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2023-06-19

NISA新自由主義グルーミングである

この投稿NISA活用している方々に向けて書かれたものである。ただし、その中でも「わたし新自由主義の信奉者です」という方々は除外する。その人たちに伝えるべきことは何もない。対象としては、NISA活用しているが新自由主義跋扈するこの世界社会改善すべきところがあるのではないかという疑念を抱いている人たちに向けて書かれたものである

先ずは用語確認しておこう

NISA

NISAニーサ)とは、個人資産形成応援する国の税制優遇制度です。通常の証券総合口座投資では、株式投資信託の売却益や配当分配金20.315%の税金がかかるのに対し、NISA口座での投資ではそれらの利益税金がかかりません。

出典: NISA(ニーサ):少額投資非課税制度 | 楽天証券

新自由主義

国家による福祉公共サービスの縮小(小さな政府民営化)と、大幅な規制緩和市場原理主義の重視を特徴とする経済思想

 資本移動自由化するグローバル資本主義新自由主義を一国のみならず世界まで広げた ものと言ってよい。

 国家による富の再分配を主張する自由主義(英:liberalism、リベラリズム)や社会民主 主義(英:Democratic Socialism)と対立する。

出典: 新自由主義|経営コラム・レポート|日本総研

グルーミング性犯罪

子どもへの性犯罪では、犯人が巧みに被害者の心をつかんで接近する準備行動をいう。幼い子ども従順さや思春期特有の悩みにつけ込み、被害者と「信頼関係」を結ぶため、周囲も気付かないまま加害行為が長期化することもある。

出典: 性暴力の前に巧みにつけ込む 忍び寄る「グルーミング」:朝日新聞デジタル

本文に入るが、既にタイトル結論である

NISAとは少額投資非課税制度であり、これは国民投資を推奨する政府施策であることは言うまでもない。投資ギャンブルであるか否かといった議論はここではしない。

資産は何もせずに金銭として持っていても目減りするから、別の形(不動産証券、純金etc)で持っておくことはある種賢い選択であろうから有効と考えられる。ただし、それらの資産は逆に価値が下がるというリスクもあるが、これは政府広報していて公正な態度だと言える。

ただし、NISAという制度を使って政府投資という相場国民たちを参加させたいのだということは再度認識しておくべきだ。

これは新自由主義の推進によるものだということも確認しよう。

1970年代から始まったこ経済政治思想英国ではサッチャリズムと呼ばれ米国ではレーガノミクスやレーガニズムと呼ばれた。日本では中曽根康弘が始め、小泉政権下で顕著に推進された施策だ。

現在自由主義諸国新自由主義グローバリズムが猛威をふるっていることは言う必要がないだろう。しか新自由主義者たちはまだ足りないのだ。あらゆる世界市民新自由主義の旗の元にあつまる世界夢想している。

世界では貧富の差が拡大し、一部の富裕層の持つ資産は下位50%の持つ資産を大きく超えている。新自由主義が富者を肥えさせ貧者をより細らせていることは明白なのに彼らはまだそれを推進しようとしている。宗教のようにその思想伝道し、経済ダーウィニズムがこの世界に浸透することを望んでいる。

何故か。

彼らは捕食者であり被食者を求めている。市場に碌な知識もないまま資産さらけ出す愚か者を求めている。

更に彼らは自分たち主義主張がこの世界過酷ものにすることを知っているから、その反対勢力興隆することを危惧している。経済弱者連帯することを恐れている。それなら、まだ敵ではない人々は味方につけてしまえば敵になることはない、そう思っている。だから新自由主義啓蒙しその成果が分け与えるようなふりをして味方につけてしまおう、洗脳してしまおうと思っている。

そしてNISAはその策謀のひとつだ。少額で始められること、非課税であることなどを呼び水として参入ハードルを低く設定し、投資という行為忌避感がある層にもこの競争に参加させようとしている。経済弱肉強食金銭適者生存サバンナに放り込もうとしている。クスリの売人が最初一服無料サービスし、甘言で誘惑して顧客に仕立て上げることを思い出そう。

あなたたちはその被食者になるかも知れないのに夢を描いて自分だけはそうならないと無駄に楽観的な見通しで投資に手を出すことになる。運良く被食者にならずに済み、捕食者となったあなたたちはどうなるのかと言えば新自由主義を支える一員に成り果てる。そう、新自由主義に加担するのだ。

NISA活用しているけれど新自由主義疑念を持っている人々はここで矛盾を味わうだろう。個人としてNISAを通して投資を行うことは生活防衛であり、一市民としてのより賢い選択しかない、新自由主義肯定するものではない、と。しかしそのような君たちの個人的な心情をあなたたちが出資した資産は主張しない。あなたたちが預託した資産新自由主義者に大いに利用されるのだ。あなたたちは彼らに燃料を供給している。兵站を担っていると言っても過言ではない。

このように言われればあなたたちは反論しようとするだろう。

「我々は新自由主義弊害認識しているし、その改善必要だと考えている、そして貧者に対しても博愛の情を持っている」と。そして「そのこととうまくNISAを利用することは別だ」と。

別ではないのだよ。あなたたちは別だと思っているかもしれないが、あなたたちの選択結果的新自由主義を推進している。正確に言えば、新自由主義推し進める政府政策に乗せられて加担させられている。

こんな風に批判されればカッとなって

家族生活を守ってより良い生活をしようとすることのどこが悪いのだ」と主張するかも知れない。中には

新自由主義だって悪いことばかりじゃない、それらの施策によって現実的世界は豊かになっているというデータもある」などと言い出す者もいるだろう。

うそれはグルーミングなのだ

あなたたちは新自由主義に対して批判的な気持ちを持っていたかもしれないが、NISAを利用することにより新自由主義に加担させられ、そのことを批判されると新自由主義に対する疑念を打ち消す方向に考えを改めてしまう。己の選択と行動を正当化したいが為に。

性犯罪被害者加害者擁護してしまうのと同じ行動だ。加害者洗脳されて、自分たち行為は悪くない、そうなった事情さえある、だからいけないことだとしてもそれほど悪いことではない、加害者さえ弁護してしまう、そんな風に考えるように仕向けられる。

からNISAというもの投資のリターンを期待させたり、その利益が非課税であるといった甘い言葉で誘惑し、自陣に引き込み加担させ、そして新自由主義肯定するように洗脳してしま施策なのだ。取り込まれしまっている。これをグルーミングと言わずして何と言えばいいのか。経済的、若しくは思想グルーミングとでも言えばいいのだろうか。

そのような事例は、はてなでも大いに認められる。新自由主義現代日本政治ブックマークコメント批判的な人物でも投資NISAという話題になればせっせと肯定する。もう手懐けられてしまっている。

ここまで言っても分からいかも知れない。

「それで?」と冷笑的な態度でいるかも知れない。

「へーそーなんだ、じゃわたし生徒会行くね」とミームで返すのかも知れない。

そういう態度こそが問題なのだ

あなたたちは加害者になろうとしている。新自由主義を支え格差を拡大し経済成長の名の下で環境破壊を推進する加害者の一員になろうとしている。そのことだけは覚えておくべきだ。

俺はNISAなんてやらない。俺は俺の責任として加害者にだけはならないか新自由主義に加担するなんてことはしない。生活者として賢い選択ではないだろうが馬鹿でいい。口座に積立するくらいならその金で安い酒を買う。そんな金さえ無いがな!金持ちにはなれないだろうし貧乏なままだろうが、知ったことか。人間主義主張というものをそういう生活態度で示すものだ。「新自由主義には反対ですが投資生活防衛のために行います」みたいな二律背反していても平気でいるような小狡い態度はとらない。狡いってのは卑怯ってことだからな。絶対NISAなんかやらない。絶対にだ。

2023-05-29

俺は善良な喫煙者から職場じゃ紙巻き・加熱式は吸わないのよね。家じゃばかすか吸うけど、臭いからね。

最近まで隠せる無煙タバコを口に含んでいたが、切らしてしまった。

なのでここ2週間ぐらい、平日は9時間ニコチン我慢するわけよ。そんで仕事終わりに一服。これ、めちゃくちゃ美味い。とんでもなくキく。

この気持ちよさを知ってから酒飲みが「帰ってきて飲むビール」を尊ぶ理由が少しわかった気がする。

俺は酒が飲めないから羨ましかったんだよね。

2023-05-19

anond:20230519185936

なるほどね。

母親一服盛られて、体重の軽い母親が真っ先に死んで、

父親はしばらくしてから死んで、

息子は体力が残っていたから、ギリギリのところで助かったと。

2023-04-21

スープストックJTコラボしてるので電子タバコならオッケーなはずやで ←正しくはRETHINK CAFE SHIBUYA ってカフェだけでスープストック名称になってる店は全店禁止だそうです

ただ立地的に男性も使うとはいえ9〜7割で女性なので電子タバコ吸ったら居心地悪そう

そもそも食べてすぐに出る立地で店内で一服する感じになるか?

anond:20230421115950 anond:20230421150813

2023-04-20

anond:20230420093453

プロヂューサーとかと喫煙室一服ついでにしゃべるチャンスが得られる

2023-04-14

anond:20230413053811

俺は親が決めたなじみの美容院飲み物聞かれたのに出されなかったりパーマかけたらタバコ一服されたり(髪くさくなるやんけ)していい印象ないのでいかなくなったし

親が迷うっていったときもそういって別のにしなっていった

まあ個人経営は年取ったら体力なくなるから無理せずそうやって客を減らしていけばええねん

2023-03-10

グリーンサウナが恋しい

広々サウナでゆったり蒸されて湘南の風を浴びながら最高の一服をしたいぜ

2023-03-09

大人の嗜みとして真っ先に思いつく、アルコールタバコ。両方弱かったけど、タバコだけはヤニクラに耐えセブンスターを吸えるようになった。

社会性としては、どう考えても付き合い程度に飲めるよう慣れた方が良かったんだろうけど。でもタバコの方が魅力的だった。かっこいいから。

お酒はグラスどん。お酒ちゃぽちゃぽ。ぐびっ。

それか缶かしゅっ。ぐびっ。それでハイ終わり。

こう雑に言ったら愛好家に怒られるだろうけど、私にはそう見えた。

タバコは取り出してから火を点け、一息置いて煙を吐き出す。紫煙に目を細めつつ、頃合いを見て火をもみ消す。その一連の所作に、どうしようもなく惹きつけられた。

灰皿とライダーという喫煙具を常備しているのも、なんとなくかっこよく感じた。酒飲みは常に一升瓶握っている訳ではないし。

フィクションにおける小道具として登場するそれへの憧れも強くあった。映画スターがおもむろにタバコを取り出し火を点ける姿。昔はかっこつける気なんかなくて、スマホをいじるくらいにタバコを吸うのが当たり前だったのかもしれない。それがどうしようもなくかっこよく見える。戦争映画なんか観ると、無性にタバコを吸いたくなる。有害マッチョイズムなのかもしれないけれど、子供スーパーヒーローに憧れるが如く心惹かれてならない。

嫌煙が「正しい」側の時代だし、たばこ税の歳入が云々と正当化しようとするのも悪手だと思う。毒ガスを撒き散らす害悪存在と罵られたら、不快に思えど返せる言葉はない。

世の中では間違いなく喫煙ダサい行為だ。

自分マックイーンでなければショーン・コネリーでもない。一服というシチュエーションに酔いしれる様をキモいダサいと思う人こそいれど、かっこいいと思う人などいないだろう。

それでも、深夜にふらりと歩き回り、公園のベンチで物思いに耽りながらタバコに火を点けると主人公にでもなった気分だ。

ナルシストで良い。人によく見られたい、とは違う、自分へのかっこつけはとても大事だと思っている。

2023-03-05

マジで私が男に口説かれた事のない喪女からからないんだろうけれど

なんでセクハラを受けたって女性はわざわざ性行為に応じて、その後になってから初めて訴える訳?

応じてたらお前も楽しんだんだろって言われても否定出来なくない?

曖昧ものなら判断にも悩むかもしれないが、性行為を求められたらその時点で明らかにアウトって分かるじゃん?

暴力脅迫でもなく一服盛られた訳でもなく、自ら性行為に応じておいて被害者面する女性って本当に理解できない

2023-02-13

タバコ以外の精神安定剤が欲しい

早朝「あーー、仕事行きたくねぇ、このままブッチして飛んじまおうか」って思ったとき一服すれば「しゃあねえ準備するか」って頭が切り替えられるし、「あー、仕事手がつかねぇ」って時も一服すれば「よし、やるか」ってなるし、「もう本当に俺は駄目かもしれない」って心の底から落ち込んでも一服すれば「なるようになるか」って切り替えられるし、元々嫌煙家ヒキニートだったがニコチンの力を借りたら社会に少しコミット出来るようになった。

本当は精神的にずっと限界だけど、ニコチンになんとか支えられている。

だが煙草は体に悪いので、長い目で見たら早く辞めるべきだ。しかし、タバコを失ったら俺は何に縋り社会生活を営めばいいんだろう。

タバコが辞めたいというよりも、タバコを吸わなくても安定した精神がほしい。

2023-02-11

anond:20230211125531

食事快感とせいこういの快感は、違うからなぁ

スポーツの方が近いかもな

3キロぐらいの全力ラン→ゴールして賢者タイムタバコ代わりのスポーツドリンクを飲んで一服

みたいな

2023-02-09

入口付近喫煙所とも言えないような、ベンチと灰皿が無造作に置かれたのラーメン屋ってなんだかすごく許されたような気持ちになる

今日近場のラーショに初めて行って、ゴワっとした玉子麺にニンニクコショウたっぷりと絡めて啜って、食後に一服した時には至高の境地でした

2023-02-04

東大卒ニート休日

小中高と皆勤で、大学受験も2年間東大合格者のいなかった県立高校から東京大学文科一類に現役合格した。しかし、大学から何故か怠惰かつコミュ障を発揮。進振り法学部ではなく、今思えばどう考えても雰囲気が合わない国関にしたことから留年を何度も重ねてなんとか卒業現在地元の小さな塾でバイトを週2、3回入れて小遣いのみ稼ぎ、衣食住は実家寄生しているニートである

父は「まともな就職先を見つけろ」と口煩く言うが、「今更A.T.カーニーにも、アクセンチュアにも、ゴールドマン・サックスにも、三菱商事にも、官公庁国家総合職)にも入れないのにまともな就職先など軽々しく口にしないでもらいたい。大学に進学してすらいないあなた物差し物事判断しないで欲しい」と一喝して小言を撥ね退けている。

そんな僕の趣味ドライブであるAppleミュージックお気に入りアルバムを流しながら館山箱根静岡浜松などへ繰り出し、景色を堪能する。そして、現地のグルメに舌鼓を打つ余裕はないため、セブンファミマチョコホイップロールパンコーヒーを買い腹を満たす。今日コンビニのイートインでロールパンを食べ、外の灰皿で一服しながらこれを書いた。

2023-01-29

anond:20230129182837

チー牛って喘息持ち多いから酒と違って無理したところで一服たりともできないんやろうな

2023-01-18

終電新宿まで出てバルト9の深夜上映を観る。夜明けまでまだ時間がある頃に放り出されて、一服したら代々木辺りまでフラフラ歩き回る。冷えた身体ホープ軒のふざけた熱さのラーメンを流し込む。余力があれば明治神宮イチョウ並木に寄って、疲れてたら帰るも良し。

今週末のプランはこれや。

2023-01-12

隣の浪人生勝手イライラしてる

カフェ一服してるんだが、隣に浪人生がいる。俺も大学入る前に1年間浪人してたのだが、テーブル予備校教科書名前的に浪人生で間違いない。カフェの近くにその予備校がある。こいつが本当にイライラする。

別に俺はカフェ側の人間じゃないので、カフェ勉強迷惑だ云々の話をするつもりは一切ない。

こいつ教科書参考書を開いて勉強を始めて、五分もしないうちにスマホに手が出るんだよ。ちょっと参考書眺めてはスマホペンをとって始めたかと思ったら書きもせずまた参考書閉じてスマホ勉強してる時間なんてほとんどなく、ほぼスマホ背伸び

そもそも自分予備校時代には予備校自習室缶詰だったか帰宅以外で外に出た記憶なんて殆どない。陰気な風貌と顔も相まってすごくイライラする。スマホの電源切って自習室行って勉強しろよ。

2022-12-21

日銀サプライズ修正ドル/円反応:識者はこうみる

東京 21日 ロイター] - 20日に日銀長期金利の許容変動幅拡大を決めたことにドル円相場が反応。ニューヨーク外為市場では円が対ドルで4カ月ぶり高値を付けた。今後の相場について、市場関係者見方は以下の通り。

日銀決定の背景に政府意向か、ドル再上昇140円へ

ゴールドマン・サックス証券 チーフエコノミスト 馬場直彦氏>

日銀説明通り、今回の決定は市場機能改善を目指したものであろうが、同時に長短金利操作(YCC)を機械的運用しすぎ、円安効果が増幅されたことも一因ではないかとみている。さらに、政府与党から日銀金融政策の柔軟性を求める発言が多くなってきたことも関係しているのではないか

米国来年2月と3月、5月に0.25%の利上げを実施すると予想している。ターミナルレートは5%強で、米10年債利回りのピークは年後半に4.25%となる想定だ。現在の水準からやや距離はあるが、日銀長期金利の変動幅を拡大しても、ドル高/円安は再び進行し、140円を超えるような水準へ到達する可能性がある。

日銀政策修正を巡る思惑強まれば、125円まで下落も

クレディ・アグリコル銀行資本市場本部シニアアドバイザー斎藤裕司氏>

前日の日銀決定会合での長期金利の許容変動幅拡大はサプライズ。米連邦準備理事会FRB)は利上げペースを鈍化させ、市場米国リセッション懸念から、23年末に利下げに転じるとの見方が強まる中、日銀金融政策を転換させるのは難しいと思っていた。ただ、改めて考えると、イールドカーブコントロール(YCC)のさらなる変更やその先のゼロ金利撤廃を見こして新執行部に対する一番重たい舵を切ったのではないか。また、リセッションさらなる織り込みが進めばタイミングを逃す可能性があり、時期は12月しかなかったのだろう。

次の日銀総裁に交代するまでにさらに調整が必要可能性がある。日銀によるさらなる政策変更やいずれマイナス金利を解除する可能性がでてくるとみられ、海外勢や投機筋など市場参加者は一段の円金利の上昇はありうるとみている。一方で、米金利は上昇が一服していることことからドル/円は下方向に向きやすい。

足元のドルは8月初旬に付けた130.40円がサポートとなり、下げ止まっている。ただ、2022年の高値安値の半値である132.70円を割り込んだことから、次は61.8%戻しの128.10円が視野に入ってきた。また、弊社調査部FXモデルを基にした試算によると、125円程度まで下落する可能性があるとみている。

レンジを切り下げながら緩やかな円高方向に

あおぞら銀行 チーフマーケット・ストラテジスト 諸我晃氏>

ドル/円はレンジを切り下げながら緩やかな円高方向に向かうとみている。前日の日銀決定会合での長期金利の許容変動幅拡大は市場の織り込みがなかったため、サプライズとなった。日銀来年の早い段階で修正に踏み切るとみていたため、行動が前倒しとなった格好だ。

日銀の決定を受けて米金利が上昇したことから短期ゾーンを中心に日米の金利差は変わっていない。日本貿易赤字はいずれ縮小する可能性があるものの、目先は実需によるドル買いが続き、ドル/円の下値を支える。

一方、投機筋の円売りポジションの構築は見込めず、短期的な円ショートのアンワイドが入りやすいほか、オプション市場でも円高方向のヘッジをいれてくるだろう。投機筋のポジションがなくなるため、ドル/円の上値は重くなる。

心理的な節目で、一目均衡表(週足)の雲の上限になっている130円を維持できるかがポイントだ。同水準を割ると127円-128円が下値として意識されやすい。

日本インフレ賃金上げを確認できる形で2%を超えていくのかが今後の注目。米国の景気が悪化していく中で、明確な数字がでてきづらいのではないか。現時点では日銀イールドカーブコントロール(YCC)のレンジを引き上げるという思惑があるものの、当面現行のプラスマイナス0.5%程度を継続していくとみている。その場合日銀に関する材料は剥落し、その後は米景気動向テーマとなっていく。

ドル130円前後でいったん底入れか

<JPモルガンチェース銀行 市場調査本部長 佐々木融氏>

日銀が決定した長期金利の変動幅拡大と国債買い入れの大幅増額は、利上げでも金融引き締めでもなければ、金融緩和政策からの出口でもない。安定的な2%の物価上昇目標の達成はまだ見通せず、金融政策の枠組みや出口戦略について論じるのは時期尚早だと考える。

11月以降の日米10年国債金利差とドル/円の相関関係から試算すると、現在金利差と整合的な水準は136円半ば。日銀の決定を受けて5円程度、円高方向へシフトしたことになるが、この程度の振れは今までにもあった。

これが元の相関に戻るかが注目点になるが、ファンダメンタルズ考慮すれば、短期的に130円前後でいったん底入れし、来年にかけて140円台へ切り返す可能性があると予想している。

中長期の通貨の強弱に影響しやす短期金利でみると、日本世界政策金利の加重平均値との差は、既に390bpまで拡大し、円キャリートレードが活発化した2005─07年のピークに近づきつつある。

日銀金利を引き上げるめどはたっていない。今後マーケットボラティリティが低下した場合、円キャリートレードが活発化するとみている。

https://jp.reuters.com/article/japan-economy-boj-idJPKBN2T5054

2022-12-02

これが粋な一日ってやつよ

37歳バツイチ男の1日

・朝起きたら作業着に着替え、アパートの前の自販機ブラック缶コーヒー買って飲みながら出社。

社長奥さんが作るおにぎりを仲間とかっ喰らって仕事開始。昼休憩までには手も爪も鼻の中まで真っ黒。

・昼飯。今日豚汁とメンチとコロッケ毎日社長奥さんと、専務やってる社長の弟の奥さんが作ってくれる。

・午後の仕事開始。何回もパクられて高校中退してここに入ってきた威勢だけ良い新米のガキがもうだらける。作業状況、機械位置安全確認してから蹴りを入れる。

・午後の休憩。工場の前の自販機にあるブラックコーヒーカフェイン増量のペプシタバコ一服大人雑誌を読んだり昼寝したりパチンコ の話で盛り上がったり過ごし方は人による。新しく高卒で入った真面目な新人は休憩中いつも車。ベトナムの奴らからベトナム仲間が経営してるオススメの裏風俗情報を聞き出す。

作業再開

・終業。ベルが鳴ると開放感が半端じゃない。爪もつなぎも手も真っ黒。

社長から給料を前借り。若いガキ共とベトナムたちを連れてこの服のまま入れる居酒屋へ←今ここ

手取りは約400万。そっからサラ金への借金の返済や元嫁への養育費3分の1がごっそり持ってかれる。俺一人だったらサラ金の返済も元嫁への養育費も払えてないだろうけど、社長奥さん計算して毎月分の返済と養育費をあらかじめ抜いてサラ金と元嫁に振り込んでくれてる。

タバコ吸える場所がどんどんなくなっていってるわけだけど

もはや最高の一服するためにラブホ入ってデリヘル呼んでる気すらする

2022-11-10

anond:20221110010057

一服

あー喫煙者か。失礼だけどあんたの親とか家族も言ったら悪いけど下流寄りじゃない?コメディアンとか芸術家別にして、努力適正ある成功者喫煙者は少ない。タバコ自体の害が悪いんじゃなくて疲れると嗜好品流れるってところがミソ。YouTubeとかタバコと酒とか嗜好品に流れやすいのは遺伝だと割り切って、上流を目指さず現状で幸福になれる方法を考えたほうがいいよ

anond:20221110005807

自己研鑽のための具体的な意識の仕方を教えてくれ。俺だってやりたいことも勉強したいこと一杯ある。でもこういう相談すると大抵「頑張れないってことは本当はやる気ないんでしょ?」とか言われるんだ。違う。やる気だけはあるんだ。計画もやることリスト毎日立ててる。

でも仕事から帰ってクタクタのまま一服するともうYouTubeまとめサイトに抗えないんだわ

2022-11-03

明日禁煙一週間か

今日までの報告としておく

今のところは一服やる気はないので禁煙継続

宣言して禁煙の引っ込みをつかなくするためのものだったので増田に礼を言うのみだ

2022-10-23

鬼滅の刃嗅覚人間の本性その他の話(1)

 世間流行の移り変わりとは無関係に、私は度々『鬼滅の刃』の原作単行本を読み返しているのだが、またも同作を読んでいる。

 ここ最近の読み返す切っ掛けの一つとなったのは、例によって金関丈夫の『木馬と石牛』である。何度目だ。

 ひとまず最初に紹介しておく金関丈夫論文は「わきくさ物語」と題する一篇である

 これは、腋臭(わきが、えきしゅう)や体臭肯定的に捉えるか否定的に捉えるか、その相違について、人類学的な統計データに基づいて西欧人と東アジア人の腋臭体質の多寡(出現頻度)を比較するとともに、東西文学作品や文献に於ける腋臭体臭に関する記述比較したという内容である。今さら気づいたが、論文題名は『若草物語』のパロディである

 金関丈夫の論旨を大雑把にまとめて紹介すれば、次のようなものである。「人類学的に見て、西欧人の集団では腋臭体質の人の出現頻度が高く、日本中国などの東アジア人の集団では出現頻度が低い。それに呼応するかのように西欧では、身体臭い肯定的に捉えて讃美する詩や文学作品が見出される。それとは対照的日本中国では、身体臭いを讃美する文学作品記述は見られない。ひどい体臭の人が周囲から疎んじられるといった、否定的記述内容は見出される。日本文学においては、田山花袋の『蒲団』など西洋文学の影響を受けた近代の少数例を除けば、体臭文学存在しなかったのではないか」云々。これも今さら気づいたが『大衆文学』の駄洒落である

 それはともかく、かのナポレオン愛人に宛てて「近々戦場から戻るから風呂に入らずに待っているように」と手紙を書いたという有名な挿話を知っていると、金関丈夫の主張にも頷けるところがある。

 しかし、体臭文学に関して言えば、確かに金関丈夫の言うとおり国文学の中では劣勢なのかもしれないが、嗅覚のものは、時代の変遷や題材の違いによる差異はあれども、国文学においても大なり小なり着目したり描かれたりしてきたのではないかと思う。源氏香(※)のような遊びが生まれたぐらいなのだから香り匂いを味わうことの悦びを昔の日本人も持ち合わせていなかったわけではないだろう。それにまた、腋臭のような刺激的な匂いに対する肯定的記述が見られないからといって、体臭のものに対する愛好癖が日本人の間に存在しなかったとまでは断言できまい。好ましくない体臭に対する認識があったのならば、好ましい体臭に対する認識があってもおかしくはない。したがって、いま少し詳細な再検討必要ではなかろうかと思われる。[※注:源氏香は、室町末期以降の遊びであるが、源氏物語各巻の見出し源氏香の記号が付記されるようになったのは明治以後のことらしい。また、その記号は、組合数学テキストで例として挙げられることもある。]

 とまあ、こういった具合に「わきくさ物語」を読み直したことが切っ掛けで、嗅覚について色々と思いを巡らせていたところ、竈門炭治郎のことも連想して『鬼滅の刃』を再読し始めたという次第である

 ところで、上に述べたとおり、私は金関丈夫の主張に対しては批判的な考えを抱いているわけだが、そのような批判的思考は私の独創ではない。以前に読んだ本の記憶から「はて、国文学でも、それなりに嗅覚重要視されていたはずではなかったか?」と思ったので、金関説にも疑問を抱いただけなのである

 さらに、その時に本で読んだ内容には『鬼滅の刃』を妙に連想させる記述も含まれていたと記憶していた。そこで本棚を漁ってみたところ、それらしきものを再発見した。次に、それを紹介しようと思う。

 『鬼滅の刃』の主人公たちである竈門炭治郎、我妻善逸、嘴平伊之助の三人が持つ優れた感覚は、それぞれ、炭治郎=嗅覚、善逸=聴覚、伊之助=肌感覚(触覚)である。炭治郎や善逸は、相手人間か鬼か、人間であれば善人か否かを、これらの感覚によって看破できることは、漫画を読んだりアニメを観たりした人ならばよくご存知のことと思う。

 この三感覚と同じ取り合わせを、私が目にしたのは、小松和彦の著書『神々の精神史』(講談社学術文庫)に収録されている「屍愛譚(しあいたん)をめぐって 伊弉諾(いざなぎ)・伊弉冉(いざなみ)二神の冥界譚を中心に」と題する論文の中であった。

 まず、私が『鬼滅の刃』を連想させるもの記憶していた箇所を、少し長くなるが同論文から引用しておこう。

 「男と女の愛の語らいは、昔から夜中に行なうのが一般的であった。言い換えれば、愛とは、第一次的に視覚依存するものではなく、香り(嗅覚)や声・物音(聴覚)あるいは肌触り(触覚)のなかからかに創り出されるイメージの、想像力による夢幻世界における営みであった。そして、日本女性美の一つは、この視覚的な隔離から発生しているともいえよう。『堤中納言物語』の「虫愛づる姫君」のなかに「鬼と女とは人に見えぬぞよき」とあるが、この言葉が苦しまぎれに吐かれた言葉にせよ、実に見事に女の美のあり方を、愛のあり方を示唆している。」

 奇しくも、小松論文の中で三つの感覚が挙げられる順序は『鬼滅の刃』の物語主人公たちが登場する順序と一致している。果たして吾峠呼世晴は、小松和彦論文著作を読んでいたのかどうか。真実は分からないが、そういった想像をしてみるのは楽しいことである

 さて、小松和彦論文は、国文学などにおいて見られる、妻・夫・愛人などに先立たれた人が、パートナーの亡骸を屍姦したり冥界を訪れるという物語記述について論じたものである。その中でも題名のとおり特に、亡くなった妻のイザナミ恋しさに黄泉の国を訪れたイザナギ物語、そこで語られる覗き見の禁忌、その侵犯について考察している。

 死して黄泉の国の住人となってしまったイザナミは、自分を現世に連れ戻すために訪れた夫イザナギに対して「それでは、現世に戻れるのかどうか、殿内に入って黄泉の神と協議します。私を待つ間、決して中を覗かないようにして下さい」と言い残して黄泉殿内に籠もる。しかし、妻と黄泉国神との協議が終わるのを待てなかったイザナギ禁忌を犯し、黄泉の国におけるイザナミの変わり果てた姿(肉体が腐敗して蛇に集られている有り様)を覗き見てしまったがために、彼女は現世に戻ることが不可能となり、二人は別れざるを得なくなる。

 この禁忌を犯す場面において、イザナギは彼の御髻(みみずら)に挿していた湯津爪櫛(ゆつつまぐし)を抜いて、それに火を灯してから黄泉の国の殿内を覗き見るという筋書きになっている。この灯火を焚く必要があったということは、つまり黄泉の国でイザナギイザナミが語り合ったのは、闇の中であったことを示している(そうでなければ、黄泉の国で最初に再会した時点で、イザナミの肉体的変貌にイザナギは気づいていたはずである)。ここには、現世でも黄泉の国でも何ら変わることのない「男女の愛の営みや語らい(ピロウトーク)は暗闇の中でこそ行われる」という形式がある。

 小松和彦論文でも指摘されていることであるが、日本イザナギイザナミの冥界譚やその他の屍姦譚・屍愛譚には、中国大陸の物語から影響を受けた節が窺える。小松論文でも紹介されているが中国東晋時代書物『搜神記』における屍姦譚の一例として、次のような話がある。

 美しい女性結婚した男が、妻から「私は普通人間ではないので、結婚してから三年経過するまでは、夜、明かりで私の姿を照らさないで下さい」と言い渡され、それを守りながら夫婦生活を送り、二人は子まで設けた。しかし、どうしても夫は我慢が出来ず、ある夜、明かりで照らして妻の姿を見てしまった。彼が目にした妻の姿は、腰から上が普通人間女性で、腰から下は干からびた白骨というものであった。妻は「私は死者であるが、あなたが、あと一年だけ我慢して私の今の姿を見ないでいてくれたならば、完全に蘇生することが出来たのに。しかし、あなたが禁を破ったがために、最早それは叶わなくなった」と言い残し、形見として袍(うわぎ)の端布と二人の間に生まれた子を残して、男の元を去ってしまった。その端布を持って嘆き暮す男のことは、スイ陽王(スイは目偏にオオトリ旁)の知るところになり、袍の端布が王の若くして亡くなった娘姫のものと同じであったこから、娘姫の葬られた墓を暴いたとの嫌疑で男は取り調べられることになった。男が語った事の経緯を信じられない王と家来が、娘姫の墓を検分したところ、墓暴きに遭った形跡も認められず、念のために墓内に入って棺も確かめると、袍の裾が棺の蓋の隙間からはみ出ていた。それを見て「さては、本当に墓を抜け出して夫婦生活を送っていたのか」と、王も家来も信じるようになったとの由。この生者の夫と幽霊の妻も、彼らの愛の営みを、妻の申し渡した禁忌を犯さないように、明かりの無い暗闇で行なっていたことは確実である

 イザナギイザナミ冥界譚と『搜神記』における人間・死者婚姻譚との間に共通するのは、妻の本当の姿を見ることの禁忌、それを夫が犯したために妻の蘇生が叶わないという点である

 特に前者の覗き見の禁忌について、小松和彦考察し、その本質は「女性が『ありのままの姿』を公に晒すのは好ましくないという、昔日の社会における男女観・価値観倫理観の反映」であり「女性の本性を覗き見ることについての禁忌」だったのではないか推理している。それを裏付けるかのように、生者であるパートナーに対して自分の本当の姿を見ないように要求する死者の話は、圧倒的に女性要求する側であることが多いのである。また、禁忌を犯した夫イザナギに対するイザナミの怒りの言葉は「吾に辱(はぢ)見せつ」(私に恥を晒させた!)というものであるさらに、類似物語として、豊玉姫(トヨタマヒメ)が出産の時、産屋に籠もり、それを彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト)が覗き見ると、豊玉姫の正体はワニ(サメ)の姿であったという話もまた、女性の本性を見る禁忌の事例として挙げられる。

 死者にしろ生者にしろ、隠れている女性の姿を覗き見る男の性向というのは、時代を下っても変わらない。例えば『伊勢物語』の「むかしおとこうゐかうふりして」という出だしで有名な最初の一篇でも、田舎には不釣り合いな雅やかな女性が里に暮らしていることを知った主人公(在原業平)は、垣根の破れた所から彼女たちの姿を覗き見る。ずっと時代を下った現代においても、男性向けアダルトコンテンツは、視覚表現重要性を持つことは周知の事実である。このように、イザナギ在原業平の昔から変わることなく、男性は「視覚的な欲求」を満たすことを強く好むと言って間違いない。

 ところで、この「屍愛譚―」論文を再読し、期せずして気づいたのであるが、論文の著者である小松和彦の行なう考察もまた(覗き見の禁忌を論じて考察する必要から、当然のことではあるとはいえ)、やはり「視覚範疇」に留まっている。これもまた、視覚を重視する男の性向の顕れと言えるかもしれない。しかも、上に引用した箇所で「夜の闇の中での男女の愛の営みや語らいにおいては、嗅覚聴覚・触覚が重要である」といったことを述べているのにも関わらず、同論文は、それらの三感覚重要な働きを示している国文学上の具体例を、特に挙げてはいないのである。あるいは、国文学に詳しい人たちからすれば周知の事実なので、態々挙げる必要がないとして言わなかっただけのことなのだろうか?

 とりあえず、男女の機微の話は後回しにして、ひとまず、妖怪識別する手段としてのこれら三つの感覚について、話を進めることにする。

 聴覚妖怪識別に用いる事例は、比較的容易に見出される。例えば、誰そ彼(たそかれ)時・彼は誰(かはたれ)時・夜のように、人間なのか物の怪なのかを視覚的に区別をつけ難い時、相手妖怪が発する声によって正体を見抜くという事例は幾つも見つけられる。カワウソなどの物の怪は、人間から「誰じゃ?」と問いかけられると「俺じゃ」と言えず「おねじゃ」とか「かわい」などとしか言えないので、正体を見破られてしまうという。これは、言霊の力とも解釈できるが、音声(聴覚)による正体識別の事例と考えても許されるであろう。また、仮に人間の方が話し掛けたり問い掛けたりしなくても、妖怪の方から自発的に何らかの独特な声や音を発してくる(アズキアライ・テングダオシのような怪音、ヤロカ水の怪しい呼び掛け声など)ので、それを聞けば正体が分かるという例もある。これらも聴覚による妖怪識別に含めてよさそうである

 触覚の方はどうだろうか? 例えば、厠(便所)で河童などの物の怪に人間が尻を触られるという怪異の話は数多い。そして、それらの怪異譚は「毛むくじゃらの手である」といったような、通常の人間とは何かしら異なる手触り・肌触りの特徴を持つことを窺わせる描写が伴うことが多いように思える。厠が家屋の中では暗い場所に分類されることを併せて考えれば、これも視覚には頼り難い状況下で、触覚により妖怪識別する事例と考えることが可能ではないだろうか。他には、猟のために山に分け入った猟師が、夜になり「これでは鼻を摘まれても分からないな」と独り言を呟いたところ、突然「これでもか?」と何者かの手に鼻を捻られたという怪異譚もある(参考:千葉幹夫『全国妖怪事典静岡県の部)が、これは残念ながら手触りについて伝えていない。しかし、このように暗い場所時間帯において、物の怪に身体の一部を触られるという怪異譚は、枚挙に暇がない。これらも触覚によって人か物の怪かを判断するという事例に含められないか否か、再検討してみるべきかもしれない。

 問題は、嗅覚により妖怪識別する話や本性を看破する話なのだが、残念ながら今のところ、これといった事例を見つけられずにいる。逆に、妖怪嗅覚の方を利用し、何らかの臭いを発するもの人間が用意することで魔除けにするという事例ならば、比較的容易に幾つも見出だせるのであるが。例えば、焼いた鰯の頭を魔除けとする例は有名である。また、今でこそカカシといえば田圃に立つ人形のことであるが、日本神話でオオクニヌシスクナビコナと出逢うくだりに記されているように、本来の古い和名はソホド乃至ソフドである。それがカカシと呼ばれるようになったのは、稲を荒らす鳥を追い払うのに、鳥の死骸を焼いたもの竹竿の先に紐で括り下げて掲げるという風習があり「臭いを鳥に嗅がせる」という意味でカガシと呼んでいたものが、鳥避け人形混同されるようになったかである。上に挙げた鰯の頭も、ヤイカガシ・ヤッカガシ(焼き嗅がし)と呼ぶ地方があり、明らかに鳥避けのカガシと同じである。他にも、山中でタヌキやムジナの類いに化かされたことに気づいたならば、煙管(煙草)を一服すれば妖怪は逃げていくとか、小便をすると臭いを嫌がる妖怪を避けられるとか、人間嗅覚ではなく妖怪嗅覚を逆手にとって利用して払う例は多い。

 小松論文では具体例が挙げられていないものの「視覚的に本性を見ることが禁忌とされた状態特に暗闇の中で、何者かと一対一で対峙する状況において、重要役割を果たすのは、嗅覚聴覚・触覚である」という見解は、説得力を感じさせられるものであることは確かである特に、愛の営みに関しては、そうである人間がお互い裸一貫となって同衾する時、見た目の虚飾は、ほぼ通用しなくなるのだから。したがって、これら三感覚重要性が高まることは、必然であるように思われる。

 とはいえ「思われる」ということと、国文学などにおいて実際にどのように捉えられていたのかは、もちろん別問題であるから、これは検証必要があるだろう。あるいは(素人である私に言われるまでもなく)既に専門家の間では検証済みなのかもしれない。国文学中の、特に男女の愛の営みや語らいにおける三感覚が占める役割について、どのように描かれ、語られてきたのか、可能ならば識者の見解を知りたいものである

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 さて、私は上で、男女の機微の話を後回しにして、妖怪の正体を識別する感覚的な手段の話をすると書いた。そこでいよいよ、男女の機微、すなわち異性のパートナーのことを暗闇の中で知る手段としての嗅覚聴覚・触覚の三感覚について論ずる順番がやって来た。といっても、上の文章を読んでもらえば分かるとおり、専門的な知見を私は持たない。そこで、識者の見解とは無関係に、今の私個人が思うところを書くことにする。したがって、これより以下は全くの駄文である

文字数制限のため分割したので、続きは⇒anond:20221023224411

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