はてなキーワード: いでとは
そうやって短レスの人格攻撃に走るのって、反論できなくなった証拠ですよね。
まぁ実際のところ、俺も実務では大人の事情(笑)で妥協することは沢山ありますが、
ましてこんな匿名の場でまで必死に「大人の事情」を正当化しようとするのは
日本企業の一般的な人材採用プロセスなんてものは、現実に上手く言っていないことが
明白なわけで、それらを思考停止して正当化するというのは、解決する気が無いという
ことだと俺は思います。
ところで名誉毀損罪のような抽象的な要件の場合、充足不充足の判断の相場ってあるんでしょうか?
ある程度判例が集積しているんでしょうか?
http://d.hatena.ne.jp/tsumiyama/20110307/p1
子供の殺人事件が減っているのは事実で、厳密には人口当たりとか色んな尺度で見ないといけないけど、「悲惨な事件が増えている」というマスコミ等の情報はデマに近い印象が強いのでちょっとうんざりだが、こいつの主張はちょっと待て。
明らかに、1980年代などと比べても、いまどきの方が子供への監視は厳しくなって、保護者は目を離すな、が徹底している。
※例外とか地方差とかそういうのはあるが、日本全体でいえば明らかに厳しくなった。
昔なら子供だけで遊ばせていたのに保護者がつくようになったり、子供がほんのご近所の友達のうちに行くのにも保護者が同伴したり、子供だけで自宅で留守番させたり、ちゃんとしたデータを見たことがあって言うわけではないが、絶対に増えている。
※子供、とひとくくりにしたが当然年齢・学年によってさまざまだが、子供と呼ばれる範囲ならどの年齢でも多かれ少なかれ上記傾向があるのはかなり自信を持って言える。
さて、「子供の殺人事件」の発生率と、上記のような「子供の監視強化」の関係をまともに論証した研究は存在するのだろうか?いや、きっと探せばまったくないことはないだろうが、
「監視が今のように厳しくなかったらもっと犯罪が増えていた可能性」はないのか?
その可能性を理解しないで「子供から目を放しても大丈夫」と言ってしまうのは無神経ではなかろうか。
しかしながら、一方で、上記のような子供の監視強化は、明らかに保護者の負担を増やしている。(場合によっては保護者以外も)。少子化の原因はいろいろあるが、子育ての大変さも要因の一つではある。特に共働きと子供の監視の両立の負担の大きさはいろいろ言われるが、その要因の一つになってやしないだろうかという不安はある(唯一の原因ではないし、どれほど主要な要因かは資料を知らないが、要素の一つにはなるとは断言できる)。
「子供の保護」にかかっているさまざまなコストに対して、今の社会の傾向がそれにはたして見合っているのかどうか、ちゃんと検証されているのだろうか。
※昔に比べて子育てしやすくなった要素もあるのだが、その有無は今の文脈では結論に影響しない
実際問題、「子供保護社会」が「どれほど子供を救うのか」について、「じゃあどうすべきかなんて簡単じゃん」と言えるほどに明確な因果関係が研究で立証されることはたぶんない(殺人事件数の増減だけを例にとっても、それにはあまりに多くの要因が絡んでいて、風が吹けばおけ屋がもうかるとかバタフライ効果みたいな例を持ち出すまでもなく、これに限界があるのはどうしても仕方がない)。しかし、「子供の監視強化」が正しいのか間違っているのかについて、科学的根拠もなく印象論で向かっていく世間の情勢には大いに疑問を感じざるを得ない。
みんな、正気になってくれ。
http://twitter.com/hga02104/status/45221664803393537
I returned from Libya naw ! I alive!
nawってw
っていうか、え?リビア入りして一日で帰ってきたの?いろいろおかしくないですか?
これでどんだけ本が売れるんですか?
あまり情に訴えたりヒューマニズム云々な言い方はしたくないんだが、命がけで現地で活動してるジャーナリストや、なによりリビアの民衆を思うと、こんなビジネスがなりたってることにさすがに不快感覚える。
はぁ。今日もまた奴が帰ってきた。今日は一体どんな要求をしてくるのやら。
「し、し、し、しずかちゃんがもう初体験を済ましたんだって!」
「!?」
「ガールズトークを立ち聞きしてたらそう言ってたんだ!どどどどうしよう!しずかちゃんは僕のお嫁さんになるはずなのに~~~」
――今回はわりと重い話だ。中学に入ってからというもの、彼はもっぱら自身の変態性欲を満たすことに夢中になっていた。石ころ帽子やガリバートンネル。秘密道具にかかれば覗きオナニーなんてわけもない。またてっきりそんな話かと……。
「あのクソビッチが!清純そうに見えて僕を裏切りやがった!あの女は糞だ!復讐してやる!ファック!くそsdbjkzbczxkzんんsdふぁz!むしろあんなビッチこちらから願い下げだよ!」
「落ち着きなよ。君の今の姿を見てごらん。性欲にまみれ変態オナニーに明け暮れる君なんかを好きになってくれる女の子がいると思うのかい。君はしずちゃんの性を悪く言うけれど、しずちゃんを毎日毎日脳内で穢していたのは君じゃないか。裏切りっていうけど、君はしずちゃん以外の女の子やアイドルでオナニーしていたじゃないか。もし誰かがセックスさせてくれるならば喜んで襲いかかったろうに。君の貞操が守られているのは君がもてないからでしょ。もしセックスが可能ならば誰よりも淫乱なのは君じゃないか。しずちゃんは君と違って今もまじめないい子だよ。彼女は真面目な恋愛の果てに肉体関係を結んだんだ。彼女が処女であってもなくても、君が好きならいいじゃないか。そんなことでしずちゃんを悪く言うなんて、その程度の思いでしかなかったってことだろ」
さて、タイトルで「議院内閣制」「二院制」「二大政党」と並べられていますが、これはそれぞれ制度として次元が違う話です。また「この3つの制度を組み合わせて使った方が良い」とかいう根拠は政治学的には特段存在しません。例えば、「強い大統領制-二院制-二大政党」のアメリカ、「議院内閣制-一院制-二大政党」の現在のスウェーデン、「議院内閣制-二院制-多党連立」のイタリア、といったように各制度とも、様々に他の制度との組み合わせが存在します。もちろん英国のように「議院内閣制-二院制-二大政党制」でやっている国もありますが、これが特別にメジャーな組み合わせというわけではありません。
そしてこの3つの次元の違う制度の中でも、「二大政党」は他の2つとレイヤの隔たりが大きいです。「議院内閣制&二院制」と違って「二大政党」は時に「二大政党制」などという風に「制度」として扱われますが、厳密に解釈すれば「制度」として(すなわち法的な根拠を以て)「二大政党であるべき」と定められているものではないからです。「二大政党」というのは「結果としてそうなってる」という状態を指していっているものですので、本来的には制度ではありません。それでも「二大政党制」という言い方が(政治学においても)許容されるのは、二大政党の国の大半は、小選挙区制度等で「二大政党になるよう誘導している」実態があるからです。直接的には「二大政党制度」という法的規定が無くとも「立法精神において二大政党を期待・想定している」と言えることが多い、という程度の根拠なのです。
日本の政治制度も、もちろんこの区別の原則から外れるものではありません。「議院内閣制&二院制」は「日本国憲法」という最高法規で規定されている制度of制度な代物ですが、自民、民主の「二大政党制」になったのは、あくまで「選挙制度(及び政党助成金等の法規定)を大政党に有利な制度としたこと」「大政党有利な選挙制度をひっくり返す程の大きな民意の動きはなかったこと」の結果でしかありません。
長々と前置きしましたが、「議院内閣制」「二院制」といったレベルの狭義の『制度』と、「二大政党」のような実際的な『政党のありよう』は、政治制度論的には全く別レベルの話だ、ということです。
以下、本題。
●他の国のように二大政党制に~
良く聞く言説ですが、これは「間違い」に近い話です。日本では米英の政治が有名なため、あたかも二大政党制が欧米の標準的な制度のような印象がありますが、政党結社の自由が保障されてる国に限っても、二大政党になっている国はむしろ少数派です。しかもその過半を英連邦またはその流れを引く国家で占めています。二大政党は「民主主義国の標準的な制度」ではなく「アングロサクソン系国家での標準的な制度」です。
更に言えば大国で単独政権が普通な国は英米と昭和日本、サイズを広げてギリシャくらいで、二大政党制の国でも連立政権の方が普通です。英米の政党のあり方はかなり特殊で、英米それぞれに、特有の固有事情によって成立している面が大きいのです。
●一党優位用の仕組みを二大政党時代に利用しているのが問題だと~
日本の政治制度は、憲法で規定されているような大枠の部分では、別に一党優位を想定した仕組みではありません。日本の政治制度を大枠で分類すると、「立憲君主国-議院内閣制-(民選第二院型の)二院制」と言うことになりますが、これは結社の自由が保障されている民主主義国家では比較的ありふれた組み合わせです。天皇制を維持することを前提とした上では最も無難な標準パターンと言えるでしょう。このありふれたタイプの政治制度の国での政党のありようは、分極多党制、穏健多党制、二大政党制、一党優位制(例は戦後日本とマレーシアぐらいしか思いつきませんが)など様々です。従って、この「大枠」の部分について「一党優位用の仕組みである」とするのは無理があるでしょう。
そもそも日本国憲法には「一党優位」どころか「政党」に関する規定そのものがありません。日本には戦前から政党政治の伝統があったにも関わらず「国会運用の主体は別に政党である必要はないよ」というのが日本国憲法の立場なのです。
●何かシステム的に抜けているところがあるのでしょうか。
「大枠」が特に関係無いならば「細部」で抜けている可能性が高いでしょう。二大政党制が定着している米英の日本との違いを挙げてみます。
強い大統領制(首相がいない)を採っていて、議会と大統領が別個に選ばれるアメリカでは「大統領-議会」及び「上院-下院」のねじれが日常茶飯事です。どちらでもねじれが生じていなかった期間の方が短いくらいのはずです。それでもアメリカの政治が何とかなっているのは(実は「レームダック現象」のように結構止まってるのですが)、「大統領権限の強さ」及び「習慣的に党議拘束が無い」ことが挙げられます。実は日本の首相も法制度上は非常に権限は強いので(後述)、違いとして大きいのは「習慣」でしかない党議拘束の面です。アメリカ議会においても党の決議というものはありますが、党の決定に反した投票を行っても除名されるというようなことは滅多にありません。従って、大統領が少数派政党所属でも野党の一部を引き抜いて政府法案がとおってしまうことが良くあります。もちろん一部と言えども説得するためには、法案の修正などを余儀なくされることも多いですが、「0か100か」ではなく話し合いで妥協案が作りやすいということです。野党の中核が認めてくれる(かつ与党が我慢できる)ような修正は困難ですが、野党の一部を納得させるだけなら説得でなんとかなることが多い、という感じです。「与党40、野党60、このままじゃ法案通らないので、修正して野党から20人賛成に取り込み。修正を批判して与党から8人離反したけど可決」なんてことを日常的にやっているのが米議会です。
当然ながらアメリカでも日本でも「党議拘束をどうするか」というのは政党内部での独自の取り決めであって、法律で規制しているものではありません。
イギリスではそもそも「ねじれ」は問題になりません。第二院が「貴族院型第二院」であり、貴族院型の通例として非常に権限が弱いからです。貴族院が否決しても庶院が可決していれば、再議決等もなく法案は成立します。
ただ、この両院の権限については「細部」というより「大枠」に近い部分です。日本でも衆議院の優越具合は憲法上で定められています。ちなみに「日本の参院は強すぎる」とよく言われますが、政治制度論的にはこれは怪しい話です。確かに「貴族院型第二院」の場合は第二院の権限が非常に弱い(しばしばイギリスのように形式的存在)場合が多いのですが、日本のような「民選型第二院」や「連邦型第二院」の国では「ちょっとだけ第一院が強い」というのが標準で、日本の参院の権限は(どちらかと言えば強い方には入りますが)「第一院がちょっとだけ強い」の範疇に収まる話です。
●(なぜ)ねじれた時点で機能不全になる仕組みがまかりとおっているのでしょうか
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%A1%E9%99%A2%E5%88%B6
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E9%99%A2%E5%88%B6
あたりをご参考に。
もちろん二院制には欠点も多いのですが、実は世界の主流は二院制です。一院制をとっている国は「軍事政権or一党独裁時代の歴史的な経緯を引き継いでいる国」もしくは「人口数百万以下の小国」が大半です。
確かに二院制は本質的にねじれ可能性を内包しています。にも関わらず二院制が主流だということは、多くの国が「ねじれ」を始めとする二院制のデメリットよりもチェック&バランスのようなメリットの方が大きいと判断している、ということです。
制度論としての正面からの回答としては「なぜ両院の与野党構成がねじれた程度で簡単に機能不全になるんだ?ねじれ議会なんて良くある事じゃないか?」という話になります。
実は(二院制とは別の側面ですが)日本の採っている議院内閣制は、行政府の安定性が最も高い制度になります。強い大統領制や、大統領と首相が行政権を分け合う半大統領制は、議会勢力と行政府の代表が独立した選挙で選ばれますので、制度の本質として行政府と議会の一致を担保していないため(両院間の対立ではありませんが)、行政府と議会の対立は議院内閣制より遥かに起きやすいのです。フランスのコアビタシオン時代にせよ、アメリカ大統領の任期後半(たいてい議会が野党多数です)にせよ、ひどい政治停滞にはなっていないわけで、普通はねじれても何とかなるよ、というのが民主主義国一般での実績なのです。
●それとも二大政党制の作法を政党も国民もマスコミも知らないのが問題なんでしょうか.
そもそも二大政党制と「ねじれ」とは直接的な関係はありません。
議院内閣制の日本では「ねじれ」が「両院対立」として現れましたが、「ねじれ」の問題点の根本は「行政と議会の対立」なわけです。この対立は「一党が圧倒的に優位で行政も議会も常に押さえている」という(自由主義的民主国家としてはかなりレアな)状況でない限り、しばしば起こる方が普通な訳です。
「作法を知らない」とするなら「二大政党制の作法」ではなく「議会制民主主義の作法」というべきでしょう。そもそも英米以外の大国はほぼ常に連立政権ですので、どの政党も最終的に何らかの妥協すること無しには政策が実現しないため、閣内/閣外双方の政党間での政策のすりあわせや、政権交代/政権与党組替時の継続性、について不文律が確立しているケースが多いです。
「日本の政治制度は大枠としてはごく標準的なもの。それが上手く行かないなら、制度大枠に起因する本質的な欠陥ではなく、日本特有の事情による欠陥と考えた方が良い」
ということになると思います。(その特有の事情って何だ?という話は政治制度論の範疇を超えますので、ここでは省略させてください)
もし「ねじれ」のような問題を解消するなら、制度論から言っての解決策自体はいくつもあって、例えば
・狭義の「制度」面からの解消→イギリス流に実質的一院制にしてしまう。
(自由主義的民主国家において最も行政府が強力となる政治制度は大統領制ではありません。議院内閣制&一院制の組み合わせになります)
・運用面による解消→アメリカ流に各党が党議拘束を外し、個別の議論で成否を競う。
の2つの方法なんかは、二大政党との相性に100年以上の実績があります。日本の国会の「ねじれ」については制度の大枠の問題、運用面での政治行動の実態の問題、の双方が重なったゆえに生じているので、どちらか片方の解消だけで解決するはず、という考え方ですね。
最も前者は憲法改正が必要な点で、後者は政党の内部規定という法律で縛りにくいものである点で、実現可能性が非常に厳しいのですが。
Webサービスでは、声のでかいヤツがいつも幅を効かせている。
この声のでかいヤツって便宜的に呼ばせてもらうけど、いわゆるアルファブロガーとか言われている人たちとか、まぁインターネット上で発言力がある人たち。
この人達は、新しいサービスとかが出てくると真っ先に飛びつくアーリーアダプターな人たち。そして、感想をブログに書く。もちろん発言力があるので、多くの人がそのブログを見て、「あ、このサービスは面白くないんだ」とか、「お、面白そうだから使ってみよう」って反応する。
その反応を見て、フォロワーたちがあとに続く。そしてその人達もブログとかTwitterに書く。それが広がる。
そして声の大きな人たちは、自分よりも有名な人に弱い。自分よりも有名な人が使ってるサービスとかがあるとすぐ使っちゃう。ソーシャルゲームとか作って有名な人達とか、IVSでの講演を聞いて、したり顔で「これからはソーシャルの時代」とか言っちゃう。でも冷静に考えてみて欲しいのよ。あんな収益構造まともじゃないだろ?いつか破綻するよ。だって、実際のユーザー目線じゃないでしょ。いくら情弱ホイホイだって言っても、さすがに限界あるぜ。
そもそも、ソーシャルゲームのベンダーとかを崇拝してもてはやす人たち、実際課金でゲームやってないっしょ?
そういう事ですよ。
声はでかいけどうわべだけ。
朝、通勤電車でいつもより良く寝てたのね。で、乗り過ごしてしまい、ま、いいかと別ルートで出社することにしました。乗り越し料金はかかるけど。
かと言ってホームのトイレは狭い上にやけに混んでることが多いので、地下の比較的空いてるところへ行こうか少し迷って数分ロスしました。
これが痛かった。
移動中にどんどん便意が襲ってきて、それでもなんとか地下のトイレに駆け込んだというか、すり足で入った。
これでなんとか間に合うか!?もはやカラータイマーは点滅している。
と、トイレットペーパーの自販機&トイレットペーパーありません之貼り紙。むむ、紙が有料か。背に腹は代えられぬが。
そう、JR西日本のこの駅ではトイレに紙がない。トイレには紙がないのである。
地下鉄ではあるのに…。
かばんを開けて財布をゴソゴソ。100円玉…あった!詰め替え作業中の人に
「一つ頂戴!」
と100円玉を手渡し受け取るやいなやひとつ空いていた個室へ飛び込んだ。これで30秒ロス。
肛門はエマージェンシーコール。
コートを脱ぎ、マフラーを外し、上着を脱いで、ズボンを下ろして、さぁ出すぞ!という信号を送ったときにベルトが引っかかった。おまけに普段止めてない内側のボタンを今日に限って止めていた。
結果、ズボンを下ろすより2秒早く、中身は漏れ出して始めてしまった。一度漏れ出すと止められない。とにかくズボン・タイツ・パンツを下ろし少しでも中身を外へ出す。
床面に、便が、たまった。
パンツの中は重い。
どうしたものか中腰で考える。
とりあえず100円のトイレットペーパーで何度も慎重にケツを拭く。
床面がドライだったのは幸い。靴を脱ぎズボンを脱ぎ、慎重にタイツとパンツを脱いだ。
パンツで便を便器に押し込み流す。パンツは持ち歩いてるレジ袋へ。
この間約10分。
とりあえず、ノーパンにスーツで個室を出て、手を良く洗った。放心状態。
とりあえず、違う場所の多目的トイレによろよろと移動。ここは地下鉄構内なので紙はある。
もう一度しっかり拭いて、作戦検討。
結果、駅近くの7-11までよろよろと移動しパンツ(650円)を購入。同じ多目的トイレによろよろと戻って履いた。この時ほどパンツの存在をありがたいと思ったことはない。
今回の得た教訓であるが
・ティッシュを持ち歩くこと
・換えのパンツも持ち歩くこと。
・便意を感じたら迷わず近くのトイレに行くこと。特に朝は要注意。
それから、あの100円のティッシュ。詰め替えてるところを偶然見かけたがすごく売れていた。
それだけ皆さんエマージェンシーなんだろうけど、あざとい商売だと思う。
もし紙を備え付けたら初乗りが10円上がるとか言うのなら10円あげてくれとさえ思う。
あと、トイレを掃除してくださる方、汚してしまってごめんなさい。ありがとうございます。
最近のニュースを聞いて、ふと思い出してしまったので吐き出し。
小学校4年あたりの事だったと思う。
市内のショッピングモールにあった駄菓子屋でレジに一人で並んでいた。
私の前には幼児を連れた男の人、後ろには私の後ろには20代くらいのカップルがいた。
順番を待っていると、後ろにいた男の人があざ笑う様な口調で
「今、こいつの首を絞めたらすごく暴れるだろうな」
と言った。
動いたら本当に殺されるかもしれないと思ったら動けなくて
聞こえていない振りをして会計の順番をじっと待っていた。
女の人は「そういうこと言うのやめなよ」と言ってたか「そうかもねー」と笑ってたのだったか、
どっちだったっけ、女の人の言葉は私が出来事を思い出す中で後から付け足した記憶かもしれない。
会計後すぐに親と合流したけれど、この事を話さずじまいだった。
他人にそんなことを言われる自分が恥ずかしかったんだと思う。終わったことを蒸し返すのが嫌だったし。
駄菓子屋はしばらくしてなくなって、今は贈答品売り場になっている。
20代も後半になって、このことがトラウマになっているとは思わないけれど、
苦労なさってますね。
姑ってなんでマジキチが多いんだろう。
30歳の未婚の男ですが
その頑張りに感銘を受けながらも真似する自信が自分の中に無いです。
20代の頃に~っていうのは本当にそうかもしれないですね。
今は色々不安定だし、基盤が出来るまで頑張ると優に30を超えてしまう。
妊娠や出産も大変でしょうけど、セックス自体全然したくならないですからね。
僕より8歳も年上の旦那さんも大変だと思います。勿論増田さんの方がずっと負担が大きいですけど。
そのようなことってほとんど、例えば20代前半とかに結婚・出産出来るなら悩む必要もないことですよね。
今の社会は生物として色々間違ってるのかもしれないけど、もうどうにもならん。
っつーかその身分もそろそろ剥奪される身なんですけどね、ええ。
思った通り就職なんか決まらないわけですよ。来る日も来る日もスーツとか着て、ぺらぺら喋ってきたんですけどね。
結局さ、なんだったんだろうね。就活って。お金の無駄か。もうマジでお金使いまくったよー返して欲しいよー。
え?Fランのお前が悪いって?まあその通りですよ。馬鹿な私が悪い。それはもうその通り。
でもさー最終面接とかいっても落ちるわけですよ。もうほんと切ないよ。なんか胸のあたりが重くなってさ、Aカップなのに。悔しくて。
だけど電車の中で泣くわけにも行かないじゃん?プルプルしてるかもしれないけどね。一応堪えてる。
面接の帰り道、ホームでさ、電車が来る直前に一歩踏み出せば楽になるのかなって、考えることもある。やらないけどね。
で、親はたまに電話をかけてきては、「みんな出来てるのになんで出来ないの?」って言うわけ。応援なんて当然なし。
ちょっとお母さんもES書いてみなよ。絶対困るから。面接受けて値踏みされてみなよ。自信なくなるから。
就活のことなんてなんにも知らない癖に偉そうな口聞かないで。私だって辛いんだよ。
なーんて、言いたくもなるけど、言わない。余計に惨めになるしね。お涙頂戴は増田だけで十分。
だって基本的には馬鹿な私が悪いんだもん。自己責任自己責任。さーて来月からどうやって生きていくかな。
生きてる価値なんてないのかな。もうやめちゃおうかな。そんな勇気もないか。
ほんと私ってだめだな。
単に「売春したい」というだけじゃなく、「その結果としての子供が欲しい」という
しかし、国内でそのようなニーズを満たすサービスはないし、仮に作ったとしても
・・・であれば、もっと一人当たりGDPが極端に低い国、例えばミャンマーとかに
「売春を斡旋して、その結果子供ができたら、20歳まで養育する」ことを
「一括払いで保証するサービス」があれば、非モテな人に大受けしそうな気がする。
例えば、ミャンマーに1週間程度渡航し、その間、排卵日を迎えている数名の女性と「種付け」に励む。
その結果、1人が妊娠したら、20年間の養育費として100万円を支払い、
あと、妊娠の成功失敗にかかわらず、渡航費+手数料+売春料として100万円を支払う。
男性がトンズラこかないように、予め保証金として1,000万円程度貰っておいて、
1人妊娠なら1,000万円-100万円(渡航費等)-100万円×1人=800万円を後日返金し、
3人妊娠なら1,000万円-100万円(渡航費等)-100万円×3人=600万円を後日返金。
しかし、こういうサービスを提供する主体が、それこそマフィア組織だったら、
http://anond.hatelabo.jp/20110308202437
今ある私立って、公立以上に「親は子に全精力を注ぐべし」ドグマばかりでしょう。
自民も民主もどっちでもいいんですが,野党はどうしたって与党の足を引っ張るわけじゃないですか.
もちろんそれが仕事なんですが,行政なり立法なりのチェック機関として機能すべきところが,
与党=多数決で勝てる=野党は口しか出せない=口だけで効果がある=揚げ足取り,になるわけですよね.
そもそも頑張って議論していい法案に仕上げて与野党一緒に法案通したところで
議会の功績=与党の功績になるわけだから,そりゃ野党もやる気出ないですよね.
なんでこんな安定与党と騒ぎ立てる道化としての野党(それはそれで価値がある)という構図以外では
機能しない,つまりねじれた時点で機能不全になる仕組みがまかりとおっているのでしょうか.
他の国のように二大政党制に,なんて話だった気がするのですが,
何かシステム的に抜けているところがあるのでしょうか.
つまり一党優位用の仕組みを二大政党時代に利用しているのが問題だと.
それとも二大政党制の作法を政党も国民もマスコミも知らないのが問題なんでしょうか.
後者なら時がたてば解決するのかもしれませんが,前者だとさっさと直さないと時間の無駄ですよね.
誰か詳しい人,教えてください.
2011年2月初旬、はじめての妊娠がわかって、とてもうれしかった。
昨日、稽留流産の手術をした。まだ、気持ちの整理がついていないけれど、幸いに術後の痛みもほとんど無いので、記憶が確かなうちに記録する。
様々な方が経験を手記やブログとしてネットで公開されていて、それがおおきな助けになったので、自分も増田として一助になれればと思う。長文お許し下さい。
筆者、36歳、自宅で自由業。結婚10年目。夫は38歳、研究職。ふたりぐらし。
仕事が落ち着き、経済状況も安定してきたので赤ちゃんをむかえることに、2010年秋からとりくみはじめた。
基礎体温は2010年7月から記録をはじめた。葉酸は、1年ほど前から意識して摂取するようにしていた。
夫は頭の中が研究のことばかり。いつも帰宅が遅く、ごはん食べてそのまま泥のように眠るのが日常。
仕事を家にもちかえって、私がデータ整理を手伝いながら、夜半まで趣味とも仕事ともつかない作業をする日も多い。
そんなわけで、いままでかんばる回数は月に2回あればいいほうだった。
夫の妊娠についての知識は「排卵日にがんばれば命中する」というもので、
「顕微鏡でためしに自分の精子を観察したところ、活動も活発で数もいた」という自負がある。
私の周期は28日で、サイクルはわりあい正確、基礎体温もはっきり2層に分かれる変化をしていた。
基礎体温記録、周期の予測、予告などで、下記のサイトを有効活用させていただいた。
記録をまとめて印刷することもできるので、医師に妊娠の経緯を説明する時にとても便利だったし、「がんばる日」の予想もしやすい。
上記の通り、夫の妊娠に対する知識はかなりアバウトであったし、私もネットを使って本気で調べるまでは、知らない事が多かった。
挑戦して、3ヶ月くらいまでは、基礎体温から予測した「だいたいこの日が排卵日」という日を中心に一晩か二晩、がんばった。
夫が仕事でつかれていて、お願いした日に寝てしまったり、お酒を飲んでいい気持で忘れて寝てしまうこともあった。
年齢の事もあり、また自分に自信がなくなってきたので、不妊治療の事も真面目に調べた。
とてもお金がかかり、体への負担も大きい事が分かった。
20代で子供を産み、子供を小学生に育て上げてから、仕事をはじめた友人や、
私の20代には、経済的にも精神的にも余裕はなかったし、夫も自分の身を立てることで精一杯だった。
たいへんでも、親に援助をもとめても、もっとはやくに赤ちゃんをむかえることにすればよかったのかな……
冬になってから、もっと真剣になった。排卵日に関係なく、回数を増やした。それでも週に1度くらい?
妊娠しやすい体にしていくためには、普段から夫婦の接触が大事で、がんばる日が多いと、
お互いのホルモンが活発になって、生殖機能が活性化されていくらしい。科学的根拠は不明?
そして、妊娠しやすい期間の前に4日やすみの日をつくり、排卵日周辺に2日おき、または1日おきにがんばった。
カレンダーに「がんばる日」の印をつけて、多忙な夫が忘れないようにしてみたけど、それでも夫は忘れることがあった。
夫は、理性では、子供と私への気持から、その「予定」に前向きだったが、仕事の締切りや年末進行などで体力的にきつかったし、プレッシャーも感じていた。
私も強制して性交させるのはとても嫌だったので、時に喧嘩になることもあった。夫はいつも一方的に謝るばかりだった。
夫が最大限に努力してくれている事はよくわかっていたはずなのに、自分は焦って思いやりを忘れていた。
年末年始、大掃除もてきとうにして帰省をせず、はじめてふたりだけの大晦日とお正月をすごした。
いつもは組立てない炬燵を出してきて、パソコン並べて仕事しながら、お雑煮やおせちをたべてゆっくりした。
その甲斐もあって、1月のおわりにくるはずの月経が来ず、基礎体温も高いままだったので、
妊娠検査薬を使わずに、2月の初めに産婦人科にいった。病院は、近所の奥様がすすめる病院を選んだ。
子宮のなかに小さな黒いまるがうつっていた。なかみはまだ見えないけど、子宮外妊娠ではない事がわかりほっとした。
妊娠が確定して予定日を告げられてから そのママ に夫婦で登録し、
2月の半ばに2回目の検診にいった。
先生がカーテンをあけて、心臓が動いているのを見せてくれて「順調です」と言ってくれた。
黒い楕円の中で、ちいさい心臓がぱくぱく動いていて、思わず涙腺がゆるんだ。
赤ちゃんは週数のわりに少し小さかった。
調べると、後から追いついて大きくなったり、排卵日が遅かったりしていたために小さく見えたりするそうで、
あまり問題はないということだったけど、今思うと、その時のことがとても気になる。
つわりは、吐くようなつわりでなく、とにかく眠くて眠くて夜も早く眠くなり、昼寝で夕方まで寝てしまう事もあった。
つわりは人それぞれで、これで赤ちゃんの状態を推測する事はできないということだった。
回数を増やすようにがんばってから、夫が活性化したらしく、要求が増えたので、手などを用いて別の方法でお世話をした。
3月の初めに3度目の検診に行った。
この日に母子手帳の手続きができるはずで、その後に、しかるべき人々に報告しようと思っていた。
ちょうど夫の仕事が休みだったので、いっしょにうきうきしながら行った。
いつものように、エコーの検査をしてもらうと、時間がいつもより長く、先生が焦っているようだった。
何度も確認してみても、前回の検診から大きさもあまり変化していなくて、あんなに動いていた心臓のあたりがしんとしていた。
先生によれば、大きさからみて一週間前に心臓が止まってしまったそうだ。
稽留流産、といわれ、先生から説明を受けた。自分では一週間前に何の心当たりもなかった。
夫によれば、ちょうど一週間前から私が吐気でえづくことが増えたので、変化?と思っていたそうだ。
ネットで調べればいろいろ書いてあるので、細かい説明は避け、私個人の体験を記す。
丁寧な説明を受け、自分でもどうして良いかわからなかったけど、
とにかく、早めがよいということで、4日後に手術の日を予約した。
待合にいた夫を呼んで、小さな部屋で、助産師さんからより詳細な説明を受けた。
「わからないことや不安な事は何でも聞いて下さい」といわれたけど、何が不安なのか、何がわからないのかも見当がつかなかった。
あまりに突然の事で、夫婦して感情が固まってしまった。とにかく、私の母と夫の両親に報告した。
母が祖父の看病で家を離れられないため、義母が私の手術前から家に来てくれる事になった。
義母がくることに私はとても不安を感じていたが、案の定、相変わらず、無邪気に笑ってはしゃいでいたので、応対にひどくつかれた。
夫があとで「こんな時に笑うな」と言ってくれたので、助かった。
未婚の友人は、よく「夫を産んでくれたお姑さんに批判的になるのは変よ」と言うが、誰でも最初はそう思うのだ。
誰が好き好んで尊敬すべき立場の人に嫌な感情をいだくだろうか……それなりの経緯というものがあるのだ。
これを書いている今も、横で笑顔で孫がはやく欲しいなどと言っているが、赤ちゃんが亡くなった直後の無神経な発言に気分がささくれ立った。
前夜に話を戻すと、義母ひとりで付添いをするとはりきっていたが、頑なに拒み、夫ひとりについてきてくれるように頼んだ。
義母は多分いい人かもしれない。しかし、いい人がよいことをするわけではない。私は自分が我侭だと思ったが、あとでこの判断はよかったことがわかる。
海外で稽留流産をされた経験のある方の手記をネットで読んだ。その人は夫が激務でひとりで手術に行く事になったそうだ。
手術前夜からの入院で、夜中に耐えられずに泣いてしまったら、年配の看護師さんに抱きしめられて慰められ、
夫を病院に呼ぶようにすすめられ、夫が来てくれたのでとても助かった、と書かれていた。
手術前夜は、飲食禁止だったが、家で留守番をする義母と付添の夫のお昼に炊き込みご飯でおむすびをつくり、
病院に持っていく分と帰宅後の安静時に飲むための番茶をたくさん煮出して、空のペットボトルにつめ、
夫は、手術の前夜も仕事を家に持ち帰っていた。年度末の仕事がギリギリで、とても忙しい時期だ。
そういうわけで、夫は、赤ちゃんがいた実感も、赤ちゃんが亡くなった実感も薄く、私も事務的に手術の仕度をするだけで、
何が起こってどうなるのか、わからなかった。ただ、ネットで様々な人が書かれた手記や質問の応答などを読んで、
「こういうことがある」のがわかり、ふたりで「痛いことはたくさんあるようだけど、いちばんつらいのは赤ちゃんだから、耐えよう」と思った。
当日、3月7日朝9時、夫と直接、産婦人科病棟のナースステーションに行き、書類を出して手続きをした。
病院には自家用車で行った。服装は、お腹をゆるく保護する妊婦用のやわらかい部屋着のズボン、Tシャツ、パジャマの上着、フリースの長いコートで、
家に帰ったらそのまま寝られる服装で行った。手記をみると電車で行き帰りする人もいて術後は歩いて移動できるようだけど、楽にできるならその方がいいと思った。
ナプキンをつけてから、担当医とは別の当直の先生が、子宮口を開く処置をしてくれた。
赤ちゃんは最後の検診の時と変わらず、動いておらず、形も少しいびつになってしまったように見えた。
この処置はとても痛いという手記が多いが、私の場合は、それほど痛くなかった。痛覚が鈍いのかも知れない。
それから点滴で輸液をし、午前中の外来が終わるまで病室で安静にしていた。
午後になり、手術着に着替え、点滴をつけたまま、手術する部屋へ歩いていった。夫は病室で待機。
多分、分娩とおなじ場所だと思う。途中の廊下で元気な赤ちゃんの声がたくさん聞こえた。
担当医の先生が手術の道具を調えていて、天井には大きなライトがあったり、
計器をつながれたり、看護師さんがてばやく準備を整えはじめたので、急に怖くなった。
台の足の部分が開かれて持ち上がり、足にカバーをかけられて、足首を固定された。
肩に麻酔を効きやすくする筋肉注射を打たれた。これが全ての経過の中で最も痛く、
思わず呼吸が大きくなり、その痛みが引かないうちに、アイマスクをつけられ、看護師さんに点滴を刺している手を胸を載せられると、
先生の「麻酔を入れたら、手術を始めます。子宮口に詰めた消毒綿をとります。はい麻酔を…」というとこで、
器具の冷たい感触があって、下腹部が激しく痛くなったと感じたら、麻酔が効きはじめ、突然、幻覚が始まった。
事前に「意識はうっすらとあって、声が聞こえるくらい。眠くなったら寝て下さい」といわれていた。
しかし、私は意識はしっかりあったと思う。ただ外とつながっていないだけで。
もし、赤ちゃんが次に何処かに生まれることができるなら、できるだけ暖かくて自然がいっぱいあるとこへいけるといいなと考えて、出張した時に見た熱帯の森を手術中はイメージしていようと思い、痛みをこらえて、その木々の茂る風景をイメージしてみた。
だけど、アイマスクで暗いはずの視界が急に明るくなって、上からレゴブロックの白いのみたいな小さなものがザーッと落ちてきて、自分の体がとても小さくなってしまったように感じた。痛みも体がある感じも消え、白と灰色と黒の格子みたいのがある空間の底にいて、格子がうねりながら昇っていった。うねった隙間から、キミドリとピンクの光がでてきて、渦を巻いてまるくなってくっついたり離れたりして激しく動いていた。私は自分の家や猫のいる温かい感じがあるとこへもどりたい気がしたけど、仕事や、大学のころに勉強していた事、その意味が、バラバラに浮かんできて、消えていって、その間、気持ちいいテクノみたいな音楽(フロアに流れるかすかなオルゴールの環境音がアップテンポに聞こえた?)がずっと流れていた。格子の四角がだんだん大きくなってきて、その合間にフラッシュバックみたく家にいて西日が当たる暖かい感じが懐しく浮かんできて、そして、キミドリとピンクの光がうすれ、シューッシューッと機械が動く音が聞こえて、視界がもやもやした暗い灰色になって、人の話す声がなんとなく聞こえてきた。
しばらくして、アイマスクがはずされた。目を開けようとしても薄くしか開かず、まだ視界がぼやけていて、遠くから声が聞こえた。
「お腹はいたくないですか?」 「わかりません」と答えたと思う。
顔を横にして時計を見てみたら、20分くらいしかすぎていなかったのがぼんやり見えた。
ご主人を呼んできます、と看護師さんが出て行き、夫が来て手を握ってくれた。
すごく暖かい感じがして、涙が出てきた。夫も泣いていた。
麻酔がしっかり醒めるまで、一時間ほど、その場所でそのまま2人でいた。
時折、看護師さんが来て出血を確認していった。
いつの間にかパンツを履かされていて、看護師さんがナプキンを交換してくれた。
持参したナプキンのうち未使用の2コをとり、交換したナプキンと今着けたばかりのナプキンの空袋を持って、計量にいった。
重さの差から出血の量を計測しているのだろう。種類を混ぜて持ってこなくてよかった。
なので、手術の日に持参するナプキンは全部を同じ種類のものにしておくとよいと思う。
麻酔が醒めてくると、点滴の支柱と夫に支えられて、歩いて病室にもどった。不思議とどこも痛くなかった。
病室でズボンをはいて横になり、点滴がはずされると、遅い昼食がでた。
夫も昼食をとっていなかったので、いっしょに食事をした。
夫は前日まで、「手術してる間にちょっと外でごはん食べてくるから、おむすびいらないよ」と言うほど、
手術の時にどうするか何も知らなかったし、手術の間は待機しているようにと説明された事も忘れていた。
私は飲み物をのんでおかずを少し食べてみたが、点滴のせいかお腹がすいていないので、勿体ないけどほとんど残してしまった。
夫は「自分がここにいるべきだし、おむすびとお茶を持ってきてよかった」と言った。
薬がでて、会計が終わると、手術着を脱いで、帰る仕度をした。このときも、お腹は全く痛くなかった。
看護師さんが手術前に、担当医の先生は手術がはやいと言っていたが、きっと処置が上手だったのだろう。
子宮を収縮させる薬を飲むとお腹が痛くなるというが、薬をちゃんと飲んでいる1日後も痛みはほとんどない。
来週に検診があって、また病院にいく。
元気になったら、赤ちゃんのことをおぼえておけるように、地元で名木の桜の保護をしている会から苗木を分けてもらって、実家の土地のいい場所に植えようと思う。
その木がもっと時間が経って大きくなって花をたくさん咲かせたら、それとは知らなくても、いろいろな人が見に来てくれると思う。
・次の月経以降の周期に、「妊娠したい 私はこれで妊娠しました」 を参考に、排卵検査薬を使って、排卵と基礎体温変化の様子を観察し、今後に役立てる。
お前があおるるすきなのしった上でお前潰すためにやったというのに
端から填められてたのによくやるわ。
まだわかってないようだから教えてやるけど全部やらせw
お前をバカにするためにあの飲み会もうづら主催で変態のシナリオまで出来てる上でやってるの
いい加減気づいたら?
別れてもいないのでよりも戻していませーん。
はじめからこのネタ作りのためですからまぁ思った以上に発狂してくれて
いい加減全部填めれらてたって事にきづいたらどうなのよ?
流石にいまだに気づかないとか見てらんないわ
SSまでとられてな
いい加減見切りつけたら?
さらし者じゃん
ps
文体変えてますよ。当たり前ですけど。もしばれて増田みたいに標的にされて何かある度に脅されるの怖いですし。
まぁ私としては、後は蝙蝠のように別々の人間として両方の仲間を演じますので触れないで下さい。
by裏を知ってる人
人間が都合のいいものだけを求めて都市を作った。そこまでは良かったのだが、あまりに都合がいい世界が出来上がってしまったがために、逆に都合の悪いものが目立ち、それに若者は怯えている。
人間の存在そのものが、人工物だらけの都市にとっては都合が悪い。
しかしそう思う自分自身も人間であり、自然物だ。この耐えがたい矛盾から逃れる方法はただ一つ、引きこもること。
実は引きこもるという選択は現代人にとってとても合理的で正しい選択なのだ。
だがここで疑問が生じる。人間を避けるために引きこもっているはずの人々が、こぞってネットをやりたがる理由は何?暇つぶしのネタが欲しいならマンガでもアニメでもテレビでもいいのに。
ご存知の通りネットというのは単なる情報が膨大にある場所ではなく、人間が暮らす場所の一つである。ネットを使う人間は時には一緒にゲームをし、掲示板で誰かの悪口を書き、動画にコメントを投稿し、オフ会をして盛り上がる。なぜ現実の人間が怖いはずの人々がこんなネットの世界にハマるのだろうか。
「人間は人間といるのが一番楽しいから」と思った人は、惜しい。概ね正解ではあるが足りない。答えはこうだ。「人間は"都合のいい"人間といるのが一番楽しいから」だ。
都合の良い人間とは、とても極論すれば「自分の悪口を言わない人間」のことである。自然物としての人間は、都合の良い人間であり都合の悪い人間である。だから、一緒にいて楽しい時もあれば楽しくないときもある。仲良くしていたと思ったら悪口を言われ喧嘩してしまうこともある。それが自然物としての人間だ。
しかし、彼ら、つまり人工物に囲まれて生きてきた人間にとって、普通の人間の「都合の悪い面」というのは恐ろしくて恐ろしくてたまらないもので、関わりたいとは到底思えないものなのだ。
それは彼らがひたすら都合のいい環境でだけ生きてきたからに他ならない。自然と共に生きる人間は自分の思い通りにいかなくても案外すんなりと妥協するし、それをいつまでも記憶に留めていたりはしない。しかし彼らは違う。彼らにとって都合が悪いことというのは、そもそも「ありえない」「あってはならない」ことで、存在そのものが許されないのだ。
人工化の過程にある現代ではここまで極端な考え方をする子供は珍しいかもしれないが、レベル的には近い人間はごろごろいる。引きこもっているのはそんな人間達だ。
話をネットに戻すと、ネットというのはじゃあどのくらい都合のいい人間がいるのか。
たとえば同じ趣味を元に集まったグループであれば、「自分の趣味を理解してくれない」人間は排除されている。つまり、自分にとって居心地のいい世界がそこにあるわけだ。
また、ニコニコ動画では不都合なコメントをフィルターで隠すことが出来る。自分の好きな動画をけなす「不都合な人間」は排除できる仕組みだ。ネットゲームでも、自分が嫌いな人間は簡単に「ブラックリスト」に登録して消すことが出来る。
現実世界では、こういうことはなかなか簡単には出来ない。フィルタリングのように存在を見えなくするためには「殺す」しかないだろう。殺すという行為は、ネット上でのフィルターをかけるという行為と比べてあまりにもリスクが高い。これも、不都合なことは簡単には出来ない現実世界の不自由さであり、彼らが社会に出るのを嫌がる理由でもある。
ネットでは自分の見たいものだけを見ることが出来る。そもそも人間は見たいものしか見ない生き物だが、そこで待ったをかけるのが自然物であった。だから、人間は心の底から「見たいものだけ見る」のではなく、不都合なこともどうにか許容してきた。この許容の精神こそが、社会で言うところの大人に求められる能力であり、これが出来ない人間を世間では子供と呼ぶ。
しかし一方で、「大人」たちは子供のために安全で快適な人工環境を作り続けてきた。学校というミニ社会で子供は自然物たる人間と出会うが、彼らが自分に不都合なことをした場合、親が学校に殴り込み、不都合を解消しようとする。子供は何もせずに、まるでネットゲームの不具合が解消されるのを待っているだけだ。親はなぜ学校ではなく不都合な子供自身を責めないのか。自然とは制御出来ないものだからである。人工環境の中にいる人間には自然を「なんとかする」という気持ちはそもそもなく、不満を言ってそれが解消されるのを待つだけだ。もはや自然=不具合であり、不具合だから誰か(サービス提供者)がさっさと直してよということになる。一見すると学校に殴り込み教師に向かって怒鳴り散らすモンスターペアレントは異常だが、彼らの行動原理は「レストランで座っている席が汚れているから文句を言う」のとほとんど変わらないものであり、サービスを受けているのは自分なのになぜテーブルを掃除(=息子をいじめた子供に説教)しなきゃならないのかということなのだ。そして、学校の教師というサービス提供者は自然物たる人間ではなくただの「サービス提供機械」なのであり、人間扱いする必要はないということになる。コンビニ店員に代表される第三次産業従事者が時に非人間的な扱いを受けることがあるのはこういったものの考え方をする人間がいるからだろう。
これらを「おかしい」と思うのはもう古い。
人間にとって都合の良い環境を「人間が」作っていることを忘れた人間がいても、それは都市の副産物であり何ら驚くに値しない。
不都合な出来事がなくなり都合の良い世界にだけ暮らす人間はとてつもなくわがままで自己中心的で傲慢でとてもじゃないが一緒に付き合おうとは思わないだろう。
しかしそれでいいのである。そもそも人間は「誰かと一緒にいなければならない」環境を改善するために文明を発展させてきた。本来、自分の生命だけを第一に考える人間が手をつないで仲良く暮らすことなど出来るはずがない。過去の人類はその不都合を「仕方なく」受け入れてきたに過ぎない。よって、人と人との繋がりを修復しようとか、過去つまり現在よりも人工化が進んでいない時代に戻ろうとする思想は全てまやかしであり自己満足である。誰も真の意味で分かりあいたくなどない。必要なのは「自分を完全に受け入れてくれる」「自分の思い通りになる」人間だけであって、それはすなわち自分以外にありえないのだ。
人間は不都合な出来事にはそろそろ耐えられなくなってきた。大いに結構なことだ。引きこもり達よ、君たちは未来の人類のモデルケースとして存在している。自分を否定する必要はない。大いに受け入れよ。
現実の経済政策で「これ!」って自信持って選べるほど見識がないです。
というかなんかそれ質問と関係有ります?
質問はわかります?
id:pompom20京大生(あるいはOB)疑惑
http://anond.hatelabo.jp/20100704233524
id:pompom20=京大生=21歳の若者説を提唱してみる
http://anond.hatelabo.jp/20110128195723
第三弾、寄稿の運びと成りました。
先日、妙なコピペを貼り付ける方がおり、周知不徹底だったかと思い、再掲したく存じます。
もはや、はてブ政治界隈でも過去の人として屠り去られたpompom20氏ですが、さらに私の説を補強するものが出てまいりました。
Togetter - 「2011.3.4 京大エクスタシーユニオン、くびくびカフェ強制撤去事件」
となります。
さて、くびくびカフェが如何なるものかに関してはこちらで詳説せず、当該記事を参照されたく存じます。
思えば私が最初に増田にしましたのも、このくびくびカフェに関した京都大学時間雇用職員組合の活動をpompom20氏がブクマしたことに端を発します。
すなわち氏はこの数ヶ月にわたり、それをウォッチしていたという推測が立ちます。
いずれにしても、もはやpompom20氏が京都大学と縁の深い人物であることは疑いないでしょう。
話は変わりますが、最近京都大学がはたから見て変わった行動を取るようになりました。
はてな界隈ではFrancesco3女史とメガネ王、進んでソラノートとのやりとりに熱を帯びておりますが、その陰で京都大学の迷走ぶりと言いましょうか、カンニング問題だけが衆目を浴び、くびくびカフェ撤去(のち再開)などは光を浴びないという始末となっております。
このふたつ、カンニングとカフェ撤去にはもちろん裏に松本学長の政治的暴走があると私は考えておりますが、そこまで踏み込んだ意見というのはまだ目にいたしません。
文書内の行為を実践した際の免責に関しては全力で逃げますので、
性別 男
年齢 20代前半
身長 165
BMI 35→30
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%96%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%9F%E3%83%B3
国内でも処方されているらしいが、いちいち通うのも、ふんだくられるのも嫌なので
シブトラミンを配合している、ジェネリックの医薬品オベスタットを選んだ
「輸入代行 オベスタット」でググり、100錠ほど注文、どのサイトでも6千円以下で購入可能
といっても昼間まで寝て、すき屋で大盛り牛丼を食って家に帰ってきたら届いてたので
夜間の仕事をし、休憩時間に大盛りのカップめん、おにぎりを購入
机に戻り、コンビニで買ってきたおにぎりを1つ食べ始め食べ終わる頃には
「もう食べたくない」「これ以上食うのはやめよう」
という感覚があることに気がついた
ただ、頭も冴え渡っていたし、その後の力仕事も問題なくこなせていた
頭も体も問題はないが、昨日の食べなかった晩飯を見ても
「食べる必要はない」と思った。
食べることは好きだし、お腹いっぱいになることにものすごい幸せを感じていたが
まったく興味を失ってしまった
昼になっても、まだ何かを食べたいという発想が出てこなく
食うことによる暇つぶしができなくなってしまったため、外に散歩がてら遊びに出た。
水分は細かくとっていたが「さすがに何か食べないと危ないのかも」という怖さがあった、
20年間気がつかなかった事に気がついた。
というか、どんな所に行っても「食に関する誘惑」が存在している。
クソあたりまえの事に気がついたのは、その「食に関する誘惑」が
家に帰る頃には、「ついに脳が壊れたか…」と思い始めていたが。
「おいしそうだなぁ」と思えるようになっていた。
淡々と用意し、食べ始め完食、どうやら無事に薬が切れてきたらしい
ふだんなら24時間も食べなければ、お腹がはちきれんばかりにドカ食いをするはずが
その日は休みだったが、朝起きると普通にお腹がすき、コンビニでおにぎりを2個買い
家で食べる、強烈な食欲もなく、まるで昨日24時間食べなかった事がうそのように
いつも通りに戻っていた、「投薬を中止することで元に戻る」という確信を得て
食後一錠飲んでから、遊びに
やはり昼、晩ともに、食欲を感じなかったが、何かを食べようと思えば食べれる
「食欲がまったくなくて食べれない」という不健康な状態ではなく
「食べることをはじめることも、終わらせることも自在」になっている
薬が効いてる時は、おいしそうなラーメン屋を見ても「食べたい食べたい食べたい!」という
意欲もないので、「食事に固執しない人」に生まれ変わったようだった。
長年の習慣は恐ろしく、癖で大盛りを選んだり、自炊の時にたくさん作ってしまうが
食べようと思えば食べれるので、カロリー制限を「考える」必要があった
ただし、減らすことに絶望だったり苦痛を覚えることはなかった。
ラーメンの大盛りをおいしく食べたいと思えば、一日薬を飲まなければ
次の日にはラーメン屋の看板を見ればよだれが出て、ウキウキしながら
いつものように食べ始めることができていたからだ。
しばらく乗っていなかった体重計に乗るとすでに5キロ落ちていることがわかった
デブは体重が減りやすいとはいえ、運動せず、苦痛もなく、だらだらと減っていく
それがこの薬のすごさであることに気がついた
その時点ではある感覚がしっかりと根付いた、「数字が減っていくと楽しい」
すでにこの時点で継続さえすればダイエットは成功すると確信していたが
それがシャワー浣腸だった
http://www.sexyboy.jp/note/note53.html
「男が一人暮らしを始めて最初にすることはオナニーの研究である」
オナニーの試行錯誤をしている時に経験があったので抵抗はなかった
これを直腸だけではなく大腸に至るまでやると、未消化の便が大量に出る
当然、筆舌しがたい状況になるが、やればやるほど体重計の数字が減る
投薬増量による効果は持続時間の延長と、食欲の完全排除を感じた
食事はあくまでも機械的に行なった
食事を楽しみたい、または付き合いで大酒を飲み、食う用事があれば投薬をいったん中止
『急に痩せたけど大丈夫?』とか『なにかの病気にかかった?』と心配されるようになった
自分自身は苦痛どころか気持ちよくて、死ぬほど食っても取り返せるので
心配することはなかったが、あまりに急激だったため、投薬を中期的に中止することを決意
そこから、また普段どおりの無意識の大盛りをするようになったが
胃が小さくなっていたため、大盛りを頼んで残すのようなことがしばらく続いた後
3キロほど増量、しかし、それ以上のリバウンドは発生しなかった
98キロ→83キロの気持ちの良い減量期間が終わった、薬もまだ20錠は残っていたので
結果的に1錠/1dayを超えなかった事になる。
特に心配されることもなくなった。
よく語られる、痩せたことによるポジティブな要素よりも、
食欲のコントロール、食事の楽しみ方の広がりを得ることが
とてつもない有意義を生み出した.
いっちゃいましゅうううううううううとか遊んでたし
痩せるよりも、そっちの開眼がやばかった。
初めて増田を使ったから、なんだかよくわからないトラックバックの投げかたしてしまった
たしか、テレ東かどっかが、会社のシステムがActiveXとか何かを使っていてIE6じゃないと動かないから、移行できない。
よって 強制的にIE6だし、そのせいで7にも上がらない。って話をどこかでしていたきがする。
バージョンの問題というか、互換性の問題でIE6向けのページをIE7がみられない。というアホ試用がすべての原因。
まぁ、開発者がごそっといなくなってるから、仕方ないといえば、仕方ないのかもしれないけど・・・。
サーバーアプリの開発なんて、企業だと数千万、数億飛んでいくから無理だバカ。というSIer大国の日本。
この差が生んだ悲劇。
まぁ、アメリカみたいに、サーバーアプリの開発なんて、社内エンジニアがちょちょいとやるのが当たり前。優秀な奴に2千万払ったほうがSIerに2億払うより安い。
って会社と。
俺の給料より高い奴が社内にいることを許せるわけがないから、Sierに2億払った方がマシ という日本の違い。
本当にバカらしい。
「もうスポーツできないって、どんな気持ち?」
TVは好きな番組を3つほど録画し、アニメを少し見る程度でニュースは
ほとんど見ていない。ネットでもニュースサイトを見ることが減って
ホットエントリをちょこっと見る程度なので、今回の地震は全く気が
つかずに過ごしてしまった。
昔はネットとTVにかじりつき脳がマルチタスクに動き、色々なニュースを
読んではみんなの反応を楽しんで、自分も感想を言ってたけど、ここ数年は
もう世間で何が起きてるかわからない。
熊本の女児殺害事件も、ネットで母親には過失が無いとか騒がれてから
知ったし、実際どういう事件かも知らないし調べる気もない。
世間ではおぞましい事件や卑劣な犯罪が起こってるだろうが、もう僕には
なんにも関心がなくなった。中東の民主化革命も置いてきぼりで、かつては
株をしていたが止めてしまい、為替や日経平均株価は今現在いくらなのか
ネットで調べればワンクリックで知ることができるけど、もうどうでもいい
無気力感が先行し何もする気がない。
場所を変えたり環境を変えれば変われる、とかいう人がいるかもしれないけど
新しい環境に移動する力がない。ただ、だるい・面倒・これでいいや。。。
このままじゃいけないのはわかってるが、何も出来ないもどかしさと焦り
意欲的に趣味や仕事に走る人への小さな嫉妬と羨望。そして憧れさえ最近は
かなり薄れていき目を閉じるようになった。
このままこの状態が進むと、幸せなことが起きても何も感じない人形みたいな人間
になるんじゃないか?と根拠の無い漠然とした不安がモヤのように掛かってくる。
今は非正規雇用で収入がかなり低いので転職をしてみようと思うが、求人をみて
面接はしていない。おもしろい本を読んでも途中で何か嫌になって読むのを中断
観ていない番組やアニメは貯まる一方。最近の昼食は休憩室で食事をしないで
倉庫の隅で誰とも顔を合わせないように食べてる。
人と接するのが嫌になった、世間と接するのも嫌になった、ネットも億劫になった。
そしてそれをぼやく回数もかなり減った。いまここで自分の気持を正直に書くのが
久しぶり。そのうちこういう不満もなくなって、ただ惰性で生きていくのが怖い。
自分から行動を起こさないでただ生きて行くだけでは、生き残れないと思う。
じゃあその対策と行動をすればいいじゃん。となるが出来ないんだよね、これが。
『キッカケ』はどうすれば掴めるんだろう?目の前にたくさんあるのは見えてる
けど心も体も動かない。遊園地に一人で取り残されてるみたいで寂しい。僕一人
だけベンチに座ってみんなの遊んでる姿を見るだけ。
こういう事を社会のせいや世間のせいにしたくないし、僕個人の責任のはずだけど
なんというか、やはり誰かの助けが欲しい。溺れるものは藁をも掴む思いで誰かに
頼りたくなるけど、僕はもう溺れて水の底に沈んでしまっている。
薄暗い水の底から僕は何が出来るんだろう?
http://anond.hatelabo.jp/20110308023901
http://bit.ly/ie6countdown これ見て仕事仲間と色々話したがね。金盾がある中国や途上国はともかく、日本どうなの?と。
本当は漢字に何の罪もないです。僕は漢字廃止論者でもなんでもないし、漢字はすばらしいですよ!
ツイッターでも「英文がついてるリンクは怖いから絶対ふまない」「うっかり英語のサイトに行ったらウイルスかもしれないからあわてて戻る」「外国人にフォローされたらなんであれ怖いからブロック」そんな人がわんさかいます。
Flickrあるじゃないですか。あれに僕写真アップしてるんですけど、綺麗な風景の写真のリンクをツイッターで張ったら話が通じない女の子がいてね。聞いたらなんだか危ないサイトだと思ったからFlickrをフィルタしてるって。ええー、フィルタ設定するような知識もあるのに、英語読む必要のないただの写真サイトでも英語だってだけで拒否です。
英語みたら逃げてしまう英語アレルギー。インストールの途中でちょっとでも英文字があると拒否反応というユーザー。
日本語情報しか見てないから情報アンテナ感度が低い。検索エンジンのグーグルのシェアの低さも世界では日本が特異的。とにかく何をやってもガラパゴス。
IE6を早期に切り捨てたリッチなWebサービスも大抵英語から。サービスに乗り遅れるからIE6切る必要性もない。ツイッターが流行ってやっと第一歩というところ。
仏教と関係あるのではという社員もいたが、どっちかと言えば儒教。
新しい仕様や技術に明確な利点があっても、新しいというだけで導入を拒まれる。
どんな無駄な労力をかけても、古きを尊び対応するのが正解だと妄信している。
社内システムや管理アプリがIE6ベースなので変えられない、変える予算もでない。
ちょっとでもリスキーでやらなくてもいいことは、利点がわかっていてもやらない。
IE6しか使えない事にしておけば、いろんなサービスが不便だからインターネットの悪用もついでに防げるだろう(ぼうよみ
っていうか社員各自はろくにインターネットに繋がらないなんて会社も未だにあるのが日本。
とにかく禁止禁止!
アンテナ感度の低さ、古いものへの妄信、金がない、これらが合わさって会社規模でも開発規模でもアジャイル性がとことん低くなっている。