なんか新自由主義の否定する根拠が、出生率の向上には差別が必要という主張になり始めて、ネトウヨなリバタリアンな自分よりも差別肯定主義者でびっくりしている。テクノロジーの進化で、過去の手法を現代に持ってきても失敗する(例えば鉄道を国営にしても、ディーゼルエンジンの革新でトラック輸送の競争力は以前のものより勝るため、かつての賑わいは取り戻せないとか)のが理解できるはずなのに、どうして「新自由主義を否定」すれば社会はうまくいくと思うのか、まったく理解できない。俺は「新自由主義を否定したい」のだけど、今のところ否定する根拠が見つけられないから、一縷の望みかけて彼にチャレンジをしているが、どうやら根負けしそうだ。