はてなキーワード: ファンレターとは
http://www.ishiyuri.com/entry/2018/11/25/bohemian-rhapsody_
こちらのブログは結構好きなのだけど、この記事にはううーんと首をひねってしまった。
特に『この映画がよくないのは、それらの価値観を現代の視点から洗い直したり、疑義をさしはさんだりする部分がひとつもないということ。』部分だ。
この映画はフレディの伝記映画であって、少なくともスクリーンの中には存在する彼の『現実』に、疑義をさしはさむべきだろうか?
といっても私はクイーンについてはまったく知らないので、私がもやもやしたのは、私自身を投影したからである。
腐女子になった理由は逃避だ。現実がしんどかった。家族がしんどかった。自分自身を愛せなかった。フィクションに救いを求めた。
かつて栗本薫が中島梓の名義で『コミュニケーション不全症候群』という本を出した。1991年だ。その本の中で著者は『(自己愛の発露と解釈されることもあるが、現実には)彼女たちは自分を愛してなんかいないのだ。』といったことを書いている。その一文は私の胸を貫いた。また栗本薫が受け取ったファンレターには、彼女が描くBL小説の主人公になることだけが自分の望みだ、と書かれていたという話もある。
つまり誰もかれも自分自身を愛せなかった。そこには女性性の否定が強い人もいるだろうし、とにかく自身への嫌悪が強いという人もいるだろう。理由も割合もそれぞれだ。ただ辿り着いた場所だけが同じだ。自分自身を愛せない。別人になることで得られる愛に一時の救いを求めた。そうしなければ生きていくのは苦痛でしかなかった。
……しかし、1991年には大勢の腐女子の賛同を集め救いとなったこの本も、例えば今ツイッターに載ったりしたら、ボコボコに叩かれるのだろうなあと思う。
今の腐女子の間では『腐女子はただの性癖だ』というのが大勢の賛同を集める。ただの性癖だから、現実逃避だとか自己否定だとかそういう理由はないそうなのだ。実際に、そういう人が多数派なのだろうし、1991年にだっていたのだろうとは思う。
思い出すのはねほりんはほりんで腐女子がテーマだった時だ。BLは現実逃避といった類の答えに、ツイッターでは反論が渦巻いていた。
そういわれてしまうと、いやあなた達にとっては偏見であり抑圧であっても、それが真実な人間だっているんですよと言いたくなる。
話を映画に戻そう。
だからもし、クイーンのメンバーがこの映画を『フレディはこんなに孤独ではなく、もっと幸せだった。この映画はゲイへの偏見に基づいた創作的悲劇だ』と批判したなら、受け取り方はまったく違っただろう。
しかしメンバーはこの映画に好意的だ。それはブライアン・メイのツイートからも感じられる。
私がそうであるように。
私が私の人生を描いたらきっと一昔前の古臭い偏見に基づいた腐女子像といわれるのだろう。この偏見に現代の価値観 ─── 腐女子は性癖であってそれ以上でも以下でもない ─── をさしはさんで改めて見つめるべきだといわれるのだろう。
お断りだ。
ステレオタイプが真実の人だっている。それを、そうではない幸福な人間に否定されたくない。
ちなみに。
私は映画を見て彼の孤独に自分を重ねて泣いたけれど、エイズで可哀想だと思ったことは、そういえば、映画を見ている間、一度もなかった。
あの映画のどこからも、泣かせるための病気だという意図を感じなかった。
私が一番見ていて辛かったのは、ソロ活動を始めた後、馬鹿騒ぎをする来客たちがいる中で、二階でフレディが一人で座っているシーンだ。
ゲイだろうがヘテロだろうが関係なく孤独になる。孤独は辛いが孤独を感じない人間は一人もいない。
それこそ、友達が全員結婚して子供もいる中で、シングルでいる腐女子だって孤独を感じるのだ。
フレディの孤独はあまりにも露わに描かれていて、私は始め、この映画が批判されていると聞いたとき、てっきりスターの孤独をステレオタイプに描きすぎだ、という批判なのかなと思ったくらいだ。
著名人が結婚したときなどにまことしやかに囁かれる下劣な言葉として『あいつ、ファンに手をだしたな…』というものがある
昔の自分としてはそういうことを聞いたとき、素直かつ純朴に「うらやまちい……😢」と思ったものだ
憧れていた創作界隈に考えなし身一つで突入したものの、そのカテゴリーの中でさえ中堅の1番下ほど。かろうじて生活には困ってはいないぐらいにはなれた
さて、そんな情けないクリエイト事情ではあるが、そんな自分にもファンがいる
よくそこらへんの作家や漫画家なんかが「ファンレターには元気をもらってます!」なんて言っているが、あれは嘘ではない
自分もファンレターは一通一通、目を皿のようにして読み込んでいる
なぜなら嬉しいからだ。とにかく嬉しい
社会に出るとわかるが、自分の肯定してくれる人なんてものは母親と恋人ぐらいしかいないのだ。肯定されることに俺たちは飢えている
だからたとえ作品というフィルターがかかった上でも、自分を肯定してくれるファンレターには本当の本当に救われるのだった
さてファンレターを読んでいて浮かんだのが「これ、ファンに手を出せるのでは…?」ということである
冒頭で書いたようにそういったことを妬ましく、ある面では羨ましく思っていた俺だが実際にそれをできる立場に立ったのだった
恥ずかしながら自分は大学生の時を最後に女性も交際したことがない。そろそろ結婚もしたかった
俺はファンに手を出すことに決めた
なにも、誰でもいい精神で選んだわけじゃない
いつもファンレターを出してくれる人の中に「年賀状ちゃん」という人がいる
彼女は俺がデビューした直後からファンレターを毎年1月1日出してくる人だった
毎回俺が作った作品への熱い思いを数ページにも渡って書いて正月に送ってくるので、俺は彼女のことを密かに「年賀状ちゃん」と呼んでいた
毎回、年賀状ちゃんのファンレターには形式上の返事をしていたが本格的に彼女のことが知りたくなった
立場を利用して(と言ったら印象が悪いが、事実なのには違いない)、ファンレターの返事に連絡先を書いた
正直リスクしかなかったが、何故か数年来の友達のような、そんな謎の信頼感があったのだ
トントン拍子でうまく行った。会話を重ね、デートを重ね、付き合うことになった。そして結婚した
ファンとその作者という「関係」が影響したことは間違いない。しかし、誤解を恐れずに言えば付き合ってからはそんなものは関係なかった。単なる男と女だった
付き合った当初。もし君じゃなくて、他の人が数年間ファンでい続けてくれたなら「君じゃなかったかもしれない」なんて、書いてみると邪悪そのものでしかない言葉を素直に俺が吐露すると彼女は
「○○さんのファンを7年も続けられるなんて、私ぐらいですよ」
なーんて言ってて、「あっ、こいつと結婚しなきゃ」ってなった
俺たちの出会いには様々な思考が渦巻くのは必死だが、しかし俺は彼女と出会えて良かったし、今は愛しかない
彼女に手を出してよかった。そうおもう
しかも返事超早くてびっくりした。
サインと同じ、THE男子!って感じの筆跡で書いてあってかわいい。
彼のブログには不特定多数のファンに向けたコメントが沢山書いてあるけれど、私が受け取ったこの手紙は私のためだけに書いてくれたものだし、まだ他では話してないことが書かれていてすごく嬉しい。だから誰にも見せないつもりです。
ずっと大切にするね。本当にありがとう。
自担へ
この間終わった仕事の感想とか、今度は始まる仕事のこととか伝えたいことはいっぱいあるけど、あんまり長くなると迷惑だろうと思っていつも書きたいことの1/4位に抑えてます。
私は手紙を派手にデコったりするのは向いてないから、せめて少しでも華やかになればといつもあなたが好きな動物柄のレターセットを選んでいます。
私は舞台役者が多く所属する芸能事務所で働いている。マネージャーではなく、内勤のスタッフだ。
業界のことをあまり知らない状態で就職したが、業務上ある程度の知識をつける必要があった。そこで業界や役者個人のことを調べ、実際に舞台を見に行くうち、ある役者(以下、Aさんとする)のファンになった。
予め断っておくと、Aさんは弊社の役者ではない。と言うより、私の立場で弊社の役者のファンになってしまうのはいろいろと問題がある。公平な気持ちで業務に当たれなくなってしまうかもしれないし、役者との繋がりどうこうで疲弊したり、他のファンをピリピリさせたりするのは本意ではない。
話を戻す。私がAさんを好きになった理由の一つに、強い個性がある。Aさんは舞台上での振る舞いやネット上での発言が少々突飛で、賛否両論がある(が、炎上はしないくらいには加減されているのがすごい)。私はそんなところも含めてAさんが好きなのだが、合わない人には本当に合わないようだ。突飛な言動に惑わされずに彼の演技を見て! というファン心理の一方、合わないと思う気持ちも理解できないわけではない。それくらい強烈な個性を放っているのだ。
そんな彼をうまく制御しているのが担当マネージャーさん(以下、Bさんとする)だ。彼の言動を個性と認め、ある程度自由に振る舞わせつつも、やりすぎそうになってしまったときにはギュッと手綱を締めてくださっている。
本来マネージャーという立場は黒子なのだろうが、Aさんのファンの間では、BさんのTwitterアカウントは有名だ。プロフィールに会社名や肩書きが書かれているわけではないが、担当している役者の宣伝をしているので、分かる人が見れば分かるというやつだ。
そんな折、Bさんが地元のご友人と思われる方とリプライでやり取りされているのを見た。詳しい会話の内容は割愛するが、やり取りの中でBさんは自身の仕事への向き合い方について語っていて、その姿勢にファンとしても、同業界で働く者としても深く感銘を受けるような内容だった。
自分も同業界にいるので何となく分かるのだが、いくらAさんに優れた演技力があろうとも、癖の強い言動の彼を売り出すのはきっと難しい。おそらく弊社なら持て余してしまうだろう。しかしAさんは近頃大きな役を演じる機会が少しずつ増えてきている。あの事務所で、そして担当マネージャーがBさんで良かったね……などと思ってしまう。お前はいったいどの立場なんだ? というセルフツッコミを入れながら。
Aさんのファンにならなければ、Bさんの存在はまず知り得なかった。しかし今やAさん関係なく、同業者としてBさんにお会いしてお話してみたいという気持ちがある。仕事へのスタンスや、実際に出されている結果を本当に尊敬しているのだ。まさかBさんもこんな風に思われているとは露ほどにも思わないだろう。
今年の初めに推しが突然の芸能界引退をしてからと言うもの、他に応援しているものはあったとはいえ約6年応援していた熱量を埋められるものではなく心にぽっかりと穴が空いてしまった。
とはいえ、何かを始めるのに遅すぎることはないし今日が一番若いのだからと思ってあれこれ手を出すことを繰り返して、ようやく新たな推しを見つけた。
古くはニコ動、今はYouTubeを中心に活動されている方が多いけれど、私の推しもニコ動出身者ながら近頃は主にYouTubeで配信している。編集した動画を投稿したり、生配信してみたり、時たまリアルイベントへ出演したりすることもある。
きっかけは元々よく見ていた実況者とのコラボ配信動画を見たことだった。なんだかこの人良い声してるなぁ、格好いいなぁ、面白いなぁ。そう思った次の瞬間にはすでに沼へと足をズブズブ踏み入れていた。
過去に投稿された動画は一通り見た。生配信があればコメントを忘れなかった。遡れる限りの数年分の数万件にものぼるツイートも読んだ。久々に人を好きになっていく過程の高揚感が堪らなく楽しかった。
そんな中、推しがとあるイベントへ出演することを知った。これ幸いと、チケットをどうにか手に入れて単身現場へ乗り込んだ。グッズなんて持ってないから当日買うしかないし、知り合いもいない状況で現場の詳しいルールもわからないから、現場に何を着ていこうかなんて久々に悩んだ。
推しが間近で喋っている。ゲームをしている。あまつさえライブまで行っている。その上、なぜだが分からないがお金も払わず接触している。
ただでさえドームの距離に慣れたオタクである。箱は数千人規模と来ればその差は歴然としている。
なんだ? ここは? 極楽か? お金を払わせてほしい(当たり前だが既に入場チケット代は払っている)、などとオタク特有の狂ったことを考えながら、前日に認めたファンレターを推しへ手渡していた。推しははにかみながらも受け取ってくれた。
イベントの翌日にはファンメールも送った。その翌々日には返事が返ってきた。どういうことだ。御本尊とオタクとの距離が近すぎる。パニックを起こしながら推しにスパチャを投げていた。
結局、何が言いたいかというと、今、人生の中でもトップクラスに楽しい。
日常生活で嫌なことがあったとしても、推しが居てくれるから頑張ろうと思えるのだ。私なりに前の推しのことも全力で推していたつもりだったけど、今回の推しも心残りのないようにこれまで以上に推したいと思う。推しが推せる立場でいてくれる間に、悔いのないように推したいと一層強く思った。
正直めちゃくちゃにキモいし酔ってるだけの文章です。ただの自己満足です。
あなたと出会ったのはもう六年も前になります。一目惚れではないけれど、二目惚れくらいだったかもしれません。全然話したこともないのに、勝手に私はあなたのことを好きになりました。世間一般的にはイケメンではないだろうけどあなたの顔も、声も、友人と話している姿も、人前でしゃべる姿も、何もかも全て好きでした。今から思えばこれはアイドルに対する気持ちと変わらなかったのかもしれません。私が初めて出会った推し、それがあなただったんだと思います。少しでもあなたと話したくていろんなことをしました。席が近くなれるように神頼みもしたし、列に並ぶときわざとタイミングを見計らって近くになれるようにしたり、ストーカーじみていたなと思います。でも何故かわからないけどそれだけ好きだったのです。話すだけでドキドキしたし、あなたの意識が私に向いてるだけで本当に嬉しかったんです。あの時以上のドキドキを、トキメキを、私は他で感じたことはありません。あれから好きな人ができても、あなた以上に心が波打つことがないんです。
それだけ好きだったあなたにうっかり告白してしまったのが私の過ちでした。話す回数だって多くないただのクラスメイトに突然好意を押し付けられて、困ったと思います。ごめんなさい。そして私はその告白すらまともにできなくて、あなたに壊れてしまいそうだったと言われるぐらいで、そうやって断りづらい状況に持っていってしまったことが本当に申し訳ないです。そして名目上付き合うことになって、でも結局私はまともに彼女をすることができませんでした。駄目でした。あなたを前にした私は、本当に駄目だった。ずっと緊張して、話せなくて、あなたも私に歩み寄ろうとしてくれてたのに、私は何もしなかった。私はあなたの全肯定オタクでもあるので、この時のあなたを責めることはできません。そして何をすることもなく別れましたね。あの時、別れようというお手紙の返事が遅くなってごめんなさい。別れたくないわけではなかったのです。ただ、返事ができなかった。手紙が書けなかった。気持ちの整理がつかなかった。付き合っているといえない状況で、何かしなきゃと焦ってて、むしろ正直ほっとしてたんです。多分このことは返事の手紙に書いたと思うけれど。なのに気持ちはぐちゃぐちゃで、本当に駄目でしたね、私は。別れるということは明確に振られたということで、それが耐えきれなかったんでしょうね。初めて明確に失恋した瞬間でした。こんなにも好きだったのに、あなたには好きになってもらえなかった。これほどつらいことはなかった。お別れの手紙を返したあと、自覚はなかったんですが相当私はメンタルをやられていたらしいです。私はいつもどおりって思ってたのがさらに厄介ですね。ここまで引きずって重い女ですよね。でもあなたはこんな重たい感情をぶつけても受け流してくれるようなそんな我の強さがあって、そこが好きなところでした。
それからずっとあなたのことを忘れたことはありません。何をするにも頭に引っかかってて、ずっとずっとファンでした。あの時の狂気と熱量はなくても、好意が薄れることはなかった。あなたが何をしてもずっと応援していたし、少しでも関われると嬉しかった。同じクラスになって劇で同じシーンに出たの、嬉しかったんです。あの時のあなたは本当にかっこよくて袖からずっと見つめてました。高校に上がって、私が文実なんてやったの、あなたが文実をやると思ったからです。文実なんて、やるような人間じゃなかったのに。でもここであなたと同じ部門を選ばなかったあたり、小心者のストーカーなのです。私たちの代の文化祭、部門は違えどあなたと一緒に作り上げれたの楽しかった。少しだけでも会話もできて、仕事自体も楽しかったし、あの三年間で何よりも頑張った。文化祭が私の青春でした。ちょうどその頃ですよね。私があなたが入っていた軽音の追っかけを始めたのは。一年の文化祭でこっそりあなたのバンドだけ見に行ったことはありましたが、本格的に軽音自体のファンをし始めたのはその頃のはずです。正々堂々とあなたのファンでいられるのが幸せでした。あなたの何もかもが好きだけれど、あなたが歌っているときほどかっこいい時はないと思います。あなたが歌う「愛はおしゃれじゃない」が、どれだけ私の心臓を掴んだか知っていますか?ずるいです。初めて聞いたとき、本当に背筋が冷えて泣きそうになりました。私はあなたにだけモテたかったのに、あなたがそれを歌うなんて。私のことなんてもう過去のことでしょうが、私にとっては過去じゃなかったのに、あなたがそう思うほどの相手がいるんじゃないかって思わされた。まあ、そのあとあなたはとある人と付き合うわけですが。あなたがその人と付き合い出したときの私の気持ちは知らないと思います。もう昇華されたと思ってたのに、ただのファンでいられると思ったのに駄目でした。付き合う前、あの人もあなたのライブを見に来ていて、私に話しかけてきて、あなたのファンだといった私に「かっこいいよね、本当にこの間のでファンになった!本当に好きかっこいい!」って。私の方がずっと前からファンなのに。ずっと前から好きなのに。でもそんな人とあなたは付き合い出して。悔しかった。過去の女である私が思っていいことじゃないのはわかっていたけれど。私にとってはそれだけ過去じゃなかったんです。その人と別れたときほっとしました。私、あなたと付き合いたいってわけじゃなくなってたんです。ただ、誰のものにもなって欲しくなかった。だって私の神様だから。ただの一人の人間にこんな重たいものを背負わせて、私は本当に最低だなと思います。それでもそうなんです。それからはそこまで苦しくなかったです。あなたのことはただの推しと認識できていたから、私も他の好きな人ができました。振られましたけど。この時悲しかったのにあなた以上に悲しくなくて引きずらなくて、恋という感情が分からなくなったこともありました。あまりにもあなたとその他の人への恋情が別物だったもので。
そして卒業を迎えて、あなたとはもう二度と関わらないと思いました。最後に卒業ライブで、あなたの歌声を浴びました。卒業ライブ、とても良かったですよね。軽音の中の人間じゃなくてもあの時の良さは忘れられないです。二日目、あなたが「あなたは私の一生もの」という歌詞を歌ったの、刺さりました。私にとってあなたは一生ものでも、あなたにとって私はそうでないのでしょう。そのバンド、あなたは気づいてなかったかもしれませんが、あなたの目の前最前列ドセンで見てたんですよ。目の前のあなたは死ぬほどかっこよくて、だからこそ苦しくなりました。そして最終日、あなたの出る最後のバンド、ずるかった。私が初めてみたあなたのバンド、全員が六年の付き合いのバンド、あなたがファンを増やすきっかけにもなったバンド、そしてあなたが「愛はおしゃれじゃない」をやったバンド。あなたの歌う最後の曲がそれだったのは、あまりにも、あまりにもずるいです。それを聞いて、六年間のあなたにまつわる何もかもが、青春のすべてが頭の中を流れていって、泣きました。卒業式でも泣かなかったのに。他の人が泣いていたのとは違う理由でしょう。一人だけあなたを想って、自分を振り返って泣きました。モテたかったよ、あなたにだけに。どれだけ忘れられたと思っても、あなたを見たらこうやって気持ちが蘇ってしまう。ライブ後、わちゃわちゃとするなかで、ツーショットを撮ってくれてありがとうございました。これで本当におしまいにするつもりだったんです。最後に全てを終わらせたかった。からかってくる友人に「もう過去のことなのに」と笑うあなた、そんなあなたに笑って「私にとっては過去じゃないけど」って言ったの、きっとちゃんと冗談として受け取ってもらえたと思います。ごめんなさい。本気の本気で。
こうやって終わりだった筈なのに、何があったのか、何故なのか、卒業後かなりたってからあなたと同じ通話のグループに入ってしまいました。そして通話をして、一緒に友人の家で集まってオールしたの、今でもよくわからないです。そんなの思い出してしまうに決まってるじゃないですか。通話であなたが唯一私の髪色を褒めてくれたのも、死ぬほど嬉しかったし、あえていうならあなたが私の名前を読んでくれるだけで、あなたの話を聞けるだけで本当に幸せだったんです。あなたと会話できるだけでそれだけで。でもそんなあなたは今、1つ下の新しい彼女がいて。ちゃんと長く続いていて。先程も言ったように、私、あなたに誰のものにもなって欲しくなかった。最低なやつだけどそれが本音です。それほどまでに今でも好きなのに、この気持ちをあなたに伝えることはもう許されない。もう一度はない。
本当の私の理想は、あなたが有名になってくれること。あなたは唯一無二の人間です。そうなれると私は信じています。あなたが小さなハコから大きくなるまでずっと通って、ファンクラブにも入って、堂々とでもそっと応援してあなたと関わっていたい。あなたに花を贈る存在でいたい。匿名のファンレターを出す存在でいたい。でもきっとこんな未来はないんです。あなたのことを好きでいたい。応援していたい。でもあなたと私の関わりなんてとても薄くて、あなたがそういう大きな存在にならない限りそれができない。だったら付き合いたい。そういう関係になりたい。でもあなたは彼女がいる。友達ですらないんですよね、私達。なんなんでしょうね。
この好きは伝えられないけれど、こうやってあなたを想う人間もいるのです。気持ち悪くてごめんなさい。好きです。ずっと好きです。あなた以上の推しなんていないんです。ネットの片隅で流すことでこの気持ちが少しでもなくなることを祈ります。
中学生からおっかけになって、かれこれ15年くらい何らかのヲタクをやって生きている。ジャニーズ、お笑い、女子アイドル…いろいろなものを追い掛けて、応援しているのが生き甲斐だった。逆を返すとそれ以外生き甲斐のない人間だ。だから自分の持ちうる時間もお金も全力で注ぐのは苦痛じゃない。幸い、今まで好きになった人たちは上昇志向が強く、明確な目標があって、ファンの応援を必要としている人ばかりだった。はてブロやtwitterなどで良さを広める、チケットを買う、CDを買う、友達を連れて行く、感想の手紙を送る。奢りかもしれないけど、上昇志向の強い芸能人を応援する上で、自分のヲタクのやり方が間違ってはいなかったと思う。
晩夏、新しい人を好きになった。誰かを好きになるのは理屈じゃなくて一瞬だ。それは恋愛だって、追っかけの対象だって同じなのだ。
新しく好きになった人は劇団の俳優さんだった。いま、私はどうやってその人の応援をすれば良いか分からない。
多分、現状に満足していてこの状態が続けば良いと思っている。劇団の仕事以外はほぼ仕事がない。けれど上昇志向はない。大きな劇団の中堅の俳優さんなので首になることはまずないだろう。特に自分個人へのファンは求めていない感じがする。劇団へのファンは歓迎の節だが、自分のファン、というものに対しては反応が薄い。
彼の舞台を見るのは楽しい。胸が高鳴るし、同じ演目でも何度だって見たい。
なのに、やっぱり何故か満たされない。とてもショックだ。けれど、それは満たされないことに対してではない。求められたくてヲタクをしているわけではない、と思っていたのに、私はやはりどこか求めてほしかった、ということに気付いてしまったからだ。自分のしたことを喜んでもらえる、目に見えて反応がもらえるということの甘美さに私はちっとも気付いていなかった。すごく、すごく、恥ずかしい。
書いていても何を言いたいか分からないんだけど、とりあえずいま、どういう風に応援したら良いか分からない。いや、ファンなんだから普通に見に行けばいいんだけど。だけど反応がないとどうしても悪い考えがよぎる。ファンレターも迷惑かもしれないし、多ステも気持ち悪いと思われてるかもしれない。逆に、じゃがいもみたいに何とも思われてないかもしれない。私は気持ちが悪いことにそのどちらも嫌なのだ。個としての認知はいらないが、ファンの塊として「いつもありがとう。応援してもらえて嬉しい」とは思ってほしい。気持ちが悪いけど、どうしてもその欲を捨てられない。
友人みんなから「あなたに合ってない推しだね」と言われる。私もそう思う。応援されるのが好きで、褒められるのが好きで、愛されるのが好きな人を応援する方が私は幸せだと思う。でも、好きなのだ。舞台の上で一瞬で分かるその声が、情けない役ほど似合う困り顔が、日替わりで繰り出す小ボケが、キメるときはキメる姿が、とにかく大好きなのだ。いつか、この気持ちも笑い話に出来るかもしれない。
https://anond.hatelabo.jp/20180327003348
という「神がジャンル移動した話」を読んで、書いておきたくなったので書く。
自分は神ではないただの底辺人間だが、先日、ひとつのジャンルをあがった。
描きたくなくなったわけでも、熱が冷めたわけでもない。ただ「匿名の悪意」が怖くて辞めた。たぶん二度と描かないだろう。
2年くらい前にハマった、いわゆる中規模ジャンルだ。でも、以前からずっと超零細ジャンルでぬくぬくしてきた自分からすれば、はるかに人口が多かった。小規模出身の自分は、最初は刷る部数すら検討がつかなかった。
しばらくすると、ありがたいことに手に取ってくれる人が増え、刷る部数も掴めるようになり、ちょいちょいと完売させてもらえるようになった。pixivの評価も増えた。
部数などがつかめるようになってからは、前から続けているジャンルと掛け持って、どちらでも新刊を出していた。
一冊につきいただける感想は、古参の方で10件、新しいほうで15件。
匿名で舞い込むクレームは、古参のほうで0件、新しいほうで20件だった。
ちなみに各イベントの規模は、古参の方がスパークで5サークル、新しいほうは赤豚さんがガッツリとオンリーを開いてくれるくらいの差がある。
その自覚があるので、リバ本にはリバと大きく表記し、売り子さんにも購入時に「リバですが大丈夫ですか?」と声をかけてもらうように頼んでいた。
固定カプ本でも、オンリーで壁になるような人たちの出す本とはだいぶ毛色が違う自覚があったので、スペースに注意書きのポップを置いたり、お品書きに大きく書いたりと、対策を練っていた。
それでも、とにかくクレームがきた。
全部匿名で。
ありがたいことに根強いファンの人も多くて、たくさん感想もいただいたし、熱心な方はお手紙や差し入れをくれたりした。
「リバは死ね」、なら買うなよ。こっちは買ってもらうときに声かけてるじゃん。
「わたしの××くんはこんなんじゃない」と思うなら、最初からお品書きにリスクを明記してるんだから確認して、サンプルをチェックしてくれよ。
「あんたみたいなヤツが解釈を歪める」「もうこのカプを描かないで」「絵が嫌い」「この解釈で次も出るつもりですか?」「返金してください」
等々、まぁさんざん言われた。もう嫌になった。
きっと壁サークルの人やもっと大きなジャンルの人は日常的に言われているのだろうが、自分は耐えられなくなった。
「あなたの本が嫌い」
という一文が、描き手を殺す。
自分は殺された。
たくさんの差し入れ、たくさんのファンレター、たくさんの拍手、ぜんぶ本当に嬉しかった。スパークで最後の本を出したので、これから、連絡先がわかる全ての人にお礼を伝える予定だ。
スパークでこれが最後と伝えたときに泣きながら「もっと読みたかった」と言ってくれた熱心なファンの人の涙が、かろうじて自分を救ってくれた。
感想はいくらでも欲しい。批判的な内容でも、記名で、話し合いができるような内容なら良い。
でも、あなたがいま匿名で打ち込んでいる「嫌い」が、いつかそのジャンルから描き手を殺してしまうかもしれない。それだけは、どうか頭に刻んで、そのお題箱なりweb拍手なりに入力してほしい。
神になれない底辺人間の、せめて無記名なら優しくしてよ、という精一杯の戯言を読んでくれてありがとう。
■やったの?
やったのかは不明だが、恐らく本人と思われる男性とのツーショット写真は確かに存在する。
■いつ?
16年前(2002年)のこと。
■相手の年齢を知ってたの?
双方で言い分が異なる。
女性:最初21歳としてファンレターを送る→関係を持つ前に、16歳だと打ち明けた。
H:前のことなので覚えていない。相手がそう言うのであれば、そうなのかもしれない。(後日事務所を通じた文章での回答:相手が21歳と名乗り、後に16歳と訂正したことはよく覚えていない)
■これは犯罪なの?
仮に事実であったとしても、すでに時効となっているため、罰則を受けることはない。
どう判断するかは皆さん次第です。
ぜひ記事を読んでください。
そしてご本人には、堂々と真実を語ってほしいです。
2ndシーズンの記憶は途切れ途切れだけど、久々に見て面白いと感じた。
今はテロは茶番に感じる。けれども10年前の当時はまだリアリティがあった。
劇場版「名探偵コナン」以外、最近はほとんど出演作品を見ていない。
マネキン大佐の声にハッとする。ああ、セクシーだ。ひときわ存在感がある。
TWO-MIXのファンでファンクラブに入り、みなみさん本人のファンクラブにも入っていたからだ。
自分は低音でアニメ好き、夫は高音がいい(アニメ興味なし)と、正反対のことを言っていた。
最近、会話が成立するようになり、「ポッキーの日!」と主張するようになった。
昔、聞いたTWO-MIXのラジオの永野氏の体弱いアピールを思い出す。
次は5月5日に男の子が生まれるように試みようと思い、過ぎてしまった。
男女2人でTWO-MIX。勝手な思い込みだけど、真剣に考えていた。
離婚した配偶者の作品に主演し続けられるみなみさんは、なかなか肝が強い。
音楽活動終了の経緯は、かつてのコメントなどから、だいたいわかってる。
下世話な話だと思っている。どちらも真相は本人は決して話さないだろう。
みなみさんの声とみなみさんのボーカルラインの組み合わせが異色を放っていた。
メロディは後期より前期のほうが光っているけれど、歌はその後も進化している。
「シンフォギア」の奏さんの楽曲と演技には、本人年齢を考えると驚いた。
3か月くらい前、試しに「dTV」を契約して作品数の多さに、ひとまず再生した「名探偵コナン」で
みなみさんの新曲(歌のみ)を知った。思わず何度も聞き返してしまった。
イメージソングのカバーの「まっすぐ行く」。オンエアは現時点までに2回のみらしい。
初めて聴いた曲は「JUST COMMUNICATION」、演技は「らんま1/2」のなびき、
1997年当時、TWO-MIXよりはるかに多く売れていたglobeの新曲は、もう聴くことができない。
音楽アーテイストは、復帰やリバイバルでも、長く活動してくれるとうれしい。
本当に、完全に声優とアーティスト、二足の草鞋を履いていた期間は忙しかったと思うよ。
ただ、自分がその年齢にさしかかって「この年齢なら無理はできる」と気づいた。
その反動で、片方をやめる決断を下した理由はわかる。決定的に体力・気力が続かない。
2018年上半期興行収入No.1の『ゼロの執行人』のヒットはなかった。選んだ道も正解だった。
女性が輝く社会、人生100年時代とは、2つの仕事(仕事と育児)を
5、6年ではなく、もっと長く、例えば20年くらい続けられる世の中。
ダブルワーク、トリプルワークで睡眠時間を削っても、夢のために集中できるリミットは40歳。
普通の人も同じ。婚活・妊活を含め、40歳まで新しいことにトライして無理だったら諦める。
……と自分に言い聞かせる。
メディアミックスされるのをずっと楽しみにしていた。
そしてようやく、動いて喋るキャラクターを見ることが出来た。
徐々に人気も出て来て、ツイッターなどで話題になっているのを見る機会も増え、ファンも増えているのを実感する。
とても喜ばしかった。
こんなに面白い作品なのだから、もっと多くの人に知ってもらいたい、そう思っていた。
今でもその気持ちは変わっていないし、私がファンを辞めたという話でもない。
ただ、自分は作品から求められてはいないのかもしれないと思ってしまった。
そもそもただのファンである自分が、作品に求められようだなんておこがましい話なのだが。
なぜこんな自意識過剰なことを考えてしまったかというと、公式からのレスポンスだ。
制作関係者や、キャラクターを演じる声優が、ファンからの応援を喜んでいる様子が見える。
「イラストを描いてもらえて嬉しい」
この言葉が私を悩ませる。
私は絵が描けない。
ファンレターを送ることはある。
レスポンスが欲しくて応援している訳でも、ファンレターを送っている訳でもなかった。
だけど、同じファンである一般人が、表現の手段を持っているためにレスポンスをもらえることに、無関心でいられる訳でもない。
正直に言って、非常に羨ましい。
時には妬ましくもある。
私もアマチュアレベルとはいえ、絵以外の手段で表現し、それを公表した経験がある。
だから簡単な言葉ではなく、丁寧に練られた文章やイラストなど、時間と手間を掛けて感想を表現してもらえた時は、一際嬉しいということも分かる。
だけど、やっぱり悔しいのだ。
まだ人気になる前から、関連グッズを購入し、イベントにも足を運び、出演者に直接応援の言葉を伝えてきた。
何度も何度も。
今も足繁くイベントに通っている。
しかし、最近その作品を知った人が、絵を描いて応援するという手段を持っていることで、公式からレスポンスをもらえるという事実。
なんだか虚しくなってしまう。
どんなに長く応援していても、一芸を持っていないと、公式の目に止まらないその他大勢の一部に過ぎないのだと。
このSNS時代、人目につきやすいイラストという表現を持っている人は、きっと一般人であっても広告塔になり得る。
確かに公式からすれば、タダで(時にはお金を落としながら)作品を宣伝してくれるファンは、応援していると口で言うだけのファンよりも圧倒的にありがたい存在だろう。
それなら努力して絵を描けばいいじゃないか、と言う指摘は無しにして欲しい。
そんなことは分かっている。
私もそんな下心抜きに、表現する手段を得たいと思う機会はたくさんあった。
絵を描くことは、何度も挑戦はしたものの、長続きしなかった。
だが人に見せるような、ましてや関係者に応援の形として見せようと思えるようなレベルのものは描けない。
その程度の自分の実力に対する落胆と疲弊が、努力しようという気持ちを上回ってしまうのだ。
もちろん、今絵を描いている人達がみんな、自分の実力に満足して自信を持って公開しているというわけではないことは分かってるつもりだ。
思うように結果が出ない苦しさを乗り越えて、また今現在も戦いながら、表現の手段を身につけていることも分かっているつもりだ。
描けないなら描けるようになるまで描けばいいというのも、分かってはいるつもりだ。
ただ、そこに気力や時間を割く精神や環境を、私は持っていない(これも言い訳に過ぎないのは分かっている。だがそういう人間もいる。きっとそういう人間の方が多い)。
この件でその作品の応援を辞めるつもりは無いし、このモヤモヤした思いを糧に、また筆を取ろうと行動するかもしれない。
ただ、ファンとして生きていくにも技術があると有利なのだということを思い知らされてしまっただけ。
今から努力したって、人並みのレベルになる頃には自分が別の作品にハマっているかもしれないし、その作品の展開が縮小しているかもしれない。
公式に喜ばれる存在になりたい、認知されたい、というのが恥ずかしながら正直な気持ちだが、何より、同じファンに過ぎない誰かは喜ばれてレスポンスがもらえ、自分はこの世界で背景に過ぎないという現実への嫉妬が、私にこのようなおこがましい欲を持たせたのだ。
不公平だから公式は特定のファンにだけレスポンスをするな、と言うつもりもない。
久しぶりに絵を描いてみようかな。
毎日学校に通い、テストに合格するために必死に勉強し、気付いたら夜で倒れこむように眠る生活を何年も続けている。私の通ってる学校は厳しい。不器用な私はテストのプレッシャーから自殺を考えることもよくあった。今死んだら楽になれるのかなと深夜の風呂上がり、髪を乾かしながら考える毎日。テストって何年受けても慣れない。ある夏の日、映画を観に行った。夏休みに入っていたから、少し余裕があった。コメディ要素も、魅せる要素もある豪華セットみたいな映画だった。どのキャラクターもかっこよくて、面白くてスクリーンに夢中になった。私はあるキャラクターに惹かれた。彼は大人気なキャラクターだとあとでインターネットを調べて知った。気付いたらそのキャラクターを演じている俳優さんについて必死に調べていた。誘惑するような、ときに哀愁を感じる美しい目に夢中だった。私は若手俳優についてあまり知らない。バラエティ番組に番宣で来るような大人気な俳優さんは知っていても恥ずかしながら彼のことは知らなかった。インターネットを見ると彼は大人気な俳優さんらしく、まとめやファンが語る掲示板がいくつかあった。かっこよくて美しいだけでなく、人柄もいいらしい。平日は勉強に打ち込み、休みの日は加入している動画配信サイトで彼が出ている映画やドラマを観る日々が続いた。
なにかに夢中になることはときに良い効果もあるらしい。必死に勉強した模試の成績が良くて、努力が報われる快感に味をしめて、ますます勉強に打ち込めるようになった。
美しい顔立ちと高い演技力を持つ彼はますます活躍の幅を広げ、テレビや雑誌の露出も増えた。彼の活躍をマイペースに追いかけながら、勉強を頑張っている。ファンレターとかはうまく書けないけれど、匿名のこの場にひっそりと言葉を書きたい。死にたいと思うこともあの頃に比べたら随分と減った。彼には体に気を付けてお仕事を頑張ってほしい。俳優という仕事を選んでくれてありがとう。
これってそもそも、漫画家やイラストレーターの「絵入りサイン色紙」には金銭的な価値があるってことなんだよ。
タダでプレゼントする行為こそが異常なのであり、転売されてついた値段のほうが本来なら適正。
もちろん漫画家が厚意でプレゼントしたサイン色紙を転売する奴はマナーがなってない。
作品に飽きたとか生活に困ったとか事情があったとしても、漫画家には同情するし、憤慨したり悲しんだりするのもよく分かる。
その上で、プロの「絵入りサイン色紙」をタダでくれてやる行為はおかしいのだといいかげん皆が気づくべきだよ。
読者プレゼントとか購入者サービスとかの企画もそう。以前にも応募者全員プレゼントとして500枚?以上タダで描かされた漫画家の話があったよな。
本屋に飾ってある絵入り色紙ももういいだろ。あれの根本は芸能人なんかが贔屓にしてる飲食店に対しお礼の気持ちで書いたのが元なんだろうけど、
今は形骸化しまくって、取材で一度行っただけの店が大量に飾ってたりして意味不明になってる。
それと同じで、本屋に色紙飾りまくるのも作家の厚意ってより出版社が書店とうまくやってくための販促ツールになってるよな。
回り回って作家側にも利益はあるかもしれないが、まず利益を受ける出版社は作家に金を払うべきだろ。
サイン本とかはモノ本体に価値があるからまた違うとしても、色紙に一から描かせるなら、それはいわば生原稿と同じだ。
芸能人のサインと違うのはここで、漫画家やイラストレーターの場合は当たり前のように絵まで描かされる。絵で食ってる職業なのに。
クリエイター側がお礼としてタダであげたくなる気持ちは分かるし、近しい関係の人に頼まれたりすると個人で断るのは難しいだろう。
だから読者も含めて「無償で絵入りサイン色紙プレゼントはおかしい」という風潮を作っていくのがいいと思う。
健くんがラジオで毎日楽屋挨拶をするように伝えてくれたお陰でjrもきっと反省していると思います。
もしかしたら初日・千秋楽しか挨拶をしない習慣だったのかもしれないし、座長が毎日挨拶をしなくて良い派だったからそれに倣ったのかもしれない。だけどもそれは外に出たら非常識なことだから、今までのなんとなくをぶち破ってでも、誰かが教えなきゃいけないこと。健くんが後輩に反省する機会を与えられる存在になったこととても嬉しく思います。
だけど私はそんなこと知りたくありませんでした。
これから舞台を見る時、健くんが楽しそうにjrと話していても内心どこかモヤモヤがあるのかもしれないだとか、この子が挨拶した子でこっちがしなかった子だとか、この三宅担は昨日jr担を叩いてたのかもしれない、このjr担は健くんを批判してたかもしれないだとか舞台に集中したいのに雑音がたくさん入ってきてしまいます。さらにjr担は挨拶が出来ない子を応援しているという罪悪感を持って劇場に入らなければならないかもしれない。
健くんが後輩に教えたかったことは、観客にわだかまりを残し、周囲に傷をつけないと教えられないようなことですか?
健くんが挨拶が出来なかった時は先輩のファンにも、自分のファンにも、まったく無関係な一般人にも怒られましたか?
あなたが大切にしている後輩とそのファン、さらには健くん自身のファンすらも軽率に辛い状態に追い込んでいることが悲しくて仕方ないです。
座長が作り続けてきたエンターテイメントに汚点を作ったのは間違いなく健くんです。
健くんがファンに叱ってもらいなさいというから私は心を鬼にして健くん宛にこのブログを書いています。
これから健くんにファンレターを書くどなたかにおねがいです。健くんにこういう感想もあったと伝えてあげてください。
そしてjrを叩いてるV担へ。
あなたが今叩いてる人達は何年も滝沢秀明の舞台をバックjrではなく、一人の出演者として舞台で戦い続けてきた人たちです。滝沢歌舞伎においては、健くんの先輩です。きっとDVDすらも見たことないだろうけど座長が育てたパフォーマーです。見もせずに、見るつもりもないのに知った気になって、人様の舞台の出演者を叩くことは恥だと思います。
詩織「新たな愛を見つけるラブ発見型新感覚ラブリーラジオです」
詩織「……いきなり ……どうしたのよ 言っておくけど…… あなた割と常に恥ずかしい子よ……」
愛海「……」
詩織「……あらあら? あら…… あらあら…… なにかしら…… その言いたげな顔は……」
愛海「ここだけ切り取られたりするの不愉快だから言っておくけど、あたしは今好きな人も恋人もいません!」
詩織「ふーん…… まあ…… 言いたいことは山ほどあるけど…… 本題じゃないのなら追求しないでおくわ……」
愛海「ただね、そのね、あのときあのタイミングあの場にいたら、10人が10人とも、
「こいつ、あたしのこと好きなんと違う?」という思わせぶりな態度をとってきたんですよ!」
詩織「あくまで…… 愛海ちゃんが好きなんじゃなく…… 相手の男子が愛海ちゃんのことを好きそうだと……」
愛海「そうなの! なんかね、掃除の時間とか手伝ってくれたり、日直の仕事手伝ってくれたり、休憩時間も喋りかけてくるし、あと時々授業中なのに目があうし!」
詩織「765プロのアイドルの方々は…… でも中の人はお年頃の女の子だからー とも歌ってらしたけどね……」
愛海「クラスの友達思い出せない彼氏もできない、とも歌ってますけどね」
詩織「……とはいえ。別に変なことしないなら…… ファンも裏方さんも演者さんも認めてくれると思うわよ……
そもそも…… 誰かを好きになるのに…… 当事者同士以外の許可が必要な理屈なんてないものだし……」
愛海「とにかく! 日頃から優しくしてくれることとか、話しかけてくれることとは嬉しいんですよ。
でも、好きとかじゃなかったんです!」
詩織「あらあら…… うふふ…… お手紙になんて書いてあったのかしら……」
詩織「うづうづ……」
愛海「直接的な言い回しじゃないんだけど、なんかこう、あたしのアイドルとしての活動が可愛いみたいなことが……」
詩織「見てくれたのね……」
愛海「そうなの! そのね、普段はあたしがアイドルだってことに触れないでくれていたの!
なのに、お手紙にはそう書かれてて……」
詩織「こういう甘酸っぱいエピソードもあるじゃない…… いいわね…… 中学生の恋って……」
愛海「でもね、やっぱり、断らないと! と思って」
詩織「寂しい……」
愛海「その、断ったの、あたしはアイドルだしお山が好きだからって」
恥ずかしくなんてないわよ…… あなたは頑張れてるし…… 立派よ……」
愛海「ところが」
詩織「えー…… ここで話終わればよかったのに……」
詩織「照れ隠しじゃないの…… 手紙もマシュマロもあるんだし……」
愛海「いや…… その…… なんていうか……」
愛海「その男子じゃなかったんです。手紙とマシュマロくれたの」
詩織「はははははははは!!!! ばっかじゃないの…… あなたばっかじゃないの! なんで呼び出してるのよ!!!」
愛海「もうね!
「は? 俺じゃねえけど? 勘違いしてね?」って言われたときの、あたしの顔!」
詩織「ははははは!!!! ほんと? それすらも照れ隠しじゃなくて?」
愛海「さすがに態度でわかりますよ…… それに、その後別のクラスの喋ったことない男子のファンがくれたものだって判明しましたし……」
詩織「えええええ、もう…… それは本当に恥ずかしい話ね…… 勝手に告白されたと思い込んで、勝手にふって…… あなたは恥ずかしいでしょうけど、好きでもないのにふられた男の子もかわいそうだわよ……」
愛海「いやもう…… 本当ごめんなさい…… こうしてラジオで喋ってプライベートを切り売りして売れたお金で何か奢るので、許してください」
詩織「これは…… さすがに胸の中にしまって淡い青春の一ページにはできないわねえ……」
詩織「まあまあ…… はははは」
愛海「もおおおおお! そこまで笑わないでくださいよ!」
わたしはうたプリが好きで、でもある時期しんどくなってしまって離れてしまった。それでもうたプリは続いていて、大好きな四ノ宮那月くんは今もみんなの前で歌って踊って、誰かの彼氏なんだろう。わたし1人離れても、たいした傷じゃないんだなと思っていた。コンテンツはそういうものだと思っていたのだ。たった1人の注ぎ込んだお金、時間は小さなもので、別の人が埋めてくれるような穴なんだろうなと。
逆に、応援していたものが終わることなんて、生きてきて何回も経験した。漫画だったり小説だったり、ドラマもそう。好きなスポーツ選手の引退、バンドの解散もあった。
全部わたしの手の届かないところで起こってて、どこか他人事のような気がして、悲しいと思いつつ何日か経てば忘れてしまって、また時間が経って「そうそう、応援してたんだよね」とか言える思い出になっていた。
長期出張で心が本当にボロボロになった時にアニメを見てハマって、アプリも始め、手を出したことのなかった若手俳優さんの応援も始めていた。ハマって約一年。この一年が長いのか短いのかわからないけど、とにかく働いて得たお金を注ぎ込んでいた。元気をたくさんもらって、頑張ろうと何回も立ち上がる勇気をもらっていた。バンドのライブにしか行ったことのなかったわたしが生まれて初めてペンライトを買って、それを振って応援した。ファンレターも初めてちゃんと書いた。ドリフェスに起用されてる、俳優さんを見るために舞台のチケットを初めて自分でとって、観劇に行った。初めてだらけだったけど、本当に生きている実感があった。出不精で人見知りのわたしが、こんなに人のいる場所に出て、たくさんお話ができる人もできて、夢みたいだなんて思ってた。握手とか行脚とか、今はいけないけど、勇気が出たら行きたいと思っていた、むしろ今年のささやかな目標にしていた。
でもドリフェスは終わるらしい。
全く心が動いていない。
状況が飲み込めていない。
知りたくない。
なにが足りなかったんだろうとしか思えない。
コンテンツは永続的なものじゃないことは知ってるはずだった。アプリのアクティブユーザーが少ないこととか、ツアーの席が埋まらなかったこととか、思い当たる節は沢山あって、でもわたしなりに沢山応援していたつもりだった。わたしの応援じゃ、足りなかったのだろうか。
うたプリから離れた時、誰かが埋めてくれたような小さな応援じゃ、ドリフェスというコンテンツは支えきれなかったんだろうか。
特番は観ていない。
いい知らせではないだろう。