はてなキーワード: 真逆とは
俺はM男である。だがすでに文から見て取れるように俺は高慢である。無駄にプライドが高い。地位も金もある。
男だろうが女だろうが俺を屈服させたいと望む人間を返り討ちにして屈服させることが常だ。いかんともしがたい。
俺はM女が好きである。だがただのM女では満足しない。自分から全く攻めることのないM女を獲得し、理性を奪い取り欲望を解放し、S化することをやっている。
S女には従わない。そもそも男も女もSを履き違えている。SMのAVはその最たる例だ。
S女は正解を知らない。正解を知らないくせに高慢である。そしてバカだ。女が言う「男ってバカだよねー」のあのバカと同じ用法のバカだ。
まずS女は俺との恋愛まで到達しない。
俺は恋愛やビジネスは下から入る。徹底的にへりくだるのだ。へりくだりへりくだり、分析し解析し弱点を獲得し、最後に実力を連打して種明かしをする。貴様が圧倒的に下だと。
だがいわゆるS女とやらは、最初にへりくだった瞬間ナメてくる。これはもうおもしろくない。即座に逆襲して終了だ。何の興味もない。男か?お前。
低知性が垣間見える罵倒や侮辱はクズというか性格が腐っているだけだ。もともとの意地の悪さが出てしまっている。あのような輩はムチで足を縛って橋から吊るしておくべきだ。
一生懸命考えたセリフらしい罵倒は理性を喚び起こし、その背景から浮かび上がる軽薄さそして人格の卑劣さ愚かさ、死すら生温い。
そんなセリフを発したあと平然と「これがいいんでしょ」と責め続けるその道化加減。ため息や軽蔑・侮辱すら見えぬ蒙昧さ。笑えるが、キモい。絶望すら感じる。
S女は全然Sではない。M女としての才能もないだろう。何もできぬ愚鈍である。言語能力は畜生で、共感能力は地底。女をやり直すどころか人間やめろ。
ドM女はこちらがへりくだっても簡単には信用しない。むしろドM女は最初から高慢な人間をバカにしているところがある。よく観察している。
ここからまず惚れさせる。大抵すぐ惚れられる。まあいつものことだ。
しばらくするとドM女はドSを求めていることを開示する。なので最初はドS男としてムーブする。へりくだりつつしれっと馬鹿にするのだ。
馬鹿にする方法はこうだ。「えっ、指までかわいいんですね」や「それっていつも着てるかわいい服とは違うブランドですか?」など。こういうことを真顔で言う。
かなりキモいが、この時点ですでに相手は自分に惚れているので関係ない。スパイスのようなもの。
徐々に相手は性欲を解放して、責めろ責めろキャンペーンを張ってくる。だが俺はM男なので無風。全く責めない。向こうがねだってきたことだけを実行する。
相手が性欲を解放してきたあとは、徐々にM男を見せていく。ようやくここで自己開示だ。
相手が気持ちよくなると、そのお返しでこちらを責めてくる。そのとき女のように恥ずかしがるのがコツ。
「あっ、この人!責めるのはゲラゲラ笑いながらできるのに、責められるのは弱いんだ〜〜〜〜〜〜!えっ、これって、もしかして、『私しか知らない』?」
と思わせるためだ。ドM女が持つ圧倒的優越感。2人だけの秘密。ドM女がドSに一気に目覚める。ギャップ。開花。逆転。上昇。超越。
あとは「言われたいけど言われたくないこと」をピロートークなどでそれとなく伝えていく。そうすると、自分専用のS女が誕生する。
このS女は俺を縄や手錠で縛ったりするが、本当のところ縛られているのはこの女である。
この倒錯具合がいい。俺が気持ちいいと相手が気持ちいいのだ。つまり俺はただ気持ちいいだけでいい。
相手は必死に奉仕することになる。俺の反応が鈍ければ相手は反省し、俺の反応が良ければ相手は改善する。
S行為をするドM女は、SとMの二重の呪縛によって俺から離れることができない。一方で、自己肯定感がMAXなので他人からは「いじめたくなるようなドS」に見える。
これは、無関係な他人からはメスガキ・女神・太陽・天真爛漫・純粋のように見える。そして俺の存在は知覚できない。
それを見た男どもが「屈服させたい」と考えて、このドM女に、前述のSカスムーブを行う。だがそれは全く逆効果だ。正解は真逆だからだ。
だがその真逆の道も茨であり、すべて俺に報告・管理されている。無防備で自由な女に見えるのは、俺がリードが長い手綱を握っているからだ。
そしてSとMは、俺の気分次第でいつでも逆転する。向こうが逆襲を狙う場合は「いじめられないし、いじめてももらえない」というダブルが待っている。
呪術廻戦の連載があと5回だと告知されて驚いた
僕のヒーローアカデミアの時もあと5回で最終回告知だったか
ヒロアカの方が結局主人公は敵と何ら対話をせずに問答無用でぶち殺した一方で妻子に虐待していた毒親は許されて終わったのに対し
敵とも個人として向き合い毒親には容赦なく死を与えた呪術には結構な勢いで癒されていたので残念だ
しかしネットの声は概ね真逆で、自分が少数派なのを思い知らされる
ヒロアカの方が絶賛一色なのに対して呪術廻戦の方は叩き一色なので、結局主要キャラが全員生存で男女カップルが不成立ならば、それだけで持て囃す読者が多いんだろうな
呪術は既視感満載なのは確かだし、色々とギリギリで完璧とは程遠い作品だったと思うけれどそれでも個人的には割と満足できているのは
一挙公開していたので一挙に読んだ。
まずはその目と睫毛のギラギラ(白目)に面を食らうも途中で読みやすい漫画だなと気づく。
誰が何をしているのか、舞台上で複雑なことをするのに全部わかる。
背景が薄いわけではない。むしろ最近の流行りのスッキリして読みやすい漫画とは真逆。でもそれより読みやすい。思えば昨今の漫画は効果音が少ない気がする。
一気に読んでしまう。勢いがある。
登場人物たちのパワハライジメ嫌がらせ描写が犯罪の域。昭和はみんなこうだったんだろうか。いや流石に昭和への風評被害も多そう。でも影響された舞台人多そう。
漫画描写と演技の説得力がえぐい。マヤも亜弓も演技の天才だけど、作者は漫画の天才だよ。
マヤがなりきってるとか亜弓の集中力とか描かれる割に舞台上で雑念が多くて人間を感じた。安心。
真澄はロリコンなんだけど成人まで一線は引き続けたし生活をずっと見ていたわけでもなく億単位で推しに貢いだので名誉ロリコンでいいと思う。なんだろうなこの面白いキャラは…。
でもやっぱ酷いよ母親の件は。最近の漫画では序盤に現代レベルでちょっと意地悪いことして終盤までアンチに叩かれるキャラよりも酷い。ただあの母親も酷かったからマヤの感情もちょっと特有の執着あるよな。あの母親もやべぇ。月影先生もやべぇ。モブも含めてやべぇやつばっか。
かの有名な紫のバラの人、バラ口に咥えて立ってるんだろうなと思ってたけどそういうんじゃなかったんだな。あと聖唐人を紫のバラの人と勘違いしてたけどあの人ただの秘書でインタビュアーなんだなぁ。聖、真澄のなんなんだろう。
水城冴子が一番好きだ。多分この人は令和でもやっていける。全登場人物含めて令和でやっていけるのはこの人だけ。中盤から謎に見守るモブみたいな無意味登場あって、書きたいだけか人気出たものだと想像。
桜小路くん普通に平成的な良い子なのでこの漫画にいるの可哀想。あの彼女と幸せに過ごしていたらあんなことにはならなかったのに。読者が彼を邪魔に思うのも当て馬の定めか。甥っ子にしたい。
桜小路くんといい里見といい、本命以外の複数の男に淡く恋をするヒロインが新鮮。毎回ちゃんと嫉妬してグラス割っちゃったりしてる真澄くん草。
亜弓は勝手に孤独な女だと思ってたら家族にしっかり愛されてて赤井秀一みたいだなと思った。亜弓はイカれてる女なのだがマヤはもっとイカれてるので、二人こそ魂の片割れにしか思えないし真澄よりお似合いだとは思う。
でも真澄みたいな人脈と経済力がないとマヤは多分社会不適合者であるのでマヤには真澄しかいないんだろう。桜小路くんにマヤは扱えない。
そう思うとずっと同居してる麗やばくね?あれこそ愛だろ。
でさぁ終盤の展開なんだけど紫織はもう…そういう役回りだよな!!と…
本来は様々なエンタメを見る前にガラスの仮面を初期で見ておくべきだったんだろうな。あらゆるテンプレ展開がオリジナル描写としてなされているので先が読めてしまう部分があったのだが、先はない…続きはまだ描かれていないということで。
亜弓の展開にはびっくりした。飛躍して牡丹と薔薇展開か?と予想したがマヤと真澄はよくっつけや感もあるので、そうはならないだろう。
どうやら物語自体も終盤らしいので数巻で終わりたい気持ちはあるんだろうが、ストーリー的にはまだ20巻くらい続けられるんだろうなと思ってしまう。
安倍晋三とか支持率とか世間体のために女性の社会進出プッシュしてたけど支持者は真逆の主張しながら「安倍さんは正しい!反日野党から日本を救う救世主」みたいなこと言ってたぞ
これが世界最大という超超巨大書店を、どーんと僻地でもなんでもいいから街が作れそうな平野に作ってほしい。その超超巨大さは世界第2位を突き抜けてほしい。
政府もテコ入れし、クラウドファンディングも募り、数多ある企業も全勢力が参入してほしい。もうとにかく全力をかけて作ってほしい。
「そんなことして失敗したらどうする?!バカじゃん?!」とか考えず作ってほしい。勝算とか考えず勢いで作ってほしい。
そこには和書だけではなく洋書もある。西洋の本だけではなく中国語の本、アラビア語の本、アフリカーンス語の本、とにかく片っ端から「いやこれいらんだろ」みたいな本だったとしてもすべておく。
なんなら和書が中央ではなく洋書が中央である。日本語を中心で考えてほしくはない。言語別に存在する知の量に応じた配分をしてほしい。
客層に応じてカテゴリ分けは必要だろう。1つの書店だけでなく複数の書店が統合してもかまわない。古本屋を集めてもかまわない。
「よくわからなくても物理の本を買うなら日本のここへ行け。たぶんあるから」という状態になっていてほしい。日本の中規模以上の書店はほぼすべてここに集める。
全勢力が協力してできた超超巨大書店を中央に据えて、その周りを他の超巨大書店が取り囲む。その周りは巨大書店。その周りは中規模書店、その周りには小規模書店。
海外からも片っ端から誘致する。必要なら補助金も出す。「バカなの?」とか「さすがに海外出店は難しいです」とか一蹴されるだろうが「まあ採算とれそうだからいいよ」と言われるまで粘ってほしい。
税金をたくさん投入してもかまわない。重要なことは「そこにある」「とにかく日本のここに来たらある」「お前のやりたいことは知らんけど本がほしいなら日本のここに行け」という願いが叶う場所だ。
例外を作ればそのブランドは失われる。このブランドこそが他国が追随不可能な圧倒性を生む。先行者利益だ。バカすぎて1つ1つで見るとデメリットしかない行為が、結合すると巨大な1つのメリットを作り出す。
どこかで手を抜くと終わる。そんなことまでする必要ないんじゃないのとか、それってめちゃくちゃ損しますよねとか言われようが、究極に本を集める。
書店と書店の隙間にはさまざまなカフェが立ち並ぶ。個人で経営するカフェからチェーン店が密集する。コンビニも立ち並び、公園には読書に適したベンチがある。公園は読書に最適化されている。
その街にはどこにでも椅子が置いてある。買った本をすぐ座って読む人向けのものだ。
この街には有名人が毎日のようにやってくる。たとえば「ビル・ゲイツが本を選びに来日!」など当たり前のことになるだろう。
読書家はこの街の付近に別荘をかまえる。なんにもなかった僻地の近隣に富裕層街が誕生し、地価がとんでもなく上昇する。意味不明なおいしい話だ。
一方で本を読むことが目的でない人間には居心地が悪い空間になる。この街に存在している人間はほぼ全員本かその周辺が目的なのだ。本以外が目的の人間は異様に目立つようになり警戒される。
街の中央部分は徹底的に、本、本、本、本、本、と本が存在するのが当然の本の密集空間になっている。普通の人間が「ここまですることはないんじゃ・・・だって採算とか・・・」とドン引きするぐらいの熱量で本で溢れかえっていてほしい。
地面に敷かれたタイルには、文章が書かれている。まっすぐ歩くと偉人の言葉などがそのまま読めるようになっているのだ。たとえば「良い本は私の人生におけるイベントである。」「本の無い家は窓の無い部屋のようなものだ。」「天才とは努力する凡才のことである」などという文が永久に書かれている。有名な書の冒頭部分だったりもあるし、古典文学もあるし、文学のみならず数式も書かれていたりする。それを読むだけで日が暮れる。
この街の広告はすべて本に関するものでいっぱいだ。ほかでは絶対に見られない、読書家にだけ向けた広告が撃たれる。「こんな難しそうな本の広告ある?」というのがそこここで見つかる。
たとえばベトナム語のマンガの新刊広告なども見受けられていてほしい。
この街にあるのは紙の本ばかりではない。電子書籍派のための書店もある。他では絶対採算がとれないような形の店であっても、「読書家が毎日のように集まることが普通」の街特有の書店ができる。たとえば巨大な8Kモニタにその人へレコメンドされた電子書籍が大量に表示され、立ち読みすることができるとか。「辞書専門店」や「単語帳専門店」や「栄養学書籍専門店」などがあったりもする。そういうものを作っても不思議と利益が出るのだ。
この超超巨大書店圏内部には研究所や大学なども誘致する。どのような言語でも関係ない。化学系のカテゴリが立ち並ぶ「化学通り」のようなところには実験器具専門店も立ち並ぶ。
そういうところは、基本的には英語がメインだ。英語の下に日本語が書かれている感じ。イメージ的にはハリーポッターだろうか。ときどき「なんで化学通りにオムライス専門店がこんなにあるんだよ」などということもあるかもしれない。秋葉原や神田にカレーがたくさんあるようなものだろう。
やや込み入ったところにはマイナーな本屋がある。「なんだよこの本屋・・・」という、見るからに異国感が漂う本屋だ。謎の部族の謎言語で書かれた謎の材質の本が置いてあるなど。ネクロノミコンのような本も見つかる。
石版などもなぜかある。読書向けの椅子専門店もある。「本のためだけの椅子専門店」が生存できる場所は日本ではここしかない。
しかし、この超超巨大書店群の主目的は「本の集積」である。そこから逸れるようなことがあってはならない。何か欲をかいて「ここに企業をうんたら」などとして利益を優先するとこの街はあっという間にその意味をなくし滅びるだろう。ありとあらゆる人々が周辺の利益を求めて集ってくる。そういうのを一蹴できるような体制であってほしい。
「この街意味ないだろ。なんで作った。赤字だろ」と罵られながらも存続する街であってほしい。そして、そう罵る人も、ひとたびその街に入ると「すげえ・・・この街は地球に必要だわ・・・」とどうあがいても認めざるをえないほど感動できる街であってほしい。街自体で見ると赤字なのだが不思議と日本経済が潤う源泉である摩訶不思議都市であってほしい。完全に未来へと投資された都市である。
この街では、夜もたくさんの書店が営業している。こんな大きな本屋が24時間営業できるのはこの街しかありえないとなっていてほしい。「夜眠れないな・・・本でも買いに行くか・・・」という人外の行動を普通にするような場所であってほしい。
街の周囲には民家が立ち並ぶ。ただしこの民家に住む民間人はややおかしい。本のために移住してきた狂信者たちだ。軒先には自分の選書が並び「1冊100円」などと書かれていることも多々ある。
富豪がゴッソリ買っていくことを見越して少し離れたところに在庫置き場がある。
富豪が「ではこの棚からこっちの棚まで」などと爆買いしていく。もはやテロリストのようなものだが、そんなことは気にせずまた入荷する。本はバカみたいに売れる。
この街は、「日本人なら1度は絶対行け」と呼ばれる場所になる。そしてひとたびそこに立ち入れば「世の中にはこんなに知識があったのか」「世の中はこんなに頭のいい人たちで溢れかえっていたのか」ということが、嫌でも全身の細胞に刻みつけられる。伊勢神宮みたいなものだ。それよりも神々しいかもしれない。
そして、全身の細胞で体感したその人は、格段に読書するようになるだろう。それは地元へ帰っても同じことだ。一流を目の当たりにした者は一流になる。
取次の問題も、書店が潰れかけている問題も、日本人が本を読まなくなってしまっている問題も、経済が深刻化している問題も、だいたい解決できるだろう。
誰か作ってください。
ちなみに国防にも役に立ちます。一度作ってしまえばここを潰すやつは「バカ」なので。ペンは剣よりも強し!
ただそれは、「本がたくさんあっても意味がない」のではない。逆。
それに「物理本を読む人が少ないから本屋が潰れちゃう」というのも逆だ。
「物理本を読みたいと思う人を増やす。そのためには本屋すべてが潰れることも辞さない」という情熱が正道である。
本というのは知の源泉である。だから知識がない人に迎合すれば、潰れるのは自然だ。知識がない側に与するのだから。
本の機能はそれとは真逆であり、全体を引っ張り上げるものである。知識がない側が「欲しい」と願える場にすべきなのだ。
ない側に媚を売っていれば潰れて当然。
「この本は今は読めないけれど、読みたいと思う」そういうものがない。
「この本は内容はちんぷんかんぷんだけど、そういう本の存在を知っている」そういうものもない。
ジュンク堂書店などですら、知らない人々が多い。大型書店の重要性を知覚できていない。入ったことがない人間もいる。
記事を読んでくれた人へ: 記事を読んでくれたのはありがたいが、たぶん自分が考えている規模と読んだ人が考えている規模に大きな差があると思う。
自分が考えているのは、もっとも小さく考えても深圳書城中心城の数十倍の大きさであり、既存の書店をちょっとだけ大きくしたものとか、蔵書が全く同一であるような大型書店が単に10個ある街という形ではない。
コーチャンフォーつくば店は50万冊、池袋ジュンク堂書店は150万冊、深圳書城中心城は400万冊、国会図書館は4685万点。Amazon Kindleは60万点。
自分が言っているのは、数億冊あるような書店群である。つまり、コーチャンフォーやジュンク堂書店や紀伊國屋書店は超超巨大書店(世界中の意味わからんハイレベルの本から選びぬかれ集まったエリート本屋)の周辺を取り囲む「日本区域最大の超巨大書店」の周辺を取り囲む「大型書店の1つ」という状態を考えている。ブックオフなどはその周りを取り囲む中型書店になるだろう。その周りを、身近にあるご近所の本屋さんがたくさんずらーーーっと並んでいるというような領域だ。いうならばこれが日本区域である。
世界の蔵書数はGoogleによると約1.3億冊であるらしい。日本区域内に別に中国語や韓国語の本があることもある。ただし日本区域の横には韓国区域だったり中国区域だったりする。その中国区域でもばかみたいにデカい超巨大書店があり、それを取り囲むようにジュンク堂書店並の大型書店があり、英語区域では……というような状態だ。言語別に分けられているだけでなく、「数学領域」で分けられていることもあり、そこでは「高校数学」の棚に世界各国の高校数学が並ぶ。数学の参考書を買いに来た高校生が、カメルーン人の中学生と仲良くなるみたいなことも想定できるわけだ。
地方のクソデカ本屋が数百個単位で入る「は・・・?」「この街が・・・全部・・・本屋さん・・・?」という規模の書店群である。
イメージとしては↓な感じ。
まもなく目的地の駅に近付く。電車にいる人々は全員が本を読んでいる。スマホを触っている人たちなど誰もいない。不思議な光景だ。多くの人がそわそわしている。初めて来た人たちが多いのかもしれない。
電車が駅に滑り込み走って降りる人々の後ろでのんびりと降りる。全く、はしゃぎすぎだろう。
降りた直後、本の形をした案内板が表れた。真っ先に飛び込んできたのは「↑ バベル中央書店」というやたらとデカい黒文字と、その下にあるやや大きな黒文字の「↑ 北区域書店」だった。
右を向くと・・・あれは・・・本の自動販売機?! 本を自販機で販売するのか。カルピスの作り方・・・自動販売機の歴史・・・Why could he make vending machines?・・・なるほど。
床には文字が書かれている。Station, State, Statue, Status. 何のことやらわからない。
改札を出る。改札を出ると、ああ、もうこれは本のテーマパークだ。最奥部に見える巨大な塔には雲がかかっている。おそらくあれが中央書店だ。その横には数えるのもバカバカしくなるほど書店が並ぶ。街には今まで見たこともないような人々で溢れかえっていた。ベンチでは読書をしている中東とおぼしき人が中国人らしき人と何やら議論している。彼らが話しているのは何語だろうか。
デジタルサイネージで目まぐるしく本の広告が入れ替わっていく。「サウダージにさようなら」「入門グロッキング」「般若心経の終焉」
子どものときに巨大書店や巨大図書館に人生で初めて行ったときとか、論文と大学と研究の仕組みと接したときに、知の偉大さに震えたことがないだろうか。
目に見えないものは見えないことが多い。たとえば、ライブ会場に行ったことがなければライブの偉大さは本当にはわからないし、「本当にこんなにたくさんの人がファンなのだな」ということもわからない。
いま「自分が考えるクラスの巨大な本の集積地を人類の誰もが見ていない」というのが問題であると思う。誰1人として。
そういう知がたくさんあることは存在としては知っていても、「それを見たことがある人は誰もいない」のだ。いわば、月は見えるけど、月に行ったことは誰もいないような状態だ。
神田の古本屋街や、既存の大型書店というのは、いわば地球上にある月に似たところでしかない。「たぶんこれとこれがこうなると月」というふうにしか想像できない。だが月に行かなければ月の隕石は無いのだ。
ほとんどの人は、目に見えないなら存在しないと感じてしまう。マッチングアプリで人間を左右にスワイプするとき、人間ではないように扱う。それは人間として存在しているのに。
一方、眼の前に相手がいるとき、同じように左右に指を振って弾くのは容易ではない。これが目の前にあるかないかの大きな違いである。
自分が言っているのは、そういう知の集積の偉大さが理解できなくてもとにかくそこに行けば、「ああそういうこと」「人類は偉大だったのか」と、誰もがたちどころにわかってしまう場所がほしいということである。
「すぐ腹を壊す人=サボってる」
「熱を出す人=サボってる」
こういった偏見の眼差しを持って他人を測ろうとする態度こそが、あらゆる差別における根本的な原因であってそこに対して、感覚が敏感とか恵まれた環境で暮らしているとかはあまり関係がないんじゃないだろうか?
つまりは「自分が慣れ親しんだもの=素晴らしい」 「自分と接点の薄いもの=存在そのものが歪」という幼子のまま成長せず老害になったような価値観を全世界の普遍的な常識だと勘違いしていることが問題なんだろうな。
公教育というのはこういった狭い偏見を超えた広い視野を持たせるために様々な機会を提供するはずなのに、実際にやっているのはそれとは真逆で「地毛が茶髪なら黒に染めてこい」といった教職員側の偏見に基づく画一化を推し進めているわけで。
ではなぜそうなるかと言えば、この国の国民が根本的な部分で差別意識に満ちていて画一的な隣人を求めているからなんだよな。
「入れ墨をしている奴らはチンピラだから公衆浴場に入って欲しくない」とか、「アイドルは偽の恋愛感情を売っているんだから本物の恋人を作ってはいけない」とか、そういった身勝手な言い分を振りまいてそれらをさも常識であると言い切る理論が大手を振っているわけだ。
入れ墨をしていたらチンピラだというなら、成人の儀式などにおいて伝統的に入れ墨をしている部族はみんなチンピラであり、憎むべき文化の持ち主だからわざわざ集落に乗り込んでいって文化を浄化するのが人類のためなのかという話だよ。
結局、人類ってのはどいつもこいつも高慢ちきで、自分たちの生まれ育った文化圏こそが唯一清く正しくご立派な人としての道を歩む絶対の正解だと勝手に思い込んでいるのさ。
凝り固まった『常識の殻』を知恵のハンマーで叩き割ってやるのが公教育の役目だろうに、先にも述べたように奴らと来たら殻の上をより分厚くコーティングすることに手一杯だ。
んでもって生まれてくるのが一生自分の殻から出ることもなく暮らしてきた『平等意識における盲人』の群れなわけだよな。
まあ、現代社会においては憐れなる無知蒙昧の輩と言うしかないわけで、キャンセルカルチャーされまくって然るべき無能という他ない。
宗教にはまるやつっていうのは、2種類おり、そのうちの良いほうにあたっているようだ。
彼らは善意を信じており、悪を信じてない。最初に教えられたことをそのまま信じちゃう人たちであり、暴力を知らず、謀略も知らず、善意から我々に教えられた教えを伝えてくる。宗教に属することでコミュニティに奉仕する喜びを感じており、そのことで人格は明るくなり、貧乏ながら(無能ではあるので金持ちはいない)充実した顔をしていたりする。
俺のような猜疑心にかたまりバカをコバカにするような、腐った魚のやる気のない目をした人種とは真逆。
このパターンの人は、教えられている内容が単なる迷信とか嘘の中に入っているうちは、特に害がない。本人個人にはむしろ助けになったりするし、こっちから圧かければ追い払うのも簡単。創価とか天理とか古めの新興宗教に多いね。
もう一つのパターンのがやばく、そいつらは、他人が知らない教えを知っている自分のために宗教をやっていて、マウントとるために教えを説いてくるし、否定されたら暴れるんだよね。
最初に断りますが、自分はアラフォー男性です 名古屋在住でもありません
そもそも「ヴィジュアル系」という言葉自体がもう死語であろうが
全盛期は、どんなメイクの系統か、曲がどんな音楽の系統なのかで、ヴィジュアル系はさらに細分化されていた
「コテ系」 「オサレ系」 「ラウド系」 「白塗り系」 など、ヴィジュアル系の中に多様なサブジャンルがあった
そして増田はその中でも「名古屋系」と呼ばれるヴィジュアル系が好きだった
源流はSilver Roseあたりからだと思うが、個人的には黒夢が祖だと思っている
そもそもヴィジュアル系以前のロックは、汗くさくて、男くさくて、力強くて、体育会系で…という音楽だった
そういうロックのステレオタイプに対して、ロックという枠組みの中でのアンチテーゼとしてヴィジュアル系の流れが生まれ、
その流れを決定的にしたのが名古屋系であり、黒夢だというのが増田の持論だ
黒夢は上記のようなロックのイメージの、すべて真逆をいった、つまり、
耽美で、女々しくて、病的で、退廃的な世界観で、ロックをやろうとしたのだ
これが衝撃的だった
すぐに多数のフォロワーが生まれ、名古屋系と呼ばれるジャンルが確立されていった
共通しているのは上記のような世界観なのだが、どうもこの方向性で長く続けるのは難しいようで、
名古屋系のバンドは軒並み短命、あるいはだんだん方向性が変わってポップになっていくことが多かった
また世間一般的なセールスもあまりふるわず、商業的に大成したバンドも少ない
それでも当時の世界観というか、名古屋系と呼ばれるバンドたちの空気感は何物にも代えがたく、
あれから30年近くたった今でも、当時の音源を引っ張り出してきてはたまに聞きたくなる
黒夢、Laputa、ROUAGE、Merry Go Round、Lamiel、kein、deadman、GULLET
当時の名古屋系バンドでしか感じられない没入感のようなものがある
いつか、同志と心ゆくまで語り合いたいと思っていたのだが
リアルで出会うことのできないまま、気づけばアラフォーのおっさんになってしまった
やり場のない熱をここで供養させてください
世間でMBTIとやらが流行り出してしばらく経つが、これは一体いつ終わるんだ?
前提として、俺はこういった自分をカテゴライズする系のものは嫌いではない。
むしろ好きな方だ。
高校で出会って今まで一緒に過ごしてきた中では、人の気持ちに寄り添える、良くも悪くも人間らしい愛される存在だった。
そいつは最悪な会社に入ってしまって軽い鬱状態になっていたと思う。
俺や他の友人がいくらやめろと言っても聞かず、結局飯をあまり食べられなくなってから退職した。
そいつはINTJと診断結果が出ていた。
正直なところ俺たちの知っているそいつの性格とは真逆だったが、特に伝えることもなかった。
その辺りから段々変わったと思うことが増えてきた。
複数名で集まる時に、俺たちはざっくりしたことだけを決めて集まっていた。
だらしがないと思う人も多いと思うが、高校時代から遊ぶ時の時間にはルーズなほうで、大体14時くらにここな!とだけ決めるって感じ。
(社会人になってからは流石にいく場所とかもうちょい決めるようになった)
俺の印象だが、そいつも事前にあれこれ決めるのは苦手なのだと感じていた。
だが診断をしてからは次に会う時期を早めに決めてくれ、何するかも決めたいんだよと言っていた。
そいつはまだ心が落ち込んでいる状態だと思っていたから、俺たちはなるべく彼の希望通りにしようと心がけた。
1年以上経った今でもそいつは変わったままだ。
会社の同僚と仲良い環境で働いている奴の前で仕事とプライベートを分けられないのはクソだと言ったりしている。
何を話してもこうすればいいだろ?と言い放ち会話が終了してしまう。
つい昔と比べてしまうんだよな。前のそいつはノリ良くて、その場を盛り上げてくれる奴だったんだよ。
今はなんだかMBTIの診断結果に寄せて行動しているような気がする。
会話していて楽しくないんだ。
もちろん人間だから変わっていくのは当たり前なんだが、それにしたってこんなに変わるか?と思うよ。
こいつとは一生の友人でいられると思ったんだが、もう難しいかもしれない。
奴が変わったんだろうか、それとも俺が変わらなすぎるんだろうか。
世間でMBTIとやらが流行り出してしばらく経つが、これは一体いつ終わるんだ?
前提として、俺はこういった自分をカテゴライズする系のものは嫌いではない。
むしろ好きな方だ。
高校で出会って今まで一緒に過ごしてきた中では、人の気持ちに寄り添える、良くも悪くも人間らしい愛される存在だった。
そいつは最悪な会社に入ってしまって軽い鬱状態になっていたと思う。
俺や他の友人がいくらやめろと言っても聞かず、結局飯をあまり食べられなくなってから退職した。
そいつはINTJと診断結果が出ていた。
正直なところ俺たちの知っているそいつの性格とは真逆だったが、特に伝えることもなかった。
その辺りから段々変わったと思うことが増えてきた。
複数名で集まる時に、俺たちはざっくりしたことだけを決めて集まっていた。
だらしがないと思う人も多いと思うが、高校時代から遊ぶ時の時間にはルーズなほうで、大体14時くらにここな!とだけ決めるって感じ。
(社会人になってからは流石にいく場所とかもうちょい決めるようになった)
俺の印象だが、そいつも事前にあれこれ決めるのは苦手なのだと感じていた。
だが診断をしてからは次に会う時期を早めに決めてくれ、何するかも決めたいんだよと言っていた。
そいつはまだ心が落ち込んでいる状態だと思っていたから、俺たちはなるべく彼の希望通りにしようと心がけた。
1年以上経った今でもそいつは変わったままだ。
会社の同僚と仲良い環境で働いている奴の前で仕事とプライベートを分けられないのはクソだと言ったりしている。
何を話してもこうすればいいだろ?と言い放ち会話が終了してしまう。
つい昔と比べてしまうんだよな。前のそいつはノリ良くて、その場を盛り上げてくれる奴だったんだよ。
今はなんだかMBTIの診断結果に寄せて行動しているような気がする。
会話していて楽しくないんだ。
もちろん人間だから変わっていくのは当たり前なんだが、それにしたってこんなに変わるか?と思うよ。
こいつとは一生の友人でいられると思ったんだが、もう難しいかもしれない。
奴が変わったんだろうか、それとも俺が変わらなすぎるんだろうか。
艦これのレキシントンで、新キャラの絵が気に食わないという理由でイラストレーターに脅迫が届く事態が生じているらしい。
米空母レキシントンの擬人化したキャラがそれで、「姉妹艦(サラトガ)とイラストの画風が違いすぎる」とか「絵柄が古すぎる」とかが理由。
これを聞いて思い出したのが、アズレンのアンソン騒動。実はアズレンでも、今年3月に同じような理由で戦艦アンソンの擬人化キャラのイラストに関する炎上が起こっており、理由が同じく「姉妹と毛色が違いすぎる」ってのが発端。両方とも攻略wikiでコメント欄すら制限されるレベルで大炎上してる(アズレンwikiがコメント全削除の完全禁止なのに対して、艦これwikiは制限前のコメントは残ってる違いがある)
経緯は割と似たようなものだけど、公式の取った行動が、艦これとアズレンで割と真逆なのが興味深い点である。
艦これの方はイラストを引っ込めず、脅迫にたいする法的措置を取ると公式が明言した。一方、アズレンはキャラクター自体を引っ込めて、アンソンの実装は事実上空白となった。
似た理由での炎上なのに、公式の対応が割と間逆なのが興味深い(ただ、アンソンが非公開になった理由は、炎上が原因ではなく、他ゲームのキャラのパクリだからって説もあるとか。アズレン公式も「掲載素材の確認フローを改善」という言及の仕方)
今オルカンで含み損抱えてる人ってほんの2~3か月前に買い始めた人だけだろ。
オルカン下がったとはいえ、2024年2月程度の水準に戻っただけだぞ(現在約2万3千円)。
コロナショック前の2020年2月で1万2千円だったのと比べると、順当に上がってるぞ。
コロナショックの底値でもせいぜい8千円程度にしか下がっていないんだぞ。
あんた、オルカンのチャートを年単位で見たことないからそんなこと言えるんだろ。
投資していれば倍以上に増やすこともできたのに、銀行預金だったら1%も増えなかったんだぞ。
それはそうと、銀行預金等で円だけを持ち続けることをギャンブルだと、あんたは思わないのか?
ほんの5年前に100円だったハンバーガーが今では180円になったように、近年の物価上昇で円の価値が下がっていると、あんたは感じないのか?
加工肉は発がん性があることが確定してるらしいのでやめたい
パンにとろけるチーズと共に挟んで食べれるお気軽に美味しいお肉か代替品を募集
加筆:
シーチキンとかアボカドとか有用なものを挙げてくれた人たちはありがたい
何食べても発がん性はあるとか何も食うなとか極端なゼロリスク論に走って得意がってるブクマカは相変わらず頭が悪くて辟易する
交通事故率の低い色の車を選ぼうとしたら、車に乗る時点で危険だ、一切出歩くなみたいに、少しでも統計的に確率を低めようとする次善策の工夫をいつも全否定してるのかな
健康のための話をしてるのに呼吸すらするなみたいにすぐ死に直結する真逆の策を勧めて得意がってんのこれで賢いつもりなのやばいっしょzkqとそれに星つけてる人たち。皮肉にもなってない
こいつは毒キノコを避けようとする自然菜食者に対して酸素も有毒だからとか言うのか?
消費量についてだけど、これは毎朝の食事だから避けようというものでイレギュラーで食べる時まで一切ゼロにしようというわけではない