はてなキーワード: ケアとは
そもそも、宗教はメンタルケアの役割も担ってるわけなのですが、、、、。
だから、仏教古典由来のメンタルケアの知識も豊富。ちゃんとやってるお坊さんであれば。
四諦とか。
家族とか友達とか、身近な人が亡くなると、鬱っぽくなる人がよくある。
じゃあ、お葬式に関わることの多いお坊さんって、鬱っぽくなったりしないのだろうか?
もちろん、都会の商業的というか、お葬式の時にしか接点が無いような場合にはショックもなにも無いだろうけど、田舎とか、檀家が支えてるようなお寺はどうだろう?
月に一回は檀家の家に行って、月命日のお経を上げ、月に何回か、法話日とか法要日とかでお寺に地域の人を集めたり、場合によっては、書道教室や子供会なんかを開いてる、ある意味理想的なお寺のお坊さんの場合を考えると、実は結構しんどいんじゃないかと思う。
地域に根差した活動をしてるお寺は、その地域の人達のことは知り尽くしてるだろうし、年の近い人達には、きっと仲間感を持ってるお坊さんが多いはず。
でも、地方は間違いなく衰退している訳で、高齢化とかの現実を考えると、ひょっとしたら、立て続けに同年代の檀家を亡くすお坊さんも多いんじゃ無いだろうか?
そうした場合、身近な人が亡くなるショック、自分がお経を上げないといけないプレッシャー、そして収入源も絶たれるという三重苦に悩むことになるわけで、鬱っぽくならずに過ごす方が難しいくらいの感覚になると思うんだけど、どうなんだろう?
坊主丸儲けとか、お坊さんを揶揄する言葉があるけど、現実問題として、人口減少時代には、お坊さんのメンタルケアが必要かも知れない。
仕事に穴を空ける奴vsクソ管理職どっちが悪いファイッ!で激しく空中戦してるの見てて思うんだけど
学校というのは大きく二つに分かれる。受験を意識して合格率のために勉強させる学校と、受験後を意識して勉強させてたらそれに合わせた偏差値になって合格率が決まる学校だ。
いやいや、教員ごとにスタンス変わるでしょ、という指摘もごもっともだが、みんなが思ってる以上に経営層の立場や影響力は強い。外面では自分で学ぶ姿勢を、とか、世界に通じる教養を、と言いながら、内側には合格率や有名大学合格者数をあげてほしい、と圧力をかけくる。その結果、ないがしろにされるのは教養科目と呼ばれる受験外教科だ。
特に受験に使われる英語と数学の時間を増やすためにいろんな受験外教科が弾圧にあっているという話を聞く。学校の授業数のページには指導要領と同等の時間と書いてあるのに蓋を開けてみると音楽の時間が少ないとか家庭科の時間が少ないとかという話はままある。
音楽は歴史を知るために必要だし、音楽の素養はソーシャルクラスの高い人たちと話すための大事なコードとなる。
家庭科も化学と社会を融合したような教科なので、生活知と科学知を結ぶ大事な科目であるはずだ。体育や情報もそうだけど、体育は部活の指導なんかと関連して部活の実績は広報に使われるので待遇が悪くなることはあまりないだろう。
これらの授業時間を削ったり、教員を非常勤講師で補うと、当然授業外でのケアや環境整備などが十分行き届かず、教員も短絡的な実践しかできない。
当然教師の雇用をないがしろにしているような学校は、生徒の面倒も教師の善意に任されるし、学年が上がるにつれてだんだんないがしろにされていく。
手のかかる子を放置するような話ならいいのだけれど、受験前なのに手の施しようのない生徒は、人件費の問題からがっつり切り捨てるという選択をせざるをえない。
私立に行かせている保護者友達も、私立に通わせることができる親同士子供同士の友達を作る以外にメリットがない、という話をよくするし、大学入学率が高い私学でも、合格率のための学校であれば、勉強嫌いに育つ確率が高いので大学に入った後ろくに勉強もせず、仕事を始めても指示待ち人間の使えない大人になってしまい、うまく会社と折り合わず鬱になる可能性も高い。というかそういう人間もたくさん見てきた。
そういった事実や状況が教育業界や痛い目を見た保護者の一部でしか共有されていないことに恐怖を感じる。
では具体的にそうしたネグレクトする学校をどうやって見抜けば良いか。教養科目の時間や内容が充実していることをホームページに掲載している学校はよい。
教養科目をないがしろにしている学校は教員をないがしろにしているので離職率や非常勤教師の回転率が高い。
例えばここ。
http://www.shigaku.or.jp/employ/recruit.html
もちろん募集人数の規模の違いもあるが、見ての通り受験教科と受験外教科の教員募集ががっつり差別されて掲載されている。
今年はちょうど非正規雇用5年ルールの4年目で、2018年4月から無期雇用の申し込みができるとのことで、非常勤講師の雇い止めも多く発生しており、代わりを募集している学校も多いはずだ。
公立学校の非正規雇用が都道府県にもよるがだいたい10〜14パーセント(過去の数値なので今はちょっとズレてるかも)なのに対して私立は2〜30%にも及ぶと聞く。
教員を雇用的にネグレクトしている学校が生徒をネグレクトしない確率は多分いたって低い。学校を偏差値で決めるのも良いが、あなたが受験させようとしている学校のホームページや採用情報ページで、非常勤をたくさん募集している学校は、受験を控えたほうがいいかもしれない。
学校の指導が悪いと、落ちこぼれる必要がなかった児童生徒もどんどん腐っていってしまう。それなら公立校のほうが手厚くケアしてもらえたんじゃないか、活躍できたんじゃないかと転校させて成功した保護者もたくさんいる。私立で成績が落ちこぼれでも公立だとできる方、という相対的な評価はよくある。相対的に低いだけなのに劣等感にさいなまれ続けた若い子がどうなるか想像してほしい。
リベラルっていう用語は今では多義的になっちゃって拡散しているんだけど、源流をたどると「絶対王政などに見られる巨大な権力者に対して個人の自由を守り社会を安定させ豊かにしていく思想」があるよね。国の命令で、一般的な民間人の生命やら財産やらが奪われてはならない。思想や発言には自由があるべきだし、職業や結婚相手を強制されるべきではない。個々人は個々人で自分の人生を生きる自由がある。古典的な自由主義としてのリベラル。
いま日本では、リベラルが退潮とか危機とか言われているけれど、どう考えても歴史上もっともリベラルが花開き成果があるのが現代だと思う。古典的な自由主義者が目指した自由と繁栄の国が、いまの日本だよ。
もちろん、リベラルという語の示す意味合いは歴史によって徐々に変わっていった。いま死のうとしているのは、後発の変化した後のリベラルなのだ、という指摘は正しい。
しかし、でもだとするのであれば、その主張方法も変えていくべきだったのね。一番古典的なリベラルは上記のように「巨大な権力者の恣意的な権力乱用から市民と市民の自由を守る!」というものだったから、その主張手法は「だから、権力者(日本の場合首相とか与党とか政府)を厳しく監視してそれを咎めていかなければならない」であるわけ。日本の野党が国会で、やたらに与党に噛み付いたり、「安倍政権が九条を変更すると即座に戦争を開始してしまう!けしからん、断固打倒!」というのは、たしかに、古典的リベラルの主張としては正しいわけ。なにせ彼らは「巨大な権力者の恣意的な権力乱用から市民と市民の自由を守る」が主張なのだから。
でも最初に述べたように、古典的リベラルが憂いていた社会問題――たとえば王様が個人的鬱憤やら貴族の内輪もめで戦争を開始して農民の命がゴミのように消費されるとか、身分差の下位の側が奴隷としてなんの自由も選択権もなく酷使されるとか、餓死するとか――そういうのは、現代日本においてほぼ解決された。こういうことを言うと顔を真赤にして「現代のブラック労働問題が!」とか叫ぶ人はいるけれど、少なくとも法的な側面ではかなりのケアが進み、運用側の問題へと問題は進んでいる(日本の生活保護の捕捉率はたしかに大問題だけど、運用の問題ではある)。
つまり古典的な自由主義者は、打倒すべき問題の殆どを失ってしまった。日本の社会で言えば、1970年代の公害訴訟あたりの時期で、社会的使命を一旦果たした。そこで寿命を迎えたと思うのね。
もちろんそこで社会問題がなくなったという話じゃないんだけど、それらを指摘して解決していくためには、リベラルは名前を変えるか、名前を変えなかったとしても少なくとも主張方法は進歩させるべきだったわけ。なにせ古い主張とその手法は、古い問題に最適化されているわけだから。「安倍政権が九条を変更すると即座に日本は戦火に包まれる」なんて主張を、現代日本国民の誰がどれだけ信じている? 1%もいないとおもう。現代日本人の殆どは「政権を監視して非難すれば問題が解決する」なんて、もはやファンタジックなおとぎ話だと感づいているんじゃないかな。
現代に残る社会問題は、格差にせよ人口減にせよ、少数の絶対悪者が陰謀の結果日本に振りまいた災厄ではなく、すべての日本国民が利害関係者として今まで行ってきた選択の結果起きた、避けえない出来事であって、誰か少数者をリンチしてスッキリしたとしても、解決なんて出来はしないって気づいているんじゃないかな。
にも関わらず、いわゆるリベラルと言われる組織や政治家が懐古的な「邪悪な政府の陰謀論」を卒業できないのは、本当に卒業できないわけじゃなく、そういう手法を卒業しないことで利益を得ていた既得権集団だっただけなのだ。そういうことがほとほとわかっちゃった。そういうのがこの数年の政治状況じゃないかな。
いま日本でリベラルに愛想を尽かしたり、叩いたりしている国民も、一番最初に述べた「国の命令で、一般的な民間人の生命やら財産やらが奪われてはならない。思想や発言には自由があるべきだし、職業や結婚相手を強制されるべきではない。個々人は個々人で自分の人生を生きる自由がある」という意味では、立派なリベラリストなわけね。それらは当たり前にいつでも手に入る無価値な宝物ではなかった。たとえば北朝鮮ではそういう社会が実現されてないもの。
だからその部分は歴史に対して胸を張っていいとおもうのだ。そして同時に、自分たちがそういう意味ではリベラリストなんだから、リベラルを必要以上に憎むべきではない。少なくとも歴史のある時期、それらは社会に必要で、現代の豊かで平和な社会につながる重要な役目を果たしたわけだから。
一方で、そういう言う意味では、リベラルという看板は役目を終えたし成仏すべきだと思う。現状、Webやらマスコミで「リベラル最低だ」っていってるのは、かなりの程度死体蹴りだ。「リベラルという少数悪が邪悪だったので社会が悪くなった」というのは、まさに駄目なリベラルがすがりついていた思想そのものだよ。すがる側も、嫌悪する側も、もうリベラルから卒業しても良い時期だ。
先週、レイプされた。私はもう既婚子持ちだからそういうのないと思ってた。
実は若い頃から何回もレイプ経験があってPTSD治療中で、なんとか寛解に向かってたんだけど、やっぱり事に直面すると動けない、声が出せない、抵抗できない。なるはやで終わってください、としか考えられずじっとするしかない。「死ぬまで暴れなければ合意と見なす」とか死ねよと思う。
で、「あ〜〜〜最高〜〜〜〜」とか言ってる至福の顔のおじさんを無言で見上げてた。枕営業でも何でもないよ。ただ、会議に呼ばれたから行っただけ。まじめに資料つくってね。でもそんなの見もされず、打合せ内容はそれだった。仕事は担当外してもらった。いけると思われたのが悲しかった。
問題はここからで。数日ぼーーーーーーーーーーっと魂飛んだような幽体離脱状態で過ごしてたんだけど、やられた側はいろいろやらなきゃいけない。
「自分は無力だ、私が悪かった、汚い、モノ、どうでもいい、死にたい」
そういう気持ちになるから自分をケアする行動をとるのがすごく難しい。こういうのは、何度経験しても、30になっても慣れないもんだってわかった。
今回もかなり死にたいけど、もう家庭があるから死ぬわけにいかない。んで、これから動くので、やることをまとめる。
ないに越したことはないけど、もしトラブルに巻き込まれた女性や、身近な人の様子がおかしくて訳を聞いたらこんなだった、という場面があったら、ちょっと思い出してもらえると嬉しい。
とりあえず直近の自分がやることは以上。学生時代は本当に恥ずかしくて自分の落ち度だったと思って誰にも言えなかったけど、今回は、翌日に、親友に助けを求めることができた。ぼーーーっと事実をLINEに書いて送るしかできなかった自分の代わりに怒ってくれた。怒っていいんだ、と思った。
夫に言うには、さらに数日かかった。「汚れちゃったよ、夫のなのに、他の人として、ごめん」と、言うのは、とても勇気がいった。本当にこれが一番苦しかった。汚くない、と抱きしめてもらって、こわくない程度に頬にキスしてもらって、でもそれ以上の接触は夫ですら今こわくなってしまってできない。どーしてくれんだこれ。でも、夫が私を責めないで一緒に対処に動いてくれていることで、今までで一番、「私のせいじゃないのかもしれない」と思えている。
「何回も遭ってるなんて普通じゃないからお前が普通じゃないんじゃないの」とは思わないでいただけると、とてもありがたい。ほんとにそのセカンドレイプがいちばんきついんだ。
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1165165
おお、頭ではわかっててもなんとなく実感がわかなかったんだけど、TOPブコメの人見てるとすげーよくわかる。
なるほど、浮気性の男とかホストにはまったりナンパ師に引っかかる人ってこういう心理なのか。
http://b.hatena.ne.jp/entry/347030391/comment/murasakizaru
http://b.hatena.ne.jp/entry/347030391/comment/iiiloveuuu07
勉強になった。
これは思想の左右とは関係なく、市場の要請=売る相手が居なくなると国内経済が困るから、であって、政治思想とは関係ないのでは。
強いて言えば、財界≒右なので、右サイド(持てる層)の人たちの「認識不足」だと言えなくもないですが…。
リベラルは弱者保護というよりも、多様性の許容という理屈立てだと思います。
信じられないかもしれませんが10年ぐらい前は、子を産んだ女は「いったん社会から強制退場」だったので、そうじゃない「人生の多様性」を獲得したい、という主旨だと思います。
「産んだ人=弱い=守らねば」ではなく、「産んだら退場」=扶養家族増えたのに稼ぎ口減る=社会的弱者」、という、もう一段階前の存在を忘れないでほしいです。
そして、出産に義務を課しているわけでもない。ご自身でも仰っているように、出産を義務と見なしているのは右でしょうね。夫婦別姓も大嫌いな人たちですし。
このように考えてしまう理由は、恋愛(ここでコミュニケーション弱者が発生)→結婚(ここでは主に経済弱者が脱落)→出産、
というヒエラルキーを想像しているのかもしれませんが、この「自然的市場」を否定するのであれば、
社会主義革命か、もしくは地球全土が中世ぐらいまで生産性を下げる(必然的に生殖行為=生産性向上に直結するはず)ぐらいしか方法が思いつかないですw
なので、本増田は、絶対的なものとしてこのヒエラルキーを想定するのは、人間としてい続けるためには(ワンオブ生物であると開き直るなら別ですが、私はそれは人間とはみなしません)
間違っていると思いますし、むしろ「人生の多様性」を広げることで、野生生物的ヒエラルキーの意味を削いで行くことが可能だと考えています。
ただし、何しろ人間という「生物」は、かれこれ1億年ぐらい、「産む=生産性」というシンプルかつ野生な環境でやってきたので、簡単に変わるとは思いませんが…、
小難しいこといわなくてもヒエラルキーの下側をケアしないと上にたってられないってだけじゃん
沼地にビルが建たないみたいに土台がだめになったらみんなダメでしょ
自分より下のものを切り捨てたら下のものにさせてた仕事をぜんぶ自分でしないといけなくなるのはわかりきってるでしょ
下がいなくなると泥臭い作業とかきつい仕事とかストレスのたまる業務とかがまた分業から自分にかえってくるじゃん
コンビニがなくなればスーパーへ買い物に スーパーがなくなればデパートに 行商に 畑仕事に 開墾に みたいに
どう考えても基礎とか土台とか下をかためることにつとめておけば 上は最悪すげかえることもできるじゃん
サザエさんのエンディングで家の中に行列で入っていく絵が思い浮かべる、
きっとあの家は空間のゆがみが生じているはず。
完全な平面の時だけ。
歪んだ空間のなかでは
180度以上になったりそれ以下になったりすると言う
一度吸い込まれると、
光すら再び出てくることが出来ないほどの
意外とメンテナンスフリーでいいと思うの。
だって取り替えるだけで済むでしょ?
例コップ的な掃除機で
こまめに布団もケアして吸い込んでいた方がいいわよ。
干せば一番早いんだけど!
まあやっと台風は行ったみたいで
洗濯物が捗りそうよ!
おかげで街はそのせいで
木々の枝や葉っぱで散らかっていたわ。
上昇しちゃうのかしら?
今度血液検査行ってみようかしら?
そう思うほど食べ過ぎちゃうのよね。
すっかり寒くなってきて厚い布団よろしく、
ホッツ梅ウォーラーで埋め合わせ。
これでカロリーを梅パワーで消費するわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
安倍が何も悪いことをしていないとは思わないが、本当に安倍が悪いことにするには証拠がなさすぎて、ただの印象操作でしかない。特に森友問題。
安倍が悪いという証拠を集めることもできないのに、安倍ガー忖度ガーってホント馬鹿。
よってモリカケアベ問題は証拠が出ない限りは流されないように逆に気にしない。気にするところが間違っている。
攻めるなら外堀から攻めなきゃいけないのを、マスコミ砲で射程外の本丸を撃ってるようなもん。派手に撃ってるからガチで本丸が落ちるのかと思ってたら、全然届いてないの(笑)
安倍が悪いという前提が正しいとしても証拠が隠される。役所がちゃんとしていればちゃんと問題にできた。
仕事帰り。
住んでるのは、まあまあ大きい地方都市の主要駅まで電車で十数分の寂れた駅のワンルームで、駅周辺には居酒屋がぽつぽつと。
デスクワークなのと、もういい年なので、朝食抜き、昼食軽く、夜も軽くというリズムになっている。
週に2~3度は、いきつけの焼き鳥屋に寄って帰るのが習慣になっている。
21時ぐらいに会社を出た時だ。それ以外はコンビニで。(弁当は食べきれないので、おにぎりやスープなどと氷結ストロング)
6万ちょっとの部屋に住んでいるのと、特に趣味もないので、ボーナスも含めれば年々貯金が貯まる一方だ。
ギャンブル、女遊びをしないのも浪費につながらない。
さて、その焼き鳥屋だが、私のようなおっさんばかりが通っているのかといえばそうでもない。
先に触れたとおり、そこそこベッドタウン的には優秀な駅なので、20代、30代の若者もそこそこ多かったりする。
そして、大きな病院が2つあり、国立大学からも近く、そこの看護師さん、学生などもちょくちょくおとづれるのである。
そういった若い女の子と、会話することも刺激的で焼き鳥屋に通う理由のひとつではあるのだが、一番の理由はというとせせりなのだ。
ももは油濃く、ねぎまに関しては葱が嫌いという個人的な事情により。
せせり(塩とレモンで味つけ)を4本ぐらいと、気が向いたら肝臓のケアも兼ねて砂ずり、栄養バランスを考え、玉ねぎ、エリンギ、ししとう、豚バラトマトなどを頼む。
だが、死ぬまでひとつの物しか食べられないという呪いに掛かったら、間違いなくせせりを選ぶだろう。
(増田には、おっさんが女子を騙る文化があるらしいので、20代女性のわたしがおっさんっぽく記述してみましたよ。
20代っていうのは嘘だけど。)
死刑制度の賛否について、実生活だとキチガイ認定されると面倒なので、本音と建前を使い分けてます。
自分の家族や大切な人が殺されたら、その憎しみ・恨みを晴らすために、犯人は自分の手で殺したい。(仇討ち派)
死刑制度があると、自分の手で殺すことが正当化されない。(死刑制度が仇討ちの邪魔になる)
死刑制度がなければ、自分が犯人を殺しても、自分が殺人罪を問われて死刑になる心配がない。(安心して仇討ちができる)
こんな理由を説明したら、お前は野蛮な奴だ!と叱られちゃうから言えない。
私刑は復讐の連鎖を呼び起こすからダメだという批判もありますね。
(例)6歳娘を強姦され犯人を射殺した母親 多くの親が「気持ちはわかる」(米)
http://japan.techinsight.jp/international/2017/09/yokote201709021811.html
アメリカじゃ被害者遺族が犯人を射殺する事件がよく起こってます。
遺族が本当に望んでいるのは、死んだ被害者が生き返ることです。
死人が生き返るなら、犯人にも死んで同じ苦しみを味わえ!と憎む必要もないでしょう。
しかし、死人が生き返ることはないので、その代わりに犯人には死んでもらいたいのです。
犯人が死んでも、被害者を失った喪失感は回復されないので、100%満足はできないけどね。
死刑制度は存続させるとしても、欠陥の多い制度なので改善の余地があります。
http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2016/02/post-4454.php
冒頭で「だから何」って思うなら
嫌なら見るな理論は一理あるが、俺の視界にもう入っちゃったんだよ。
お前だって混雑してるとこで知らんオッサンのくっさい体臭嗅いじゃったってことあるだろ。
それは「好き好んで嗅いで勝手に臭がってる」ってことにはならないだろ。
やっぱりケアもせず人前に出て体臭撒き散らしてるおっさんのほうが悪い。
それと同じ。
お前のキモいキャラ作りやウザいコミュニケーション手法は現に周囲に撒き散らされてる。
うぜえと思ってるのが俺だけならお前の人生に関係ないからいいけど、
俺が一瞬で感じ取れるようなことをお前のリアルに身近な奴等が感じてないわけあるかね?
後ろめたいのなら
置いておくのはおかしいでしょ。
見られてもいいってことだからね。
な?
それだろお前の言いたいこと
別にいいと思うよ
ただそれはキモいぶりっこやうっざい遠まわししてないで直球で言えということ
「もしやまだ元カノと切れてないのか」
「もしくは元カノに未練でもあるのか」
「そうではなくて単に忘れてただけならさっさと捨てて」
ってことだろ?
それだけさっさと言えっつってんだよ
ほぼ毎日、妻から「あなたは本当に何も家事を手伝ってくれないんだから」と愚痴を言われる。
妻は専業主婦で、習い事を週2でやっているくらいで他はだいたい家にいる。子どももいない。その割には家に帰ると、掃除、食事、洗濯、どれも出来てないことがよくある。
「今日何してたの?」
と聞いたら、
「本当に家事が大変。やることがたくさんあって、昼ごはんも食べられなかったよ」
と言う。
とでも言いたげ。
最初はなんでそんな嘘つくんだ?と思っていたけど、よく話を聞いてるとどうやら嘘じゃないことが分かった。
ワイシャツ1枚アイロンにかけるのに40分かける。仮にアイロンが必要な服が10着あるとして、6時間40分だから、昼前から始めて5時になってもまだ終わってないことになる。
食事を作るにも時間がかかる。おれは週2~3回は夕食や昼食を作るが、だいたい30分くらいあれば3品くらい作る。妻は夕食の準備に少なくとも3時間近くはかかる。確かに味は美味しいのだが。
さすがに、家事が丁寧すぎる、もう少し効率的にやったらどうだ?と言ったんだが、これが自分のスタイルであり崩せないという。自分自身が基準なので、手早く掃除や食事をしてしまうおれは、家事を手伝っているうちに入らないらしい。
今はまだ子どもがいないからいいけど、もし子どもが出来たらと考えたら恐ろしい。子どもの世話に異常に丁寧になり、きっと家事はおろか、自分自身のこともケアできなくなるに違いない。
勘違いが甚だしいな
安楽死の前に考慮しなきゃいけないことをすっ飛ばして、個人的に安楽死をさせてやった方がいいという利己的な願望にすぎない
あんたのじいちゃんに関して考慮しなきゃいけないのは安楽死の前に苦痛からの解放だ
頚椎損傷の治療法の目処がついてコールドスリープでその日まで眠れるとしたら
これは架空の話だが、苦痛の解放を目指せば死にたいという選択肢がまずない
この通りには実際いかないだろうが、緩和ケアの範疇でストレスケアが格段に改善される可能性は現実的な話だ
ただ、別に俺は安楽死のオプションは全然ありだがそこに至るまでのステップが発展段階の中で安楽死だけ先に決めるってのはありえないと思ってる