はてなキーワード: タイガーとは
少し時間が経ってしまったが、アニサマのレギュレーションに端を発した『コール禁止論争』について持論を書き殴ってみる。
中立の立場で書いているつもりだが、中立ゆえに少々過激な内容となってしまっているのでご了承いただきたい。
興味なければ読み飛ばしてください。
私自身はアニソンライブに年15~30回程度参加して10年以上になるアラサー男性である。
最近では特定のタレントを追いかけるというよりも、作品推しのスタンスで参戦する事が多くなっている。
渦中のアニサマについては代々木時代に1回、さいたまスーパーアリーナに箱を移してからはほぼ毎年参加している。
いわゆるオタ芸については遠い昔に嗜んでいたこともあったが、色々あって今では現場で打つことはない。
それゆえに近くでオタ芸を打たれることや過激なコールに対しての嫌悪感は他の参加者より小さいほうだと自認している。
この件の一番の問題点は、『言葉の定義が曖昧であること』だと感じている。
人間というのは文章を読んだ際、自分に都合の良いように解釈する動物だと常々思っており、「周囲への迷惑となるコール」だとか「いわゆるオタ芸」なんていう曖昧な言葉を使っている限り、全員が納得する形で議論が収束することは永遠にありえないと断言できる。
ネット上でこの件について言及している方の意見に目を通していて気付いた事として、オタ芸に見識のある人の言う「オタ芸」と、オタ芸に疎い人(忌避する人、規制する側の人を含む)の言う「オタ芸」にズレが生じている事が散見される。
(余談だが、「オタ芸」と「ヲタ芸」は異なるものだ!という意見も見かけたが、個人的には表記ブレの範疇かと考える)
例えば、オタ芸の一つに「タイガー」というものがある。(タイガーファイアー…と叫ぶアレとは別物なのであしからず)
これは、直立不動で動かずにステージの演者に熱い視線を送る行為のことを指し、虎視眈々と獲物を狙う虎の様相を語源としている。
参考⇒https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%BF%E8%8A%B8
オタ芸が禁止と明示された際に、オタ芸を嗜む人が規制側に対して「タイガー」もしては駄目なのかと質問すると、
「ここで言うオタ芸とはそういう言葉遊びの事ではなく、腕を大きく振りまわす等の迷惑行為の事を指している」という回答が返ってくる可能性が極めて高い。
(誰とは明言しないが、実際にそういう回答をした人を見かけたことがある)
オタ芸を忌避する方々もこのような一見不毛と思われる似たようなやり取りを見たことがあるのではないか?
ここで私が疑問に思うのは、オタ芸に見識のある人が「タイガーはオタ芸」と定義しているのに対して、
オタ芸に疎い側が「タイガーはオタ芸ではない」と断定し、あまつさえその認識のまま公のレギュレーションに明言してしまう。
このいい加減さ、傲慢さは何だろうか?
前項にも記したが、人間とは自分に都合の良い解釈をしてしまうものである。
運営はもっとオタ芸の勉強をしろ!などと言う気は毛頭無いが、せめてこの差を認識し、万人が納得できるような言葉使いを意識して頂きたい。
自己紹介でも述べたが、私は過激なコールに対しての嫌悪感はあまり感じないほうだ。
平たく言ってしまうが、近くでイェッタイガーと叫ばれても全く不快だとは思わない。
(もちろん綺麗にキマっている事が前提だが)
一方で、広く浸透しているが私は不快だと感じるコールも存在する。
具体的に一例を上げるのであれば、THE IDOLM@STERのAメロの「フワ*4」が有名だろうか。
少なくとも2ndライブぐらいまでは裏打ちで「ッハイ!ッハイ!」だったが、いつの間にか前述の「フワ*4」に変化し、定着していた。
Aメロで「フワ*4」を入れること自体が比較的珍しいゆえに型破りの感があり、個人的には当時のコールの方がしっくりきており、現場で現在主流のコールを聞くといまだに強烈な違和感に襲われる。
乱暴に言い換えると、私の周囲で「フワ*4」する行為は『周囲への迷惑となるコール』に他ならない。
今回主張したい事とは主旨がズレるため、この曲のコールとしてどちらが正しいか・相応しいかを論ずる気はないが、そういった考えを持つ人がいることを知っておいてほしい。
結論としては、『周囲への迷惑となるコール』という言葉は非常に曖昧で、個々人によって定義がまったく異なるという事である。
前項と同じく、万人が納得できるような言葉で記さないことには根本解決には至らないだろう。
最後に、ライブイベントにおけるコールというものに対して、持論を述べさせてもらう。
コールという文化は地域や風習によって異なる『言語』に特性が似ていると感じている。
遠い異国に行けばまったく異なる言語でコミュニケーションを取っていたり(V系のヘドバンあたりが顕著だろうか)、
別の地域や閉じられたコミュニティには『方言』や『スラング』というものが存在する。
若者言葉が時を経て全ての世代に定着するように、コールも時代とともに少しずつ変化している。
かつてPPPHがアイドルライブから声優ライブに輸入され定着したように、時には外来語が定着することもあるだろう。
よく話題に挙がるイェッタイガーも新語の一つとして認知を広めつつあるが、使い勝手が悪ければ大衆には根付かず廃れる、
あるいは一部の人だけが使用するスラングのような立ち位置になるのではないか、などと根拠もない憶測をしている。
自身が新しい言葉を使わないまでも、古きに固執し、新しい文化を受け入れない頑固な人物は
自分自身が変化を受け入れられていないことを棚に上げつつ理想を言わせてもらえば、文化の違いを認識し、変化を受け入れる柔軟さを持ち合わせた上で、それぞれ自分のスタンスで好きなようにライブを楽しめればみんな幸せになれるのになぁ…なんて思っている次第だ。
りりぽん(須藤凛々花)の話題が色々あがってるけどさ、はてなで語られてることなんてどれもこれも的外れなんだよ。
れんぞくして握手会のレーンに並んだことは?
全員自分と同じようなおっさん達にもみくちゃにされながら、イェッタイガーを叫んだことはあるのか?
部屋で一人、すがるような気持ちで推しの選抜入りを祈ったことは?
無い袖を振りに振りながら、何十枚と同じCD(ジャケットだけは数パターンある)を買ったことは?
いままで無名だった推しが、ちょっとメジャーになって嬉しいような寂しいような気持ちになったことはあるのか?
はてなでは、今までAKBGに全然関心を抱いてこなかったような奴らが見当違いの批判をし、メディアやまとめサイトは面白いおかしく極端な意見だけを世間に見せる。
アニサマが「コール全部禁止」から「人に迷惑のかかるコール禁止」になったことに関して、
「結局こんな禁止要項あってないようなものじゃんw」「コール全部禁止か全部オッケーのどっちかしかないでしょw」って言ってる人達。
本当に「アーティスト側がやめてほしいと思っているコール」とそうでないコールの見分けがつかないの????嘘つくなよ。
コールって、「一体感」が欲しくてやるものでしょ。見たことあるだろ?田村ゆかりとかあの辺の、揃いすぎててキモいとか言われるタイプのやつ。アレがコールだよ。
結局は「皆でやるか」「皆でやらないか」なのよ。「PPPH」も「はい!はい!」もやるだろ皆。ライブで。曲自体に入ってるコールとかも。
コールをやらないライブもある?そういうライブはそもそも「迷惑なコール・そうでないコール論争」にならないだろ。今回の議論には含まれない。
んで、厄介と呼ばれる人達(もうそうやバレて時点でアウトなことに気づけよ)がやる、「イエッタイガー!!」とかそういうコール。
みんなやってます????やってなくないですか????あなたと、あなたのお仲間と、その同類しかやってなくないですか????
そりゃ目立ちますよ、所謂曲の合間の比較的静かな場面でいいますもんね。コールが「目立っている」時点でそれはもう少数派の証拠でしょう。
ってことはまず「一体感」は得られませんよね。じゃあなんでやるのか?「自分が気持よくなりたいから」ですよね?じゃあ辞めて下さいって話ですよ。
「お水おいしー?」とかもそうですよね。皆が静かにしよう、ってところで叫んで目立ちたいんですよね。大きな声出せば何言っても目立てますもんね。
っていうか、その「イエッタイガー」とかいうコールがアーティスト(今回はアニソン限定)に好意的に受け入れられているって話聞いたことあります????
「やめてほしい」って話しか見たことないんですけど、厄介な人達って自分が行ったアーティストの話には興味ない感じですか????まあそうか・・・。
というかね、これ、ぜっっっったいに皆わかってることだと思うのよ。
なのに厄介勢って「これじゃどこまで禁止かわからないでちゅ~!!」ってアホの振りしてやってるわけ。
それならまだしも、「イエッタイガーとかやめて欲しい」って言ってる人達叩いたり頑張って禁止要項の文言を考えてる運営叩いたり、ライブの外でも厄介。
「イエッタイガー」言いたきゃ客皆が「イエッタイガー」って叫ぶライブに行けばいい、それだけのことがなんで出来ないのよ?
「オタクの声聞きたくない、コール全部禁止して」って意見はわかる。
でもアニサマに関しては、「コールなしでは成立しない」って運営が言ってるんで、それはもう仕方ない。コール禁止のライブ、出来るといいよねほんと・・・。
上の件、リリースされるや否や、まとめサイト等が「今年のアニサマ、コール禁止www」みたいな記事を作って
オタ芸と称される応援行為に見られるものの事(最近話題のイエッタイガーなど、歌の最中に脈絡なく叫ぶやつ)なのはわかるはずなのだが、
「コール」自体がコール&レスポンスみたいに広く使われている単語だから、
そこだけ見て誤読しちゃう人が出てくるのはわからんでもない(運営に返金しろとかいうのは理解不能だが)
デリケートな問題なんだから、もう少し言葉を工夫する必要があったと思う。
その中でコールそのものの禁止ではないことが明言されていたので、誤認識はおさまってくると思われるが、
こういう記事になること自体、広報しっかりしろと思わされるし、
ところで、今回気になったのは、エンタメ系のwebニュースサイトの一部にすら誤読を促す記事をあげ、
中でも、曲中に合いの手を入れて歌手を応援する「コール」の禁止に、ネット上では「コール禁止って厳しすぎでしょ…」「コール禁止ってどこまでなんだろ、、、? 呼びかけとかもなくなるのかな? そういうの好きなアーティストさんやりづらそう。。。」「アニサマのコール禁止はさすがにやりすぎじゃん? ライブの意味なくね」と困惑が広がっている。
注意事項にはオタ芸=迷惑行為の文脈で記載されている「コール」のことを、出演者を応援する「コール」のことと誤読し、
アニサマが応援行為そのものを禁止しようとしているかのような記述を、同様に理解した人の批判とともに載せる。
アイマスライブのイェッタイガー論争は本質を捉えていない http://blog.livedoor.jp/ryo7927/archives/71019923.html
概ね同意なんですが、この意見こそ「議論の論点ずらし」、本質を捉えていないというか無理やり話をそらしているように感じます。
まずそもそも「コール」自体が本来「好ましいものではない」です。理由はもちろん、「歌手の邪魔をするから」であり、「客が気持ちよくなるため行われる行為だから」です。
しかし、コールには「歌手のテンションをあげる」という面あります。「客」にも「歌手」にもメリットがある。なので、「ライブ中に声を出すコールという行為は受けいれられている」というのが、基本的な状況です。
基本のコールである「ハイ!」や「フゥー!」は合いの手であり、リズムに合わせて入れるものです。ライブだけでなく、パーティーなどで囃し立てる時にも言ったりしますね。
また、元々の曲に入っている台詞や合いの手などを入れるのも、リズムに合わせて入れるものです。なので、一応基本的に曲の邪魔はしません(例外もありますし、声の大きさで歌声が聞こえないなどもありますが)。
さて、問題は歌い出しから次の歌い出しまで、つまり歌がなく会場が曲だけになる場面で入れるコールです。「イエッタイガー」もこれにあたりますね。
アイマス曲で言うと、「乙女よ対しを抱け」の「急がばまっすぐ進んじゃおう!」や「s(mile)ING」の「はっしー!」や「恋のレッスン初級編」の「LOVEラブリーマチコ!」など(ちょっと違う気がしますが、わかりやすい例として一括りに)。
これが許されているのは、意味があるからです。「歌手の名前」「キャラの名前」「歌詞に対するリアクション」などなど。しかし、「イエッタイガー」には意味がありません。
「はい」「フゥー」と同じく意味が無い合いの手としてスルーできるほど短くないですし、歌と歌の合間に入れるため目立ちます。
前述したものは、「歌手のテンションをあげる」面があります。しかし、「イエッタイガー!」という意味不明な単語を叫ばれてテンションの上がる歌手はまずいません。さらに、これは「客が気持ちよくなるため」という面が他のコールよりも大きい。
「お水おいしいー?」と同じで、「静かな場面で自分の叫び声を響かせたい」「とにかく長めの言葉を叫びたい」という感情から行われる行為です。「イエッタイガー」が成立した経緯は知りませんが、「はい」や「フー」を入れられない場面でもとにかくコールが入れたい!っていう理由から生まれたのではないでしょうか?それが成立するのは、「とにかく歌手も客も大騒ぎしたい」というタイプの現場だけです。
アイマスの現場はどうでしょうか?現状だと「はい!」や「フー!」とは違い、「イエッタイガー!」は「今言った奴がいるな」と分かるくらいに目立っています。ということは、受け入れられていないのでしょう。
好ましく思われているなら、「恋のレッスン初級編」の「LOVEラブリーマチコ!」の様にいつの間にか大多数の人が言うようになり、目立たなくなることでしょう(歌手本人が私の名前ではなくキャラ名を言って欲しいと明言されていたそうですが、すでに浸透い過ぎていてそのまま)。
偉そうにつらつらと書いて来ましたが、「絶対に禁止だ!!」と言っているわけではありません。
ただ現状、アイマスライブにおける「イエッタイガー」は「好ましく思われていない」というのは事実です。
その事実を踏まえた上で、「周りなんかしらねぇ、とにかく俺は自分が気持ちよければいい」という考えの人。私は、好ましくは思えません。
燃料基地を二つとも奪取され溢れかえる戦車の前に我軍は吹き飛ばされた
なけなしの燃料で作ったt-34/85も敵戦車を三機ほど撃滅したところで背後からパンターに襲われ鉄屑となってしまった
それでもなお私たちは戦ったタイガー戦車の目をかいくぐり敵後背に出現し後方に位置する砲撃部隊を撃滅しさらにそれを囮に使い
最期の切り札であるIS-2を召喚し敵左翼に対して猛攻を掛けたその作戦は成功し敵は一時的に引いたそして……頭上に砲弾の雨が降り注いだ
私達が撃滅した砲撃部隊は本隊ではなかったのだそれから程なくして雪崩れ込んでくる戦車と歩兵部隊の前に私たちはあえなく包囲、殲滅された
『ブーブ』(VooV)とは、バンダイが2010年3月27日から発売している、車両の玩具である。
特徴は「変身※可能な模型」。模型の側面・前後を開き、ひっくり返して組み立てると別の車両が出来上がる仕組みとなっている。
「車両が別の車両に変形する」という機構を持つ玩具は、1981年にテレビ放映された『タイガーマスク二世』の主役専用の
スポーツカー・タイガーハリケーン(玩具名は『DXポピニカ タイガーハリケーン』)や1982年にポピー
(現:バンダイ・ボーイズトイ事業部)から発売されていた玩具シリーズ「チェンジマシン」、1990年にテレビ放映された
『特警ウインスペクター』の主役専用のパトカー・ウインスコード(ファイヤースコード。玩具名は『DXウインスコード』)等が
2010年12月24日からはアンパンマンの乗り物模型玩具に同様の機構を組み込んだ『チキチキ変身!』が、2011年8月13日からは
同『NEWチキチキ変身!』が同社より発売されている。
2013年11月より、大型ビークルとの合体機能が加わったVG(ブーブガーディアン)シリーズが、展開された。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%BC%E3%83%96_(%E7%8E%A9%E5%85%B7)
というのも、ここ一年アイマスライブに行き始めて思ったこと、ライブに行く層(常連組)の発言や行動を見て、少し思うところがあるからです。
さて、まずアイマスライブというのは現状4つあります。(12月のsideM単独ライブを除く)
・765AS
・上記三種の合同
ミリオンスターズは765プロですが、ミリオンスターズとしての単独ライブに765ASの中の人が来ることはありません。(初期のLTPリリースイベントは除く)
どれも現場の色というものはありますが、終演後に話題になるのは「フッフーフワフワが邪魔だった」「あの曲にコールは要らない」「隣のやつが暴れてて集中できなかった」「近くでタイガーなんちゃら叫んでる変なのがいた」「変な野次飛ばしてる奴がいた」など、毎回同じようなツイートが散見されます。
そもそもコールなんてしない人もいれば、コール入って(揃って)たほうが練度が高いと感じて好きな人、連番を身内で固めてMIXを打つ人など、それこそ10thのように38,000人いれば38,000通りの考え方があるわけです。
少し前、MIXがレギュレーション違反だという考えの人がMIXを打つ人におもちゃにされていましたが、ここでアイマスライブのレギュレーション(一部)を見てみましょう。
また周りのお客様のご迷惑となるような大声・奇声、公演の妨げとなる大きな音を鳴らす等の行為、両手を左右に激しく振る、腕を振り回す、上半身を反らすなどの過激な応援行為、過度なジャンプ行為も禁止させていただきます。
これを見る限り、アイマスライブでの定番として挙げられるPPPH・フッフーフワフワと、所謂MIXの明確な区別が為されてないように思えます。
「周りのお客様の御迷惑となるような大声」が何に該当するのかは判断しにくいところではありますが、少なくともPPPHもフッフーフワフワも大声であり、同じくMIXも大声です。
大多数がPPPHとフッフーフワフワをするアイマスライブにおいてはMIXは異端であることは間違いありませんが、レギュレーションで明確な区別が為され禁止と明記されていない以上は個人的な好みの問題だと考えます。
実際、どのような応援をしようと(他人に迷惑を極力かけない限り)自由だと僕も思います。個人的な話をしますと、ここ一年で僕の考えも相当変わりました。
当初はMIXが嫌いで嫌いで現場でやってる人はクズ、みたいな過激な考えでしたけれど、今ではそういう応援する人もいるんだな、と許容できるようになりました。好き嫌いで言えば好きな部類ではありませんけれども。
とはいえ、MIXを打つ人が超マイノリティであることは間違いありません。そういう人がライブ後にTwitterで言及されて反撃に出る際に「PPPHのが耳障り」だとか「この曲にフッフーフワフワ入れてる奴に言われたくない」という発言が出ます。
そもそも大前提として"コールは自由"というのがあって、MIXも許容できている人もいるのに、MIXを打つ当の本人がその前提を壊して反撃に出ている様を見ていると(攻撃・煽ってる対象の人と)同類だなあとしか思えないんです。
攻撃する≒反応するのがそもそもオカシイ、ということを言う人もいますが、前述したとおりアイマスライブにおいては超マイノリティな部類であり、
それに間奏中に他とは明らかに違うことを叫んでいる人は良くも悪くも目立ってしまうのです。しかし、超マイノリティなだけに掻き消されてしまいその人の回りの一部しか聞こえないことも確かです。
単純に考えれば、アイマスライブにおいて異質なそれを見た人が「○○って言ってる変な人がいた」と呟いているだけなことがほとんどなのでは…と思います。
アイマスライブに来る人はアイマスのライブ以外をあまり経験していないと言われている通り、それに比例してMIXを認知している人の比率も下がっていきますので。
郷に入っては郷に従え、とは言いませんが、MIXは異質なことを理解した上で自由にやってください。つまり、それを聞いた人に反応される覚悟をしてくださいということです。
逆に、MIXが嫌いだからといって排斥しろという考えを持つ人もそこを改めてください。レギュレーション違反ではない以上は、他人に迷惑をかけない限り自由な場なのがライブです。不快=迷惑ではありません。
実際にそのような組織があるわけではなく、ライブでのマナーに一家言ある人間や自治厨がそう呼ばれることがあります。
単純に"厄介"と呼ばれる人間が身内同士のネタとして使ってる場合が多く、その大部分はとても抽象的なものです。
この問題点は外部に対して対立の存在を誇張して示すだけでなく、実際に普通のアイマスPに対して対立を煽ることにもなってしまいます。
また、意識の高いPをアイマスペーと呼んで煽ることも本音を言うとやめて欲しいです…。
ここまで読んでみると現場で厄介行為をする人・ツイッターで炎上芸をする人だけを叩いてるようにも見えるかもしれません。そう思わせてしまったのならば自分の文章力に問題があります、すみません。
もちろん頭の硬いアイマスPに問題があるのもわかってます。この記事を書いたのは、相互理解ではなく相互を許容してお互いを無視できるようなライブ・コンテンツになってほしいと思ってのことです。現場でなくとも、ツイッターでもです。
現場で厄介行為をしなかったとしても、ツイッターで炎上芸をすればコンテンツの見られ方に影響してしまう可能性があることを頭の片隅に入れておいてくれませんか。どうかお願いします。
炊飯器作ってる最近話題のT社て言うと、タイガーじゃなくて東芝だよね?
ウチは表題のように東芝の炊飯器(RC-18VSA)使って7年以上経つけど、内釜のコーティングは剥げる気配もないけど。
メーカーによるし同じメーカーの中でも機種によるけど、内釜での洗米に対応しているものとそうでないのが有る。
高級機種だと内釜での洗米に対応且つ5年保証が付いてたりする。
やっぱ安物買うと丁寧に扱ってても駄目になりやすいのか。
それとも品質にバラつきあって、駄目だった時は保証対応するのも織り込み済みなのかな。
ま、保証期間内に駄目になって保証対応してもらえたなら、それで良いんじゃない。
私はそういうゴタゴタ面倒だから、高めの機種を買っといて正解だったな。
象印に乗り換えるつもりみたいだけど、同価格帯の製品買うなら品質も同程度だと思うよ。
て言うか、自分の主張に自信あるならメーカー名も製品名も明らかにして、増田なんかじゃなく価格.comあたりで主張すれば?
どーも!タイガー&ウァーナビーです!
「失敗って言葉、まじ救いがないと思いませんか?」
彼は我が職場の工場において3つ存在する「絶対に閉めてはいけないバルブ」のうち、何をトチ狂ったのか2つを連続して閉めるという史上初の快挙を達成した男だった。
当然、職場は大パニックに陥り、上へ下への大騒ぎ、鯛や平目の舞い踊り、といったとにかく大変な状態となったのだった。なんとかその苦難を克服し、職場の平穏が戻りつつあった時、彼は冒頭の言葉を言い放った。
職場内では、彼がライバル社のスパイであんな行動に出た、だとか、彼は専務の甥でコネで働くことになったが嫌々だったため解雇されたくてあんなことをした、だとか、バルブを閉めるときにアヤナィィィィィと叫んでいただとか、根も葉もない噂が蔓延していた。
そんな様々な噂が渦巻く中で、別の用件で彼と話をする機会があったのだ。結構おそるおそるで、彼が深刻な顔をしながらあの日のことを「神が直接僕の脳にバルブを閉めろと語りかけてきたんです、悪魔が来る日に備えて!」とか言い出したらどうしようかと思ったが飛び出したのは冒頭のセリフだった。
「失敗って言葉、まじ救いがないと思いませんか?」
彼曰く、今回の自分の行動はミスであり失敗である、それを痛切に感じているとのことだった。それを踏まえてなお、「失敗」という言葉の字面はあまりに無慈悲であると言いたいようだった。
「失敗」
読んで字の如く、失って敗れることである。ただ敗れるだけでなく、失うことまでセットと読むこともできる。完全に踏んだり蹴ったりだ。
「この字のイメージだと、すごく大変なことをしでかしてシャレにならない感じしませんか?些細なミスを敗北にまでもっていくのはあまりにもあんまりだ」
僕はこの時初めてこいつは何も反省していないという事実に気がつき、驚き、こりゃあながち他社のスパイって話も眉唾じゃない、閉めるときもアヤナミィィィって叫んでたんだろ、と理解するに至ったのだった。あれを些細なミスと言って良いのだったら、自身の音楽著作権の二重譲渡や城崎に100回以上日帰り出張も些細なミスで済みそうな勢いだ。
けれども、彼の反省はともかく、言いたいことはかなり理解できる。
「失敗」
この文字の持つネガティブさは相当なものだし、些細なミスもこの深刻そうな文字で表現されることで、さも大事のように感じてしまうのも確かだ。
極度に「失敗」を恐れ、マニュアル通りに行動するしかできない、もしくは行動そのものを起こさない人々が増え、チャレンジ精神が失われつつあることも「失敗」の文字が持つ重大さがいくらかは関係しているのかもしれない。人々はとにかく失敗を恐れすぎている。
同時に、私はかねてから同じように考えている言葉があった。それが「セックス」である。この「セックス」という文字、とにかくエロい。かなりエロい。言葉から連想する内容だけでなく、この4文字がこの順番で並んでいることがとにかくエロい。
ジーッと字面だけを眺めていても色々と感じるものがあって、例えば、直線だけで構成されている文字なんだとか、クとスは比較的似ている文字だとか、色々見えてくる。
次に見えてくるのがバランスのエロさだ。字の高さを揃えるのではなく、ッの部分でわざと低くしている。この凸凹感がとにかくエロいし、クスという部分のクの不安定さをスの安定感で補っている部分などエロさしか感じない。セの返しの部分なんかド直球のエロさだ。
字面の段階でエロい「セックス」、この言葉があまりにエロすぎる故に日常生活から敬遠されがちだ。電車やバスのラッピング車両に「セックス」と書かれることはないし、看板にも大型ビジョンにも「セックス」が登場することはほとんどない。つまり日常からセックスが遠ざけられてしまっているのだ。
清潔で平和であるこの国は、あらゆる生物の死体を見る機会がほとんどなく、核家族化が進み祖父が死んだなどの家族の死を経験しない子供たちは「死」というものをあまり理解できない、という話を聞いたことがある。
それと同じで、あまりに遠ざけられたセックス、は性に関する様々なことに影響を与えているのではないだろうか。それらが少子化などの遠因になっている可能性も否定できないのではないだろうか。
そして、その一端を「セックス」という字が持つエロさが何パーセントかは担っていると考えるのだ。
つまり、今後はもっと日常的にセックスが町に溢れ、身近なものになるべきなのだ。それには、もっとエロくない単語に置き換える必要がある。そう、例えば性行為のことを「鳩」と呼ぶことにしよう。
エロビデオなどでも、新人の女優がインタビューを受ける際は、ちょっと色黒の男優が質問で
「今日はみんなにセックスを見てもらうわけですけど。すごいよー、画面の向こうでみんな君のセックスを見てる」
とか言って群馬から出てきたばかりの女優を赤面させる。なかなかわかってるやつだ。でも、こんなもん地上波では流せない。いや、エロビデオは流せないけど、このセリフだけでもエロすぎてダメだ。ところがどうだ。こうすると一気に様子が変わる。
「今日はみんなに鳩を見てもらうわけですけど。すごいよー、画面の向こうでみんな君の鳩を見てる」
終電を逃した26才OLがカクテルを傾けながらかねてからジャニ系でかわいい顔と狙っていた新卒の22才イケメンに言う。
これでは新人に逃げられてしまう。逃れられない恐ろしさ、重さ、彼に十字架を背負う覚悟があるのか!22才の彼にはあまりに荷が重過ぎる。結婚させられるんじゃないか。赤色のカクテルを飲む彼女が生血を啜る魔物に見えるかもしれない。ところが、こうするとどうだろうか。
「今日は私と鳩しよ」
なんだか楽しそうだ。
そうこうしてると、「鳩」では温い。もちろんセックスの言葉を変えて性行為を身近なものにしようとしてるのは理解するし応援もする。でも「鳩」では温い。それでは草食化は止まらん。もっと過激な動物にすべき。そんな意見が飛び出してくるはずだ。
ライオンじゃあ身近じゃない、タイガーもだめ、ハイエナはなんか意味が違う、馬はどうだろうか、犬はどうだろうか、カブトムシという手もありますぞ、色々な意見が出され、議論がととっちらかってしまい、せめて鳥類でいこうと主張するグループが出て結束を強める。紆余曲折を経て、鳩より攻撃的な「鷹」にしようという形でまとまる。
こうして、セックスのことを「鳩」と呼ぶハト派と「鷹」と呼ぶタカ派の二大勢力に分かれることになり、ますます意味が分からないことになる。長いこと穏健なハト派と過激なタカ派の論争は続くことになるのだけど、
「今日は鳩したいな」
「鷹ならいいよ」
「は?」
みたいなことが続くようになり、不便だという声があちこちからあがる。しかし、どちらの派閥も無視できないほどに大きくなりすぎていて、ある意味宗教がかってきているので、双方に気を使う形で
性行為を指し示す言葉がそう制定されるが、なんで鳩が後なんだよ、それに全国の高橋君のあだ名がみんなこれになる気持ちを考えたことあるのかという声が高まり、かなり配慮した形で
「ハタカト」
という文字に落ち着く。性行為は「ハタカト」、「裸と」みたいでいいでしょ、そう発表する時の官房長官のドヤ顔が今から目に浮かぶ。
で、それから数年して、すっかり「ハタカト」が定着した時、こういうと思うんですよね
結局、「ハタカト」って言葉を公の場で出すことはなくなって、老人は「セックス」って呼ぶから若者は何のことか分からずに混乱するし、大失敗になるんですよね。
でも、「失敗」って言葉はマジ救いがないですから、こういう些細なことは「失敗」ではなくマイルドな「マングース」あたりの名称を用いたらどうか。
そこだよね 翻訳と日本語のニュアンスの違いとかいろいろあるんだろうけど、
この物語は、『可能性の1つに過ぎない未来の自分が厄介なことに自分に文句つけてきた』
なんてものじゃなくて、『命題の結末』としての未来が、その命題が破綻していて
『間違っている』ことを告げ、お前は間違っているその在り方をどうするのかと問うてきた
士郎と切嗣の「全ての人を救う」という在り方は、そのものが最初から間違っている
でも 『誰かを救いたいという願い 全ての人に涙してほしくないという祈り』
それが決して『間違いなんかじゃない』というのが、士郎とこの物語の答えなんだよ
次回予告でそのポイントをちゃんと押さえてくれることが分かって凄く嬉しい
アーチャーは別の媒体だと自分の生き方を「サバイバーズ・ギルトの権化」だと言ってるな。
メサイアコンプレックスは英雄視されることが自己承認欲求の昇華に繋がるから士郎には当てはまらないと思うよ。
士郎は他人に自分を認めて貰いたいとかこれっぽっちも思わない人間だし、凛に心配された時すら凛のお人好しさに感動してるし。
むしろ自分の価値が低くて、生き残った事に罪悪感を持ってて他人を助けなきゃ!!ってなるから確かにサバイバーズ・ギルトの方が合ってると思う。
「士朗がアーチャーになる可能性はほぼ無い」ってのは、
きのこが凛というキャラを通じて残したささやかな救いであって、それ自体はこの話のテーマじゃない。
これは士朗の救済の話じゃなくって、あくまでアーチャー(士朗の未来)の救済の話。
「悔しいけど私じゃあいつを救えない」って言葉の通り、凛ではどうやってもアーチャーは救えない。
アーチャーは、他でもない士朗によって救済されるんだよ。
それは守護者でなくなるとか、そういう設定上の話ではなく、
アーチャーが苦しんでる本当の理由は、守護者になったからでも、地獄を見たからでもなく、自分を見失ったからなんだよ。
確かクリア後のタイガー道場(?)でアーチャーはセイバールートの士郎なのか?っていう疑問に対して
セイバールートではイリヤが生きているため士郎を止める人間がいるから、アーチャーになることはまずないっていう回答がある。
士郎は絶望しないからアーチャーにならないんじゃなくて、士郎一人だとどこまでも突き進んでしまうから、
その士郎を止めてくれる人が近くに居るかどうかが士郎のアーチャー化の有無に関わってるんだと思うよ。
止めてくれる人が誰も居ないとアーチャーのようになってしまう可能性があるってぐらいに思っておけばいいかと。
正しいだけだと「正しく出来なかった人達」を取りこぼす事になるからな。
最初の士郎の願いって、まさしく正しい答えを選べなかった(その場所にいなければ良かったという正解)人達をこそ救いたいってものだったわけで、だからこその正「義」の味方なんだろうな。
つまり、選択肢をミスった後に出てくるタイガー道場こそ士郎の目指すべきポジション・・・ってアレ?
>切嗣は覚悟があった。大勢を救うためならば少数を殺す事も必要であることを知っていた。その少数がたとえ肉親出会ったとしても引き金を引く覚悟があった。でもそれは間違いだったとアンリマユに気付かされた。
それが間違いだと気づかされたというのは違うんじゃないか?
切嗣は小数を殺さずに済む方法を聖杯に求めたが、自分自身がやっている少数の犠牲の受容を極端な形で拡大解釈して大勢を犠牲にして小数を救うという最悪の回答しか得られなかった
少数の犠牲の受容という現実的解決方法そのものが間違いだったのではなく、それ以外の方法は結局ないんだということに気づかされた
しかも、聖杯はそれよりももっと最悪な解決しか引き出せなかったんだ
アーチャーの場合は契約時点で理想を追求するには自身が無力すぎることを痛感している状況で理想を実現するための力を求めていた
契約して力を得ることで理想を実現できると思っていたが、力を得ても少数の犠牲を受容しなければならないという現実を覆すことはできなかった
それどころか、力があるがゆえにその現実をいやになるくらい体験させられたということだと思う
その結果の「絶望」なんだろうけど、彼のは厳密にいえば「失望」であって「絶望」とは違うんだよな(少なくともアニメの描写を見ている限りは・・・)
現にアーチャーはあれだけ失望し続けながら、なおも救おうとしているわけだし
100人を救おうとして1人も救えない。
1人を見殺しにして99人が救われる。
「動機」の観点では前者が正しく、「結果責任」の観点では後者が正しい。
考え方は様々だけど「全員が救われる事が理想である」という点では異論はないはず
仕方がないという現実は理想を理想でなくす理由には成り得ないし、
決して届かないとしても理想を追い求めることは間違いじゃないだろう。現実を見失わない限りにおいては。
現実と向き合いながら理想を劣化させることなく生きていくのは人として味わうことができる最上級の苦痛かもしれない。
その上、そこまでして行き着く先には何もない(理想は実現しない)というのだから、こんなに酷い話(現実)もないだろう。
それでも、それら全てを踏まえたとしても、「何が正しいのか」と問われれば「答え」は決まっているよね。
それは「誰かの願い」であって「誰もの願い」でもある。
士郎は目につく人みんなを助けたかった。人類全部なんかじゃなくかつての自分のような目の前で危機に陥ってる人を。せめて自分の手の届く人たちを。士郎はその通りのことをしようとした。でも自分は英雄なんかじゃなくただの人で無力だった。死後の命を預けてようやく英雄になり、英雄になってようやく目の前の人を救えるようになった。つまり「衛宮士郎は死後を売渡し、エミヤにならなければ人を救うことができない」英雄エミヤは間違いなく士郎の理想であり到達点。自分の理想を正しく達成した成功例。しかし死後、待っているのはただの殺人。救いたいはずの弱者を殺す役目。「人を救う」という理想を叶えるということはエミヤ(英雄)になるということ。
エミヤ(英雄)になるということは人を殺す道具になるということ。士郎の理想とする英雄では誰も救えない。
救う術を知らず、救うものもなく、誰かの為にならなければという強迫観念、憧れただけでは人は救えない。
エミヤが忘れていたのはその憧れただけの理想にも願いがあったこと。
エミヤはずっと正しい選択をしてきた。愚直に真っ直ぐに不器用に。でも"この"衛宮士郎は時には正しい選択を否定するという決意をした。
そうそう。士郎がよくUBWルートだと真相知ったから守護者にならないってSSでも結構あるけど例え全てを知っても士郎は守護者として契約しちゃうんだよ、ね。
ただアーチャーのように絶望後悔はしないって言ってるだけで。もし真相知ったから契約しないって言うのはすでに見返りを求めている、自己愛があるって事だからそれは士郎ではない。UBWのキモはそんな士郎を絶対に守護者にしないように凛が頑張るって話だから(詠唱にあるような誰にも理解されない士郎にはしないって言ってるklと)
アーチャーが数ある士郎の未来の姿の失敗例の一つに過ぎないのならアーチャーは士郎にこだわらないし
士郎もアーチャーの言葉に信念が揺らいだりしない。士郎がアーチャーにほぼ必ず行き着く理由がある。
士郎もアーチャーも二人とも核が同じだからだ。「誰かを救いたいという願いが綺麗だから憧れた。」二人はこの核からなる人間。
その強い憧れを叶えるためにできることは限られている。過激な思想を持つ人間が行き着く先が銃を手に取るしかないのと同じ。
いやあ士郎はかっこいいよね。
例え絶望が約束されていても自分が間違いじゃないと信じた理想を貫き通す以上絶対に後悔しないと言い切ってるんだもの。
これは士郎の目指したものに共感できるかどうかとか関係ない熱さだよね。
特にアニメの演出では、結構クールな独白が多くて、ブレなさの表現が上手いから余計ね。
士郎は甘いのでも現実が見えてないのでもない、現実の悲惨さを知りながら揺らがないんのだものね。かっこいいよ
アーチャーが後悔したのは守護者になってからってのを理解してない人が多いのかもな
アーチャーは生前助けた人々に裏切られて絞首刑に処せられても一切そのことについて後悔してなかった今回士郎が言ってたように完全に正しかった正義の味方だった身を捧げる覚悟も出来てたしそれで良いと思ってた
そんな覚悟決まりきった正義の味方でも守護者として人類の滅びを救うために延々と滅ぼす可能性のある事象とその関係者を殺し続けることには耐えられなかっただけ
UBWの士郎でも正義の味方として突き詰めるならエミヤになるしかない。ただ凛が人間として幸せにしてそれは回避されるだろうけど人としての幸せ手に入れる時点で正義の味方として完全じゃない
たとえ本物になれなくても、抱いた理想が間違いでないと思えるならば、それを追い求めることは正しい、
といことがテーマだと、どっかのインタビューできのこが言ってたな。
ただ、それは非人間的な機械のように生きることには変わりないと。
一人の大切な人を守るために、理想に折り合いをつけ、機械のような男が人間になるはなしだと。
どちらが正しいという話でなく、それぞれの解答がある。
アーチャーが失敗例だと思って語ってる人が多いのはどうなんだろって思ったけど、来週で変わるかなあ
結局士郎は道を変えない(アーチャーと違う道を選んだりしない)ってのは話の肝だけど、伝えづらいよね
>「アーチャー(失敗作)を目撃したこと(と、遠坂との絆を得たこと)によって士郎はアーチャーと違う道を歩むことが約束された」
テーマとしてはむしろ正反対だよ。アーチャーが失敗例っていうならそもそも衛宮士郎自身が生まれた時から失敗例になってしまう
士郎はアーチャーに忠告されたからって違う道を歩むような人間じゃないってのがややこしいところだし自分殺しの動機でもある
今回の話も対比。抗魔術で身動きできない凛は瀕死のランサーに救われた。原作ゲームでは
凜は、なけなしの魔宝石でランサーを救おうとするシーンがあったらしいけど、人が誰かを
助けたいと思う気持ちに、何の打算もなく反射的な時もある。
慎二はランサーの槍先が刺さっただけで逃げ出したけど、それが普通の人間の反応。
何の覚悟もないし、痛い物は痛い。士郎はアーチャーに串刺しにされたけど、セイバーが
そばにいてアヴァロンのおかげで治癒したけど、それがなくても立ち上がれただろうけど、
それでは、何の解決にもならず、いずれ未来の選択肢の一つに負けていた。
だからこそ、ここで救われた弱い士郎は、心が折れず、正義の味方を夢見ていられる。
救いたいのは、他人のためでなく、自分の願いだから、正義はエゴなのだから。
衛宮士郎は、切嗣と凛、そしてアルトリアという3人にかつて命を救われた弱者ということを。
だからこそ、誰かを救える力を求めたけど、その理由を「人の為」と「偽った」から、アーチャーは
疲れてしまった。憧れたのは綺麗だったから、余りに幸せそうに笑った「爺さん」のために、
大勢の両親、友人、知人や知らない誰かを救えず、見捨てて、死を受け入れた虚無から生きよう
と思っただけなのに。アーチャーは力を得たけど、それ以上の暴力に打ちのめされ、滅私奉公
しすぎて、正義が摩耗し、絶望のあまり、己れの願いすら呪いと捻じ曲げてしまった。
士郎は、救われる以前から、弱いからこそ、負けられない頑固者だったのに。
アーチャーは失敗作なんかじゃない。英霊エミヤってのは正義の味方を目指した衛宮士郎としては最高傑作だ。衛宮士郎が正義の味方であることを突き詰めるとどうやってもあぁなる。凛との繋がりが出来てUBWの衛宮士郎はエミヤにはならないことが確定してるけど、それって特別な一人が出来たことで正義の味方としては不純になるってことでもある。
ところでやっぱり、Zero…というか、虚淵さんのセイバーの像が、原作と深刻なズレを起こしていますな
Zeroしか通過してこなかった視聴者は、原作であるSNのセイバーの行動や思考がわからずに、なかなかに頓珍漢なことを言っている
あと相変わらず慎二にヘイトためってる人は、型月的にも平凡な人なんだな
非凡以外の何者でもない、あの作品の大半の登場人物たちにとって、慎二は本当に極限まで「どうでもいいやつ」なんだ
数回前の凛にも怒られてたけど、自己犠牲が強すぎて中身がない。手段が目的になっている。
その原因は「キリツグの代わりにその夢を叶えてやろう」っていうだけのものでしかなかった。
そのまま大人になってしまったから英霊エミヤという存在が生まれてしまった。
でも今ここで、未来や過去の自分と向き合うことで、手段に意味を見出した。
「キリツグの夢」が「自分の夢」とイコールになったと言えばいいのかな。
これからもやることは変わらないだろう。でもそこには〝中身〟がある。
きっともうエミヤようにはならないだろう。
流通とかはわからないのでもしかしたらもう手に入らないやつもあるかもしれないけど。
メジャーなやつというよりも、一度飲んでビール観を広げてほしいというやつを紹介する。
BrewDog Tactical Nuclear Penguin
パンクIPAで日本でも有名なブリュードッグが出す32%のビール。
もともと株主優待用なので出荷数が少ない。去年は日本に来なかった。
一昨年は一本8000円ちょいだったと思う。
キワモノ系かと思いきや深みがあるというか、濃くておいしい。
酔いつぶれたけど。
これもキワモノ系。
俺が飲んだのはブードゥー チョコレートラズベリープレッツェルってやつだけど、
ほんとにチョコレートとラズベリーとプレッツェルの風味がするんだよな。
21th amendment / Hell or High Watermelon
これもキワモノ系かな。でもすいかの味が水っぽくなく濃すぎずちゃんとビールの中に収まってる感じですごいおいしかった。
でも好みは分かれると思う。濃いめのビール。
同社のアールグレイを使ったGunnamatta IPAもお勧め。
Fine Ales / Finebank
度数も低く軽めの味わいながら、スモーキーさが微かに感じられて不思議な爽やかさがある。
赤ワインに使われるカベルネ・ソーヴィニヨンを使ったビール。
関東だと手に入りにくいかも。
同じラインで甲府のアウトサイダーブリューイングで作ってるベリーAを使ったビールもおいしいかも。
ココナッツの味がすごい。柔らかくてまろやかでべたつかない甘さ。
瓶ではしばらくでないと思う。佐倉に行けばわりと飲めるのかな?
たぶん最終工程でゆず入れてるっぽくて、ココナッツとは逆にゆずの酸味と爽やかさがスタウトのコクにとてもよくマッチしてると思う。
この手のビールはとかくベタ甘になりがちななか、しつこくないから何杯も飲める。
そのほか定番の味わいで飲んでみてほしいやつ順不同
ラグニタス リトルサンピンサンピン
イネディット