はてなキーワード: お人形さんとは
こういう残酷メルヘン?系の作品を継続的に投稿してれば、普通に固定読者が沢山つくと思う。
可愛い女の子をお菓子のように食べたいという歪んだアレをうまく漫画に昇華してると思った。
最初の、お人形さん的な可愛い雰囲気と、だだっ広い空間の虚無的な不気味さを対比した導入がいい。
こうやって世界観の魅力をちゃんと描いてるの、アマ作品だと出来てない人が多いのですごくいいと思う。信頼できる気がして次の作品も読みたくなる。
主人公も小さいのに、木になってる人を見てさらに小さいって言うところも、不思議な可愛さと残酷さがあって好き。
内容と照らしたときのキャラデザもうまくて、踵まで届くモシャモシャ髪の主人公が庇護欲を掻き立てて、後半が引き立ってる。
メルヘンと残酷ってよくある組み合わせだけど、具体的に何かはわからないけどちゃんと独特の個性が発揮されてると思った。
あと、少女趣味?的な内容なのに、コマ割はカッチリしてて男性っぽいのがちょっと珍しいかも。
反対に、気になったところ。
髪のトーンとか目の形とかフリルリボンドレスとか、漫画的にはキャラが似すぎてて一瞬見分けがつかなくて混乱した。
せっかく絵や雰囲気がいいのに、表情がはっきりしないので、台詞と照らして確認する感じなのもちょっと残念。
台詞自体もこそあど言葉が多くてモッサリ感があって、雰囲気を殺してるかも。
でも台詞で言えば、「わ 大きい」「わ 小さい」のところは何かわからんがすごくよかった。説明がましくならずに、物語の魅力をグッと引き出してるやり取りだと思う。
こういう作品の核の部分で魅力が発揮されてるので、今書いてる気になる点も些細な瑕疵かも。
個人的には、終盤は絵的にはさっきの繰り返しなのでもっとテンポが早い方がよかった。いっそ展開の途中で切っちゃった方が、より不条理感や嫌な感じが強くなったと思う。
ただそこが一番描きたかったところっぽいので、1ページ分くらいコマを削ってテンポを上げるといいかなって感じ。
でも、最初に木からもぎ取られた子は血が出なかったのに、主人公の時には血が出るところとか、ウワッて感じになって上手いと思った。やっぱり作品の芯は外してない。
絵についてだと背景の立体感のなさとか気になるところもあるけど、これは慣れの問題で描き続けるうちに改善されるところだと思う。
あとこういう雰囲気の作品だと背景小物はもっとたくさん見たいかな。
キャラ主体じゃなくて世界観や雰囲気主体のこういう作品だと、ただ適当に残酷にしたり投げやりに作ったりする人多いし。
自分のやりたいことと、それをどう見せれば効果的かをちゃんと理解してる感じ。
このページ数を連発するのはきついと思うので、2、3ページの小品でもいいから描いて欲しい。
次の作品もがんばえー
だってあなたのそのおっさんずラブに感動する視線に当事者性はないですよね?
自分自身がそこに当事者として入る余地がないのを分かってて、自分の欲求を代わりに満たしてくれる男同士のカップリングを具現化して良かった良かったと感動してるということは、悲しい映画で泣ける泣けるとよろこんでる図式そのもので、それを消費と言うんです。
ペニスの生えたぬいぐるみでしたっけ、そういう表現がありましたが、いわゆる腐女子がBLで性的消費すること自体がペニスの生えたぬいぐるみを使ってお人形さんごっこしてることと同じなのではないでしょうか?
そこにあるのは生身の男性ではない。適当なセリフを狂言回しのようにあなた達腐女子が代わりに言いながら、ぬいぐるみのペニスを出したり入れたり操作して喜んでるのと同じことです。
そこには現実のゲイの男性やアセクシャルの人間の生の声はありません。
腐女子にとって適度に泣ける、感じれる都合の良い物語があるだけなのです。
今回のおっさんずラブも全く同じことが言えるのではないでしょうか?
そこを批判しているのに、一部学者までが今回のドラマやBLがセクシャルマイノリティの理解に貢献したなどといった寝言をいっているのは悪い冗談でしかありません。
おっさんずラブもBLも腐女子のペニス付きぬいぐるみのお人形さんごっこのように都合よく作られた妄想でしかなく、むしろセクシャルマイノリティはシスジェンダー女子の妄想の消費のために利用されているのです。
現に今秋から突然BLアニメの深夜枠が増えたり、ブロマンス寄り、ゲイの恋愛ドラマが増えました。これはおそらくゲイの側からの需要というよりは、それを外から眺めて消費したい腐女子側の需要と供給だと思います。
どうして腐女子の皆さんは自分の好きを健全なもののように考えたいのでしょう?
あなた方がおっさんずラブを愛で、BLを愛でるのは自分の性的欲求を消費するためだと、多少なりとも恥ずかしい趣味だと認めればいいだけではないでしょうか?
そこに変な正義や善を構築しようとするからこれは真のゲイライフとは程遠いと批判もされるのであって、「妄想で何が悪い?」と開き直れば良いだけのように思います。
元増田さんとあなたは、想像レベルじゃないほど、立ち位置が違う気がしますよ。
セフレに赤ちゃんという発想、頭大丈夫?将来について何も考えてなさそうで、ただ独善的な幼稚さ。
元増田に思わせたくて言葉足らずにわざと書いているのだったら、成りすましかな。
呆れました。
元増田可愛そう。
私は女なので愛情なしでの深い仲は考えられない古風なタイプなんだけど、ココロより肉欲優先の仲で4年て、凄いじゃないですか。背徳感が燃料だったにしろ、よっぽどエロい方々なんでしょうね。
元増田のセフレさんの気持ちもわからないけど、元増田のセフレ依存も深刻そう。
好きなら好きと告げれば、変えられた仲なら、間に合うのかなって、なんとなくかんじたのですが。
そーですねー(またお人形さん、遊びかな)
女子高生時代、オーストラリアへホームステイに行った。2、3日程度だったと思う。
ホームステイは出席番号順。運よく仲の良い友達と一緒に行くことになった。
2人でペアになり、ホームステイ先の紙を渡されて、何をプレゼントするか等を話し合う時間が設けられた。
え?弁護士!?色々美味しいもの食べさせてもらえるかも!ひゃっほー!!!
扇子やドラゴンボールのオモチャ(海外では結構人気らしい)、折り紙を持って行くことに決めた。
空港にて。
何をするのかも全然分からない状況で、とりあえず美女の前に立った。
そうするとニコリと笑ってサムズアップ。GOODサインをしてきた。
美女は何も話さず、にこりと笑って親指を立てるのみ。私も同じように笑顔で親指を立てた。
鬼のような形相になったと思ったら、親指をカウンターに押し付けるジェスチャーをしてきた。
――あ、指紋認証??
英語で話してくれれば何となく理解できるのに、何故無言だったのか。
オーストラリアについて、ホームステイ先に行くと 夫婦の他に溺愛していると思われる愛娘が居た。
面倒になってきたので淡々と書くと、
翌日、「弁護士の仕事に行くから車に乗れ」と言われて車に乗り込み、そのあと訪問先の広いお庭(森)で待たされること3時間。何もなし。
友達と「あ、お馬さんだー、ぱっかぱっかー」「あの鳥、ぴーーーぎょぇえ、ぴーーーぎょえぇって鳴いてる!うあははは!」
「ねぇねぇ、ここ木で穴掘ってみようよ。うへへへへ」と、とち狂った。その動画は今でも手元に残っている。
晩御飯はピザだった。オーストラリアに来てピザ! 正直、ピザー○の方が美味しいなと思ってしまった。
おっさんと話していると「前に来てくれたミキちゃん(?)は英語上手かったのになぁ」と嫌味を言われた。
その翌日、また「弁護士の仕事に行くから車に乗れ」と言われて車に乗り込むと、ショッキングピンクの建物に詰め込まれた。
2時間待たされた時に痺れを切らし、友達と外に出かけてホットドッグを食べた。美味しかった。
弁護士の仕事が終わったから迎えに来たあと、「お昼ご飯はコレだ」とチョコバーを渡された。
帰り際に何故かケーキを奢ってもらい、家に帰ると「晩御飯食えないだろ?ステーキ食うか?」と言われ
二人して「ステーキ!?食べる!!ください!」って言ったら笑われた。
ステーキ食うかって言ったのはオーストラリアジョークだったのだろう。許さん。
http://www.afpbb.com/articles/amp/3135749
この記事を見て思った。
子持ちの父親が産後のセックスレスが寂しくてラブドールを内緒で買って家に持ち込んでベッドを共にするとか、娘がお人形さんだーと喜ぶのもおぞましいけど、ラブドールにセクシーな服を着せて車いすにのせてデートって、絶対近所からキチガイ父親と認識されて子供がいじめられるやんこんなん。実際恥ずかしがってるし。
成長した娘がラブドールのお下がりの服を着る事もあるとか恐すぎやん新しいのを買ってやれよ。
あげくに本人の言葉がきつい
「最近の日本の女性は、ちょっと冷たい部分も増えてきている。心が汚いというのか、人に対して冷たい」と、彼はまゆとの海岸デートを楽しみながら語った。
「女性がわがままというのもある。男性は疲れて帰ってきて、やっぱり話を聞いてほしいだろうし。愚痴も怒らずに聞いてもらいたい」
冷たいとか心が汚いとかわがままとか、リアルなラブドールを家にもちこんで家族に被害を出す状況を自分が寂しいからって理由だけでやらかした人がよく言えるなぁと驚いてしまった。
この人は圧倒的に家族より自分が可愛い冷たくてわがままな人やん、普通の嫁さんならリアルなラブドールと同居って堪えがたい苦痛だけどガン無視で内緒で買ってる、実際嫁さんは苦しんでいるようだ。
それが相手にだけ一方的に求めて責めて自分を一切省みないで、人形の女しか無理なのは解る、感情のある人間と付き合いできる人ではない。
他の人達も、何も与えなくても自分に甘い女を求めた結果ラブドールみたいだけど、何でこんなに自分に甘くエゴ全開で女に人形レベルの人間性の無さを求めるのだろう、今はもうラブドールとセックスしてない頭の中の理性的なつながりの方が大きいとか言ってる人もさ人形と頭の中のつながりはできんから落ち着けと、この父親を持ってこの家庭で育つ人の事を考えたら地獄みたいな話で怖い。
今まで言いたくなかったから言わずにいましたが、周囲の状況があまりにも見ていられない、そして限界を感じてきたので、Lionheartの感想を今更ですが書くことにしました。
先に言っておきますが、ディスっていいのはディスられる覚悟があるやつだけだと思います。
毎日のように、屑に対して献身的な泉を「かわいそう、尊い」する為の道具として、ひたすら罵声を浴びせられている、屑で最低な人間として表現されているレオを見て限界に感じました。
(※追記)ディスってるっていうのは、レオがどういう人間か分からないからといって根拠なく、壊れてて頭おかしい、ひどい、無責任、勝手って言われてるやつです。ゲスな性格にかかれたりするのもよく見ます。どこをどう読んだらそうなるのか分かりません。
苦手なものは見なければいいと思い、引きこもっていましたが、次第にどこからでも入ってくるようになり、そんなレオが共通認識のようになってしまっているのだと悲しくなりました。
今まで感想を書かなかったのは、どうしても泉に対して厳しい意見になるからでした。でも、現状のレオの認識は、あんまりだと思います。
Lionhrartを読んだ最初の感想は、泉いい子だな~、泣ける~という普通の感想だったんですけど、でも読んでいて違和感があったので読み返しました。
3度読んだ私の感想は、
「この話一ミリも尊くない」
最初は文章をそのまま読んだんですが、3周目はレオの描写にも注目して読みました。
その結果、「ものすごくどっちもどっちな話だな」と思いました。どっちも自分は寂しいわかって!と言って、相手の気持ちとか考えている余裕がないように感じます。若いから当然のことなんですけど。
「レオが何を考えているのか分からない」という意見もよく見ます。確かに、レオ本人は何も言っていません。でも描写から、ある程度は読み取れると私は思います。
レオは音楽の話をしているのを「どうでもいい」と返された時、寂しそうな顔をしていました。そして、そういう言葉はよくないとも言っています。
寂しそうな顔をした理由は、レオにとって好きなことの話を「どうでもいい」と言われてしまったからかな、と思います。まぁ興味ない話をだらだら続けられても困る泉の気持ちも分かりますけど(笑)
あと曲を送っていることに対しても、レオは泉が大好きだな!?と思いました。
「アイネクライネ・ナハトムジーク」「一つの小さな夜曲」、そして「夜曲」に「セレナーデ」ってわざわざルピついてるんですよね。「セレナーデは恋人や女性を讃える楽曲」とあるので、レオなりの好意を伝えたかったんだなと思います。泉には伝わっていないようですけど。
少なくとも、レオは何も考えていない訳ではないし、泉ばかりがレオを好きだという訳ではないと思います。(恋愛的な意味に限定しません)
・モーツァルトが嫌いだというシーン
レオは少し分かりにくいけど、あれでいて結構SOS出しているように見えるんです。それが全然伝わっていないんですよね。こういう所は、レオはコミュ障だなと思います。よく言語は不自由だと言うのは、本当にそのままの意味なんですよね。
家にいない方がいいとか、モーツァルトが羨ましいとか言った時のレオの気持ち考えてみると、きついものがあるなと思います。それを、泉には聞き返してもらえなかったんですよね。聞いてほしいな、チラッて感じじゃダメなのは当たり前なんですけどね。
モーツァルトが羨ましい理由ってなんだろうって考えてみたのですが、レオは天才だけど一般家庭に生まれたんですよね。それを泉は「変人が生まれたにしてはふつうだ」って言ってるけど。二人の認識はここでも違ってきているなって思います。
モーツァルトは裕福で音楽家の家庭に生まれて、音楽を作る環境には恵まれてたんですよね。親は早くに亡くなったけど。でもその環境に対して羨ましいって言ってるのかな、と思いました。
まぁこの辺りは推測にすぎませんが。
・レオの家を訪ねる泉のシーン
家に足繁く通っていた泉だったけど、レオが不登校になってからは行っていなかったみたいですよね。Lionheartが最後だったように読めました。理由がいる子なのか、レオへの興味が薄れたのかは分かりませんが、でも行かなかったんですよね。多分、友達だったのに。スカウトガンマンで泉は友達じゃないと言ってるので、友達と思わせるに足る関係をレオが築けなかったのだと思います。
でも落ち込んでる時に一番励ましてほしい相手は、やっぱり一緒に頑張ってきた仲間ではないかなと思うんです。
泉が家に来た時、レオはるかが呼びかけても部屋から出てこなかったのに、泉が来たと知って出てきているんですよね。泉に対して期待したんだなと。まぁこれも勝手な話ではありますけど。
一方、泉はというと、逃げた!裏切られた!自分の考えてたレオのイメージとはかけ離れてる!幻滅した!て怒ってるんですよね。るかが助けてって言っているシーンを見ても、るかを泣かせたことに対してより、泣かせるようなレベルの人間であることに対して幻滅して怒っているから、うーんってなります。
・レオに対しての泉の反応のシーン
ぼさぼさ髮の、無力な生き物みたいなレオを見て、言いたいことも言わずに勝手に終わったんだって思っているのを見ると、なんで何も言わないんだろう、捻くれてかっこつけてる場合か!!って思っちゃうんですよね。
泉がそういう性格だから仕方ないと思うし、レオもそれは分かっていただろうに期待してしまったから、どっちもどっちなんですけど。
でも結局、レオが勝手に期待した応えは返ってこなかったんですよね。「ご飯くらい、ちゃんと食べなよ」だけで。レオは泉に、「戻って来なよ」って言って欲しかったのかなと思います。推測ですが。
このことをきっかけに、レオは家から外に出たのかな?と思いました。もう完全に一人になってしまったと感じたから。
家にいない方がいいってことは本人は居場所がないと思ってるってことだろうし、不登校になるってことは学校にも居場所がなくなったんだろうし、本当に一人になって自分がしてきた行いに絶望したのかもしれない。
でもこれが良くも悪くも、今のレオへ変わる転機だったのかもな、と思いました。今のレオは他人に何も求めていないので、レオは変わったんだなと思います。自分一人でそう成長して、戻って来たんです。
・海でたそがれている泉のシーン
泉はと言うと、たそがれて過去を振り返っているけど、この時レオは何も解決してないんですけどね、と思ってました。
泉は真に対しての言動等も考えると、綺麗なものとかお人形とか変化のないものが好きなんでしょうね。かつてのレオとの綺麗な思い出に浸ったりってすごい泉っぽい。相変わらず過去に生きてるなと思います。確かに、たぶん泉の求めてたKnightsの最終形態はもう壊れてしまったから、同じ形は望めないんだろうと思います。
ところで悪行って監禁のことなんですかね?どっちかというとあれって、Knightsっていうより自分の為かなって思うんですけど…うーん…。でも一応、Knightsに真を入れようとしていて、真の実力も認めているから確実な戦力になるだろうと確信をしていて、そこ為にどんな手を使おうが…?ということなのかなぁ。
この辺は本人が何も言ってないからわからないのですが、私はこういうことかな?と思いました。
だいたいこんな感じです。
泉を悪く言う形になってしまいましたが、泉がひたすらに被害者だと周りから言われてかわいそうがられていることに対しての方が、ずっとかわいそうだと感じます。
ここまで読んで頂いて、ありがとうございました。
・まず、レオのことを「壊れた」って言っているのは泉とレオだけなんですよね。そして泉とレオの言う「壊れた」はまた違う意味だとも思っています。
泉の言う「壊れた」って、宗みたいな精神崩壊じゃなくて、怪盗ストーリーの会話等からも、綺麗なものが汚くなったとか、人間らしくなったものに対して使っている印象を受けます。Lionhrartでレオを見た時の反応がまさしくそれだと思うんだけど、泉が抱いていた理想と違ってしまったっていうのが大きいのかなと。
一方、レオが自分で言う「壊れた」というのは、レオ自身ではなくKnightsのことだと思うんですよね。内部分裂しかけて解散寸前と言ってるので。レオはKnightsを、英智はfineというユニットを自分の武器、玩具と称して戦っていたんじゃないかなと思います。レオにとっては、その自分の作ったKnightsが壊れてしまった。
「前はあんなにいけすかないやつじゃなかった」みたいなことを泉は言っていますが、「うっちゅ~!」って言っているのいけすかないって変だなとは思っていたんですよね。Lionheartのレオは、性格はそんなに変わっているように見えませんし。でも、そっちじゃなくてどこか悟って大人になってしまっている感じの方かって考えると、しっくりくる気がします。
・そもそも、泉がそういう価値観を抱くようになった原因ってやっぱり親かな?とスターマインで思いました。
過保護って言ってるけど、翌日ライブって日まで海外旅行っておかしいなって思います。家族旅行とはいえ、息子が頑張っていることよりも優先させることだとは思えないんですよね。泉もプロとしての自覚は持っている訳ですし、普通の親なら息子にそんな負担になるような真似はさせないと思います。それなのに、泉も言うこと聞いちゃうんだ?って不思議な気持ちになりました。
真に対する愛情の注ぎ方や、自分の理想が変わってしまったことに対して壊れたって思うのも、そういう接し方を親が泉にしていることが原因かなと感じました。親のお人形さんとして、逆らわないことを強要されて生きてきたんだなって。そっちの方が本人も気付いてないだけに、私はつらいと思います。
・それと、レオはKnightsのメンバーを子どもと言って、結構全員のことをしっかり把握してるんだけど、他のメンバーは利害関係で繋がっていると言ってるんですよね。その辺もまた認識がずれてるんだなって思います。これも、そういう信頼関係みたいなのをレオは築けなかったんだなと思いました。
Lionheartを読んでいて、レオは伝達するための言語に弱いなって思っていたんですけど、完全にそれが仇となっていそう。しかもレオって、各々の良いところを見つけて個性を伸ばす方針だったみたいなので、それも良くない方向で取られてそう。
今のレオは外に出て成長した分、わりと周りと話せる子だからいいんですけど、Lionheartの感じだと当時は今より難しそうだなという印象です。レオもコミュ力は最低限つけておくべきだったかもしれませんね。
過労死ラインで働くオッサンたちの幻覚を映像化、という触れ込みで始まったこのアニメ。
主に社畜、ワープア、意識低い系、外国人実習生に好評だったようです。2期(絶対殺れよ)が待ちきれません。
妄想世界の美少女を愛でることで明日への就労意欲を養うコンセプト。一億総活躍社会を目指すアベ政権はきっと政治利用してくれるでしょう。2期は血税で製作してください。
まぁ、他のアニメも『美少女キャラのお人形さんごっこ(by パヤオ)』という意味では妄想なんですけどね。
で、晴れてNEW GAME!難民になったわけですが、どうすんだよオイ!
それにゲーム開発現場で殉職しそうな(した)オッサンたちはどうすれば良いのですか?
小一時間(すいません嘘です。一秒です)考えたんですけど、NEW GAME!亜種とでも呼ぶべきSHIROBAKOを観ることくらいしか対応策は思いつきません。
『えまたそ〜』とか言いながらドーナツを食べるのです、2期が始まるまで、半年くらい?
……鬱病になるわ。
俺はゲームをプレイするときに、操作キャラクターと自分を同一視“しない”。
なぜなら、そのように感じられないからだ。
これは一人称のゲームであっても同様で、FPSはそれなりに遊んでいるが、そういう種類の没入感を得られたことは一度もない。
スペースバーを押すだけでおかしな跳び方をし、左クリックをするだけで銃を撃つ、そういう存在を自分と同一視するのは難しい。
人型のロボットを操縦し、その機能を駆使し、そのカメラを通して異世界を見る、そういう風に感じられる。
感受性が低いのかもしれないが、『Papers, Please』にはすごく没入できたので、無感動というわけでもないと思う。
前置きが長くなった、FPSの話をしたいわけじゃない。
さて、ではそのようなプレイヤーにとって、ネットゲームの操作キャラクターとは何か。
したがって、それは必然的に、かわいい女の子とか、セクシーな女性とか、フェティッシュな幼女とかになる。
部屋に飾るならどういうお人形さんを飾るかという話だ。
だが、少なくとも俺は、ホットトイズのジョーカーを買うくらいなら、その金でプレミアのついたエリーンちゃんを買う。
ゆるふわ日常系マンガで見たいのは女の子同士のキャッキャウフフであって、野郎のツラではない。
そういう価値観でもって、お人形さんたる操作キャラクターを選び、キャラメイクをする。
したがって、それは必然的に、かわいい女の子とか、セクシーな女性とか、フェティッシュな幼女とかになる。
そのようなキャラクターがプレイヤーから託されるものは、「カッコいい俺を見てくれ」ではない。
そのようなプレイヤーがゲーム中で優れたプレイングを行った際に感じることは「俺って上手いでしょ」ではない。
まあそう思う部分もあるが、主としては「こんな可愛くてかつカッコいいキャラを持っていて鼻が高い」である。
つまり、我々はどちらかと言うと、キャラクターとコミュニケートする他者の側から自分のキャラを評価している。
そしてその観点から、ある種の所有欲に基づいた満足感を得、それをゲームプレイ上の楽しみのひとつとしているのだ。
言うなれば、そのキャラクターが完全に自律して勝手に動き、喋り、活躍し、所有欲を満たしてくれるのが理想なのである。
もちろんゲームである以上、プレイヤーとしてのプレイングの楽しみは、それとは別にあるのだが。
なにそれキモ……と思われるかもしれないが、それを言ったらキャラクターに自己投影してカッコつけるのだって相当だ。
それではと「たかがゲームに」などと醒めてみても「薄っぺらい人間だな」というカウンターを食らうのが目に見えている。
こんなのは単なる価値観の違いでしかないので、不毛な泥の投げ合いはやめようではないか。
さて、ここまではいい。
ここまでは単なる平和な平和なインナーヴァースの話であり、犬派か猫派かといった程度の問題でしかない。
ネットゲームでは、操作キャラクターを介して他者とコミュニケーションを取らねばならない。
ここでお人形さん派は、大きな壁に直面することになる。
お人形さんごっこをしたいわけでもない。
それを所有することで満足感を得たいだけだ。
であるので、他者とのコミュニケーションにおいては、たとえそれがキャラクターを介してであろうとも、基本的には“地”でいきたい。
しかしながら、一方でそのキャラクターは、かわいいかわいいマイお人形さんでもあるのだ。
だから、狐耳を生やしたつぶらな瞳の幼女が「俺さぁ」とか言うのは、耐えられない。
そういう他人のキャラクター見ると、キャラクターとプレイヤーの双方に対して「雑だな」と感じる。
我々は自分と同様、他人のキャラクターもお人形さんであると見做しているからだ。
中におっさんが入っているのはもちろん知っているが、それでも美意識の問題で、それはなんか許されない感じがある。
そして先に述べた通り、我々はそのような他者の側から自分のキャラクターを評価している。
よって、自分のお人形さんの愛らしさを損ない、所有欲を傷つけてしまうような真似は避けたい。
結果として、最低限そのキャラクターの口から発せられてもおかしくない、という方向性を、我々は志向する。
プレイヤーとしての“素”と、キャラクターの口調としての妥当性。
この両者が衝突した結果、何が生まれるか。
一人称は「私」で、極めて抑制的で、丁寧な話し方をする、あれである。
我々は女性を演じたいわけではないし、なりきりをして遊びたいわけでもない。
そこで、喋らせているのはプレイヤーだが喋っているのはキャラクター、という体を成すため。
そしてまた、お前おっさんだろと突っ込まれても、おっさんが丁寧口調で喋ってるだけですしおすしと避ける逃げ道を作るため。
我々は女性を演じたいわけではないし、なりきりをして遊びたいわけでもない。
やばい。これは本当に泣ける。
蹲り地面ばかりを見ている視野は自身の影ばかり見つめ遥かな理想はもう空想の域を超えた願望と化して墜落し勝手に絶望している様が、話しかけてくる人物が男性であることと無骨な語り口調で伺える。
事情を飲み込んだ男性の説明が自身の立場および経験談から協調同和にて語るのもその人物の背景説明につながる導線となる先に悲しみが予想され切なさを誘う。
人が生命として活動する基本を関係的同意にしようと要望する下りから世界が急転する。
女の子が自分の影の中の世界ばかりみて勝手に絶望し触れもしない外界に絶望していたのが、こんどは勝手に他人の容姿に絶望し始める。
女の子自身の生きている意味は何なのか、目的は何なのか、女の子という存在はその存在たらしめる世界において何なのかという問い、存在自体への回答をすべて投げ捨てて意味のないものとする瞬間。
否定文を作成するたびに存在の意味や理由が失われていくその様。
完全に自殺していた、という状況。
他人にさそわれて、他人の主導で選択肢を作成し誘導されるままについていくことが自殺の回避になるという幻想を打ち砕くもの。
人が人の姿でありあるがままを問うたら、発生した初めての選択。
女の子は断るという選択肢を得て、自分の足で自分の選択肢をもつことができたという段階への移行。
本当に世の美を救い成り立たせ希望をもたせているのは世にある不細工であるということ、目に映る像とは影があるからこそ認識できるということ、夜のない世界は地獄だということ。
光と影が表裏一体などという単語は知りえていてもそれを理と理解するにはほど遠い難解なたとえをさらりと体現する。
そして全体として、視野狭窄にあった自意識過剰な女の子は、世界を見て世界を知り世界にむかって自己の存在を選択するということで立証していくことになる。
けれども、それは自分は着せ替え人形のお人形さんのようなものでヒロインプリンセスになるだろうという幻惑に囚われたまま、世界の存在と認識が乖離していくがままとなる様子もうかがえる。
世界の美であるもの、かわいくあるものは理想郷へと不細工により追い立てられ、他人に指図されるしか選択肢を持ち合わせていないものほど自分の意思があると強調し反発をするという比喩がたったこれだけの中に凝縮されている。
そういうことじゃねえだろアホ
理系の知識があるとか文系の知識があるとかそういう話じゃねえよ。
それによって人格が左右されると思うのは誤りだって俺はいいたいんだよ。
そいつの一体何に惹かれたんだって話だ。理系的発想か?論理的思考か?研究所か?ステータスか?
違うだろ。少なくとも俺は妻に対してそういう風に接したりはしない。
大学出た後も文か理かの型組のなかにはめ込んでから考えるなんて、彼女に向き合っているようには思えない。ただ、自分にとって理解しやすいひとつの「テンプレート」として接しているだけ。
彼女の全てが好きなのではなく、彼女の中で理解しやすい理系だとかそういった「テンプレート」のみを愛している。
ほんとに好きなら、理系として考えるんじゃなくて、ひとりの女として考えろよ。