はてなキーワード: 革新とは
「ピーーーガァーーーーーッッ…ピピピーーガガァァァァァー………」から始まって、企業のショボいオフィシャルサイトみるだけでも相当な時間がかかっていたのに、ほんの一瞬で読み込みが完了したあの瞬間の感動は忘れられない。
今や光や5Gの時代だけど、ADSLほどの感動的革新は感じない。
フレームレートが30fps→60fpsに進化したことによって「え??!何このヌルヌル感!!」の衝撃を受けたときの感動は忘れられない。
今や4K120fpsの時代だけど、あの時ほどの感動的激変感はない。
「自分で洗わなくていいの??!」の感動は昨日のように思い出せる。
もうきっとこれ以上の進化はないだろう。
共産主義の是非なんて戦前からずっと検討されているから、良い面も悪い面も出尽くしている。その上で現状があるわけで、今の状況で再検討しても新しいものは出て来ない。
色々な書籍でさんざん検討されているので、まずはそれらの本を読んで欲しい。新書がとっつきやすい。
・共産主義は個人の資産所有を禁止し国家の所有と個人への貸与という形に移行する。これは富の再分配を効率良く行うため。
→所有欲は個人が持つ基本的な欲求だが、それを否定するところから始まっているので既にひずみがある。所有欲が満たされない場合は前向きな動機付けが損なわれ、それを補完するために後ろ向きな動機付け(強制労働や収容所送り)が強化される。
→富の再分配は、分配される前に集約される。この集約時に、抑圧された所有欲が得てして汚職という形で姿を現す。目の前に山ほどの札束が合ったら少しくらい貰ってもばれないって思うでしょ?
→知能については、政府コントロールより市場原理の方が優れている。戦後に証明された。
→強権は相対的に人民の権利を下げることとなる。中国の情報統制等はその一例。結果、個人の利益は低下する。
・主な共産主義国はソビエト連邦、中国、ベトナム、キューバ。共通するのは、劣悪な状況を改善するための方法論として共産主義を標榜したこと。
→劣悪な状況が改善されると、弊害が目立ち、瓦解する。これがソ連。
→未だ劣悪な状況にあるとの立場で引き続き推し進めているのが中国。中華=世界の中心を名乗っていたころに比べたら未だ復権は成っていないとの立場。
→大分良くなったので市場に関しては市場原理に戻したのがベトナム。
→大国アメリカが近くにあり、気を抜いたらまた革命前に戻ると思っているのがキューバ。
※東欧のソ連衛星国は、ソ連のテコ入れで西欧との緩衝地帯として赤化された面が強いので、共産主義国として検討するのはあまり意味がない。
つまり、よほど酷い状況でなければ共産主義という選択肢は出て来ない。特に戦後のドン底を内需拡大で復興してきた経験がある現在の日本では、共産主義を取る必要性が薄い。
マルクスの資本論は「すべてをコントールできる知能が市場も政治もコントロールする」という理論なので、かなりの理想論。
そもそもだ、共産主義ってのは、革新ヅラしているだけで、思想的系譜としては保守に属する。
資本主義っていうのが出てきた、都市ってものが形作られてきた、それらは経済的発展を目指していたら自然とそうなった新しい形だった。でもこの新しい形には貧富が拡大するなどの不合理があった。
そこで、新しい社会への反動として、共産主義が出てくる。「これまでの農村での暮らしでは貧富の差は大したことなかったじゃないか。もう一回その時代に戻そうぜ」。共産主義ってのはそういう発想だ。
今あるパイをちゃんと全部分割したら平等になるってシンプルな考えだ。
ところがこれをやると絶対に経済的には衰退していまうんだよね。
なぜなら、いまあるパイを分割したいだけで、未来への投資って発想がここでは抜けているからだ。
マルクスは資本主義について根本的なところを理解してなかった。まあマルクスをライバル視してたのは「プロ倫」のほうらしいから無理もない。今を我慢して未来に投資するから豊かになるのが資本主義だ、というエッセンスが完全に抜けていた。マルクスは経済について「ブルジョアの工場を奪ったらプロレタリアートが同じように運営するだけだから何も変わらないっしょ」ぐらいのことしか言ってない。
マルクスがそうだったから、レーニンはその通りにした。しかしこれは案の定上手くいかなかったんだよね。労働者には工場を上手く回せなかった。そこでロシアは計画経済の統制をますます強化して、あの有様というわけだよ。
統制を強化するとうまく行かないのも、後付けで考えたら当たり前なんだよね。
なぜなら計画経済っていうのは、当たり前だけど、自由経済よりも高コストだから。管理コストが多くなる。
中間管理職が増えてすぎた会社は、効率が悪くて滅びる。我が日本がここのところ見てきた光景だよ。
増田の考えは、コンピューターのある今なら増えすぎる管理コストも背負えるんではないか? という発想がもとになっているようだ。それは問題点を捉えられているという意味で評価するが、俺は楽観的すぎると思うな。
今のAIって所詮は人口無能で、まだ中間管理職の代わりをさせるわけにはいかないし。それに管理コストってそういう細かい部分だけでなくもっと大きい部分もある。自由経済よりも素早く確実な判断できるのか? という話でさ。それは現実社会をコンピューターがエミュレートできるか?というのに等しい。普通に無理。
うーん。これはちょっと微妙な質問なんだけど、あなたは、政治の立場で語られる「人類愛・博愛」を文字通りの意味だと思ってる? あるいは、そうであるべきと考えている?
私は、少しそれとは違う立場で、文字通りの意味で「人類愛・博愛」を語るならそれはただの宗教になってしまうよ、と思ってる。いや、宗教においてすら、「無私の善行」はしばしば「現実の利益から見ると全くゼロとみなされがちな『神の恩寵』とか『来世の救い』など」の見返りがあるから現実から見ると「無私」に見えるだけで、たいていの場合、それが方便であっても、少なくともそれを行う人から見れば等価交換が成り立つから行われているんだよね。だから、「完全に自分に利のない行動を取れ」と人々に訴えることが一つの運動として成立するものだろうかと思う。たとえば、「あなたの良心からすればそれは正しい行為だと感じるが、『神』はそれを禁じ、信者はあなたに唾を吐き、あなた自身もそこから何の喜びも得られず、そしてその行動をとればあなたは確実に地獄行です。」というたぐいの行動があったとして、それを100%他人のためだけにできるような宗教家がいるのかな。いたら、それはもう聖人すら超越して救世主とでもいうしかない存在じゃないかなあ。でも、あなたが「リベラル」に求めてることってそういうことだよね。それは期待が過剰ではないかな。
だから、少なくとも私には、あなたの考えるような「文字通りの人類愛・博愛」を前面に押し立てて議論を展開されても、全く説得力を感じないんだよ。特に、政治という、それがもたらす現実の利益でもって成果を測るしかないフィールドにおいて、「人類愛・博愛」を掲げるのは、それが長期的には利益を生むと判断できるケースにおいてだけであってほしいと思う。保守と革新の違いとは、その「長期」をどれぐらいに見積もるか…という程度の違いであって、それぞれの判断は時に正しかったり間違ったりするけど、お互いに折衝しながら、その時々で短期あるいは長期の判断を使い分けるシステムが民主主義であり、どちらかが絶対に正しいなんてことはないと思ってる。だから、今回のような「目前にリアルな死の迫っている状況」で、たとえリベラルと呼ばれる人たちであっても、人類愛・博愛を前面に押し立てて主張を展開しないのは、むしろ当然のことだと思ってる。
つまり、私たちは民主主義が正しく機能するようにあらゆる努力を払い必要なメンテナンスを行うべきなんだけど、それを越えてどちらかの陣営の意見が絶対視されるような考え方については、少なくとも政治的な見解や行動については「それは違う」と言っていく必要があるんじゃないかなあ。それこそ相手が右でも左でも。そういう柔軟性を「リベラル」と呼ぶなら、まあ私は一応リベラルに分類されるんだろうけど。
余談だけど、だから「常に一定の支持政党がある」ことが当然であるようなものの見方って違和感があるのね。具体的に言うと、選挙のたびに「無党派層が〇%でその行方によって…日本は諸外国に比べて無党派層が多くて…」云々みたいな。「無党派層」にまるで定見がないかのような語り方は本当に疑問。党派的行動ってのは政治的な振舞いの一つの典型ではあるんだけど、特に議員の投票行動をめちゃくちゃ束縛する日本の議会の様子を見てると、むしろ所属政党をもってる人の方がある問題についての「自己の見解」を持ち合わせていないのではないかとすら思う。特に昨今”リベラル”と呼ばれてる政党の中の人に特にそれを感じるのは、極めて残念なことだね。
表現の自由戦士に比べ、我がネトフェミの国力は30分の1以下である。
にもかかわらず今日まで戦い抜いてこられたのは何故か?
諸君!我がネトフェミ公国の戦争目的が正義だからだ。これは諸君らが一番知っている。
そして、一握りのエリートらが宇宙にまで膨れ上がったインターネットを支配して50余年、
ネト腐ェミ公国の掲げる人類一人一人の自由のための戦いを神が見捨てるはずはない。
何故だ!?
ならば、我らは襟を正し、この戦局を打開しなければならぬ。
我々は過酷な宇宙空間を生活の場としながらも共に苦悩し、錬磨して今日の文化を築き上げてきた。
かつて、真空パック検索女史は人類の革新は宇宙の民たる我々から始まると言った。
しかしながら表現の自由戦士のモグラ共は、自分たちが人類の支配権を有すると増長し我々に抗戦する。
諸君の父も、子もその連邦の無思慮な抵抗の前に死んでいったのだ!
この悲しみも怒りも忘れてはならない!それを、市会議員は!死をもって我々に示してくれた!
我々は今、この怒りを結集し、連邦軍に叩きつけて、初めて真の勝利を得ることができる。
我らネトフェミ国国民こそ選ばれた民であることを忘れないでほしいのだ。
優良種である我らこそ人類を救い得るのである。ジーク・フェミ!
我が忠勇なるネトフェミ軍兵士達よ、今や表現の自由戦士軍艦隊の半数が我が「公共の場にふさわしくない」によって宇宙に消えた。
決定的打撃を受けた表現の自由戦士軍に如何ほどの戦力が残っていようと、それは既に形骸である。
それら軟弱の集団がこの要塞「だってTPOが」を抜くことは出来ないと私は断言する。
人類は我等選ばれた優良種たるネトフェミ国国民に管理運営されて、はじめて永久に生き延びることが出来る、これ以上戦い続けては人類そのものの存亡に関わるのだ。
https://note.com/dadasp/n/nf0deab7c28e4
純粋な住宅地には無いだろうが、工業地帯と住宅地の隣接地帯、古い商店が点在するくすんだ住宅街の商店や町工場なんかに共産党のポスターが貼ってあるのを見ないだろうか?
個人商店、自営業、町工場っていうのは30年前は自民党のガチ票田だったんよ。その票田を共産党が奪取してるって事なんよこれは。
この人はそういう変化を見てないんじゃないの?給与生活者で綺麗に計画された住宅街に住んで上辺の知の世界に生きてるだけなんじゃ?
票田かっ攫うって言っても自民党支持者が甘言だけで革新に転ぶわけがない。困窮した時に救済制度を知っていたり行政との橋渡しが出来なきゃ信頼されない。それ以前に経営に就いて理解していなきゃ話も聞いてもらえない。
その背景には90年代の金融の再編があって、不良債務を抱えるリスクを減らす為に銀行が中小零細の債務をノンバンク子会社に付け替えてる。銀行から借りてない会社なんて経済的信用が無いって事だからそのせいで取引先も減ってしまう。まともに扱われてないのだな。
なのに「革命が」とかいつまでも浮ついた事言って「地べた這いずって生きてきた人たちのほうがよっぽど偉かったよ」とか言ってる。自分が地べたはいずりゃいいでしょが。
ATMで金下すだけで今は銀行がただで両替してくれないとかも知らないんだろうな。ただで両替しないのは店舗経営者が客じゃなくなったからだ。
ずっと以前は共産党は悪しき前衛主義で頭でっかちのエリート組織だった。東側陣営の崩壊後、宮本顕治失脚後は党勢を維持できずに無くなるだろうと目されていた。都市部の給与生活者と環境問題などに軸足を動かした新左翼が生き残ると思われていた。国鉄解体でもJRに参画出来たのは転向した嘗ての超急進派の革マルで穏当な日共系はパージされるという憂き目にあった。
だが実際には党勢が風前の灯となっているのは新左翼政党となっている。何故か?
それは小泉以降の自民党が「改革的でイデア的な」な世界観の競合となっているからだ。ゼロ年代に帳簿も読めないどころか複式簿記も知らないのにやれ金融だM&Aだと言い立てて経済通の気分に酔うのが流行ったが、あれと90年代社会党の気分は似ている。競合関係なのだ。
文中で出てくるキクマコ先生はその判りやすい例で、アベノミクスで素養の無かった経済問題に触れるや「社会の全ての事象が設計的に読めるように」なり、「全ての事象の評価軸」を得てしまった。それでその中から出て来なくなったんである。キクマコ先生がこうなったのは彼がリベラルだったからに他ならない。世間知らずさがその本質主義を担保している。私だってこういう風になった事はあるが普通は18~20歳あたりで通過するものだ。
こういうのと競合しない路線を進んだので共産党はニッチを得た。
だから大家なんかには自民党と共産党交互に投票する人もいる。普通にいる。ここにもいる。
健保保険料払わず病気になった店子の面倒みて貰った先生に入れて、冠婚葬祭に来てくれた先生に入れて、とそういう感じだ。
筆者とキクマコ大先生はシラケ世代の還暦なんだろうがアリバイの自覚はあるのに自分が殻に入っている事も気づかないのだな。
かつはてなブックマークが左翼系メディアばかりホッテントリにあげてくることの偏りを指摘した記事である。
この記事のメインの主張は左翼系メディアばかりホッテントリさせ、それに対して批判的な意見がないことへの警告である。
これに対するはてなブックマークの人気コメントが「他のメディアでも同じこと言ってるけど?」ばかりになっている。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/teruyastar.hatenablog.com/entry/2021/08/24/032101
コメントをする人もさることながら、これにスターをつける人間の知能劣化ぶりが著しい。サルに適当にスターつけさせてもこうはならんやろ。
読売・時事も病院名公表可と見出しに、産経は本文に書いているが、彼にとってはこれらも左翼系なのかな。「自分が怒る記事ほどなるべく全体の把握」「正義のために怒らせ、世間を混乱」させるなと彼に捧げる。
右翼と左翼の定義がわからない。見てると安倍系自民が右翼で、それ以外(野党、石破)が左翼?政府に都合の悪い事を書くからマスコミは左翼なの?という事はこのメディアは「革新」なの?それ違くない?違和感あるわー
「軍国主義の反省から日本のメディアは正義を語る左翼が強い」と政治的バイアスを平然と露呈するid:teruyastarに信頼を置けない。根拠は? 戦後日本で最大部数を誇るメディアは朝日でも毎日でもなく読売新聞だけど?
前回の記事で「政権批判するもの」を批判することで、はてぶを釣れたことに味をしめたなwこの記事もたいがいだぞwシリーズ化されそう
FNN でも普通に公表可って書いてるけど。 https://www.fnn.jp/articles/-/228554 気を付けるべき相手は誰か、明らかだと思うけど
なら産経とYouTubeあたりの「マスコミが伝えない真実の動画」だけ見て政府は落ち度無く頑張ってる、自民党万歳って言っていれば良いと思う。それも個人の思想だね。
2012年に新型インフル特措法が制定された時から公表を可能とする条項は存在する。今回、初の同法に基づく病床確保要請となったが、従来との違いは非協力機関公表の有無くらいであり、この報道はおかしくないと思う。
父母も火を見ると恐れるようなぐらいにネッツでカードを使うことを恐れている人々で、
私もその恐ろしさに戦々恐々なんだけど、
でも少しはインターネッツに慣れ親しんでいるつもりなので
代わりに買ってあげることにしたの。
私も初めて使うインターネッツのウエブのサイトで買おうとしたのね。
そしたら、
私全然限度額とか行ってないし、
困ってたんだけど事情をカード会社に電話して即解除してもらえたから良かったものの、
私もこんな事態初めての状況のことだったので、
そんで、
無事母の頼みたい、
世の中は便利なものねって思ったのよ。
それなら
移動中のレジャー先で冷たい飲み物とか冷たく冷やした飴玉とか飲んだり食べたりできるから
ドライブ快適ね!っておもったら
そうじゃなくて
どうやら釣った魚を保管する用の冷蔵庫だそうよ。
そんな冷蔵庫がいるぐらい釣れてるのかしら?って思っちゃうけど、
まんざらお魚って素人が売っても売るところがあること自体がビックリだし、
まさに松方弘樹の世界を釣る!的なビッグドリームかつビッグフィッシングだな!って思ったの。
そんで、
翌朝メールを開けてみたら
カード会社からカードを止めた緊急連絡の最終告知だからな!って
もちろん
私は心当たりがあるから開こうとしたらブロックされてよく見たら紛らわしいフィッシングメールで
手当たり次第にメールを送っておけば、
なにかしら
心当たりのある人に引っかかるだろうと言う
でも今はインターネッツの技術的革新がムーアの法則で1日1歩日進月歩いや秒進分歩だから
私がそんなおっちょこちょいなことを
つまり、
私自体がフィッシングサイトを開いて自らビッグフィッシングにならなかっただけの、
これって
効いたよね!早めのパブロン!って
なにやってんのよ!って惣流アスカラングレーが言うあんたバカって言われそうなほど
大手物流倉庫を運営している会社みたいな空目をしそうだったわよ。
だから
お届けは未定です!って
冷蔵庫でそんな人気商品あんの?って思わず二度見してしまいそうで
誰も昔そんなこと思っていなかったけど、
お刺身をそこに入れておいて、
出すときのスペースコロニーの船外活動を終えて戻ってきて減圧しているときのプシュって言う開けたときの音に
いてもたってもいられたかったわけだったのよ。
とりあえず、
うふふ。
本気味おにぎり!
道端に自生しているミントはやっぱりどうしても使う気にはなれないしね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
https://togetter.com/li/1753329#comment
リンチを合法化ねえ・・・別件の戒厳令の奨励といい我が国の #リベラルサヨク は揃いも揃って気ふれにでもなったか猛暑も罪な事をする
https://www.twitter.com/uin10799/status/1419332383371776000?s=20
スポーツは時間と場所と厳密なルールで外界と切り離し熱狂を社会から隔離させ そうしてスポーツは『切り離された理想』としての機能を、努力の末維持していた だが #BLM なる運動と それをスポーツに組み込んだ #大坂なおみ のせいで スポーツは、#オリンピック の持つ理想と輝きは 失われ汚された
これは、およそ2000年の歴史の中で顕在化した現在の天皇家の問題を解消し、西暦4000年頃に同様の問題を起こさない為の、新提案である。
よって、現状の女系男系論争とは別物であることは最初に断っておく。
万世一系を証明するためには、遺伝情報が必須である。この時、父母両方からの由来の可能性があるものを前提にすると、2000年も経つと辿れなくなる。よって片方のみ受け継がれるものが良い、そこで最良の基準は母系のミトコンドリアであろう (父系遺伝の研究も存在するが、完璧なものはまだ無いように思える)
よって、天皇家 2.0 では現代の科学文明水準において、皇統を国内外に証明しながら公正に代を重ねる為、女系に切り替えるのが最善であると思われる。しかし、100年200年の範囲ではどちらでも良いだろう。
この、ミトコンドリアを基準にした女系の後継には公証の目的以外にも多くのメリットがある。それは今熱い話題となっている後継問題と結婚相手の問題である。
仮に、本家の血筋が途絶えてしまっても、ミトコンドリアの遺伝情報によって、より正統な後継者を分家から機械的に探し出すことが出来るのである。これは、1.0の歴史を振り返っても画期的である。揉め事が起きても、ミトコンドリアの遺伝子を判定するだけで瞬時にどちらが正当な後継者か、客観的に判断がつくのである。
結婚相手の問題も同じように解消できる。父が誰になろうと母系のミトコンドリアしか影響しないという心理的安心感はさることながら、例えば天皇家にどれだけ近い血筋かを本人の申告や周辺情報ではなく、客観数値で判別することが出来るのである。つまり、親族かそれ以外という離散的な区別から、連続的な区別が可能になる。
どうだろうか、天皇家 2.0 の革新性と有効性はご理解頂けただろうか?これはただの提案であり、100年、200年の直近では意味のない話だ、しかし2000年以上先を見据えた時の唯一の解であることを理解してほしい。
なんか新自由主義の否定する根拠が、出生率の向上には差別が必要という主張になり始めて、ネトウヨなリバタリアンな自分よりも差別肯定主義者でびっくりしている。テクノロジーの進化で、過去の手法を現代に持ってきても失敗する(例えば鉄道を国営にしても、ディーゼルエンジンの革新でトラック輸送の競争力は以前のものより勝るため、かつての賑わいは取り戻せないとか)のが理解できるはずなのに、どうして「新自由主義を否定」すれば社会はうまくいくと思うのか、まったく理解できない。俺は「新自由主義を否定したい」のだけど、今のところ否定する根拠が見つけられないから、一縷の望みかけて彼にチャレンジをしているが、どうやら根負けしそうだ。
6月25日午後には、党中央政治局委員(トップ25)を全員引き連れて、北京西郊の北京大学に乗り込んだ。ここの「紅楼」で開かれている「光輝な偉業、紅色の序章―-北京大学紅楼と中国共産党早期北京革命活動主題展」を参観するためだ。
後述するように、100年前の中国共産党の指導者たち――陳独秀、李大釗は、北京大学を拠点にしていた。中国共産党創建は、1917年のロシア革命と1919年の大規模抗日運動「五四運動」が基点になっているが、「五四運動」は北京大学が「震源地」となっている。私はかつて北京大学留学時、構内の学生寮に一年住んでいたが、5月4日は大学の創立記念日になっていて、特別な日である。
習近平一行は続いて、豊沢園の毛沢東故居を参観した。毛沢東主席が1949年9月21日(建国の10日前)から17年、仕事と生活の場にしたところだ。
毛沢東主席を崇拝してやまない習近平総書記は、そこに飾られた毛沢東の服や読んでいた本などを、感慨深げに見つめていた。そして24人の中央政治局委員を狭い部屋に入れて、またいつものように後ろ手に組んで、腹を突き出して説教を始めた。
さらにまだ言い足りなかったのか、中南海(最高幹部の職住地)の懐仁堂へ戻って、再び長い重要講話を行った。その要旨は以下の通りだ。
「紅色こそが中国共産党であり、中華人民共和国の最も鮮明明瞭な色だ。わが国の960万㎢あまりの広大な大地に、紅色の資源は星の如く流布している。わが党が団結して、100年の努力の偉大な歴史過程の中で、紅色の血脈を代々継承し、中国人民を導いていくのだ。
第18回中国共産党大会(2012年11月開催で習近平総書記を選出した)以来、私は地方視察を重ね、わが党の重大な歴史的意義を持つ革命聖地、紅色旧跡、革命歴史記念場所など、主要な場所をあまねく仰ぎ見てきた。どこへ行っても、栄光の歳月を再確認し、党の苦難の歴史を回顧し、心が震撼し、精神的な洗礼を受けてきた。
中国共産党はなぜ能力があるのか、中国の特色ある社会主義はなぜ素晴らしいのか。それらは根本的なことを言えば、マルクス主義が正しいからだ。われわれは党の100年の努力の歴史から、真理のパワーを悟り、共産党の執政の規律と社会主義建設の規律、人類社会発展の規律への認識を不断に深化させ、マルクス主義を用いた真理の光芒が、われわれの前進していく道を照らすのだ。
全党は終始、理想の信念を堅持するよう教育し、導いていかねばならない。革命の理想は天より高いのだ。100年の党史を振り返れば、千々万々の共産党人は、理想の信念を頭に抱き、鮮血を撒き散らしてきた。共産主義はわが党の遠大な理想であり、この遠大な理想を実現させるため、必ずや中国の特色ある社会主義の信念を固めねばならない。
新時代の中国の特色ある社会主義の新たな勝利を不断に奪取するのだ。全党の同志は党の100年の努力の歴史の中から初心の使命を悟り、人民を中心とした発展思想をうまく貫徹し、中華民族の偉大なる復興の実現のため、初志一貫で奮闘するのだ。
全党が終始、教育的指導で自己革命の推進を堅持するのだ。わが党は100年の風雲を経て、依然として繁茂している。その奥義は具体的な自己浄化、自己改善、自己革新、自己能力の強大化にある。自己革命の精神は党の執政能力の強大な支えだ。
政治性、思想性、芸術性を統一させ、精品を作り出すのだ。史実説話を用い、表現力と伝播力を増強し、生き生きした紅色文化を伝播させるのだ。革命、建設、改革の各歴史の時期の重大な事件、重大な節目に関する教育を強化しなければならない。
確定した重要な標識の地を研究し、党の物語、革命の物語、英雄の物語をうまく語るのだ。それらを青少年の特長が認知された教育活動と合致させ、潤沢な特色ある革命伝統教育、愛国主義教育、青少年思想道徳教育吉を建設し、彼らが小さい頃から心の内に紅色の理想を樹立できるように導いていくのだ」