はてなキーワード: 合併症とは
https://www.facebook.com/100001305489071/posts/2726515674068589/を読んで。
厚労省のガイドライン(https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000164708_00001.html)には
現時点では新型コロナウイルス感染症以外の病気の方が圧倒的に多い状況であり、インフルエンザ等の心配があるときには、通常と同様に、かかりつけ医等に御相談ください
とある。果たして新型肺炎は症状からインフルエンザやその他の病気と区別できるのだろうか?素人である自分にはできそうにない。よってある程度の高熱が出たら病院に行くと思う。もしインフルエンザだったら早めに受診した方が薬が効きやすい。
厚労省ガイドラインではこうした行動を否定していないように読めるが、高山氏は否定している。この差異はどこから来るのだろうか。
また高山氏は新型肺炎だけを念頭に置いているように見えるが、病気になった側からするとそもそも何の病気なのか分からない。新型肺炎には今のところ有効な治療法が無いとされるが、自分がかかっているのは治療法が存在する別の病気かもしれない(というか大半はそうだろう)。それでも病院に行くなということなのだろうか。
一般論だが、厚労省が示しているようなガイドラインは「条件を満たす人は〇〇してください」という目的で使われるべきものだ。「条件を満たさない人は〇〇しないでください」という使い方はガイドラインを満たさない人がたとえ危険でも必要な行動を取らない可能性に繋がる。
高山氏の「軽症者は病院に行くな」は、この危険な使い方に当てはまるのではないか。実際ブコメを見ると「発熱が4日以上続くまで病院に行くな」というような使われ方をしているように見える。
その基準を杓子定規に守ったら発熱4日目を迎える前に症状が悪化し、合併症などで死亡する人も出てくるだろう。
高山氏は当然それくらいのことは分かっていて「基礎疾患がある方や高齢者については、症状を認めた段階で、かかりつけ医に相談することをお勧めします」と書いているのだと思うが、この部分を読まなかった人が高齢者の両親に「軽症なら病院に行くな」と言ってしまうかもしれない。
韓国がやっているように新型肺炎だけ病院とは切り離した屋外診療所で受診できるといいよね。そうすれば「軽症者は屋外診療所に行ってください」と言える。
厚労省医官である高山氏がそういう体制作りに取り組むことができず、国民に病院に行くなと迫るしかない構図は見ていて悲しくなる。
免疫が弱い幼児/小学生を含めたちびっ子もコロナに掛かるし、免疫が強い大人ほど重症化しやすい
Twitter見るくらいならナショジオの方がいいと思う。というかニュース見よう
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/20/022000115/?ST=m_news&P=4
人の体を外敵から守っている免疫系だが、体内で暴れ始めたコロナウイルスのせいで、大量のサイトカインを肺へやみくもに送り込んでしまい、大混乱を引き起こす。「銃でターゲットを撃つのではなく、ミサイルを撃ち込むようなものです」と、ラスムセン氏は説明する。すると、感染した細胞だけでなく、健康な組織までも破壊してしまう。
こうした大混乱は、肺にとどまらない。サイトカインは血液によって全身に運ばれ、複数の臓器で問題を引き起こす。これがサイトカインストームだ。
すると、事態は急変する。最も深刻なケースでは、サイトカインストームに加えて全身に酸素を送る機能が低下し、多臓器不全に陥る場合がある。なぜ一部の患者だけが、肺の外でも合併症を引き起こすのか正確にはわかっていないが、心臓病や糖尿病といった基礎疾患と関係しているのかもしれない。
突然だが、私は看護師をしている。同業者ならお馴染の入院期間が長く介護度が高いとされる内科の混合病棟。そこに私は新人で配属されてから今まで4年間勤務している。日々腰痛に悩まされ、終わらない業務に鳴り止まないナースコール。土地柄なのか文句を言った者勝ちだとでも思っているかの如く多いクレーム。正直、毎日疲弊しているし帰っても何もする気になれない。
そんな私が1年目の時、先輩看護師からふと「患者さんの前で涙を流してはいけないよ」と言われた。詳しい理由は聞いていないし、正直今でもあまりよくわかっていない。調べてもみたが、『時には涙を流すことも必要ですよ』なんていう謎のカウンセリング的な言葉が最後に出てくるばかりで明確な理由はわからず仕舞いだった。ただ、何となく、自分のなかでは「私たちはプロの医療従事者として、感情を露わにしてはいけないんだ」「患者さんやその家族の方には今まで歩いてきたその人たちの人生があって、私たちが関わっているのはそのうちのほんの数ヶ月。そんな短い時間関わっただけの看護師が、一番苦しくて大変な想いをしている患者さん、家族の方の前で涙を流すことはきっと何か違うんだ」と思ってきた。
内科系、特に私の所属する病棟は残念ながら亡くなってしまう患者さんが少なくない。4年間働くなかで看取りをした経験は数えきれないほどあるし、何度も「本当に私のしてきた看護は間違っていなかったのかな」と疑問に思うこともあったし、「もっとああしてあげればよかった」と後悔もした。自分の母親と年齢の近い患者さんと、色んなお話をした夜勤明けに、「また明後日来ますね」なんて言いながら別れたのに、次に勤務してきた時にはその人は亡くなってしまっていた、なんてこともあった。それでも私は涙を流さなかったし、どこかで自分に泣いてはいけないんだと暗示をかけていたように思う。
ADLは自立、今まで入院経験もなく普通に自宅で過ごしてきた60歳代の上品な女性。病室は詰所から一番遠い場所で、きっとそのうち検査が終われば退院するのだろうと思っていた。入院当初に発行する入院診療計画書にも、入院期間は2~3週間と書いていたように思う。
けれど、検査の結果すぐに治療が必要である疾患が見つかり、その患者さんの入院期間はどんどん延びていった。何号室の何番ベッドの人、と言えば全員が「ああ、〇〇さんね」とわかってしまうほど長い期間入院することになったその患者さんは、点滴、内服など様々な治療を代わる代わるうけていた。それでも文句の一つも言わず、「先生や看護師さんには本当によくしてもらってるからね」といつも笑顔だった。
その患者さんは、毎朝起きると持参の電気ケトルにお湯を入れるため給湯室までやって来る。夜勤だった私はその日、担当するチームではなかったものの偶然給湯室に居合わせ、挨拶をして少しだけ給湯室前のソファで話をすることになった。
「先生に退院まだですか?って聞いたんだけどね、まだもうちょっと、って言われちゃった」
「もう一ヶ月になるかしら。そろそろ家に残してきた旦那のことも心配で」
「そうなのよ。何だかんだいって、心配してくれて。今までも色々と迷惑かけてるけど、まだもうちょっと、お世話になりますね」
そんな会話をしたと思う。
この頃、既に病名は本人にも家族にも告知されていたし、きっと自宅に帰るベストなタイミングだったんだろうと思う。けれど、主治医はその決断を下さなかった。どうして、と聞きたかったけれど、それを誰も聞かなかったし、聞いていたところで教えてくれなかったと思う。
それから更に一ヶ月が経って、その患者さんは酸素が手離せない身体になってしまっていた。疾患そのものではなく、合併症により呼吸状態が著しく低下したことは本人にも伝えられた。ただ一つ、予後があまり長くないことだけは、家族の方にのみ伝えられたらしい。急変時はどうしますか、という質問に返答はなかった。当然だ、ほんの数ヶ月前まで自宅で普通に生活をしていたのだ、入院中だって自分の足で歩いて、普通に話ができていたのだ。
合併症の治療のため抗生剤が開始となった。すると、今度はその抗生剤の影響で感染症に罹患。個室隔離することになった。
「こんなことになって、人にうつしてしまうしまうかもしれないなんて、孫にうつしてしまったらどうしよう。またみんなに迷惑をかけてしまう」
そう言いながら涙を流す患者さんに、決してあなたのせいじゃない、あなたは誰よりも頑張っていますよ、としか伝えることができなかった。
きっとずっと前から、心は限界だったのだろう。どんどん気力をなくしていくのが目に見えてわかったし、同時に、投与する酸素の量は増えて行った。
そして、ある日の朝。その患者さんの担当だった私は、朝の内服薬を持って病室を訪れた。おはようございます、お薬を飲みましょうか。そう伝えると、閉じていた目がゆっくりと開いた。
「もう、いらない」
そう返された時、私はすぐにどうして、と言えなかった。いつかこうなるんだろうな、とどこかで覚悟していた自分がいたのだ。
「ずっと頑張ってきたの。それでもこんなにしんどいの。どうして?もう疲れた。今日死にたい。今すぐ楽になりたい。わかってるの、みなさんには本当によくしてもらってるの。先生にも、看護師さんにも。けど、もう疲れちゃった。もう何もしたくない。お父さんも、息子も、私に生きてほしいって言うの。でも、もういい。お願いだから楽にして」
腕や足だけじゃない。指先、眼球にまで浮腫が及んだ身体で、整わない息で、そう伝えられた時、私は溢れてきた涙を我慢することができなかった。既に投与している酸素の量は限界、これ以上の酸素化を望むのであれば人工呼吸器をつける必要がある。逆に言えば、人工呼吸器をつければ身体に強制的に酸素を送ることはできる。今の医療は先を望めば生き永らえることができてしまう。家族から急変時の対応に関する返答はまだない。急変時の確認ができていない患者は、原則何としてでも助ける必要がある。けれど今、この患者さんは自分の意思を私に伝えている。浮腫でパンパンに腫れ上がった冷たい手を握った。
「今まで頑張ってきたんですもんね。しんどかったですよね。お薬は、今はやめときましょうか」
そう言うだけで精一杯だった。
しばらく何も言わず、ただ黙って付き添って、患者さんの息が整ったタイミングで病室を出た。その足でトイレに駆け込んで、心を落ち着けてから業務に戻った。それでもその日、どれだけ他の患者さんと笑って話をしても、家に帰っても、あの患者さんと過ごした30分程度の時間が忘れられなかった。
それから一週間後、その人は亡くなった。私は勤務時間ではなく、申し送りでそのことを聞いた。やっと楽になれたんだね、としか思えなかったし涙を流すこともなかった。身体を綺麗にして数時間後にはお迎えがきたし、その更に数時間後には新しい患者さんがその部屋に入院してきた。自分がどこにいるのかもわからないほど忙しい業務に追われ、代わる代わる入院と退院を繰り返していく中で、それでもあの患者さんの言葉が忘れられない。あの時掛けるべき言葉が、すべきことがもっとあったように思う。けれど後悔している暇もなく毎日を過ごしていて、正解がわからないままここまで来てしまっている。
私は、もうすぐ今の勤務先を退職する。理由は色々あるし、それはあの患者さんが亡くなる前から決まっていたことだった。新しい職場は決まっていない。けれど、きっとまた看護師としてどこかの病院で勤務しているのだろうと思う。私は、看護師の仕事が好きだから。理不尽なことを言われるし、後悔だって沢山する。それでも、看護師という仕事が、患者さんのことが好きなのだ。もしかするとこの先、同じように患者さんの前で泣いてしまうことがあるかもしれない。プロ失格だと言われてしまえばそれまでなのだけれど、でも、きっとその時も私は後悔して、また働き続けるのだろう。結局、正解なんてないと思うから。それでも自分にできることはあると思うから。
車離れは事故も渋滞も公害も不健康も減らせるし維持費もかからないし個人にも社会にも良いのでは?
ニューヨークロンドンもパリもアムステルダムも各国の都市も自動車を減らして自転車を増やす政策が進められているほど。
自動車を減らして自転車を増やすほど重大事故も公害も渋滞も減り、運動不足が招く合併症も減らせることが専門家ら、統計データでも証明されている為。
https://i.imgur.com/ZAbmTED.png
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ちなみに英国が26万人以上を医学的に追跡調査した結果、自動車依存者は短命で、自転車利用者は長生きな事実が医学的データにより明らかになっている。
https://i.imgur.com/8z8t8ZB.png
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「精神疾患」が確かだとして「統合失調」という情報は、どこから来たのか?
(明らかに「統合失調」ならばすでに報道されていてもおかしくはないと思うのだが)
例の5chの書き込みには「思考盗聴」というキーワードが出てくるらしい。
5chの書き込みを本人と仮定して追う場合、時系列も考慮するべきだろう。
現時点で5chの書き込みは2012年頃のものと2018年頃のものが発掘されているようだ。
(※なお2012年6月20日にコンビニ強盗で逮捕されて懲役3年6か月で釈放が2016年)
2012年の書き込みを見るに「あの子」「ここまでの女」「こいつ」と交流があった様子だ。これも幻覚なのか?
しかし2012年の書き込みは逮捕前のものだから「精神疾患」が「心神喪失とみなされる」ほどには進行していないであろう時期だ。
一方で2018年の5chの書き込みには「実体験」のような感じで「うつ病」「パニック障害」「依存症」に言及されている。
それらが真となれば合併症もありうるのでは?
2012年の時点では精神疾患はさほどではなかったが2018年の時点では合併症にまで進行していたのだろうか?
(精神疾患が複合パターンだとすると責任能力はどのように判断されるのだろうか?)
仮にそうだとすれば、うつ状態だけでなく、そう状態もあったのかもしれない。
「依存症」というのが危険ドラッグとかなら幻覚・錯乱(思考盗聴)が薬物由来もありうる。
少なくとも自己認識では「統合失調」ではないと認識していたようではある。
ただ「医師に統合失調と診断された」なら病識欠如だとしても「俺を糖質扱いしやがって」的発言が発掘されてもおかしくはない。
統合失調であるか否かは取り調べ(カウンセリング?)で明らかになることだろう。
ただ「みんな糖質しか知らないから、とりあえず糖質ということにしているだけでは?」とは思う。
個人的には両極端な愛憎の移り変わりという点は「境界性人格障害」の特徴らしく思えるが。
先日、男性不妊治療を受けてきた。約2.5cmを開腹する手術だ。手術は無事済んで、今は次の検査まで経過を見ている段階だ。
今まで開腹手術を受けたことがなくて、不安で男性不妊治療について調べてみたところ、男性不妊治療の当事者による記事がかなり少なくて驚いた。多くが奥さんの不妊治療ブログの中で「夫から聞いた」という体で書かれており、男性不妊治療を受けた当事者からの声ではなかった。
そういうわけで、当事者から男性不妊治療に関して何かしら情報を発信出来たらよかろうということで、この日記を書くことにした。
私が診断は精索静脈瘤による造精機能障害だった。精巣の周りに静脈瘤が出来て、その熱により精巣の機能が低下する障害だ。↓のサイトが詳しい。
http://www.kameda.com/patient/topic/reproductive_technique/04/index.html
症状は、精巣の機能低下によって、精液中の精子の運動率(運動が活発な精子の割合)が低下するものだった。運動率が低下すると、それだけ子宮まで到達できる精子の数が減ることになる。精索静脈瘤を改善するメリットとして受けた解説は以下の通り。
・運動率、正常形態精子の割合向上(無精子症の人も精子出現に至るケースがある)
・精巣機能の悪化予防(二人目不妊の要因の多くが精索静脈瘤によるものらしい)
・陰嚢痛等の違和感解消
精巣周りの静脈が太くなりすぎて熱を持つ状態になっているのが問題なので、余分な静脈を結紮(けっさつ。縛って止めること)して切断する手術を行うことになる。手術は二通り紹介され、一つが鼠蹊部を2,3cmほど開腹して顕微鏡で患部を見ながら手術を行う方法(顕微鏡下精索静脈瘤低位結紮術)、もう一つが5㎝程4か所開腹して内視鏡を入れて患部を手術する腹腔鏡手術だ。それぞれの違いを示すと大体こんな感じだ。
比較項目 | 顕微鏡下精索静脈瘤低位結紮術 | 腹腔鏡手術 |
---|---|---|
入院期間 | 日帰り | 3日程度 |
値段 | 30万円前後 | 15万円前後 |
再発率 | 低 | 高 |
合併症発生リスク | なし | あり |
結論から言うと、顕微鏡下精索静脈瘤低位結紮術を選択した。健康に関することはできるだけの出費をしていきたい。体は資本だ。
蛇足だが、治療法の説明の中で執刀医の大切さを主治医に教えてもらった。主治医によれば、間違えて精管や尿管を切ってしまい担ぎ込まれた患者がいたそうだ。他にも、動脈を切ってしまい、逆に精巣の機能が低下してしまった患者も診てきたらしい。これから精索静脈瘤の治療をする人には、執刀医選びに細心の注意を払うことを強くお勧めしたい。
手術前は陰毛を全部剃るように言われる。手術の患部なので、丁寧に剃っておいた方がいい。剃ると意外とさっぱりして良い。毛も床に落ちない。
手術は部分麻酔で行われた。麻酔がよく効いて痛みはなかったものの、体内から血管やその他諸々の管が引っ張り出される感覚はある。精巣に伸びている静脈が引っ張られるので、自然と精巣の中の管も引っ張られる感じがする。私の時は大きなディスプレイに顕微鏡で映し出された映像が投影されていた。執刀医が活き活きと「この透明なのがリンパでね、このドクドク動いてるのが動脈。おっ、この静脈太いねー」と手術実況ライブをしてくれた。手術時間は手術室に入って出るまででおよそ1時間。開始時は緊張したものの、看護師さんと雑談しているうちに緊張がほぐれて、手術実況ライブを見る頃には完全に慣れていた。
手術後(当日)は食事後にすぐ痛み止めを飲んだ。痛み止めは痛くなってから、と聞いていたが、親知らずを抜いた時に即痛み止めを飲んでいたことを思い出して迷わずすぐ飲んだ。
術後一日目は、ちょっと試したくなって痛み止めを止めてみた。痛み止めが切れる10時間後頃になると、やっぱり痛みが出てきた。仕事(デスクワーク)にあまり集中できない程度の痛みになるので、痛み止めはまだ必要だった。通勤時間が1時間を超える人は、有休取得か痛み止め常備を強くお勧めする。
術後二日目も、痛み止めを止めるとまだ痛みが出てきた。ただ、一日目とは違ってやや鈍痛に近い感じになってきていて、対一日目比で7割くらいの痛みだった。かなり集中して仕事をすれば、一定時間は痛みを忘れられるくらいの痛みではあるが、痛み止めは常備しておいた方が良い。
術後三日目になると、痛み止めを止めても割といける感じになった。二日目と三日目の差は大きい。まだ若干痛かったが、耐えられない痛みではなかった。痛み止めは仕込んでおいた方が安心。
術後四日目以降は、痛み止めなしでも普通に生活を送れるようになってきた。ただ、歩く早さは六日目くらいまでいつもの早さに戻らなかった。(大体速度半減くらい)
術後十日目になると、手術前にだいぶ近づいてくる。十四日後になる頃には、「患部に触れるとちょっと鈍痛がするが、日常生活上では気にならない」くらいになり、状態が安定する。これはどの手術でも同じだと思われるが、半年くらいは患部が固く膨らんだ状態になるらしい。
私みたいに試そうと思わなければ、四日目まで痛み止めを飲んでおけばほとんど痛みなしで生活を送れる。
術後精液検査はまだ行っていないため、成果はわからない。ただ、目視で確認しても濃度?鮮度?の向上を感じられた。量も少し増えたかな。割と成果を期待してる。
今回の一件で不妊治療についてググったけども、その苦悩の多くは女性から発されるものだった。「不妊は女性のせいにされがち」とは話で聞いてはいたものの、実際に目の当たりにするとこれほど思い悩んでいるのか、と認識を新たにした。
いろいろ読んでみると、この精索静脈瘤については若干とはいえ開腹を行うため、尻込みする男性が多いようだ。そういった男性に、手術を経験した身として少しでも実際を伝えられれば、腹積もりが出来て幾許かの不安を取り除けるのではないかと願っている。
まぁ、こうした治療以前に、不妊治療自体が男女両方をまとめて診るのが標準になってくれるといいのだけど……。
登録した後に精液検査を受けてきた話とそれにぶら下がってる記事を知った。関連性高いからこの辺の記事への反応で書いても良かったな。
精索静脈瘤、意外とよくある症状??
主治医によると、レアな症状ではないとのことです。特に、2人目を授かりにくい原因の8割弱が、精索静脈瘤によるものとのことでした。
書き漏れていたのですが、全症状について手術する必要があるわけではなく、触ってもわからないレベルの静脈瘤であれば薬で処置が可能とのことです。ただ、「陰嚢を触って血管が太いような感触がする」「陰嚢内の血管がふっくら浮き出ている」といった症状がある場合は、手術が必要と言われました。精索静脈瘤の診断は、10分程度の診察とエコー検査のみで簡単にわかります。私の場合は、初診料を除いて7,500円ほどでした。
ちなみに、精索静脈瘤は片方の陰嚢にしかなくても、もう片方にも悪影響がでる場合があります。精巣の温度は体温より2~3度低い状態が正常です。そのため、例えば右の陰嚢に精索静脈瘤がある場合、その精索静脈瘤の熱が左の陰嚢に伝わり、左の精巣の機能を低下させうる、ということです。
あなたのおっしゃる通り、全ての患者に維持透析をするわけではありません。
あくまで患者さん本人の意思によって、透析導入にするかしないかを決めますが、ほとんどの高齢者は透析したらどうなるかをまるで知らないよね。
食事制限から水分制限、各種合併症等等、年を重ねていくごとにどんどん衰弱していくのが人工透析患者の実態。
だから超高齢者には非導入の選択肢だってあるし、若年労働者世代にだって、非導入の選択肢があっても良い。
問題は、いちど透析の導入してしまったら死ぬまでやめられないと言うこと、その後様々な合併症などで年々苦しみが絶え間なく続くということ。
ーこういったことをあらかじめ、腎臓内科医がしっかりと伝えないのが、一番、問題視されるところ。移植すら教えない医師もいますよ。
心臓も肝臓も末期状態になればいずれの死に至ります。でも腎臓は透析があるから「生き永らえるよ」といった簡単な説明だけで透析導入していく医師たちの多いこと。
心臓も肝臓も腎臓も、移植ができなければ、結局は「人間はいずれ死に至る」んですよ。
苦しみ続ける患者さんを無理やり維持透析させ続けることほど、残酷なことはありませんよ。
医師も理解しているくせに、製薬会社や医療品メーカーなどと「透析利権」の関係があるからなかなか「尊厳死」を告げられないんだよね。
つまりインフォームド・コンセントがなっていない。
患者さんの意思を尊重してこその医療だと思います。それができていないのが日本。
世間ではもう、かなり前から、よく「透析はビジネス」と言われますが、まさしく事実です。世界一の透析大国ですもの。
一般に小児腎不全患者には早い段階から「生体腎移植が最良の治療方法」として推奨されていますが、そんなの当たり前。
でもさ、大人、特に高齢者においてはもはや”移植という道”があることすら話さない医師もいます。
寿命に比例する部分もあるので、もう維持透析でいいじゃんみたいな流れ。。。
いや、ダメでしょ!
これはいわゆる透析利権という問題で、透析=ビジネスという考えの施設も多々、存在することを意味します。
外面には出さないけれど、心の中を透かしてみれば、この世はなんでもビジネスなのかってなってしまう。
。。。。運営者の心の中は賢い患者さんからは透け透けですよ。。。。
透析に携わるスタッフは一生懸命、頑張ってくれているのですが、透析施設を運営する”経営者”にとっては維持透析施設なんて、ほぼビジネスじゃないの!
皆さんは、一般に透析は一人当たり、年間5百万円ほどかかるの知っていますか?(多分、医師の言うがままに透析に導入したお年寄りは知らない人が多いよね…)
それが、一人、二人と維持透析中心のクリニックから腎移植患者が出てしまうと利益消失〜ってなりますよね…。
すると、また患者集め=利益確保に奔走するわけ。ホント、もう、うんざりだよ。
毎回の送迎付きも当たり前の透析クリニックさえ多数、存在します。
それをいいとも悪いとも言いませんが、「ここまでしても利益が出る」んですね〜。
患者一人確保できたら、年齢などにもよるけど、安定した収入源になるというカラクリがちらっと垣間見られます。
でもさ、常識で考えれば、腎移植をして、また健康な体に戻って、社会復帰して”納税者”となれば、医療費だって抑制できるんだよね〜。
透析は、一ヶ月約40万円ほどかかり、それに加えて各種、薬や機材が出てゆくので、医薬品、医療機器メーカーもお互いに美味しい話となるよねって話。
外来が終わる頃や透析時間が終わる頃合いを見計らって、MRなど営業さんが待機しているのをよく見かけるでしょ?
医療と製薬会社、医薬品会社との関係は切ってもきれませんが、闇の部分を知ると腹立たしくなります。
兎にも角にも、患者を「金のなる木」だと考えている透析施設運営者もいると思うと、ホント、腹わたが煮え繰り返るんだよね〜。
もっと、「腎移植(生体腎移植、脳死移植」を最大限、啓蒙活動して、欧米並みの水準にしてさ、、、
一人でも多く、社会復帰させてあげるのが医療の勤めなんじゃないの?
元気になれば、納税者にもなれるんだよね。
透析に限ったわけではないけれど、どの病院でも患者さんが来院して、初めてお金になるんだよね。
もうしこし、患者ひとりひとりの気持ちを考えた、医療を提供すべきなんじゃないかな〜。
ま、透析しないと死んじゃうんだけどね。それを運命と捉えるか、いずれは合併症で苦しみ続ける透析地獄に入るかは、本人の意思次第。
今回は、透析をする上でのメリットとデメリットについてを患者視点から綴ってゆきますね。
透析をすることのメリットはただ一つー「腎不全死」にならない」の一点だけ。
若い人で言えば、まだ透析を初めて5〜10年くらいであれば仕事の両立が可能です。
しかし、慢性的な貧血な上、年々、体力も消耗し、多くの人は9時〜17時でフルタイムで働くのは非常に難しい状態になります。
反対にデメリットを上げれば、きりがありません。
(1)健常者と比較し、常に慢性貧血状態なので階段の昇降ですらしんどい状況=常に体のだるさを感じる。
(2)食事制限ーカリウムの取りすぎは心不全を起こす可能性が大なので、果物や生野菜摂取、チョコもほぼ禁止。
果物は缶詰か、生野菜は水に浸してカリウムを抜き、茹でたり炒めたりして可能な限りカリウムを減らして調理。
バナナやイチゴやトマトなどパクパク食べると、急性心不全に陥り、心臓が止まりますよ。ホントの話!
過度なタンパク制限ー肉や魚類、ジャガイモ、サツマイモなど根菜類などの食材はタンパクを多く含み、同時にリンを多く含むため、かなり制限がかかります。
肉をしっかり食べられない=血や肉、骨にならないので、日増しに痩せていきます。
じゃあ、何を食べればいいの?って話になりますよね。
まあ、管理栄養士から徹底的に栄養指導されますので、守るも守らないも本人次第でどうぞ。
ちなみにアメリカでは透析患者の食事制限の必要性に懐疑的な医者もいるとか。
確かにそう思います。過度の食事制限がより体を弱らせることになるからね。
月に1回くらいは羽目を外してもいいけど、くれぐれも暴飲暴食禁止で自己管理。
(3)水分制限。透析を開始すると1〜3年を過ぎるとほぼ尿が出なくなるので、当然、水分摂取の上限があります。
透析患者の概ね1日の水分摂取制限量は200〜300cc、多くても500cc程度が限度です。
〜あなたは、ペットボトル1本分(500ML)で1日を過ごせますか?
お酒が好きな人などは1日、50ccくらいで我慢ですね。多くて100cc。
ラーメンなどの麺類、味噌汁、スープなど汁物も数口を口に注ぐ程度。全部飲むと1日分の水分制限料を簡単に越えてしまうよ。
この”水分コントロールが実に厄介”で、水分が取れないと喉が渇くので、必然的に透析患者さんは、「氷を口に含む」など工夫して、喉の渇きを
潤す習慣を身につけなかればなりません。(夏場は本当に地獄。)
=なぜ、水分制限をしなければいけないのか?=
〜透析患者は尿が出ないため、口からとった水分が排出されないが故に、身体中がむくみ、心臓や肺に水が溜まってしまい、あっという間に肺水腫や心うっ血といった呼吸困難を引き起こしてしまうから…。
呼吸困難症状が出てくると、横になって呼吸することができなくなります。
起坐呼吸と言って、座った状態でしか呼吸ができなくなり、苦しくてどうしようもない状況に陥るのです。そしていずれ死に至ります。
(4)塩分制限ー塩分の取りすぎは高血圧のもと。腎臓は血圧をコントロールする機能もあるので、患者は極力塩分を抑えた食事にしなければなりません。
概ね1日の塩分の摂取量は5グラム程度。因みにカップヌードル等はまる1カップ食べると塩分が10グラム以上含まれているので厳禁!
梅干しも塩の塊と考えなければいけません。
どうしても薄味の食事に慣れるしかないので、我慢できない方は高血圧を併発し、脳梗塞の発症のリスクが高いと言わざるを得ません。
さらに糖尿病人症の場合は足の切断、失明など更なるリスクと闘いながらの人生となります。
(5)決められた服薬の厳守。ー腎機能が落ちると、尿が出ないので、体に排泄物が溜まります。
透析によって濾過をするわけだけど、薬によって排便とともにカリウムやタンパク質、リンなどを排出させるのが一般的な治療になっています。
その他にも甲状腺ホルモンを安定させるお薬や降圧剤が必要なので、毎食の薬を飲むだけでも1日の水分量を使ってしまいます…。
〜あなたは、ちゃんとお薬を間違わずに、定時に守って飲めますか?
さらっと簡単に取り上げてもこれだけのリスクが年を重ねるごとに合併症として現れる可能性が高いです。
なお、透析年数が長くなればなるほど、患者さんには様々な合併症が起こりうることを知らない国民が多すぎることもかなり問題なので、次回に続きを書きます。
2019年3月に公立福生病院における透析中止により、透析患者さんが亡くなった問題が、毎日新聞を発端として報道され、社会的に大きな問題になりました。
でも、これは「事件」ではありません。日常的にどこでも起こりうる事態で、おおげさにゴシップを躍らせたにすぎません。
報道によると、患者さん本人の「透析を中止したい」と言う意思表示があったものの、呼吸困難などが出始めてから「こんなに苦しいなら、透析をまたやろうかな」と
言う発言が見られたと言うことです。
しかし、患者さんの状態が悪く、長期留置型カテーテルしか方法がないことを話されると、それは拒み、今現在の苦しみ、辛さを取り除いて欲しいと言う選択肢を
とったと言うことでした。これはつまり、透析はしたくないけれど、今現在の呼吸苦、尿毒症状の不快感をなんとかして欲しいと言う意味に当たります。
つまり”尊厳死を意味するもの”として解釈してよいと判断できます。
長期留置型カテーテル(画像参照)=これは流石に私も拒みます。
生きた心地がしませんし、日常生活もかなり制限されますものね…。
何より怖いです…。
〜もし、皆さんが、同じ立場であれば、どうしますか?よ〜く考えてみてください。
今回の件では、旦那さん同伴の元に同意書にサインしたのであるから、病院側の落ち度はなかったことになります。
また、病院側はそれ以前に、生体腎移植も提案されており、患者さん本人も希望されていたとのことですが、こうした一連の経緯さえ報じていません。
毎日新聞をはじめとする又聞きで追随した新聞社、各種メディアも、 しっかりとした裏付けも取らず、いかに断片的な報道しかしていなかったと言うことなります。
私自身も腎不全患者として直接、お話をじっくりお聞きしておりますが、新聞社の偏向報道にはあきれ返りました。
病院側はしっかりと手順を踏んで、よくよく説明したうえで、同意書にサインしたにも関わらず、一部を切り取ったような記事により、社会的に批判され、悪者扱いになってしまっていると言う内容に、個人的に違和感を抱きました。
https://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/report/t332/201904/560717.html
透析患者サイドから見ると、これはちゃんと患者さんの意思を尊重し、苦しみから解放して本人の意思としての「緩和ケア」を受け入れた病院側の大英断と私は思います。
一部の無知な人たちが、この記事をいまだに「事件」として取り上げ、誹謗中傷している記事も見受けられます。透析の「と」の字も知らない一般人でしょうね。
また、維持透析専門のクリニックでインタビューをしていたニュースもありました。
こうした都心のクリニックに通院される方々は大抵、労働者層世代が多いです。
透析における恐ろしい合併症等がまだ出ていない透析導入して数年程度の方々でしょうね。
透析導入から数年は、威勢のいい声を張り上げることは可能ですが、10年、15年、20年と時を重ねるにつれ、様々な合併症が出てくると、、、、、
多分、何も言えなくなるでしょう。
中には、透析のおかげで健康になったとか、食事管理ができるようになったとか、都合のいいことばかり書いている患者のブログは読むに値しませんのでご注意を。
ここ最近のブームとして、愚痴やヘイトを言う、所謂雁字搦めの自意識をもってしまったネガティブマイナス思考人間より、人生楽しいし仕事も趣味も充実してます♡オタクだってキラキラしているし、拗らせとかバカじゃん。って感じのキラキラ最高ポジティブ思考人間がブームになっている。
ネガティブマイナス思考のオタク人間はさらに生きづらい世の中になってしまった、と感じながら過ごす日々です。
オタクが内向きで拗らせたままだと最悪、みたいな風潮になってしまうのは嫌なので、せめて私だけはブームには乗らないぞっていう強い意思ができました。
万が一(絶対ないと思うけど)私が雁字搦めになった自意識を捨て、キラキラ最高ポジティブ思考宗教を信仰しはじめたら、あんなにキラキラブームに疑問をもって、ブームに乗らないって言ってたのに宗教にハマってしまった可哀想な人としてみてほしい。
一部では、キラキラ最高ポジティブ思考宗教は人を傷つけない素敵な宗教って言われていますが、私みたいなグチャグチャ自意識をもったネガティブマイナス人間はたっぷり傷ついているので、基本的に人を傷つけない記事を書くのは難しいのだなぁと思います。
でも、これもキラキラ最高ポジティブ思考宗教の人からしたら狙いなのだろうな。マイノリティ人間をふるい落とすのが一番だし。
産まれたときからの人生の不平等さや貧困層、どうしようもないブス、もっている手札が少なすぎるやつ、マイノリティ、そういった現実的に救いあげ不可能な可哀想な人間は視野に入れずに、ないものとしてやっていくほうが楽だもんね。
キラキラ最高ポジティブ思考宗教って、長すぎるワードだから、短くまとめたいな。キラポジ宗教でいっか。じゃあ、逆のネガティブマイナス思考宗教はネガマイ宗教か。センスのないワードだけど、すまんね!
キラポジ宗教のなにが嫌かって、上記でも記した、現実的に救い上げ不可能な人の刻み込まれた心の傷のことを軽んじているし、その傷を無理矢理縫い合わせて、合併症の縫合不全が発症してようと、キラポジになれやって笑顔で威圧してくるところが嫌です。
それってネガマイ宗教特有の被害妄想では、って言われるかもしれないけど、キラポジ宗教の人が書く文章って、そういう圧を感じるんだけど、私だけなのかな?
SNSで、人生うまくいってるキラポジの明るい話に触れるたびに、私が普通じゃないから、私が努力できないから、私が実行に移さないから、私が甘ちゃんだから、そういう感じで自分を責めてきたんだけど、こちらがそう思ってしまうことが圧だと思うんだよね。
まあ、グチャグチャ自意識もちだから、そう責めてしまうのだけど。
キラポジの記事と、ネガマイの記事を両方読むと、どちらもそのどちらかを傷つける文章が大体書いてあるので(私の書いているものもそうだし)おあいこと言えばそれまでなのですが。
この人は世の中を底辺側から見たことがあるか、そもそもこの人の立ち位置はどこなのか、今もっているこの人の目線はどこなのか、この人にとっての普通とはなんなのか、この人のマイノリティとはなんなのか、この人は生きづらいと言う人間が、何故生きづらいと言うようになってしまったのか理解しているのか
私はそれらを文章から読みとり、筆者がキラポジ側なのかネガマイ側なのか選別しているのですが、当然ですが、ネガマイ側が圧倒的に地獄に寄り添えているんですよね。
底辺の痛みを知っているか、大きな心理的ダメージを受けたことがあるか、それらの有無で文章の珠玉さも変わってくる。
キラポジ宗教の書く文章って、だから印象に残らないんだろうなって、思います。
ブームから外れたとしても、私は生きづらい人に寄り添えるネガマイ文章を書いていく。
生きづらい人たちが少しでも楽になれますように。
中国で、整形がバレて離婚を言い渡された女がハサミで医者の目を刺した事件があったり、日本でも、嫁が整形してたら離婚するという声をたまに聞く。
整形が原因で合併症引き起こして健康に著しい問題があるのに、隠してた。とかならまあ分かる。でも、瞼を二重にしたくらいで健康上の問題なしみたいなケースはよくわからん。
本当はブスのくせに、俺を騙したなあああ!ってことなのかな?本当ってなんだ?って感じではあるけど。
でもさ、目を二重にするのは眼瞼下垂症の治療でもあり得るし、目頭切るとか目の下を下げる手術は逆さまつげの治療でもあり得るし……と書いていったらキリがない。純粋に美容目的と言える手術ってたぶん脂肪吸引くらいしかない。でも脂肪吸引で離婚ってあんまりならなさそうなイメージ。
『ガソリン等内燃機関利用車は迷惑で邪魔だから禁止!』という認識の広まりについて所感を伺いたく存じます。
実際
で検索すると、ガソリン等を使用して排ガスと騒音を撒き散らす内燃機関を使用した乗り物は迷惑で邪魔で地域にとっても有害〈騒音公害、排ガス公害、大気汚染等による観光地としての魅力減少〉である事実は確かにありますし、その認識は世界中に広まり続けているようです。だからこそ規制強化が進んでおり、近い将来の使用禁止令についても明言されている。
オスロは自家用自動車=マイカーは渋滞事故と公害と渋滞と大気汚染の元凶だとして公道走行を禁止する政策を進めている。
「たかが個人の移動で幅を取って有害で渋滞と重大事故の元凶でもあるCO2排出量も馬鹿げている乗り物を使うな!」ということです。
それと同時に自転車専用道ネットワーク整備を進めていることから、ノルウェーは上記の国々より更に徹底して国民の肥満対策にもなる自転車活用に舵を進めているようです。
自動車を減らして自転車を増やすほど渋滞も公害も重大事故も肥満も減らせますから、合理的な政策でもある。
これから、世の中はガソリン等を使用する内燃機関を搭載した乗り物は公道走行違法化が進められ、地域にとってはマイカーも公道走行違法化が進み、政策で自転車の活用が進むと見ていますが、いかがでしょうか?
ちなみに英国グラスゴー大学による260000人以上を対象にした大規模医学研究調査によると、自動車依存者よりも自転車利用者のほうが遥かに健康寿命も実際の寿命も長いそうです。
徒歩、バス、鉄道利用者いずれよりも自転車利用者は長生きとのこと。
そういった事実も、今後の自転車活用拡大政策の世界的な広まりを後押ししているように感じます。
実際、国民の肥満蔓延は国にとっても損失ですから〈社会全体の医療費が割高になったり、合併症による現役労働者の減少等〉。
長生きしたいなら移動は自転車が正解、というのが医学的に明るみになっているということですね。
そのあたりの事実も内燃機関利用車への規制強化を容易にしているように感じます。環境や健康、渋滞対策、公害対策等様々なテーマが絡んでいるこの話題についての所感を伺いたく存じます。