はてなキーワード: 領分とは
昨年の大ヒットした「純黒の悪夢」が地上波で放送され、今年の劇場版「から紅の恋歌」が公開間近な国民的アニメ「名探偵コナン」
しかし原作を読んでいると、もしかしたら親米反日思想なのかと思われる点がいくつも出てくるのでざっくりまとめてみました。
急いで書いたので、出典などを省略しています。気が向いたら後で補足したものをアップします。
コナンにはFBIが出てきます。他にも日本警察(刑事警察だけでなく、組織を追っている公安警察も)やCIAが出てきています。映画では他国の諜報機関も出ていましたね。
このFBI、作中でベルモットから違法捜査等を指摘され、安室からはビザが切れそうなことを指摘され、更には現実の組織機構と同一の募集要項を提示されているのです。
つまり、コナン世界においてもFBIは現実の機関と同一視をしているということにほかなりません。
公式に捜査権はなく滞在期間を見ても観光ビザ(ジョディは高校教師として潜入していたので、恐らく就労ビザ)で入国しています。
そんなFBIに所属する赤井秀一は、銃刀法違反、道交法違反、発砲、ストーカー規制法に抵触しそうな盗聴と監視、ハッキング、死体損壊、証拠隠滅など法に抵触する所業を繰り返しています。
それなのに彼は責められることなく、主人公であるコナンがこれらの犯罪行為をサポートし、時には検挙に来た警察を追い払うのに力を貸します。
アメリカの捜査機関であるFBIが、許可なく日本でこんなことをしています。治外法権がまかり通るなど、開国直後や戦後の日本のようです。コナン世界では、日本はアメリカの属国もしくは米花町や杯戸町はアメリカの植民地なのでしょうか。
そう考えないと不自然なくらいFBI、特に赤井は日本を蹂躙しているのです。
探偵漫画において警察が頼りなく描かれたり、創作において公安警察が悪に描かれたりするのはよくあることです。
しかしコナン世界での公安(安室、スコッチ、安室の部下・上司)は作中に描かれている限り、真面目に仕事をしているだけです。
日本という国を守るのが仕事の警察庁警備局警備企画課所属の安室が、「緋色シリーズ」と呼ばれる長編で赤井の死亡偽装を暴きます。
その死亡偽装も、コナンの思惑を無視して勝手に動いた結果、たまたま目の前で自殺した組織構成員(日本人)の死体を用いています。その経緯でコナンが辿り着いた信念である「犯人を推理で追い詰めてみすみす自殺させちまう探偵は殺人者と変わらねーよ」を無かったことにして捻じ曲げているのですが、それは一旦置いておきましょう。
とにかく日本にとって脅威でしかない、考えようによっては黒の組織(安室が潜入捜査によってある程度コントロール可能)よりよほど危険で悪質なFBIの悪事を暴きに来たわけです。
しかし赤井は公安警察の車両に発砲、公安に責任転嫁をしてきます。「ああでもしなければ死人が出かねなかった」と言っていますが、公安は特に危険な手段は使っていません。現場は崖ですから、赤井の発砲により玉突き事故が発生していますがそれによって死人が出る可能性の方がはるかに高いのです。
それだけでは終わりません。工藤一家総出で安室への対応を行い、更には潜入中の捜査官である安室の本名を盾に脅迫し、彼らを撤退させます。完全に公務執行妨害です。
公安警察と敵対する為に工藤一家を総動員ということは、初期の頃にコナンが「やだね!これはオレの事件だ!オレが解く!父さん達は手を出すな!」と啖呵を切っていたのも、今は昔となったようです。
ちなみに安室を撤退させる際、赤井は彼の同僚であるスコッチを殺した(自称)ことを唐突に謝っています。しかし安室は赤井に言われるまで四年間その件に関しては一切動いておらず、バーボンとしても降谷としても当時を含めて冷静に仕事を続けていただけです。
そんな状況で、安室はスコッチの件で赤井を恨んでいる・だから赤井を組織に売って自分が中枢に食い込む算段だ、などというのは無理があります。公安警察は安室の指揮で動いていましたが、それはつまり許可を得ているということです。安室はさらに、赤井の捜索に関しても組織のボスの許可を得ています。許可を得て連携していることを私怨と呼ぶのも、違和感しかありません。
潜入していた時期にジンと会えなかった赤井と違い、安室はジンに仕事ぶりは評価されているし、ボスの許可も得られる立場です。ベルモットの弱みを握って協力関係を結び、ある程度組織の動きも掌握できているわけです。組織の人間としては相当な地位に既にいるので、中枢に食い込むために赤井を売る必要が見出せません。組織を裏切れば一族郎党消されるという組織で、赤井だけはスパイであることがバレて逃げたのに一家全員元気に生活しています。世良は堂々と高校に通い目立つことをしているし、秀吉はそもそも有名人です。組織は赤井一家には優しいのでしょうかね。
余談ですが、キールもあの方からの信頼が篤く、それ故にFBIに落ちたのではと疑われています。だけど彼女がCIAの諜報員だということはベルモットが少し疑ったくらいで、誰にも知られていません。もし組織の中枢に食い込むなら、情報を全く持っておらず組織から家族くるみで放置されている赤井より、キールの正体の方が確実に重要です。
赤井はじめ、FBIがおかしな行動をとっている相手は、日本だけではありません。FBIが属するアメリカの諜報機関、CIAにすらアメリカ国内で問題になりそうなことをしています。
CIAの諜報員、本堂瑛海(水無怜奈、キール)が事故に遭ったのは、FBIの追跡によるものです。たまたま捉えた組織員がCIAのキールだったなら、多少は仕方ないといえます。しかし赤井は本堂瑛海とその父親で同じくCIAの諜報員であったイーサン・本堂の死の真相を何故か知っていました。つまりキールのことを知っているはずなのです。
勿論それだけにはとどまらず、緋色シリーズではキールからメールが来たことで
キールを組織とのパイプに使う為に再潜入の指示を出したのはFBIですし、その時の約束である、キールの弟を保護するという条件は弟(本堂瑛祐)本人の辞退があったとはいえ、とっくに反故にしています。
CIAは国外、FBIは国内が担当だった筈なのに領分を侵した上でのこの仕打ちは、本来ならばCIAや大統領を巻き込んで大問題になるほどの事態です。
赤井の潜入による成果でFBI内で情報共有がなされていると確認されていることは、赤井と明美の恋愛のみです。
赤井はバーボンの顔やラムという名前も知っていたと言っているのに、FBIメンバーはそのことを知りませんでした。組織員に関する情報共有は一切ないようです。
そもそも赤井がジンを捕まえようとした作戦も、情報共有や報連相などの連携がなかったから失敗に終わったといえます。潜入捜査で初対面の組織幹部をいきなり捕えようとする時点で、作戦としてはどう見ても破綻していますが。
そもそも、ジンは組織への忠誠心が強いキャラです。そんなジンを急に捕まえたところで、情報を吐くとは思えません。それに初任務で既にジンから怪しまれていたからこその、作戦失敗です。
明美も当初は妹思いの姉でした。妹を組織から抜けさせるために殺されるのも承知の上で強盗をし、成功させたしたたかな女性だったのです。
しかし赤井の声優決定後、赤井の恋人設定が急に浮上しました。妹のシェリーを抜けさせようとした為ではなく、スパイである赤井を組織に引き込んだ為に殺されたことに変わりました。
これでは理不尽に殺されたわけではなくなり、組織側に正当性ができてしまったのです。
とはいえ、赤井とFBIが日本から引き揚げてから二年間、明美は妹の灰原とファミレスでお茶をしたり、結構自由に生活していました。なのに急に赤井を引き入れたから組織に殺されたことになったのです。
ちなみにその間FBIは、スパイを引き入れた宮野姉妹を保護することは一切ありませんでした。作戦開始前に保護しなかったのは、日本人を守る義務はないということかもしれませんね。ちなみに宮野姉妹は赤井の従姉妹のようです。従姉妹にハニトラをして組織に潜入したということですね。
しかし赤井は、明美を二年間放置していたのに彼女が死んだら急にジンを宿敵扱いし始めます。赤井の落ち度で明美は死んだのだし、灰原もそのせいで自殺を試みています。責任は赤井にもあるのに、これでは完全に逆恨みです。
逆恨みで狩るべき相手を見誤っているのは、一体誰なんですかね。
スコッチが死んだ件では、そもそも何故あの場に赤井がいたのかという疑問が残りますが、それも一旦置いておきます。
現場に辿り着いた赤井は、何故かスコッチを投げ飛ばそうとし、拳銃を奪われます。拳銃を向けられると突然「命乞いをするわけではないが(中略)俺はFBIから潜入している赤井秀一」と名乗ります。その状況では普通は命乞いにしか見えません。
スコッチにも、赤井を信用する素振りがなく、赤井のシリンダーを掴む手の緩んだ隙をついて自殺します。安室の足音で赤井がシリンダーを離したので、普通に考えたら赤井の過失の方が明らかに大きいのです。
拳銃も赤井のものですし、彼があの場にいなかったらスコッチは死ななかった可能性もありますね。少なくとも、赤井が来なければ命を絶つ前に安室と落ち合うことができた可能性は高いです。
赤井は安室にスコッチは自分が殺したと説明しますが、一瞬で自殺であるという真相を見抜かれています。一瞬動揺しても、安室が冷静さは保っていることの現れです。
この状況で安室の足音が悪いという風潮は印象操作に思えてきますし、緋色シリーズで赤井の言った「自分を売って中枢に行くつもりだ」という発想は、彼自身がスコッチを売って中枢に行こうとした経験に基づいているのでは?と邪推したくなります。
このスコッチの死から赤井は特に何も学ばなかったようで、その後も明美を死なせ灰原も死にかけさせ、カルバドスも死なせ、楠田を死なせて死体を利用します。後悔の一つでもできていれば、カルバドスくらいは拘束に持ち込めたのではないでしょうか。
当の赤井は純黒の悪夢では素顔で組織に近づき、あまつさえ感熱レーダではあるが捕捉されています。どう見ても赤井のシルエットでしたが、まあ何故かバレないでしょう。
赤井の生存が明るみに出れば、キールは殺されます。キールの命をなんだと思っているのか。
そもそもあのストーリー自体、赤井が何故か首都高でキュラソーでなく安室の車にぶつかってきたり、勝手にライフルを発砲したりしなければ起きなかった悲劇がいくつもあります。完全にスパイ殺しの赤井です。
赤井が壊した首都高の件も公安が処理していますし。キールとバーボン、そして他国のNOCの身を危険に晒し最終的にはスナイパーなのに一つしかない暗視スコープを故障させ、コナンと安室にお膳立てしてもらって一発撃ったもののオスプレイを落とせなかったがそれもまた別の話。
結局青山先生が赤井というか池田さんの声贔屓なので、池田さんに言わせたい台詞先行で描いているから赤井が出ると物語が破たんするのでは、という見解もありますが…
今のところ、名探偵コナンはFBI捜査官・赤井秀一という漫画にすり替わっているのかと見まがうほどです。
赤井がイギリス出身のアメリカ人でFBI捜査官だから、FBIが大正義で日本を蹂躙してもそれは「いいこと」になってしまう気持ち悪さ。日本人としては公安や安室を応援したくなりますが、日本警察には赤井がいないから、理不尽に虐げられてしまいます。
舞台が日本でなく、それこそGHQ占領時代であれば納得できますが、どう見ても現代の日本です。ここが日本であることを思い出してほしいですし、今までの伏線やキャラの信念、生い立ち、因縁等がこれ以上赤井の為に破壊されていくのを見るのはつらいところです。
菊池誠という人がいて、一時はてな論壇においてそれなりの存在感を放っていた。
現在では一山いくらのネトウヨおじさん程度にしか認識していない人もいる。もはや過去の人であると断ずる向きもあるだろう。
しかしながら、彼について再考することで、論壇で今も跋扈する科学対非科学という対立軸を新たに捉え直す機会を持てる気がする。
というわけで彼の言説とその評価の変遷を追っていきたい。
2000年代後半。ニセ科学批判という社会運動が産声を上げた。
これは、自然科学に関する嘘をエビデンス棍棒で殴打するというシンプルかつ大変に社会的意義のある運動で、その倫理的な正しさからはてな市井で好評を博した。
この運動には様々な人が加わり、皆それぞれの専門分野に関する多種多様な嘘デタラメを殴り倒していた。
また専門分野のない人は、非専門分野に関する言説の妥当性をいかに評価すべきかということについて学んでいった。
よくわからんという人はid:NATROM先生がたくさんいたと考えてください。
ニセ科学とはなにか。誰が、なぜ吹聴するのか。このあたりは先人の素晴らしいテキストが山程あるのでそちらを参照するのがよい。私も一応書く。
ニセ科学批判の対象となったニセ科学は多岐にわたる。多岐にわたるがざっくり2つに分ける。
証明されていないことを証明されたと言うか、証明されたことを証明されていないと言うか、である。
科学的知見というものは往々にしてひっくり返るので、この宇宙を縛る法則から演繹していった時に実はニセ科学が正しかったということは有り得る話である。
しかしながら個人が霊感で獲得した宇宙の真理よりも、定められた手続きを踏んで得られた結論(宇宙的には間違っていたとしても)の方を評価するというのがニセ科学批判のスタンスだ。
営利企業や大学教授や特定の肩書のない個人的なブログ、政党や国そのものである場合もある。
彼らは何故嘘をつくのか。その動機を大きく4つに分ける。経済的利益(金銭)・社会的利益(名誉)・思想的利益(党派性)・倫理的利益(善意の施し)である。
どのニセ科学もこのいずれか、もしくはそれらの組み合わせから生み出されていると分類できるだろう。
例えば近藤誠や武田邦彦の動機は金と売名だし、安倍晋三や下村博文や共和党の言動は党派性の発露であり、有象無象のブログが代替医療で他人の癌を根治しようと試みるのは無知に基づく善意による。
ニセ科学批判は党派性から最も遠いところにいるとは菊池誠の言葉であるが、定義上これは正しい。
また、個々人のレベルで見ればその批判対象の選択において党派性が働くこともあるだろうが、運動を総体として捉えればそれは働かない。
組織を持たない草の根運動であるため、一貫した思想により運動員を抑えつけるということが原理的に不可能だからである。
運動自体に対して外部から党派性を見出す人は多々いるが、それは往々にして自身の党派性を表明しているに過ぎない。
例えばid:finalventにはニセ科学批判が左翼的活動に見えるそうだし、反原発派の中の放射能デマを吹聴するクラスタからは当局におもねった保守的な運動であると批判されている。
ニセ科学は大きくデマという概念に内包される。デマの分野を自然科学に絞り、真実性の判定に科学的手続きの有無を利用している場合それをニセ科学と呼称すると言い換えても良い。
ここからニセ科学批判の方法論を他分野のデマの払拭に利用できるのではないかと考えられる。特に人文科学系や社会科学系等の他分野の学問においてはその応用が容易いだろう。
ニセ科学と人文科学や社会科学系のデマとは地続きの問題であり、ニセ科学批判がニセ科学だけを取り扱うのは、単にそれが自らの領分だからというだけである。
ニセ科学批判の参加者が自然科学系以外の言説に対して取るべき態度は、専門分野外の自然科学系の言説に対して取るべき態度と同一でなければならない。
そうでない時、その価値判断には先の4つの動機のいずれかが作用しているのである。
「えー、じゃあさじゃあさ、なんで菊池さんはネトウヨおじさんなんて扱いを受けるの?だってさ、人が科学的事実を前にした時にどういう要因が認知を歪ませるのか、またその考え方は自然科学分野以外でも応用できるってことを誰よりも分かってるはずでしょ?ネトウヨなんてポジショントークが凝り固まって人型を成しているような存在じゃん。おっかしーぜ、それ。一個人が党派性から逃れることは出来ないにしても、自覚を持っていてその都度自己補正に努めればそこまで極端なことにはならないでしょ。オレ、納得できないなー」
そうだね、たかし君。じゃあ次の章では菊池誠の言説とその捉えられ方の変遷を時系列に沿って見ていこうか。それから菊池誠の言動が本当にいわゆるネトウヨ的な物なのかということもちゃんと検証してみよう。
さて、ここから菊池誠とその周囲の言説を掘り返し、断片的な事実を拾い上げ、時系列を整理し、推論を検証し、STS辺りも総括し、ニセ科学批判史とも絡め、最初のテーマに関して結論を出さなければならない。
でもなんか今週入ってから超体調悪くて、鼻は詰まったり止めどなく流れたり、体はとにかく熱っぽくて横になっているのも辛い。
よく考えたら私は菊池誠の親族でも知人でも生徒でも何でもないわけで、果たして病体にムチを打ってまでこの駄文の執筆に労力を割くべきなのだろうか?ここは潔く挫折する。
でもこのテーマ自体は割と意義があると思うので誰か調べてまとめて書いといて欲しい、個人的にはid:ublftboさんが適任かなと思う。でも多分やらないだろう。面倒くさいし。
どうやらこの記事の続きは執筆されないことが確定したため、以下に執筆時の構想諸々を記しあとがきに代えるものとする。
・7年ぶりくらいに菊池先生の名前を目にしたら、なんか凄い扱いになっていたので驚いて、矢も盾もたまらなかった。
・菊池誠に対する周囲の評価の変化点は2つくらいありそうだと思ってる。震災とそれから1年以上後。
・2009年から現在に至るまで菊池誠はネトウヨおじさんではない。ただ看過できない発言は多々あるし、愛想を尽かす人もいるだろう。これは年を追う毎に悪化しているように見える。今の立ち位置はid:hazumaにちょっと似てる。
・2009年頃と現在で、周囲から投擲される評価は明らかに変質しているわけだけど、それは菊池誠と周囲のどちらかあるいはその両方が変わった/変わっていない結果なのかという大枠の問いがあって、これは菊池誠が変わったというよりは、周囲に今までいなかった(少なかった)人種が現れたからだと思う。
・逆に言うと震災以前にもある種の題材を絡めてその手の人種と邂逅する機会があったら、今よりもっと早くこうなっていたと思う。今の状況はなるべくしてなったと言える。
・どうしてこうなったかは意思疎通が上手く行かなかったから。上手く行かない原因は個人でなく構造に求めないと仕方ない。専門家と非専門家の間にはクッションが必要になると思うんだけど、IKEAが布にガラス片を詰め込んでこれはクッションですと言い張ったり、あるいはクッションそのものを用意しなかったりするから、専門家自身が夜なべしてクッションを作らないといけない。彼らは裁縫の専門家ではないので、その出来は個々人の技術によって大きくムラが出る。ところでIKEAはSTSである。
・STSとは、何の生産性もなく相対主義ぶって科学者を腐してあてこすりで飯を食ってる人間の屑が集う旗印である、というのがこれまでなんとなく聞いていた印象なんだけど、いくらなんでもそんなものが何十年も学問として存続するわきゃないと思う。思うので、この際ちゃんと調べて、その社会的役割と意義と実際のところを自分の中で明らかにしておきたかった。震災時に(震災時でなくとも)彼らが求められる役割を十分に果たした結果がこれなのか、あるいは十分に果たせなかった結果がこれなのか。またそれはなぜなのか。
・つまり不幸な例であるところの菊池先生の件を足がかりにして、自然科学分野における専門家と非専門家とのディスコミ問題をアレできるんじゃないかと思ったというところが発端です。
・ブクマにニセ科学批判ってもっと前からあったでしょと言う指摘があったんだけど、前出の"ニセ科学批判史とも絡め"というところで今現在ニセ科学批判とされる運動の形はいつごろ成立したのかも調べておきたかった。書籍で探すと、訳語としてニセ科学を当てはめてる物は結構前からあるんだけどこれは定義が今と違っていて、今使われている意味でのニセ科学という用語はwebだと2004年が初出だと思う。ニセ科学批判についてはgoogle先生になんとなく尋ねるレベルでは天羽さんとかid:kamezoさんの2005年位のログしか出てこない。水伝での田崎さんと天羽さんは運動の拡大に大きく貢献したよねとか海外情勢(主に米キリスト教福音派系の)はid:Kumicitさんの忘却からの帰還が強かったとか、ニセ科学批判史は最終的に年表にしたかった。
以上が主観的になんとなく思いついた推論なので、これらを補強あるいは反証する材料を沢山探して、結果何かがまとまる予定だったのだということを言い残したかっただけの年度末だった。
元増田にはもしかしてお嫁さんの生活のスケジュールや負担感がまるでわかってなく、毎回のお誘いはタイミング的に、積み重なった感情的に迷惑なサプライズだったのかもしれない。
応じる気持ちがあっても時間的に体力的にどうにもならない時があるのは理解できるだろうし、今まで毎回のお誘いがそれだったりすると誘われている方は自分をいたわる気持ちのない人なんだと冷めていくと思う。誘ったタイミングが個別条件としては大丈夫だったとしても例えば久しぶりにぐっすり眠れそうな時を狙い済ましてお誘いがある、普段自分が忙しそうにしてても自分の領分と決めたこと(子供の相手だけとか)から出てこないで眺めてて手が空いてるから構ってくれるよねとかじゃあ自分はいつしっかり休めるというのかと。
察しては良くないと言うけど、まさか解ってないで配慮に欠ける振る舞いを続けているとは信じられない、故意にもしくは当人的には半ば無意識のうちに蔑ろにしてきているのだろう思っている場合もあるわけで。そういう場合ははっきりとは理由を言えるような関係では既にない(言うだけ無駄だと諦められている)ということなのかもしれない。
なんか最近、科学的に正しいかどうかで人の生き方の優劣をつけようとしてる人たちが増えている気がする。
科学というモノサシで測れるのは、あくまでも科学的に正しいかどうかであって、人がどう生きるべきかを判断することはできない。
例えば水素水の健康効果について、科学的な裏付けがないことを指摘するのは悪くない。
自分自身の生き方について、科学的な正しさを基準にするのも問題ない。
でも、科学的な正しさを理由に他人の生き方にケチをつけだしたら、それはもう科学の領分を踏み越えているんじゃないだろうか。
「黙って自分で生きるだけならいいが、宣伝するのが許せない」と言う人もいる。
俺は、イケメンになろう、なぜイケメンだけが得するんだ。って劣等感持ってたんだけど。
いま少し考えあらためた。
イケメンは女をとりこにして、風俗なりAVなり落とす。そうまでしなくとも、女の婚期をつぶして妥協させる。そういうのでできた成果物を普通の男達が得る。
これを考えると、イケメンは社会にとって、「女を倒す食物連鎖の1種」で、「イケメン」っていう役割を果たしてるんだと思った。
ブサメンは、女から相手されないから、必死に努力して金を作る、社会を回す。つまり、そういう差別が間接的に社会を動かす原動力になっている。
ブサメンは、そういう働きをする「ブサメン」って仕事を担当してると思う。
そう考えると、扱いの差が気にならない気がした。
俺は、俺の領分の仕事をしているし、イケメンはイケメンの領分の仕事をしているだけで。
研究者と技術者の仕事の分担みたいなもんだな。イケメンをうらやましがるのは、違うわけだ。
だから、イケメンはイケメンの役割を果たすだけで、ブサメンはそれで不利益を受けても、ミクロではいやだが、マクロでは共生関係なんだなと思う。
憲法9条により日本は軍隊を持てないから、米軍が駐留することになり、
自前の軍隊を持っていないから、アフガンやイラクに駆りだされることもなかった、
これを「9条のおかげ」とするか「在日米軍のおかげ」とするか。
また、米軍が日本に駐留していなかったとしても、どちらにしろ日本がソ連に支配されるようなら西側が黙っていなかっただろうし、
そういう「日米同盟の抑止力」と「冷戦構造における拮抗状態」を切り分けることができるのか。
それに、冷戦に下手に巻き込まれなくて済んだぶん、日本は経済発展に注力して成功し、経済力による抑止力を得た。
このあたりもアメリカの影響を排除して考えるのは難しいと思うなあ。
もちろん周辺諸国の状況として、ソ連は東欧や中央アジアに目が向いていたとか、中国は国内のことで必死だったとか、
韓国は在日米軍がいようが何食わぬ顔で竹島占領してたとか、そういうのも日本の平和に影響しているわけだし。
http://anond.hatelabo.jp/20150819222645#tb
俺としては、イケメンやヤリチン=貴族。ブサメンやフツメン=農民。って感じ。
女が貴族に見初められるために、頑張ると、じゃあ貴族から搾取されてる農民は、どう思うか。相手側に寝返った女に敵意を感じるだろう。
ドキュンやマイルドヤンキーってのは、いい女を抱いてる、マイルドヤンキーに2級市民扱いされたブサメンはどう思うだろう。
当然イケメンもマイルドヤンキーと仲良くするから、マイルドヤンキーを助長している。
ブスに対する意見というが、ブスもかわいくなったら、かわいい子たちと同じ態度とるんだろう。ってことは、かわいい女のやった行動は女の総意だと取れる。だから、かわいい女で思考しちゃってもいいと感じた。
つまり、マイルドヤンキーになびかなかった、とはいうが、かわいく生まれたら誰でもイケメンやヤリチンに行くってのが女の思考だと、ブサメンは受け取る。
ドキュンに擦り寄ってた女に対して、嫌悪感を抱くのは普通だろう。そして、女はドキュンに気に入られるファッションをする。女は女のためにやってるという意見もあるが、結局そのファッションすらドキュンへのアピール含みで認められる中でやってる。
で、また農民のたとえ。
農村では、農村生まれのはずの娘達が、どうやら貴族のパーティー用のドレスを着るらしい、貴族達とは婚前交渉なるもので、体を差し出してるらしい。
娘達は多分使い捨てだと分かってるし、どうやら農民用のファッションなどはしないらしい。ダサい、キモオタ、という感じらしい。
村民の中からは、貴族の服をする男達もでてくる、雰囲気イケメンというらしい。彼等は村の娘達とやれてるらしい。
って感じ?
村人側にも、エロゲーとかでたし、娘達のことは、終わったことだしどうでもいいんだろうけど。
一瞬だけ、娘達ってこの後どうなるんだろうなと考えるけど、「チラチラみてんじゃねーぞ」と村娘達から叩かれる。
そんなもんかな、と村人達は、自分の領分を守って、農民として生きていく。
問題なのは、諦めたはずの娘達や、雰囲気イケメンが村人を阻害することだ。
彼らは、数が多いから、あるいはコミュニティーの中での権威をカサに着てたたき出す。
リアルでは、しかたないから、貴族と一緒に叩いてくる女にたいして、ジーっト耐えるけど。
ネットなら、当然のように叩くのは当たり前、だってクソなんだもん、女。本当に人間性まともなら、リア充ノリゼロでやってみろよ。シマムラ着て、クソダサで仕事で媚なしでやってみろよ。それやんないなら、うそだろ人間性とか。
農民がいい娘達というが、そいつらもかわいければ、貴族に媚びる娘達と同じになるのは分かってる。だからシラケル。
なんだか、物凄く普通の考えだと思うが、どうやらおかしいらしい。
本当だろうか?
親に虐待されて、それでも子供を作るって選択する人はいるだろうが、子供作れって説得するのは頭おかしいと思うんじゃないかなあ。それくらい普通の気分で、「二級市民扱いしてくるようなマイルドヤンキーは、キモい。それにすりよる女もキモい。」
もちろんさ、非処女の残飯処理とか絶対いやだって思うけど、まあ非処女もブサメン嫌だろうけどさ。それはそうだよ。なんで、マイルドヤンキーのケツふきするのよって普通思うじゃん。
女だから。じゃない。マイルドヤンキーに与していた。その点がクソ。
女単体の属性だのはドーデもいい話。
矢沢栄吉だっけ。音楽の歴史からは、まったくのクソだけど、ノリとかで受けてるでしょ。
ああいう感じなんだよ、マイルドヤンキーって。本物の音楽作ってるじみーな奴らからしてみれば、クッソうざい。でもそれが受けてる。それに流されてる観客(つまり女)もクソ。
それはそれで、仕方ないからしょうがないけど、だからこそ係わり合いになりたくない。
なんか、アレだ。
戦争中にさ、おくにのためにだの、一億総玉砕だの、ちょっと今から見たらおかしい『世間の皆が乗ってるけどおかしなノリ』ってあるんだよ。
殴ることそのものを否定したら、状況によっては他者に一方的に虐げられるよ。お花畑のなかにずっと生きるならいざ知らず。
あなたが自分の大切な何かや誰かを守るために、拳を握ることを否定して、自分が対峙する何かに一方的に蹂躙されることが望ましい形だというなら、なかなかの平和主義者で集団自殺志願者だよね。
問題なのは、正当性なく、思慮なく、節度なく殴ることで、私利私欲のために、他者を虐げるために殴ることだろう。
まあでも好き嫌いは個人の領分だし、そう感じてしまうのも仕方ないのかもね。
単に殴ることを嫌悪する気持ちは、それが身近にないか、あるいは歪んだ形で身近にありすぎて、触れることを生理的に拒むという感情的反応ゆえのものだと思うので。
論理は正しいけど、感情は心地よいから、そして人間は刹那的だから、どうしても感情に身を委ねるよね。人間らしくて素敵だよね。
この商品、夏が終わったらスーパーから消えてしまったので、その思い出を語ってみたいと思う。
「頂」は、生麺風インスタントラーメンの一つ。ラ王とか正麺とかの類。
つけ麺なので、5分茹でて、水でしめて、お湯で希釈したスープに入れるという作り方がスタンダード。水でしめるのはめんどうくさい。
裏メニュー的な食べ方として、4分茹でて、温かいままたべるという食べ方も袋の裏に書かれている。
どちらかというと、裏メニューのホットで食べたほうがおいしいという不思議なインスタントラーメンだ。
茹で時間は、4分でも長すぎるので、最終的には3分30秒になった。
ちょっと冒険だったんだけど、麺をマルちゃんの「山岸一雄」監修つけ麺専用中華麺 4玉入に変えたら、激ウマ。
頂 魚介つけ麺味のスープだけほしいというよくわからない状況に陥った。
麺をアップグレードすると頂の麺が余る。麺をアップグレードしたほうが、はるかにうまい。このジレンマを抱えながら、頂 魚介つけ麺味がこの夏の我が家のインスタントラーメンの定番となった。
夏が終わった今、頂 魚介つけ麺味は、スーパーの店頭から消えてしまった。絶頂期で引退したアイドルのように。
晩節を汚すこともなく、最高のポテンシャルを見せ、彗星のごとくスーパーの店頭を駆け抜けた。
生麺風は生麺には勝てないという当たり前のようで当たり前でない教訓を与えてくれた頂 魚介つけ麺味。
我が家のインスタントラーメンの定番は、チャルメラに戻った。
いるんです。とても優しいんです。優しいだけじゃなくて、厳しいところがあるのまで含めて、優しいんです。
根本には、自分のためより他人のためのほうがやりがいを持って行動できるという性格があるんです。
他人の期待に答えられることが心の底から嬉しくて、そのためにどれだけ自分が枯れしぼんでも構わないくらいだから、心配になります。
それでもあなたが確信して選んでいるやり方だから、私はそれを止められません。やんわりと袖を引っ張っても、あなたはずいずい進んでいきます。
あなたは愚痴を言いません。他人の失敗や欠点によって損が生じても、そこまで考えに含めなかった自分が悪いのだと言います。
私に言わせれば、それはあなたの能力の領分を超えた仕事です。負い目に感じることは一切ないはずなのに、あなたは自分を責めます。
やがて結果を残せたときに、あなたはより信頼されています。さらに多くの人から頼られて、あなたはもっと頑張るでしょう。
私もあなたみたいに生まれつけばよかった。他人のために頑張れる自分が欲しかった。あなたを心から尊敬し、死ぬまで妬み続けます。
http://anond.hatelabo.jp/20130728210244
そもそも自分達がはてな“匿名”ダイアリー使ってることに気付け。
個人情報を出さないのは当たり前。例示の補強の為にと思って、情報を少しずつでも出してやったのは“あくまでも”こちらの親切。
その親切心も素直に受け取れないようなら、これは完全に無駄な善意だったな。
ああ、先に書いたとおり、お前の手口にはもう付き合わないぞ? キリがないし無限ループだからな。
さて。
ひょっとしたら知らないのかも知れないが、バナナが差別発言なんて事は子供が読むような本にも載ってることだ。
言われた時点で気付いていたけど雑談らしくスルーして良い解釈をしてやった心の動きまで全部書かなきゃいけないか?
人が差別発言をするのは自由だって書いたよな? “こちらは”人の自由を侵害したりしないって書いたよな?
文意も汲めないのお前? 文脈も読めないの? 川端康成とか山本周五郎とか読んだら?
ただの世間話にどうしてそこまで噛み付いてくるのか知らないが、これだけ律儀に応対してるとまるで拘泥があるようにも見えるか。
好きな知り合いだから庇ってやりたいという気持ちはあるんだが。まあどんな感想を抱くのもお前の自由だからな。
だからもうほっとくわ。人の自由や権利に踏み込まない範囲なら、それはもうお前の自由であり領分だ。
それと、ただの暇潰しでこんな面倒臭い論戦ふっかけてきてたのかよお前。本当にヒマな奴だな。
こちらとしては選挙に行く行かないを含め、お前が人様の権利や自由を侵害して来なければもう言う事はない。暇潰しなら付き合わない。
じゃあな。
「臭い注意」の立て札のある壺に近づいて、自ら蓋を開けて臭いを嗅いで「くっせぇ、こいつは迷惑だ」って言ってるようなものだよね。
心配しなくても、あんたらが議員さんに送りつけたり話題に挙げたりしてるような漫画の殆どは、あんたらの子供が目にすることはないよ、躾が行き届いてるならね。
それらは性器に消しを入れて、検閲を通して、18禁マークを入れて、成人向けコーナーで有料で販売しているものだ。
それを身分を偽って購入したり、ましてや違法ダウンロードをして目にしたのであれば、それは子供の素行や親の躾が悪いのであって、漫画自体やそれを提供する側を責めるのは筋違いってものだ。
エロ漫画に限らず、不適切だと思うものは取り上げて、小遣いやPCの利用を止めるなり何なりしなさいよ。
ただ、10代の無尽蔵な性欲のガス抜きの手段であるポルノを一切取り上げて、そのはけ口を他所の娘さんや幼い妹に求める結果になったとしても、知ったことではないがね。