はてなキーワード: 非常識とは
アノニマスダイアリーは畑違いかもしれないけれど、どうしても匿名でなければいけないことがあるのでここに書きます。
私はとある男性アイドルグループを応援しています。そのグループを仮にTとします。Tには、ほぼ同世代のライバル的存在のグループがいます。そちらをNとします。
勘のいい方、男性アイドルに明るい方はもうお分かりでしょうが、一応仮名で通します。
Tは「アイドルらしからぬ」方向性で売っており、硬派な音楽ファンなどを取り込んでいます。一方Nは、Tファンから見ている限りでは何を売りにしているのかよくわかりません。それなのに、私が聞く限りかなりの割合で、Nには「それまでアイドルに全く興味がなかった」人が次々と沼落ちしているらしいのです。
一体どういうことなのか。私は考えました。運営がそれを狙っているのかいないのかはわかりませんが、Nが「無趣味層」を落としているその理由を。
まず前提として、この世には「オタク」と「非オタク」の2つの人種がいると思われます。これはネットの海で暮らしている皆さんにはお分かりいただけるかと思います。この2つの違いは何なのかというところから考えてみます。
いわゆる「オタク」は、これは私たち男性アイドルファンの価値観かもしれませんが、自分の「刺さる」ポイントを把握しているように思います。それが顔であれ、人間性であれ、パフォーマンスであれ、何かしらの価値基準を持って様々なグループあるいはジャンルを見、その価値基準が満たされた時に「推す!」となります。一方「非オタク」には、そもそも「刺さる」「推す」という概念がわかりません。
Tはこの「オタク」つまり「“推し”の概念がわかる」人種向きのアイドルではないかと思うのです。Tの売りは音楽性、歌唱力、迫力あるパフォーマンス、メンバーの絆の強さ、グループの物語性、メンバーの物の考え方…などなどです。つまり、アイドルファンにせよ音楽ファンにせよ二次元ファンにせよ、「刺さる」ポイントを持っている人には確実に「刺さる」グループなのです。
一方Nは、一部メンバーが途中加入のため現体制での歴史が浅く、飛び抜けたイケメンがいるわけでもなく、歌の上手いメンバーも所詮アイドルレベル、ダンスは後輩グループにもっとすごいところがいて、旧体制で売りにしていたアクロバットも現体制になってからほとんどやらなくなりました。一体どういうコンセプトのグループなのか…
そんなNにハマる「無趣味層」、これはつまりTと対照的に、「“推し”の概念がわからない」人種、すなわち明確な価値基準を持っていない人が、明確な売りを持っていないアイドルにハマったということなのではないか、と私は気づいたのです。
完全な「オタク」側の私からすると、なんだか掴みどころがなくてぞっとする話です。
でも考えてみれば確かに、「非オタク」は「オタク」の熱量にドン引きするもの。「◯◯だから大好きなんだ!!」と熱く語らなくてもいいグループが現れて(運営のおかげでNのテレビ露出は凄まじいものがあります)、なんとなく好きになる。運営の作戦なのかはたまた偶然かわかりませんが、これまでの「オタク」ビジネスの盲点を完全に突いてきたグループと言えるでしょう。
ニワカが群がって治安を荒らして去っていくような事例のほうが、これまでに幾度となく繰り返されているわけですから断然わかりやすいと思います。
これまでアイドルビジネス、ひいては「オタク」ビジネスに関わることのなかった層が突然現れる。彼らがなぜ沼落ちしたのか、これからどう動くのか、いつまで応援し続けるのか、全くわからない。生粋の「オタク」からしたらこんなに気味の悪いことはないです。Nは、全く無関係なグループならいざ知らず、ほとんど公式に強制されたような「ライバルグループ」ですから。
良いとか悪いとかではなく、私はそういう意味でNが怖い。そして、Nがビジネス的に成功していることを認めざるを得ません。
そう、TとNが公式ライバルだと散々言いましたが、運営側、というか事務所に推されているのは明らかにNのほうなんです。Tに良くしてくださっているのは主に所属レーベル様です。本当にいつもありがとうございます…
Nの人気のメカニズムを私なりに分析したはいいものの、Tファンとしてのアカウントでこれを言うとTとNの界隈が荒れて袋叩きに遭うので、やむを得ず匿名の投稿とさせていただきました。良い悪いは別として、ビジネスとしてとても興味深い事象だと思います。
ちなみにTファンは、明確に「Tが最強だから好き」という価値基準を持っているので、とても火力の強いファンばかりです。つらい時期にはギスギスすることもありますが、非常識な行動をとるファンはほとんどおらず、その点の治安は保証されています。ファン層は拡大させたいけれど治安は落としたくないなと勝手に思っております。ただ様々な界隈を見ていて、治安を落とさずに新規を得ることは不可能に近いのだろうな…と、非常に悩みどころです。
Tの売り方としてはアイドル以外の何らかの「オタク」層を引き入れるのが近道なのだろうけれど、この世には「オタク」よりも「無趣味層」のほうが圧倒的に多く、しかもどのくらいの数いるのか把握できない(「オタク」はだいたいネットか現場にいる数でわかりますよね)ため、もしかしたらもう母数では追いつけないかもしれないという危機感を抱いています。すでに推しのいる人を振り向かせるより、推しのいない人を取り込むほうがハードルが低いですしね…
もちろんこれは全てTファンである私が考えたことなので、N側から見れば「Nにも明確な売りがある!」と言われるかもしれません。私の一個人の考えですから、全てのTファンが同じように捉えているわけでもありません。
日常生活ではなるべく繁華街に近づかない。でも外食はする。遊びにも行く。
手洗いうがいはインフルエンザ対策でやってたからこのまま続ける。
こうやってひとつひとつ、状況を見ながら「やること」「やらないこと」を自分の中の基準で決めていく。
リスク許容度は人によって違うのでキャバクラに行く人がいてもいいとは思う。近づきたくはないが。
今月末は Go To キャンペーンを利用して旅行をするつもり。
遠出はできないけど新幹線で1〜2時間ぐらいの温泉か山でも行こうかな。
今のところは自分が感染している兆候はないし温泉ぐらいなら感染する可能性も低そう。
もちろん100%の保証はないし何があるかわからないけど、でもこれがウィズ・コロナ、アフター・コロナの新常識なのかなとは思う。
これは、昨年の話である。
A、B、C、Dの4人は32歳のオタクで腐女子で、10年以上の付き合いがある仲間たちだ。
今日の集いは久々の4人の再会で、予めオシャレなカフェやレストランに行くと話していた。
32歳。「いい大人」と言われる年齢だ。
そんな妙齢になったのだから、私たちは当然、オシャレな服装をしなければならない。
女友達と会うこと。それは一つの儀式であり、現代における戦いであり、マウンティングして自身の優劣を確認できるチャンスなのだ。長年の付き合いでも絶対に気は抜けない。世間では、そう言われている。
私はきちんとした服装で着飾り、待ち合わせの場所へと向かった。
ダウンジャケット、ボーダーTシャツ、着古したジーンズ、はきつぶしたスニーカー、サコッシュ。
犬の散歩中かよ。犬連れてないけど。
こんないでたちで「私はオタクだけどオシャレに気を遣う方!」とか思っている。もはや手に負えない。
正直もう無理、と思った。一緒にいたくない。恥ずかしい。帰ってほしい。
なのにAは堂々としている。全く恥じる様子もない。なんなの空気読めないの?
とにかく恥ずかしかった。
ゲームへの課金、アニメ視聴、グッズを買い漁る、2.5次元に何公演も参戦する、2.5次元のグッズも買い漁る、2.5次元俳優自体にもハマる、様々なコラボ商品を買う等等等…。
推しにすべてを捧げて貯蓄すらしてないらしい。
いいね、何も考えずに生きられる人は。
何も考えずにオタク生活を満喫してるなんて信じられない。もう32歳なのに。
私よりみすぼらしい姿で、貯蓄すらないのに、32歳なのに、推しのことをキラキラしながら話すんじゃないよ。
まったくもって目障りだ、と思った。
レストランで食事をしたあと、Aはアニメショップで大量買いをした。
もう見てるこっちが恥ずかしいし情けない。32歳なのに。
鏡ちゃんと見てる?お肌汚いよ?
お肌ってね、32歳にもなるとちゃんとお金かけないとキレイにならないの。
こちとらデパコス通ってお金も時間もかけてきちんとスキンケアしてるわけですよ。
なのに未だにプチプラ?ありえなくない?ヒューマンステージ低くない?
Aが終始、少女のようなふるまいで推しについて楽しそうに話すのである。
推しがかっこいいだの可愛いだの、小声ではあるがキャッキャウフフうるさい。
落ち着け。いい加減落ち着いてくれ。私たちはもう大人なのだ。32歳なのだ。
なんでそんなに楽しそうなんだよ。
なんでそんなに昔と変わらずいられるんだよ。
私は変わってしまったのに。
親には「早くあんたの晴れ姿が見たい」的なことも言われるし、自分が病気になるリスクも高くなってくる年だし、親の病気や介護の問題だってあるし、将来どうなるかわかんないし。先が不透明な時代、貯蓄すべきだよ。だって、自己責任なんだよ。何があるかわかんないんだよ。
32歳で、収入のすべてをオタ活に使ってんじゃねーよ。
そんなの非常識だよ。
子供のように楽しそうなAが許せなかった。
「もう32歳だし、年相応の服装をしよう。容姿に気を遣おう。いい加減落ち着こう。もうオタ活なんてやめてしまおう」
そう決意して、がんばって変わった自分がばかみたいだった。
大人の女性は、メイクもネイルも肌もしっかりと手入れをすべきなんだ。
「いい加減メイクくらいしなよw」
「服装は常にきちんとしなよwだらしない服装なんて許されないよw」
「オタ活なんてやめていい加減落ち着きなよw恥ずかしいよwww」
私たちは、大人として、妙齢の女性として、世間から求められている姿でいるべきなのだ。
今この状況で、東京において、知り合いを少人数のご飯(夜、合計2~3人程度)に誘うっていうのは非常識なのかな?
もともと職場の飲み会なんて好きじゃないし、仕事上のやり取りがメールなりSlackなりで済むようになって気持ち的にはずいぶん楽に日々過ごせるなぁと思ってた。結婚しているので、日常の話し相手、互いのケアをする人はいる。
だから4月頭くらいからの数か月は、個人的にはあまりメンタルへの影響もなく平穏に過ごせていると思っていた。
でも、ここ数週間、けっこうグラグラ来てる。
感情的になってしまう時間と、どうにもやる気の出ない時間が交互に、気持ち激しめの傾きでくる感じがあって、自分でもやや躁鬱っぽいなと思っている。
それで思い当たったのは、仕事に無関係の知り合いと、なんとなく酒を飲みながらなんとなく話をする時間っていうのが、意外と大事だったのかもしれない、ということ。まさに不要不急なんですけどね。
なんとなく、今のネット世論の趨勢としては「GOTOキャンペーンやる政府クソバカすぎる」「緊急事態宣言早くしろ」的なところが多数派のような印象があり、なにせニュースソース、世論ソースがネットしかない(テレビないです)人間としてはやっぱりそういう感じなのかな~と思っていたのだが、東浩紀なんかはわりと逆の意見みたいね。
多数派がどっちかという認識がもしかすると間違っている(バイアスがかかっている)可能性もあるが、とにかく世の中混沌としてて何が何だかここ数週間で一気にわけわかんなくなってきているので、冒頭に書いたご飯の誘いが、それ自体もう異常者扱いされる行為なのか、わりといける感じなのか、わからないんだ。
私がそれを考えているというと、いったい、ひとはなにを考えるだろうか。
「コロナ禍のいま、なんて不謹慎な!他人に迷惑をかけるトンデモ増田じゃないか!」と直感した人がいるかもしれない。読者いなかったらいないだろうが。
「迷ったり、考えたりする必要なんてない!ニュース見てないのか?
連日増加し続ける感染者数、怖くてたまらないのに、近くに来るなんて言いませんように!」と恐れるだろうか?悲しむだろうか?
あるいは、「この非常事態に自分さえよければ、他人に迷惑をかけてもいいと思っている非常識な増田」という印象を受けるだろうか。
「考え直してください!実はすでに無症状の感染者でひとにうつすかもしれないんですよ!
そうでなくても、それに旅行先でウイルスにかかったら、まわりにまき散らすことになるんですよ!あなた自身、発症したらとても苦しむかもしれないのに!」
「落ち着いたら、行けばいいのに、なにも今じゃなくっても……。」
「こういう人のせいで、身内になにかあったらと思うだけで悲しくなる。」
「感染防止は家にいることが最善なのに、自己中心的考え方の増田がいて、そんなやつのためにおびえるのは悲しい、涙がでる」
「バカだから、いっそコロナ肺炎にかかって死ねばいい」だろうか?
だれかの頭の中にいる私は、「菌をばら撒く不届き者」だろうか。
私はいわゆるサラリーマンだ。幸運にも、ずっと仕事を続けられている。
リモートワークはできないとの判断があったため、コロナ肺炎が問題となり、自粛要請、緊急事態宣言が発令され、
Stay Homeと声高に斉唱されたときも、そして今も、Covid-19の話が出る前と変わらず出勤し、通勤で公共交通機関を使用する。
休業要請の対象ではないので、会社が止まることもなかったためだ。ありがたいやら……。
マイカー通勤はしていない。駐車スペースがなく、許可されていない。
1月から4月は、ご存知の通り、マスクが出回っておらず、高額なものを購入したり、
会社がどこかからかき集めて配ってくれたこともあったが、今はいくらか容易に入手できる。
おかげさまで、通勤時はマスクをしている。会社でも、マスク着用は義務付けられている。
つり革、手すりを触ったら顔やマスクに触れない。外でマスクを外さない。
それでも気になるので、自前の消毒液を買って、トイレや、不特定多数の人々がどうしても触れてしまう箇所などに触れたら、自分の手指を消毒している。
出社したら、まず入口で検温を受ける。微熱でも発熱しているのものは帰される。
オフィスは20名弱がいる。デスクはクリアボードで仕切りがされている。会議はweb会議、出張は要相談だが、基本ない。
昼休みは時間をずらしてとる。11時から13時はそれでも混みあうので、最近は15時ごろに行く。
帰りは買い物をして帰るが、必要なものがあるときだけ、それだけ買って帰る。店内を物色して回ることはしない。
それが平日。
平日にやらなかった家事だとか、電子書籍を読んだり、動画配信サービスを使用し映画鑑賞したり、友人とWeb通話もした。
外出といえば、近所のスーパーまで行って帰るだけだ。車にも乗らない。
実際の行動をつらつらと書いてみたが、誰とて似たようなものじゃないだろうか?
手に入るなら、フェイスシールドもつけられるならつけたいくらいだ。
家から出なくて済む人からすればすでに「コロナ肺炎感染被疑者」だろうか?
駅にいるのが、
大きな旅行カバンを携えた私なら、マスクをしていても、「感染しているかも、なんでいるんだろう?」と考えるのだろうか。
小さなカバンだけを持っている私なら、「マスク(感染対策)をしているし、そこまで危険じゃない、いてもいい」と考えるだろうか。
平日、通勤している私は思う、
「この人はどこから来た人かなんてわからない。昨日何をした人かなんてわかりはしない。」
外にいる人々に対して、貴賤上下をつけられるだろうか。
もしそれが可能だとしたら「感染対策をしているか、いていないか」がわかるときだけだと思う。
マスク警察を、支持するわけではない。マスクはとても息苦しいので、時には外したり、水分を取るべきだ。
私は手に入れているが、まだ手に入れづらい人も多くいるだろう。人々の理由は様々だ。
それを悪と指摘する向こう見ずさは見上げたものだが、怖ろしい、わたしが持っていたら移すかもしれないし、と感じるときは離れることで十分だろう。
私は実際、マスクをしていない人を発見したら、可能な限り、距離をとるようにしている。
それと、すべての人に家の中にいてくれと、願いたくなる気持ちはわかる。
私も叶うなら、リモートワークをしたい。家にいたい。
でも叶わない。生活費を得るために、仕事は辞められない。今しばらく在宅勤務になることはないだろう。
出勤、知らない人々とすれ違う、雨ならいつもより混みあう車内、密度が上がり、暑くなってマスクを外す人々。
毎日、毎日、これを見て、なぜ、県またぎの移動をする人や、旅行者や、外出する人々がやり玉にあがっているのだろうか、と思う。
私が、疑問に思うのは「県またぎ」「旅行」「外出」ではない。しないほうがいいのは、明白なのだ。
わかりきっている。でももう私は外にいるのだ。連日、休日以外はずっと。だから、疑問はそこじゃない。
私がどんなに感染防止に気を遣っても、あなたの住む町の駅で、マスクをしないで大声で喚き散らす人よりも、リスクの高い人間だろうか。
逆に、私の住む町にいる人で、私と同じ時間帯にいる人は、私を低感染リスクとするのだろうか?
受け入れる土地のものは、客人を選べないのだからたまったものではないだろう。
だからだれも来ないでほしい、Go To キャンペーンなんてふざけている、と。
休日に、家でできることはたくさんある。コロナ禍を機に、友人とweb通話をしながらゲームをすることも覚えた。あれは楽しかった。
ここではないどこかに、たまには行きたい。正直、もう息苦しくてたまらない。
この半年にも及ぶ自粛生活で、ずっと疑問を抱え、自宅にいられる人をうらやんで、
時にはどこぞのだれとも知らぬ人のそばに立って出勤し、趣味の旅は断念してきた。
「今じゃなくてもいい」全くその通りだ。今は行かないほうがいいな、やっぱり感染は怖いし、感染防止には家にいなくちゃな、と。
そして通勤して、だ。
「家にいたくても、仕事でそうもできない」と感じている。
「この人が旅行者じゃない、なんて誰も証明してくれない。もし旅行者なら?ずるい、うらやましい」と感じている。
旅行はできないけど外に出たくて、出張を申し出た、というニュアンスのなにかを見た。テレビニュースのインタビューかもしれない。ひたすらにうらやましい。
うらやましさも通り越して、恨めしい。
「今じゃなくて、コロナ肺炎が収束してから行けばいい」というのはいつだ?
「増田は子供じゃないんだから、駄々こねるなよ、みんな同じ状況で、みんな苦しいんだから我慢しろ」という人はきっといるだろう。
私もそれまで元気で、お金を貯めて、と考えることもある。
でも私が死んでも誰も「旅行に行かなかった」ことに責任は取ってくれない。
私は絶対に恨んで出るだろう。呪えるなら呪いたい。死ぬ前からそう思っているのだから、死んだら確実に化けて出てやろう、と思う。
疲弊していくことをだれも救ってはくれない。
別の様々な方法を試したが、それでも癒されない苛立ちや、苦しさがある。すり減っていく。
自分のために、誰かのために、と我慢し続けている。美談だろうか。私はそうは思わない。
もちろん「私が誰かから感染」したり「私が誰かを感染させる」ことも、
100%完璧な防止策をうつことはできない。そうして誰かを巻き込めば、私はきっと後悔するだろう。
私は今も悩んでいる。
私を悩ませるのは、後悔したくない気持ちと、苦しみから解放されたい気持ちから来るんだろうな。
人に「行っておいで」と言われたいけれど、言ってもらえない、その理由がわかるけど、
だけどもう我慢も限界で、精神が摩耗しているから増田に書き付けた。
同じようにどうしても行きたいけど、迷っている人がいたら、一人じゃないと、安心できるように思うが、
この時世では、どうだろうか。やはり、少数派だろうか。
インドアだから外に出られなくても大丈夫、な感覚や、嗜好だったらいいのに。
私が答えを出せるよう、私に祈りをささげて終わる。
女性ってよく面食らったりハッとしたりびっくりしたりしてるけど、なんていうのかな…。
この増田の「面食らった」はあまりにも当事者意識が欠けていると思うし、Twitterでよくハッとしてる人は自分の見たいものを見てハッとしてるだけで、別に気分よくなってるだけじゃね?って思うし。
フェミがびっくりしてる時は大抵キレてるし、それ怒ってるだけじゃね?って思うし。
何て言うんだろう。びっくりしてなくね?って思う。
まあ男でもあるのかなあ。どうでもいいことに衝撃受けてるYouTuberはいっぱいいるよね。でもあれPV稼ぎだからなあ…。
俺がびっくりするときって足踏み外して階段から転げ落ちそうになったりとか、ホラー映画観てるときに地震起きたときとか、そういうのしか思い付かない。
なんかそれと前述のびっくりって違くない?
いやどうでもいい。どうでもいいんだけど。
これは伝わらないかなあ。
まあ今はないのかもしれないけど、明らかに女性が誘ってる感じあるのにデート申し込んだらびっくりしたりするじゃん?
いや予想の範囲内じゃね?って思う。
まあはてブで言っても勘違いだって言われちゃうからあれだけど。
何かこうびっくりしてる時の女性の目開いてる表情の、その瞬間この人なに考えてんだろうなって思う。
それとは違うじゃん。目見開いて、そこで考えてることって、なに?あの、なんていうか、「え!?わたし!?」みたいな。
いやお前以外にいないだろって思うじゃん。
いや知らないけどさ、その瞬間になに考えてるのか。
絶対伝わらないなあこれ。
もしちょっとでも思うところがあれば、みなさんのびっくりした瞬間を教えてください。
・ サイレント魔女☆リティの発祥は男性ですが…/男だが、公文書の改竄や無茶苦茶な詭弁、上級国民の不起訴、Go Toキャンペーンの前倒しとかにびっくりさせられっぱなしです。
あー、なるほどねぇ…。
・ 熱いので炊飯器の蓋開けておいて、そろそろ冷めたかなと思って釜を取り出そうとしたら中から巨大なアレが飛び出してきた時かな。最近ならソファの下に蟻が20匹くらいモゾモゾしてた
地獄やな。
・まあ女性の反応が大袈裟に感じることは多々あるが、感情表現をあまり出さない自分よりマシかと思う
大人だなあ。
・相手の反応を勝手にこうあるべきみたいに決めつけてんでしょ。
・女の外見してるからって舐めてきたやつにやり返すと、皆さん一様に「びっくり」するよ。びっくりしないのはヤクザとキチガイ位かな。常識と礼儀の想定外のことを女がされやすいだけなんじゃないの?
うーん…。それは「(男性の主観的には)目の前の人間が突然キレてきた」わけだから、階段踏み外したのとカテゴリーとしては近い気がするなあ。
想定内のことをびっくりしたと言い替えてることが多くない?という。
それびっくりっていう感情なの?って疑問なので。
・「よくわからない」は「びっくりする」とグラデーション的につながってると思うけどな。
あー。読んだ瞬間は繋げてないなあと思ったけど、うーん。思い返してみたら難しいところ。
よくわからないことをびっくりしたって言い替えることへの違和感なのかなあ。
・気配りをすることが社会的要求として存在→主観でTPO設定やプロファイルを行う事の習慣化→規範や倫理観を超えた事象に驚くというのを考えたけどある程度は性差なくあるような。主観への信頼が強いのかな。これも主観
・「びっくりする」とは「想定外の事が発生した時に使うべき表現方法であるはず」だから「発生する可能性を予測できる事象に対して使うのは不思議だ」という主張なのかな? でも予測できる範囲って人に依らない?
まあそうなんだよね。主観だし人によるんだよ。
・家の洗面所とかで夫に突然話しかけられるとビックリしちゃう。「あぁ!びっくりした〜!」とか結構大声で言ってしまうので一度夫に「一緒に住んでるんだからそんなびっくりする必要なくない?」と言われた。
でもこれよくよく考えたら俺もやってたわ。若い頃。
後ろから声かけられることよくあるんだけど、とりあえずびっくりしてたら女性に謝られたから、それ以降しなくなったな。
・「相手の行動は、私がびっくりしてしまうほど非常識なことです。驚かされた私は被害者なので優遇しなさい」ってことだよ。
さっきのと「とりあえずリアクションびっくり」とは違うびっくりは、ほぼこの意見なのかな。嫌だとか不快の言い回し。
まあこういうことなんだろうな。
・婉曲表現だとすると、その婉曲は、びっくりするくらい、伝わっていない。「ああ単純に驚いたのね」と思うだけで、なにかに配慮するとか、慮るとかはできない。
これもわかる。びっくりをそのまま受け止めるとそうなる。
てか素朴な疑問なんだが、嬉しくてびっくりすることってもうなくなったの?
嬉しいときにびっくりした!って言わなくなったなら、びっくりって聞いたらああ嫌なんだなって思うようになるけど。
・久しぶりにしたとき、久しぶりだからびっくりしたって言われたことある。俺はその発言にモヤっとしたよ。
この感覚になるよね。100%嫌だっていうことなら素直に受けとめることも出来るかもしれないけど、実際どっちなのかなんて分からないからねぇ。
・そうかね、日本のメンズだって女子と同じくらい、バレンタインチョコ貰うとか童顔の可愛い女子からの告白とか女子からのセックスのお誘いとかいちいち大分びっくりしてる気がするけどなあ。
そうなんですか…。世界線が違いすぎてびっくりするわ。
あるわ。
・ビジネスの場で「とてもびっくりしました」と書いちゃう女性がいて、今までびっくりしてれば誰か助けてくれてたんだろうな、と残念な気持ちになった。
まあ他人任せにしてる感じは受けるよね。
・失礼なことをされたとき、対応を間違えると「ヒステリー起こした!」って言われるので、婉曲的に「びっくりした」って言うしかないんよ
・増田を読んで、男側の例として本人が「男の話」だと思っているもの(趣味や仕事が多い)に、女性が口を挟むと「びっくりする人」が思い浮かんだ。性別よりも、その人の視野の問題が大きい気がする。
なるほどだわあー。この男のびっくりは、女性からしたらムカつくよねぇ。
・男性も使ってる。明らかに格下でない男性・上司・ヤれる可能性を期待する女性等失礼を避けたい相手が自分の常識から外れる言動をした場合とかに。女性が多用するのは女性の身で直言するとキレられる可能性が高いから
こういう男のびっくりに女は違和感を感じるけど、女の他人任せにするびっくりに男は違和感を感じるのかなあ。
・男性って女性よりいい意味で単純でさっぱりしてると思ってたんですけど、増田さんみたいにネチネチ陰険な男性もいるんですね~そういう男性って私あんまり会ったことなかったのでびっくりしました!←こんな感じ?
こんなにびっくりできる文章もないわ。
・HSP ハイリー・センシティブ・パーソン。こう言う人もいる。20%だ。差別すんな。
なるほど。多いなあ。
・増田の「びっくりしてなくね?」が「え〜?!それびっくりしてなくね?!」になっただけのような。感情の振れ幅とか表現方法のクセとかの違いに感じる/追記見ると増田も呆れのびっくりを使ってる。わざと?
わざとです。
表現方法のクセもあるんだろうけど、含まれてる意味が結構違うなあと。
・ニュアンス読み取りに命かける従来の日本語コミュニケーションからもう脱却した方がいいと思うんだけどね。語彙減ってるのにそれやるから意思疎通でリソース無駄に使ってる。
せやな。
・女性の「びっくりした」に、怒りを悟ってほしいという文脈が込められている事に増田は憤るのだろう。増田の「よくわからない」に「ウザい腹立つ」的文脈が込められてるのと同じだね。よく判ってるじゃん。
「びっくり」に引っ掛かるんだったら「よくわからない」にも引っ掛かれよという話。気をつけます。
・言われてみると、結構場面によって色んなニュアンスを含む言葉だなと思う。単純に驚愕というより、何かしら感情が揺り動かされていて、でも自分の価値判断を含まずにそれを表明したいときに使うイメージかな。
なるほど…。純粋びっくり派ですね。
・追記の「嬉しくてびっくりすることってもうなくなったの?」に対する回答が見当たらない。やはり「びっくりって聞いたらああ嫌なんだなって思う」のが順当ということか。
これね。ホントにないのかなあ。
自分で考えてみて一番それっぽいのは、買ってた馬券が無理だと思ってたら当たった時だけど…。「わー!びっくりしたー!」とはならないからなあ。
・例えば急に後ろから声かけられた時に、不審者と勘違いして怖かったって言うと角がたつ。キレられても怖い。でももうやめて欲しいので、こう言えば次はやらないでくれるかな~って期待と共にビックリした~って言う。
それは…伝わってるのかなあ…。
それこそ女性に言えば伝わるもんなのかね。
・びっくり≒私は崇高なる理想社会を前提としているので汚らしい男性が引き起こす現実社会との落差に驚いた を意味しています
なんか笑ってしまった。
2ちゃんねる、数年ぶりにしばらくやっていたけどもう潮時かな…
合わなくなってしまった
子育て期には育児に口出しする姑やよその人をやり込めた武勇伝に拍手喝采して、非常識な隣人の話読んで近所付き合いを学んで、子供写真年賀状とか結婚式マナーとかの多様な感じ方も知った
でもなー、自分が年取ったせいか客層がかわったのか、わからないけど、自己責任論好き・お気持ちヤクザ嫌い・ポリコレ嫌い・冷笑的…なところが鼻につくようになってしまった
昔よりも視野狭窄してない穏当なレス率も高いとは思うけど、そうでないレスをスルーしていくのが、だんだんしんどくなってきた
もしかしてまとめ用職人が来るから疑わしきはとりあえず叩いとけってのがあるんだろうか
5ちゃんはまた違った感じなのか、よく知らないけど
Twitterもあまりしてないし、はてブもそこまで楽しくは…いや楽しいけど、100字はあまりに短い時が多くてな…
紙の本に戻る時なのかもしれない
それで、ちょっと今朝のNHKの「はね駒」の弘次郎を思い出した。
娘のおみつが出産で弱ったからだをいやすため、実家に戻っていたが、
嫁ぎ先の吉川家の姑は、おみつを肺病と疑う。
肺病のうわさもひろがっていることから、と
嫁入り道具を送り返して離縁を言い渡されてしまう、
そのことを知ったおみつは、ショックから病気が悪化し、亡くなってしまう。
橘家は、打ちひしがれてしまい、しばらく、おみつロスの状態が続く。
おみつの父の弘次郎はそうした吉川家への非難とはまったく正反対の境地に至るのだ。
橘家当主の弘次郎はいう。そもそも、おみつを嫁に出した自分の責任だと。
また、武家のプライドに固執し、普段から人付き合いを憚ってきたことが、
弘次郎は、おみつの墓前でちょんまげを切り落とし、ざんばら髪にしたうえで
突然の決断ではあるが、並々ならぬ弘次郎の思いが伝わり、一家は上京を即断する。
大変、興味深い。
跡継ぎを生む道具としてしかおみつを扱ってこなかった吉川家のふるまいは、
現代の価値観からすると、なおさらひどく感じるが、しかし、当時としてもおそらく
子供を産んで弱った母親を離縁させ、息子に再婚させるなどという姑のふるまいは、かなり非常識だったに違いない。
しかし、弘次郎は、吉川家に対して、一切そうした批判をしなかった。
おみつが病にふせっているときに元気づけるために、
生まれたばかりの赤ちゃんにおみつを会わせてやってくれ、と懇願しに吉川家にいったときに
長女のおりんがずっとついていなければいけないと心配するほど、グダグタになっていた。
そんな弘次郎だったが、
小刀を抱えておみつの墓前に向かうシーンで、もしや自傷行為か、と思わせておいて
心を入れ替えて上京する、という、なんともポジティブすぎる決断をすることになった。
東京で、何をする、ということも何も決めていない。決めているのは、ただ家族で上京するということだけ。
動揺するおりんに弘次郎はいう。
おまえにとっても東京のほうがいいだろうと。
弘次郎は、こうして、吉川家を一切非難せず、変わるべきなのは自分だ、という境地に至る。
本当に、このシーンは、はね駒の見どころの一つだと思う。
コロナが深刻になった4月中旬くらいから彼氏と連絡を取っていない。
正確には私が連絡を拒否った。
外出自粛になるまでは会ってる方だった。もともと私が一人暮らしだった(今は転職の都合で実家に戻ったが)ので週末は仕事帰りに会いに来てくれてそのまま休日を共に過ごした。通話も週5とか6くらいの頻度でほぼ毎日寝落ちするまで通話繋いで、朝一緒に起きてから通話を切っていた。
この毎日の通話がだんだんと苦痛になってきたのが連絡を取らなくなった原因だ。
通話は仕事の話とかスポーツの話が中心だった。スポーツの話は最近見た試合の話とか(延期になっちゃったけど)オリンピック楽しみだねとかそういうの。
仕事の話っていうのはたまーに辛くなったときにぽろっと愚痴をこぼす程度の話をしていた。私が仕事で悩んでるときに愚痴を聞いてもらい、そこから付き合うまで至ったというのもあって、本当にそのときのことに関しては感謝しているし、だからこそ彼の仕事の愚痴は聞いてあげなきゃって思ってた。
彼は1時間半かけて職場まで通っていて、しかも残業が多く、日付が変わっても会社にいたり終電を逃してネカフェで寝泊まりすることもあったりする。帰れた日でも仕事を持ち帰っていて、毎日深夜1時まで(酷い時は3時まで)仕事をしていた。
精神的につらいのは聞いてて分かるし、私は転職して待遇がよくなったので今度は私が支える番だ!って張り切ってた。
でも支えるどころか嫌になっちゃった。
コロナが蔓延しだしてから、仕事の愚痴プラス会いたいねって話が増えた。私も会いたい気持ちはあったけど、誰かにコロナをうつされるのも誰かにうつしてしまうのもよくない、それにこういう身勝手な行動で自粛期間が延びるほうが嫌だったので断っていた。
会いたいねって言ってくるだけだったら、私も会いたいねーで終わる話なんだけど、何日の夜会わない?って本気のお誘いしてくるからダメだよって諭してた。
彼の仕事がちょうど繁忙期で自粛中も出勤してたから、仕事に対する鬱憤が溜まってて、私と会うことで癒されたかったんだと思う。
逆に私は何度も会いたいって誘いを断っているにもかかわらず、日時を指定して会おうとしてくる彼と電話をするのが嫌になりつつあった。仕事の愚痴をきいたら、つらい→だから会いたい→自粛中だけど○日に会おう?って流れになるのが嫌すぎた。
そんなのが続いているうちに、私と彼の住む県に緊急事態宣言が発令された。
ちょうどその発表がされた次の日の夜、また彼から電話が来た。そして案の定明日の夜会えない?って言ってきた。その場ではまたダメだよって優しく言ったけど、何回言っても誘ってくる謎の根性と、緊急事態宣言という悪化した状況下でも誘ってくる非常識さに限界を迎えた。
数日後に仕事の愚痴を聞いてくれって連絡が来たが、しばらく話したくないと返信して今に至るまで何の連絡も取っていない。
私と彼はSNS上でも繋がっているのだが、私の投稿を見て、時折彼が連絡をくれる。内容はすっごく優しくて、もし自分に原因があるなら謝るとか、SNSでは元気そうでよかったとか。それさえも返事したくなくて、今もずっと放置してる。
最初はお誘いのしつこさにイライラしてて、そのせいであんなに文句あるなら職場変えろよ、とまで思っていた。自分に甘い彼に腹がたってしょうがなかった。こっちは会いたくてもそう伝えることも我慢してるのにって。
だけど、しばらく経ってから私のときはあんなに愚痴を聞いてもらってたのに、そのお返しで彼を支えることすらできないのかって思うようになった。彼を支えるのが彼女の役目なんじゃないかとか、会いたい気持ちを我慢してるからお前もしろとか私のほうがワガママなんじゃないかとか、悩み始めた。1ヶ月以上も連絡なしでカップルといえるのかとも思う。
そもそも、誘われたときやんわり断らずに非常識だよ!ってがっつり言ったけばこうならなかったのかもしれない。それに、何も言わずに連絡を断つこと自体は私のほうに非がある。
世の中の女性のなかには甘えられたら無限に甘やかす人もいるのだろうか。だとしたら彼にはそういった女性の方が似合うのかもしれない。
正直自分がどうしたいのか分からない。今は距離置いて落ち着いているからか、嫌!って気持ちは消えた。だけど愚痴を聞く気にはまだなれない。私は彼女としての器が小さいのかも。単純に人との相性の問題かもしれないけど。
でも、何も話をせずにいるのはどうかと思うので、私たちの関係がどう転ぼうとも私の気持ちを伝えようと思う。まだ実行には至れていない。
彼は仕事がしんどいらしく、SNSで鬱々とした投稿をしている。ここに私のお気持ち表明が加わったらさらにダメージを負うんじゃないかと思って、まだずるずると音信不通の日々を続けている。
手作りという訳ではないけれども手紙用の封筒に色々と加工を加えて遊んでいたら切手の位置の設定を間違えていたことに気づいて「私としたことが~!」という気持ちになった。
横封筒なのに切手の位置を左上にしてしまった。日常的によく目にする縦のはがきと同じ位置
丁度、推しにファンレターを書こうとしてて、切手の位置が違っても別にいいかと思ったけど「お誕生日おめでとう」という大事な内容の手紙だし以前に推しに送った手紙の切手の位置は正しい位置なので推しに「なんでこの人以前はちゃんとしてたのに今は間違ってるんだろう」と思われたらどうしようと思って既製品のレターセットを使いました。
なんで切手の位置が決まってるかっていったら、郵便局が機械で自動的に郵便物を処理する際、横封筒の左上に切手があると機械が切手を読み込みできないのよ。マナーというよりは郵便局の機械の都合上のお願いっていうか……いや、マナーと言えばマナーなのか
それで、私が今回推しに使ったレターセットはちょっと特殊で、切手は正しい位置に貼ったけど機械で自動的に読み取りできないだろうなというつくりで、「じゃあ郵便局の機械に配慮して封筒選び直した意味ー!!」と思った
郵趣やってる人はわかると思うんだけど、切手好きや手紙好きな人は遊び心出してあえて切手をずらして貼ったりすることもあるんだよね。
何が言いたいかというと切手を貼るときに仕事でやるぶんには正しい切手の位置で貼るけど、個人的な趣味でやる手紙の切手はもう好きに貼らせてくれないかなあ。あまりにも非常識な貼り方はしないからさ。常識の範囲内でやるから……ていうかはがきを見慣れすぎてて横封筒で切手の位置が右上ってもはや違和感が私の中である。
仕事ならいくらでもルール守るけど、プライベートの切手の位置で機械がどうのこうの、マナーがどうのこうのってヒヤヒヤしたくないわあ。世の中のレターセット、どう見ても機械通せないだろ。これは手作業で消印押すだろってデザインのものたくさんあるじゃん~
オッケーにしてくれ!ってかもう2020年だし切手を宛名面のどこに貼っても機械で読み取れるように技術が進化してくれ、と自分が間違えたのに長い言い訳をしてみたよ
これまで何十回と繰り返されてきた過去の議論を全無視してまた同じのを始めるやつ
仕方ないからもう一度教えてやるが
「人として常識レベルの礼儀」というものが何であるかは全く自明でない
たとえば初めて人に会ったとき握手をするという礼儀はコロナ禍によって非常識に変わりつつある
男性は女性の前に立ってドアを開けてやるべき、女性はサラダを取り分けてやるべきといった考えは一昔前は常識レベルの礼儀だったが、男女平等思想が浸透してきた現代では非常識と考える人が多くなった(えっ、最近のフェミニストはふたたび男が気を利かせることを要求しはじめている?それは不思議ですね)
常識だのマナーだのを持ち出す時は「それは誰にとっての常識なのか」に注意せよ、というのは多様性を重んじる現代社会においてそれこそ「常識レベル」の知識