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はてなキーワード: 類推とは

2020-02-20

anond:20200220053409

上手く回ってりゃそうそ疲弊しないんで、たぶん指揮系統グダグダでムダなことやって疲弊してるんだと思う

フネ現場見た訳じゃないか類推だけど、そういう構図は世にありまくる

2020-02-17

anond:20200217181448

どっちかっつーと受け取る方の問題だと思う

普通は顔だけで性別分かるし

(そういうのが本気で分からないなら発達障害とかなのかもしれない

描き方のパターンから類推できない、ってことで)

そもそも分からんなら別に分からんでもいいわけだし

2020-02-10

フェミニズム界隈を巡っての反論

 日本フェミニズムが抱えている問題複数あって、煎じ詰めれば「思想善悪如何はともかく、その行動が全く効果的ではない」という一事に尽きる。

 女性地位向上。大いに結構。その、地位向上のためにある種攻撃的な手段を用いること、これまた結構

 しかし、攻撃的な手段を用いている割には、その効果殆ど出ていないことに問題があるのである

 むしろ結果的にそのような手段が、フェミニズムに対する周囲から評価を下げてさえいるのが問題なのだ


 古来より女性男性による抑圧を受けてきた。この事実を頭から否定することはできない。

 例えば、近代イギリス小説家サマセット・モームは、作品『月と六ペンス』の中でこう書いている。「女性自分を殴る男性を好んでいる。むしろ自分を殴ることのできない男性のことを見下しているのだ」と。

 このような記述は、文脈的に言えば主人公チャールズストリックランドタヒチを訪れた際に語られているものである。ここからは、モームがどのような立場女性一般化しようとしていたのかが読み取られ得る。

 また、自然主義人間本質を虚飾なく描くことを目的とした主義思想作家大家である近代フランスエミール・ゾラが書いた『居酒屋』では、登場人物の男らが、まるで息をするように女性達を殴りつける描写が、散りばめられている。貧民層の現実標榜した彼の作品においてもまた、女性に対する暴力が大いにクローズアップされている。


 このように、国の内外を問わず女性に対する男性から暴力というもの散見される。流石に、このような状況は現代において相対的改善されているものの、未だどこかしらに不満を残す女性がいることに不思議はない。その女性らが、自らの権利を向上するための運動を行ったとして、何の不思議があろうかとも思う。


 問題は、それらの行動が評価を得にくいこと、あるいは、フェミニズム評価を落としていることである。それらの行動の多くが、効果がないどころか逆効果であるという点である

 具体的に、何故そのような問題が発生しているのか?

 以下に論点を纏めていく。


1:フェミニズム議論ソフィスティケートされすぎており、一般女性男性認識に馴染まない


 古代ギリシャ劇作家アリストファネスは、自身の著した喜劇『女の平和』にて、女性らのセックスストライキを描き出している。


 女性達が、「そんなに戦争が好きなら、私達を抱かなくとも大丈夫なんだね?」

 と、戦争反対のため断固セックス拒否する痛快さ。このような鮮やかさは、現代人にさえ快い衝撃をもたらすものである

 女性の最大の魅力は何か? それは性である、とアリストファネスは言う。

 このような言説は当時のギリシャ男性においてのみならず、近代フェミニストらにも見られる。

 女性が短いスカートを履くこと、自身の魅力を以て大いに社会地位を占めること――その権利回復せねばならないということ。それを目的として、20世紀フェミニストらが声を張り上げていたことは言うに及ぶまい。

 その運動社会において大きく効果を上げた。

 イランのごとき保守的国家においては、女性が人前に出る際には目元を除き身体ベールで覆う必要がある。そのような規則女性利益担保しているのか、損なっているのか、議論の難しい点には違いないが、現代においてはそのような保守的傾向の多くが拒否されている。女性らは、身体ベールで覆うことを一般的によしとしない。

 女性が獲得した権利はそこに見られる。つまり、性の発露である

 性はそれまで女性自由にはならなかった。構造主義先駆者とされるレヴィ・ストロースは、「女性男性らの所有物であり、婚姻という形で交換が行われた」という意味の主張を行っている。彼に対する当時のフェミニストらの批判推して知るべしだが、女性婚姻父権立場にある人間によって執り行われることは多く存在していた。そういう意味で、女性にとって婚姻も性も自由とは言い難かった時代存在していたのである

 自身の性を管理行使する権利が、婚姻不自由によって制限されていた時代があったことは、間違いない。この文脈に沿って言うならば、間違いなく女性権利現代において拡張されたのである

 ここまではフェミニズムにおいて一般的な議論範疇である

 とは言え、問題はこの延長線上にある。


 女性自身身体的魅力を大いに利用すること、それはアリストファネス喜劇に見られるように、女性自由を支えている。そこには、フェミニズムと密接に関係する女性権利の実現が確認できる。

 しかし、昨今、この身体的な魅力を大いに活用することは、「性的搾取」に繋がることが指摘されている。


1-2:性の解放性的搾取

 相対的な性の解放が、性的搾取に繋がること、これは表裏一体の問題と言える。


 当然、女性社会進出をする上で、女性自身の性を政治手段として用いることには、危うさが秘められている。

 そのような危うさをして、現代フェミニストらは「性的搾取」の大号令を行う。

 アイドル、性産業広告業芸術

 これらの分野における女性露出性的搾取危険を秘めている、と現代フェミニストらは声を揃える。そこには危険があり、権力の影がある、と。

 ここにおいて、深刻な二律背反が生じているのは明らかである

 女性スキームとして用いる性が、危機的な結果に繋がっている。ここでどうするべきなのか?

 残念ながら、この問題に明快な結論は出ていない。


 政治家の大多数が男性であるこの社会において、支配者と被支配者の対照は、男性女性という対照類推させる。

 男性狡猾である――多くの女性の思う以上に――男性狡猾である男性暴力行使することができる。端的に言って、男性の筋力は女性に勝り、悪しき意志が備わりさえすれば、女性尊厳根本からなうことを可能とする。恐らく、文明以前の原始時代においては、男性はこれらの暴力を非常に効果的に用いてきた。そこには、ある種暴力弁証法とも呼ぶべき歴史があった。例えば、あるコミュニティコミュニティが衝突する――。一方が敗北すれば、その敗者側のコミュニティに属していた女性は、勝者側に所有されることとなる。多くの場合、そこにおいて女性尊厳考慮されることはない。

 昆虫動物らに見られる、コミュニティコミュニティの争いや、イスラム国による女学校の襲撃を思い出して頂ければ、上記の言説の正しさは容易に担保されると思う。

 男性狡猾であり、暴力性を有史以来、あるいは以前において大いに活用してきた。

 勿論、現代においても男性による暴力が根絶されたわけではない――とはいえ、その状況は改善されている。暴力には法が対応する。無論、適切な対応が成されない場合存在するが、少なくとも有史以前に比べれば状況は好転している。

 その進歩の影には、恐らく全ての心ある女性と心ある男性の尽力があったことだろう(思うに、倫理を生み出すのは常に狂気じみた努力である)。

 人類は持てる限りの理性を用い、公私において倫理を整備してきた。

 我々は持てる限りの能力を用いてきた。そこに、女性の尽力が関わっているのは間違いあるまい。

 女性はその能力を大いに用いてきた。


 さて、端的に言って、性的魅力は女性能力である

 それは、女性が何かを望む際に、その実現を助ける能力になり得る。例えば、意中の人と結ばれる際にその能力は大いに役立つ。

 性的魅力は疑いなく女性能力である女性自身尊厳担保し、増進させるために、その能力は用いられ得る。


 しかし、その能力女性自身らの尊厳の為に活かすことと――それと、男性(や女性)によって、その能力が利用されること――とは二律背反となっている。

 近代において、女性の魅力や能力が、適切に用いられることをフェミニストは願ってきた。しかし、ここに来てその努力は一つの壁にぶち当たることとなる。

 例えば、大きな胸を強調したポスター女性の魅力が強調されてはいるが、不適切方法で強調されているのではないか――そういう議論が起っている。

 女性の魅力をみだりに利用することは、女性に対する搾取である、と人は言う。

 この命題は決して間違っていない。「女性の魅力をみだりに利用することは、女性に対する搾取である」。決して、この命題は間違っていない。

 とは言え、ここが言わばロドスである


1-3:ソフィスティケートされ過ぎた議論

 女性の魅力をみだりに利用することは、女性に対する搾取となり得る。


 勿論それはそうだ。とは言え、そこには議論錯綜するポイントがある。

 まず第一に言えるのは、女性の魅力の発露=性的搾取といった、シンプルかつ誤謬を招く等式が発生し得ることだ。

 女性が何らかの能力を――この場合には性的魅力を――社会において発揮すること。その能力を発揮することにおいて、何らかの報酬を得ようとすること。それ自体は悪ではない。

 自分能力への対価として報酬を貰うことは、多くの場合善悪とは関係ない行為である

 例えば、女性の高く伸びやかな声、時に力強い声。歌手はそれを披露する。

 例えば、ダンサーは時に挑発的に、曲線的なライン身体を躍らせる。挑発的に、攻撃的に。

 絵画において、裸婦は笑う。裸婦は草原に寝そべり、微笑んでいる。

 これらは全て、(努力などによって獲得された)肉体的魅力を発揮する行為に他ならない。とは言え、それらの魅力や能力の発揮が、「搾取」に繋がると人は言うのである。つまり、その行為は翻って女性地位を貶め、最終的には女性全体に対する不利益を導くものだ、と叫ぶのである


 例えば、女性歌手楽曲を作り、歌う。彼女は、男性への恋心を叫ぶ歌謡曲を作り、歌う。その曲を批判して、「媚びている」と誰かが叫ぶ。

「媚び」はこの場合、不自然女性立場貶める行為であり、最終的な女性不利益を招く行為を指している。端的に、それは搾取対象であると、誰かが指摘する。

 例えば、写真家女性写真を撮る。彼女は、頬杖を付きながら、気だるげに微笑む。その写真批判して、「媚びている」と誰かが叫ぶ。その「誰か」は、最終的に女性不利益を招くと指摘する。

 例えば、

 例えば、例えば、例えば――


 女性が魅力を発露すること、それが搾取対象になり得るということ――それは必ずしも同じではない。しかし、そこには矛盾がある。女性尊厳担保し、増進するために、魅力が用いられること。そのような魅力が搾取対象とされてしまうこと――。

 女性能力を発揮すれば、それは女性全体の利益を貶め得ると誰かが叫ぶ。

 能力を発揮すれば、誰かがそれを利用し搾取すると、その誰かは叫ぶ。最終的には、女性全体の立場は貶められ不利益帰着すると、その誰かは指摘する。

 これが、フェミニズムソフィスティケートされた結果なのである。それは、端的に矛盾である

 カメラに向かって微笑みかける誰かの存在を、「性的搾取であるとし、それがゆくゆくは女性全体の利益を損なうと指摘する――。

 このような言説には致命的な混乱が含まれていると言って差し支えないだろう。近代フェミニズムによって獲得された、女性自身能力や魅力を自身権限によって行使する自由は、ここにおいて壁にぶち当たっている。


 能力を発揮することは搾取に繋がる。能力を発揮してはいけない。

 このような論理は、一般的な男女を納得させるに足る論理であろうか?

 勿論それは不可能であるフェミニズム矛盾にぶち当たっている。

 そして、その矛盾を解消し得る論理が未だに発見されていない現在――少なくとも、フェミニズム論理一般的な男女を――あるいは当事者であるフェミニスト自身らさえ――説得できる状況にない現在思想としてのフェミニズムは大きな困難に直面していると言わざるを得ない。


2:結論

 結局、フェミニズムが直面している矛盾を、フェミニスト自身らが解決できていない状況において、その混乱を抑えられていないのが現状と言えよう。

 その混乱のさなかでは、到底周囲の人々を納得させ得る行動など、示せるわけがないのである

 昨今のフェミニズム運動空虚さ、反感のみを招く徒労さはそこに根を置いている。これまでに獲得してきたものと、これから獲得しようとするものとの間に生じる矛盾――その矛盾解決することなくして、現代フェミニズムは正しい舵取りを行うことなどできない。結論としては以上となる。

2020-01-21

田舎が嫌いだ。いじめたこともいじめられたこともなかったが、学生の頃から地元人間の馴れ馴れしさが、図々しさが気持ち悪かった。高校から逃げ出して県外に通ったけど、出身地を聞かれると適当に濁してしまう。転勤族で、とか。本当は引っ越しなんかしたことないのにね。たまに嘘もつく。できるだけ方言を使わずに過ごしてきたから、言葉もさほど汚れてはいないだろう。少なくとも、出身地類推できるほどには。

大学都内就職都内田舎とは無縁の暮らしをしていたはずだった。それなのに、彼女に言われてしまった。都内まれ彼女。「子供ができたら、あなた出身地で育ててもいいよね」流石に彼女には出身を教えているが、嫌っていることも知っているはず。なのに、適度に田舎な方が育てやすいように思えるんだそうだ。要らねえ。子供田舎に住みたがる女も要らない。話せばわかってくれそうな人だと思うが、そういうふうに思う女だってことが無理だった。果てしなく要らねえ。はあ、未だに出身呪縛に囚われている自分が嫌だよ。

2020-01-14

人間はついつい自分にあてはまる悪口を言ってしまう。

持論なんだけど、人間ってついつい自分ダメージくらう悪口を、相手に言ってしまうんだよね。

 

これは特にネットで顕著。

というのも、相手ダメージが大きい悪口本来言いたいわけだが、相手属性が判らない状態では、自分主観から相手状態類推するしかいからだ。

主観から相手状態類推する傾向は、別にネットでの悪口に限ったわけではない。例えば昔の文通文化研究では、顔もしらない文通相手のことを自然自分とよく似た人間だと考えてしまう傾向があるのが知られている。会話相手の「顔」が客観的存在しない場合人間は顔のない存在と会話するのではなく、そこに想像上の顔を当てはめて会話する。そして想像材料には、自分主観経験を用いるというわけ。

 

から、この無職め! 就職しろ!といきなり言う増田がいた場合は、そいつ過去または現時点で致命的な無職だった経験があり、そのことを負い目に思っている……ということがわかる。 

ネトウヨ自分で考えていない馬鹿からな、とかいつも言っているネトサがいた場合は、そいつは「お前こそ自分で考えていないだろ」と言われるのを誰より恐れている。

文字しか知らない増田女さんにブスじゃんとか言う男さんは、おそらく本人がイケメンからは程遠いことがわかる。

このように、悪口を言うことは、すなわち自分の弱点をさらす事と同じなのだ

レスバトル的に反論ときも、それを踏まえて相手悪口に似たことを言ってやれば、顔が真っ赤になる確率がかなり高いぞ。

 

今日はこいつを見て、やっぱ俺は正しいな、と思った。anond:20200114180104

2020-01-03

さなオタク村で古参お局に目をつけられた話

もうとっくに放送終了したアニメ化作品にハマり、Twitter落書きアカウントをやっていた。

ジャンル内で友達を作らずずっとぼっちで、誰にも相談できずずーーーーーっとモヤモヤしてたので吐き出させてください。

ジャンルオタクのお局みたいな人(古参)のAさんにおそらく目をつけられていた。

私の何かが気に食わなかったんだろうけど 私が何か絵をUPしたり呟いたりするたびに毎回エアリプの嵐。

「(推しキャラ)くんかわいい〜」みたいなどうでもいい呟きをしたら

だいたい5分以内に

「(推しキャラ)をかわいいキャラとしてしか見てないオタクマジでウケるw」

みたいなエアリプが来る。

「第○話のあのシーンはこういう意味だったのかな…」とでも呟こうものなら

「第○話は昔作者が雑誌(今は手に入らない)のインタビューでこうこうこう答えててこういう意図で描かれたシーンなのににわかは都合よく浅い解釈しがちで受けるw」みたいな訂正と公開処刑がセット。

同じような呟きは、他のオタクもたくさんしているのだが、わたしだけ何を呟いても重箱の隅をつつくような間違いを指摘され、古参お局の餌食にされる。

それをいつもいいねしている信者が7人ぐらいいて、私のことをみんなで馬鹿にして裏で盛り上がってるのかな?と被害妄想さえ湧いてくる。

冷笑系オタクたちが、オタク同士でオタク馬鹿にするのが面白いと思ってコンテンツとして楽しんでたんじゃないかな。

最初自分自意識過剰なのかと思ったけどあまりピンポイントニッチな話をしても即エアリプが来る。

人がほとんど起きてなさそうな深夜にそっと呟くようにしても、朝には必ずエアリプが来る。

お前わたしのこと好きすぎだろ?ストーカーかよ。

もしかして私が呟けば通知が来るように設定してないか

秒でエアリプくるとかおかしすぎるだろ。

お互いフォローはしていない。同じ作品が好きなオタクというだけの全くの他人

向こうから私の垢は見えてないはずなのに、サブの鍵垢でフォローしてずっと監視してるのだと思う。

まりにしつこいのだが、私のことを言ってるという証拠はないし、いつもたまたま話題が噛み合っただけというように言い逃れできるラインをこえない陰湿さ。

ブロックしてもどうせ鍵垢から監視されているので意味はない。

というか、ブロックしない、完全無視をし続けることで「お前のエアリプノーダメージ」という顔をし続けることが私の唯一の反抗だった。

ただ、私とAさんを両方フォローしてる人も多いので、あまり話題ピンポイントで同時に噛み合いすぎてて、相互フォローの人同士がエアリプで言い合ってるようにも見えるだろう。

というか、いつもいつもAさんに突っ掛かられている私を見て、両方フォローしている人たちはこの異様な状態をどう思っているのだろう。

二次創作をしている人の中で、私の絵が好きだと言ってくれる人もそれなりにはいたし、そんなに浮いた存在でもなかったと思う。

毒にも薬にもならないらくがきアカウントだ。

あえて言うなら、その凡庸陳腐オタクであることこそ、Aさんにとって格好の見下せるオモシロコンテンツだったのだろう。

Aさんの仲の良い人たちは尖った目線で何かを馬鹿にしてることで自分たちが上位のオタクなんだと確認しあってるようだった。

かに相談しようにも、友達もいないし、何を描こうと呟こうと、Aさんにどこか粗探しされては「私のことだろうな」と類推できる嫌味を言われたり馬鹿にしてネタにされるのでやがて何も呟けなくなった。

最後はもうどうでも良くなって垢ごと消したのだけど、今になってもなんで見知らぬ人にあそこまでしつこく嫌がらせされ続けなきゃいけなかったのか、

それをさら肯定する人たちで盛り上がってたのか、私はただ黙って逃げるしかなかったのか、と時々腹が立って仕方なくなる。

あのジャンル続けてる人まだいるのかな?

次はまた新しい標的がいたりするのだろうか。

2020-01-02

anond:20200102160851

元増田は「子供母親=おじいさんの娘」と書いてる(恐らくそれが類推できる会話があったんだろう)のに嫁と思い込むのって

結婚した女が夫の父を差し置いて実父と一緒に出掛けるなんてあり得ない」と思ってるんだろうか

2019-12-22

個人情報保護委員会も、公取委に言ってくれ……これ位。

公取委個人情報保護委員会とは別にオンラインサービス規制提案して、「サービスの対価として自らに関連するデータ提供する消費者」とか言い出してるけど、EUでも似たようなことが起きてたらしい。

欧州委員会オンラインサービス規制のための新しい指令を起草して、そこで「消費者サービスの対価を個人データで支払う……」とか書いてしまった。これに対し、欧州データ保護監督機関が「何すんじゃワレェ!」したのが以下の見解である

EDPS Opinion 4/2017

https://edps.europa.eu/sites/edp/files/publication/17-03-14_opinion_digital_content_en.pdf

EDPSはデータ駆動経済について、EUの成長のために重要であること、デジタル単一市場戦略として唱道されるデジタル環境において抜きんでていることを認めております消費者法とデータ保護法とが共同し相補しあう関係にあることは私たちが一貫して論じてきたところであります。ですから、「デジタル商品」の提供を受ける条件としてデータ差し出すことを要求される消費者保護を強化するために、デジタルコンテンツ供給にかかる契約に関する特有の側面にかかる2015年12月の委員会指令プロポーザル意図しているところを、私たちは支持しております

しかしながら、この指令のある側面は問題はらものです。というのも、これが適用可能なのはデジタルコンテンツのために価額が支払われる場合だけではなく、デジタルコンテンツ金銭以外の個人データその他何らかのデータの形での反対給付と引き換えに供給される場合にも適用可能からです。EDPSは、人々が金銭を支払うのと同じように自分達のデータを支払えるという考え方を導入するような規定を新たに定めることのないよう警告いたします。個人データ保護を受ける権利のような基本権は、単なる消費者利益に縮められるものではありませんし、単なるお値打ち品のように個人データを捉えることはできません。

最近採択されたデータ保護フレームワーク(以下「GDPR」といいます)は、未だ完全には適用可能でなく、新しい e-Privacy 制度は今も審議中でございます。ですからEUとしては、立法者が協議されている入念なバランスをひっくり返すようなプロポーザルは、何であれ避けるべきものです。イニシアティブの重複は、デジタル単一市場統一性意図せずとも損ない、規制断片化と法的不確実性をもたらすことになりかねません。デジタル経済における個人データ使用規制する措置として、EUGDPR適用することをEDPSは推奨いたします。

「反対給付としてのデータ」という概念……このプロポーザルでは未定義のままです……は、所与のトランザクションにおけるデータの正しい機能について混乱を引き起こす恐れがございます。この点で供給から明瞭な情報がないため、さらに難しいことになるでしょう。それゆえ私たちは、この問題解決する一助として、EU競争法におけるサービス定義を一考することをお勧めしますが、その地域範囲定義するうえでGDPRの用いている規定が役立つかもしれません。

見解では、このプロポーザルGDPRとどのように影響し合うことになりうるか検証いたします。

第一に、データ保護制度に基づく「個人データ」の定義が広範であるため、その効果により、この提案指令の対象となるデータが全て GDPRに基づく「個人データ」とみなされることは十分にありえます

第二に、(個人データの)取扱いが発生する厳密な条件はGDPR指定済みであり、この提案指令に基づく修正や追加を必要としておりません。このプロポーザルは反対給付としてデータを用いることを正当とみなしているようですが、GDPRでは、例えば、(本人の)同意有効性を検査し、デジタル取引文脈において(同意が)自由意思に基づくとみなしうるか決定するための、新たな条件を一式用意してございます

最後に、消費者に与えるものとして提案されている契約終了時に供給からデータを取得する権利供給者がデータ使用を控える義務は、GDPRに基づくアクセス及びポータビリティ権やデータコントローラデータ使用を控える義務オーバーラップしている可能性があります。このことで、適用する制度について意図しない混乱をもたらすことになりえます

EDPS Opinion 8/2018

https://edps.europa.eu/sites/edp/files/publication/18-10-05_opinion_consumer_law_en.pdf

見解は、EU消費者保護規則のより良い執行近代化に関する指令のプロポーザルと、消費者集団的利益保護のための代表訴訟に関する指令のプロポーザルからなる「消費者のための新しい取引」と題する立法パッケージに関するEDPSの立ち位置を概説しています

EDPSは、目標において最近近代化されたデータ保護フレームワークと密接した領域で、既存規則近代化しようという同委員会意図を歓迎します。EDPSは、個人データの大規模な収集収益化、およびターゲットコンテンツを介した人々の注意の操作依存するデジタルサービスの主要なビジネスモデルが提す課題対応するために、現在消費者法におけるギャップを埋める必要性を認識しています。 これは、消費者法を改善して、個人デジタル市場の強力な企業との間で拡大している不均衡と不公平是正する、またとない機会です。

特にEDPSは、指令2011/83 / EU範囲を拡大して、金銭的な価格にて提供されないサービスを受ける消費者が、同指令が提供する保護フレームワーク恩恵を受けることができるようにする意図を支持いたしますが、それはこのようなサービス今日経済的な現実ニーズを反映しているからです。

このプロポーザルでは、EDPS Opinion 4/2017の推奨事項を考慮して、「反対給付」という用語使用や、消費者によるデジタルコンテンツサプライヤーへのデータ提供が「積極的」か「受動的」か区別することを控えています。ただしEDPSは、プロポーザルで想定されている新しい定義により、消費者お金で支払うのではなく、個人データで「支払う」ことができるデジタルコンテンツまたはデジタルサービス提供に関する契約概念が導入されることに懸念を示しています。この新しいアプローチは、「反対給付」という用語使用したり、個人データ提供価格の支払いを類推したりすることで生ずる問題解決していません。特に、このアプローチは、個人データを単なる経済資産とみなしているために、データ保護の基本権としての性格を十分に考慮していないものとなっています

GDPRでは既に、デジタル環境にて個人データの処理が行われ得る状況に関するバランスを既に定めています。 このプロポーザルで、GDPRで定める個人データを完全に保護するとのEUコミットメント矛盾するやり方で解釈される可能性のあるアプローチを促すようなことは避けるべきです。データ保護法の原則を損なう危険を冒すことなく幅広い消費者保護提供するために、電子商取引指令における「サービス」の広範な定義や、GDPR地域範囲定義する規定、もしくデジタルコンテンツプロポーザルに関する理事会一般アプローチの第3条(1)などに基づくアプローチ代替することが考えられます

したがいまして、EDPSは、「有形媒体では提供されないデジタルコンテンツ供給に関する契約」や「デジタルサービス契約」の定義にて個人データを参照することを何であれ控えていただくことを推奨し、その代わりとして、次のような契約の考え方に依拠することを提案します。 それは、「消費者への支払いが必要かどうかに関係なく」特定デジタルコンテンツまたはデジタルサービスを売り手が消費者提供または提供することを約束するというものです。

その後

きちんと追えていないが、「EU消費者保護規則のより良い執行近代化に関する指令」は、昨月末に採択されたようで、前文に「digital services provided in exchange for personal data」という表現が残ったものの、個人データについては「GDPRに従う」とのことで落ち着いた様である

https://eur-lex.europa.eu/eli/dir/2019/2161/oj

2019-12-21

学校無駄イベントお楽しみ会かくし芸大会)は立派なパワハラ

立場が強い者の個人的な満足感のために、②弱者反論余地すら与えず、③無理やりやりたくもないことをやらせて、④精神的苦痛を味合わせる行為

これどうみてもパワハラですよね?

一つずつ解説しましょうか?

教師は生徒よりも明らかに力が強いです。権力腕力発言力、全てにおいて。

教師の言うことは絶対です。絶対である部分とない部分の境界が生徒に示されておらず、絶対ではないと思って絶対である境界を越えるとボコられるので、生徒からすれば全てが絶対です。情報非対称性が生まれいるからです。

③やりたいと思っているかどうかを判断するのは提案した教師に一任されます。つまり教師側の推察、類推、悪い言い方をすれば妄想の域すら出ていません。

かくし芸を持っていない人がかくし芸をやらされれば劣等感を味わうのは間違いないでしょう。クラスで仲の悪い子供同士なのにグループを組んで談笑しろと言われても愛想笑いを浮かべるか喧嘩をするかそれぐらいです。

理解いただけましたか

運動会文化祭は仕方ないにしても、それ以上のイベント教員独断で増やす行為は紛うことなパワハラですからね。

教育委員会教師側に命じる場合でも、それは間接的にパワハラをさせているということですし、教師側はその状況に対して命令に屈してパワハラを行っていると自覚すべきです。

2019-12-17

anond:20191217090711

番線程度でわかることから類推すると

物語的には

子供を埋めないようにする

子供を殺す

ごめんねって言いにいく

の順番なんじゃねーか?

2019-12-10

anond:20191209231656

言葉から類推するに

その金額では難しいのでセールか何かでたまたまその金額のものが入手できたら確保しておきますということか

2019-11-27

anond:20191127173402

ツイタクでいいのでは ついフェミわかる人には通じるとおもうで

特に同一ツイートや同一増田でツイフェミが○○ならツイタクは✕✕だなあとかでてくれば類推普通可能かと

2019-11-18

anond:20191118151138

その類推論理的に成り立ってないという指摘だろ。「部分的ダメから全体もダメに違いない」と決めつけてるだけ。

2019-11-15

特に勉強してないけど英語できるようになった俺の方法

1年ほど前、ハッと気づいたんだが、俺は英語ができる。聞き取れるし、ある程度喋れる。

旅行に行ったら特に困ることはないし、現地の人間雑談もできる。

しかし、別に英語学校には通っていないし、留学もしていない。教材を買って勉強したこともない。

現在は32歳だが、勉強せずにいつのまにか出来るようになっていた。しかし、振り返ったらあれがよかったな?と思うことはあるので書いてみる。

単語をとにかく覚える

受験生のころだが、単語だけはとにかく暗記した。今でもこれが効いている気がする。使ったのは単語王っていう、当時一番単語が収録しているのが売りの参考書だった。

これを4周はしたかな?とにかく丸暗記した。

今でも、「あ、単語王で覚えた単語だ」って思い出すからかなり効いていると思う。

映画をとにかく見る

自分映画が大好きで、劇場で年に50本、それ以外で年に100本は見ている。

そのとき吹き替えじゃなくて字幕で見て、とにかく英語で何を言ってるかを聞き取ろうとしている。

日本語字幕から英文類推して、発音確認していく、というのをやっていた。

今では字幕なしである程度わかる。ちゃんストーリーを追いたいか字幕で見るけど。

旅行に行ったら現地のバーに行く

旅行に行ったら現地人が溜まってそうなバーに行って、そこで現地人と話す。

ヨーロッパだと日本人が珍しいのか、向こうからしかけてきたりする。

そこで相手人生を聞く。これは完全な趣味

おれは哲学大学院中退して今はワイナリーで働いてるんだー、とかそういう話を聞く。

 

俺はちゃん勉強してないんで、英語はできないとずっと思っていた。でも、数年前ぐらいから「あれ?意外とできるんじゃね?」と思い始めて、最近は「できるなー」と思ってる。

勉強が続かなくて英語ができないって人は多いと思うので、この方法を試してみてもいいと思う。

2019-11-13

anond:20191112112951

「"自発性に基づく"という前提があるのに、あの広告では不適切だ」と批判

この理路のバカバカしさ


【あれはコラボ企画である

そもそもコラボで人を釣る企画であり、「自発性」を問題にするならコラボ自体NGってことになる

ここについて、クリアファイルで釣るというコラボ行為許容範囲とした場合

ポスター文言イチャモンつける空々しさがお分かり頂けるだろうか

あのポスターは、広告効果として「コラボやってます」以上の価値を持たない

しらん人が見て不快になる事がある可能性が沢山の批判()から類推できるが

批判()してる人の何人が、知らずに献血に行って不快になったのだろう?

一桁レベルじゃないか


んで、バカが見つけて、アホが炎上させて、サルがいろんな屁理屈を並べだした

サルの中にはマチアソビで使われた「鬼滅の刃」のコラボポスターには女性への配慮があるとか抜かしてるが

Vol23で話をしてて、Vol22の竹咥えさせられた禰豆子のポスターを見てないんだと思うんだよな

あれなんて鬼滅の刃を知らなきゃ宇崎ちゃんどころじゃないだろ

その場その場で目に付いたものからキトウに理屈をひり出す

その程度の後付の批判なんだよ

実際みんな、この炎上がなきゃ知らなかったろ?このポスター

2019-11-12

anond:20191112140441

架空乳袋性的強調

実在巨乳向け服:強調が目的でない(ふつうに服としての保護などが目的

 

コンセプトが同じなら実在でも架空でも同じ、といいはりたいなら

巨乳向けブランドではなく

https://item.rakuten.co.jp/u-new/aa-dy-5018/ くらい出してこいよ

これくらいデザインまでも同じでないと

コンセプトだけで類推できると言い張るのはランドセルだの制服でのエロ規制を強化するだけで悪手でしょ

一部アホオタク自爆が大好きだからなあ

2019-10-31

anond:20191031224503

現実知的障害者ではなく、その映画に出て来る知的障害者がそう描かれていたのであれば

そこから類推するのは何もおかしくないが。

その映画知らんけど

映画の話と現実をごっちゃにしてる方が頭悪そう

2019-10-27

anond:20191026193948

世間の子育てに対するイメージが変わらない限りそれはないんじゃない?

これは空気を読む話であって、自分たち信条の話ではない。

夫が育児してくれるから云々のtwitterを見て、「なんだこいつの普段育児しないんだな」という評価は出てきた?

押しなべて言うってことは、珍しい現象という類推が働く可能性がある。その類推が働いても、男性は許されるが、女性は許されないという空気がある。

ゆえに、夫がそういうことを書いていたら、妻は「やめろ」と言うだろうなと思う。

あと、あくまでもトロフィーなので、トロフィーに興味がない人にtwitterは刺さらないと思う。そんなハイリスクトロフィーを投げつけられるより、面前でお礼を言うほうが刺さる人もいると思うんだけどな。

...と書きながら思い出したが、 一語文くらいしか話せないような子供ママって呼ばれている男性はかなり子育てしていると思うけど、たぶんほとんどの男性はわかっていないと思う。乳児最初発音できる音はどの言語でもmaだと聞いたことがある。だから、世話してくれる人はみんなmaで呼ばれる。

2019-10-26

anond:20191026121334

しろメジャーマイナーかも分からない大衆があのポスターを見てどのように思うかという話だと思うのだが…

前提を排除し、描かれた巨乳という象徴について人々がどのようにリアクションするか

多数決類推の話なのだ

2019-10-25

anond:20191025095212

オタクがではなく「フィクションの女をみることで現代女性がなにをされれば喜ぶか類推出来る」と勘違いしがちなキチガイがくるとまずいだろうけど

それはどの絵、どの漫画でも起こり得るんだよなあ

美術館だと古い時代の絵が飾ってあるところだという前提が常識としてあるけど

重度のキチガイ場合それでも平気で踏み越えてくるから

江戸しぐさだの戦国時代の女は道具だからこそだのw

生半可な知識だけで糊塗できてないかお笑い草w

2019-10-20

日本語にエ段音が連続しづらいのは現在日本語のエ段音は新しい音だから

[追記あり]

この増田について解説

 

anond:20191019223745

 

日本語母音は昔からアイウエオ5段だったわけではなく、時代によって変遷があった

50音図やいろは歌が広まった平安時代以降は概ねアイウエオ5段だったんだけど

万葉仮名の分類を行った結果、かつては

(ア)(イ甲)(イ乙)(ウ)(エ甲)(エ乙)(オ甲)(オ乙)という8段の母音があった

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E4%BB%A3%E7%89%B9%E6%AE%8A%E4%BB%AE%E5%90%8D%E9%81%A3

 

という話を前提として。

この8音はどの音も平均して使われていたわけではなく、出現頻度の高い音と低い音があることを大野晋という学者発見した

  • [出現頻度高] : (ア)(イ甲)(ウ)(オ乙)
  • [出現頻度低] : (イ乙)(エ甲)(エ乙)(オ甲)

 

https://www.dai3gen.net/boin.htm

 

なぜこのような分布の差ができたかという理由について、大野晋

出現頻度の低い4つの母音本来日本語母音ではなく、他の2つの母音が融合してできたものだという説を出し、現在概ね受け入れられている

 

  • イ乙 → オ/ウ+イ甲
  • エ甲 → イ甲+ア
  • エ乙 → ア+イ甲
  • オ甲 → ア+ウ

 

(被覆形・露出形/動詞活用の期限 などで調べるともっと詳しい話がわかると思う)

http://shouyouki.web.fc2.com/sakaya.htm

このなかで、エ段音だけは甲も乙も本来の音ではないので、日本語では連続して出てこない

特に擬声語擬態語では「デレデレ」など新しく作られた言葉くらいしか現れない

 

[追記]

 

被覆形・露出形に補足してくれたブコメありがとう

これは概ね賛成。露出形・被覆形についてはhttp://nobinyanmikeko.hatenadiary.jp/entry/2019/02/23/011616

この法則複合名詞の時に一部の母音が交替する現象説明したものなんだけど

例)

 酒 サケ乙 : 酒蔵 サグラ

 爪 ツメ乙 : 爪先 ツサキ

 木 キ乙  : 木陰 カゲ乙

 身 ミ乙  : 躯 ムロ甲

 

この他にも上二段・下二段活用の未然や連用形で出てくるイ段・エ段音は乙類であるって法則があり、

その場合関連する自動詞他動詞ペアでは上記被覆-露出の交替と同じような母音が現れることが知られている

ちょっと説明が複雑になったんでこれも例で説明すると(わかりやす現代上下一段動詞を前に//でつけて説明)

例)

 詰める//詰め ツメ乙 : 詰まる//詰ま ツ

 起きる//起き オキ乙 : 起こす//起こ オコ乙

こんな風に、エ乙とアが、イ乙とオ・ウが密接な関係にあることがわかると思う

これがなぜア・オ・ウにイ甲がついたものだと言われているかと言うと

嘆き ナゲ乙キ甲 が 長息 ナガ + イ甲キ甲 が縮まってできたものだったり

日本語の 神 カミ乙 が アイヌ語に kamuy という単語で借用されてたりなどの

様々な証拠から推測されている

"エ段音だけは甲も乙も本来の音ではないので、日本語では連続して出てこない"ってエ段の母音の発生が遅かったから少ないという意味平安時代には存在して1000年たっててもまだ足りないのだろうか

1000年は結構時間な気がするけどそれでも足りないみたいだね

例えば撥音「ん」は50音図やいろは歌成立時点では存在せず、今の漢字音が定着した時代に広まった(平安時代末期くらい?)んだけど

それでも「ん」が頭に来る単語ほとんど作られてなくて、それゆえにしりとりルールが成立する

 

なお日本語2000年ほど前に分岐したと言われている琉球方言では「ん」が頭に来る単語がたくさんある

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%93

宮古島「んみゃーち」など

 

その他のブコメに対してもコメントしま

 

ら抜きをすることでエ段音の連続になって言いづらいのにら抜きを強行してる人を見ると、なんでそこまでらを言いたくないのか疑問に思ってる(続ける、見せる、食べるなど

やや話がずれるけど、ら抜き言葉自発可能を言い分けるために可能動詞から類推派生したといわれていて

発音の制約より意味の使い分けの方が重要だとみんなが思い始めたから広く使われるようになったんだろう

現代日本人にとってエ段音は特に言いにくい音でもないしね

 

ちなみに「続ける」「見せる」「食べる」自体特にら抜き言葉でもないんだけど

「続けれる」「見せれる」「食べれる」と言いたかったんだよね?(100文字の制約下で正確にものを言うのは難しいと思うんで)

 

ただ大野晋自身は後にこの説を放棄し、タミル語母音に合せて、日本語は初めからa,i,u,e,oの5母音だったと修正している

タミル語説には近づくな

ラ行とパ行も新しいってなんか大学で習ったような習ってないような

ラ行音は特に新しい音でもない。が、日本固有の単語では頭は出てこない

これまたしりとりしたらわかると思うけど、ラ行で始まる音で返そうと思ったら

林檎みたいに漢語由来の言葉を使うかラッパのような外来語を使うか

 

この原因は色々推測されてるけど、朝鮮北東アジア一帯に似たような性質を持つ言語がいっぱいあるので

古くはこうした地域特有発音方法だったんじゃないかって言われている

(※もっと踏み込んで、直接祖先が一緒だったんじゃないかという説もあるんだけどアルタイ語説には近づくな)

 

パ行は発音の変化の結果分離した。古くはハ行がパ行の発音だった

北京が「ペキン」なのはホクという読みが昔は「ポク」に近かったことを示してるし

上海が「シャンハイなのは「ハイ」という音がなく、海の読みに近い音である「カイ」を使っていた証拠

 

ハ行転呼音で調べると詳しく出てくる

2019-10-11

携帯のチェックは絶対しないほうがいい

会社のそんなに親しくない同僚(Aとします)がパソコンを立ち上げたまま帰った。

LINEの通知がピコピコうるさいのでスリープをかけようとディスプレイを見た瞬間にLINEポップアップが出て、条件反射で見てしまった。悪口だ。気になり過ぎてチャットルームを開いてしまった。同僚Aが友達のように付き合っている同僚Bとで共通上司悪口大会中だった。

慌ててウインドウを閉じたものの、些細な身体的特徴まで持ち出して悪口大会はヒートアップ。次々出てくる新着発言ポップアップをしばし茫然と眺めてからスリープさせた。

上司はまあ欠点もあるが美点もあり私は割とやりやすいと思っている。同僚A・Bは上司とはそりが合わず上司とそりが合っている私とも当然そりが合わない。業務上はお互いさまで協力しつつ取り組めていると思っていたが、AとBはおしゃべり好きのタイプで、私と上司は無口。2人で私と上司文句を言い合って楽しんでいるだろうことも想像していた。

想像してはいたし、内容もイメージを越えたひどさではなかった。それでもものすごくショックで、この時間まで何も手につかず、まんじりともせず、寝返りばかりうっている。

この衝撃はいくつかの段階に整理できると思う。

自分ほとんど人の陰口を言ったことも聞いたこともないと思っている。喋り好きでもないし、臆病なので陰口をきくと震えが来るほどだ。そういう人間に陰口を共有しても楽しくないから周りの人も言わない。だからそもそも陰口をたたき合って楽しむさまを見るのがほぼ初めてだという衝撃。

②2人が特別悪い人間にも見えない(むしろいい人)のだから、みんな陰では悪口を言い合っている、そういう2面性があるのが普通なのではないかという推測。

自分自覚していないだけで、実は陰口を言っているのではないかという類推

④その場にいない誰かの特徴を誇張して共有するのが面白く、エスカレートしてしまっているとき自覚としてもある。

⑤ということは、2人もそこまで悪意があるわけではなく、2人で罵り合うのが楽しくて言っているだけかもしれないという期待。

⑥ただ日常の行動に照らし合わせてみるに、2人は上司上司に告げ口するような行動を取ることが往々にしてあり、悪意は本物。

⑦彼らは不平等を感じており、その埋め合わせをはかっていると感じる。2人に正義があるとしても、まず不平等を主張して是正をはからないのはなぜなのか。

⑧また②に戻るが、本当はみんなそうやって不満を抱えて発言はせず他人を悪く言っているのか?

⑨不満の発生源も悪いが、是正しようとしないほうも悪いのでは?陰口を言い合うにしても建設的な意見を出そうと思わないのか?

⑩そういう風に考える自分が心底いやだしこれも陰口じゃね?

こうやって書き出してみると小学生みたいな悩みだが、吐き出せば楽になるものだ。まあこれくらいの効果を期待して陰口を言い合うというのは世の中にはよくあることで、そこまで気にすることでもないし、まして建設意見をとかいう口出しは無用なのだろう。と頭では考えられるが、すべての人を見る目が少し変わってしまったような気がする。

とにかくもう死ぬまで金輪際、人の携帯電話をチェックしたりするような真似はするまい。たいした関係でもない相手の、想像がついていた出来事しか別に誰も悪くない些細な事を確認しただけでもこれほどショックで、抱えていなければならなくなるのだ。まして家族恋人携帯から何か嫌な証拠でも見つけようものなら。でもこうやって事実を知る体験をしてしまたことで、チェックへの欲求はむしろ高まるのだろう。ああー、生きていくって大変。

2019-09-19

anond:20190919193730

型をから類推」することを知らない1bit脳ですか?

anond:20190919190018

増田」がこのはてな匿名ダイアリーとそのユーザーを指すスラングだろう、ってのはすぐ分かるだろうし

その前提で「元増田」が使われている文脈を見れば類推できるだろ

2019-09-11

anond:20190911192048

横だよ。

恐らく元増田が求めてるのは、スライド字面からプレゼンターゲットや要旨を自動類推し、

なおかつ、類推されたターゲットに対して類推された要旨を最大限に伝えることができる配色を提案するようなソリューション()だよ。

人工知能でそれを作るのはかなりしんどそう。

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