメの一部分を取り出して、「○○は××を象徴している」という論評の仕方だ。

これをすると、アニメを見ているだけなのに、社会も語れて頭がいい気分になれるので、非常に人気がある。

例えば、「エヴァンゲリオン現代社会の生き辛さを象徴している」とか、そういう語り方だ。

そういうスタイルの人たちには、ガッチャマンクラウズほど語りやすものはない。

「ゴテゴテに化粧した男の娘は、SNSアバターで着飾る現代人の象徴!」

ガッチャマンを助ける一般人は、ソーシャルメディアで助け合う現代人の象徴!」などと何とでも言える。

スタッフがあらかじめ社会現象を反映させようとして作っているので、とても読み込みやすい。

そうやって用意されたものを読み込んで「俺って頭いい」と興奮している、そんな印象だ。

東浩紀自体は、そういう見方をやめてしまっている。彼の関心は政治であり、原発だ。

そういうアニメ批評漫画批評が盛り上がりを見せたのは2000年代の中盤だけで、もう終わった。

しかし、現実の問題は語れないくせに、「現実を語りたい欲」だけがある人間が、この読み方をし続けている。

いわば「東浩紀フォロワーの残党」たちがごちゃごちゃ言い合っているだけなのだ

彼らがごちゃごちゃ言っている間に、現実はもうはるか先に行っている。

アバターは廃れたし、不特定多数不用意に繋がる危険性を、私たちは知っている。

まとめ

ガッチャマンクラウズは『東のエデン』を引き合いに出されることが多い。

確かに作りは似ている。どちらも現実社会問題ガジェットを取り入れてドラマを作っている。

しかし、今の時点でいえば、ガッチャマンクラウズは現状追認で終わっていると言えよう。

東のエデン』にはまだ「東のエデンシステム」という現実の先を行く想像力があった。

SF未来プロトタイプだ。現実の先を見せる物語だ。

しかし、ガッチャマンクラウズにはそれがない。

もう一度言おう。

ガッチャマンクラウズよりも現実の方がはるかに新しい。

私たちの目の前で起きている現象を観察すれば、

ガッチャマンクラウズなんか見る必要ない。

こんなの見るくらいなら、『アキハバラ電脳組』でも見た方がマシだ。

(追記:8/30 21:40)

俺はSNS礼賛だからクラウズがダメだなんて一言も書いてないよ。

それをテーマとして取り上げること自体が既に現実に追い越された「古臭いものだと言っているの。

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