はてなキーワード: 歴史的とは
http://anond.hatelabo.jp/20161108134523
だからそれはでたらめ。ロシア語では「ряа(=[rya])」・・・などの表記と音が存在する。物理的に 発音できないなどということはありえない。「英語では物理的に発音できない」という主張だとしても「なんで言語によって物理法則が変わるんだ」ということになるから、その問題提起はあきらかにおかしい。また、だとすると「日本語では平安時代は物理的に"ぴゃ"という発音はできなかった」という意味のわからない主張が正しいことになる。
そもそも、
ということと
ということは同じではない。
英語ネイティブの人でも気づかないだけで[rya]という音は発声している。ただ、それが音韻として用いられていなかったり、あるいは弁別性を有しなかったりするだけ。あなたの言っていることはそもそも文字と音声言語を混同してるんだよ。
そもそも「ラリルレロ」は"L"か?"R"か?"L"の方が近いのでは?
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ら行
頭子音の音声学上の実際の発音は、「り」を除く「ら」行音の場合は一般的に、語頭や、撥音(ん)の後では歯茎側面はじき音 [ɺ] 、そり舌側面接近音 [ɭ] または有声そり舌破裂音 [ɖ] に発音され、撥音(ん)の後を除く語中、語尾では歯茎はじき音 [ɾ] またはそり舌はじき音 [ɽ] に発音される。「り」の場合は他の「ら」行音に比較して頭子音が硬口蓋化するため、語頭や、撥音(ん)の後では歯茎硬口蓋側面はじき音 [ɺʲ] 、硬口蓋側面接近音 [ʎ] または有声硬口蓋破裂音 [ɟ] に発音され、撥音(ん)の後を除く語中、語尾では歯茎硬口蓋はじき音 [ɾʲ] または硬口蓋はじき音 [ɟ̆] に発音される。
つまり、コンテキストによって r や l どころかまったく違う音になっている。話者は音韻として「ら行」に分類しているだけ。ここ、ブクマでもトラバでも「おれ英語知ってるしー。ら行はRじゃないよねー」とか物知り顔で言ってる人多いが恥ずかしいだけだぞ。
「リャ・リュ・リョ」の英語表記において、"L"か"R"の2択でなぜ"Rya,Ryu,Ryo"が発音できない"R"を選んだのか?
ローマ字表記はラテン文字圏向けに26文字のアルファベットで日本語を表記する方法として考え出されたものです。英語表記するためのものではないです(なお「ラテン語表記」でもないです。いまの時代ラテン語で新語の表記なんかできるかボケ)。
「そんなの細かい違いでしょ」と言い出しそうだが大問題。たとえば国語表記にアルファベットを使っているベトナム語も「英語表記なんだから英語の発音を考慮せよ」ということになってしまう。
こんなんね。「えー! アルファベットじゃないじゃーん!」とか不平言ってもダメ。これはアルファベットにダイアクリティカルマーク足してるだけ。ダイアクリティカルマークをアルファベットじゃないと言い出すとウムラウト打ってるöドイツ語もアルファベット使ってないということになる。
英語でしかものごと考えないくせついてるからそういう変な発想になるのよ。
ここも若干厄介な問題が絡んでいて、英語とは"value"を「バリュー」と読むくせに"Lue"は「ルー」と読む言語なんですね。
それも間違いです。英語の表記は「その単語が英語文化に移入された時点では表記と読みが一致していた」んです。ただ、英語の場合はノルマンコンケストとかいろいろな文化の交流があったせいでさまざまな表記が残ってしまった。結果として音声・表記不一致になっているように見えるだけ。実際には歴史的背景を知っていればスペリングから発音を推定できるようになっています。中学か高校でちゃんと習ってるはずだけどhttp://bit.ly/2eRDbuy:ノルマンコンケスト]についてはWikipediaでも読んで。
ただし、"Rya,Ryu,Ryo"だと読みを慣例化していく以前に、「原理的に発音できない問題」が出てしまい、不適切だと思います。
うん。だから誰にとって「原理的に発音できない」のか明らかにして。
この件に関しては私が無知であり、"R"よりも"L"の方が日本語に近いと勘違いしていました。
音声学だったり色んな経緯があって"R"になったようですね。
先にも書きましたがLでもRでもありません。また、音声学的背景で決まったものでもありません。そもそも /l/ と /r/ は「流音」と言って似たような音の仲間です。
ヨーロッパのことばの中でも「単語の中の-rolor-って部分、時代が移り変わるうちに -lorol- って間違って巷間に流布しちゃった。テヘペロ」などということがふつうにあるレベルです(ポルトガル語や中世ロシア語の流音交替現象など)。「日本人は発音しわけられないし聞き分けられないんだよねーププ」という指摘がよくなされますか、広い視野で見ると「そんなに変わらない音」なんです。
だからローマ字で L と R どちらを採用したかは「気分で決めた」以上のなにものでもないです。
本当にそうだと思います。
なるほど。ではお聞きしますが、
xa で打てばいいと思います。
生徒を飽きさせないために、授業中数分程度だがサブカルチャーの歴史みたいな小話をする。
1995年のプレステにおける「ときメモ」。恋愛ゲームの誕生だ。
「ときメモ」はゲームとして非常に出来がよく、可愛い女の子を愛好するグループと、ゲーム性を重視するグループ双方納得する出来栄えだったところに歴史的意義がある。
この均衡を破ってしまうのが、1998年の「センチメンタルグラフティ」だった。
女の子は可愛いが、ゲーム性は糞。かくして萌え派とゲーム性派は永遠に離断されてしまった。
こんな話を、普段歴史を話すテンションと同じように生徒に伝える。
セングラのところで、もちろん笑いが起こる。
しかし、帰ってきてyoutubeで「セングラ」のオープニングを一人でみると、どこか言葉にし切れなかった部分があったことに気づかされる。
あのちょっと長閑で間が抜けたところがある洗練された音楽。暗黒太極拳と揶揄される少女たちの舞踏は、作画自体は大変にいいものだ。
確かにあの頃、このゲームはクソゲーと評されていたように思う。けれど、どこか愛らしいゲームだと、今更ながら思う。そしてそれは17歳には俄かには伝えられない要素だ。
世間のこともあまり知らず、特に何も考えずに青春を謳歌できていたあの頃。そんな時代を今私は懐かしく思う。その時に、想い出すのは「ときメモ」より「セングラ」だ。
これは私の年齢によるところが大きいのだが。
・自分としては「普天間基地は早急になくすべき、そのためには国外・県外移転が望ましいが、それを望まない日本政府の決定があるならば、『沖縄県は(普天間基地の代替としても)県内に新基地を作ることに反対したが、日本政府が地元の反対を権力で押し通して基地を作った』という手順、ストーリーで作るべきだろう。それが将来的に沖縄県民の利益に繋がる」と考える、以下理由
直線距離にして600kmほどでかい、それぞれの地域・島によって歴史も現在置かれている状況も違う
那覇市などの南部に住んでいるとそんなに米軍を意識はしない、でも中部に住むと、広大な米軍基地の周辺にへばりついて、分断されぎゅうぎゅうに押し込められて生きている感を受ける、場所によっては騒音がほんとにきつい。北部は…実はよくわからない、『北部』という主語も相当でかくていろんな立場がいるだろう。
南西諸島などの離島は沖縄本島とはだいぶ状況が違う、まず米軍基地や訓練空域がない、交通事故をMPに仕切られた経験もないので米軍問題がどこか他人事だ。それより実感としてあるのは本島・宮古島間の中国艦船通過だったり、尖閣諸島問題だったりするので、気分的に日本政府に強くあって欲しい、保守よりの風潮があると感じる、歴史的にも沖縄本島の政権からの差別や軽視があったらしいが、その辺はよくわからない。
そんな感じなので、ひとこと『沖縄県民』と言ってもその意見は多様で一つに絞れないのは当然だと思う。九州電力の川内原発についての福岡や奄美大島の人たち意見も同じようになるのでは。
ケンカになるから、ほとんどの場合自分と在日米軍・国防関係で自分と違う意見や明らかに間違っている知識(沖縄県が負担している米軍基地の割合は実は22%だとか)と出会っても、なるほどあなたはそういう考えなのですネーとスルーする。大体の人がそうじゃなかろうか。なので、声高に自分の考えを主張出来る人は、自分の周りがほぼ同じ考えだと誤解しやすい状況が生まれるのではないかと思う。
しかし中国に関してはだいぶヘイトがたまっている、親戚一同が集まっている席でTVで中国関係のワイドショーなど始まると、まるで『1984年』の二分間憎悪のようにその場が中国への罵倒で満たされ、中国に寛容な意見などは一切ない。ネットなどで、(基地反対派の)沖縄県民は親中派など言われているのを見るとう~ん?と感じる。おそらく、アメリカの覇権は絶対派、強い日本をとりもどせ欲しい派、基地には反対だが中国のため作らないといけない派、いま沖縄県民が分断されている状況は中国のせいだ派など、いろんな現状に対して不満を持っている人たちの、非難の矛先として中国が選ばれ続けているのだろう。中国観光客がお金を落とし続けているお土産物屋やホテル業界の人でも、中国人を語るときはまずは悪口から入る気がする。
・そんなわけで、『沖縄県民の意見』については、切り口によってでどんな意見でも出せるだろうと思う
基地内に土地を所有し土地使用料が入ってくる人、軍人・軍属相手の商売で生計を成り立たせている人、そもそも基地内で働いている人、基地のすぐそばに住んでて毎日轟音でテレビの音声が聞こえなくなる人、毎日基地を大回りして通勤する人、過去に事件事故で家族が被害にあったことのある人、米兵さんと結婚した人、数年前に大阪から引っ越してきた人、その子ども、みんな沖縄県民であって、その意見は統一できない思想は自由なので当然だ
・ただ一つあるのは『選挙の結果』だろう
手続き論として多少の瑕疵はあるかもしれないが、選挙の結果で先の知事の決定は間違いだったとの判断が出たら、地方自治体として決定を考え直す権利ぐらいは当然あるのではないかと思う
(米軍基地はどうするべきか)
・普天間基地はなくすべきだろう、それは日本政府、米軍、沖縄県民、宜野湾市民、ほぼ全員が危険なので早くなくしたいと考えていて、それを人質に取る形で新たな負担をどうするかというのが現在の問題だと考えている
・そもそも普天間基地及び在日米海兵隊の問題は、そのまま廃止する、国外(グアムなど)に移転する、沖縄県外(徳之島など)に移転する、といった選択肢がある中、日本政府の、米軍の協力な武力を引き続き国内に置きたい、という思いと、沖縄県外に置いてもらうよう説得するのは無理だった、という調整不足の結果、まるでそこしか唯一の回答がないかのように沖縄県内新基地の建設が進められているが、要するに日本政府の意向と失策の結果を押しつけられているだけじゃないかと思う。
・よく「防衛は国の専権事項」だから地元自治体は黙って国の決定に従え、という意見を見るが、本当にそうならば日本国中どこにでも好きに置けるはずで、「唯一の選択肢」なんておかしいことになる、自由じゃ無かったから現状があるんだ。
・ではなぜ沖縄県内に代替基地を作るかというと、沖縄県の位置とか、離島という閉鎖された環境とか、亜熱帯のジャングルが訓練に向いているとか、連携すべき他の米軍部隊が多くいるとか、歴史とかとにかくどんなにでも理屈はつくが、結局は『現在そうだから今後もお願い』につきると思う
・「現在そうだから今後もお願い」これを呑むと終わりだ、沖縄県の基地負担は未来永劫、永遠に続くことになる
この国では『現状』の強制力がとにかく強い、どんな理不尽も、不平等も、論理破綻も、現状を維持すべきとの意思の前にはなすすべがない。抗うにはすさまじい労力が必要になり、そもそも論理が通用しないため、結果反対派を自力救済、暴力に向かわせる力がある。
まあ現状維持って結局、楽な方、楽な方、低い方に流れてるだけなんだが。
・なので新基地建設については、暴力に訴えてまで反対するのは悪手だし、どのような反対があっても最終的には建設されてしまうだろう、それが日本政府、ひいては日本国民選択の結果なのだから、という思いがある。
・その上で、沖縄県という地方自治体としては、新基地建設を絶対認めてはいけない、と考える。認めたらそれこそ最後、沖縄県民の将来的な損失を、これから永遠に撤回不能な悪しき前例を産むからだ。
・そもそも沖縄県内にある米軍基地は、沖縄県がここにどうぞと言って作られたところは一つもない、すべて銃剣とブルドーザで住民の意思を無視して作られた物だ、という前提がある。なのでそれを変更が困難な『現状』として引き継ぐのだ。新基地建設に同意してしまうと今度は『沖縄県、地元住民は新しい基地を建設することに同意した』という新しい現状が生まれてしまう、そしてそれを覆すことは絶対に出来なくなる。あの日あのとき新基地建設を認めたんだから今度もお願いね、と言われ続けてしまう。
・政治的な決定は言った言わない、0か100かでどんな条件を付けても無駄だ
前世紀に普天間基地の代替として、名護市への新基地を認めようとした際、「軍民共用」とか「15年期限」とか色々条件を付けたはずだが、それらはすっかり忘れ去られ、「一度は認めると言った」という一部のみが取り立たされる、ヤクザの脅迫を一緒だ。なので絶対同意せず、『地元の反対を国が強権で押し通し、強制建設された基地』というストーリーを持った基地にする、というところが落としどころではと思う。
(余談)
みんな『次の戦争』に備えるとき、記憶の中にある先の戦争がまた繰り返されると勝手に思ってしまう。だから今度もうまくいく、今度こそうまくいく、と戦争の準備を整える。
第一次大戦を教訓にマジノ線を作ったらベルギーから攻め込まれてあっという間に降伏したフランスや、日露戦争みたいな一発逆転を夢見て沈没した日本海軍とか
みんな『次の戦争』を考えるとき、太平洋戦争みたいに島々を巡った占領戦が行われるはずだ、そのときは今度こそうまくやってやる、と無邪気に考えすぎなんじゃないか。次に日本が宣戦布告されたり、するときは
実行するには途方もないからたぶん俺はやらない(と思う)
誰かやってほしい
皆独占しようとするから過当競争になって全員仲良死するんだよね
そこで「どの媒体でも見ることができる権利の販売」ってのを提案したい
PCでも読むことができる、と言う具合だ
冨樫があまりにも仕事せず、媒体が歴史的に変わったとしてもアクセスすることができる
・媒体やプラットフォームを跨ぐことで、ユーザーとしては気軽に買うことができる
・電子媒体であることのメリット(いつでもどこでもどんな媒体でも)が実現できる
・メリットが有るため、いたずらに価格競争が起こらず、着実にユーザーを増やすことができる
・コンテンツと媒体の料金を切り分けることで、ユーザーとしては媒体の変化に柔軟に対応できるし、媒体側としても生き残ることができる
ちなみにこれは動画サービスなんかで「数日間視聴する権利を買う」のに近い
ただし、これを実現するのは非常に難しい
不可能ではないが
これが実現できるとユーザーとしては良いだろうが、業界は全体がハッピーにはならずどこかしらが死ぬと思う(今のままでも死ぬと思うが)
見ることができるコンテンツの一覧が必要で、一覧を表示させるために権利者との契約が必要になる
ユーザーからどうお金を取るか、コンテンツ権利保持者が2つ目、新規媒体を購入しようとした時どういうプライシングにするかの問題がある
もちろん上手く行ったら強力だ
最初から紙媒体を攻めるとツライから、まずは既に電子化された媒体を攻めると良いかもしれない
まあぶっちゃけ無理だろうけど
誰かやってくれないかな
調べれば書いてあることなのだが、結構知らない人が多いのでまとめておく。
パチンコ屋の問題は一重に「高額景品(1万円未満の景品)」が風営法で「唯一」認められていることである。違法カジノは風俗営業の5号店に該当するのだが、まず違法カジノというくらいだから風俗営業の届け出は行っていないだろうし、5号店で現金や景品を出すこと自体が既に違法なのだ。
パチンコ屋唯一の特権、高額景品。これを禁止すればぱちんこ屋はスマートボール屋と変わらなくなる。三店方式議論は目くらましだ。
これは5号店の代表格であるゲーセンで考えれば分かる。カジノゲームで1万円に換金できる景品が出たらどうだろうか? おそらくパチンコ屋と同様ギャンブル中毒の巣窟になるだろう。しかし実際はカジノゲームは賞品はおろか、メダルの持ち帰りも一切出来ない(預けることはできる)うっかりちょっとした景品を出して捕まった店もある。
UFOキャッチャーや射的屋などについては歴史的に色々あるので別に触れたい。当然現在でもUFOキャッチャーなどで高額景品を出すことは違法である。
まず、パチンコ屋は「ぱちんこ屋」として風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律(風営法)で、
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S23/S23HO122.html
四 まあじやん屋、ぱちんこ屋その他設備を設けて客に射幸心をそそるおそれのある遊技をさせる営業
と定義されている。第二条第一項四号で定義されていることから今は「4号営業店」などと呼ぶ。ちなみに何号かは過去にコロコロ変わっているので、まあそういうジャンルがゲーセンとは別にあるよと。
第十九条 第二条第一項第四号の営業を営む風俗営業者は、国家公安委員会規則で定める遊技料金、賞品の提供方法及び賞品の価格の最高限度(まあじやん屋を営む風俗営業者にあつては、遊技料金)に関する基準に従い、その営業を営まなければならない。
とまあ、まあじやん屋を除く4号営業店は賞品を出してもいいよ、となってるわけである。この額(税抜き1万円未満くらい)もぱちんこ屋は基本的に守っている(違法行為は基本的にしていない)。それ以外の遊戯(ゲーセンなど)は5号営業にあたるわけだが、同法二十三条で
三 遊技の用に供する玉、メダルその他これらに類する物(次号において「遊技球等」という。)を客に営業所外に持ち出させること。
2 第二条第一項第四号のまあじやん屋又は同項第五号の営業を営む者は、前条第一項の規定によるほか、その営業に関し、遊技の結果に応じて賞品を提供してはならない。
として、はっきりと遊技の結果による賞品の払い出しを禁じている。
ここで(十九条にもしれっと書いてあるが)「4号まあじゃん屋は賞品出しちゃダメ」と書いてあるのがミソである。ぱちんこ屋には触れていない。つまり、5号営業店(まあじやん屋とぱちんこ屋など)のうちまあじやん屋以外、すなわちほぼ、「ぱちんこ屋のみ」が景品の払い出しが認められているのである。
この「賞品の価格の最高限度」が異常に高いため三店方式が成り立っているわけだし、3店が完全に独立している限りパチンコ屋は合法なのだというのが今のところの筋である。「実質的に賭博罪に抵触するだろ」「3店は実質癒着してるではないか」という議論があるが、そこで戦っても勝てる目はない。「実質」では裁判は争えない。「実質無料」のソフトバンクだって捕まっていない。実際に三店癒着については裁判で争われ、店舗間の関連性が指摘されたに関わらず高裁で負けている。
ぱちんこ屋を潰したければ風営法改正、これを訴えない限り根本的には解決しない。現在は換金率のいい金製品などが賞品になっているため、仮に三店営業が出来なくなったとしても周囲に金プラ屋が乱立するだけだろう
それなのになぜか論点を外して三店方式の違法性などでパチンコ屋を攻撃してるのは実はパチンコ業界のマッチポンプではないかと訝ってしまう。そんなところを攻撃されてもぱちんこ屋としては「お好きに吠えてらっしゃい」としか思わないだろう。
共働き。
都内住み。
余裕がある時に洗濯。
スーパー寄って、昨夜の洗い物をして。
ご飯作りながら洗濯して、ゴミ出しの準備して、クイックルワイパーかけて。
旦那が帰ってきてご飯を食べて。
ゴミ出しも、本当出すだけ。
ゴミまとめるの大変よ。お膳立てよ。
休みの日もご飯作らない。
私が作ったほうが美味しいからって糞なことを言う。
そうめんも茹でない。
でも私が熱出した時は早退してくれる。
家で仕事してる。
アイス食べたいって言ったら、ハーゲンダッツ全種類買ってきた。
貴族か。
私が腐女子でも気にしない。
BLに対して初めは戸惑いを持たれていたけど、歴史的な事から説明したら納得してた。
最高です。
この人と結婚して良かったー。
要は特殊な文化を持ったマイノリティを保護するための言葉が欲しいから
でも先住民族じゃないけど保護されるべき特殊な文化を持ったマイノリティっているよね。
例えばジプシーは特殊な文化を持ったマイノリティだけど定住せず都市を渡り歩いたりしてる。
先住民の土地だが競合しない土地利用をして平穏に歴史を重ねてきた入植者もいるだろう。
そいつらも200~300年もすればその土地の自然が生み出した特殊な文化を形成しているはずだ。
また、特定の民族や文化を弾圧する国から逃れてきた難民なんかも
特殊な文化を持っているはずだから受入国は文化を含めて保護するべきだろう。
アメリカなんかだともともと住んでいた土地からネイティブを追い出して
別の土地に住まわせて先住民族として保護していたり先住ってなんだって感じになってる。
先住民族というと、元々のその土地の正統な支配者っていうニュアンスが含まれるから
先住民族かどうかっていうのを問うとよほどはっきり歴史的経緯が分かっている場合以外、
そのと土地に住む人たちを分断して対立に引き込む可能性があるし、
歴史的経緯が分かってもいても歴史的正統性の違いによる身分の違いが出現するかもしれない。
例えば特定保護対象少数文化集団とか喪失危惧文化とかいろいろあると思うんだよね。
マジョリティは保護する必要がないから国連に先住民族と認定されず、
結果として暗黙的に正統性を否定されるってのはなんだか違うと思うんだよね。
なんかナコルルへの罵倒(半分冗談)として「アイヌ死ね」ということをのたまうバカがいるからって、声優やら制作会社に抗議ぶんなげる人がいるそうですね。
http://kutabirehateko.hateblo.jp/entry/2016/09/14/005509
いや、もう、圧倒的に正しいですよ。民族的マイノリティや歴史的に差別されてきた人に対して尊重をするのは明白に正しい、正義であります。
そして、当該のキャラクターを生み出した制作会社や声優には社会的責任がありますし、当然に民族的マイノリティをキャラクターとして使っている以上応答責任もあるでしょう。もっともな話です。非常に正しい。
でも、実際のところプレイヤーさんがどういう発言するかなんて責任の取りようもないし、作中で意図的に悪しざまに描いているならともかく、そうでもないのに何かやれといわれてもなにもやりようがないわけです。
さて、最近私は仕事で作中におけるジェンダーの取り扱いについて色々と指導をしてきているんですけど、人工知能学会誌の表紙問題や碧志摩メグ問題、のうりんポスター問題、Overwatchのトレーサー問題なんかを参考にしています。まぁ作中に女性出さないわけにいかないんですけど、女性性を売りにすることは怒られやすいから、それを回避しつつしかも性欲(あるいは恋愛感情や萌えのようなもの)を刺激するような仕掛けを考えると、どうしても青少年に変わった趣味を植え付ける感じになりがちです。要するに、ガッツのタカさんなら怒られないわけですから、タカさんに欲情するようにプレイヤーを馴致すりゃあいいんですね。(この例は極端だけど、性欲を捻じ曲げることでフェミニストに怒られないけど萌えるキャラを作るのは定石になりつつあります……意識的か無意識かわかりませんけど)
でも、アイヌとか民族的マイノリティは女性と違って無理に出す必要はあんまりないんですよね。アメリカみたいな様々な人種が暮らす国なら、黒人やアジア人などさまざまに登場させないと不自然ですし、当然に怒られますけど、日本や架空世界を舞台にした作品なら民族的マイノリティを無理に登場させる必要はありません。もちろん、そういう人が多い場所を舞台にするなら別ですけどね。ただ、サムゲタン騒動で明らかになったように、プレイヤーさんたちに韓国・朝鮮嫌いな人が多いですから韓国・朝鮮系のキャラクターはボツになりますし、アイヌも作品の外でもめ事がおきて面倒なことになるなら、そりゃあ回避しますよね。
まぁ、もう覆水盆に返らずですが、民族的マイノリティは肯定的な形で作中に登場させても、場外乱闘になるという知見は関係者の間で共有されてしまいました。少なくとも私ならボツにする程度まで盛り上がってしまったので、しばらくはマイノリティの作中での活躍が下火になるかもしれません。
http://www.asahi.com/articles/ASJ807DWVJ80ULBJ017.html
まずタイトルを読んで、乾いた笑いが出た。
自分は「放射脳」というほどではなく単に国の原発政策にやや懐疑的な一市民に過ぎないが、
それでも、「国家」とか「政府」が歴史的にみて10万年続くものではないということくらいは常識として理解している。
10万どころかたった1万年でも、保証できる存在など今の地球上に存在しないだろう。
近代の国民国家だけを意味するのでないとしても、1万年続いた組織体などまだ人類はもったことがない。
政府は、10万年先にこの土地に居住する「なにものか」に成り代わって、勝手に
その使用権を代行し用途を決め権利を先取りしてツケを回しているわけだ。
もし10万年分の借地権料が、先払いなら、私たちは未来の世代にいったいいくら支払えばいいのだろう?
そして10万年分の借地権料の支払いを、どうして利益を得る我々でなく、未来の世代に背負わせるのだろう?
今後いったいどれだけの手形が必要なのか、誰も数える気すらなくしたまま原発は続く。
「1000年後まで管理しますよ」と私が保証してもあなたが保証しても、誰もそれを信用しない。
それでいい。誰もその寿命を超えて何かを保証することなどできないと思う。それが健全な常識というものだ。
なのに「国家」と「10万年」という取り合わせを、奇妙に思わないことがとても奇妙だ。
常識を失わなければ維持できない。それが原発というものなのか。
「信頼せよ」という。「任せろ」という。常識を失った顔で言う。
http://anond.hatelabo.jp/20160830190925
意外と多くのブックマがついた。
皆が浮世絵に興味をもってくれてうれしいような、浮世絵ではなくて浮世絵にハマってる自分を面白がってるだけなのでそんなに嬉しくもないような。
資料アップしてもいいんだが、どうせなら自分なんかよりももっと浮世絵にハマったとんでもない人間たちを数名紹介する。
最初は横綱級の男、何度かネットでも騒がせているイギリス生まれカナダ育ちの男性。
ネットで話題になったゲームキャラの浮世絵のプロジェクトで彫り摺りを担当した男性。
その経歴がすさまじい。
http://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/cover/foreigner/080909_mokuhanga1/
簡単に言えば、ある日浮世絵にハマり、39歳で日本に移住して独学で浮世絵の復刻をはじめたそうな。
その前から何度か日本を訪れては木版画用品を買い漁ったり職人のところに突撃を繰り返していたらしいが、居てもたってもいられずに日本移住というあたりが凄い。
日本に移住して最初の本格的な作品は、100枚揃いの浮世絵を、10年かけて彫り、摺りあげたというぶっ飛び具合が桁が一つ違う。
ちなみに、上の記事は浮世絵に捧げた彼の人生のうち、過激で記事にできないところを上手に隠している。
記事のなかのあんな思慮深く落ち着きのありそうな男ではなく、かなり沸点が低い。
まず、彼はコレクターでもある。
彼は浮世絵とそれに続く伝統木版画を気持ち悪いほど愛しているが、オリエンタリズムには興味がないし、歴史も興味がない。
美術品としてのいくらの価値があるとかいうことにも興味がなく、単純に「綺麗だから欲しい」、その延長でコレクションをしてる。
不思議なもので、「浮世絵が好きで、職人になりたい!人生を捧げたい!」という人はけっこういるのだが、そんな人たちが浮世絵を買ってるかというと、ほとんど買ったりしていない。
版画作りが楽しいから入った人、彫りや摺りの技術に感動した人、という人が多いような印象である。
一方で、浮世絵を買っている層はというと、描かれているものの歴史的な背景について熱く語ったり、江戸の文化風俗について興味があるとか、あるいは一種の財テクなのか有名な絵だから買うという人が多い。
単純に、絵の美しさだけに心奪われて、おかしくなってついには技術面にも興味が出てしまったのは、彼と自分くらいかもしれない。