「空気」から外れた行動をすると、その行動はおろか、人格や経歴、それまでの人生や所属する団体まで貶められる。
どうしてそんなに堅苦しい考えを持っているのか、不思議に思ってきた。
そして、今回、その正体をつかんだ。
具体的には幼年期から思春期にかけて「空気を読むために自分を殺す」という虐待を受けた形跡がみられる。
これはれっきとした虐待で、性的な虐待や家庭内暴力と同じものである。
親から虐待を受けた子供が、やがて大人になり親になると、自分の子供を虐待してしまう現象が知られている。
同じように、自分が理不尽に「空気」に押しつぶされた記憶が、「空気を読まない人」に嫉妬と羨望を持って、攻撃性をかきたてるのだ。
日本社会全体に蔓延するために見逃されているが、これはアフリカの女性器切除のようにグロテスクな風習だ。
女性器を切除して一人前、「空気」が読めるようになって一人前。
本人は至って誇らしげで、それをしない人を半人前と見なしさえするが、
その宗教に属さない人から見て、顔を背けたくなるようなグロテスクな風習だ。
空気を読むことと幼少期の虐待を同列に語って欲しくないな
何お前、心当たりあるの?
例えばあったとしたらなんなの?
空気を読むことに過剰にとらわれ過ぎて生きづらくなるのは問題だね。 ただ、 集合体で何かを成し遂げようとしている時、 何かを織りなそうとしている時。 例えば、葬式の前の荘厳...