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2016-01-22

http://anond.hatelabo.jp/20160122210129

大学入学を機に地方から東京引っ越してきたんだけど、帰省する度にパチンコ屋と葬儀屋が増えて学校が減ってるから、ああこの土地未来はないんだなと悲しくなる。

2016-01-12

チャーハンを食べる夢を見て泣いた話

嫁が他界した

まりに突然だった

この寒さの中、脱衣所で倒れてそのまま帰らぬ人となった

こんなにも人の命とはあっさりと消えてしまものなのだ

さようならだってろくに言えなかったのに

なんでもないことでも大げさに笑うはずの嫁は、もう僕のどんな言葉にも表情を変えなかった

葬儀から納骨まで、いつの間にか湧いて出てきた親戚と葬儀屋とで勝手に進んでいった

世の中とはうまく出来ているもので、こうして立ち止まれないようになっているらしい

自分は言われるがままに決められた役目だけを全うした

夢を見てるみたいで全く現実味がなかった

試しに何度も頬をつねってみたが痛みの感じ方すら忘れてしまったようだ

一通りのことが終わると、緊張が解けたのか急にお腹が空いてきた

ぼくは白米が好きだ

といってもそんなにこだわりが強いわけでもない

炊き方にこだわりがあるわけでもないし、ブランドにこだわりがあるわけでもない

おかずとともに変わっていく白米の味が好きなのだ

しかし、そのことが原因で一度だけ嫁と大きな喧嘩をしたことがある。

夕食はいつも嫁が作ってくれていた。

共働きながら、契約社員ゆえに残業がなかったからだ。

そんな嫁が作る夕食は味覚が子供からかきまってチャーハンピラフオムライスなど、ワンプレートご飯が多かった。

といっても別にワンパターンなわけではなく、いつも中に入る具材や見た目の違いで楽しませてくれていた。

結婚から僕が白米を好きなことは知っていたはずだし、いつも僕はそう口にしていた。

どうしてわざわざ調理の手間をかけて白米じゃないものを出すのか、白米と焼き魚味噌汁だけあれば文句はないのだ。

仕事ストレスも相まってか、その時はそんなつまらないことで声を荒げてしまった。

僕は出されたものを食べずに捨てた。それを泣きながら抗議する嫁を尻目に家を出て、その日は近くの定食屋で夕食を済ませた。

翌日から嫁は何も言わずに白米を出してくれるようになった。

当然僕はそんなことを褒めもせず、嫁も楽になるし僕も食べたいものが食べられるお互いがプラスになっただけだと思っていた。

その証拠に、その日から食卓にはサラダ煮物なんかがもう一皿多く並ぶようになった。

そんなことを思い出しながら僕は台所に立っていた

ご飯まで炊いたところで、僕は食べたいものが思い浮かばずに立ちすくんでいた

冷蔵庫になにもないわけではない

肉も魚も、野菜だって十分に入っていた

でも、どうやって調理していいかわからなかった

結局考えあぐねた結果、僕はソーセージと卵と白菜チャーハンを作った

そうして出来上がったチャーハンを口にしながら、僕はあることに気づいた

流し台には、よごれたまな板包丁フライパンけがあった

それなのにお皿の上のチャーハンには、必要最低限の栄養がつめ込まれていた

そうだったのか

お皿が増えるということはつまりそれだけ準備も片付けも増える

嫁がバリエーション豊かなワンプレートご飯を作ってくれていたのは、忙しい生活の中でそれでも僕のことを考えていてくれての事だったのだ

白米で嫁が楽になったはずだなんていうのは僕の勝手思い込み

それどころか栄養を満たそうとしてサラダ煮物などもう一品増やしてくれてさえいたのだ

それなのに嫁は一言文句を言わなかった

もう、ありがとうもごめんねも永遠に嫁に伝えることはできない

のしないチャーハンを口に運びながら、涙は止まることなく溢れ続けた

ふと気が付くと僕は布団の中にいた。

涙で濁る視界の先には、静かに寝息をたてる嫁の顔があった。

続けて溢れ出る嬉し涙で視界が再び消えようとする中、僕は嫁の手を探し当てて強く握った。

寝ぼけながらも「どうした?」と尋ねる嫁に、僕はかすれた声で「嫁ちゃんの作ったチャーハンが食べたい」と続けた。

「もう!そんなことくらいで起こすなよ!」と素直に苛立つ嫁に叩かれた頭には確かな痛みがあった。

2015-10-02

http://anond.hatelabo.jp/20151002071628

あなたの言う事は尤もなのだけれど、

まぁ、やってみなければ分からないわけで。

刑事葬儀屋制作進行も居てくれないと困る仕事でしょうから

1人でも多くの方が夢を叶えられる世の中になって欲しいものですね。。

私たちの何気ない日々の生活の中に

一体どれだけの志半ばで終わった夢があるのでしょうね。

物思いにふける良い機会になりました。

今日も1日お互い頑張りましょう。

踊る大捜査線見て刑事になろうとか、おくりびと見て葬儀屋になろうとか、白箱見て制作進行になろうとか

から見てたらアホらしい。

けいおん見てギター始めた奴が昔いたが、そいつ放送が終わると同時に部屋の片隅にそれを追いやっていた。

同じなんだよな。

結局夢見は最初だけ、夢破れるのがオチなんだよ。

ましてや刑事とか葬儀屋とか制作進行なんてのはどう考えても生半可な仕事じゃないから

皆憧れで入ってくるんだよ。

だけど、気が付いたら皆退職してたなんて話はザラにある。

で何が言いたいのかというと、ドラマアニメ見て直ぐ俺でも「なれる」と思いこむのは辞めた方がいい。

イメトレしてからでも遅くない。

GATEに憧れて自衛隊に入ろうなんて奴はさすがに居ないと思うけど

もし入ろうと思ってるなら、今安保反対デモやってるだろ

アレ見てからでも遅くはない。

遊び半分のアレでも実際現場行くのは自衛隊で、現に小泉時代には死者も出てる危ない仕事なんだ。

アニメ見て死にたいなら止めはしないけど、職業を甘く見てたらとんでもない事だけは忠告しとく。

2015-07-04

初めての飲み会

初めはビールで楽しく飲み会

途中でウイスキーが出てきて

みんながストーレートでいっき飲みを始める

席を離れトイレから戻って来ない人が続出

俺も便器から離れられずしばらく便器を抱えてた

閉店時間が来て、何とか店を出てみんなと別れたが

知らないうちに、道端で寝入ってしまった

誰かに「大丈夫ですか?」と声をかけられたので

大丈夫で~す」と答えて更に寝た

しばらくして目を覚ますと、その場で思いっきり吐いた

ゲロゲロゲロ・・・その日食べたものを全部吐いて、ゲロ小山が出来てた

吐いた場所は、葬儀屋さんの入り口だった

申し訳ないけど、ゲロはそのままにして、駐車場クルマはそのままにして

飲み会の友人とは別の友人に電話して迎えに来てもらって帰った

クルマの中でまた吐きそうになったが、なんとか耐えた

それからは、酒を飲む量やペースをセーブするようになった

コップを空けると酒を継がれるので、ちびちびと飲んでるふりしてコップを空にしないようにするのがコツかな

あの頃は楽しかったなぁ・・・

2015-03-30

http://anond.hatelabo.jp/20150330104011

葬式は本当にお金かかるね・・・

因習と生きてる者のエゴや体裁なのかな・・・

うちの父が死んだときは、

都内で近所の寺の墓買って墓石と込みで500万くらい

戒名と式で寺にはさらに150万くらい(院号から200万くらいしたかも)

あと葬儀屋には100万くらい

で、900万くらいつかった

在職中で会社役員から香典が数百万くらいあったから、赤字にはならずに済んだけど、

定年退職してたらあんなにはできなかったかもしれない

2014-12-28

爺さんの葬儀をお手伝いした時のメモ

はてブで上がってたこのページを見て、俺も最近爺さんが亡くなった時に葬儀のお手伝いをしたので忘備録がてら書いてみる。

爺さんのスペック

通夜まで

お坊さんとの調整とお布施

  • お寺との調整は葬儀屋ではなくて喪主自身で行う
    • うちはもともとつながりがあるお坊さんにお願いしたが、いない場合葬儀屋に聞けば多分紹介してくれる
    • 四十九日法要や1周忌など、今後長いお付き合いになるので挨拶はしっかり行おう
  • お布施戒名 + お経を挙げてもらうの2点に対する費用(という言い方はちょっとアレだけどあえてこう書く)
    • 相場なんてあってないようなもんだけどお寺側と話し合って30万円になった。
    • 加えて会場までの交通費とお食事代を別に包む。確か2万円

費用

  • 見積書が出る前は多分150万円前後で収まるかとおもいきや結局180万ぐらいかかったらしい
  • 事前の見積が甘くなる箇所はお返しの費用
    • 1セット3,000円で50セット用意し、使わなかった分は返品可能
    • 30組ぐらい来ることを予想していたが結局全部捌けてしまった
    • 爺さんの生家近くの電気屋の人が来るとか予想外でしょ…
  • 見積が甘くなる箇所その2としては告別式後の精進落としでの飲み物費用
    • 会場にもよると思うがとにかく飲めや飲めやというペースで飲み物が出してくる
    • もちろん、来てくれた方への感謝のために会場側の対応は正しいとは思う。ケチるべきではない。

その他

  • お花はたくさんあったほうが華やかになる
    • そんなに提供は無いだろう…と思っていたが気がついたら結構な量の花を頂いた
    • 量が多くなるにつれその並び順をどうするかで親父がものすごい苦労していた
    • メンツだけを気にするクソ親戚がいるかどうかでここの心労度はかなり変わってくる
  • 家紋はお墓の写真を撮るなどして予め把握しておけ
    • 親も正しい形が思い出せず、通夜準備の忙しい中墓まで確認しに行ってしまった

2014-11-10

http://anond.hatelabo.jp/20141110135750

葬式を出さない前提でも、

死亡診断書、火葬許可書 の取得、

火葬場の予約、火葬までの遺体保管運搬

必須だね。

葬儀屋には、直葬 (葬式せずにすぐ火葬する)で頼めば

安価対応はしてくれるところもある。

2014-11-09

ライターイラストレーターになりたい

私は自分の考えを口に出せない臆病者だ。

小学生の時にあれこれああいうのがあってーとか、トラウマ結構ある。

だけど、本当はそんなのどーでもよくて、人と話したくない自分正当化するために、トラウマを利用しているだけなんだろう。

人のせいにするのは楽だ。

自分の考えを口に出せなかった私は、創作に手を伸ばす。

創作は素晴らしい。怒りも、嫉妬も、楽しいことも、全部受け止めてくれる。

それが物語の幅を広げてくれる。自分の気持ちや経験反響して、変化していく。

まるで鏡と会話をしているみたいだ。

私は、シナリオライターあるいはイラストレーターになりたいと思った。

勉強もした。というよりしている。

ここ一年でやっと自分本位で物を書いていけないと学んだ。読者を意識しないといけない。

いーや、面白いものを書かなければいけない。そう、書いてやるぞー、という気持ちでいっぱいだ。

でも、なんだろう。それだけじゃ駄目だってこともわかってきた。

自分作品に自信がもてない。

素晴らしいものですよー、面白いものですよー。と言えない。

自分押し売りできない。自分より優れた人々はたくさんいる。そんな中で自分作品を「面白い」といえる勇気がない。

うまいと言われても、お世辞にしか聞こえない。

誰かに必要とされないかぎり、何を書いても自分作品は0円なのに。自分自分作品価値を下げている。

からきっとライターにもレーターにも向いていない。

だけどなりたいと思う自分がいる。矛盾って、背徳感だね。

もしもクリエイターを目指すのを辞めたら、葬儀屋になりたい。

葬儀屋になって、人が泣いている姿をずっと見ていたい。そこでいろんな人生の終末を身届きたい。

自信よ、いつになったらやってくんだ。

2014-08-12

http://anond.hatelabo.jp/20140812143538

うん、それにはちゃんと答えよう。

信仰儀礼葬儀の話になるんだよ。

簡単に語ろうとすると齟齬が発生するので、宗教冠婚葬祭仏教教義の遷移なんかは一度調べて見てくれ。それはとてもおもしろから

なぜ恥になるか。

それは常識に対してきちんと理解がないからだ。

君は坊さんの説教を聞いて少なくない額の金を払うことに疑問があるんだ。

しかし、そうは言っても坊さんは別にお経の押し売りをしてきたわけではない。

マンション化粧品ではあるまいし、墓や念仏に営業なんかは来ない。

きちんと学を修めた(修行を積んだ)お坊様にお越しいただいて、形式に則って供養する訳だ。

お布施はそのお礼であって、技術料、車代、日当なども含んでいる。もっといえばブランド料だ。

ちなみにキリスト教神道の家なら坊さんは呼ばない。

葬儀法要を執り行う人物が死人に意思はない、と思えば故人の供養は必要ないのだ。

死体も、防疫の観点から火葬し、人間死体の保存が許されたしかるべき場所放置すればいい。社会の目を気にしなければ。

ただし、増田がそうでも大抵の人は大切だった人への手向けとして葬儀をしたい。

区切りも付かないしお別れの儀式もしたい。

この時点でも、坊さんを呼ばずに身内だけで坊主もお経もない、そんな式をすることも出来る。

それでも、わざわざ坊さんを呼ぶのは増田の親御さんが坊さんに来て貰いたいからだ。

坊さんは葬儀屋と組んで式を滞りなく進めてくれるし、式も立派になる。

一緒に故人を偲ぶ親族友人に対しても、増田の親御さんは格好が付けられたはずだ。

まり、きちんとした葬儀法要自分で行うのは知識面から物理からも難しい。

そして、故人の縁者、あるいは自分の知人に対して格好が付かない。

から、きちんとした専門家を呼んで葬儀を行う。

そこにお礼が発生する理由は先述したように技術料等とブランド料だ。ちなみに坊さんの徳が高いと相場も跳ね上がる。

から

自分や他の縁者が全員気にしない。

他者に対して見栄を張る必要も一切無い。

この二つを満たせば、法事をしなければ良いのだ。

ところが元増田は、自分たちで呼んで、おそらくきちんと要求を果たしたであろう相手へ金を払うことに対して納得が言っていないのだ。

来て貰って、サービスを受けたならそこでぐちぐち言うのはやはり筋違いなのだ

デリヘル嬢にサービスを受けたにもかかわらず文句を言うのとかわらんのだよ。

それは常識的に考えて恥ずかしい行為だ。

2014-05-08

http://anond.hatelabo.jp/20140508022218

金銭感覚の違いっていうのもあるかもしれんが、

冠婚葬祭系の営業の「一生に一度ですから」は常套句だね

結婚式よりも葬式のほうがもっとぼったくってくる。

結婚場合、これから先のことを考えたりするから元増田みたいに冷静に考えたら…てなれるけど、

葬式場合、「これから」がないし、精神的に弱っているときから余計につけ込まれやすい。

不要な経路案内の看板や誘導人の設置、遺体におくドライアイスや防腐剤

祭壇に飾る花代がどうのこうのとか・・・

葬儀屋のほうがや○ざだと思う。

2014-03-18

初めて家族と死別したので時系列で覚え書き

1.救急搬送とき

・ただごとじゃなさそうだったので救急車を呼んだ。

救急車到着、即行病院搬送かと思いきや、「普段服用している薬は?」「持病は?」「保険証は?」とか色々訊かれた。それが死の原因ではないけど、かなり焦ったしイライラした。

・服用薬のリストを作って、保険証と一緒にわかるところに置いておくといいかもと思った。特にある程度の年齢になったら。

2.死んだとき

・今まで特別病気とかしたことのない人だったので、ただただ急過ぎて意味が分からなかった。

・死因は大動脈瘤破裂。これと心筋梗塞脳梗塞くも膜下出血あたりが突然死四天王みたい。

・死んでからすぐに「どこの葬儀屋に頼むか決めてくれ、ここで」と言われた。マジか。

・結局農協へ依頼。

シンプル火葬とかのサービスもあるけど、その辺を利用する決断をこの場で下すのは難しい気がした。故人が生前からシンプル火葬希望の旨を周知徹底しておくとかでもない限りは。葬儀業界市場原理とかあんま無いみたいで、地場根付いているかがほぼ全て。

3.無言の帰宅とき

・逝ったのは月曜だけど、最寄りの斎場が混んでるらしく通夜告別式は次の土日に行うことに。冬の方が他の季節より死ぬ人が多いみたい。

・「今くらいの寒い時期なら、ドライアイス敷いとけば一週間近くは平気でしょ」とのこと。そんなわけで我が家に仏が5泊。

・その日の内に葬式見積もりとか色々もらう。誰が花をいくつ贈るかとかそんなのに気を遣う。本当はそんなことより泣きたい。

・実際、すぐ焼かないで何日か一緒にいられたのはラッキーだったのかもしれない。

納棺した仏に顔を近づけ過ぎると、ドライアイスから放たれた二酸化炭素めっちゃ吸い込むので注意。

戒名たけーよ。1文字3万円くらいよ。いっそ戒名ジェネレータとかあればいいのに。

4.通夜とき

・どこの誰なのか正直よくわからない人達が何人も来る。でも、ありがたい。

・離れて住んでる親戚とかって、盆と正月と身内が死んだときくらいしか会わないね

アサヒスーパードライめっちゃ届く。エビスとかプレモル何となくダメで、こういう場だとスーパードライなのかね。ウエットな場なのにね。

・坊さんが地味めの袈裟で登場。何を言ってるのかよくわからない。

・式の司会担当のおばちゃんがやけに抑揚をつけた声で「天国から見守っていることでしょうーー」とか話す。三文芝居みたいで興ざめ、でも、泣く。このおばちゃんに3万円。

寿司やらを皆で食べる。会場には瓶を下げてくれたりするおばちゃんが3人。このおばちゃん達に一人当たり1万円。

5.告別式火葬とき

・嫌味なくらいに気持ちのよい朝。

・昨日よりもかなり高級そうな袈裟を纏い、坊さん満を持して登場。相変わらず何を言っているのかは不明。

・式が終わり、皆で棺に色々詰める。もう焼かれてしまう。仏をよく触る。泣く。

・「1時間程度で火葬が終了しまから」と、待っている間にまたプチ宴会。酒を飲むも、酔えない。

・「ご遺族の代表の方は、遺骨の確認をお願いします」のアナウンスを受け、席を立つ。

頭蓋骨とか大腿骨とか、丈夫な骨はちゃんと形を保っているものだと思っていたが、かなり強い火力で焼くらしく、全部ばらばら。自分の時は、ミディアムレアくらいがいいな。

・確認とか言われても、こうなっちゃ誰のを出されてもわからんわ。

・その後みんなで骨を拾い、壷に入れて帰宅

6.帰宅後のこと

・帰って早々に諸々の清算。いっそ前払いでクレジット決済とかにして欲しいわ。

香典返しとかめんどくさ…

※今ここ

2014-01-17

の子のこと

今日は4回目の命日。虚無感は未だになくなりません。

#書きたいことがまだあったので、内容に一部加筆修正します。

平成23年5月22日、午前8時30分(推定死亡時刻)、あの子は逝った。

2人と猫2匹で同棲していた分譲物件タオルをドアノブにかけた非定型首吊りによる縊死だった。

前日に喧嘩をした。予感はあった。

喧嘩理由彼女の寝つきが悪いので、

ベッドのマットレスを新しいものに取り替える。

しかし、その前にサイズを測っておらず、違ったベッドマットを持ってきてしまい、

どうしよ~と彼女に報告した事。

要領が悪いと指摘され、いじける僕にあの子はキレた。

「もうあなた学習しないところ、何もかもがダメなの。

最後まで最低な人だったね。飼ってる猫2匹連れて1晩でいいからこの家出て行って。さよなら

僕の中で、ベッドマットを交換してあげる事が好意で、

その好意はあの子に喜んでもらえるものだと確信していた。

その好意は結果が伴っていないため、また押し付けがましいものを提案してきたのに、結果が失敗していた。

と、いうやり取りが面倒で面倒で仕方がないみたい。

僕は誠意のない謝罪を繰り返すばかりで、あの子の心を動かす事はできなかった。

僕は一泊分の簡単な荷物をまとめ、翌日に戻ってくるつもりで家を出た。

だけど、出掛けの「さよなら」がとても気がかって、

車をなかなか発車させることができなかった。

その間、何度も家や彼女携帯電話を鳴らしたが、出ない。

その後、実家に戻り、1晩を明け、朝一で彼女と住んでいる家に向かった。

家や携帯はかけてもやはりでない。

家の覗き穴から見るも、部屋の様子は伺えない。

ただ、物音はするから普通に生活してる様子だ。

よかった生きている。

僕は安心してその日予定されていた自治会行事マンション前の草むしりに参加した。

▼あの子が逝ってしまい、中身が入っていない器を見つけた時の話。

平成23年5月22日11時くらい。

11時頃に草むしりを終え、帰宅し、彼女に精一杯謝って誠意を伝えよう。

意気揚々と家のドアを開けた。

距離は遠いが、明らかにあの子が不自然体制でドアに寄りかかっているのが見えた。

見た瞬間にすべてを悟った。

2年経った今でもずっと脳裏どころか、記憶のとっても浅い所に焼き付いている。

ショックだった。これほど衝撃的な場面に僕は出くわしたことはない。

首吊り縊死といっても、キャベツ太郎の景品で送られてきた景品ハンドタオルをロープのように使って首に巻きつけ、ドアノブでしばっているだけ。

ちょっと暴れたらすぐ取れるじゃん。こんなの。

でも、足掻いた形跡はない。彼女の中身が入っていない器は、口は半開きで眼の部分は半開きで、眼球はすでに乾いていた。

飼っている猫2匹があの子に寄り添って寝ている。

それまでは日常的な光景だったのに、この瞬間だけはあまりにも非日常的な光景すぎた。

そばには流れっぱなしのiPod。今も曲が流れている。

また、そばの椅子の上にはdocomoからの請求書に殴り書きしたような番号が書かれていた。

それはあの子が持っていたメインバンクの口座番号と暗証番号だった。

自分発見が遅すぎた・・・・・・

ここからは気が動転していたので、思い出せることを書くが、

すぐに110番をする。119番にまわされる。

消防センターからは、

「呼吸はありますか」

「脈ははかれますか」

心臓マッサージを隊員が駆けつけるまで続けてください。」

の子があの子であったなら、何も考えずに言われたことをやっていただろう。

でも、もうあの子は逝ってしまい、ここにいるのはあの子の器なだけなんだ。

足には縊死でなくなった方の特徴の斑ができていて、手もギュッとこぶしを握っていて開かない。

死後硬直まで起きている。

救急隊員が来る間、必死に人工呼吸を行った。

生きている人間ならば、押すと跳ね返りがあり、多少の息の返りがわかるはず。

彼女は穴のあいた風船のように押せばしぼむ、押せばしぼむの繰り返しだった。

鼻の穴をつまみ、口からの呼吸も試す。

まったく入っていく気配はない。

と、いうか口の中が乾きすぎている。

もう、誰がどう見てもあの子は器だけ残して中身がどこかへ飛んでいってしまったんだ。

救急隊員が到着し、人工呼吸を代わってもらい、その光景を見つめながら僕は天を仰いだ。

まだその辺にいるのか?いるのなら最後に話したい。

そんな馬鹿げた事を考えていた。

救急隊員があの子ストレッチャーに乗せ、マンションを出る時も心臓マッサージをした。

マンションの前には救急車が突然来た事に驚いて、

野次馬(失礼な言い方かもしれません)が集まっていました。

の子に白い布が体にかぶせられていたのですが、顔はそのまま出ていた状態でした。

僕はあの子はもう、死んでしまっていて、そんな死に顔を野次馬に見せたくない、との一心

白い布を顔までずらしました。

しかし、救急隊員は「まだあきらめちゃだめです!」とか感情論

白い布を体にずらし、再び彼女の顔はあらわになった。

中には小さい子供や、親しくしていただいた近所の住人がいたので、

僕は周りを気にせずに救急隊員に当り散らしてしまいました。

彼らはあの子を助けるつもりでいてくれた事には感謝しています

しかし、どう見てもあの子はもう、あの子が入っていた器だったんです。

結局、病院でも1時間近く蘇生術を行ってくれましたが、

彼女心電図が動くことはありませんでした。

もう2年以上経って、もうすぐ3年目を迎えるのか。

そんな気は全然しないな。

命日が怖い。3周忌の予定も立てれる自信がない。

あの日以来、いっぱい泣いたけれど、四十九日を境に泣くのをやめた。

でも、本気で笑う日は少ない。

すべてあの子がいたら、の仮定でしか話を考えられなくなってしまっている。

だけど、こんな悲嘆すること言いながら、

僕は環境も変わって、嫁さんももらって子供も昨年生まれた。

都合いいよね。

嫁さんには大方の話はしたけれど、こんな詳細までは話していません。

でも、気落ちした私を心底支えてくれました。

大切な人が命を断つ。

大勢いると思います。こういった経験をされた人。

自死であれ、不慮の事故であれ、闘病を続けられた方であれ。

まりにも彼女の入った器を見つけたときのショックが大きすぎて、

いろいろな自死遺族の会に参加させてもらったけれども、

皆さんこもごもにケースが違う。

似たようなケースの人なんているようでいないと思っている。

また、社会に出ると毎日のように人身事故自殺ニュースが目に入ってきます

その遺族の方達に自分と同じような感情を持っている人はいるのだろうか。

一人でずっと抱えてきたけれども、そろそろ限界な気がします。

自分価値観が大きく崩れて、自分首吊り死ぬことが一番最良の方法なんではないかと

感じてきてしまっている。

後を追いたいわけじゃない。疲れたんだ。

の子に会いたいけど、もう二度とあの子に会えないのはわかっている。

でも、少しでも、あの子が逝くその時にどんな感情だったかを知りたい。

少しでも死にたくないという気持ち、があったのか。

きっとなかったんだろうなとは思う。

じゃなきゃ、あんな覚悟ある行動できないもの

の子X JAPANが大好きな子でした。

hideさんが亡くなった方法もあの子と似たようなものでしたが、

それを真似したわけではなさそうです。

とりわけYOSHIKIさんが好きだったから、あの子に一度会わせてあげたかったな。

確実に、自分ひとりで逝く方法首吊りだったんでしょうね。

実行の際にはオムツも履いていましたし。

の子の死後、あの子PC警察調査した所、

色々な自死方法を調べていた痕跡があったそうです。

中には硫化水素を用いる方法練炭を用いる方法

それほどまでに死に執着していたのか。

話代わって、死後の世界なんて、本当にないと思っている。

昔は怖い話系のシリーズを読むと、怖くて一人でトイレも行けない僕だったけれど、

の子が逝ってから、その類への恐怖というか、関心が一切消えた。

霊的現象なんてもってのほかだ。

人の死というのは、電気スイッチと同じで、OFFになると消える。

一度OFFになったものは、二度とそのスイッチは戻らない。

火葬場に行くまでのあの子は顔色が青白いだけで、

今にも起きてきそうなほど、綺麗だったけれど、

何より、火葬場での変わり果てた姿を見たとき、あの子はもう、あの子の器すらも失ったんだと確信した。

もう、あの子存在は失われ、無になった。

の子に会えるならどんな形であれ、出てきてほしいけれど、

僕の夢にも一度も出てこない。

そんなあの子が例えば幽霊とかで出てくる要素がなくなってしまった。

もし、そういった現象を体験した、と自覚するならば

僕の気が触れてしまったということなんだと思う。

事情を知らない火葬場の人から「とてもお強い綺麗なお骨です。どこかを病んでいたようには思えません」と、

説明があった事が僕の絶望感をさらに増幅させた。

体はとても健康。でも、死ぬ。いや、僕が殺した。

の子の器だったものの骨壷を持ったとき違和感が今でも手に残っている。

しかし、そんな僕だからこそ、葬儀に至るまでの間、本当に僕の周りに迷惑をかけた。

本心葬儀の日まであの子と過ごしたかったのだけれど、

僕の両親・友達・近所の親しい方々が心配し、泊り込みで支えてくれた。

葬儀屋の方々も感謝してもしつくせないくらい、落ち込んでいる僕を支えてくれた。

あの時の恩を返そうと、今では笑顔を作って「僕は大丈夫幸せに過ごしている」を見せている。

遺産相続については、とても大変でした。

続柄としては内縁の夫でしたので。

の子は遠い親戚はいるのですが、身寄りがなく、

葬儀の際はその遠い親戚から相続はどうするんだと搔き立てられました。

でも、あの子遺書を残していました。

その内容を一部抜粋します。

同居人の僕にすべてを相続する。

 これまで大変お世話になりました。

 皆様には幸せになっていただきたいです。」

遺言書検認の手続きの際にお世話になった方に

「とても現代若者が書くような内容の遺書ではない」

と、言われました。

今でも読むだけで心がおかしくなります

正直、あまりに辛い出来事から逃れたいが為に、すべてその遠い親戚に渡したかったのですが、

遺言書の通りにするのが一番だ、という周りの方の勧めであの子のすべてを僕が相続しました。

そのすべて、には今僕が住んでいる分譲マンション並びに預金口座も含まれています

また、その中にはあの子が僕と出会う前にあった出来事のすべてを遺しています

これまで育った経緯の写真

その中でも一番心に響くのが、幼少の頃のあの子の親に大切そうに抱きかかえられている写真

水泳大会で取ったメダル

幼稚園から専門学校に至るまでの卒業証書

の子宛に届いたであろうラブレターなど。

何も捨てられません。

また、この遺産を見るにあたり、ますます自分があの子を殺してしまったんだ、という気持ちが強くなりました。

今の妻に、もしこの遺産を見つかったならどう説明すればいいかもわかりません。

再度似たようなことを書きますが、世の中、毎日のように自殺ニュースを目にします。

見る分にはいいんです。社会は広いし、いろいろな人がいますから

しかし、あまりにも自殺ニュースは多く、社会に出ていると

身の回り日常会話の中でも「○○さんが自殺したの知ってる?」なんて話題を振られたりする。

昔は僕も普通にこの会話に参加できてはいた。

でも、今はこんな会話を自分に振られると、一気にあの子の事がフラッシュバックして、

いてもたってもいられなくなる。

でも、社会とはそういうものなのかもしれないけれど、死こういった会話をする事がとても辛い。

けれど、その社会から逃れた生活をすることなんか出来ないし、仕方ない事なのかな。

だとしたら、僕はその社会から逃げてしまいたい。

ドアを開けて一目でわかったあの子の変わり果てた姿。

その直前までは生活音を聞いていて、生きていたであろうあの子の物音。

そこからの子生前の僕とのやり取りを思い出す。

多かれ少なかれ、関わった人間の生から死に関わると、

皆、こういう感じなのかな。

だとしたら、少しホッとする。

感情の向くまま、書きなぐってしまいました。

最後までお読みいただきました事、御礼申し上げます





(追記 1/18)

多くの方に読んでいただいたようで、ありがとうございます

コメントもすべて拝見させていただいています

色々なご感想、どれもこれも自分には有難い限りです。

の子の事を書くにあたり、自己陶酔は確かにしているかもしれません。

想像しか、あの子表現できなくなってしまっているので、

自分の都合よく美化している面もあるかと思います

僕がきっかけではなく、あの子はいずれ死を決めていただろう、とも心のどこかで思ってはいます

でも、思うところは僕が殺してしまったに変わりありません。

しかし、時は最良の薬なのですね。

この文はあの子が逝った翌月あたりにEvernoteに書き殴っていたもの

自分の現況を重ねて即興で仕上げたものなのですが、

添削した文はひどいものでした。

死にたい。消えたい。寂しい。会いたい。僕は人殺し。」

そんな事ばかりしか書いていませんでした。

今でも多分に希死念慮に駆られていますが、

それは自分希望であって、多くのコメントでいただいているように、

結婚し、子供を授かり、育てている以上、妻と子に人生を捧げるつもりで生きます

上記では死んでしまいたい旨、書いてしまいましたが訂正します。

僕が一番わかっていたはずの事を忘れていました。

周囲にダメージを与えない自死なんて存在しない事。

そして、余談とはなりますが、あの子が逝ってからというもの

不思議出来事ばかりが起きています

の子の納骨が終わった日の夜、

15年前に付き合っていた人から10年ぶりくらいで連絡があり、それが今の妻になります

東日本大震災被災地に住んでいた人だったので、

地震発生後しばらく電話をかけていたのですが、繋がらず、心配していました。

妻曰く、当時はバタバタとしていて自分の着信に気づいたのですが、後でかけよう、と

思ったタイミングが約4ヵ月後、あの子の納骨の日だったらしいのです。

また、あの子とは話し合いの下、結婚も考えていて子作りもしておりました。

期間にすると約3年くらい。

結婚子供イコールにするつもりはありませんが、

の子とは付き合いが長かった為、次のステップへの良いきっかけになると思っていました。

しかし、あまりにできなかった事から、あの子産婦人科不妊検査

僕は泌尿器科で精液検査をしてもらったところ、

自分精子が極端に少なく、子供は望めないかもしれない。と、いう話をされていた。

しかし、妻とは結婚後3ヶ月の期間で長男を授かった。

自分は正直、恵まれていると思います

……これ以上は言葉になりません。すみません

とりあえず、僕は僕を捨て、あの子になったつもりで精一杯、死ぬまでこの世を生きてみせます

ありがとうございました。

2014-01-09

http://anond.hatelabo.jp/20140109161532

嫌なら「都合が悪い」と一言言って行かなきゃいいだけだろ。つか、結婚式ぼったくりなら、世の中で潰れる結婚式場なんて存在せんだろう。実際、葬儀屋ほとんど潰れることなんて無いんだし。

2013-11-06

http://anond.hatelabo.jp/20131106001822

ダイヤ乱れる飛び込みや有毒ガスとかの二次災害の可能性がある死に方を選んだのは、故人の遺志なんだと思うよ。

最後に誰かに迷惑をかけてから死にたいっていう。

可能な限り他人に迷惑をかけず、自分も痛くない死に方はあるよ。

自分配偶者がそうだった。

うつ病になって、ちょっと良くなってきた頃だったんだよ。

でもさ、そうすると気づくみたいなんだよね。病人社会復帰できないって。

実家自分家族に頼るのも申し訳ない。

生活保護を受けるのも申し訳ない。

からなるべく迷惑のかからない方法で、そっと死んでいったよ。

身辺整理も、葬儀屋の予約や墓の用意も終わってた。その後の法事もしやすいような日程で死んだ。

ただパソコンの履歴には、死ぬことを決めてから実行するまでの履歴がちゃんと残っていたよ。

故人は自分で考えて最善の方法を探すんじゃないかな。

誰も死を支援することなんてできないよ。

2013-10-13

煙草臭い葬儀屋に送られたくない

触られたくもない。植物学者だった伯父が可哀相です。

どいつもこいつも煙草臭かったです。当日だけ吸わなければバレないとでも思ってらしてなのでしょうか。

受付さんの女の口から煙草臭いしました。会社名をさらしたほうがいいですかね?

伯父さん家族とは仲良く、色々なところに私たちも連れて行ってくれました。伯父さんがいなければ北海道

南アルプステントを張ったりするような機会に預かれなかったでしょう。私はそんな伯父が大好きでした。

そんな自然をいっぱい愛していた伯父さんの最後煙草臭い葬儀社のおかげで酷いものになりました。

有毒物質化学物質にまみれた煙草をどうしてスタッフは吸うのでしょう?

周波の違いはあれ、自然に還る一環のお仕事に携わるのですから臭いのは厳禁でしょう。

臭い臭いを感じさせた時点で、プロとして失格なんです

今後死亡者年100万人時代がかなりの間継続されると聞きますが、どれだけの人が葬儀屋煙草のおかげで

失望したり、怒りで手が震えたり、最後のお見送りの気持ちを邪魔されたりするかと想像すると暗澹たる気が

します。

既に健康増進法によって公的な場所での一切の喫煙は厳禁ですので、葬儀スタッフは全員禁煙すべきです。

犠牲を繰り返さないためのささやかアドバイスとして、葬儀社に念書の提出を提案します。

過去10年間煙草を吸った人間葬式に一切携わらない。違反して臭いがした場合契約無効とする。

こうすれば、故人の最後のお別れの場が変な臭い台無しにされるようなことが日本からなくなるでしょう。

葬儀社にも、煙草を吸わないスタッフのみで固めることでプラスになります

伯父とのお別れは残念でしたが、

今後、私の近親者を見送るときは絶対に煙草を吸った人間を関わらせないようにするつもりです。

2013-06-26

親父が死んだが涙は一滴も出なかった

これの続き。

介護中の親父が憎すぎる

父親は血のつながりもなく母親介護放棄家出

前の記事を書いてからいろいろアドバイスをもらって、とりあえずケアマネさんに来てもらったりしたが俺のストレスは減らなかった。

キチガイとなった親父はこの後も頭のおかしい行動で俺をいらいらさせた。

ある日、風呂から上がって全裸の親父とリビング鉢合わせた時、俺は目を逸らした。

親父はそれを見てて、俺が親父の裸に嫌悪感があることを理解した。

その日の夜、寝かけの俺の部屋に親父は全裸で現れた。

死ねと思った。

前の日記を書いてから、親父を週の半分デイケアサービスに行かせるようにした。

何してるか知らんけど、日中家にいないだけでかなり気が楽だし仕事もかなり自由にできるようになった。

そこでも親父はキチガイ行動しまくってたらしいのでスタッフの方には申し訳なく思う。

先日、施設から電話がかかってきた。

かかってきた瞬間俺は期待しまくった。

「お父さんが倒れられて…」

ガッツポーズした。

病院に行ったら親父は死んでいた。

涙は一滴も出なかった。

苦労させられたことや、出て行った母親のことを振り返るとただただ気が楽になったとしか思わなかった。

葬儀屋の言いなりになる人も多いそうだが、一番安く済ませる方法スマホでググっていた。

葬儀もせず、直葬で済ませた。

それすら燃える親父の煙がかからないように離れた場所で見ていた。

俺は幸せ結婚をして、子どもに愛される親父になりたい。

2013-03-26

猫との契約が満了した

家の苗字と猫の名前電話番号が記された首輪は、契約のしるしみたいなものだと思っていた。

契約内容は、こんな感じ。

わたしたち家族は、猫に対し適切な居住空間とご飯と愛情提供すること。期限は、神様の定める時間まで。

猫は、同じ家に住んでくれればいい。期限は、神様の定める時間まで。

昨日の朝、よろよろとだけど歩いていて、母にいつにないくらいかわいい声で「にゃん」と言ったらしい。

そのあと、わたしが起きてきたときは、ちょっと歩いては床の上にじっと伏せっていた。

寒くないのかなと思っていたら、よろよろとコタツにかけてある布団のうえにたどりついて、横になっていた。

そこから何度か起き上がろうとして、なんとか前脚と頭は起こしたけれど

立ち上がることは出来なくて、パタっとまた横たってしまった。

そして、それから2時間もしないうちに、変なセキみたいなのを小さく何度かして脚をちょっと動かしたのを最期

もう二度と動かなくなってしまった。

猫の体を拭きおわって、母が「首輪をはずしてやろう」というので、はずした。

契約が満了してしまったんだと思った。

ダンボールタオルひいて、仏間に置いた。

猫をかわいがっていた、ジジババが迎えにくるといいなと思った。

今日ペット葬儀屋さんにお願いしてきた。

インターネットで見たような、ペット葬儀トラブルが頭をよぎったけど、そんな心配無用だった。

お別れ前に、なでた体は、当たり前だけど冷たくて、やっぱり死んだんだなと思った。

肉球も冷たくなっていたけど、ぷにぷにしていて、まだその感触を思い出せる。

家に猫がきたのは、高校に入学した年。そんなわたしも今は、結婚して隣の県に住んでいるんだけど

夫が数日家をあける予定だったので、たまたま実家に帰っていたこと。

父は、とくに予定がなかったからいいとして、母は予定があったんだけど

たまたま前日お風呂椅子に座りそこねて、たいしたことはないもの

予定をキャンセルして家にいたこと。

たまたまかもしれないし、自己満足かもしれないけど、家族で見送ることができてよかった。

らんまの隙間から出てきたり、ふすまをサッと開けたり、ウンチはいつも埋めない、

台所に人がいるとゴハンを要求してくる、猫好きの親戚のおじさんのあぐらの上で寝たり、

ばーちゃんの股のあいだに寝たり、父の背中に乗ったり、シーチキンの缶を開けたら目をらんらんとさせたり、

なでていてゴロゴロいってると思ったら噛んでみたり、毛玉ゲロってたこととか、

他にもたくさん思い出すと悲しいんだけど、猫と暮らせた時間はすごく幸せだった。

眠くないし、ちょっと気持ちの整理に。

ゆっくりしてきていいよと言ってくれた夫、ありがとう

2013-02-02

祖母が死んだ

今日祖母が死んだ。

風呂場の中で倒れてた。

祖母は祖父とふたり暮らし

祖父が最初に気づいた。

風呂に入った祖母が全然あがって来なかったらしい。

様子を見に行ったら風呂桶の中で突っ伏してたとのこと。

まぁ祖父もトシなので、どこまで正確かはよく分からない。

引き上げようにもどうにもならなかったので、

いちばん近所に住んでいる自分(孫)を電話で呼んだ。

急いで行って祖父母の家に着き、風呂場を見たら、

祖母の身体は浴槽に下半身を浸けたままで、上半身は浴槽の外側へ倒れていた。

それが自分最初に見た光景

呼びかけても肩をたたいても全く反応はない。

引き上げようとしたが、いかんせん自分には体力がなく、

介護のコツのような、他人を持ち上げる知識もなかったので

風呂から引き上げるのは諦めた。

とりあえず風呂の栓を抜き、119番電話をかけた。

電話をかけて住所と簡単な状況を伝える。

息はあるか確認された。

慌てて確認したが、息はしていないように感じた。

電話口に伝えると、仰向けにして気道を確保するよう指示される。

その時点でお湯はだいぶ減っていたので、

いちおう浴槽の中で仰向けにしてみる。

その時見えた足の裏が、ひどく紫色になっていたのが印象的だった。

顔色は真っ青とまではいかないが、生気がない。

電話から心臓マッサージはしたか、出来るか、と聞かれる。

正直まったくもって自信がない。自分は脈を測るのも出来ないのだ。

やらなきゃいけないのか?と逡巡するかしないかというところで、

救急車が近づいてくる音が聞こえてきた。

早い。ウチなのか?ウチで止まってくれ。止まった。

心臓マッサージ役はやらないで済んだ。

ちょっとだけホッとしたのと、救急隊員にいろいろ確認されたので

そのあとのしばらくは、よく覚えていない。

そこそこの近所に住んでいる父と母に連絡を取り、

急いで向かってもらったが、

救急車の出発には間に合わなかったので、

自分けが祖母に付き添い、病院へ向かった。

病院に着き、祖母は奥へ運ばれていった。

自分は待合室で待機。両親もすぐにやって来た。

数十分待った。

看護師医師か分からないが、

心臓も呼吸も病院に入って来た時点から反応がないと告げられた。

これ以上の対応は身体を傷つけるだけになるだろうと言う。

父は蘇生をやめることに承諾した。

そこからしばらくして、死亡確認に呼ばれた。

医師の宣告によって、祖母の死亡が確認された。

日付が変わる、20分ほど前のことだった。

祖母には蘇生必要であったろう管が挿入されており、

そのチューブの中が若干血で汚れていたのが痛々しかった。

そして祖母は霊安室へと運ばれた。

今回、病院では死因の特定が出来なかった。

そうなると警察の検分が必ず入る決まりらしい。

解剖までされるかは分からないが、監察医が検案せねばならない。

しばらくして警察官が数人やってきた。

搬送された病院から検案される場所への遺体搬送

葬儀屋に頼む必要があると警察に説明された。

うちの父は(祖母本人もだが)葬儀の具体的な相談はしていなかったようだ。

どの葬儀屋に頼むのか決まっていなかったので、

とりあえず市内でそこそこ大きそうなところへ電話して、

病院まで来てもらうことになった。

病院では祖母の遺体に対して警察の検分があった。

その後遺体葬儀屋に預け、祖父母宅へ移動し、そこでも検分する。

祖父は病院へは来ていなかったので、そこで改めて事情を聞かれた。

もちろん祖母が亡くなったことは事前に電話で伝えてある。

警察事情聴取を終え帰ったのは、午前3時頃のことだった。

祖母の異変を発見してから、4時間半が経過していた。

合間合間に待つ時間は長く感じたが、

振り返ってみるとあっという間のような気もする。


今回亡くなったのは父方の祖母だが、

以前母方の祖母が亡くなった時に比べ、

何の準備も出来ていないことを歯がゆく感じた。

子どもの頃、父と母は一枚岩だと感じていた。

大きくなって、父と母は別個の一個人なんだと理解した。

そして冠婚葬祭に立ち会うと、

父方の家の考え方と母方の家の考え方が

大きく違うことをまざまざと見せつけられる。


自分は今、たぶん父親に似ている。

先のことはあまり考えない。

「なるようになるさ」と流れに身を任せている。

そんな自分はあまり好きではない。

この先自分はどうなっていくのだろうか。

先のことを考えすぎると鬱屈としてしまう。

そうなるのを避けるため、先のことは考えにくい。

そんな自分を嫌いながら、時間だけは淡々と流れていく。

2012-10-27

死をポケットに入れて

最初に言っておこう。

失ったものに対しての取り返しのつかなさを感じるのは、そこから多くの物を得ていたからだ。

愛し合った分、憎み合うように。

すべての物は、そうやって釣り合いを取っている。

父を亡くしたのは、14歳の時だ。

2度目の癌で、1度目は胃で、2度目は喉だった。

告知の是非がまだ争われていた時代、彼は知ることを望み、

一時帰宅ときに、家族食卓自分は癌だと、必ず治して帰ってくると、そう告げた。

今思うと、とても不思議病気だと思う。

癌は自分が育つために、宿主もやがて殺してしまう。

部位的なその特徴から喉頭癌の進行は早い。

正月一時帰宅を終えて、

(なんとも日本人とは律儀な性格だ。正月は自宅で迎えたいらしい。犯罪者でも、末期の患者でも。)

すぐに目に見えて容態は悪くなった。

口内炎のように見えていた癌は段々と増えて、私たちは怯えた。

皮膚は乾き、黄色くなり、骨と皮だけになっていく自分の肉親を見る機会は何度もあるものではない。

だけど、そんなことは何も珍しいことではない。

ありふれた病気の、ありふれた悲劇

どんなにひどい事も、どんなに素晴らしい事も、この世の中では起こりうるのだ。

何よりも、見た目以上に思い知らされたのは、人が内側から段々と腐っていくそ匂いだ。

甘くすえた、その匂いを今でも覚えている。

今でも、何年かに一度ぐらい、町中でその匂いをさせている人にすれ違うと懐かしく思う。

もうすぐ死にゆく人の、その匂い

人は自分の信じたいことしか信じない。

そのためには、どんな事象も誤魔化せるのだ。

たとえば、肺に穴をあけて血と膿の混ざった水を吸いだしたり、真っ黒な血を吐いたり、

意識がなくなった父に看護婦が話しかけながら直腸に手を入れて汚物を掻きだしたり、

そんなことを目の当たりにしても、家族は信じるのだ。

「これで悪いものが全部出たから、あとは良くなるだけだ。」と。

病院時間は、緩慢なようで、あっというまに過ぎる。

廊下に面する個室のドアが閉じられたら、それは隣か、その隣の患者が死んで運ばれるサインだ。

病棟の個室は、治療のためのそれというよりも、順番を待つための場所に近い。

不思議もので、どんなことにでも人間は慣れ、希望を持つことができるのだと思う。

クリスマス解放を願うアウシュヴィッツ収監者のように。

病棟でもまた然りだ。

中学生だった私は、医学書を読み、信じることを拒否し、

それでも意識を取り戻さない父親の横で、ポパイの「ぼくたちのセックス」特集に夢中になった。

どんなことも、釣り合いが取れているのだと思う。

こんなにも悲しいのは、きっと、こんなにも愛されていたかなのだと。

静かに、いつの間にか彼は死んでいた。

母親と弟が仮眠を取っている間に。

わたしが、介護用のベットで7月の雲の流れているのを見ていた間に。

最期には、痰も腹水も出なくなり、人間は乾いて死ぬものなのだと知った。

何のために、あの8か月は必要だったのか。

母親がこっそりと医師に手渡した、あの金は何だったのか。

何でもないと、今ならば思う。

すべては、私たち自身を慰める、その鎮魂の前払いのようなものだったと。

少しずつ、少しずつ、わたしたちは覚悟を重ねてきたのだ。

見たくないものを認めるために。

後悔をしないために。

誰のせいにも、しないために。

すべての物から得ることはある。

どんなに酷いことからも、経験を。

失ったものからは、愛情を。

束縛からは、解放を。

あるマンガで、しゃれこうべに怯える主人公魔女は言った。

頭蓋骨が怖いの?自分も一つ持っているのに?」

そうだ。わたしは怖くない。死は既に、自分の中にある。

から、弟が事故で死んだ時も、私は比較的冷静さを保つことができた。

私はもう、14歳ではなく29歳になっていた。

馬鹿みたいなその死因を聞いた時も、少しだけ安堵した。

事故で良かったと。

それなら誰も憎まないですむ。

大きく腹部を膨らませて、全身の穴から血の混じった体液を流す弟の体を拭き、

検死後にドライアイスを置いていかない警察の不親切を苦々しく思った。

仕方のないことだ。警察葬儀屋ではないし、五月に死体は長持ちしない。

(いつか覚えておくと役に立つかもしれない。)

2度目の―今度はあまりに突然な―身内の死に途方に暮れながらも、

誰も憎まないでいいことに、少しだけ安堵した。

誰かのせいにすること、

誰かに責任を見つけること、

憎しみを将来に繰り延べることは、

自分迷路に追い込むだけだ。

死をポケットに入れて。

棺に入れた弟の好きだった詩集は、灰となってなお文庫の形を保ち、火箸で突くと粉となって崩れた。

放蕩の限りを尽くした詩人は80歳を超えても生き長らえ、

20代の、5月の生の盛りに(flower of life)、弟は死んだ。

途方に暮れる母を支え、喪服美人妻を気取り、

火葬場で弟の骨を見た時は、とても申し訳なくて笑うしかなかった。

どこも損なわれていない、こんなに立派で太い骨なのに。

恥ずかしくて、恐縮するぐらいの健康人間だったのに。

どうしようもないことは、どうしようもないことだと思う自分は、どこかおかしいのだろうか。

弟の婚約者は、ショックで髪の毛が抜けてしまった。

私は、釣り合いをとるために、手放すことを選んだのだ。

それが自分バランスを取るために、丁度良かったからだ。

今でも、ふと思う。

自分の中の死を。

自分の周りの死者を。

どうしようもない、役割とか、病とか、不正とか、エゴのことを。

昼間の汗や尿と同じように、夜中の暖かい布団の中で流す涙のことを。

何かを失ったと思っている人へ。

何の慰めにも為らないかもしれないが、それは間違いだ。

失った分、同じ大きさの何かを得ている。

何かを失ったと感じたのであれば、それは既に、それだけのものあなたが受け取っていたからだ。

得たもの、それが憎しみならば、手放してしまえばいい。

あるいはその痛みは、あなたあなたの亡くしたものだけで組成されたものだ。

それならば、誰にも渡さずに、自分のものだけにしてしまおう。

それから数年して、私は妊娠した。

まだ生物とも呼べないような、たった8ミリの物体の写真を見て、少しだけ、泣いた。

大きな喜びと、大きな喪失の両方の可能性を持ったものを、私は孕んでしまった。

愛と呼べるような感情は、まだわからない。

だけれど、ともに時間を過ごし、それを失った時に、

わたしは自分を壊さずにいられるだろうか。

死は、私の中にもセットされている。

その事を怖いとは思わないが、少しだけ、祈るような気持ちになる。

どうか、どうか、私が愛する人たちに、沢山の何かを与えることができますように。

釣合いなんて、とれていなくていいから、

たくさんの、―できれば喜びを―、残すことができますように。

まり陳腐さに自分で笑って、また少し、泣いた。

2012-08-15

http://busynes.blog68.fc2.com/blog-entry-2406.html

葬儀屋は ちゃんと 足元見てくれるから(w

貧乏人は安く葬式出せるよ・・・たぶん。

うちは安かった。べつに 自家用車火葬場まで運んでもいいじゃんとか、そういう話ではあるが。まぁな

2012-08-06

許せるものと許せないものの間の線引きは確実にあるがその論理的な理由はわからない

http://anond.hatelabo.jp/20120806013304

結論を言うと彼とは職業を理解できないということでもう別れた。だからこうして書いてる。

とあるSNSオフ会で知り合ったのでお見合いとかみたいに身分証明があるわけでもないから、

正確な職業はわからなかったんですね。

豚の頚動脈を掻き切って血抜きして失血死させるそうです。

どうやるのか気になるならネット動画でも見てみて、それが真実から、って言われて見た。

とてもじゃないけど最後まで見ていられなかった。

豚が悲痛な悲鳴をあげていて、数人がかりでそれを押さえ込んで首にナイフで切れ込みを入れて血を絞り取っていた。

それでもまだ豚は生きている。

彼に触られそうになるたびその映像がよみがえってきて、鳥肌が立った。

こんなんじゃセックスするなんてとても無理だ。


親の実家でも卵をとるための鶏を飼っていたけど自分たちで〆て殺したりはしてない、と親から聞かされていた。実際見た覚えはない。

魚介類捕る漁師には偏見は無いし魚捌いて殺す人にも抵抗ない。

自分でやるのは嫌だけど、たとえば結婚して姑から料理の腕前を見せてみなさいといわれたらやると思うし、すぐ慣れると思う。

鶏〆て殺すのは・・・それ「だけ」を仕事にしてたら多分受け入れられないけど、それ「も」仕事ひとつにしている、ぐらいなら許容できる。

シロアリ駆除業者は問題ないけど、同じ駆除業者でも、ネズミハクビシンやいたちを素手で殺している人とは付き合えない。

実際追い詰めたネズミを槍で突き殺したり、火であぶり殺したり、水攻めして殺したりする業者もいるらしい。無理。気持ち悪い。

ゴキブリや蚊やハエや蜘蛛を叩き潰したり殺虫剤ゴキブリほいほいで殺すのは全く問題ないし自分もじゃんじゃん殺す。

民家の前や住宅街に出没したクマを人間を守るために銃殺する猟友会は許容できるけど、

鹿やウサギや狐や鳥を食べるためであっても娯楽で狩猟するハンターはだめ。

食べるための魚を釣るなら、釣る過程を娯楽として楽しんでいても、抵抗ない。

蛇やワニの皮剥ぎとってる人は、気持ち悪くはあるけど、食べるためのお肉を採るついでに皮も剥いでるだけなら問題ないかな。

牛殺す人と付き合うのも無理。イルカとか鯨狩ってる人も無理だ。

犬猫殺しはたとえ食べるためでももう体が拒否反応起こす。その人の顔見ただけで吐くと思う。

原発作業員葬儀屋医療従事者は問題ない。

魚のお頭は何とも無いけど、爪がそのまま残っている鳥の足の焼き物を食べるのはちょっと気持ち悪いし(中華圏で普通に食べられている)、

鳥や豚の丸焼きも食べられない。

鳥のお頭がそのまま売られていたら目を背けるだろうし豚や牛の頭が置かれてたら悲鳴をあげて走り去ると思う。

許せるものと許せないものの間にラインはある。でもどんな根拠でそのラインが引かれているのか、わからない。

動物実験は、医療の発展というという大義名分の下単なる虐待行為も多々行われているのだろうけど、

基本的に人間動物病気や怪我を治療するのに役立つ研究ならば、行為者を忌避する感情は起こらない。

なんでこう思うのかわからない。でも抗えない。

2012-07-17

費用効果を踏まえた香典相場

友人が亡くなって通夜に行ってきた。身内でも近年に二度ほど葬式を出しており、香典の額について思うところがあったので、少し書いてみたい。

香典 相場」とかで検索すると、3000円くらいから、と書いてあることが多いと思うが、多くの場合、正直これは間違いだと思う。故人を悼む気持ちは金額では計れない。だけど、本当に遺族のことを考えるなら、5000円は包むべきだと私は考える。

飲み会の出費と比べることが妥当かどうかわからないが、私個人のことを考えれば、そうした機会での出費を考えても、ここで2000円分少なく出すことの意味があまりないと言える。

なぜ最低5000円はあった方がいいと言ってるかだか、それは香典返しを考慮してのことだ。どこの葬式でも同じ仕組みなのかわからないが、私が経験した葬式では、葬儀業者が用意してる金額別のいくつかの選択肢から選び、実際に出払った数を後から精算する方式だった。結婚式と違い、出席者の数が読めない葬式では、確かに後から精算の方が合理的なのだろう。

葬儀会社の方で用意してた香典返しの最低金額がいくらからだったがきちんと覚えていないのだが、2000円くらいからだったように思う。想像できると思うが、こういった金額の選択肢がある場合は、最低ランクのものは明らかにみすぼらしかったりして、大体ひとは下から二番目とかそれ以上のものを選ぶことになる。

私の身内の場合、1つは3000円の少し上、もう1つは3000円の少し下くらいだった。香典返しの額が3000円を超えている場合、3000円の香典額の弔問客が来るたびに赤字が発生していくことになる。

葬儀の場で損得勘定というのもこすい話かもしれないが、何の準備もなく葬儀を出すのはなかなか用要りで、遺された家族の生計だったり、墓地墓石費用なんてものがかかる場合も考えると、故人のお悔やみに行って、故人の家族経済負担を増やしてしまうのは、私としては本意ではない。

というわけで、二度の身内の葬儀経験した私は、その後は香典を出す機会がある場合は最低でも5000円にしている。香典返しはいただかずにお気持ちだけいただいて帰ることにしている。


最後結婚式と比べた場合の、葬儀の特徴について書いておきたい。結婚式場合、大抵は準備期間がそれなりにあり、手間をかけることによって、逆に費用は抑えた式を挙げることもできる。ところが、葬儀場合は多くの場合、故人が亡くなって始めて手配を始める。結局準備期間がないということは、かなりの部分を葬儀業者にまかせることを意味する。

おしきせの葬式はしたくない、葬式は身近な人たちだけに静かに見送られたい、多くの人がそう思うと思う。しかし、実際にその時には、そう望んでいた本人は物言わぬ帰らぬ人となっており、「地味葬」を、という遺志があったとしても、死んでからはそれを準備する時間ない。

なので、なるべく葬儀屋の手を借りず、慎ましやかな、でも心のこもった式にしたい、という人は生前からの準備が必要である。ただ、かくいう私も口ばかりで何の準備もしておらず、明日明後日死ぬことがあれば、葬儀業者の用意したパッケージに従って、「普通の」葬儀をせざるを得ないだろう。

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