はてなキーワード: 外圧とは
清教徒革命→庶民から伸長した富裕層の不満と王の経済政策における失錯
アメリカ独立戦争→事実上、一大国家が樹立されてんのにガキ扱いされて代表送れないとかおかしいじゃん?という全国民的な不満がボストン港をティーポットに
フランス革命→飢えた庶民を知識層が煽っていたらコントロールできなくなった
ロシア革命→産革以降の資本主義のひずみに対応できなかったことによる庶民の貧困と不満
このうち庶民のデモや暴動から直接革命に繋がったのは、米独立戦争、フランス革命、ロシア革命、イラン革命。
特にフランス革命やロシア革命は、腹減ったからパンよこせデモから始まってるんだよね。
この前、選挙学者?の西田亮介が出演したラジオ番組で安保デモを評して、「ああいう日常とかけ離れたイシューでやるよりは、もっと生活に密着したことでデモやるほうがいいんじゃねえかな」などとぼんやりした発言して荻上チキりんやtwitterのみなさまから鋭いツッコミを受けてたけど、彼は彼なりにこういう背景を踏まえたうえで言ってたんじゃないかと思う。
デモが本当に革命を起こすとしたら、現体制の代替となる思想が広まったときではなく、大多数の都市部貧困層が生きるか死ぬかの瀬戸際に立たされたとき(あるいは思想信条宗教的に同様の状況に立たされたとき)しかない。
その切実さは今の日本には、もちろんない。
歴史的に言って、革命とは「やりたいから」起こるのではなくて、「必要だから」起こる。外圧とか白色テロル的な場合を除けばね。
しかしまあ、SEALsの人がこの前の小林よしのりとの対談で言ってたとおり、いまどき誰も「デモで革命」なんて求めてないんだろうけれど。
二次創作する権利=当然あるべき権利と考えていて、外圧でその当然の権利が侵害されようとしている!と必死なのを見るとさ。
「えっ漫画とかアニメのキャラ勝手にパクったエロ漫画描いて堂々と売っていいの?そんなの許されるの??」ってのはごく普通の反応だと思うんだよね。
海賊版とか芸能人アイコラ(懐かしい。つか今でもあるのか?)と同じ扱いでしょ。
でも同人界隈って、それが「ごく普通の反応である」と言う認識すら無くなってるよね。
そういう反応をする「一般人」は頭がおかしい、オタク差別をしている、創作に対する知識が足りないだのと言う。
それって件の五輪エンブレムだのトートバッグの件で「一般人」に叩かれまくってるのに擁護しているデザイナー連中と何が違うの?
検閲業界には明るくないし興味もないが、たまたま見つけてへーと思ったのでここに書く。業界人にとっては何を今さら的な感じなのかもしれない。
『絶対に行けない世界の非公開地域99』という邦訳本がある。昨年末に日経ナショナルジオグラフィック社という出版社から発行された本で、表紙にも例の長方形のロゴが入っている。
私は本は頭から終わりまで隅々読む面倒なタイプなので、ずーっと眺めて行って最後に奥付を見ると、左下にこう書いてあった。
"100 PLACES YOU WILL NEVER VISIT: The World's Most Secret Locations"
邦訳版より一か所多い。まえがきに秘密の場所を明らかにするものである的な記述があるような本で、一か所丸々を落とすというのはなかなか高度なギャグである。
気になって原著タイトルで検索すると、何が落とされたのかがわかった。
"Ise Grand Shrine" と "Woomera Prohibited Area" の間にある、"Fukushima Dai-ichi Nuclear Power Plant" つまり福島第一原発だ。
(どうでもいいんだけど、第一ってdai-ichiなのね。そこまでが固有名詞だからか)
96番が割り振られている伊勢神宮の次は97番でウーメラ立ち入り禁止区域となっていて欠番もないし、奥付以外に疑問に思う場所がなく、明示的には何も触れられていないので、なぜ落としたのか、自主なのか外圧なのか、などは不明である。
個人的に最も気になるのは、この検閲を原著の著作者と出版元は認識し承諾しているのか、そもそもその必要があるのか、という点で、権利関係について単純に知りたい。
最後に、この本は割高な雑学本といった感じで、検閲云々を完全に抜きにしても定価2200円+税で買うかどうかは慎重になった方がいい。
試合前に国歌斉唱があって君が代ききながら「日本がんばれ」と思った。
そして「日本がんばれ」と思う。自分の国を、自分達の代表を応援する。
でもこれ自然に立つから違和感ないけど、「貴様なぜ起立せんのか!」みたいな奴がスタンドに居たら、意地でも座ってたくなるだろうな。とも思った。
「自虐史観を教え込まれるから自分の国に誇りが持てないんだ!」って言う人いるけどさ、僕らの世代はそういう人が言う「自虐史観」で教わったけど、それで国に誇りを持てないってことはないよ。
自分が生まれる前の人達が何してたかより、今、日本が何してるかの方が重要。
ここがしっかりしてたら誇りを持つね。
経済政策の実績を強調して選挙戦をしてた人がさ、終わった瞬間に「党是でありますし、公約にも書いてあります」って言って、選挙期間中は触れもしなかった憲法改正をがんばったりね、
国の代表が「代表」であることの意味を知らないのか、自分の主張を国の主張としてしまったりね、
日本を変えるのに、先に米国議会で宣言して「いまだに外圧だよりかよ!」って感じになったりね、
こういう、だらしがないことをやってると、誇りを持てないね。
基本アウトなのをどこまで見逃すかって話なんだからよ。
たまに不思議なコメントが沸くからクギ刺しとかねえとなあ、とか思うわけなんだが。
そりゃまあ、普通に考えて捕まるだろ。というか、これ何をどう考えたらOKだと思ってたんだ?
というかまあ、正直言えばこのボートはギリOKだった可能性が高い。というか、摘発されないっぽい気配がする。
「わいせつ物頒布等の罪」ってさ、「自由」と真っ向対立するワケよ。表現とか信教とか。
大事なことだからもう一回言うけど、「猥褻物かどうかは、国が決める」わけだ。
これな、ポイントは「普通人」とか「善良な」とか入ってるところな。
要は、「国の秩序を乱すような行為はアウト」だって言ってて、やりすぎだって判断すると警察が出てって逮捕すんの。
なに堂々と配ってんだオマエそれ通報受けたら逮捕しないと警察がOKしたとか判断されたら困るのよ。
昔ならOKでも今はアウトとか、今はアウトでも昔はOKだったとか、あるの。世論によるの。
んでな、「じゃあAVは」とか「電車の中吊りが」とか「週刊誌が」とか馬鹿が言うだろ?
あのな、それって先生にイタズラ見つかって叱られてるときに、「あいつとあいつもやってました!」って密告と同じなの。
なに?全部規制して欲しいの?
つーか、AV業界や水商売を人身売買で、AKBを児童ポルノで、外圧受けましたっつって摘発して欲しいのか?
警察も検察も中世かもしれないけど、人権意識もおそろしく低いんだよ。
あのな、悪法も法って言ったあの人は偉かったよ。
いまは、単に摘発されてないだけなの。AVとかオールアウトなの。
いやなら法律を変えるしかないぐらいのワイルドカードなんだよ。つうか、そうだろ。
だからさ、ちくちく密告とかしてないで、ちゃんと法改正に向けて動けって。
せめて天下りが居たビデ倫が潰された経緯とか、調べて話せよ。良くゲームプレイ動画でお察し下さいとか言ってんだろ。
結構マジで、そろそろ紅白とかTVで未成年が働いてんのもよく考えた方が良いぞ。麻痺してるぞオマエラ。
あとな、法には不遡及って大原則があるから、明治40年より前から有る男根信仰についてはセーフな。
祭だからつってやり過ぎると、めんどくせえなあと思いながら摘発に動くと思うからほどほどにしとけ。
便所でクソ垂れてても誰も文句は言わねえが、電車ん中でやりゃマズイだろ。
人間は誰しも寝るっつったって、国会の会期中に寝てりゃ当然批判されるし。
性欲もおんなじなの。酒に薬混ぜて、産めよ増やせよ地に満ちよは捕まるの。
喰う寝る出すヤる全部人間だから当然するだろうけど、TPOを弁えろって話だよ。
ただまあ、その辺は承知の上でギリギリを攻めて「普通人の正常な性的羞恥心」とか「善良な性的道義観念」を社会に問うていこうとする活動家とか、
世間ではセクハラヤジが問題となっていますが、あの問題の本質は議会で中傷ヤジが蔓延していたことにあります。
たまたまヤジの内容がセクハラで、議員が美人さんだったから、ヤジを言った議員をぶっ叩こうなんてアホのやることです。
誰が被害者であろうと、議会で発言者を冷やかしたり中傷したりするような、議事妨害・議会への侮辱的なヤジはいけないことです。
ヤジとはまったく関係なしに、日本は統計的に女性差別的な社会であるといえます。
今回のヤジ騒動を利用して女性差別の国民的認識度を向上させたいと思っている人たちがいるようですが、
統計的な事実や論理的説得によらず、国民を同情の引き、扇動することに正しさがあるとは思えません。
id:entry:201418546
特によくないのが、上のリンクにあるように、海外マスコミを活用し外圧を利用して日本社会を変えようというアイディアです。
他人の記事で自分の意見を言わせるというのは、記事の内容が記者のが無知や差別に基づく偏見でゆがめられていても
訂正される保証はないし、自分が発言の責任を負う必要もないという、無責任なやり方です。隠れたヤジ議員より卑怯です。
今回のヤジ問題は、中傷の問題であると認識し、女性差別問題は自分たちの口から国民に向けて論理的に説明すべきです。
それから一部で、被害者議員の過去を暴き、被害者としての信ぴょう性を失わせ、
ヤジ騒動をつぶそうとする動きがあるんじゃないかという話がささやかれています。
法治国家では被害者が極悪人であろうと法の下に平等に扱わなければなりません。私刑禁止です。
被害者はビッチだからなにされても構わないという言動はもちろん問題ですが、
同情を買えなくなるから騒動がつぶされるから被害者の過去を掘り起こすなという考え方も問題です。
両者は表裏一体の考え方です。
被害者はビッチであるという声に対しては、ビッチであろうと中傷行為は問題であると声を大にして言わなければなりません。
ここまでだらだらと書いてきましたが、全体を見渡してみるとヤジ問題は問題の整理がされておらず、
非常に感情的ですれ違いの多く気持ち悪い議論をしているように思えます。
身近な社会人達が、いざ仕事となると、ガラっと表情を切り替えて仕事モードにシフトしてゆくのが不思議でしょうがなかった。
あのモードチェンジは、社会人になったら勝手に身に付くものなのだろうかと思っていた。
そして同時に、いつも心のどこかで冷めてる自分には到底真似できそうもないなぁ、とも感じていた。
同時期にペルソナというゲームが発売されて、心理学にペルソナ(職能的仮面)という概念定義がある事を知った。
ゲーム内では「周囲の社会という外圧に対抗する為に人が用意する、対外的人格にして心の仮面」というような説明がなされていたけれど。
実際は少し違って。
職能的仮面とは、職務に従事する際に人が守る一定の行動様式と、そこから定義づけられる合理的な実務性を有した、無個性かつ社会的な擬似人格。
だいたいそんな様なものだった。
セーブポイントまで三十分かけて急ぎつつ、社会人のみんなが使うモードチェンジはこれなのかな、と思っていた。
時を経て社会人になり、長い事仕事をしてきて今改めて思うのは。
“職業というのは一種の狂気であり、それを内包する事で職務従事者たり得る”という事だ。
人は生まれつき何かの職業にすんなり適応するようにはできていない。
業務への適応は、きちんとした教育と、長くたゆまぬ修練と、多彩な実務経験と、それらすべての慣熟によって成される。
しかし、どうしても受け入れがたい一線、というものは確かに存在する。
それは人が人である以上、受け入れてはいけない、受け入れる事のできないものであると言ってもいい。
人は、部品にはなれない。社会の歯車にはなれても、本物の歯車にはなれない。
誰もが拒否反応を示してやまない、もはや狂気とも言えるほどの、人間性を否定するレベルでの職務への徹底。
そこまでする必要はない。
しかし、そこで受け入れられるかどうかで、異物であり続けるか、同化し得る存在であるか、が別れてしまう。完全に分かたれてしまう。
もちろん、人は職業そのものではない。職場と一体化すべきものでもない。
だから、異物であり続ける方が人の全うな感情としては正しいのだろう。今もそう思う。
しかし、異物であればいつまでも異物のままで、職場にはそぐわない場違い感を覚えたまま生きていく事になる。
その一方で、だからといって仕事や職務や職場と一体化するような共同幻想を抱けるほど、人は無機質ではない。
だからこそ、職場で熟練者から見せ付けられる職務への異常なまでの徹底ぶり、その受け入れがたい狂気をこそ。
少しずつ時間をかけてゆっくりと受け入れてゆく事こそが、職務従事者としての慣熟への道なのではないだろうか、と考えている。
どんな時でも笑顔で、愛想よく。モンスターにもにこやかに対処。タガの外れた依頼にも喜んで応え、相手の望む結果を導き出す。
3年目は拒絶しかなかった。
5年目は徐々に狂気を受け入れてゆく恐怖に苛まれていた。
7年目には、すべてが変わった。
時計がゆっくりと出勤時間を指し示すと。今日も私は心の中で叫ぶ。
(ペルソナァァァーーーー!!)
と。
劣悪な漫画を「表現の自由」という理由で野放しにしてよいのか~自民党・土屋正忠議員法務委員会質疑書き起こし
日本の国会において、同じ党同士の議員間での答弁は基本的には対決する意図はなくて、
あらかじめ委員会等で議論された内容をわかりやすくメディアや国民向けに周知するのが目的。
この件で言えば土屋議員が法案に対する懸念を述べ(いわば汚れ役)、谷垣大臣らがそれを払拭する説明をおこなっている。
当然のことながら、自民党としては谷垣大臣らの回答が党の総意。
つまり「劣悪な漫画を「表現の自由」という理由で野放しにしてよいのか→それでも表現の自由は大切だ、だからこのような法案になった」という流れね。
だから、この答弁を読んでなぜ
vanacoral 未だ自民党が表現の自由を守ると考えているおめでたい人がいたらお目にかかりたいものだ 2014/06/05
のような感想になるのかよく理解できない。もし自民党が党として土屋議員の質問内容と同じ考え方ならば、
そもそも修正案から漫画、アニメ、CG等への規制を削除しなかったはずだ。
CrowClaw 谷垣の回答に注目。TPP含む欧米からの外圧こそ大きな規制根拠であり「諸外国に見習え」式のリベラル論法は意図に反して権力を助ける結果になりかねないと示唆してる 2014/06/05
ということだろう。
締めとして、この問題に長年携わっている赤松健氏の見解を貼っておく。
赤松健@KenAkamatsu
自民党は、40分間の持ち時間をわざわざ20分+20分に分けて、土屋正忠議員(規制推進派)と橋本岳議員(規制慎重派)に割り振りバランスを取った
。特に今回は委員長提案だったため、漫画アニメが規制対象外になるのは最初から分かっており、規制推進派の不満をガス抜きをしたとも考えられる。
赤松健@KenAkamatsu
@yuukiero 相手にも花を持たせると、素直に退却してくれたり、追撃してこない場合が多々ありますよ。完勝を目指すと、その分負けが込んでしまうことも多いです。
職場で育児があるから早目に帰りますなんて言ったら袋叩きだし、最初から育児優先で働いている主婦パートなんかもバカにされまくりだけど
仕事優先のバリキャリが育児は保育園と祖父母に丸投げですと言っても当然視&働いている立派な母親!これぞ女性の理想!扱い。
母親が働きたがる(本音の)理由として「働いていると育児の手抜きが許されるから」ってのも定番だ。
その辺の育児書に出て来るようなこんなの実現出来るかボケレベルな理想を、専業主婦がこんなの出来るかボケと言えば「働いてない癖に生意気だ」扱いだけど
「私働いているからこんな事出来ないわ」と言うのは許されるからね。
ってのはあくまで精神論で、昭和の社畜だって口じゃ「子供より大切なものなんて無い」とか言ってたもんだ。
でも「子供が大切かどうか」と「育児に価値があるか」は別問題。子供は大切でも育児そのものには価値が無いんだよ。
欧米だと子供への愛情をやたらと重要視しながら育児はシッターに丸投げしてたりする。日本もかつてはそうだった。
育児は世界共通で昔から下女の仕事なんだよ。母親自らやるのは下女を雇えない階層だけ。
教育レベルは高くて下女の仕事を自分がして当然と考えられる人も、客観的に見て下女くらいしか出来る仕事無いだろと言う人も少ないから
母親は「育児なんてやりたくない、もっと価値ある仕事がしたいし実際出来る能力もあるのに
育児を自分でやらなければならないから仕事が出来ない」不満が溜まるし
日本は有能な女性が活用されてないのを何とかしろと外圧かけられて、本音じゃ女は皆下女やってりゃいいんだよプゲラとしか考えてないであろう安倍首相が
女性の社会進出を進めるとか言わなければならなくなってるわけだ。
因みに育児じゃなくて「教育」となれば価値のある、むしろ「高度な仕事」扱いに化ける。
保育園の月謝が高すぎると文句たれる人が、私立校や塾にはそれ以上の金額を平気で出すのもそのせい。
http://anond.hatelabo.jp/20140317112122
幼少のころは、力が弱いので、あらゆる面で抑制が
まずは不自由を与えていくということですか。
こういうことを言ったらしたらこういうことが得られないと。
自分で社会性を磨かないといけない試練を超えれれば治っていきます。
受験でなくても就職の試練で治っていきます。内面はなおりませんが
なればある程度は抑制されます。そういう行動をしていては社会人として
暴発するのは、過度にお金があり生活に困らず自由になった場合、飲酒した場合、
専門でなく体験談です。
という論もあります。
ただまあ残念ですが、人格者にはなれないかもしれません。
ただ人格者が生き抜けるほど甘い世の中でもありませんので
当人の社会の不利益になることも理解させた上でするのがいいかもしれませんね。
想像力が欠如しているので、勉強していけば前頭葉が発達していき人間らしくなりある程度治ります。
昨今の老人が暴走するのは、古い世代は、高等数学を理解しない中卒が多いからでもあるとも感じています。
最近の教育業界では、4年生から5年生になり静かに授業を聞く段階を
一部の優秀な子を除いては、昔と違って躾教育がなってないため
概してそのようなもののようです。
それがいいか悪いかはまた別ですが。
怒られて過失を認められるつよい子と
あるいは、命令に対して反抗してる場合と。
「勉強をしなさい。」
と言われて従う子は少ないですね。
言葉にはたいていの人間は逆らうものです。一部の子を除いては。
一緒に解いて教えてあげるのもたまにいいかもしれません。
あるいは、したかを確認するのではなく、
しなかったら小遣いもない等。
あるいは、することによるメリットを考えさせる。
大半の日本人が、あれは野蛮な行為であり、私たちの子孫の時代になっても、世界中の海を鯨やイルカが自由に泳ぎ回る地球であって欲しいと望むのであれば、捕鯨もイルカ漁も禁止すべきだ。鯨やイルカが自分の食卓に並ぶことを望む日本人が沢山いるのであれば、話は違うが、すでにそんな時代は、日本にとってすら過去の話だと私は思う。外圧に屈するのではなく、日本人として「捕鯨とイルカ漁は野蛮なことだからもうやめる」という判断を自らする時が来ていると思う。
日本人は「野蛮かどうかって価値観を勝手に押し付けるなよ」って反発してる。
この人は、わかってて、意図的にそういう文脈を外して書いてる。
海外のおばあちゃんはピンクが好きだけど日本のおばあちゃんはピンク色を着ないと前にどこかで見かけた。
これも「老人は老人らしい服を着るべき」という外圧が多分どこかにあるんだと思う。
べつに自分の家のばあちゃんがピンク着ててもいいと思ってるし、ネットでどうかと聞けば賛同を得られるとも思ってる。
自分が好きな色の服を着て、好きな事をやってればいいじゃない。
彼女たちも「好きな服を着て好きな事をやってる人達」なんだけど世間からの評価は「年を考えろ」になる。
この間話題になった35歳ゴスロリマンガもそう。多分60か70まで突き抜ければ名物になるんだろうけど、30歳~50歳は「年相応」を理由に辞める事を求められる。
自分がやらなければいいという問題のはずなのに、相手にも辞めさせないと気が済まないらしい。
年上の人間が、自分が出来なかった事をやってる下の世代をやっかんで文句を言うなら心理もなんとなくわかる。
わからないのは対象より下の世代が一生懸命に「その年で○○するな!」と言ってくる事だ。
32歳の女性は考え直せブログの人も年下については苦言を言わず、「30代が女子大生みたいな恰好してきついと感じる」と、同年代か若干上をdisってる。
職場でも、30代がメイクや服の話をすると必ず「30代なのに」と言う28歳が居る。
ひょうきんな30代男に「何歳だと思ってるんだ」と苦言を呈す26歳が居る。
でもそれが自分の首を絞めているようにしか見えなくて、何のためにそんな批判をするのか、どういう心理なのか全く分からない。
一生懸命30代をdisってるあの子も2年後には30代になる。
その時は自分が発言した「30代なのに○○してる奴」という言葉がブーメランとなって返ってくるのが分からないんだろうか。
その頃には「30って意外と若い」と言いながら忘れてるのかもしれないけど。
上の世代にはもっと自由に人目を気にせず好きな事をどんどんやってもらわないと、将来自分が型にはまった30代40代として、はみ出さないように過ごさないといけなくなる。
30歳になりました。で、自動的に中年くさい服を着て中年らしい趣味をして過ごしたくなる人なんて多分居ないし、無理にやったとしたらそんな人生究極につまらない。
男性は特にもっとやってくれないと、可愛いもの好きなオッサンが多い事知ってるんだぞ。
だいたい、「年相応」なんて時代によって変わる。
今の時代に24歳はサザエさんらしく過ごすべき、と言っても賛同されないだろうし、29歳は野原みさえらしく過ごすべき、と言ってもあまり受け入れられないんじゃないだろうか。
というわけで、年下から「その年になって」という文句が出てくるのって、メリット無いんじゃないかと思ってる。
にもかかわらず下から上への苦言が出てくるのって、あれ一体誰が得してるんですかね?
なにかを作る人とそれを売る人がいる。と思って、現代は「売る人」のが多い。
大抵の労働者は成果物のない「労働」を売るしかないのだけど、形の無いものだから買い叩かれる。
というより労働のクオリティの判断基準が存在しないとも言える。
労働者本人が一生懸命働いているのが良、とされると差がつくので、労働時間で判断する。
ここに、明治政府の、というか産業革命以来の失敗があるように思ったんだけど、こういうことに詳しい本or人いませんか。
皆見ないようにしてるんだろうけど、近代のシステムって疲弊してるでしょう。
日本が近代化する前、江戸時代はどうなのかなと思って、ちょうど大河ドラマで八重の桜やってるけど、やっぱり今みたいに行き詰ってたんだろう。
でもそれって内部の問題というか「士農工商」のシステムの疲弊なのかな?。
外圧がかなりあって、対抗できなかっただけで
士農工商のシステム自体は人を幸せにするものだったのではないか?
「商」って「売る人」でそれは誰かがつくったものを右から左に流すだけの人なので卑しい。
(そう考えるのは差別ではなくて自制だと思うんだ。金の亡者にならないための。)
「士」は何も作らず、精神性。
「工」は頂いたものを加工する。
よくできてるなあと思う。
下に行くほど、「神」から「金」に近づき、卑しくなる。
なんか今ってそういうのがごっちゃになってて、「士」にあたる政治家が金儲けしたり、「商」にぶらさがっている奴が自分を奴隷じゃないと思わされている。
労働者=「工」と「商」の間だと思うんだけど、奴隷が職人になる(身分を上げる)ために働くのか、商人(身分を下げる)ために働くのかで方向性が違ってくると思う。
働かないと生きていけないと思うかもしれないけど、そんなことないよ。
何を食べても生きていけるし(食べられる野草の知識があるといいですね)、毎朝スーツ着て満員電車に乗るシステムから外れれば何を着てても関係ないのです。
税金はもう充分払いましたし、保険だって病気になったら死ぬから構いません。
…とこういう境地に立つと逆に、人間のシステムに入りたい自分に気がつきますね。
人は人との間に生きているんだな。
幸い私には、繋がってもいいな、って人たちがいるのでそのひとたちのために働いている。
グローバル何とかって象が頭の上で握手してるようなもので、蟻には関係ありません。踏み潰されることがあるかもしれないけど、生きるって卑小なものなので、仕方ない。
「子どものこと、ちゃんと考えたほうがいいよ」という暴力 - キリンが逆立ちしたピアス
http://d.hatena.ne.jp/font-da/20130612/1371012059
http://b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/font-da/20130612/1371012059
障害児を産むのが恐い http://anond.hatelabo.jp/20130613094716
両親が子供を作れば、子供は生まれてきて様々な体験をする可能性があります。
子供がどうなるかはまったくわかりませんが、それを作るかどうかを最終的に決めるのは両親です。
作りたければ作ればいい。作りたくなければ作らなければいい。
子供を作る人たちの多くが見落としているか軽視しているであろうと思われる、子作りに対する「ある観点」。
これは子供を作る上でしっかりと念頭に置いた方が良い重要な観点であると思われます。
この増田を読んで何か思う事がありましたら、自分なりによく考えてみると良いかも知れません。
特に将来子供が欲しいと思っている人は、事前に考える機会があっても良いかと思います。
というわけでこの増田は、読んだ人に考える切っ掛けを提供するための増田です。
よ く 考 え て く だ さ い。
また、どんな目に遭う可能性がありますか?
想定出来る事だけでも不幸苦痛の雨あられですね。
想定外の不幸も起こり得る事をお忘れなく。
本当にそうでしょうか。よ く 考 え て く だ さ い。
生まれなければ、それらを 全 て 回 避 出 来 ま す。
どんな場合でもハッキリ言える事は、
親が産まなければ子供もそんな目には遭わなかったという事。
親 は 直 接 の 原 因 だ ろ う が。
この問題から逃げないでください。
何故子供が欲しいのか、よく考えてください。
考えればわかりますが、全 て 自 分 の 都 合 で す。
即ち、親の目的は己の利益。利益を得られるかどうかは運に依存する。
賭け物は子供。
要するに、子供(賭け物)を用意して利益を得ようというのが子作り。
賭けに勝てば(運が良ければ)親は利益を得る。
賭けに負ければ(運が悪ければ)親はその身を削る事になる。
(当然、勝ちとも負けともつかないケースもある)
(当然、勝ちとも負けともつかない人生もある)
この博打の性質として、一つ目の博打も二つ目の博打も常に絶えず打ち続ける事になる。
その博打を打つ点(つまり人生)が無数に繋がり線となったものが人の一生である。
せめてこれ位は理解した上で子供を作るかどうかを決めるのが望ましい。
そして、実際に交尾をして作るわけだ。
では仮に、とてつもなく幸福な気持ちで生き、幸福なままの気持ちで死ぬ可能性が90%、とてつもなく不幸な気持ちで生き、不幸なままの気持ちで死ぬ可能性が10%の人生があるとする。
交尾によって子供にこの人生を負わせるとした場合、親は子供が幸福になる可能性を容認すると同時に、子供が不幸になる可能性も容認している事になる。
可能性を容認するという事は実際にそうなる事を容認するのと同義であり、親は『子供が不幸になる事も容認した上で』子供を作っているのだ。
その辺は理解出来るよな?
例えば、日本人の1/3はガンで死ぬ。日本人の男女が子供を作る場合、その男女は「自分の子供がガンで苦しみ抜いて死んでも良い(仕方が無い)」と思って子供を作るわけだ。
例えば、人間は必ず死ぬ。どこかのカップルが子供を作る場合、そのカップルは「自分の子供が死んでも良い(仕方が無い)」と思って子供を作るわけだ。
例えばこの世では、病気、障碍、事故、犯罪、災害など様々な危険が降り掛かる可能性がある。
子供を作る者は、当然の事ながら「自分の子供が病気になっても、障碍者になっても、事故に遭っても、犯罪に遭っても、災害に遭っても良い(仕方が無い)」
と思って子供を作るわけだ。
「子供が欲しい」という親のエゴを充足させるために、膨大な危険を子供に「無理やり」背負わせるのだ。
子供への思いやりが無いからこそ、こうして子供を作る事が出来るのである。
別に法的な話をする気はない。
出産というのは、相手が死ぬとわかっていながら子供を作る行為だ。
生まれてすぐ死のうと80年生きてから死のうと、人の死ぬ原因が「両親がそいつを作ったから」であるのは確実だ。
事故で死のうが事件で死のうが病死だろうが災害で死のうが、そもそも死ぬのは「両親がそいつを作ったから」。
人が殺された時って「殺した犯人」が非難されるが、そもそもの問題として「親が産んだから」子供は死ぬ。
出産というのは殺人よりも根本的な意味に於ける人殺しじゃあないのか。
人が何らかの理由で死んだ時、その理由というのは死の時期を決定するものだ。
だが、親はその時期に子供が死ぬ事も容認して子供を作っているはずなので、親が犯人を責める事は出来ない。
そして、子供に死という結果そのものを喰らわすのは他でもない親だって事。
「人生(子供にとっては非常にリスクの大きなギャンブル)」と「死(これは確定している)」。
この2つを他人に無理やり押し付けるのが子作りなんですよ。
それが善いとか悪いとかではなく、「わかっててやってんの?」って言ってんの。
わかっててやってるなら私は「鬼畜」だと思うし、
そんな事すらわからずに子供を作ってるなら私は「バカ」だと思うのね。
「子供を作りたいから作る人」に対して私があれこれ言う事は出来ません。
しかし、「子供を作る事を正当化しようとする人」については批判します。
どんなに悲惨な状況であっても
その通り。逆に言うならば、
どんなに恵まれた状況であっても
それを不幸に感じる子供も居るかも知れん。
「子供が不幸になる可能性」とは、
エゴですよ。
ここではそういう話をしているのだ。
まず「不幸」の定義をはっきりさせろ。
「本人が不幸だと感じたら不幸」だ。
本人の主観に依存する問題なので、細かい定義をする事自体がナンセンスである。
強いて言える事があるとするなら、不幸とは「絶望感」に苛まれている精神状態である。
絶望感に対して積極的な気分で向き合えないのなら、それが「不幸」だ。
つまり、「本人が不幸だと感じたら不幸」という事だ。
将来設計も無計画で、自分たちに子育ては困難なのも知っている。
だが、一時的な感情の高ぶりを抑えるのが生まれつき苦手で
他人への迷惑行為は抑えられないような「人間味」である場合が多い。
「子供でも産めば何か変わるかもしれない」という
手っ取り早い一人前扱いにすがる。
ようするに「母親になるという大いなる名目」を周囲に突きつけることで
これは「親になれば一人前」という風潮を作った社会にも責任はある。
駄目だった奴の遺伝子で頑張らなければいけないのだから子供は楽じゃない。
いくら期待をかけても、結果も親そっくり。
子供は自分の所有物という意識が強く、自分の為に子を利用するタイプ。
自分の趣味を押し付けたり、芸能界に入れて下品なことをさせる親もこのタイプ。
彼らが愛しているのは子供ではなく、個性的なパパママを演じている自分自身である。
上記のような理由だけではかっこ悪いから
社会貢献などを持ち出して、さも自分が先見の明があったかのように装い
という問題は「考えると暗くなる」と不問にし、
「子は親を選んで生まれてくる」と思っているタイプ。
なぜ時空を超えるほどの存在が、極めて人間臭い修行に励むのでしょうか?
人間でさえ「罪を憎んで人を憎まず」と言っているのに
何もしないだけでゴミのように扱われ、自殺するのすら苦痛を伴う
頑張ってこの世で生きていく道を選んだとしても
最期は大半の人間が病気やなんやで苦しみながら死に、それまで築き上げてきたもの全てを失う
こんな苦行みたいなもんに自分たちの都合で強制参加させる親は自己中
自分たちの幸せのことだけで、子供のことなんてまったく考えていない
でも、いざ生きていく事に耐えられ無くなって来て生きるの辛いねといえば、みんなはもっと辛いんだ甘えるなと返される。
別に成長して行く子供も守られてる訳ではなく誰も助けてはくれない自己責任。
でも誰もが何時も子供を守ってると言うしそれが正しいと思ってる。
助けを求めれば当然誰も助けてはくれない。
支えてる振りして子供を操ってるのと、何もしてないのに守ってる恩を与える。
親には、なぜ、私を産んだのか。何度も聞きました。
その理由が私にとっては納得のいくものではなくて、余計に腹の立つものでした。
傷つける気持ちがあったというより、腹が立ったので言ったんだと思います。
そのあと、あんたが産まれてくると分かっていたら産まなかった。
とも言われました。
自分だけを食わせて生きいる強さのある人間は凄いなあ。と思います。
そういう人が、何を思って生きているのか知りたい。
そもそも子供を産まなければ何も起きなかった
頼んでもいないし産む必要もない
親を責めないことでちょっとでも自分の評価を高めようという姑息な考え?
この世界の地獄っぷりは日々ニュースでも目にしてるはずなんだがな
自殺スレをまわって少しでも苦しまずに死ぬための情報を集めてると
心底怨みがこみ上げてくる
親が産まなければこんなことしなくても良かったのに
「どうして私の子がこんな目に」
という場面をテレビなどでよく見かけるが理解出来ない。
”こんな目に”あう可能性が充分ある世界という事は既に分かっていたはず。
何も不思議じゃない。普通に想定出来る範囲の悲劇が起きてしまっただけ。
運が悪い?そうだな。この世界に生まれた事が既に運の尽きだ。
”どんな目にも”あうかもしれないという事を想像、覚悟するべきだ。
でもこれらを全て受け入れて
それでも産もうとする人間なんてそれこそ、理解出来ないけどな。
・そういう考えはネガティブ思考だ
・人間苦労して成長する
・こんなこと言う人は頭のネジが足りないんじゃないの
・うつ病じゃないの
と、偉そうなことを言うのである。
「どうして私の子がこんな目に」
「どうして私がこんな目に」
とこうである。
子供を作ったやつがその人生で苦しんだとしても同情することない。
「ポジティブ思考で苦しんでください」
「人間苦労して成長する」
と言ってやればいい。
いつ子供に自殺されても「親不孝」などとは決して言わないで欲しい。
自分の意思以外で産まれてくるのだったら、せめて不幸になった場合は
親はそれをたまに起こり得る「織り込み済み」のこととして納得してください。
子供が自分で死ぬ、これもまた自然のうちだと認識してください。
生きる事は辛い。死ぬ事も辛い。
両方とも辛いのだから、現時点でマシな方を取ればいい。
「死んだ方がマシだ」と思うようになるまでは生きる。
最期までそういう風に思う事が無ければ自然死するまで生きてもいい。
それで何の問題も無い。
生きるも死ぬもクソだが、マシな方を選べばいい。
生きる事が素晴らしいと思えるならば、そう思っても別にいい。
ただ、言える事は、
生まれて来たヤツが人生をどう捉えるようになるかはわからない。
人生を肯定出来るヤツになるかも知れんし、
子供を作るという事は、「生まれる子がどっちになるかはわからないけど取り敢えず作りますよ」という事だ。
何故作るかと言えば、それは「作りたいから」。つまり自分のためだ。
この事を変に美化しようとするから、子作り賛美の醜悪な風潮が出来上がる。
美化などしなくていい。
「子供がどうなるかは知らんが、俺は子供が欲しい。それだけだ」
子供の事を自分よりも優先させたければ、子供を作らなければいい。
この「子供を作らない」という事に関しても、自分がそうしたいからそうするだけだ。
その点が異なる。
と言ってるだけで、これは紛うことなき事実で真理だろ?
どんな心理でか考えて見ればいい。
の都合しか出てこない。
子の為に子を作るんじゃなく、自分の為に子を作るんだ。
そこには別に善も悪もないし、求めてもいない。
子供を作るなと書いてる訳でもない。
これがあるよね、ってだけだ。
それだけ
矛盾が無い否定論を正しいと見て置き、作りたい馬鹿は勝手にすればいいだけ
不条理も込みでね