はてなキーワード: お人形さんとは
班長お疲れさま。周りの子たちの理解がない態度が悲しいね。私も独り言のように書かせて欲しい。
子供の頃は優等生タイプで物わかりも良かったので、障害学級に通う男の子と机を並べたり、ペアになったりすることがあった。物静かな相手だったし、嫌ではなかった。たぶん小学二年生のとき、風船にひまわりの種とお手紙をつけて飛ばすという行事があって、文章が上手くかけないその雄作くんの代わりに私が手紙を代筆して用意した。校庭に全員が揃って風船を飛ばした。極稀に風船がどこかにたどり着いて、返事が返ってくることがあった。そんな児童はクラスに1人か2人くらいで、それは鼻高々だった。そしてうちのクラスでは、かの雄作くんに3つ離れた市のおばあちゃんからお返事が届いた。クラスは一瞬沸いたあと、どうしよう…?という雰囲気になったのだと思う。私がまた返事を書き、以降、下島セツさんと私は10年近く文通をすることになった。
セツさんとお手紙をやり取りするのは楽しかった。先生でも親でもない大人の友達がいるのは面白かったし、いつも丁寧な文字で私のことをめいいっぱい褒めてくれた。けれど、この文通は本当は雄作くんが楽しむはずだった、という受け止めきれない思いがずっとあった。今でもある。私が雄作くんのお世話をすればするほど、先生も雄作くんの親御さんも私の親も、みんな立派だと褒めてくれて気持ちよかったけど、雄作くんはどうだったんだろう。私が良い人になるための道具みたいに、なってはいなかっただろうか。私ばっかりいい思いをさせてもらったような、居心地の悪さがついぞ消えない。
それに中学に進んでから、すっかり雄作くんみたいな子を表で見ることがなくなってしまった。元気にしているのだろうか。ご家族ともども、楽しい時間が人生の中にある日々だろうか。多様な人の暮らしに思いを馳せたくても、目に映らないからつい忘れて居ないように感じてしまう。あの日々、私は雄作くんの友達になれていただろうか。
消えた友達なら、正美ちゃんもいた。親同士が仲良くしていた一家の末娘で、出産時の事故で脳障害を負ってしまったという。意思の表明が難しく、楽しんでいるのか、嫌なのかも、私には常によくわからなかった。あまり上手く立てなかった気もする。ただ、とびきり綺麗だった。10歳近くになっても幼子のあどけない眼差しが残っていて、野山を駆け回っていた私とは比べものにならないくらい肌が白かった。故に、ちょっと大きいお人形さんみたいだと感じていた。お姉ちゃんと私が同い年ということもあり、学区は違えど休みの日にはしょっちゅう行き来して遊んだ。
ある日、大きなワゴン車1台に乗り合い、正美ちゃん一家と我が家は合同でお出かけした。私は助手席の後ろに座っていて、ふとバックミラーを見ると、薄暗い最後部に座る正美ちゃんがさっき買った油揚げをムシャムシャと食べていた。大人たちは仕方ないねえなんて笑っていたが、妖怪のように勢いよく食べる様子は冷や汗を感じるほど怖かった。あの日から接し方が分からなくなったのだと思う。もしかしたら、正美ちゃんがうちの家族じゃなくて良かったなどと不埒な思いが、頭をよぎったのかもしれない。それまで、お友達という存在は増えることはあっても減ることはなかった。私は正美ちゃん一家の消息を知らない。あんなに日々を共に過ごしたのに、いつしかいなくなってしまった。
もう一人、記憶に残っている子がいる。小松くんと言って、白いハツカネズミみたいな印象の男の子だった。こっちは普通学級にいたけど、おそらく今ではボーダーと言われるようなタイプで、問題児だった。座っていられない、話を聞けない、加減がわからない、善悪が分からない。優等生の私からするとエイリアンみたいだった。笑い顔が怖かったし、なんだか不潔な感じもした。なるべく関わらないようにしよう、私はああいう感じではないし、と軽蔑の気持ちがあったことは間違いない。天は人の上に人を造らず、みたいなお題目はさておき、クラスにはカーストがあることをじんわり感じ取り始めた小学校高学年の頃だったと思う。
当時、中学受験に挑戦する予定だった私は、学校のテストなんて勉強無しで受けて10分以内にすべて回答して95点〜満点をとることが当然だった。(特例で、終わったら図書館に行っていいことにすらなっていた。)特に国語は大得意だった、はずなのに、ある日のテストで1問解けない漢字問題があった。それはもう焦った。今までケアレスミスで失点することはあっても、解答欄を埋められないなんていう事態はなかった。悔しいことに、悩む時間はたっぷり残されていて、私はもんもんとその空白を眺めていた。ふと周囲を見渡すと、隣の席の小松くんが目配せをして、もぞもぞ体を動かしてくれた。何をやっているんだろう?と一瞬考え、すぐに私が彼の回答をカンニングしやすいように見せてくれていることに気がついて頭がカッとなった。私の埋められない例の一文、彼は埋めていた。
その答えを写したか、頑なに知らんぷりをしたか、どうしても思い出せない。モヤがかかったように思い出すことができない。私はもしかしたらカンニングをしたのかもしれない。でも記憶の端っこは、格下だと自分でカテゴライズした人に優しくされたときに沸き起こった、恥ずかしいような情けないような悔しいような、ドッと押し寄せた表に出せない感情で終わっている。自分の中に人様を格付けした卑しさを自覚し、またそんな存在が優しい気持ちを持っていることに驚き、さらに憐れまれたことを悔しく思い、そう悔しく思う自身の下卑さをまた思い、ぐるぐるとパニックになったのだろう。
やがて大人になり、権利を主張することも、自分の言い分がいかに正しいかを当たり障りなく主張する口技も、日頃から誠実そうに振る舞ってここぞのときに有利な立場を得る処世術も、覚えた。それで日々をなんとか乗りこなしているし、厄介事も避けて生きている。
けれどどうして、思い出が胸に蘇る日がある。誰かと誰かがせんなく争っていたり、白黒をつけたがっていたり、ジャッジメントを求められたり。人は助け合って生きていくのよと教わった日々から遠く離れて、誰かを助け、誰かに助けられることを受け入れられる大人になれただろうかと考えてしまう。人に上下はなく社会的な有利不利しかないという事実を自分が常に弁えていられているのか、思い出すたびに突きつけられて泣きたくなってしまう。
結局世の中は顔。本当に顔。「顔より中身」とか言ってるヤツほど信じらんない。顔ありきの中身だろ。適当なこと言ってんじゃねー。
先日、初対面の男3女3で集まる機会があったのだが、もうそこで私の精神はズタボロになった。
元々顔面コンプがあった私は大学生になってからなんとか頑張って垢抜けた。つもりだった。全然垢抜けていなかった。
嬉々としてその場に参加した私。もう、周りの女の子のレベルが高すぎて本当に穴があったら入りたかった。楽しく写真なんか撮っちゃったものの、見返すのも嫌になるレベルで自分のブスさ芋さが酷い。このご時世でマスクをしているのにマスク越しでも伝わる気持ち悪さ。なんというか、もう本当に可愛くないのが一目見てわかる。
何より辛かったのが「遠回しに可愛くないこと」がわかる状況。もうストレートに「お前ブスじゃね?」とか言ってくれた方が100万倍マシだった。他の子には恋人の有無を聞いたり、可愛いですねって褒めるのに自分にはそれがない。別に期待してた訳じゃないけど…いや、してたのかな。それが一切ないってことはつまりめちゃくちゃブスってことなんだよね。ガチでブス。ブスすぎる。
なんかもう本当にその場にいるのが申し訳なくなったし男性も可愛い女の子と喋ってたいだろうから少し下がって会話に参加しないようにしてた。でもそれが逆に気を使わせてしまったようで、女の子が私に話題を振ってくれたりした。優しさが痛かった。取り敢えず「お笑いポジション」につければなんとか良いかなと思ってテキトーな事をぺらぺら話すもビミョーな空気になる。死にてえ〜(笑)
その場にいた男性からどう思われるかどうかは正直二の次で、自分がなんとか普通レベルのビジュアルに持っていけてると勘違いしてたのが本気でショックだった。都会のJKの方が100億倍垢抜けてるし可愛いしお洒落だし清潔感あるし…。何より女の子たちに申し訳なかった。とても良い子達だったから。ブスだからってハブったりするような子じゃなかったから。可愛い子って気持ちに余裕がある子が多い気がする。可愛い女の子大好き。私もその顔に生まれたかったな。
帰宅してから本気で病んで自分の顔面をマジマジと鏡で見た。取り敢えず死んだような重い目をどうにかしなければいけないので二重は切開しようと決めた。低い鼻もお金ためていじりたいな。歯並びも矯正したいな。お金が必要だな。醜い顔。泣きたい。泣いてる。つらい。
顔の良い女はそもそもの土俵が違うんだもん。いいな。私もその顔がよかったな。ちやほやされたかったな。世の中顔なんだよね。
もう本当に顔面コンプが辛すぎて書き殴った。日本語おかしいとかわかってるから。ただただ辛いだけだから。平安美人って本当に存在したのって思っちゃう。あーあ。目が覚めたらぱっちり二重になってないかな。お人形さんフェイスになってないかな。
なんかさ、内容っていうより、美(少)女が持つ「格」というか「価値」で勝負してる感じがある
お前ら尊い尊い言ってるが、ブサイクなオッサン2人が同じことやってて同じ尊さを感じるのか?というところに疑問が残る
美(少)女属性を消費してまーす!中身はどうでもいいでーす!って姿勢が感じられる作品(きららの4コマとか……)ならまだ許しやすいんだが、4コマじゃねえ大袈裟なコマ割りで「硝子のように繊細な世界」みたいなノリのことをやってるやつが一番嫌いなんだよな うつくしい関係性!とか言ってるが結局うつくしいのは顔なんじゃねえのか?という疑念がつきまとうから
とにかく顔を良くしないでほしい
いや、それを言うと恋愛要素とかそんなに無いような話でもその気持ちは生じる とにかく意味もなく登場人物の容姿を盛るやつ、アレすげー嫌なんだよな
校内一の美少女とか髪型を整えたらモデル級とかそういう設定が出てきた時点でかなり嫌になる 学年最低レベルのブサイクって設定じゃなくていいから、せめて並くらいにしてほしい
理想はあたしンちなんだよな みかんはパッと見で美少女じゃないし、吉岡くんも「十人並み」と評しているが、読者としてずっと見ていると愛着が湧くくらいのかわいさはある
あれでしょあれ アレが理想なんすよ
可愛いお人形さんと可愛いお人形さんが仲良くしているよ!うれしいね!ってえ感じのする百合漫画は気色悪いし、それをみて「関係性が〜」つって喜んでる奴らも気色悪い 顔だろ顔
見てきた。
テレビでは初代〜フレッシュゴーゴーあたりまでしかちゃんと見てなくて、今回の映画はミリしら…までは行かないけどペギたんというのがいるくらいしか知識なく行った。
小さい子供たちに「映画館では静かにしてね」を語りかけるキャラとマスコットたち。子供たちはきっと「うん!わかった!」って意気込むんだろうな。鬼滅の影響か、プリキュアのスクリーンは客がそれ程いなくて、自席からは親ごさんたちの背中しか見えなかったけど。
子供たちの反応を想像するだけで涙ぐみそうになるし、もっと小さい子のぐずる声もまた良い。親御さんは周りに気を使って困ってるだろうな、と思いを馳せる。
映画館ではスマホを切っていたから、あやふやな記憶でしか書けないのが残念だ。実況したいくらい楽しかった。
まずはペギたんかわいい。
この子はちょっと真面目なのかな?そして桜の描写がきれい。これ春に公開する予定だったやつ?
恒例の、応援グッズもちゃんと出てきた。今回は声を出しちゃダメで、「心の中で応援してね」と最初のお願いのときに言われてた。あ〜でもきっとクライマックスで応援したくなるよねえ〜!でも心の中で!
プリキュアのオープニングソングも良い。声ものびやかで強く、曲は転調とかやや技巧的で歌い甲斐がありそう。サビに入るところでカタルシスがある。
映画で知ったけど、今のプリキュアって舞台が地方都市なんだね。信州とかあたり?の観光地の隣の町くらいの雰囲気?ですごくよい…。そうだよねえ、プリキュア見てる子供は日本全国にいるんだから、舞台は東京都下のおしゃれ住宅街みたいなところばかりじゃなくていいよね。もしかしてしっかり所在地の設定あったりする?聖地巡りを想定してるとか?(調べてない)
そして、今回の映画は過去プリキュア総出演じゃなくてスタートゥインクルプリキュアとHUGっとプリキュアが出てくるのね。スタートゥインクルの、TOKYO MXのゆめらいおんみたいなスカートの子がいる〜!と嬉しくなった。キラやば〜〜!
ゲストキャラのミラクルン、クックルンみたいな名前やな…みらいが来るからミラクルンなのね。
基本ミラ〜しか喋らないけど要所要所で話が通じるように少し喋る。ぬいぐるみサイズのペギたんたちと並ぶとさらにお人形さんサイズで縮尺あってるか不安になるけど、主人公ののどかちゃんの手のひらサイズらしいので合ってるっぽい。主人公の名前も映画でしったよ!
敵モブキャラが合体して襲ってくるの、妙な既視感あるな〜、アレだ、あの形は使徒っぽい。てか、エヴァ以降ああいうオブジェ的造形の敵って割と一般化してるんです?それとも親世代に訴求するべくあの形なんですかね?
プリキュアたちそれぞれの変身バンクも堪能しました。いいねぇ、各キャラを区切る枠にお花やら星やらが散って華やか!スタートゥインクルはセラムンとかぶらないように名前を良く考えたんだろうねえ。キュアソレイユが好きです!
戦ってる時にHUGっとの男の人(よく知らない)どっか行っちゃうというか元からいなかったような扱いなのはチトもやるな…。
敵ボスのリフレイン、でかい!?……いや、そうでもなかった。目がいろんな色が入ってて、小さい子には怖いかも。今よく考えたら、あの目は時計だね。
(以降、ネタバレするかも。)
リフレインの下半身、ウエットスーツのような、魚河岸の胴付き長靴のような…肉厚で防水性ありそうな。中身の質量感はあるのに、そこに生身の人間の身体は感じられない。どっかで見たことある。腰つきがベルク・カッツェみたいだ。中性的ではないけど。でも人間ではない感は目もそうだし足がずっと爪先立ちなのとかでもわかる。あ!あの爪先立ち、あれも時計の針じゃんね?!今気がついた。
のどかは何回か土曜日を繰り返し、毎回ちょっとずつ変化する。繰り返してることに気づき、パンを焦がさなくなり、水たまりにハマるのが片足だけになる。ついには巻き込まれではなくて自分の意思で最終決戦に臨む回にはパパの見た映画の名前もママが同窓会に行くのもわかるし、交通事故は未然に防ぐしサブミッションオールクリアだ。ゲームで習熟してくみたいに。
それは繰り返しだけど繰り返しじゃない。ちょっとずつ前に進んでいるんだ。
SF的には〜〜あ〜〜う〜〜、ほかの2チームのプリキュアたちの記憶は……、繰り返しで分岐ごと消滅するのはそこまでの人格の死では?特にこれから時間が戻るよ!私達は忘れちゃうけどまた一緒に戦おう、みたいなシーンは、えぇそれでいいの?その意識消滅しちゃうけど大丈夫?!と思っちゃったけどまあそれ言い出すと収拾がつかないので棚上げする。
何も知らない3回目くらいのスタプリ・ハグプリたちに事情を説明するとすんなり受け入れるのもまあそうだよね。黄色い子の説明がメタっぽくて笑った。「あなた達がプリキュアだって知ってるし何なら私もプリキュアだし〜!」みたいな。
そして明らかになるリフレインの目的と動機。ちょっと泣けるのは個人的に似たような思い出があるからだな…
リフレインの動機は迫る破壊からの自己保身というより郷愁にしがみつき幸福な過去に留まりたい成長拒否と思えるが、確かに日々すくすくと成長する小さな子供たちとその親御さんにとっては、あってはならないのぞみだろう。
けど、リフレインて「過去の精霊」とか言ってませんでしたっけ?!仕方なくね?そもそもそういう存在なんじゃ…と少し思ったり。
でもまあ、プリキュアたちは皆の応援もあり、だって私達はプリキュアだから!って一瞬初代から総出演ピラミッドもあってリフレインを倒し、お大事に…ってキメて、大団円。
ここで同窓会に出てたママ登場して、小学生のママたちの幻影と穏やかな微笑みのリフレインとミラクルン。このシーン、リフレインは口元だけなんだけど、それがよかった。うまく言語化できないけど。
同窓会のママたち(ママの同窓生がでてくるわけじゃないけど)視点の二次創作をすごく書きたくなった!
どんなに過去が幸せでも、一歩を踏み出したから今がありのどかちゃんがいるんですよ、てな話が書きたくなるね〜。
そしてエンディング。踊る踊る。みんなで踊る。楽しい。泣ける。
結局何が泣けるのか全然説明できなかったけど、いちいち「おお!」「よい!」と心の中でつぶやきながらうるうるし続けていた。
楽しかったです。
コスプレ系喫茶とか、そういうイベントの時の話じゃなくて、日常生活でゴスロリ系ファッションしてる方の話ね。
俺は仕事で接客やってるんだけど、ゴスロリ系ファッションのひとへの接客に苦労してる。
着物系とか現代アート的ファッションの方は何の苦労もないんだよ。一般ファッションの人たちとほとんど変わらないし、こちらも経験量が多いから、それなりに振舞える。
しかしゴスロリ系の方となると、皆目わからない。団体さんとかを案内してきたが、いずれもなんか、こう、とらえどころがなくて正解がわからないまま煙に巻かれた感じで接客が終了してしまう。
愛想悪いってわけじゃないくて、反応が薄いんだよ。おもてなし業務の中で、例えばお食事は洋食にしますか和食にしますかみたいな質問をするときが必ずあるじゃない。そういう時、反応が「~~……------…」という感じで、ぼんやりとしちゃっていうか、ふわ~っと質問が宙に散るというか。聞き方が悪かったかなとか、和食はないだろ空気読めという圧力なのか、分からないわけだよ。でもゴスロリを身にまとっているとはいえ和食は食べたいときもあるよね?中には和人形的な方もおられるわけで、「やはり洋食でございますね」とか勝手に進めちゃいかんわけで。じゃあ大正浪漫系統は和なのか洋なのかとかさ。
ゴスロリ系と書いたけど、ロリータ系ゴスロリではなく、ゴス系ゴスロリかな。特にわからないのは。配色黒多めというか、そういう感じの。怖い系。
リピートしてくれるゴス系の方もいらっしゃるので、こちらの接客に致命的な問題があったわけではないのかなぁと予想はしてるんだけど、やっぱり質問が宙に舞うわけだよ。「今回もご利用ありがとうございます」と言っていいものなのか。どうなんだろう。読めない。それがゴス系のスタイルなのだろうか。
前回は洋食(たとえの話ね)だったから、やはり今回も洋食?とか、いや、逆に和食か?とか、今回はお人形さんも同伴なので、料理に何か気を付けるべきことはあるか?椅子は増やすべきか?とか、いろいろとこう…知りたいわけだよ。あるいはさっとメモ用紙と羽ペンを差し出すべきなのか。そもそも質問をするなということなのか。
これが着物系とか先生系とかカミサマ系とかヤンキー系とかアゲアゲ系とかお勤めご苦労様でした系なら、割と対応の仕方は経験として持っているんだけど、ゴスロリ系は経験値がない。
仕事の誇りは持ってるつもりなんで、別にゴスロリだから「うひょー、なんか変なのが来た」とかは全く思わないんだけどね。
とにかく、ゴスロリ(特にゴス系)のひとへの対応のしかたというか、空気の読み方を知りたい。NGな行動はあるのかとか。
ゴス系の方が来店されると「やったるで!」という気持ちになるんだけど、その緊張感までもがふわ~っと霧散していく感じなんだよ。
「児童型セックスドール」の存在を認めよという人々がいるけど、
「大きな お人形さん」なら怖くないよ?
日本人形は怖いとかはナシね
https://anond.hatelabo.jp/20200609110339
>https://anond.hatelabo.jp/2020060911042>
>https://anond.hatelabo.jp/2020060911054>
一人も文句言わないとは断言しない
の存在は受け入れられないが
それぞれは文句ない
>https://anond.hatelabo.jp/2020060911115>
「フィギュア萌え族」とかいう差別語が使われていたことはもう忘れられたんだなぁ
馬鹿にするのと
「無くせ」と文句言うのは別だ
何でも馬鹿にする連中と一緒にしないでほしい
そんな単語を知ってるなら、フィギュアには過度に性的要素ありまくりの人形がある事も知ってるはず
過度でなくても
異常にピッタリした服着てるとか
下着丸見え
のフィギュアが、
「無くせ」までは思わない
子供の目に触れない所なら構わない
>https://anond.hatelabo.jp/2020060910593>
ダメな理由がなければ許されるのが当然だろ。お前がダメだと思う理由を言え。
それでいったら合法だから合法ドラッグ使っても大丈夫ってひと昔ふた昔前の話と一緒では?
自由をむやみに制限するのは自分も反対だけど、程度限度があると思う
たまに殺人事件で事件前に猫や犬とか身近な小動物を殺して練習してたとか聞いた事ない?
そういう人が出るのが怖いんだよ
「立証できないなら規制するな」
ではなくて
お医者さんが治療に必要だと判断するなら、医療目的ならまだ納得がいく
でもみんなお医者さんではないよね?
なぜこの芸風が現代にきちんと受け継がれていないのか疑問だ。
モデルによっては、「ナチュラルな表情がたいしてかわいくないから取り澄ました表情に徹している」という消極的な選択もあるのだろう。
また、「表情の豊かさ」に対する誤った解釈から突然変異的に誕生した天木じゅんの百面相も、あれはあれでまあ面白いんだけど、見ていて心が自然と安らぐようなものではない。
なんだろう。2010年代のグラビアDVDはモデルの身体的スペックを重視しすぎと言うか、「個の魅力」をあまり重視していない感じがする。
たしかにお人形さんとして見れば、星名美津紀や奈月セナといった現代のモデルの「完成度」はとても高い。
だがそこには、田代さやかがそのDVDで終始放散しているような人間臭さ、いわばぬくもり、といったものがあるかというと、希薄だと言わざるを得ない。
田代さやかには、「飲み会で酔っ払うとキス魔に変貌するバイト先のちょっとかわいい先輩」みたいな距離の近さ、リアルさがある。
そういう意味で、田代さやかのおっぱいは、気持ちの上では「まかり間違えばうっかり揉めてしまうかもしれないおっぱい」なのである。
星名美津紀や奈月セナ、青山ひかるらのそれは「こんなおっぱいが揉めたらいいなあ、でも一生揉めないんだろうなあ」というあこがれのおっぱいであり、田代さやかの胸とは本質的に立ち位置が異なる。もちろん田代さやかのおっぱいも一生揉めないんだけれども。そして俺はどっちのおっぱいも大好きなんだよ。
少年誌で女がひどい扱い受けてるか〜の増田読んで思ったんだけど、確かにワンピースでも風呂覗き描写あったし、スカートめくりがジャンプの漫画で描写されたことはあったよ。スカートめくりはPTAの問題沙汰になったんじゃなかったっけ?ただそれ何年前よ?ワンピースの風呂覗きは2001年だし、他のモノ扱いの描写も少なくとも五年前くらいのものが殆どでしょ。
エロ描写で常に荒れてるゆらぎ荘だって、自我のないヒロインはいないし、エロ要素は事故かハプニング。にも関わらず、主人公は毎回ちゃんと女の子に謝罪してる。そういう人間性が女の子に慕われてる訳だ。今回の透かしの件は流石にやりすぎな気がするけど、女の子がモノ扱いされる描写がないようちゃんと気を遣われてる。少なくとも、ゆらぎ荘読んで女の子にいたずらしようとか、エロいことしても許されるなって考える少年は余程歪んでない限りいないと思う。
今のジャンプで、自我のない女の子や守られるだけの女の子、モノ扱いされる女の子なんて一人もいないんじゃないだろうか。むしろ鬼滅とか呪術とかアクタージュとかチェーンソーマンとかミタマとか、自我が強い女の子キャラがウケる時代になっている。ジャンプがそう言ったモラル気にしてるのは勿論、一番連載順や打ち切りに関わる読者票で選ばれてるからでしょうよ。現に女の子モノ化みたいな描写の連載とか読み切りが入っても、すぐ軌道修正されるか打ち切られてる。少なくとも今のジャンプで、フェミニストの皆さんが気にしてるような女性のモノ化は起こってない。
はじめに言及した増田も言ってたけど、今のジャンプ読んでないんじゃないだろうか?昔読んだ薄い記憶とTwitterで流れてくる写真だけ見て分かった気になってない?本当に今のジャンプでお人形さんみたいな古典的ヒロインがいると思ってるんだったら名前と感じた描写教えてほしいし、ジャンプほど女の子が生きてる漫画雑誌はないから是非読んでみてほしい。風呂覗きあったワンピースが許さなくても、それ以外に面白い漫画たくさんあるよ。
これを言って、万が一バズったときTwitterでお気持ちいただきました〜とか俺は楽しいけど?とかお前が飽きただけでクソ扱いするなとかあなたのコミュニティが狭すぎるだけじゃない?とか言うやつが沸くので予め断っておくけど、これは徹頭徹尾お気持ちでもなんでもなく、無指向に解き放って誰かの胸に刺さり続ける楔になればいいと思って悪意だけで書く暴言だよ。
かわいいアバター着てかわいい服着せて褒め合うのはまだ分かる。お人形さん遊びの延長みたいなもんだよな。
でも、他人のいるところで明らかにゾーニングの出来てないアバター使ったり、Twitterでおっさん同士でマス書きあった報告とかリアルの女装写真とか上げてるやつは加減考えろ?
別に誰か何しようが勝手だけどそれを見せびらかすのは違うやろ。
ホモのおっさんがホモ界隈でつながって自分のホモ動画共有するのは何とも思わんけどVRChatはホモのためのものじゃないの分かるか?
なーにが新しい時代の関係性だよ。性別を超えた関係?ふざけんな!
男がかわいいアバター使ってるだけでも外から見たら十分おかしいんだよ!
VRChatをホモのおもちゃにしたテメーらは絶対許さねーからな。
最後にこの文章が良識あるホモセクシャルの方に対しての害意がないことだけ付け加えておきたい。私が実生活で知り合ったゲイやバイの方は互いの距離感に大変配慮されていました。そういった方々に対しては尊敬の念しかなく、この文章はあくまでラインが分かっていないインターネットの小学生たちに向けた暴言であることをご了承ください。
昔はお人形さんっぽい絵が多かった印象
なつぞらがようやく終わろうとしている。
一言で言えば本当に東京(アニメーター)編になってからクソのようなドラマだった。
終始一貫して広瀬すずに、にゃーんってポーズを取らせる、猫パンチをさせる、
極め付けは意味不明な殺陣をとらせる、などなどドラマの本筋そっちのけで
終始広瀬すずをお人形さんかのごとく扱っていた、ただそれだけのドラマだった。
なにせこんな感じだから、ドラマの内容なんてあってなきがごとく。
アニメーション黎明期の皆の苦労も、努力も、「女性が働くのは大変だ!」の
ありていなメッセージに置き換えられ、その本質が見えてこない。
アニメーターに対するリスペクトを欠いているとしかいいようがない構成。
極め付けはうっちゃんのお寒いナレーション。LIFEのコントがごとく、寒い笑いで繋いでゆく。
なぜ、ナレーションに神から目線でもっと当時のアニメーションの作られ方とか、
今とどう違うのか?彼らがやろうとしていることがどれだけエポックなことだったのか?を
丁寧に説明させなかったのか?
今作のDiner、見てきました。
いわば『原作厨』の視点でお送りする感想であり、ハッキリと申し上げますがここから下は酷評しかありません。死ぬほど長いので暇な人しか読んではいけない。ネタバレもかなりあります。
私がボンベロだったらこんなオオバカナコは3秒で殺しています。
なんだこの役立たずっぷりは。お人形さんの方がまだ仕事をしてくれる気がしますね。玉城ティナ、個人的に好きでも嫌いでもありませんが今作においては蜷川実花の私情1000%のキャストでしかありません。心中なら2人だけでしてくださいよ、原作も他の俳優も巻き込むな。演技も下手くそ表情のパターンも少ない声の出し方もひ弱という女優自体の資質もさることながら、こんなにも格を落とされた主人公は初めてです。
原作で重要視されているオオバカナコの、極限状況下で研ぎ澄まされていくタフさや狡猾さが映画版からはまったく感じ取れません。最初から最後まで彼女はただの役立たずのバカでしかなく、そんな彼女をダラダラと生かしておくボンベロもその程度の人でしかない、まったく凄みのない人物になってしまいます。
役立たずなうえ数々の失態を犯し人の命まで犠牲にしておきながら、偉そうに「最後まで面倒みろ、バカァ〜!」って、意味がわかりません。は?って感じです。ボンベロ早くそいつを殺せとばかり考えてました。
そもそも逃げ道と死を用意するあのくだりは「死」=スキンを殺したことへの償い、「逃げ道」=菊千代を救ったことへの恩、という相反する条件の中で生まれたものだったはずが、菊千代を救っていないので(なぜならウォッカの隠し場所という前提条件が崩れているからです)、いやなんで裏の社会を知った女に簡単に出て行けとか言うの?目障りだ!なら殺せばいいのでは?と疑問しか湧きません。
原作での菊千代を救う、機転を効かせて危機を回避するなどファインプレーの一切がカットされているため彼女への視聴者からの好感度も上がりませんし成長も感じず、ボンベロがなぜ彼女を認めるのかもわかりません。全体的に動機付けが不十分で薄っぺらいです。
そもそも彼女の命綱となるディーヴァ・ウォッカは「化粧水ほどの小さなボトル」であるからこそ「見つからないように隠す」ことができるのであって、映画版のちょっとした彫像くらいある代物を隠そう!と思いつくことがいささか理解不能でありますし、何よりあんな隠し方がまかり通るなら「灯台下暗し☆」なんかではなく「ボンベロがただのクソ間抜け」ということになります。「彫像じみたボトル」をただ使いたいがために登場人物の知能指数を全体的に下げており、この時点で監督の「映像映え>ストーリー性」であることが見えてしまいます。リスペクトが何もありません。だいたい、どーんと彫像みたいなボトルを使って、すごいやつですよ!っていうのがもう。そういうのは少年ジャンプの武器とかでやってください。巨大な生クリームにしか見えないし。
キャラクターなどの点でダメなのは、よくある「映画オリジナルキャラが良くない」ということなのですが、この「良くなさ」というのは「いてもいなくてもいいのにわざわざ出して、何をしたかったのか?」というところです。
具体的に言うと土屋アンナさん演じるマリアです。原作にはよく似たセクシーなキャラの「炎眉」という殺し屋がいて、ちょっとアレンジ加えた感じなのかな?と思いましたがまったくの別物。ただのヒャッハー系イカレ女で北斗の拳の下っ端でもここまであからさまじゃないだろうという感じです。しかもこいつがマフィアのボス……???そんな器は微塵も感じません。バーサーカーじみた言動しかしないくせにすぐ後ろ取られて死ぬし。マジでなんのために出したの?東西南北の数合わせかな?本当に土屋アンナさんに謝れよと製作陣に言いたくなります。つかなんで炎眉出さないの?
小栗旬さんも斎藤工さんも無駄遣いに次ぐ無駄遣いで最悪でした。代わりに九十九九やボイルなど原作内の他の重要なポストを与えればよかったのになぜそれをしなかったのか。監督の力量が伴わなかったんでしょうね。残念です。
写真の人物が動くのはハリーポッターすぎます。他の演出無かったんですか?歴代ウエイトレスのみなさん、ずいぶん小綺麗ですね。泥と糞の見分けもつかないようなジャンキーとかいなさそう。なんのためにクスリはやってないな?って確認させたんだか(それだって「腕見せろ」だけでよかったよね。一から十まで説明してくれてとーっても親切ですこと)。いらない演出でしたね。
窪田正孝さんは額に入れたママの写真を持ち歩いてること以外はおおむねよかったです。それ、持ち歩きづらくない?ペンダントとかじゃダメ?殺し屋だし荷物増やしたくなくない?ママ自体に関しては漫画版よりこっちの方が合ってる気がしました。木村佳乃、マジで抑圧型の母親が似合いすぎるな……。窪田さんの豹変ぶりとかも鳥肌ものでしたし、彼に関しては文句ないです。
本郷奏多さん、衣装が似合っておらず多少違和感はあったものの演技は怖くてよかったです。本当に無理矢理子供になる全身整形が可能だとしたらああやって変なプロポーションになりそうですし上手い撮り方したなと思いました。口の中に爆弾をぶち込むシーンとかはかなりうまい。あれなら全年齢だけどグロ、という矛盾が解消されて良いですね。視聴者の想像による補完が可能です。
原作のキッドは「なぜこんな怪物が生まれたのか?」という背景ありきだったのですが、映画版は最後までただのキ○ガイだったのでそこがやはり薄っぺらくて残念でした。なんのために頭食わせたんだよ……でも本郷さんの演技は良かったです。
アクションシーンもクソみたいな出来でしたね。「キッチン」という身近な凶器の宝庫という特性が生かしきれず普通に銃撃戦って……。空中では防御が難しいのでプロが2人もいてわざわざ横っ飛びなんてしねえだろって冷めてしまいました。
何重にもなった頑丈な扉で時間稼ぎして、やることがお料理教室って。今やるなよ。何やってんだよ。仕込みのシーンを通して徐々にやることが変わっていくとかそういうやり方、素人でも思いつくのになぜしないの?あの仕込みのシーンなんだったの?
酒で火炎瓶とかガス爆発は誰でも思いつくけどそれ以外の武器いっぱいあんじゃん!レンジでライター爆発させるとかは真似されたら困るからしないのはいいけど、感電させたり潜り戸に包丁突き刺したりとかそういう殺戮ピタゴラスイッチが映像で見たかったんだよ!映像に起こす箇所が全体通して間違いすぎです!本当に原作読みましたか?あっ監督の力量が……(察し)
彫刻家雇ってる暇があったら物理学の教授とか雇ってそういうトリッキーなシーンを充実させてほしかったです。てか菊千代殺すなよ!!!!!
キスシーンは最悪です。最悪としか言いようがありません。男女のバディもの(に近い)を安易な恋愛展開にするのは本当に最悪オブ最悪。胸くそが悪すぎます。陳腐極まりない。恥を知れ。
しかも何よりダメなのはここまででボンベロとカナコの間に生まれる信頼や絆を示唆するシーンが全面カットされているので、余計に唐突な印象です。一瞬、あれかな?お別れの挨拶をキスでする風習の地域から来た人ですか?って思うレベル。
原作の「楽しかったぜ!オオバカナコ」が台無しです。本当に踏み躙られた……
ここまでギリギリ耐え忍んできましたが完全に心を折られました。憎悪がすごい。
ラストもあーはいはいとしか思えなかったです。色気出すんじゃねえよ。あと、カナコさん何も成長しないままお店開いてますよね。あんな壮絶な体験したとは思えないかわいらしいお店で何よりです。インスタ映え〜☆
あとこれみなさん突っ込みませんけど「いらっしゃいませダイナーへようこそ」って謎ですよね。原作では「キャンティーン」って店名があるんですけど、ダイナーそのままじゃ定食屋って意味なので、ファミレスに入って「ファミレスへようこそ」って言われるのと一緒ですよね。変なの。
映画を見ていないのにここまで憎悪の記録を読んでしまったみなさんは、是非最初に映画を見て、そこから原作を読んでいただけるとイメージが壊れたり私のように余計な憎悪を抱かなくて済みます。原作は面白いですし、漫画もオリジナル要素多めですが全体的な「解釈」としては映画より100億倍合っているので映画→漫画→小説の順で鑑賞するのがかなりオススメです。
貧乳だけど乳首消滅してほしい。ブラが嫌いすぎて夕方にはホック外さないと死ねる。ブラトップも着るけど、あれブラトップのくせにアンダー締め付けてくるよね。アンダーのゴムいる?いらないだろ。
ブラしないと垂れるとかいうから渋々つけるけど、もう胸という存在がいらない。動物的な脂肪の塊が気持ち悪い。牛の乳房とかきもいじゃん。同じ。
男も女も平らだったらよかった。
乳首なんておっぱいの賑やかしだと、エルフェンリートだか極黒だかで言ってたけど、賑やかしにすらならねえわ。子供の頃からなんでこんなものついてんだきもいなあと思っていたが、成長するにつれさらに嫌になってきた。男の乳首も汚ねえと萎えるし、存在意義感じない。女の体嫌だし、おっさんの体も嫌だし、陶器でできた美しいお人形さんみたいなものが人間の体だったら良かった。乳首とともに人類滅びろ。